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1 三元系正極{NMC(532)}の劣化挙動 ~活物質の微細構造との関連を探る~ 形態科学研究部 久留島 康輔 正極における電池特性の変化(容量劣化)が小さかった劣化試験後の試作セルにおいても、活物質 の局所構造を評価することで顕著な変化が観測された。本稿では、微細構造分析手法を組合せる(STEM および XAFS 分析)ことで明らかになった活物質粒子中の構造変化について、内部抵抗の増加や容量の低 下との関連を考察した結果を紹介する。 1. はじめに リチウムイオン電池(LIB)性能の向上のために、劣 化解析の重要性は論をまたないであろう。端的に劣化 解析と言っても、電池の使用方法によって劣化箇所や 劣化の質が異なるため、電池特性と関連付けて分析・ 解析・考察をすることが必要となる。今回我々は、前 テーマ「異なる劣化条件による LIB の電池特性変化」 1) で示した試験内容により劣化(容量低下および内部 抵抗の増加)した、試作セルの正極活物質に着目して 分析を行なった。なお、当該試験結果において、試作 セルで認められた大きな容量低下の主要因は負極にあ ることが言及されている 1) 。しかしながら、図 1 にお いて示されるように、正極単極で見ても「3V 保存(劣 化前)」と比較して「4.4V フロート(劣化後)」は、僅 かながら容量の低下が認められる。従って、何らかの 変化(≒劣化)が生じていることは間違いない。正極 活物質において、温度変化と結晶構造変化を比較した 実験においても、粉末 X 線回折(XRD X-ray diffractionによるマクロな構造変化に対して、X 線吸収微細構造 XAFSX-ray absorption fine structure)によって捉え られたミクロな構造変化は 50℃程度の低い温度で生 じていることが報告例 2) としてあるように、電池特性 評価で機能低下が顕著に現れていない状態でも、微細 構造は変化している可能性がある。劣化解析の目的は、 劣化を起こさせない、または劣化の進行を遅くさせる ことにあり、「劣化の初期段階」を知ることは非常に重 要である。 そこで我々は、「劣化前」をリファレンスとして、「劣 化後」の微細構造変化の詳細を X 線吸収微細構造 XAFS)と走査透過型電子顕微鏡法(STEM Scanning Transmission Electron Microscopy)を用いて解析を試み たので、その結果を次項以降で報告する。電池材料の 微細構造を解析する上で、酸化還元反応に起因すると される価数変化を平均的に知ることができる XAFS と、 結晶構造情報を含み局所構造解析に力を発揮する STEM 分析を組み合わせることは、相互補完的な観点 からも好適と言えるだろう。 ここで、前テーマ「異なる劣化条件による LIB の電 池特性変化」 1) で示した正極の試験結果の概要を改め て示しておく。正極活物質には NMC532 LiNi 0.5 Mn 0.3 Co 0.2 O 2 )を用いている。試作 LIB の劣化 条件は、表 1 の通り 2 つの条件で実施した。なお、劣 化条件 1 および 2 によって得られたサンプルを「3V 存」および「4.4V フロート」と記述している 1) が、本 稿では理解の容易化のために、各々「劣化前」および 「劣化後」と記載している(ただし、「3V 保存」であ っても実際には劣化が進行していると考えられる)。図 1 には、試作 LIB の劣化試験後の正極から作製したハ The TRC News, 201705-03 (May 2017)

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三元系正極{NMC(532)}の劣化挙動

~活物質の微細構造との関連を探る~

形態科学研究部 久留島 康輔

要 旨 正極における電池特性の変化(容量劣化)が小さかった劣化試験後の試作セルにおいても、活物質

の局所構造を評価することで顕著な変化が観測された。本稿では、微細構造分析手法を組合せる(STEMおよび XAFS 分析)ことで明らかになった活物質粒子中の構造変化について、内部抵抗の増加や容量の低

