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3 総合文化研究所年報 第27号(2019)pp.3−31 Blue Bird の軌跡 ―青山学院女子短期大学東日本大震災被災地支援 ボランティアの総括と展望― 吉岡 康子 《要旨》 青山学院女子短期大学は、2011年7月に第1回学生ボランティアチーム Blue Bird を東日本大震災で被災した地に派遣して以来、2019年8月まで17回、短大学生延べ約 400名が参加して活動を継続してきた。活動場所は岩手県宮古市が中心となり、2014 年には、教育・文化・産業などの活動での相互の連携を図ることを目的に「青山学院 女子短期大学と宮古市との連携協力に関する協定」を締結し、2019年には青山学院大 学も宮古市と包括連携に関する協定を締結した。活動は時間と状況の経過のなかで当 初の「活動支援」から「交流支援」へ「一方的支援」ではなく「相互支援」へ「ボラ ンティア」から「サービス・ラーニングの実践」へと移行してきた。継続を可能とし た要因としては、短大のボランティアチームとして位置付けられたこと、現地のニー ズに応える活動をコーデイネートする強力な支援者の存在、キリスト教学校としての 祈りとネットワーク、本学卒業生および青山学院全体の横断的な参加と協力態勢が挙 げられる。 キーワード:東日本大震災 Blue Bird 宮古 共生 ハンドベル はじめに 1995年1月、阪神・淡路大震災発生から2週間後に筆者は当時牧師として属していた日本 基督教団東京教区西支区(現西東京教区)から今後の支援活動の可能性をリサーチするた めに派遣され、当時普及し始めた携帯電話を初めて入手して神戸の避難所となっていた小 学校に向かった。約2000人が避難していた学校避難所の運営は小学校の教員達や数名のボ ランティアたちが担っていたが、先生たちの疲労の色が日に日に濃くなって行き、ボラン ティアもコーデイネートする人がなく、避難所内の情報等も整理されておらず、避難物資 の仕分けや配分なども場当たり的に行われていた。このような大規模災害のボランティア をするのは初めての経験であった。しかし何とかとしなければならないと先生たち、ボラ ンティアとして駆けつけた人々とのミーテイングを呼びかけ、物資の仕分けや食事配給の

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■ 総合文化研究所年報 第27号(2019)pp.PB −1 ■ 総合文化研究所年報 第27号(2019)pp.3−31

Blue Bird の軌跡―青山学院女子短期大学東日本大震災被災地支援

ボランティアの総括と展望―

吉岡 康子

《要旨》 青山学院女子短期大学は、2011年7月に第1回学生ボランティアチーム Blue Birdを東日本大震災で被災した地に派遣して以来、2019年8月まで17回、短大学生延べ約400名が参加して活動を継続してきた。活動場所は岩手県宮古市が中心となり、2014年には、教育・文化・産業などの活動での相互の連携を図ることを目的に「青山学院女子短期大学と宮古市との連携協力に関する協定」を締結し、2019年には青山学院大学も宮古市と包括連携に関する協定を締結した。活動は時間と状況の経過のなかで当初の「活動支援」から「交流支援」へ「一方的支援」ではなく「相互支援」へ「ボランティア」から「サービス・ラーニングの実践」へと移行してきた。継続を可能とした要因としては、短大のボランティアチームとして位置付けられたこと、現地のニーズに応える活動をコーデイネートする強力な支援者の存在、キリスト教学校としての祈りとネットワーク、本学卒業生および青山学院全体の横断的な参加と協力態勢が挙げられる。

キーワード:東日本大震災 Blue Bird 宮古 共生 ハンドベル

はじめに

1995年1月、阪神・淡路大震災発生から2週間後に筆者は当時牧師として属していた日本基督教団東京教区西支区(現西東京教区)から今後の支援活動の可能性をリサーチするために派遣され、当時普及し始めた携帯電話を初めて入手して神戸の避難所となっていた小学校に向かった。約2000人が避難していた学校避難所の運営は小学校の教員達や数名のボランティアたちが担っていたが、先生たちの疲労の色が日に日に濃くなって行き、ボランティアもコーデイネートする人がなく、避難所内の情報等も整理されておらず、避難物資の仕分けや配分なども場当たり的に行われていた。このような大規模災害のボランティアをするのは初めての経験であった。しかし何とかとしなければならないと先生たち、ボランティアとして駆けつけた人々とのミーテイングを呼びかけ、物資の仕分けや食事配給の

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役割等を整理することから始めた。一週間の活動後東京に戻り、西支区対策委員会と相談しボランティアを一週間一チームとして継続的に送ることに決め、同支区は同年3月末まで神戸に継続的にボランティアチームを派遣し続けた。その後、新潟県中越地震、輪島半島地震の折にも現地に派遣されボランティアチーム組織、引率、派遣業務等を担当した。

2011年3月11日、東日本大震災発生。23日に仙台の日本基督教団東北教区被災者ボランティアセンターに向かった。全国から送られてくる物資を仕分け、被災地を回って届けた。仙台から帰り本学の協議会・教授会で被災地ボランティア活動をしたいと相談をしたところ、ぜひやろうとの声と、慎重、反対の意見があった。「現地に行かなくても東京でできることをしたら良いのではないか」「女子学生だけのチームで行っても現地で迷惑になるのではないか」「放射能の影響を憂慮する」等の意見が出されたと記憶している。「学生が行きたいと願うのであればボランティアを派遣するのは当たり前」と「牧師の頭」で思い込んでいた筆者は学校における被災地ボランティア派遣を巡る様々な意見や議論、クリアしなければならない課題等に直面して困惑する想いであったが、多くの教職員の協力と

「被災地で自分ができる何かをしたい」との学生の声に応える形で最終的には学長直轄の企画として被災地にボランティアチームを派遣することとなった。

2011年から2019年8月現在まで35回にわたり東日本大震災の被災地でボランティア活動を続けているある高校ではボランティア派遣にあたって次のような条件が示された1)。

①学校としての派遣ではなく、あくまで有志の参加とする。②ボランティアは生徒個々人の責任と判断によるものとする。例えば生徒会や○○部と行った生徒をまとめた組織の参加促しや強制はしない。③必ず父親・母親の保護者両方並びに参加する本人の承諾書(参加同意書)を取る。自筆署名と押印が必要。④必ず参加者全員が災害ボランティア保険に加入する。⑤衣食住は派遣先に迷惑がかからぬよう、全て自弁とする。⑥命に関わるボランティアは個々の命はだれの責任に帰することができず、自身の責任であることをよく理解させる。⑦余震が続いていること、放射能の問題があること、命に関わるかもしれないことなど現状をきちんと正しく伝えること。

本学においても、②以下の点に関しては説明、実施したが、大きな違いは「学校のボランティアチームとして派遣する」ことを決定したことである。谷本信也学長は第1回目の活動報告書発行にあたって以下のように述べている2)。

比較的離れた所に住む我々が、今何をなすべきか、何ができるのか、それぞれ個々に事情も異なる一人ひとりでは、その答えに共通項はあっても全く同じとはならないと思います。私たち青山学院女子短期大学では青山学院教育基本方針に立ち、今この時にできることとして、学生からボランティアを募り、東北の地でボランティア活動を行うことが適切であると判断し、宗教活動委員会や学生部の協働により計画を立て、

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無事実行することができました。青山学院教育基本方針は以下である。 青山学院の教育は キリスト教信仰にもとづく教育をめざし、 神の前に真実に生き 真理を謙虚に追求し 愛と奉仕の精神をもって すべての人と社会とに対する責任を 進んで果たす人間の形成を目的とする。

1.Blue Bird の誕生

①第1回東日本大震災被災地支援ボランティア・2011年7月19日(火)〜25日(月)学生14名「青山学院女子短期大学は、東日本大震災の被災地支援のため、ボランティア・チーム

