美意識の転換-佗びの萌芽 url doi...b Á Ä [ s z µ a ¢ Æ Á Ì » ð Ý o l ½ ã Å Á...
Post on 20-Dec-2020
0 Views
Preview:
TRANSCRIPT
Meiji University
Title 美意識の転換-佗びの萌芽
Author(s) 渡辺,誠一
Citation 人文科学論集, 三十七-三十八: 1-15
URL http://hdl.handle.net/10291/4223
Rights
Issue Date 1991-03-31
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
人
文
科・学
論
集
.
'̀
第三十七雪三十八輯合偉
号
一
九
九
一
年
三
月
美ド
意
識
望
め'
転
換
,
ート
.
佗
びポ
■
め
鞘明
・
芽
ll
lP
ー
レ
「F【
渡
辺
誠
二層
=
ヨ
■
「
ワ
ビ
ワ
ノ
ワビシク
「佗び」
という
君粟
興
『万
葉集』
では既記h荊備」㌔「
和夫
」・「惑」
.
見̀
という言葉で
使用されているつ
しかしその
内
容は、
今田使われている
."F.-
「佗び」
とはい
ささ
か異なっ
た意義を持つなのであっ
た。
言葉としての「わび」の系譜に関しては、、岡崎義恵氏や筒井紘一氏によって論考
`
ω
が
行われ、
その
結論も
出てい
る。
.
「
覚
し
旨,」し「溺U-'
中
傷文芸ではρ基本的に"
無常
理想識されていた。
鎌倉時病嗣期
「.【
`
卜.一'
に
讃
魂『
豪物
題 .『方丈湘
器、
典型的な
瀞
奉として知ら
れてい
惹。
『
平
家物語』
で
は、
,
し
,
'
-
.
唱
,
、
ド
ト
・
け阪ピ.あした.ゆうべ
朝にか憾"夕記
変ずる世間の不定こそ哀れな煮
(巻十二、
「判
官都
」≡乙の
小論ではゆ『徒然草』、
に
於て
吉田兼好の
美意識の
転換
が行われ、
層■、噛1,■■」
そこに「佗びの
情致」
が萌した乏翠
う観点に立っ
て、'
兼好の
美意識の
,」1「.
転換
を促した動咽斌
何であっ
憶のか、
兼
好の
美的感性はどんなもので
亀
・
・
』}
P
~
-
.
己辱
~
・
~
.
あっ
たのか、
また㍉
それが』佗ザ環」
の
美的理念とどのような係わ
吻
匿
-
」ー
-
印
【
.
ーレ
を祷り
ρか、
この三つの
問題を幼心ボ
論考を進めるこ
乏に七た。」
・亨
'
.
,
:
一
}匝
「
落」)
圏「
F
1唖
と、
流転無常の世の串を崩壊感覚で巧みに描き、
盛者必衰の理を当時
「巳
の貴族社冷によ。て例記している。
諺文記』
燦はe
作者
長明強打略
1
・
・
『
"
一
・
9
闇、。
、
」
巳
続《変乱.
災厄.
汰変
地堤一
その
結果生じた飢渇状態を口の翅刃に跳
.
一
.
.
`
め、
体験した事実を語
りながら、
人生の
無常を説き、」
処世の
脳湾逢
論
旨
=唱
■
ヤ
日体に
於け偽中世は、
無常観がひとつの世界観として中世全域に渉一
「「脚
r'
じ
て
い
る。
っ
て
深《
浸透
し、
中世独特
の
文化を生み出Lた時代であっ
た。
従り
て
h.
置5
この
両作品で
扱われている
無常
観は、
観想的、
詠嘆的
無常観と称
せ
.
ー
医聖
uし
2
られている釣のでρ現世を虚仮の
世セ否定的に
捉え、
これを厭離
し、
.」'
やハ九十三
段)
完全円満な来世
の
浄土を欣求す乃とい
う世界
観であり
た。.従「って、
生
E
,
聖
に対もて極めて消極的
であっ
た。吉田兼好もまた、人生鳳傾く無
常であ吻、
この
世はすべ
て
夢・
幻.
、
歪
一匙気
無である、
と世間の
実相を捉えていた。
この
点では、
『徒然草』
め
作
」
者の
無常観拡『平
家物語』・『方
丈記』
の作者のそれと同一
であっ
た。
と、
それぽで続いた無常観を逆転惑せ、曜
新七い生き方を生み出したの
{
である。「これは、
兼好の人生に対する価値観が一
変し光
結果であカ
え。
篭レ
可
「
」
モ̀瘤噛
兼好にとって、
名港や利益だけに囚われ、
物欲に汲々上し売生活噛
唖
.
,
送るこ
と、
また、
-
高位・
高官をひた
すら
望み、
そ
れの
み
を
頼み
として
しかし兼好は、
無常の世の中や人生をたかい九ずらに嫌厭し
売り、
㌦感
、
膿
瘍的に
なっ
た、0
して、
伝
統的な無
常
観に留まっ
て
はい
なかっ
た。
.すべ
「
`
生きるこ
と、
また、
秀れた
学
識に
よっ
て
その
名
を後世に
残そう
と
願うこと、」「これらはすべて愚劣なこととなる。」
}換
てが詮無く、
すべ
てが滅亡する運命を負っ
ている。
その
滅びの
時がいつ来るか判らない。
匡■
この
世にある存在物は、
すべて
有限であり、
相対的なものである。
-
-
・
.
.
い
絶対的に信頼できるもの
など
何も無いのである。
そのことが
悟れず、
転
.
多くの
人々は名誉や財産や名声などが無限であり、
絶対的なものであ
,
の誠意藁「
我等
が生死の
到来、.
ただ今に脇やあらんρ(四十一
殿V■ノ
ただ今の一
念、
む
なしく過ぐる
事を惜しむべし
(百八段)
巳」{
「
人間は必ず死ななければならない。
これは判然とした
事実
である。
る
と
錯覚し、、
そ
う思い
込んでい
る。
だ
から
愚かなの
で
ある。
髪
b
,
庸産が多け
殺身を守るのが疎かになり、.
さまざぽな害
穫
蕩く、
苦労を招
くことにな
奄 ,
世間一
般がら秀れた入物
と思われようとして
も、
誉める
人も、
悪口
を
言う人もこの
世に
生き
残れるもので
はない。
だから現在の生を愛惜しなければならないのだ、
と無常である現実を
名声は非難の
原因ともなる。
死後に名声が残?
ても何の
利益にもなら
舳
捉え直し、
死に対する嫌悪・
憎悪を生に対する愛へ
と転換したのであ
ないのだ。
相対的な世界の現
象は万事誠のもので
はない。
、
る。
F
I「
兼好
は、
醜い
現実を冷静に
見つ
め直し、
醜悪なものは醜悪なもめ、
-
「
万事は
皆非なり。
言ふにたらず、
願ふにたらず。(三十八段)
頼むべからざるものは
頼むべ
からざるものと悟り、
自分の
生を積極
的し覧」o
に
活かすとい
う生活態度を獲得した。
」
兼好は、
無欲悟淡
・
無一
物の
境涯に生きることを理想とし、
俗世
間
ヒレ
的な利欲を放下することを強調する。
コ̀
F}
人、
死を憎まば、
生を愛すべ
し。
存命の
喜び、
日々に
楽しまざらん
,
,
たか
ら
人は齢の
れをσづ
まやがにし、
奢りを退げいて、
財を持たず、
世をむ
F
ξ.
印
`一㌣響,馬
ざぼら
ざら
κぞい
みじか
るべ
き。
昔より、、
賢
き人の
富
のるは
稀なり。
臨
は不可能である。
最好が
飽ぐなき読書を通じて
獲得
した古典は
完全に
画「
」幽7辱畠隔,
消化され、
蕪好
の血
と
なり
肉ど
なっ
て
し
訳α
てい
る。
『従
燃草』 「.に
於
(十八段)
7!♂・:
て
は、
そ
れが
多
角的
発露
となつ
で
展
開ざれてい .る。
従っ.て、
例えば
明
L
」
℃
ヨ
・
し
らがに宗教的な思考を述べ
て
聡智と思われる個所であっ
ても爵
ぞの
内
「
、r
;
兼好は、
清貧に徹した生ぎ方二を現世
の生ぎ方であるどして、
その
奮
■
ト
容は
極めで
世俗
的な日
常生
活に留まつ.て .い、るだ
め、
それがどの
仏典に
ジ
■
実践者を
紹介掛る。,
・、
「
.