下との関連を考察した結果を紹介する。

1. はじめに

リチウムイオン電池(LIB)性能の向上のために、劣

化解析の重要性は論をまたないであろう。端的に劣化

解析と言っても、電池の使用方法によって劣化箇所や

劣化の質が異なるため、電池特性と関連付けて分析・

解析・考察をすることが必要となる。今回我々は、前

テーマ「異なる劣化条件による LIB の電池特性変化」

1)で示した試験内容により劣化(容量低下および内部

抵抗の増加)した、試作セルの正極活物質に着目して

分析を行なった。なお、当該試験結果において、試作

セルで認められた大きな容量低下の主要因は負極にあ

ることが言及されている 1)。しかしながら、図 1 にお

いて示されるように、正極単極で見ても「3V 保存(劣

化前)」と比較して「4.4V フロート(劣化後)」は、僅

かながら容量の低下が認められる。従って、何らかの

変化(≒劣化)が生じていることは間違いない。正極

活物質において、温度変化と結晶構造変化を比較した

実験においても、粉末X線回折(XRD:X-ray diffraction)

によるマクロな構造変化に対して、X 線吸収微細構造

(XAFS:X-ray absorption fine structure)によって捉え

られたミクロな構造変化は 50℃程度の低い温度で生

じていることが報告例 2)としてあるように、電池特性

評価で機能低下が顕著に現れていない状態でも、微細

構造は変化している可能性がある。劣化解析の目的は、

劣化を起こさせない、または劣化の進行を遅くさせる

ことにあり、「劣化の初期段階」を知ることは非常に重

要である。

そこで我々は、「劣化前」をリファレンスとして、「劣

化後」の微細構造変化の詳細を X 線吸収微細構造

(XAFS)と走査透過型電子顕微鏡法(STEM:Scanning

Transmission Electron Microscopy)を用いて解析を試み

たので、その結果を次項以降で報告する。電池材料の

微細構造を解析する上で、酸化還元反応に起因すると

される価数変化を平均的に知ることができるXAFSと、

結晶構造情報を含み局所構造解析に力を発揮する

STEM 分析を組み合わせることは、相互補完的な観点

からも好適と言えるだろう。

ここで、前テーマ「異なる劣化条件による LIB の電

池特性変化」1)で示した正極の試験結果の概要を改め

て 示 し て お く 。 正 極 活 物 質 に は NMC532

(LiNi0.5Mn0.3Co0.2O2)を用いている。試作 LIB の劣化

条件は、表 1 の通り 2 つの条件で実施した。なお、劣

化条件 1 および 2 によって得られたサンプルを「3V 保

存」および「4.4V フロート」と記述している 1)が、本

稿では理解の容易化のために、各々「劣化前」および

「劣化後」と記載している(ただし、「3V 保存」であ

っても実際には劣化が進行していると考えられる)。図

1 には、試作 LIB の劣化試験後の正極から作製したハ

The TRC News, 201705-03 (May 2017)

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ーフセル(対極は金属リチウム箔)より得られた各サ

ンプルにおける放電曲線を示した。

表 1 各サンプルにおける試験内容 試験条件

劣化条件 1: 「3V 保存」 (劣化前)

室温下

3.0V CC(constant current)

放電状態保存

劣化条件 2: 「4.4V フロート」

(劣化後)