を結成します。この時期だからこそ『わたしたちができること』の真剣に取り組み、『地の塩、世の光』(青山学院スクールモットー)として生きることの意味を考えましょう。共に活動したいという学生の参加を待っています」5月末のこの呼びかけに、ボランティア受け入れ先の状況や危機管理の観点から募集人員を15名とした所78名の応募があった。志願書には「生かされている自分として何かやらせてほしい」との熱意があふれており、書類で選考することは難しかったため、抽選という形で選ばれた15名(当日体調不良で1名欠席)と教職員5名が派遣されることとなり準備が始められた。筆者が事前に2度現地に行き、活動場所を岩手県宮古市・釜石市・花巻市と決定し、チーム受け入れにあたっての打ち合わせを行い、内外の講師による、ボランティアの意義、メンタルケア、活動現場の状況などについての事前学習会を重ねた。準備を重ねる中でチーム名をつけようということになり、学生たちの発案で Blue Bird と名付けた。青山学院の青と「幸せの青い鳥」の両方の意味をもつ。一人一人は小さな存在、働きでも、小さな幸せを運びたいとの願いと祈りが込められている。

7月19日 か ら25日 の 活 動 は、 前 半 は 盛 岡YMCA 宮古ボランティアセンターとなっていた日本基督教団宮古教会を拠点とし、YMCAのボランティアスタツフとして津波被害家屋の泥出しや洗浄作業などを行った。宮古教会は礼拝堂が浸水し、幼稚園庭に流されてきた車などが重なり合う被害を受けた。日本基督教団奥羽教区の斡旋により盛岡 YMCA と提携

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しボランティア活動を継続していた。教会と YMCA の協働活動として双方了解し、教会は活動拠点や食事準備、宿泊を提供し、YMCA は活動のための人材確保と作業工程の調整を行なっていた3)。YMCA のボランティア活動に協力していた東京都山岳連盟の「被災地にクライマーを送る会」のボランティアの方々と宮古教会で食事を共にし、寝袋で寝泊まりするという文字通り寝食を共にして活動した。この会のメンバー廣川健太郎さんにはその後の Blue Bird に継続的に協力していただいた。

今日は作業に入る前に田老地区を視察しました。本当にここに家があって、人が生活していたのか…と思いました。本当に跡形もない状態でした。被災された御宅の床下のヘドロ洗浄作業をしながら、ボランテイアの役割についても考えることができました。早く作業を終わらせる必要はない、その家の人の生活やその家のことを考え、理解することが求められていると YMCA の方々からオリエンテーションしていただいたことが分かりました。(報告書より)

後半は教会としてボランティアセンターを開設していた日本基督教団新生釜石教会で、学生たちが企画した「サマーフェスティバル」を開催した。手作りのチラシを持ち仮設住宅を訪ねて広報をし、バーベキュー、綿菓子、子どもたちの浴衣着付け、トーンチャイム演奏などを準備し、約200人の子どもから高齢者の方々が集まってくださった。毎晩、一日の活動の振り返り「シェアリング」を行ない、学生たちの思いや考え、経験を分かち合う時間を必ず持ち、個人のみならず「チーム」として互いの配慮し、協力することを重んじた。

今回のボランティアの経験を通して、ボランティアをするうえで大切なことやどのような姿勢で臨むことが必要かということに関して学ぶことが多くありました。特に印象に残っていることは、被災者、ボランティアという線引きをなくして接することの必要さを感じました。ボランティアをするという姿勢で頑張って役に立とうという思いではなくて、必要なことは一人の人間同士として、同じ時間と空間を共有する時を持つことが最も大切であると学びました。宮古での活動を通して、ボランティアは活

動する人がどんどん入れ替わっていっても、皆で繋いでいく活動だということを知りました。

(報告書より)

②青山学院女子短期大学同窓会との協働チームを派遣するにあっては、多方面から多

くのサポートを得た。中でも大きかったのは青山学院女子短期大学同窓会の支えである。資金

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的支援のみならず、役員を中心とした数名が現地に同行し、「ボランティアを支えるボランティア」として食事づくりなどを担当して活動を支えた。これはその後も継続して行われ、現役の学生と卒業生が協働する貴重な体験となった。

③第2回東日本大震災被災地支援ボランティア・2012年2月16日(木)〜21日(火)学生22名「共に」「忘れない」との思いを抱いた Blue Bird のメンバーは報告会を行い、報告書を

作成し、バイオリニスト天満敦子さんのコンサートによるチャリティコンサート等において活動報告を行い、第2回活動に向けて準備を開始した。第2回の応募者は22名、前回は人数を制限したが、震災から1年が経とうとしている時期の応募者の意志を尊重し応募全員をメンバーとした。2月16日夜バスで青山キャンパスを出発し、日本基督教団花巻教会で朝食をいただいたのち、津波被害甚大な仙台・陸前高田・大船渡・釜石・山田を経、東京から約16時間かけて宮古に到着した。YMCA 宮古ボランティアセンターが活動を行っている宮古市赤前小学校校庭の赤前仮設住宅集会所で学生たちが企画した「冬祭り」を実施した。おぼつかない手つきで餅つきの準備をしている学生たちを見かねて住民の方々がお手伝いをして下さり、太鼓演奏などで交流をした。また宮古末広町商店街振興組合商店街と共催で、ジャズシンガー飯田さつきさんと瀬尾美穂さんのコンサート、新生釜石教会においてドラムサークルファシリテーター飯田和子さんのリードによるドラムサークルを実施した。

今回初めて被災地を訪れ、私は「何も知らなかった」ということに気づき愕然としました。私が知っていると思っていたことは、メディアを通して知っている地震当日の姿の断片に過ぎなかったのです。一年も経てば結構元どおりになっているのではないか、と思っていました。しかし今回大きな衝撃を受けました。ところどころある瓦礫の山々、一見きれいに見えるが大きな穴の残る家、ひしゃげた鉄柵、そして家の土台だけ残る殺風景な街並み。津波の恐ろしさ、爪跡の深さを実感すると同時にこんな私に何ができるのだろうかと疑問に思いました。けれども5日間通してわかったことは「小さなことで周りをつないでいけたら良いのだ」ということです。今回私たちは、冬祭りを開き、ジャズコンサートのお手伝いをしました。このように地域の人々をつなぐきっかけ作りをすることも必要なことで、私にできることの一つなのだと思いました。(報告書より)

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2.現地コーディネーター

第3回の活動を準備する中で筆者は、東北学院大学星宮望院長から「宮古で活動を続けるのであれば東北学院同窓会宮古支部長の千葉胤嗣さんをお訪ねしなさい、きっと力になってくださるよ」とご紹介をいただいた。青山学院と東北学院は同じキリスト教学校であり、戦前から大学の総合定期戦などで交流が行われており、千葉さんも東北学院大学在学中応援団として定期戦に参加している。この「宮古の千葉さん」との出会いが本学の活動の大きな転換点であり、様々な「つながり」を結びながら展開しつつ継続することができた要因となった。

千葉胤嗣さんは1943年生まれ、東北学院大学経済学部を卒業後、宮古で海運会社に勤務した後に1990年宮古市議会議員に就任、2005年から2010年まで宮古市議会副議長を務め、2010年3月宮古市議会議員を勇退。そして2011年3月を迎えるのである。「東北学院大学 震災の記録プロジェクト」が編纂した『3・11 慟哭の記録』に千葉さんが記載した「究極の遺体身元照合ボランティア」から引用する4)。

3月11日、東日本大震災の日は盛岡市にある岩手医大での定期検診の日でした。検診が終わり遅い昼食でも食べようと市内を運転中に地震に遭遇しました。今まで経験したことのない激しい揺れに瞬間的に津波を連想し、昼食どころではなく、宮古に戻りました。盛岡、宮古間は、約2時間かかりますので戻った時は夕方でした。そのまま会社のある海辺に向かいました。しかし会社は跡形もなく、残っているのは基礎だけでした。その後四、五日は何もできなくて、会社を辞めて仙台にでも帰ろうかどうしようか、考えておりましたが、私の友人から電話があり「千葉さんでなければできない仕事があるんだけど、手伝ってくれないか」と言われ、二つ返事で手伝いを決め、指定された体育館に行きました。行ってわかったのですが、そこは、震災と津波の犠牲になった方々の遺体安置所に指定された場所でした。見ると棺が四十棺くらい並べてあり、一つ一つに遺体の特徴

(年齢・性別)と収容された場所や時期を記した紙が貼られてありました。友人には「遺体を早く遺族に引き渡したいので、収容された場所に行って、追跡調査をやってほしい」と頼まれました。それからの日々は遺体の特徴と収容先を書いた B4版のメモを片手に消防分団や避難者が大勢宿泊しているところに行き「こういう遺体が上がったけども、心当たりのある人は来てくれないか」と遺体の特徴を話して、安置所に来てもらって、確認していただくことを繰り返しておりました。(中略)ひと月近くお手伝いをしましたが、後日考えると、さまざまな表情の遺体を数十体見ました。苦しくて口をあけたままで固まっているご遺体が多く、ガレキに比べると沖の方の御遺体の腐敗が激しかったのを覚えています。最初はドライアイスもなくて十