、拠
っ
たものなのか
具体
的に
知ることは極めて困難である。
「..馳
,
・.『徒然
草』
.
がら
窺 、う
こ
ど,ので
きる
宗教
は、
儒
教・
老
荘・
神道・
仏
教
【
もろζし
きょいう
たくは
唐土に
許
由と
言ひつ
る
人は、、
さら
に
身に
した
がへ
る貯
へ
も
なくて、
ト
■
爪髪も
平して
捧げて
飲みけるを見て、
なりひさこといふ
物を人の
得
Q天
台宗・,
浄土
宗・.
禅宗など多数に渉っ
ているが、
特に兼好の
生き
方
■
」
を一
変させ、,・
延いては彼の
美意識を転換させだ宗教は禅宗であっ
たゴ
集論学科
'
己
ーヒ.
昏「1
させ
たり
ければ、・
ある
時、
木の
枝にかげ
たり
ける
が、
風に
吹かれて
、.
,
鳴91
捗る
を、
かし.か
記し
とて
捨てつつ
また
手にむ
すびて
ぞ
水も
飲み
そんしん
ふゆのうき
ふすま
ける。
い
か
ばかり
心の
う
ち
涼しか
りけん。
孫
農は
冬月に
裂な
くて、
f
と
言える。
禅宗
の
中で
も、
遺元
禅師
の兼好に与えた影響は絶大であっ、た。道元は,『正法眼蔵随聞記』に於て無常の世に対応すべき根本的態
〔
度を
処世訓
として
次の
よ
うに
語っ
てい
る。
・
文人
わら登どっか
ゆうべ
あした
藁一
束あ断げ
るを、
夕には是に臥し、
朝には収めけり。(十八段)
●〔回P口.9・ーー.「̀"
・,
崔.
●,風
∵概貯
盤臣
て
鍔ゆ死
レ、、
喧既
見し六甲酢なき事、
ま騰,
職熾りv
茸に
近し
。
「
層
唱
許由と孫最の
生ぎ方
処 .
後年
佗数寄者
どし
て登
場する粟田ゴ善法の、佗びに徹した生活を想起させる。善法は、佗び茶の開祖村田珠光の弟
-・
子であるが凸
,小川の辺に庵を結び、
生涯
燗鍋一
つ
で味噌雑炊を作り、茶を点て」暮らしていた。彼は「胸中ノ奇麗ナル者」(『山上宗二記』
)
.
.
み
き
,,
あ
一
.
ご
れは、、-他
の
上にて
見聞きずる
事なりp
我が
身にび
ぎ当て
ての
道
理・
つひ-.しちじウんいのちこ
.
を思
ふに、
たとひ、、
七旬
-・
八
旬に
命を
期すべ
く
とも、・
遂に
死でべ
き
底理
診
咲
み盟の楽しみ
悉レみ・
慰郵
艦艇を思ひ解けば、、
・
すご
「
、
い
毎
に
て
も
過
し
て
ん。,、
-
・,
,
i
千、,
と
称
賛ざ 、れてい
た
人
物で・あっ
た。,ところで、このように兼好の生
き
方を
根底か
ら一
変させ
た
動因は一
-
闇
一
.
㌔ -
叉
、
=
・
体何だったのか。
兼好ば亦なり雁大な数の舟典∴外
典を読・をで
いる。『徒然草』か砂推測できる書名の数だげで毒六十以上を挙ザ畜ζとが
.
'.
一
ー
-
-
'
、きはし
ご
しか
れば、
ヤ.〕
れ
程に
あだ
なる
世に、
極めて
不
定なる
死期
を、、
いつ
ま
しゅじゅ
くわっけい
あん
で
生き
だるべ ,し
とて、
種々の
活計を
案じ、
あまつ
さへ、
他人の
ため
に響
夢思うて∴微
喫
臨
磐湿す二と、
毬めで象
馨こどな・
3
できる。
またその内容も広い
領域に
渉う
ていて体系的に統一
するこ
と
り。
・
4
-p無常避磯なるを一忘
れて・、
健脚
に健蔚に馳蔚事な.かれ?
躍劔の翫らく
がしゅうみや5もんみやラもん」
u
我執を
被ワて
名
聞を捨つな、
第.噌
の
用心なゆ。.
名-聞
軋
我執を
捨づ
ぞん`
あい
だ
じ
5
じ
-・̀よ.L
存ぜる
問領
だだ、
仏道を思ヶて薄
余事を事ど
ずる事
なかれ。
べ
き
な
ザ。・
等
々
,、、
-
一己
、
■層ヒU
、
r}.
!●
' ,、̀」
いちご
ごと
.
くわういんうつ.やす
一・期
は
夢の
如し。、
光陰
移り
易し。
兼好は、
禅という実践的な宗教と深く
係わり、
その思想を究め、
そ
.
聖
'
ー
ノ
■
曾見,
の
精神を獲得転ていたから、
無常の
世界にあっ
ても、
というより無常
現
職
甥しぐ健ることなかれ…:
曝準
徒らに過
劃こ
差
乳・
の
世の
中で.
あるか ,らトやそ
、
充実した甘々を積極的に生き抜く.ご
とがで
山猿転
「
「㍉F、F.
.
舞蔚
却な
甑
鰭潮
嵐磯なり
…
硫鑓
●
魔
羅 .いかなる死をか受け、
やまひ
ぞん
・ほど
ぎよう
ふ
いかなる病をかせん。
しばらく存ずる程、
仏法を行ぜず、
眠り
臥し
.も
っ
と
,
、
t
-
-
馳̀
,
て
虚しく
時を
過す、
尤も
愚か
なけ。,
き
福の
である。
そσ
積極的
な生ぎ方ぱ、.
当然兼
好の美意識
を転
換させるこどにな?だ。・従っで」兼好の美愈識は、.絶対的な為のの自覚を志
i
.
一
向す惹
禅の
思患が
悟道
に達するほどまでに深化されていなか6
だなら、恐らく、『平家物語』・『方丈記』の美意識の内に留まっていたことに
め
隻
なム、
と言訓ことができみ。
誠意廃
ちじょくたくはしんいいだ一ぐ・にん
愚人として、
財宝
を貯へ、
唄悪を懐き、
思人と成ら
ん
こど、
恥辱の
なか
・
-
,
こ
うせ
い
あふ
,
中め
恥辱なり。.
貧に
レて
道を
思ぶは、
先
賢・
後壁の
仰ぐ
所、.
仏
祖・
、
ぜ幽
従来
ひ
兼好の
美意識の本質を示す .ものとして
『徒然草』
の第百三十
}
興趣硬
喜ボ
所知馴・
、
、
-
一
七
段が
採り上げられ、
,王朝的貴族世界に
確立されだ美
の
発展した美意
噂{
覧一「
」
」.
識、.悲
哀・
詠嘆を克服した美意識として
論議されてきた。,
まず第百三
しやうにん
きみぎょく
ぐわりやく
廿とむさぼ
財宝を負るべ
からず。
……聖人はしからず。
金玉と瓦礫ど等しくす。
し
一
㌧
十七段に目を通しておこヴ。
、
どちゅうしゑ
熟する
慕なし。
…-
金玉も、
本
来、
土
中より
得たり。
木石も、
大地
腫
1.
、
ヒ
`
`
,̀
よ
ゲ
得
た
ひ。
何
ぞ㍉
一
つ
をば
重
し
と
て
取
ら
ず、h
一
つ
を
ば
軽
しと
て
愛せん。!せんどやうまんろ海̀㌧、
学道はY
須与く、
吾禽を離るべし。
だどひ、
千経・
万論を学し得た.
ゆピも・、
鍵を離れず
皆 、
細に・
,
麟
響
珍・
…
6
幽
」
`
-
花は
さ
かりに、
月
晦ぐ
ま
なき -を
の
み
見る
ものか
は。、
雨にむ
かびて
丹を恋
ひ・
たれこめで春の稽か
知ら
響・
強あはれに瀧駅か
嘗、咲き曳きほどの機.散かしを熱る麗な拭こぞ罐多けな、弥.灘縛にも・・尼挫ま獄りける『ばやく散り撃にゆれば智
:監
さ
は
-
・
・
、,
i
9
μ
」
.