45℃雰囲気下

4.4V CV(constant voltage) 充電 2 週間

図 1 正極の単極容量測定結果

(充放電電圧範囲:3.0 - 4.2V (vs. Li+/Li)、 充放電電流密度:0.13 mA/cm2

2. 分析手法と測定条件

前項で示したように、正極活物質には試作 LIB の劣化

試験後 1)の NMC532 を用いている。STEM 分析は、TRC

保有の日本電子株式会社製の球面収差補正機能付 原

子分解能電子顕微鏡 JEM-ARM200F Dual-Xを用いて

行われた。加速電圧は 200kV と 120kV を併用した。

XAFS 分析は、立命館大学 SR センター BL11 を使用

した。XAFS では、各遷移金属 Ni, Mn および Co を対

象に、バルク情報を K 殻吸収端で、表面数十 nm の範

囲を L3殻吸収端により評価した。両手法とも、充電状

態と放電状態を評価するために、金属 Li 対極のハーフ

セルを作製し、電位調整を施した試料を用いている。

また、測定は全て大気非暴露環境下で実施した。

3. 分析結果と考察

3.1 STEM 分析による試験前後の局所構造解析

図 2 に、放電状態の「劣化後」より得られた二次粒

子の BF(Bright Field)-STEM 像(全体像)を示す。

通常このような粒子の断面観察においては、実際の径

よりも小さく見積もられることが多いが、数百 nm 径

の一次粒子が 5 µm 径程度の二次粒子を形成している

ことが分かる。「劣化前」(本稿に図示していない)と

比較して顕著な差異はなく、この倍率では劣化に関す

る有意な変化は認められない。図 2 中の緑および赤丸

については後述する。

図 2「劣化後」(放電状態)のBF-STEM 像(全体像)

図 3(a)に、二次粒子最表面の一次粒子全体、図 3

(b)に、一次粒子内部を拡大した HAADF(High Angle

Annular Dark Field)-STEM 像を示す。図 3(a)は、図

2 中の赤丸付近の拡大像であり、図 3(a)の黄線で囲

った領域が 1 つの一次粒子に相当する。粒子最表面か

ら約 350nm の深さ位置に示した青四角領域を拡大し

た像が、図 3(b)である。図 3(b)の赤点線が、図 3

(a)の赤線位置に対応する。赤点線よりも左上の領域

ではストライプ状のコントラストが確認されるが、右

下の領域では格子状のコントラストを呈していること

が分かる。これらが何を示すかを考察するために、「劣

化 前 」 に お い て 取 得 し た 一 次 粒 子 内 部 の

HAADF-STEM 像(拡大像、図 4)を、放電状態(a)

および充電状態(b)で比較した。HAADF-STEM 像で

は、白い輝点が遷移金属位置に対応しており、当該結

晶方位では、図 4(a)の赤丸で示す位置が遷移金属(Ni,

Mn, Co)位置、青丸が酸素(O)位置、黄丸が Li 位置

に相当する。放電状態(図 4(a))では、単一方向の

(劣化前)

(劣化後)