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日くらいしてから大阪から4トン車でドライアイスが大量に届きました。四から五個ずつのドライアイスを棺に入れ、ご遺体は毎日拭いてあげました。御遺体を触った軍手はしばらく車に積んでいました。警察の方と同じように手伝っていて、いろいろなボランティアがありますが、一番きついような気もしました。盛岡に行く前にガソリンを満タンにしましたが、避難所に行く際になるべくゆっくり走ったり、確認してもらうために地元の人を乗せて戻り、ガソリン不足の時期によくあちこち車で走り回ったもんだなと自分自身感心しております。たとえ腐乱した状態の御遺体であっても、遺族の方が「おじいちゃんごめん」「お父さん寒かったでしょう」そういう状態ですがる光景がありました。その時はよかったと思いました。私の体に「ありがとう」ってご遺体がくっついてくる思いもしました。(中略)東日本大震災の日から六ヶ月が過ぎ、表面的には少しは従来の街らしさを取り戻したように見えますが、ガレキの撤去問題や、新しい街づくりの問題や、公共施設の復帰など、ほとんど何も解決していないのが現状です。(中略)宮古の一市民として、私のできることをやっていこうと思います。幸い、会社も再建ができ、従業員も仕事に頑張ってくれておりますので、私はこれからも頑張ります。(脱稿 :2011年9月20日)

「宮古のお父さん的存在」(山本正德宮古市長談)と言われる千葉さんご自身被災され、地元のボランティアとして辛い作業に従事した後に、「母校と深いつながりのある青山学院の学生たち」の活動を熱心に支えるボランティア活動を開始し、継続してくださっている。現地の事情に精通し、様々なネットワークを持ち、その時々のニーズに合わせた活動を提案してくださる千葉さんが「青山学院ボランティア世話人」と自ら称して現地でのコーディネーターとしての役割を担ってくださることにより、Blue Bird の活動は新しい展開をすることとなった。

3.2012年度活動

①第3回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月1日(火)〜7日(火) 学生20名初日は日本基督教団東北教区被災者支援セン

ター「エマオ」のボランティアとして、若林区荒浜の津波被害を受けた畑の修復作業と若林区七郷仮設住宅集会所での昼食会実施チームに分かれて活動した。宮古へ向かう途中立ち寄った釜石では、新生釜石教会の柳谷牧師の案内で

「鵜住居地区防災センター」を訪れた。大津波

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警報後多くの住民が中に避難した直後に津波にのまれた場所である。当時被災した建物は被災したままの状況であり、献花台の前で一同祈りを捧げた。(この建物は現在撤去され、東日本大震災追悼施設「釜石祈りのパーク」となっている)

宮古では、この年から始められた田老地区における「学ぶ防災」によって被災地研修をした。以降毎回の Blue Bird では「学ぶ防災」で研修することから活動を開始している。東京カンソン(あらたに葉子・上村純・前田智之・古川はじめ)によるコンサートを宮古商店街の「りあす亭」で開催、また赤前仮設住宅集会所では「夕涼み会」を実施した。宮古の街や仮設住宅に学生たちは手作りのチラシを持っていった。

私たち Blue Bird は、昨年7月、今年2月に引き続き、再び宮古の皆さんと一緒に過ごせる事を楽しみにしています。力になりたいという気持ちだけではなく、共に復興への道を歩みたいと思っております。ほっと息をつけるような空間となりますので、どうぞお越しください

このチラシを受け取られた方々から「Blue Bird がまた来たんだね」と声をかけられる場面も多かった。田老では、青山学院女子短期大学の卒業生であるフラメンコダンサー大塚友美さんと、フラメンコギタリスト鈴木尚さん、フラメンコダンサーの鈴木時丹さん、三枝雄輔さん、盛岡在住の中田佳代子さんが出演し、また地元の田老太鼓の会も出演して「フラメンコと宮古太鼓の夕べ」を実施した。当初は屋外等での実施を計画していたが、千葉さんから「せっかくならたくさんの方々にお出でいただける方が良いだろう」とご提案いただき、宮古市内で最大の約400軒の仮設住宅が建てられていたグリーンピア三陸みやこの体育館で実施し、仮設住宅の多くの方々に集まっていただいた。

②台湾からのボランティアとの出会い仙台エマオには、台湾基督長老教会(PCT)から多数のボランティアワーカーが派遣

されており、活動のリーダー的な役割を担っていた。国内のボランティアが年々減少する中にあって震災後3年間にわたり、PCT から継続的にボランティアが派遣されていた。

エマオで驚いたのは海外からのボランティアも多く参加していたことです。仙台でのワークの際に約20人が台湾から来ておられ、何名かの方と一緒に作業させていただきました。その中でリーダーを務めていた男の子に年齢を尋ねたところ17歳と言われて

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自分よりも年下なのに外国にボランティアとして来ていてすごいなと思いました。彼は日本語は話せないものの中国語と英語で私たちに的確に指示を出している姿を見て自分も見習わなくてはと考えました。彼に「どうして日本にボランティアに来たのか」と尋ねたところ「ほおっておけなかった」「自分へのチャレンジ」と言った返事が返って来ました。(報告書より)

この台湾からのボランティアとの出会いをきっかけとして、2017年から本学で実施されたのが「キリスト教学実践 B―台湾の教会と社会から学ぶ」スタディツアーである。この集中講義はキリスト教信仰に基づく本学の建学の精神を実践的・体験的に学ぶことを目標とし、台湾の教会と社会の課題を事前学習・歴史研究・フィールドワーク・聞き取り・交流などを通して参加者各自の現代における使命を確認する事を目的としている。台湾も度々大震災を経験しており、1999年9月には台湾中部でマグニチュード7.3の台中集集大地震が発生し、死者2415人、行方不明者29人、重軽傷者11305人もの被害が出た(921地震教育園區ガイドブック)。台中には、防災教育を目的とした国立自然科学博物館921地震教育園區が建てられており、多角的に震災と復興の状況、記憶の継承を学べる。Blue Bird の学生も多数このツアーに参加し、台湾の人々に東日本大震災における援助の感謝を伝え、多くを学んでいる。

③第4回東日本大震災被災地支援ボランティア・2013年2月21日(木)〜26日(火)学生9名9名の参加者は Blue Bird の活動としては最小人数だが、3名の卒業生が参加した。内2

名は編入し青山学院大学在学中、1名は社会人で会社のボランティア休暇制度を利用して参加した。今回は宮古での活動に集中した。宮古教会付属ひかり幼稚園で「お楽しみ会」を行い、学生たちがペープサートやゲームなどを行なった。

子どもたちの中には、津波でご家族を亡くしたお子さん、家を失って仮設住宅から通っておられるお子さんも居られるとお聞きしました。小さな体で大きな傷を負っているこの子どもたちのことを忘れずにこれからも寄り添っていきたいと思いました。

(報告書より)

宮古市内鍬ヶ崎地区での活動も行なった。仮設集会所 ODENSE ドーム2では「もちつきたいかい ?」との餅つき大会を実施、近隣の仮設住宅の方々が多く集まり、餅つきの準

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備から実施まで協力してくださり、あたたかい時間を過ごすことができた。また継続的に実施している赤前仮設住宅での「冬祭り」も実施した。

この時初めて千葉さんの紹介により、宮古市役所を訪問し、山本正德宮古市長からご自身の被災体験と宮古の被災状況と復興活動についてお聞きし、市役所ホールで「花は咲く」を市役

所の職員の皆さんと心を合わせて合唱した。また宮古藤原埠頭での「宮古地区災害廃棄物粉砕・選別業務作業」を見学も実施した。埠頭の広大な敷地に廃棄物処理プラント設備が並んでおり「がれき」が粉砕、選別され、最後の段階は手作業により行われていた。その過程で収拾された「思い出の品」と思われるものは遺失物として警察に届けられる。この

「思い出の品」を選別・洗浄する作業を手伝わせていただいた。

被災した方々の生活の跡が残る山のようながれき。その中からでできた「思い出の品」の汚れを手でぬぐいながら、この持ち主は今どこに居られるのだろうかーそんな思いが何度も頭をよぎった。私たちと同じよう生活し、同じ時間が流れていたにも関わらず、あの日を境にこんなにも変わってしまったのかと思うとやるせない気持ちになった。(報告書より)