'
もや,.
「障
る
事あ
りて
まかけで」
なども
書ける
は、.「花を
見て」
と
言へ
e
るにおどれる
事かは
花の
散り・
月の
健"
を毅ぶ
騰ぴば・
さる
事な,.れど■こどにかたやななる人ぞ、薪この枝、か.の枝散りにけ喚℃今
みどころ
口
は
見所なし」
など
は
喜ぶ
ぬる。・
,、
'
.,
響・
,,競げ事事、.姶め終りこそをがしげ「れ陸離號ぴ櫟…蟹びとへゆ鯉
ひ
「
.
・
見るをばい
奢の
奮。
逢はでやみにじ
響を思ひ.
あだ
馨
響をが二ち卸量夜をひどりあがし、遼ぎ難蘇鶏険難葎
あらそおのおのきも
ふL
といふ時に、`
各
肝つぶるるやうに
争ひ
走吟のぼりて、
落ちぬ
ぎ
ぎまで鰹
欝碑でて・
押しあひつつ^ ,
」,
駿も見もらざじと
叢り
で、
守ど
みり、-
かかり」
と、-
もの
ごとに
言ひて・㍉・
渡り
過ぎぬ
れ
ば、、
.「0■
「又
渡ら
ん・
涛で」
と号 、
ひて
おりぬ。
た
だ、
もの
をの
み
見ん
とする
な
るべし∬都σ人のゆゆしげ馨
は・
曲り
て
い
毫見ずつ
融ぐ
蒼
いな
答ば、
麟櫨
岱に立ち脚汽
犬の磯ゆさぶらふは注
概あレぐも灘びか
一集論学・科文
'
人
この
に昔をしのぶこそ、
色
好む
とは言はめ。
蜘瑠のぐまな
嘉
婁
発
毛
禁ぬたるよ
慰・
暁近くなりて待ち慰たるが∴裂傷饗・青み馨や、つに『深ぎ山の杉の梢に見えたる・.滑落麟・うち七ぐれた織饗がくれ窪ζまたなく殺れ奄・離島欝どの滞れたるやうな垂の土穿ら
めき
だみこ
そ、
身に
しみ
て、,
心
あらん
友もカ
な
と、
都恋し
う
覚ゆ
れ。
唖=
覧
「
喀
F
■
」
すべ
て、
月・
花をば、
さの
み
口にて
見るも
の
がは。.
春は
家む
立ち
ねや
、
去らで
も、
月の
夜は
閨の
う
ちながら
も.思へ
る
こ
そ、
い
と
たの
も
しう、
・肪
がら
ず、
わり
な
く
見ん
ど.
する
人も
なレ。、
あふひ
しの血にあ
…
何
之な
ぐ葵かけわ
たしてなまめかしきに、.
明けはなれぬほどρ
忍びで寄する車どものゆかしぎをみそれか、がれかなど思ひ寄すれば、
、
躯
難
藩などの
見知れるもあり・
を
がb
ぐも・
ぎ胤
ぎら
しくも』
ざ
まざま
に
行
きか
ふ、、
見るも
?れつ
れ
なぢ
ず旦
暮る 、るほ
どに
ば、
主
なら
な
て
並べ
つる
車ども、
所なく並みみつる人も、
いっかたへ
か行きつ
ら
まれ
な
ん、
ほ
ど
な
く
稀に
成りて、.
車どもの
ら
ケが
はレざ忘
す
み
ぬ
れ
ば、・
†だれ
たたみ
㌧
簾.・
畳も
取りは
らぴ、
日の
前にさび
レ
げになり
ゆ
くワ,)
そ、
世の
だ.ぬ
一
をかしけれ。,
よき人ば、
ひとへ
に鰹げムさ弍にも見えす
興ずるさ・
・,まも
講なり。
牒
署の人ごぞ、
色こく
離屯て興ずれ・
花
熟に
しも思ひ
替れて・
あはれなれ・
帰路
見たるこそ・,
祭見たるにでは
1
置
あ
れ。
・
「
,
「
.
7
i.
は、
ねぢ
寄り
立
ち寄ゆ.「
あか
蝕めもせ
ずよも
りて、
濟
飲み、,
連歌し
「覧
i
.̀
隣,
㍉.
て、
はては、・
大部なる
枝」
心な
く折り
取01ぬ。、
泉に
ば
手「
足包し
灘
この
第百三十七段の
特異性に最初に心を留めたのは、,、
清鑑
正徹ど至
して、
雪に
は
おり
立ちて
跡づ
けなど、
万の
物、
よ
そ
なが
ら
見るこ
と
F
「
」
住院心
敬で
あっ
た。・
,
な
し。一
碧,
重徹ば、
東山時代
0
初頭に
活躍しだ
禅僧
歌人・(冷
泉派)
であるが、、
5
垣さやうの
人「の祭
見しざま、
いどめづ与かなひき。
「嶽ごと}
いと
おそじ。
そのほどば
蕪蒸
奮〕 .とて・
奥
匁厨に
て酒飲み・
物食ひ》、騨巷異な蓬びて・霧散に笑を置きだ超、浸レ磁
その
歌論書『正
徹物
語』
に於て、
次のように述べ
ている。
、
■
」.1
,・
花は
さ
か剛
に、
月ばぐ
まな
きをの
み
見惹
もの
カ
は、、.
と
兼
好が
書ぎ
6
曙
p.
たるやヶなる心ねもちだ呑ものば園・・
世冊にだ望、一
人ならではなきな
り・
些蠣
が生得にであるもの
なり・
9'・…
随分
の
欲
絶て・
頓
ままで
精一
杯思い描ぐのは、
極めて
味わい
深いをのである、.
ど伝統美に囚われず、これまでにない高度で深遠な美的態度を表明したのであ
阿・
慶運・
浄弁・
兼好とて、
其此の
四天王にてありしなり。
つれづ
〔髄
る
μ
`
-
,、,
れ草は清少納言が
枕草子の
やうなり。
兼好にとっては、一「望丹のくまなきを
千里の
外まで
ながめたるより
.
亀
く
薮、
暁近
く
なりて
待ち
出で
たるが」
大変
趣深く、
また、
「
青みた
るや
巳「
心敬僧都は、
正徹の
弟子で、、
始めば冷泉派
㊨
歌人としで活賦してい
聖
うにて、・
深
き
山の
杉の
梢に
見えだ
る臥
木の
間の
影・
うち
しぐれた
る村
.「
たが、
後に
連歌の
名士どして
知られるようになっ
た。
彼の
連歌論
は覧
雲が
くれの
ほ
ど」
や、
「
椎柴・
白樫な
どの
濡れた
るや
うなる
葉の
上に
後年
佗び茶人たちに大きな影響を与えることになるが、
その代表作
きら
めきた
る」
様などが、
こ
の
上なく
情趣深く
感じられたの
で
ある。
…
『ささめごど』
に於て、
心敬ぽ前記正徹σ
説を次分ように祖述している。
、
兼
好は満
欠けた
もの
や、・
満ち
足り
ない
事を
願っ
てい
た
訳で
は
ない。
4換転
『
-.F監
曜
この道は}
ひどへ
に余情幽玄の心姿を旨として、
いひ残し麗なき
自然の
真
実の
姿を観
照し、・
あ
りの
ま
まの
自然
美を
捉えよ
うと
してい
た。つまり、自然を人間の物欲の対象として眺めるのではなく、,神的自然
の識意
とこ
ろに幽玄感情は傳るべ
しど也研
歌にも不睨体とて面影ばかりを詠ずる、いみじき至極の事どなヴ。「ふっとその人一人のわざなる
観か
ら
現
実を
捉えて
い
たの
で
ある。-
・現実の月や花は、.「月に村雲、花に風」と言われてい為ポうに、
花
美「
軋
も
べ
し」
など定家卿
も注し給へり。
兼好
法師がいふ、
「月花をば
目にてのみ見るものかは。雨夜に思ぴあかし、、…散りしほれたる木陰に来
は
吹い
て
く
る
風を避けをこ
とはで
き
ない
し、・
月は
雲を
回避するこ
と
はできない。・満月はやがて欠けたものとなり5満開の花はじきに萎れで・
て、,・
過ぎしか
たを
思ふご
そ」
と
書き
侍る、
艶
深く
哉。
しまう。、
そ
れが
自
然の
現象で
あり
姿である。、
従っ
で、
不
完全なもの、.・
不足
してい
るもの
も、
弍た
自
然の
姿そのま
まで
ある。
・
'■.層「」
丹と言えば満月美、
,花ど言えば游開業を謳ヴのが
風潮であり長い
伝
兼好ば、.