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層状構造が広い範囲で形成されていることが分かる。

一方、充電状態(図 4(b))では、図 3(b)でも確認

されるような格子状のコントラストが捉えられている。

図 3 「劣化後」(放電状態)の HAADF-STEM 像

(a)二次粒子最表面の一次粒子の全体像

(b)二次粒子最表面の一次粒子内部の拡大像

これら格子状コントラストを含む領域から、二次元

FFT(Fast Fourier Transform)パターンを取得すると、

スピネル型構造由来のパターンと酷似したパターンが

得られる(本稿に図示していない)。我々は、別途行っ

た LiCoO2の劣化解析で、スピネル型構造である Co3O4

と判断される原子配列像をHAADF-STEM 像中で確認

しているが、図 3(b)および図 4(b)では、そのよう

なスピネル型構造と確定できる原子配列を確認するこ

とが出来なかった。XRD によるマクロな平均構造(本

稿に添付していない)でも、スピネル型構造の形成を

示唆するデータは得られていないことを考慮すると、

これは、層状構造が二方向に形成されていると考える

ことが妥当である(実際の母相は、LiCoO2 や LiNiO2

の結晶構造を参照すると菱面体晶系であるため、三次

元的には考えると、層状構造は二方向以上存在すると

推察される)。

図 4 「劣化前」の粒子内部における HAADF-STEM 像

(a)放電状態、(b)充電状態

母相の結晶構造(菱面体晶系)は、Li 層に遷移金属

が置換したと仮定すると fcc(face centered cubic)の立

方晶構造(NaCl 型構造)と同等と見做せる。層状の構

造(c 面)が並ぶ方向は、fcc のある一つの[111]方向に

相当するが、実際の fcc を観察すると<111>方向は、当

該結晶方位から見たとき等価な{111}面が二面存在す

るため二方向に認められる。今回得られた「二方向」

の層状構造は、fcc の等価な二つの{111}面と結晶方位

的には一致するため、fcc で言う双晶構造がナノサイズ

で形成されていると推察される。Li が抜けて不安定と

なった構造を保つために単一ドメインを小さくしよう

とする力が働いていると考えられ、この双晶ナノドメ

イン構造の存在が、充電状態の構造を現しているとも

解釈できる。そのような仮定の基で結果を見ると、放

電状態の「劣化後」の一次粒子内部で、「充電状態」の

構造が確認されたということになる。このことは、劣

化が進むと放電が出来ない領域が活物質中に増加する

ことを示唆しており、容量低下の一因を担うことが予

想される。

二次粒子最表面の一次粒子全体像を図 3(a)に示し

たが、その一次粒子表面付近における拡大像を図 5(a)

に示す。僅かな明暗のコントラスト差で、「二方向」の

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層状構造も確認されるが、基本的には Li 位置に遷移金

属が置換した NaCl 型構造(NiO など)を仮定すると、

良い一致を示す原子配列であることが分かる(ただし、

以下のような注意が必要である。STEM 像は、三次元

構造を二次元に投影した像であるため、母相の結晶構

造(菱面体晶系の層状構造)において、c 軸と垂直な

方向から観測する際には層状構造が認められるが、例

えば[2-21]菱面体晶系方向では、NaCl 型構造の<110>立方晶系

方向と矛盾しない原子配列が捉えられる。本稿では、

単一の一次粒子内で「層状構造」が認められた領域で

NaCl 型構造の原子配列が確認された箇所を「構造変化」

した領域と仮定して解析を行っているが、立方晶系の

<111>方向全てが等価に双晶構造を形成している場合、

その方向によっては、NaCl 型構造と矛盾しない原子配

列が確認される可能性がある。ここでは、これらの可

能性についての詳細な検討結果は割愛する。)。しかし、

図 5(a)では、同じ NaCl 型構造と考えられる原子配

列でありながら、最表面は内部よりも明るいコントラ

ストを呈していることが分かる。STEM-EDX 強度マッ

プ(図 5(b-e))を見ると、いずれの遷移金属(Ni, Mn

および Co)も粒子内部より最表面で強度が高くなる様

子が確認出来る。このことは、STEM 像で NaCl 型構

造が認められたとしても、必ずしも遷移金属:酸素(O)