宮古滞在最後の夜には、宮古シーガル会(宮古市および岩手県の多様な機関―宮古市役所・市議会・警察署・海上保安署・新聞社等の長および役員によって構成される有識者会)に出席し、学生から復興に向けての提言を行い、交流を持つことができた。

④チャリティコンサート2013年1月11日(金) 短大礼拝堂にて「トランペットとオルガンによるチャリティーコンサート 〜届けよう宮古にぬくもりを〜」  出演 北村源三・飯靖子

4.2013年度活動

①みやこ田老鎮魂の祈り5月25日(土)グリーンピア三陸みやこのアリーナで行われた「みやこ田老鎮魂の祈り」

にこの集いの企画者である千葉さんから本学のハンドベルチームの参加が要請され、ハンドベル・クワイア13名が宮古を訪れた。中尊寺僧侶の方々による三回忌法要の祈りの後、田老太鼓、田老北高等学校応援団、地元出身の中学生民謡歌手臼澤みさきさんの復興応援

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ミニライブなどに続き、ハンドベルチームが祈りを込めて演奏した。Blue Bird では第1回からトーンチャイムの演奏や合唱などを行ってきたが、ハンドベル演奏奉仕を宮古で行うのは今回初めてであり、また当日集まった多くの方々もこの時初めてハンドベルを聞いたという方々が多数であったと聞かされた。学生全員がこの日は宮古市内のご家庭にホームステイさせていただき、翌日曜日には宮古教会の礼拝に出席し、チャペルコンサートを行なった。

田老鎮魂の祈りの折、演奏中そこに居られた方々が何人も泣いている姿を見ました。これは、私たちがあの震災を思い出させて悲しませてしまったのかと思い、何だか申し訳ない気がしました。しかし、帰りに見送りに来られた方が「美しい演奏をありがとう。2年経った今でも震災復興に協力してくださってありがとう。私たちは関東の皆さんはもうあの震災を忘れていると思いました」と言ってくださいました。(報告書より)

②第5回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月2日(金)〜9日(金) 学生15名卒業生3名も参加し活動が行われた。鍬ヶ崎地区を視察後、赤前仮設住宅を訪問し、「夏

祭り」の告知をした。赤前では「Blue Bird がまた来てくれたね」「待っていたよ」と声をかけていただくことを感謝する同時に、仮設の生活が震災以降進展していない状況に厳しさを感じさせられた。夜には東北学院同窓会宮古支部主催被災地支援コンサートに参加し、受付、案内とトーンチャイムの演奏を担当した。日曜には宮古教会の礼拝に出席した後に、重茂に行き「味まつり」に参加してトーンチャイムの演奏を行った。夜にはグリーンピア三陸みやこの体育館で行われた東北学院同窓会宮古支部主催コンサートの手伝いをした。夜にはグリーンピア三陸みやこの船越博之支配人からご自身の被災体験、田老地区の被災状況とグリーンピア三陸みやこが避難所となってから、宮古市内最大の仮設住宅として現在に至る状況を伺った。宮古市役所を訪問し、山本正德市長による「宮古市の現状と今後の復興への展望」と題した講演を伺った。藤原埠頭での宮古地区産業廃棄物選別作業現場での研修と「思い出の品」の洗浄作業をし、警察署に物品を届けた。また津波と同時に大規模火災で被害を受けた宮古の隣町山田町に行き、山田町中央保育園で「お楽しみ会」を、午後には航空自衛隊山田分屯基地を訪問し研修とトーンチャイムの演奏を行った。

この日には千葉さんの紹介により、東北学院同窓生を中心とした市内4家庭にホームステイをさせていただいた。それぞれの家庭で温かく

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受け入れていただき、また震災の様子などを詳しく伺う時となった。この回から東北学院大学同窓会宮古支部の方々を中心としたご家庭への Blue Bird メンバーのホームステイが恒例となり、多くの方々、ご家庭のご協力により第16回まで継続した。

活動中最終日には宮古海上保安署巡視艦に乗せていただき、津波当日の状況を聞き、海上から被災状況を研修した。当日も遺体捜索活動が行われていた。この宮古海上保安署巡視船による視察も継続して行われている。さらに宮古警察において震災救助と復興活動についてお話をお聞きした。

私たちの活動を支えてくださっている宮古教会の森分和基牧師、千葉胤嗣さん、青山学院大学卒業生加藤洋一郎さんからお話を伺った時に「痛みをすべて理解することはできない。でも分かりたいということを示すことが大事だ。」と言って頂いた言葉がこの活動の支えになっているように感じます。被災者同士でも年齢の差、経験の差など様々なことが障害となり理解し合うことがどうにもできないということも知りました。私が宮古の方と寄り添いたい、痛みを分かち合いたい、と思っても、やはり実際に津波を体験したわけではないので、想像でしか痛みは理解できないと感じました。しかし、外部から来た私たちだからこそ、宮古市の方が話せることもあると分かりました。完全に気持ちがわからなくても、分かりたいという姿勢を忘れずにまた宮古の方々と接して行きたいです。(報告書より)

③青山学院・宮古応援 day

東北の、力になりたい。あの日、誰もが抱いた思いを、私たちは決して忘れない。

青山学院女子短期大学のボランティアチーム「Blue Bird」が岩手県宮古市に到着したのは震災から4ヶ月が経過した7月のことでした。何をどうお手伝いしたらいいのか、わからない。でも、何もせずには、いられない。学生たちの、そんな思いを大学として受け止めることで始まった小さな、小さな、取り組みでした。 現地での作業が始まると、彼女たちは「なにもできない自分」に対してひどく落ち込みました。そんな時、「来てくれただけで、話を聞いてもらえるだけで、十分嬉しいんだよ」という宮古の人たちの言葉に、励まされました。 痛みを知り、痛みを分かち合う、ということ。明日を夢見て、その夢を語り合う、ということ。東京から、およそ800㎞。東北の地で始まった心の交流は、私たちの宝物です。 2013年12月25日付読売新聞東京本社版 夕刊

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この思いを本学からのメッセージとして発信すると同時に、東京と宮古をつなぐための企画が2014年1月15日(水)「青山学院・宮古 day」が行われた。

青山学院大学・青山学院女子短期大学共催フォーラム

「3・11 あの日を忘れない―東日本大震災と青山学院」

第1部 講 演「東日本大震災と宮古          ―何が変わったか」        山本 正德 宮古市長第2部 討 論 「青山学院は共に生きる」    司 会 杉浦 勢之        大学総合文化政策学部長    登壇者 山本 正德 宮古市長        仙波 憲一 大学学長        平澤 典男 大学副学長        八耳 俊文 女子短期大学学長        佐々木千穂 青山学院大学2年(女子短期大学 Blue Bird 出身)        瀬川 達也 青山学院大学4年(青山学院大学ボランティアステーション)第3部 宮古応援チャリティ・コンサート―東日本大震災で被災された方々を覚えて    出 演 北村源三 飯靖子 三戸大久 尾崎美帆 小嶋多佳子 鳥海寮        青山学院女子短期大学聖歌隊 ハンドベル・クワイア        青山学院高等部ブラスバンド部 Blue Bird(活動報告)宮古教会森分和基牧師、YMCA 宮古ボランティアセンター長木田泰之さん、青山学院

高等部が交流を重ねている宮古高校の生徒たちを招待した。女子短期大学「キリスト教学」(キリスト教死生学)の公開授業においては「喪失から希望へ」と題し、津波により全壊した宮古・浄土ヶ浜旅館女将、近江智春さんが講演した。近江さんは Blue Bird の活動に継続的に協力をしてくださっている。青山学院大学・青山学院女子短期大学の学食では「宮古応援ウィーク特別メニュー」実施。宮古のマスコットキャラクター、サーモンくん、みやこちゃんが青山

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学院初等部を訪問し大歓迎を受けた。この出来事を青山学院初等部の新聞プロジェクトによる「緑の新聞」は一面で「青山学院と宮古市」と特集を組みその記事の最後をこのように結んでいる5)。