ず木}
草に宇宙の
生命を認める禅の精神乞獲
得して炉た瓜
統で
あっ
た
時
代に、-
コ化はさか
りに、
.
丹ば
く
まな
ぎ
を.の
み
見る
ものか
ら、
この
世に
存する引べでのもの、・
不完全なものや不満足なものに心.
は」
之、・
兼好は強調したので
ある黛
伝統的な満月美ゼ
満開美を完全に否定してしま,っだ訳ではない。.もう℃き咲くであろう桜、散り萎れた
「
,
,,
花、
欠けた
月、
雨雲に閉ざされた月は
情趣
の・深い
ものであるρ
雨降り
F
完全
なる美的価値を見出レていたのである。
-
-
',
㌧け評
ば
く
一
禅の
精神
は、
「い含さゼの
物質的
なものの
繋縛を解脱して
大自
在を得、不如意を転じて如意とレ、.貧しさの内に凛然どして椿神の高貴を
」
の
空に
向かっ
て丹を恋い
慕い貸 咲く花の
美しさを部屋に引き籠もっ
た
保つ
こ
どで
ある。
,ま
た、、
複雑
華
麗なものよ
りも
簡
素枯
淡なもの
を、
均
斉の
と
れた
完全
円
満な
もめ
よ
りも
不完
全で・不
均斉
なも.の
を、・
人
為的・
と
共に
磨り
減り、
擦
り切れ、
一
部が
欠けて
しまっ
たもの、
層
崩れかかつ
技巧的なものよりも自然的で無技巧なもの
を愛するのが、h禅本来の
態
たものρつ
まり
湘
滅びかか瀞ているもの、
頽廃的
なものに美的価値
を
㈲
度
で
あ
るゆ」
…
.,
=
' .
い
見
出し、・
不揃
いな
もの、.
不
備な竜の
に
大
変な興
趣を感じてい
た
ので
あ
この
禅的
精神を充分に
悟っていた兼好は、,
従来のように5
現実社会
る。.
未完成の
部分(七残したゐ部分)
の
空間は向
後に詳述
するが一
水
を忌避し、・
そこから逃れ、.
不変で
完全円満な来世
や極楽浄土を希求す
墨画の
余白部分忠伺じ美的価値を
持っ
ており、
「無心の
心」
め
充満
七
るようなこ
とはせず、
無常
である現実をしっ
かりと捉え直し2
それま
た
空自と
な
るの
で
ある。
.
欄
での
無常観
を逆転させて、
不如意なもの」
また不完全で
不均衡なもの
傷んだ物、
欠け
た物、
不完全なものに
美感を抱く兼好や頓阿の美意
に
対
し
で
よ
り
深
い
美
感
を
感
じ
る・
よ
う
に
な
津
て
い
た。
`
,,
・.,
'
識は、
後年、
佗び茶の
開祖村田珠光に受け継がれ、.
完全美の
否定的な
一
・
その
美意識は、
,『徒
然草』,
第八十二段に於て明確に
表明
されているり
美(やつしの
美)、、
未完成め
美術
簡素で
寡黙な美とい12
月本
独特の
民
集
・
当時の
書
物は、
その
大
部分が
巻子本で
あり、,
その
表
紙は
薄物A紗・
俗的美意
識、
つ
まり、、
「
佗び」
を生むこ
とになるの
で
ある。,
論学科文
紹)・
で
表具ざれでいた。.
ある
時、
ある
人が
「ケ
すもの
の
表紙は、・
とく損ずるがわびしき」と言うた。・これを聞いた兼好の友人頓阿(歌人〉
う†
もの
かみし
も'
一
は、
「
羅・、は
上
下はつ
れ、
螺細の
軸は
貝
落ち
て後
こそい
み
じけ
れF
と
主
ト
珠光は(
正
徹・
心敬の
歌論から大きな影響を受けていたし、「
ナ休宗純への参禅を通して神的精神を獲得してい光ので、兼好と同じ美的感.性を保持心、「月も雲間なを嫁嫌にて候」一(『鮮魚雑談』ソと語っていた。
'
人
硬しだ。
兼好
は、
この
主張
が
殊の
外優れたものであると称賛レ、,
さ与
珠光もまた、
不完全癒もの困
欠妙た為のに
心を寄せ、
そこに
深い美感
}
に、,
揃い
の
書
物に
異なっ
た
体
裁の
もの
などが
あっ
たり
すると
醜い
もの
を
感
じ
て
い
た
の
で
あ
るβ
.-
L
だ
と
言われ
るが、
そん
なこ
とはない、
と
不備・
不
揃いの
面
白さ
を、・弘
珠光の
美意識は、
結局、
完全無欠な唐物の
高貴性と神秘性に
魅せら
融
僧都
の
言
葉を
用い
て.次の
よ
うに
強調する。
「
物を必ず一、
具に
と
と
の
れた人々の
間に唐物数寄が生じ、
唐物至上主義が誕生してい
た時代に、
へ
ん
と「する
は、
つたなきも・の」
する
事なりゅ・.
不
具なるこ
そよ
けれ」
とo
地味で麓相なもの濁
普通の入なら
捨てて顧みないような下手物にきえ
さらにまた、
別人の
言葉
を
次のように
つけ加えるゆ「すべて
何も
皆、
もその
良ざと美しさを発見し」
それ
を従
来の唐物に匹敵するほどの
美
こ
之の
と上の
ほ
りたる
はあし
き
事なり。
し
残した
るを、
さて
うち
置き
だいり
たるは、
面白
ぐ∂
いきの
ぶ
渇わ
ざなりっ
内
裏造
ら
るるにも、・
必ず作り
的
価値に
まで
高めるこ
とに
なっ
たつ ,
風.このこ」とは、当時にあっては、極めて改革的なことであ
り丹.-室
町文
果て
ぬ
所
を
残
す
事
な
り」
とコ
「t,日
:引
」
化を切鴫拓く端緒
として注目すべ
き事実羅あっ
た。
・
7
兼好は、
かつズ
完全無欠
な
美しい
状態にあっ
たものが"
歳月の経過
・
実際
珠光
は」
和漢
之さかい
をまきちか
す事
、、白肝要ノ\
よ
うし・んある
8
へ
き事也」(『
心の
文』)
と強調し
噛
唐物と和物との
融合を計り、' .
和物
ルコ冷
奇妙
也、幽
我等モ
昨旧見ルヨリ、
㌦
面白寄
花入
十分ナリ」
片耳打
力
め美を発見する魁と
な,つ
た。
特に珠光の美意識は、
「藁屋
に
名馬つ
な
「
キテズ
キヤ「二
用ベ
シト
思ジ
ナリ、
サ
テ
今朝出サレ
タラバ.、
会ズ
ミテ
相
ぎたるがまし」(『山
上宗二
記』)
という
道具
の
取り合わせの
妙味を生
談シテ
打力キテハ
ヲモ
白カラズ崩
中立ノ
時ニ
テ毛打ガキテ"
今、一
花}
み
出
し
た。
-
.匡
噛噛
'
所望スベ
キ
心一一
テ、'
懐中二
其用意如此
也ト、
カナヅ
チ
取出シ、
カ
ヤウ
.