比が 1:1 の構造(NiO など)が形成されていないこと

を示唆している。つまり、最表面が NiO などの NaCl

型構造であると仮定すると、粒子内部は、遷移金属強

度が若干弱くなる(Li が残存する)「NaCl 型ライク」

構造(詳細は後述する)を有している可能性がある。

さらに詳細を詰めるために、図 5(a)の橙矢印にて示

す方向で、Li_K 殻吸収端の STEM-EELS 分析を行った

結果が図 5(f)である。青線で示すスペクトルが、図

5(a)の各領域で得られたものであり、比較のため充

電状態のスペクトルも赤線で示している。65eV 付近に

示されるピークが Li の存在を示すピークとなる。充電

状態では、Li が引き抜かれた状態であるため、当該ピ

ーク強度は低いことが分かる。一方、放電状態では、

表面数 nm以外ではLiが検出されている様子が捉えら

れている。つまり、表面数 nm 以外では、結晶構造は

NaCl 型であるにも関わらず Li が存在していることを

意味している。例えば、NiO 中に Li が固溶し得ること

は、Li(Ni, Co)O2および Li(Ni, Co, Al)O2の系で、各々

Abraham らおよび Watanabe らのグループが報告して

いる 3), 4)。即ち、NaCl 型の(Li1-x , Mex)O が形成されて

いると考えられ(Me = Ni, Mn, Co)、本稿ではこれを

「NaCl 型ライク」と呼ぶことにする。

ここまでは、二次粒子表面の一次粒子を観察してき

て顕著な構造変化を捉えられることが出来たが、二次

粒子内部の一次粒子には変化がないであろうか。図 6

(a)に、図 2(a)の緑丸領域を拡大した像を示す。

一次粒子同士の界面に、黒線状のコントラストが認め

られる。これを含む赤四角領域を拡大したものが図 6

(b)である。特徴的な原子配列が認められることも無

く、STEM-EDX 分析から特異的な元素が検出されず、

STEM-EELS 分析から Liが偏析している様子も捉えら

れなかった(本稿に添付していない)ことから、当該

黒線状のコントラストは「孔」であると推察される。

これは、構造変化を伴う酸素(O)放出に起因するも

のであると推測している。

図 6(b)の上側の粒子の原子配列を見ると、図 5(a)