 「一日一回でも津波で亡くなった人の事を思い、祈ることが一番のボランティアです。そして自分が今できる事を考えて、ぜひそれを実行してください。」とインタビューした吉岡先生はおっしゃっていました。みなさんも毎日の祈りの中に被災者の方々のことを忘れずに加えてください。僕たちにできる一番の支援だと思います。(初等部5年 堀海大郎)

④第6回東日本大震災被災地支援ボランティア・2014年3月7日(金)〜3月12日(水) 学生22名この活動では短大ハンドベル・クワイアを中

心とした Blue Bird のメンバーが組織された。宮古市から依頼を受け、3月11日、宮古市東

日本大震災三周年追悼式でハンドベルの演奏を献花の際に行った。以降追悼式での演奏奉仕を継続している。

グリーンピア三陸みやこ、マリンコープDORA、ショッピングセンターキャトル宮古すくすくランド、宮古教会での演奏奉仕、宮古市長表敬訪問、赤前仮設住宅でのカレーパーティ、藤原埠頭での瓦礫選別洗浄作業等を行った。

5.2014年度活動

①第7回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月1日(金)〜7日(木)短大学生19名この会は、青山学院140周年記念事業として「ALL 青山ボランティア活動」(東日本大

震災被災地宮古応援プログラム)として行われた。青山学院女子短期大学を中心に、大学生、高等部生、中等部生、初等部・幼稚園の児童・園児と家族、教員合わせて86名が参加した。

震災から3年過ぎても、被災地ではなお仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方が大勢いらっしゃいます。この度、宮古市の方々との交流を通じて、「3・11を忘れない」という気持ちを新たにし、被災地の方々にもその気持ちを伝えたいという思いで、ALL 青山の活動を企画しました。同時に宮古市の観光資源を楽しむということで、

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市の復興にささやかながら貢献できればと思います。(呼びかけ文から)

田老地区での「学ぶ防災」、グリーンピア三陸みやこ体育館で「お楽しみ会」、宮古市総合体育館で「青山 day」開催を実施した。青山学院校友の佐藤樹祥さんのご協力により、大型エア遊具、宮古市のマスコットキャラクター、サーモンくんとみやこちゃんを宮古市に寄贈し、また様々な遊具を提供していただき多くの宮古の方々と交流を楽しんだ。当日の運営は、青山学院のメンバー全員が分担して担当した。宮古高校、宮古北高校の生徒も準備運営に参加した。青山学院メンバー一同が集まった最後の夜には幼稚園・初等部生、中等部生、高等部生、短大生、大学生、保護者が思いを分かち合うシェアリングを行った。短大ハンドベルチームは、特別養護老人ホーム桜ケ丘、宮古教会、重茂児童館、岩手県立宮古病院等で演奏奉仕を行った。短大イベント担当チームは赤前仮設住宅で「カレーパーティ」を行った。

②宮古市と青山学院女子短期大学の連携協力に関する協定書締結8月4日、青山学院女子短期大学と宮古市との連携協力に関する協定書締結調印式が行わ

れ、山本正德宮古市長、八耳俊文女子短期大学学長が協定書に署名した。協定書の「連携協力する分野」は以下である。第1条  宮古市及び青山学院女子短期大学は、本協定の目的を達成するため、次の事項

ついて連携協力する。  (1)教育の支援活動に関すること  (2)地域の文化振興に関すること  (3)地域産業の振興に関すること  (4)青山学院女子短期大学の教育、研究及びボランティア活動に関すること  (5)その他宮古市・青山学院女子短期大学の相互発展に必要と認められること

この意義を八耳俊文学長は以下のように記している。

今回の第7期の Blue Bird の活動の最大の業績は、宮古市と本学との間で連携協力の協定を結んだことであろう。被災4カ月後に宮古市にボランティア学生チームを派遣し、その後、毎年、大学の休みを利用して現地で活動を行ってきた積み重ねが、宮古市に受け入れられたのである。これからは被災地支援という関係ではなく、宮古市と本学が、同市の市政・市民活動等のために、そして本学の教育研究のために協力し合

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うことになる。Blue Bird の活動も新しい段階に入ることになったのである6)。

③  Message  for  3.11東日本大震災被災地復興支援愛好会(現MF3.11東北応援愛好会)設立

Blue Bird で活動し女子短期大学を卒業して青山学院大学に編入した学生たちが中心となって青山学院大学に愛好会 Message for 3.11がこの年度結成された。この会には青山学院高等部で被災地支援・交流を重ねてきた学生も後に加わった。「ALL 青山宮古ボランティア」に参加した同会(以下 MF)メンバーは、重茂味祭り手伝い、赤前、千徳、山口の学童の家で学習支援、仮設住宅の清掃などを行った。以下が創立時の「MF のマインド」である。

忘れ去ってしまいそうな記憶をもう一度振り返ってほしい。まだ3.11を知らない人に知ってほしい。まだ何かできるかもしれないと思ってほしい。私たちは3.11を忘れないためのメッセージを紡いでいます。私たちの発信がだれかの、なにかのきっかけになりますように。

④宮古サーモン・ハーフ・マラソン大会への派遣11月9日(日) 第28回宮古サーモン・ハーフ

マラソン大会へ青山学院大学陸上競技部から招待選手派遣の依頼が宮古市からあり、学生5名が派遣された。この時最高記録を出した渡邊利典選手(東北高校出身・大学文学部)が翌年第91回箱根駅伝大会に出場し、初優勝に貢献したことは宮古の人々にとって大きな喜びとなった。その後同大会への選手派遣は継続して行われている。

⑤宮古市バスケットボール協会選手強化講習会への派遣2015年3月7・8日 宮古市スポーツ選手強化支援事業バスケットボール競技選手強化講

師会に大学バスケットボール部への講師派遣依頼があり、コーチ1名と学生2名が派遣された。

⑥第8回東日本被災地支援ボランティア活動・2015年3月8日(日)〜12日(木) 学生16名3月11日、宮古市東日本大震災四周年追悼式で演奏奉仕を行った。今回は津波で被災し、

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休館後昨年末に復旧した宮古市文化会館が会場であった。追悼式で遺族代表として追悼のことばを述べたのは宮古市の大学3年の女性で、父と祖父を津波で奪われた悲しみを乗り越えて大学に入学し、今将来に向かって歩んでいるとのメッセージが同年代である学生たちの心にも大きく響き、演奏がより深い祈りを込めたものとなった。

宮古第一病院、マリンコープ DORA、重茂児童館、宮古市役所ロビー、特別養護老人ホーム3ヶ所(桜ケ丘、サンホーム宮古、紫桐苑)で演奏奉仕。宮古市復興支援警察官感謝会では全国から志願して宮古市に特別出向し、任期を終えられる警察官の方々から話を伺った。

研修としては、宮古市が事業主体である田老地区の高台の住居、公園、緑地、道路、上下水道整備事業、国土交通省による三陸沿岸国道・宮古盛岡横断道路整備事業でのトンネル工事と橋梁工事の見学を行った。重茂では 漁業協同組合を訪問し、壊滅的な被害を受けながら地域で連帯して震災直後直ちに漁業を再開した際に中心となった伊藤隆一組合長からお話を伺った。継続して訪問している赤前仮設住宅では恒例となったカレーパーティを行い、4年経てもなお仮設での生活を余儀なくされている方々の現実を再認識する機会が与えられた。

⑦チャリティコンサート12月19日(金)青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂「クリスマス・チャリティ・チャペル・コンサート」出演 佐々木正利 鳥海寮 飯靖子 東京21合唱団   青山学院女子短期大学聖歌隊、ハンドベル・クワイア

6.2015年度活動

①第9回東日本大震災被災地支援ボランティア・7月31日(金)〜8月8日(土) 学生 前半 A チーム16名 後半 B チーム16名 ハンドベル・クワイアチーム18名東日本大震災から5年目。各地の「被災地ボ

ランティア」活動が撤退する中で、50人の応募者があった。「Blue Bird の活動に参加したくてこの学校に入学した」との志望理由が複数見ら

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れた。学習支援を前半・後半 A・B 2チーム、全日程参加のハンドベルチームの3チームとした。学習支援チームは継続的に訪問している赤前仮設住宅での「カレーパーティ」を行った。復興住宅に移り住んだ方々も何人かおられ「今まで仮設住宅で近隣の方々と励ましあってきたけれども別々の地域に住まざるを得なくなってなかなか顔を合わせることができない。今日はBlue Bird が来てくれるからと集まって皆と久しぶりに会えて嬉しかった」と声をかけてくだ