千利休
は"
珠光の
美意識を
さらに発展させ、
「よろず事たらぬがよ
・二
我等ノ
思ヒ
付タルハ
タラ
衆
中ノ\
ヅチ
ヲ
取出サセ
ズ、・
ハ
ヤ
打カキ
し」(『南方録』)■という美感を・
完成させ、
師匠武野絹鳴
と
同じ美意識
・テ用ル
ヤウ
ナル、
師弟
同心ノ
茶人、,
又イヅクニ
ア
ル
ペ・キ
ゾL
(『南
方
がら完全なものを疵つ
けるという次のような逸話を生み出すこ
とにな
録』)
~
・
る。
完全無
欠を嫌い、
完全な器物を打ち欠い
て用
いま
うセ
する
美意識は、
」換
ある蒔銭屋宗能
の
邸で茶会が
催されることになっ
た。
紹鴎・
利休・佐久闘不干斎・宗也の四人は揃ヶて宗能の邸へ向かった。.,紹鴎は、途
完全なる美の
否定であり、
今日、
不完全美と
言われている美感である。しかし鴇不完全美という表現は不適当な言葉である。というのも、不
樹の識
中「
道端の道具屋の
店先にある両耳のついた
花入に
目を留めた。
「面'白い花入だ、、しかし完壁すぎる。.何どがしてあれを使って昂茶会をし
完全なもの.に美的価値を見出す美意
識の
持ち主にとっ
て(・
その
美拡不完全な美ではなく、完全なる美であるのだからつ.
意
てみ
たい
藪の
だ」
と思い
なが
げ
も、
茶会へ
の
途
中でも
あり、-
同
行者
も
利休は、
小座
敷で
用い.る
佗び
茶の、
道具につ
いて肉
「すべ
てイに
わた
.ρ
美[
い
るごとなめで、
明日にでも購入しようと決心してその
場を通り過
ぎた。その翌朝早速使いを出したがその花入はすでに売れてしまってい
て不足・
鹿相之いっ
た
物が良い。
少しでも疵があると『
それを嫌う人がいるが、まったく納得のいかないことである。……唐物の茶入なぜ
た。聾
紹鴎
が
残念
に思っ
ているセ、
その日利休から茶会の
案内が
届い
た。
の
よ
うに、.
しか
るべ
き
道
具は」
漆継ぎに
して
も」
大
切に
使っ
て
きた」'
「明
朝右ノ
衆御
同道候へ、
御茶可申出ナリ、
昨.日路次ニ
テ花入ヲ見立
(『南方録
』).
と
語り、
兼好が
『徒然草』
第八
十二
毅で主張したのと回目
テ
求
候、巳
御ロニ'カ
ケタキトノ
案内ナレバ、
鴎モ、
カノ
花入ナルベ
シ、
じ美感を表明七ているコ
遅ナハ
咳テ
休ニ
ト
ラレ
タル玉
独
笑シテ
行ル.・、・
クぐ
サノ
戸ヲ
開テ、
紹
窓て詩
兼好
はう
珠光が唐物の全盛時代に地味で地相な味わいを持つ
鴎手ヲ
拍テ、
シハ
ラクタ・・
ズ
ミ内.
ヤ・
ア
ツテ
座
入ナリ、
同道衆モ
少
不
物や和物
の器物に美的価値を見世ル、
それ老強調し
たの七同様に、
当
審二
思へ
肌、
カノ
花入二
白ツバ
キニリン
イ
ヶラ
レタ
リ、㌔花入ハ
耳
付ナ
暗め
人々が
満月や満
開の
花を希求
していた時に、
雨雲に閉ざされた月、
5
ヴ、,
休、」
出テ
挨
拶ノ
時、.
紹鴎
申サル・、ハ・.
我等ノ
見立ト
同意ニ
デ此
花
欠けた月?散ゆ萎れた花に心を惹かれ↓
そ二に深い
情趣を感℃て、
不
入テ
求ラ
レダル「ハ
サモアルペ
ケレドモ」・
耳
付ソ
片
耳打
力キ
テ
出
サレタ
完全
なもの漏、
欠けた
ものに
対する
美
感を
表明し
た訳で
あ
る。"・
つ
まり、,
兼好の
美的感性
は中世の文芸に画期的な変革を齎したのである。
亀
「つ
ねのこ
との
しかも
人の
案の
及憾ぬや
うなる
事」、
を
詠むの
な
ら
と
も
.
兼
好の
美意
識は、L ,
伝統
美め
発展した
もの
と
見
倣さ
れてい
るが、
む
し
かく、
ただいたずらに
新奇なも-の、
珍奇なもの
だけを素材
乏して意識
ろ転換されたものと捉えるほうが「適切
である。
唯ハ
ここで注意すべ
き
的に採り上げようとする歌人だちの
詠歌態度を黙っ
て見てか
る訳
には
こ
とが
ある。・
それ
は、
兼好
以前に
すでに
「月に
群雲、
花に
風」・
を
読み
い .
か
な
か
り
た
の
で
あ
る℃・
-
、
,,
,、
∴
∵,
凧. ,
卜
」
.
込
ん
だ
歌
人
がいい
た
とドい
う
事
実で
あ
る。
域一
'・
,
,
,、
:
,
良基も頓阿も
兼好
の
美意識のことを意識しながらこの
問答を行なう
駈
西行
ば、「中
々に時〃
雲のか弱るこそ月をもてな引げしきなりけれ」
ていた事は確実で
あるが、.
兼好
の美意識を批判していた訳ではない。
(『山家集』)
と語り、
藤原家隆は
「世の
中をおもひっつ
けて見る時は
.十
欠けた物内
.
不完全なものに積概
的に美的価値
を見出ザ頓阿の
美意識が、
ちるこそ花のさかりなりけり」(『壬二
集』〉
と
詠?てい惹。
『新古
今案』
兼好の
それ
ど
同一 .
で
あり、,
『徒然草』
に
於て
称揚されてい
たこ
とは
す
…
・の
時
代に
なる
と(
落
花の
歌はが
なり
詠われ
るよ
うに
な0
てい
た。
で・に
述べ
た
通りで
ある。㌧
..
`唱
集論学科文
『
愚問賢
注』
,に
は、.・
次の
よ
ヶな一
節が
記されて
い
るゆ
「さのみ
めづ
ら
一
、
か
なる
事を好みて、
花に
は
風をふかせ》
月には
雲をかけ
たがり
などする様に、引きちがへてよめるも、一体なりといへども、・さやうの意趣をさきとせば、・すなほなるかたなぐて、あらぬ道にや横入し侍るべぎ
。
、
兼好の
「花はさかりに、
月・ばくまなきをのみ見るものかは」表現は両単なる新奇な・題材や斬新な技法を求めた意識的なもの
ではなく、神的悟道精神から極めて自然に生Uた美意識に基づいたものであった。つまり、兼好は孕神的精神を悟ることによって、
という未開の花、義
人
た父つ
ねのこ
との
しかも
人
の案の・及ばぬや
うな
る
事を、
門
かどよ
むべ
れた
花、-
欠け
た
月、.
雨
雲に
閉ざ
された
月などに
強く心
を
惹か
れ、
そこ
一
きにや」(『日本歌学大
系』,
五巻)
に
限り
ない美的情趣を感Uるようになっていたのである。
欠けたる
物、
,『愚問賢注』
は
『徒然草』
からほぼ三十年後に成立した
作品
で
ある
不
完全
なもの、,
未
完成なもの
に
見出される
美こ
そ-「い
きの
ぶる
わざ㌧'
が、
右の一
節は二
条良
基が.π歌の
風情をもと
む
るといへ
ば
どて
…:ザ
」
で
あ
勺
た。
.'
-
呈.,
=
■
.
レ
と始める問の
部分である。
これに
答へて
頓阿が
「花に風をもふかせ、
本居宣長は、
伝統的な国文学の立場にいたから兼好の美意識が理解
月に雲をかけたがサ
候はん
事わざと
好み
候はんほ、¶
ま
二とに
詮なく候」と述べ、-良基の意見に賛意を表明している。、
で
ぎ
なかづ
たので
あろ
う。 『玉
勝間』
,巻四で、,
『徒然
草』
第百三
十七
段
みやび
名
「κの
心
に
さかひ
たる、
後の
世の
さか
しら心のつ
くり
風
流」、,
「まこ
この
問
答か
ら
推察す噺に、・、
当
時の
歌人た
ちの
間には、
新
奇なもの、一
との
みや
び
心
にはあら
ず」
と
非難七てい
る。
b
■、
「
独創的なものを盛り込転うとレて、-
花に風馬
月に
群雲の
情景を採01入
さ
て、じ兼好は第
百三十七段に於
て、一月や花に
対する美感をさちに深
9
れる傾向があっ
たようである。
二
条派の
歌人どして、
良基も
頓阿も
化させ
る噂
10
巳
.