と同様に、僅かな明暗の強度差で、「二方向」の層状構

造も確認されるが、基本的には NaCl 型構造(NiO な

ど)を仮定すると良い一致を示す原子配列であり、

「NaCl 型ライク」が形成されていると判断される。こ

こでは、原子レベルにおける STEM-EDX 強度マップ

の取得も試みている。HAADF-STEM 像(図 6(c))か

らは、Li 位置への遷移金属(Me = Ni, Mn, Co)の置換

が示唆されており、STEM-EDX 強度マップの結果では

各遷移金属元素ともに、Li 位置へ動いていることが示

される。電子線励起では Ni が動きやすいことが知られ

ているが、「劣化後」では各遷移金属元素ともに Li 位

置へ動いていることが分かる。また、図 6(d, e)の橙

の点線囲みで示す位置を確認すると、各サイトで Ni

および Co の強度が一致していないことが分かり、各

サイトで濃度ムラが存在していることを示唆している。

このように、二次粒子の内部であっても、劣化に関係

すると判断される構造の変化は存在していると言える。

以上、STEM 分析によって得られた「劣化後」におけ

る微細構造の特徴を示した。しかしながら、STEM 分

析でサンプリングされている範囲は 10 µm角程度であ

り、今回得られた劣化に関係すると考えられる「構造

変化」も、全ての粒子で生じていると断言することは

難しい。また、変化領域の範囲にもバラつきがある。

このため、平均的な情報と照会することが望まれるが、

一般的な X 線回折(XRD)法ではバルクのみの情報と

なるため、表面付近の平均情報が選択的に得られる

XAFS 法が適していると考えられる。そこで我々は、

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表面付近数十 nm の範囲とバルク全体の情報の各々に

ついて XAFS 分析を試みた。

図 5 「劣化後」(放電状態)の二次粒子最表面の

一次粒子における表面付近

(a)HAADF-STEM 像

(b)-(e)HAADF-STEM 像および

各遷移金属におけるSTEM-EDX 強度マップ

(f)Li_K 殻吸収端における

STEM-EELS スペクトル

図 6 「劣化後」(放電状態)の二次粒子内部における

一次粒子同士の界面付近

(a)および(b)HAADF-STEM 像

(c)-(g)HAADF-STEM 像および

各遷移金属におけるSTEM-EDX 強度マップ

3.2 XAFS 分析による劣化前後の価数評価

3.2.1 Ni の挙動について

図 7 に、各状態の Ni の K 殻吸収端における XAFS

スペクトルを示す。本稿では、K 殻吸収端でバルクの

情報を、L3殻吸収端で表面数十 nm の範囲の情報を得

ている。K 殻吸収端における XAFS スペクトルでは、

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ピークの立ち上がり位置とピークトップの位置で価数

等を評価することが多い。「劣化前」の放電状態と比較

すると、「劣化前」の充電状態は高エネルギー側へシフ

トしている様子が捉えられる。

図 7 Ni の K 殻吸収端における XAFS スペクトル

このシフトは酸化還元反応を反映していると考えられ、

Ni3+から Ni4+への変化を示していると推察される(Ni2+

の標準スペクトルと比較する(掲載省略)と、「劣化前」

の放電状態のスペクトルは高エネルギー側になるため、

Ni3+に近いと判断した。実際には、絶対価数を判断す

ることは難しく、平均価数としては半整数になると見

込まれるが、理解の単純化のために整数で表記してい

る)。「劣化後」のスペクトルを比較すると、充電状態

は「劣化前」と相違ないと判断されるが、放電状態は

「劣化前」と比較して高エネルギー側にシフトしてい

ることが分かる。充電状態ほどのシフトではないため、

平均価数としては3価~4価の間であると推察される。

このような変化は、LiCoO2での充放電 In-situ 測定にて

確認される Co の K 殻吸収端における XAFS スペクト

ル変化と酷似している 5)。つまり、STEM 分析で認め

られたように、放電状態の「劣化後」では、充電状態

の構造が残留していると仮定すると、この変化が説明

できる。

次に、各状態の Ni の L3殻吸収端における XAFS ス

ペクトルを図 8 に示す。

図 8 Ni の L3殻吸収端における XAFS スペクトル

劣化前後で、XAFS スペクトルの変化が認められるが、

放電状態と充電状態で挙動が異なることが分かる(Ni

の L3殻吸収端では、標準試料と比較すると、854eV 付

近に Ni2+のピークが、857eV 付近に Ni4+のピークが認

められるため、図 8 中に記載した低価数成分の価数は

2価、高価数成分の価数は4価であると推定できるが、

Ni3+のスペクトルピーク形状が二山状であるため、

各々を絶対価数で切り分けることが難しい。そのため、

図 7 では便宜上、低価数成分(Ni2+~Ni3+)および高価

数成分(Ni3+~Ni4+)と記載している。)。図 8(a)(放

電状態)では、高価数成分が「劣化後」に増加傾向に

あり、(b)(充電状態)では、低価数成分が「劣化後」

に増加傾向にある。この動きをするモノが、同じであ

る(①)と仮定すると、層状構造本来の Ni3+と Ni4+の

酸化還元とは別の反応をしていることになる。若しく

は、独立したモノ(②)で、反応には寄与していない

成分が存在している可能性がある。この結果のみでは

詳細不明であるが、STEM 分析の結果と照らし合わせ

ると、①(「NaCl 型ライク」構造)および②(NiO な

どの NaCl 型と充電状態(NiO2)の構造)の両方の寄

与があると考えられる。ただ、表面付近の結果である

ことを考慮すると、①の影響が大きく反映していると

推察される。つまり、「NaCl 型ライク」構造である(Li1-x ,

Nix)O の形成が、この変化に強く影響していると考え

られる。酸素が -2 価であると仮定すると、x=1(充電

状態)のとき Ni は +2 価となり、x=0.5(放電状態)

のとき Ni は +3 価となる。これは、インターカレーシ

ョンによる酸化還元反応ではなく、固溶系であること

から価数の動きは逆転すると考えられる。

3.2.2 Mn の挙動について

図 9 に、各状態の Mn の K 殻吸収端における XAFS

スペクトルを示す。

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図 9 Mn の K 殻吸収端における XAFS スペクトル