さる方々も多く、これからのコミュニティの課題を考えさせられた。重茂味まつりの手伝い、藤原、宮古、山口、鍬ヶ崎、磯鶏、千徳の各学童の家で学習支援を行ない、宮古市教育委員会主催の「宮古イングリッシュ・キャンプ」「宮古ニュートン・サマースクール」を東北学院大学と協力して実施した。また東北学院同窓会宮古支部と共催で、第2回 Blue Bird でも協力してくださったジャズシンガー飯田さつきさん、保坂修平さん、ミュージカル女優の佐野まゆ香さんと東北学院同窓会のジャズバンドとのコンサートを宮古文化会館と新生釜石教会で実施した。

ハンドベルチームはマリンコープ DORA、キャトル宮古すくすくランド・高齢者施設4ヶ所(桜ヶ丘・小成・サンホームみやこ・あお空)重茂学童の家、新生釜石教会、宮古教会、宮古病院、宮古第一病院でのコンサートを実施した。宮古教会は新会堂が完成しこの年秋から移転することとなり、津波被害を受け、ボランティアの受け入れ場所となった歴史ある教会礼拝堂での最後の奉仕となった。

②宮古インターンシップ8月31日(月)から9月5日(土)まで、宮古市でインターンシップが行われた。シートピアなあど2名、浄土ヶ浜旅館、2名グリーンピア三陸みやこ4名、Blue Bird の

卒業生1名が活動サポートとして参加した。受け入れ先での研修と同時に田老「学ぶ防災」、鹿島建設宮古作業所復興現場視察の研修も実施した。

③心を一つに3.11〜祈りとメッセージ all 青山〜五木ひろしチャリティコンサート2016年3月11日(金)青山学院高等部 PS 講堂で、東日本大震災により被災された方々

を覚えてのチャリティコンサートが行われた。Blue Bird と Message for 3.11のメンバーが「3.11チャリティコンサート実行委員会」を立ち上げ、企画、運営等全て担当し、青山学院大学・女子短期大学・高等部・中等部・初等部・幼稚園・青山学院交友会が後援団体となった。

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青山学院では、震災発生直後から現在に至るまで、幼稚園から大学院までそれぞれの部が被災地支援と交流を続けています。私たちは実際に岩手県宮古市を中心に被災地支援を訪問し、活動を続ける中で、様々なことを感じ、考えました。まず「今後も被災地と相互に関わり共に歩んでいきたい」ということ、そして「被災地についてもっと多くの人々に知ってもらいたい」ということです。国や自治体に支援も、民間からの支援も段々と減り、震災に対する意識の風化も懸念されているのが現状です。震災から5年が経ち、私たちは今までよりも「東日本大震災を忘れてはならない」という声を発信していかなければなりません。私たち実行委員会はそのための方法をそれぞれに模索してきました。今回のコンサートは、そうした私たちの想いに、震災直後から被災地への支援・活動を続けていらっしゃる五木ひろしさんがご賛同・ご協力くださり、実現できる運びとなりました。 (3.11チャリティコンサート当日パンフレット 実行委員会一同「ごあいさつ」より)

コンサートの最初には「震災5年を覚えて、all 青山による祈りとメッセージ & 被災地からメッセージ」として青山学院各部からの祈りと、山本正德市長のビデオメッセージ、宮 古 市 か ら お 招 き し た 方 々 の メ ッ セ ー ジ が 紹 介 さ れ た。 収 益 は「 青 山 学 院EVERGREEN150募金―使途指定型募金」の学生ボランティア活動支援へ寄付し、大学、短大、高等部等のボランティア活動、支援、交流のために用いられた。

④第10回東日本大震災被災地支援ボランティア・ 2016年3月9日(水)〜14日(月)学生16名3月11日宮古市東日本大震災5周年追悼式、高

齢者施設 3ヶ所(小成、桜ヶ丘、紫桐苑)大槌町波板グループホーム、第2、第3仮設集会所、重茂学童の家、宮古教会ひかり幼稚園で奉仕した。宮古教会は3月11日献堂式を実施、新会堂での演奏奉仕となった。重茂漁協ではワカメの箱詰め作業を手伝った。

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⑤チャリティ・チャペル・コンサート東日本大震災により被災された方々をおぼえて7月10日(金) 青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂出演 飯田さつき 保坂修平 中林薫平 長谷川ガク   青山学院女子短期大学 聖歌隊 ハンドベル・クワイア

⑥ナイト de ライト チャリティーライブ11月19日(木)青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂出演 ナイト de ライト

7. 2016年度活動

①熊本Blue Bird の誕生新学期を迎えた4月に熊本大地震が発生、Blue Bird メンバーが直ちに集まり「今でき

る事は祈る事と献金を集める事」と話し合い学生部と協力して学内募金活動を行った。献金は熊本のルーテル学院中学・高等学校、九州学院中学・高等学校に送られた。また短大礼拝に熊本・大分ゆかりの牧師、被災地支援をしておられる方々にメッセージをお願いし多くの学生たちと祈りを合わせた。東日本大震災被災地支援活動と合わせて、熊本の被災地にもボランティアを派遣することを本学は決定し、学生に説明会を実施、8月に宮古へ、9月に熊本へ短大ボランティアチーム Blue Bird として派遣する準備を開始した。

②第11回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月1日(月)〜8日(月) 学生24名教育支援を中心とするチーム9名と今年度から聖歌隊とハンドベル・クワイアが合同し

て再スタートしたグロリアス・クワイアを中心としたハンドベル・チーム15名の2チームが活動した。「宮古イングリッシュ・キャンプ」、「宮古ニュートン・サマースクール」重茂味まつり手伝い、重茂漁業協同組合伊藤隆一組合長講演、閉伊川水門工事研修、田老第

一、田老第三、磯鶏小学校の生徒、保護者をお招きして真崎海岸で地引網大会(田老地区復興まちづくり協議会による観光資源調査)などを実施した。ハンドベルチームは2ヶ所の高齢者施設(紫桐苑、サンホーム宮古)宮古病院、大槌町仮設住宅集会所ぬくっこサポートセンター、宮古教会、宮古教会ひかり幼稚園などで演奏奉仕と交流を実施した。

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③台風10号被害ボランテイア8月30日(木)台風10号により宮古市、岩泉

町、久慈市などは甚大な被害を受けた。「東日本大震災と台風10号による二重被災」(山本宮古市長談)状況に、熊本 Blue Bird 派遣の直前でもあり現役 Blue Bird 派遣はできなかったが、Blue Bird 卒業生と Message for 3.11のメンバー、短大教員が宮古に赴き、泥だしなどを行なった。

④第12回東日本被災地支援ボランテイア・2017年3月10日(金)〜3月14日(火) 学生14名3月11日宮古市東日本大震災6周年追悼式、宮古病院、小成デイサービスでの演奏奉仕。

宮古市内コミュニティセンターにおいてミュージックベルチームの方々とハンドベルによる交流。台風10号で被災した岩泉町の仮設住宅集会所、岩泉町立門小学校、安家小学校を訪問し演奏奉仕と交流。

8.2017年度活動

①アートでつながる壁画プロジェクト宮古との出会い、共に歩んできたことの感謝を何かで表わせないかと検討する中で、新

設される防潮堤に壁画を設置できないかと宮古市と相談したところ、宮古の復興事業の柱ともなっている岩手県初のフェリーターミナルに壁画をとの提案をいただいた。宮古と航路が結ばれる室蘭の子どもたち、青山学院のメンバー、熊本地震からの復興に励んでおられ本学の熊本での Blue Bird 活動にご協力いただいた熊本のルーテル学院生徒の皆さんと壁画を作る「アートでつながる壁画プロジェクト」が立ち上がった。これは青山学院の幼稚園から大学までの教育と研究の成果を活かした社会貢献になると認められ、青山学院から「AOYAMA VISION」を実現する事業の一つとして学院からの支援を受けることとなった。437名による484枚により宮古・青山・熊本・室蘭の人々が「つながる」事を象徴しているこの制作ワークショップを Blue Bird が担当し、2018年6月22日の壁画序幕式にも数名が出席した。

②第13回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月2日(水)〜9日(水) 学生18名田老第一中学校の震災資料室「ボイジャー」を訪問し研修。フラダンスとウクレレ演奏