自p.ヨ
一
すべ
て、-
月・
花
をば、
さの
み
目にて
見るも
の
かは。、
春は
家を立ち
れ」
と
言うの
で
ある。兼好.の美意識は、心
で
物を
見る
段階に
到達していたので
ある。二
月の
ねや
去ら
でも.`
月の
夜は
閨の
うち
なが
らも
思へ
る
二ぞ、.
い
とたの
もレう、
ねや
・
夜は
閨の
う
ちなが
らも
思へ
るこそ、
い
どたのも
しう、
をかしけ
れ」
と、
をかし
けれ。
よ
き
人は、-
びとへ
に
嫁ける
ざま
にも
見えず、・
興ずるさ
なほざり
かたい
な
か
よう
づ
まも
等
閑なり。̀
片田舎の
人こ
そ、
色こ
ぐ万は
虹
て興
ずれ。
肉眼に
まう
て
直接
事物を眺あ
るより、
心
眼によっ
て
事物の
美を
追求する方が興趣もつきず面白い」のだ、̀ど強調している。、
幽
、
、「
心で
物を見た場合、.」その
物は、.
見る者の
現実的体験や古典的教養か
`
兼好ば、・
事
物を
眺め
る
美的態度どして、
「そう
むやみに
目で
ばかり
ら生じる様々な情景や感情が
加わり、
かなり深遠で、
広大な美的存
在
見るものであろうか」
とト言っ
て、
現実に視覚で捉えられる物ばかりを
どなる。
二の
存在には、
さらに造形する
者の
想像力が追加されるから、
[換.
眺めるの
で.は
なぐ哩
心の
中に思うこ
とによっ
て
物を
味わうの
が
面白いのだ、と主張する。.月でも花でも泉でも雪でも、直接に眺めたり触れ
その心象美は肉眼ではとうてい
把握するこ之のできない幽遠な情趣を醸し出すことになる。己̀
転
た
りするのでは
なく、
なに
ごとに
於て
も、
「よ
そなが
ら
見るこ
と」
が
=
目で見る美しさより心て捉える美しさを重視する兼好の美感
嬢
詞
の識
一
段と興趣がある。
祭を見るような場合でも同様である。
祭の行列が
の
ぞとがわに心の
広が壌を求めた伝統的な余情美・を受け
継ぐものであ
意
来るまでは桟敷の
奥にある家で酒を飲み、
食事をし、.
囲碁や双六など
つ
たが、
現実世界の
無常観に刺激されてますます深化し、..
内面的に
精
美一
を
し
て遊んでい
るが、
い
ざ
行列と
なるとヤ
「各々
肝つ
ぶるる
やうに
争ひ走サのぼりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、・押しあひつ」、一事
神美を讃えながら、、
幽玄美の・成立を促すことになっ
た。
・・能の完成者世阿弥元清は、猿楽能の美的理念として幽玄
の
美を重要
も
見もらさじ
とまぼりて」・
大騒ぎを
する。
行列
が
行っ
て
し
まうと、
祝し評
追究
したが、
『
至花
道』
に
於て、
「
抑、
能を
見る
事、,
知る
者は
心
,「また
来るまで」
と
言っ
て
桟敷から
降りて
しま
う。.
こ
うした
態度は、
にて
見て、
知らざるは
日にて
見る
也っ㌧
心
江て
見る
所は
体・(本
体)
也」・
、、
.
「ただ、
も
のをの
み
見ん
とする
なるべ
し」
と、
兼好は
非
難する。
こ
れ
と、
心で
見る
能を
主張
した。
レ
に
反し沖「都
の入
の.
ゆ
ゆし
げなるは、
睡りて、
い
とも
見ず」
とい
う態
世阿弥は心が
芸能の根底であり、
芸能の形象となり西
様式
となU得
.
度がほんとうの見方であり、.
味わい
方である、
と主張する。
行列その
ることを」
さまざまな体験を通
して自覚したのであるα
世阿弥の
追究
F
ものよりも、、
それ以前の祭の準備の
情景や忙レる注ぎ交ヶ牛車や人々
は
留まるこ
と
を知らず(
さらに
深まり
『花鏡』..に
於ては、
「万
能縮一
の
様子、
-また
祭の
後
の後片
付け、
人影のな
くな ρた
深閑とした
通りの
心
事」
とい
う
条件を
設けて.、
もせ
ぬひまL、、・「
せぬ心」、を
能の
極
致とし
光
崇などが誠に感
慨深いのだ".
「大
路見
たるこそh
祭見だ呑にてはあ
た。
「
舞
を
ま
ひ
や
む
ひ
ま、」
音
曲
を
う
た
ひ
や
む
と
こ
ろ、
そ
の
ほ
か、、
こ
と
葉、
物ま
ね、
あら.ゆ
る
しな
み\
の」
ひ
ま
ぐに
心を
す・て
ずして雨.」用心
:心敬もまた?「古人の
幽玄ととりけるは
心を
最用とせ
しに
や」(『さ
を唱つ
内心
なり。.
この
内心の
感、-
外にに
ほひ
て
面
白きなり」
と
語う
て
さめ
ご之』∀
ど
語り、.
幽
玄をあ.ぐま.で
も.心
本
位の
風情としてい
るマ
・、
"
い
る。
.
-
-
{
`,
・
この幽玄は、
感性
的な
「物.の
美」
より「心の美」
をさらに深めゆ
精
,既
技と技との
合間(ひま〉
をつ
なぐ鍋内心の感」・が
観衆
の心に感得さ
神化し、・究極的には
禅的
精神の
強力な感化によっ
て無一
物の
境界に於.
れて鴨
その
感
興は
尽き
ない
もの
と
なる。
[内
心
の
感」-
は価
すで
に
演じ、
ける・、「心」
の
美、
づ
ま
り.「わび
」
め
美に
昇華・さ
れるので
ある
が」
こ
れ
られた技の
名残りであり、
次に
始まる技の
萌しとなるものである。
演
に.つい
て
は
後述
する。
技と演技セの
間の
「せぬ」
,間は、
空虚な空白状態ではなく、
「無心の
,
■
さて
兼
好
拡、
「咲
きぬべ
きほ
どの梢
」、
』散
過
湿
をれた
み
庭」、..「
木の
心」ミ
に
まっ
て
満た
された
「充
実し
た
無」
で
ある。
「せぬ
ひ
まの
前後を
・間の
影、
うちしマれたる村雲がくれ」、
が見所多く?tの上な嘱
情趣
深
「
つ
な
ぐ」.心、
こ
れが
「万
能を一・心にてつ
なぐ
感
力」
なの
で
あ
る。
い適の
濯、-
乏
語っ
てか
るの
であるが、
それを享受できるのは、
当然満
「
集論学科
その心ば、「
「直
紙ももようの内なれば心にてふざぐべ
し」(土佐光起著『本朝画報大伝』)の白紙に通じるものであり、室町時代の水墨画に於ける余白部分と同じ意味を持つ、活きた空間である9
開時の桜や
満月を知りり
くし、
味わい・つくしゐ者である。
つ
まり、
伝統的な花の美、月の美に対して優れた美的感性をそなえた者でなければ、その否定的な美は理解できないのである。「亀
文
・
世阿弥の
主張する能の
究極は、
・目で
見る能で砿なく、
心で感得する
武野紹鴎は、,
佗びの
理念を明確化し、
その
言葉を最初に使用した
茶
人
心
で
あ
っ
た。
・
:
`
人で
あるが、「佗び茶の
心はこめ
歌の心のようにありた・い」(『南方録』)
皿
正徹は幽玄を次のように説明する。
「幽玄といぶも
のは、・
心にあり
.
と
言り
て、-
藤原
定家の
次
の歌を
採り上
げえ。,
て詞にいはれぬもの
也。
月に薄雲の
おほひたるや、
山の
紅葉に秋の
霧
',
馬
のか」
取る風情を幽玄の
姿とする
也。=是は
いつ
くか幽玄ぞと問ふにも、
.
見ワ
タセハ.
花モ
紅
葉モ
ナカリ
ケリ
いつ
くといひがたき也。
それを心
得ぬ人は、一
月はきら
ノへ
と晴れて
普
.
浦ノト
マ
ヤ
ノ
秋ノ
タグ
セ
き空に有るこそ面白けれといは
ん道
理也。
幽玄といふは、
更にいつく
・
.