劣化前後の充電状態に変化が認められず、放電状態の

ピークトップの位置が「劣化後」で若干高エネルギー

側にシフトしていることは、Ni の挙動とよく似ている

ことが分かる。つまり、放電状態の「劣化後」は、充

電状態の構造が残留することで説明が出来る。しかし

ながら、Ni の挙動と大きく異なる点は、ピークの立ち

上がり位置にある。立ち上がり位置が、ほぼ変わらな

いことを考えると、価数はほぼ変わらないということ

が言える。標準試料と比較すると、この Mn の立ち上

がり位置は 4 価に近いことが分かっている。ただ、放

電と充電状態ではピーク形状が変化しているため、結

晶構造は変わっていることが予想される。つまり、結

晶構造が変わりながらも価数は変わらない変化を考察

する必要がある。ここで、図 10 に、放電状態「劣化前」

から得られた[1-10]方向(菱面体晶系と仮定して指数付

けしている)の電子回折パターンを示す。菱面体晶由

来の強度の強い基本格子反射に加えて、青矢印で示す

位置に、[110]方向に 3 倍の長周期構造の存在を示唆す

る超格子反射がストリーク状で確認されていることが

分かる。これは遷移金属層中に Li が導入されることで

形成される Li2MnO3型の結晶構造の特徴であり、微視

的にはLi2MnO3型の結晶構造が存在していると判断さ

れる。この結晶構造を仮定すると、Mn の価数は 4 価

となる。様々な状態が混在している可能性もあるが、

電子回折の結果からは 4 価が妥当と考えられる。一方、

充電後の Mn スペクトル形状は、MnO2 に近いと考え

られ、これも価数は 4 価である。このような仮定をす

ると、放電状態から充電状態に変遷するにあたって、

Liが抜けて結晶構造は異なるが 4価を保持することが

説明できる。

図 10 「劣化後」(放電状態)から得られた

[1-10]方向の電子回折パターン

各状態のMnの L3殻吸収端におけるXAFSスペクト

ルを図 11 に示す。Ni の L3殻吸収端とは異なり、「劣化

後」では充放電状態ともに、低価数成分の増加傾向が

認められる。従って、Ni で考察したような「NaCl 型

ライク」ではなく、充放電状態ともに NaCl 型の MnO

が形成されている可能性が高い。

図 11 Mn の L3殻吸収端における XAFS スペクトル

3.2.3 Co の挙動について

図 12 に、各状態の Co の K 殻吸収端における XAFS

スペクトルを示す。

図 12 Co の K 殻吸収端における XAFS スペクトル

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劣化前後の充電状態に変化が認められず、放電状態の

ピークトップの位置が「劣化後」で若干高エネルギー

側にシフトしていることは、Mn の挙動とよく似てい

る。この変化は、「3.2.1」項で記述したように、LiCoO2

での充放電 In-situ測定におけるXAFSスペクトル変化

の報告と酷似している 5)。従って、放電状態の「劣化

後」では、充電状態の構造が残留していると仮定する

と良い一致を示す。

充電状態各状態の Co の L3殻吸収端における XAFS

スペクトルを図 13 に示す。

図 13 Co の L3殻吸収端における XAFS スペクトル

Mn の L3殻吸収端の結果と同様、「劣化後」では充放電

状態ともに低価数成分の増加傾向が認められる。従っ

て、Ni で考察したような「NaCl 型ライク」ではなく、

充放電状態ともに、NaCl 型の CoO が形成されている

可能性が高い。

4. まとめ

「劣化前」と比較して、「劣化後」は僅かな容量低下が

認められたに過ぎなかったが、微細構造解析を行うと

局所的には劇的な変化を生じていることが示された。

電池材料のように、場所により不均一な反応を示す対

象では、マクロで劣化が認められたときには、微視的

変化が大きく進行している可能性が高い。劣化の初期

段階を解析するには、STEM や XAFS といった微細構

造分析手法が力を発揮する。両手法は、ある程度の場

所の特定が出来るという共通点を持ちながら、局所の

結晶構造情報と平均的な価数情報が各々で得られるた

め、これらを組み合わせることで、相互補完でき、よ

り有効な分析手段となり得る。

今回の系で得られた結果を表2および図14にまとめ

る。図 14 は、二次粒子全体を一次粒子に模したイラス

トであり、図中には代表して Ni の状態を記載している。

表 2 粒子位置に対応する結晶構造と価数の推定

「劣化後」(放電状態)