を高齢者施設3ヶ所(慈苑、紫桐苑、サンホームみやこ)、重茂味まつり、宮古警察署など

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で披露。これは現地でウクレレ演奏を通して復興支援をしている「ウクレレサポート協会」の方々の要請に応えて、本学体育講師の方に特訓を受けた学生たちによる活動となった。新しい企画としてハザーも行なった。宮古では仮設住宅から復興住宅や新築した家屋に移る方々が増加しており、今までスペースの関係で入手できなかった食器などを自由に選んでいただこうとの目的で、青山学院の学生、教職員に呼びかけ

て集めた物品を出店し、多くの方々に喜んでいただいた。大槌町地域共生ホームねまれや、田老の三王団地でのお楽しみ会、「アートでつながる壁画プロジェクト」の第1回目のワークショップも宮古の小学校で実施した。

11月の青山祭(短大文化祭)において、熊本での活動と合同のパネル展示を行い、宮古の紹介および物品販売を行った。

③東日本大震災復興支援まつり201711月11日、横浜みなとみらい臨海パークを会場にした、生活クラブ生活協同組合神奈川

主催「東日本大震災復興支援まつり2017」に Blue Bird としてブースを出店した。

④第14回東日本大震災被災地支援ボランティア・2018年3月9日(金)〜13日(火) 壁画チーム10名 ハンドベルチーム16名今回は第13回に参加した「アートでつながる壁画プロジエクト」チームとグロリアス・

クワイアのハンドベルチームと大学 Message for 3.11メンバーによって活動した。山本正德宮古市長による「宮古市の復興まちづくり」講演を聞いた。住宅・道路等の整備などのハード面の復興がほぼ完了しつつあり、これからは「心のケア」などのソフト面の取り組みが求められると語られた。壁画プロジエクトチームと MF 大学生メンバーは484枚の作

品を仮枠に固定する作業を行なった。数回にわたり Blue Bird の活動拠点となっていたグリーンピア三陸みやこに建てられていた一時期最大400件もの仮設住宅も徐々に減少し、この3月末で撤去される。仮組み立ての作業は空き店舗となった共同仮設店舗を宮古市の協力により使用した。東北学院同窓会宮古支部による「東日本大震災を忘れないための写真展示会」手伝い。

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ハンドベルチームは3月11日岩手県・宮古市合同東日本大震災7周年追悼式、宮古市役所、宮古教会、宮古病院、高齢者施設4ヶ所(慈苑、桜ヶ丘、サンホームみやこ、紫桐苑)、国立宮古海上技術短期大学校などで演奏奉仕を行った。

9.2018年度活動

①第15回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月3日(金)から8日(水) 学生31名2014年以来2回目の青山学院設置学校が参加

する「2018年夏 ALL 青山宮古プロジェクト」として行われた。青山学院大学、女子短期大学、高等部、初等部生徒、家族と、今年度より始められた職員のボランティアを積極的に支援する制度を用いて学院職員5名参加による計70名のチームが「グリーンピア三陸みやこ夏祭り」前日の広報活動も兼ねた真崎海岸地引網大会、ウクレレサポート協会と協力してのコンサート、カレーパーティなどを行った。青山学院メンバー全員が集まったシェアリングは「ボランティアとは何か」について一人一人が思いを語り、分かち合い祈り合う豊かな時となった。Blue Bird は、重茂味まつり、宮古浮ボート天国、三王団地、宮古佐原公営住宅内集会所でのバザー、お楽しみコーナー等を実施した。

②第16回東日本大震災被災地支援ボランティア・2019年3月9日(土)〜13日(火)学生14名グロリアス・クワイアがハンドベルチームとして派遣された。3月11日宮古市東日本大

震災8周年追悼式、宮古教会、宮古病院、3ヶ所の高齢者施設(紫桐苑、慈苑、サンホームみやこ)国立宮古海上技術短期大学校、宮古警察等で演奏奉仕。鍬ヶ崎公民館でハンドベルワークショップ。Blue Bird の宮古におけるハンドベル奉仕が契機となり、宮古市に18年末、企業からハンドベルが寄贈された。今回は宮古市のハンドベルを用いてワークショップを行い、ハンドベルに親しんでいただく機会を持った。

③宮古市と青山学院大学・青山学院女子短期大学の包括連携に関する協定書締結2019年3月10日、宮古市庁舎において、宮古市と青山学院大学・青山学院女子短期大学

との間で包括連携に関する協定締結調印式が行われ、山本正德宮古市長、三木義一大学長、八耳俊文女子短期大学学長が協定書に署名した。

宮古市は2011年から、本学の東日本大震災被災地支援ボランティア「Blue Bird」が

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活動の拠点とさせていただいており、2014年には宮古市と本学の間で連携協定に関する協定が結ばれていました。このたびの包括連携協定によって、「オール青山ボランティア活動」や「アートでつながる壁画プロジェクト」などで継続されてきた宮古市と青山学院の交流が、女子短期大学閉学後も大学を中心として発展されることが期待されます。(あなたと青山学院 No.30)

協定書の「連携協力事項」は以下である。第1条  宮古市及び青山学院大学及び青山学

院女子短期大学は、本協定の目的を達成するため、次の各号について相互に連携し協力する。

  (1 )地域づくり、まちづくりの推進に関すること。

  (2)教育研究、文化の振興に関すること。  (3)人材育成に関すること。  (4)ボランティア活動に関すること。  (5)その他相互に連携協力することが必要と認められる事項。

10.2019年度活動

①第17回東日本大震災被災地支援ボランティア・8月2日(金)〜6日(火) 学生24名 青山学院女子短期大学の募集停止に伴い、新入生がいない中での Blue Bird の活動準備

が開始された。9名の応募者があり、グロリアス・クワイアメンバーと合わせて24名となった。青山学院大学コミュニティ人間科学部がこの年度スタートし、学部学生に宮古でボランティア活動を継続していることを紹介し、説明会を行ったところ約50名の参加者があり、18名が大学 MF3.11東北応援愛好会(当年度から)のメンバーとなった。さらに Blue

Bird と MF の卒業生7名も参加した。これは2019年3月16日に短大を会場として、「2018年夏ALL 青山プロジェクト」に参加した大学、短大、高等部、初等部ファミリー、職員の方々が

「宮古同窓会」と称して集まり、今後は夏には宮古で、3月には東京で集まろうとの提案から始まったことで活動を共にすることができた。田老「学ぶ防災」での研修から始まり、短大イベント開催・学習支援チームと MF メンバー

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はグリーンピア三陸みやこで「ALL 青山宮古夏祭り」を開催、鍬ヶ崎公民館、三王団地での「お楽しみ会」、宮古市内4ヶ所(宮古・山口・鍬ヶ崎・田老)「学童の家」で学習支援を行なった。ハンドベルチームは宮古市に寄贈されたハンドベルを用いてのコンサートやワークショップを宮古市複合施設イーストピアみやこ、鍬ヶ崎公民館で行い、宮古教会、2ヶ所(サンホームみやこ・慈苑)高齢者施設、宮古病院で行った。

これまで Blue Bird の活動の拠点となり、様々なご協力をいただいグリーンぴあ三陸みやこへの感謝の思いを込めて、はなみずきの記念植樹を行なった。また高等部の宮古交流プログラム参加者、Blue Bird、MF と卒業生が集まってシェアリングを行った。

山本宮古市長による「宮古市の将来に向かって」と題する講演会が行われ、MF メンバーからは「復興で地域の子どもたちのために取り組んだことは何か」「災害弱者と言われる方々に対してどのような支援をしてきたかとこれからの取り組みについて」「震災の記憶の伝承・継承にあたって困難なこと、我々に期待していること」などの質問が出された。山本市長は関心を持ち続けること、関わり続けることを大事にしてほしい、これからは特に地域の誰をも孤独にさせないことが大事、そのためにも共に歩んで行きたいと学生にメッセージを送った。

グロリアス・クワイアには、震災後の夏から Blue Bird として宮古市でボランティア活動を重ねてきた歴史があり、今年の三月には本学の活動がもとになり、宮古市にハンドベルが寄贈されました。私たちは現在、この宮古市のハンドベルを奏で、市内の病院や施設等で演奏奉仕を行っています。今後はハンドベルの持ち主である宮古市民の皆様に奏でていただく機会が増え、人々を繋ぐ一つのツールとしてこのハンドベルが働いてゆくよう私たちは願っています。そのために私たちにできることを考え、今回はハンドベルのワークショップを開催しました。ワークショップを通して、宮古市の方々とハンドベルで一つのハーモニーを創り上げることができたことは、私たちにとってとても大きな感動でした。私の大好きなハンドベルの魅力と可能性を宮古の方々へお伝えし、ハンドベルが宮古市と結びつき働いてゆくために、私たちに何ができるのか隊員と共にこれからも考え、次回の活動に繋げていきたいと思います。(感想より)