一
,
■
.
が面白きとみ
妙なり之もいはれぬっ
所也
。」(『正徹物語』)
」
あ
歌は
『源氏物語』
の
「明石の
巻」
を意識して作られた秀歌とし
}
正徹は、.
心の
うちにあっ
て
言葉
では
表現できないもの、
薄雲にお
お
て多くの
者に知られている潭
かつては
花や
紅葉
の
典雅な生活に耽rって
董
11
われた月、
霧のかかっ
た
山の
紅葉の
風情を幽玄の
姿と捉え℃いる。
この美感は、明らかに兼好の美意識と同一めものである。-
い
た光源氏が、
流離
の
身になっ
た
今沸一明石め
浦の
「そこはか乏
なう茂れる陰どもなまめかしぎに」'深い感慨を催すという.情景が「明石め
12
巻」
に
描かれている。
『
南方
録』・
で
は、
定家の口
こ
の
歌を
次の
ように
説明している。,「花紅葉ハ、』則書院台子の結構に.たとへたり、、・其花もみ
ヨ
ナ
ヲ
ノ
ヅカラ
感
ヲモヨ
ボス
ヤ
ウナル
所作ガ、・
天
然↑
パ
ヅ
レ
く二
.
i曙■
ア
ル、
ウ
ヅ因、、
尽シタル
雪ノ↓
春二
成
テ陽気
ヲ払物へ、
雪間ノト
マ煩
ちをつく
みへ
とながめ来りて見れば、
無や物ノ
境界
浦のトマや也吊
花
ノ\
二、
イ
ヵ」一
モ
青ヤヵナル
草ガ、
ボツ
ノヘト一、一
葉3
三
葉モペ
拙タル
紅葉ヲ
シラヌ
人ノ、「
初ヨ
リトマ
屋二元
スマ
レヌ
ゾ晒
ナガメ
ノ\テコソ、
ゴ
トク、
カヲ
加ヘ
ズニ
真ナル
所ソァル
道理二
斗ラレシ
也ご
トマ
ヤソサヒ
スマ
シ
タル
所ハ
見立タレ」
■
世の人々は、
山や森の
花・
紅葉に心を囚われ、
目に
見えるものばか
花・「
紅葉の
美を知ち
ずに
苫屋の
良港は
理解で
きないの
と
同様に、.
貴
りを眺めまうとしている。
真の花や紅葉が
自分の心の中にあることを
族的で、
豪華で、・
贅をつ
く
した
書院
台子の
茶を
充
分に眺め、、
味わいり
知らないでいる。
家隆の
歌の世界は、
去年の
桜や紅葉はことごとく雪
くした後で
なければ無」
物の佗びの
境地を見出すご之、はできない9
花
に
おおわれ、
何も
ない
白一
色の
世界で
ある。・この
厳冬の
山里
は、
浦の
「換転の誠意
や紅葉の
華やか窓が
裏面にあるからこそ、.その
寂蓼感は一
層深まるのである。豪華・華麗なものが簡素・、素朴なものと対立的な立場を採りな塀ら共存しているのが紹鴎の佗びの世界である。・千利休は、佗び茶を大成させた茶人であるが、定家の歌を説明した
..,
.
E
後、
「A一
首 、
佗び茶の
心を
示す歌を
見出し尭≒「と
言ρて隅.
藤原家隆
苫屋よりもさらに冷厳な無語
物の
世界である。
しかし、
雪に抹消されたこの無の世界は、何もない単なる空白ではない。・世阿弥が強調じた「せぬ心」と同様、さま書まな心象が躍動する充実し允無の空間である。そ」では、',感動的な自然の動きが、まるで萌え出る春の草のよう
し
.
「
に励
あちこ
ちで
見ら淑る。・
過ぎ去b
た
花.・
紅
葉を
見ることもで
きる。-
美【
.一
の
歌を紹介
する。
巴
'
それ
は、・
ま
さに
「無一
物ヰ無尽蔵、
花有りρ
月有
、0、
楼台有り」
と
言
国
.
わ
れ
る
神
的
世
界
で
あ
る。
・-
ド
・・
し
・・
層
}亀,「
花をの
ミ
待ちん
人に
山ざとの・
.利休が
『徒
然草↑
を読んでいた老いう確証はないが、
心敬の
『さム
雪間の草の春を見せばや
めごと』・-か
ちq
少なくとも
『徒
然草』
第百三
十七段
に注
但しで塾
庇巳・.
l
q
と
は
確
か
で
あ
る。「
「
世
上
の
人
ミ
そ
こ
の
山雨.
か
し
こ
の
森
の
花が、.
い
つ
ノ
\r
さ
くべ
き
か
と、
、層
利
休
は、
[
花
を
の
ミ
侍
ら
ん
大
匠
山ざ
と
の一・・、・:
」、
「か
の
花紅
葉
も
我
心
あけ暮外にも.とめて」、
かの
花紅葉も
我心にあみ事をしちず、・
冥目に見
■
.に
ある
事を
七ら
ず、
口
目に
見ゆる
色バ
が
りを
染む也貼と
語っ
て
いる
時、
ゆる色バ
かり
を染む
也、
山里ハ
浦ノトマ
ヤぞ
同
前ノサビ
タ
住居也、
去
「
恐ら
《兼
好の」「花は倦かりに∵
月はくま
なき老のみ
見るものが
は」、¶
年÷
小セノ
花モ
紅葉モ
コ
ト
でク
雪が埋・(・
尽シ
テ、̀
何モ
ナキ
山里二
「すべ
て再
月・
花をば属 .
きの
み
巨にて
見る
画ρか.は」・とい
う表
現を
意
成テ、坑
サビ
スマシダマ
デハ
浦ノ小マ
ヤ
同意也、.
サ
テ又カ
ノ
無一
物ノ
所
識してい
た
であろ
う。
一
また
利
休は、
家
隆の
歌の
解説を
して、・
「雪
間ノ
杢コロ.
ぐ二、㌧イカ
りたる
に、
さ
し
寄せる
車の
韓も惑
霜「い
た
くぎらめ
ぎ
て、.・㌧・ゴ己
(第
百
ニ
モ
青ヤカナル
草かゆ.ボ
ツゾ
\・卜二
葉・
三
葉モ
へ
出
タルゴ下
ク
カヲ
加
五
段〉
と、・
冬
枯れの
凍てつ
くよう
な
寒々
と
した
光景を
詠い、,
伝統
美を
ヘ
ズニ
真ナル
所ノ
アル
道理-"…」
と
語っ
てい
る
が、
この
時利
休の
念
頭
打ち破っ
て新レい
美意識を確立したのである
この
美意識は、
第百三
には、↑間違い
なく心敬め
言葉が浮んでい
た筈である。
心敬は凡俗なる
十七段
の
それと同様、
佗びを構成する大きな美的要素であっ
た。
唯こ
発
句
の
例
と
し
て
-「
ー
ト,.
こで
3
冬
枯れの
美が
兼好
によっ
て
発見さ
れたもので
は
なく海.・『山家
集』
なぜでるすでに詠われていた事実を銘記しておかなければならないの
p
春はただ恥ずれの
草もわかな哉
世阿弥は「さびさびとした」、
「冷えたる」
(『花鏡
』)
簡素で
枯淡な
蟹「
ノれ↑,
美を生み出す能を至高至妙の
技である、・と強調した。.