図 14 二次粒子全体を一次粒子に模した

「劣化後」(放電状態)の模式図

層状型の正極活物質では、粒子表面が NaCl 型構造

に変化することにより、内部抵抗の上昇や容量低下に

寄与するであろうことが広く知られているが、それだ

けでは説明ができない現象が多く存在しているのも事

実である。今回我々は、「NaCl 型ライク」構造を考察

に取り入れることで、主に Ni の挙動を明確にできたと

考えている。NaCl 型の結晶構造であっても、Li の挿

入・脱離が不可能では無いことを考えると、劣化初期

でも認められる厚い NaCl 型結晶相が存在していても

電池特性として極端に悪くなることはないことが説明

できる。一方で、層状型本来の構造よりかは、容量が

低下し抵抗が高くなることが示唆されるため、その傾

向とも一致しているように推測される。「NaCl 型ライ

ク」構造が増加すると、急速放電における抵抗増加に

顕著な影響を及ぼすと推察される。また、遷移金属種

によって、挙動が変わっていることも興味深い。本稿

により、価数に変化が無くても、また、価数の動きが

逆転しても、Li の挿入・脱離の観点では LIB としての

働きは為されている可能性を示せたと考えている。

Page 9: Title 三元系正極{NMC(532)}の劣化挙動 ~活物質の微細構造との関連を探る~ | 東レリサーチセンター Author 株式会社東レリサーチセンター

The TRC News, 201705-03 (May 2017)

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しかしながら、全てを記述できたとは考えてはいな

い。例えば、上記では「NaCl ライク」は Ni のみに留

めたが、Co および Mn では存在していないのか、スピ

ネル型構造の混在はないのか、という点である。証拠

に乏しいが、今のところ両者ともに混在していると

我々は考えている。カチオンミキシングでは、遷移金

属が Li 位置まで移動(または逆の移動)する必要があ

るが、酸素八面体位置に存在している両者は、酸素四

面体位置(スピネル型 AB2O4の A サイト)を通って移

動することを報告している例 6)もあり、その変化のし

易さなどは元素種によって異なるであろう。また、本

稿では、充電状態の構造解析と、「劣化後」では放電状

態であっても充電状態が残留することを示したが、何

故残留するのか、放電状態になる領域との差は何か、

どうすれば改善できるのかについて、今後も継続して

解析を進め、最先端の分析技術を通して皆様のお役に

立つことが出来れば幸いである。

引用文献

1) 尾形大輔, 異なる劣化条件による LIB の電池特性

変化, The TRC News, 201705-02.

2) 牧村嘉也, In-situ 昇温 XAFS-XRD 同時測定による

LiNiO2類縁正極材料の熱安定性解析, 第57回電池

討論会抄録集 , 幕張メッセ , 1A20, 2016-11-29

/12-01.

3) D. P. Abraham et al., “Surface changes on

LiNi0.8Co0.2O2 particles during testing of high-power

lithium-ion cells”, Electrochem. Commun., 4, 620-625

(2002).

4) S. Watanabe et al., “Capacity fade of

LiAlyNi1−x−yCoxO2 cathode for lithium-ion batteries

during accelerated calendar and cycle life tests (surface

analysis of LiAlyNi1−x−yCoxO2 cathode after cycle tests

in restricted depth of discharge ranges)”, J. Powder

Sources, 258, 210-217 (2014).

5) C. J. Patridge et al., “In-situ X-ray absorption

spectroscopy analysis of capacity fade in

nanoscale-LiCoO2”, J. Solid State Chem., 203, 134–

144 (2013).

6) S. Choi et al., “Factors Influencing the Layered to

Spinel-like Phase Transition in Layered Oxide

Cathodes”, J. Electrochemical Soc., 149 (9), A1157–

A1163 (2002).

久留島 康輔(くるしま こうすけ)

形態科学研究部

形態科学第 2 研究室 研究員

趣味:サッカー