今回初めて宮古を訪問し貴重な経験となった一方、不足点も多くみられた。来年以降宮古を訪れる際は今回のようにただ計画に沿ってついていくだけでなく自分達で何ができるかを考え、より能動的に活動したい。また、そうやって一年間問い続け出来ることを考えることで宮古の方々の何か支えになれるようになりたい。(大学生感想より)

「学ぶ防災」や市長のお話を聞く中で、宮古市全体の「減災」に努める姿勢が印象的

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でした。防潮堤の建設で海が見えなくなってきていることは、現地に行かないとわからなかったことなので、報道のしづらい事実を私たちは伝えなければならないと思います。コミュニティ人間科学部の学生としては、宮古の街全体が教科書となって自分たちの学びを深めてくれました。大学 OB の方が「宮古は中毒性があるんだよ。」とおっしゃっていました、帰った今、改めてそう思います。交流人口になるということは、また行きたくなる居場所がそこにある、と思えることかもしれません。しかし今回のボランティアができる環境は先生先輩方が積み上げてきたものなので、次回はより一層力になれるよう頑張りたいです。MF3.11が宮古にどんな刺激を与えられるか楽しみです。とにかく今回は、チーム青山と宮古の繋がりの強さに圧倒されました。

(大学生感想より)

おわりに−共に生きる・共に祈る

宮古市東日本大震災復興計画では、2011年度から2013年度までを「復旧期」、2014年度から2016年度を「再生期」、2017年度から2019年度を「発展期」としている7)。この8年間、Blue Bird は「東日本大震災被災地支援ボランティア」として宮古の方々と共に歩んできた。復旧期における「支援」から、現地の方々と交流し、共に行動することで新たな関係性を構築し、人と人とのつながりを深める8)「協働」へと活動は移行した。その実りの一つが「包括連携に関する協定締結」である。また現地での研修を重視し、活動を通して多くの学びを与えられているということからも「ボランティア」から「サービス・ラーニングの実践」へと移行した Blue Bird の特徴を以下2点挙げる。

第1は「共生」の実践としてのボランティア活動と位置づけてきた点である。2012年度の改組により、本学では現代教養コア科目群「女性と現代(自分を知る)」「共生(他者とつながる)」「表現(発信しコミュニケートする)」を開講し、初年度、現代教養学科では新入生に向けてそれぞれの科目群の学びに向けた基本姿勢を身につけることを目標とした

「現代教養コア入門」が行われた。「共生」における「共に生きる-キリスト教の観点から」の授業において、Blue Bird の上級生が被災地の現状を伝え、自分たちが宮古から学んだことを紹介し、つながりを継承してほしいとのメッセージを送った。そしてボランティアの原型(自発性・無償性・匿名性等)とも言える聖書の「善いサマリア人」(ルカによる福音書10章25節)を通して、倒れている人の傷、痛みを自分の痛みとし、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマの信徒への手紙12章15節)、「共に生きる」ための学びの場がこの短大であると伝えた。Blue Bird の歩みを振り返ると、メンバーの報告や感想に「共に」という思いが多くみられる。「ボランティアとは、何らかの具体的な行動を通してだけ、人と人とが結びついていることである。それまで互いに知らなかった人が、共同で新しい行動を実現させている」9)。本当の「絆」は「傷」を通して結ばれる。大震災、津波という傷を通して出会った者たちが、その傷を共に痛み、癒し癒される喜びを分かち

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合うことによって本当の「きずな」というつながりで結ばれることを Blue Bird は宮古で学んだ。

第2は、キリスト教学校のボランティア活動として、祈りと、つながりと、深まりが与えられたという点である。活動の終わりのシェアリングでそれぞれの思いや学びを分かち合い、終わりに祈りを持って一つとされることを大事にしてきた。「鎮魂の祈り」における奉仕から始まって、追悼式という祈りの場において教会の楽器であるハンドベルが祈りを持って演奏奉仕を重ねてきた。同じキリスト教信仰に立つ東北学院と青山学院とのつながりの中で出会った千葉さんをはじめとした東北学院卒業生を中心とした現地の方々、宮古教会をはじめとする諸教会、YMCA の協力、支援によってこの活動は支えられてきた。

「愛と奉仕の精神」で結ばれ、被災地と共に生きる祈りを共にする青山学院全体の横断的な協力体制、短大宗教活動センターが派遣に関わる業務を一貫して担ってきたことなどがこの活動の継続を可能とした。

Blue Bird の活動は現在のところ、2021年3月、東日本大震災10年を迎えるこの時まで奉仕を継続する予定である。Blue Bird が描いてきた軌跡を今後大学教育と学院全体のなかで引き継ぎ、形を変えてもさらに豊かに展開していくことが、共に歩んできた者としての使命であり、祈りである。

注 1)佐藤飛文「高校生たちと被災地ボランティアに行って」、『東日本大震災と子ども・教育』

(2012)桐書房178-179 2)谷本信也「何をなすべきか、何ができるのか-報告書を出すに当たって」(2011)青山学

院女子短期大学東日本大震災被災地支援ボランティア活動報告書 3)「震災の中で生きる教会」、『日本基督教団東日本救援対策本部全活動記録』(2018)日本基

督教団76 4)千葉胤嗣「究極の遺体身元照合ボランティア」、『3.11慟哭の記録 71人が体感した大津波・

原発・巨大地震』(2012)新曜社 240-242 5)『みずさき68号』(2014)青山学院女子短期大学宗教活動委員会99 6)八耳俊文「宮古市と連携協力の協定を締結」、『みずさき69号』(2015)同上77 7)「宮古市大震災からの復興 これまでの8年間と今後の取り組み」 https://www.city.miyako.iwate.jp/data/open/cnt/3/6789/1/fukkou_2019_web.pdf 8)杉浦健「学生ボランテイアを支える協働プラットホームと災害支援」、『災害ボランティア

入門-実践から学ぶ災害ソーシャルワーク』(2018)ミネルヴァ書房152 9)原田隆司『ボランティアという人間関係』(2000)世界思想社82

参考文献青山学院女子短期大学宗教活動委員会 『みずさき』66-73号(2012-2018)青山学院本部広報部『青山学報』237-266号(2011-2019)

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早稲田大学・震災復興研究論集編集委員会『震災後に考える-東日本大震災と向き合う92の分析と提言』(2015)早稲田大学出版部

田村正勝『ボランティア論-共生の理念と実践』(2009)ミネルヴァ書房桜井政成・津止正敏『ボランティア教育の新地平-サービスラーニングの原理と実践』(2009)

ミネルヴァ書房

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Blue Bird’s Trajectory―Overview and outlook in respect of the volunteer response

of Aoyama Gakuin Women’s Junior College in support of recovery for the area stricken by the Great East Japan

Earthquake ―

Yasuko YOSHIOKA

Since Aoyama Gakuin Women’s Junior College dispatched the first student volunteer team, Blue Bird, to the area affected by the Great East Japan Earthquake in July 2011 to the dispatch of the 17th team in August 2019, approx. 400 students from the junior college have taken part in these volunteer activities. The activities are on going and centered on Miyako City, Iwate Prefecture. In 2014, Aoyama Gakuin Women’s Junior College and Miyako City concluded a collaboration agreement for the purpose of collaborating through activities in areas such as education, culture, and industry, and in 2019, Aoyama Gakuin University concluded a comprehensive partnership agreement with Miyako City. Over the course of time, the nature of these activities shifted from activity-based support to exchange-based support; from one-way support to mutual support; and from voluntary-based support to service learning-based support.

The provision of ongoing support has been made possible by the junior college status of the volunteer team, the presence of powerful supporters able to coordinate activities to meet local needs, the Christian school network and prayers, and the participation and cooperation of both Aoyama Gakuin Women's Junior College alumni and Aoyama Gakuin as a whole.

Keywords : Great East Japan Earthquake, Blue Bird, Miyako, coexistence, handbell