世阿弥の
女婿で
」
を
採り
上げ、
次の
よ
ケな
推
評をして、い
る。、
「七
草など
ゆ
二
葉三ば
雪間
ある金春禅竹は」
世阿弥の枯淡美を
さらに
推進
し、・「物
ミ
ナ
枯レ尽キ
集論学科
よ
りも
とめ
えたるさ
まこ
そ
えんに
侍るに、
こ
れ
はいつ
れ
をもわか
ずむしりとりたる無下に侍り、」・(『ささめ.ごど』)と。・ところで、旨兼好は・『兼好法師自選家集』に於て、
テ、
幽カニ
幼ク、
一
音」
舞、
最初
萌ス
所二
帰ル」
(『六輸
一
露之
記』),と"・」厳冬の枯野の美を主張した。その後、心敬はh氷ばかり艶なるはなし。苅田の源などの朝のうすこほり、一古りたる檜皮葺の軒などのつ・
文
ち」、
枯野の草木など露霜のとちたる風情沸
おもしろくも艶にも侍ら・
人
・冬か
れはの
かぜ
になび
く
草も
なく
ずや。
」(『心敬僧都
比登
理盲
』) ,老、
氷に
閉ざさ
れだ
冷え寂び
た枯
野の,
」
」㌔こ
ぼる
しも
夜の
月ぞさ
びし
《
風情を最高究極の
美として
称揚した。
3
心敬ば,「氷
ばかり.艶なるはな
、一L
し」
と、.,か
つ
て定
家や
長明など
が
抱・い
てい
た
艶
とは
まるで
違り・た、
老
厳冬の
月を積
極的に
採り
入れてい
る。
.馬
,
平安朝以来、
.日〃
と言えば秋の月を愛でることがひとづの歴史として
「冷える」、ズ「
枯れる」ゆ
「寒し」、㌧「か
ちび
る」、、
「やせ.る」
(『心敬
僧都
庭訓』)を艶なるものとしていたのである。
連綿
と続き」・凍てつ
く冬の月は「すさま
じきものにして見る人もなき
心敬の
美意識は、h
利休が
後年主張する
,「雪
にお還
われ
た
厳冬の
山
月」
(第
十-九段)
ど
し
て忌避されてい
た-時
代で・あ
・ρた。`
そ
んな
時期に
里」、
「すべ
て
滅び
尽きた
無一 .
物の
世界」
を
準備
す.る .こ
と・に
な
ρた
。.
あ
自て
兼好
はべ・「冬枯れの
気色
こ
そ
秋に
は
をさ
を
ざおど
るまじ
けれ、,・
5
心敬
はゐ、
「心多ぐ、
言葉すく
なぐ、.
寒ぐ
やせた
る句」
(『心
敬僧
都庭
.(
,13
霜いと向う置ける朝…翫寒けで澄める廿日あまりの空こそ∵
心ぼそきものなれ」(第十九段)、「北の屋かげに消え残りたる雪の、いたう凍
1
訓』)
を
秀
逸なる連
歌と
称して、
『ささ
めごと』
に
於ては、
実際に
「さむく清かれ」、.「やせさむき」、「痩せたる」などという言葉を用いて批
14
評を
行なっ
て,い
るゆ,.』心敬の歌論は、まず
村田珠光に
大
きな影響
を
与えた。
珠光は(・、
弟子
11
の
古市播磨に宛てた㍉「心の文]
に於て、
「又薄
,当時ひゑかる」ど
申し
っ
てい
たの
で
ある。
-
`
,
以上の
考察から、
向徒
然草』
に萌していた佗び的情致に、∴「
佗び」
と
て、
初心の
人躰
か、
びせん
物しがらき
物なセをもちて、
人もゆるさぬ
・い
う言
葉で
表現さ
れるこ
と
はなか・う
たし、
また-「佗び
茶」
に
直接
影響
た
け
くらむ
事、・
言語
道断
也、
かるΣ
と
云
事ハ
よ
き道
具をもち塙
真心
あ
を
与えるこ.ども
なかめ
たが、一
明ら
かに
佗びの.思
想的
源流,
で
あっ
た
と
言
ちわひ
をよ
くしりて、
心の
下
地によ
ゆて
たけ
く
らミ
て沸
後まて、
ひへ
うごとがで
きるコ
やせてこそ面白く
ある.へ
き也」
と、
茶の
湯の
窮極の
境地を「冷
え枯れ
..中
世とい
う
無
常の
世の
申に
あっ
て、
自
分の
生者
方や
考え
方を,一
変さ
た」
美の
世界であるとしたが、
これは心敬の
世界で
あり、
心敬が
師匠
せ、
美意識を転換させた人物は、
兼好以後多数輩出した。
この
小論で
晶換転
正徹の和歌を評した
醤葉
・「唐の詩なとの面影まで
添ひ、
たけ高く冷え氷り侍ると也」(『老のぐりごと』)と同じ美感に基づいた境地であった。
ふれた世阿弥・
禅竹・
正徹・
心敬・
珠光・
紹鴎
、.利休などはその
代表的な人物であった。『彼らの美感は、「佗び」・の大成に重要な係わりを持ち、「佗び」の構成要素の一つを成していた訳であるが、彼らが各
の識意
紹
鴎は、
心
敬の
.[連
歌ハ・
枯レ
カヂ
ヶテ
寒カレト(『山上
宗二
記』)
という言葉を愛請し、,、「茶湯ノ果モ其匪如ク成タキ」と語って、佗びの .
自の
美意識を転換させ、
一その
美感
に到達も得たのは、
すべて、
無一
物の境涯を目指す禅の思想を獲得した結果であった。=
美「
極
意
と
し
て
い
た。
.
-
「佗び」
の
成立には、
風土的・
風俗的な面からの影響を無視する訳
一
山上
宗一 .一
は、㌦五
十
四歳で
没した
紹鴎を
「吉
野の
心、
盛り
を過ぎ
で譜,
には・いかないが、
禅宗の
存在が
不可欠であっ
た。
禅の
導入がなかっ
た
夏も.過ぎ、
秋の
刀、
紅葉」
にたとえ、
七十歳の
鳥井引摺を「十月時雨
し
へ
なら、
恐ら
く
今日の
「佗び」
は
誕生しなかっ
たで
あろう。
の
比の
木葉乱る玉」、
八十歳の
珠.光
を「雪の
山」、
利休を「冬木なれ」
「
」
とた
とえてい
る。
,
最
後に、
兼好が、
後
年生
じる
歌道
・
茶
道・
華道・
香道・
武道
等々、
1
卍「冬
木なれ〕
と言われた利休ば、
『野村め'5
覚に与えた伝書』
の
中で、
噛
専門的
な㍉道」
の
奨励者で
あっ
たことにふれてこの小論を終るごどに
「枯木の雪に折れたる和ぐ卸
やね
ぐしき
手前
の中
に、
一.又♪
しほらし
す
る心
.
」婁
p
、
聖
、
きこ
うをな
す
事"
なり
難きにてぞ
侍晩。.
稽古すべ
し」
ど
ガ説じて
い
る。
、・
兼好
は、
学問の
領
域で
あれ、
武術
で
あれ、
医
術で
あれ、
それ
ぞれ
専
茶の
湯に
於て
は、・
「冷
え
枯れる」、-
「
冷え痩せ」
∵・『
枯れ
木の
雪ド
等々
門的に
追究
す.べ
き道が
ある、
と
指摘し、
その
道をわ
きまえた
者とそ
う
の
境地は、
ずでに
伝統的な
美的理念になつ
でおか、-
美意
識の
基調とな
で
ない
者、
つ
ま臥
専門家と
非専田
家との.
間に
ば
大き
な
違いが
ある。,
「万の
道の
人、
たとひ不堪なりといへ
ども、・堪
能の
非家の
人に
ならぶ
時、
必ず勝る事は、
たゆみなく慎みて
軽々しくせぬと、
ひとへ
に
自由
なる
との
等
しか
らぬ
なり。
芸能・
所作のみにあら
ず、
大方の
ふるまひ・
心づ
かひも、
愚かにし
て
慎め
るは
得の
本なり。
巧みにしてほしきままなるは、
失の
本なり」
(第
百八
十七段)
と語る。
そして専門的な道をわきまえた
者の
優秀性
を強調する。
「万にその道を知れる
者は、
やん
ごとなきものなり」(第
五
十一
段)
と。
一
兼好は、・学問や芸能に
限らず、
例へ
ば「水車造」
であれ、
「木の
ぼ
集
り」
で
あ
れ、
どの
よ
うな
世
界の
者で
も、
身
分・.階
層を
超
越して、
ひ
と
論・学科
りの
人間として一
道に
通じるもの
を追究することは誠に
尊いことで
あり、真実に生きる人間の真の姿である、と語っているのである。
1
文人「
註『徒然草』のテキストとしては『日本文学
古典
全集
』
(小学館刊)
のものを使用した。ω岡崎義恵著『美の伝統』(宝文館刊)、筒井紘一著『わびの系譜『『茶湯』第五・六葉所載。①芳賀幸四郎著『わび茶の研究』(淡交社刊)五十一頁。
15
top related