dilthey meta heory the sciences ito

12
the Japan Association for Philosophy of Science NII-Electronic Library Service the Japan Assooiation for Philosophy of Soienoe 論文】科学 礎論研 VoL40 No 1 2012 43 一・ 54 心理学 人間科学 のメ タ理 ルタ イ心理 Dilthey s P ychology as Meta heoryof Psychology and the HuInan Sciences Naoki ITO Abstract In this paper I will exp ore the metatheory in psychology alld human science in relation to Dilthey s psychology I will utilize two methods First I will examine Dilthey s psychQlogy iTllate 19th century Gci IIlany I have follndthat Dilthe s psychology ha s two characteristics not Qnly empirical ps5vchology but also metatbeory of psychology However due to this alnbiguity lis p5ychology was criticized by both psycholQgists and philosophers in hisday And at the same time the metatheory which llis psychology colltailled vanished from the main stream of psychology Second I will rcconsider Dilt le s psychology from thcse tw 〔} characteristics His cmpirica psycho1Qgy isthe foundatioll of various sciell ⊂℃ s illthat t stands bctween the sciences and their obje (: tOn the other hand his meta psychology prQvides a principle t{, llis psychology which is considered a basic science As a result Dilthey s meta psychology opens up a world of a person ceIltered point of vicw to psycllology and the human sciences 心珊学 人問 科学 メタ理 新展開 関し本稿 史的 視点 から 考察 を試 み る考察 紀末 心理 学および哲学 状況 なか ず く哲学者 W Wilhelm Dithey 1833 1911 L 心理 複数 ダイ もとにあると われ る ダイ 淵源 心理 科学 部門 とし立 した とそれ 白体 うち に胚 胎 し たと すな 理学が ひと 自然 科 学 して び 立 と う とす る さ 取 り落 幾多 ま再び拾 としして のよ 躍が 生 じたドイー一 九匿紀末 のこ ありそれは 哲学 しは 学 部」か ら 分離をとお して われた と もそ れ は 円 満 行な われ な 哲学 対す 論争 ある 心理学 さらに問 火し哲学内部 論争 ので したが れら おけ 論点 Z せる とは 現在 心埋学に 理論的考察 顧みる き視 座 を提 供 する とと tt では 九世 心理学を 「戦況」 き出 しみた れ を踏 まィル タイ考察 イ心 理 学 が 10 なか 批判 の的とな 心理学 経験 心理 側向 メタ11 勺な心理 学 面性 たか らで れを明らか する おし タイ 心理学 的世 を開 く人間科 論とし性格 とを 1 世紀末 心理学 状況と W 丿 タイ 位置 法政 大学非常勤講師 E mail itounaok ◎ nift com ドイ 思想 転回点 大局 的に るなら ドイ 観念論 とく哲学 体系 43 N 工工 Eleotronio Library

Upload: others

Post on 11-Apr-2022

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

【論文】科学基 礎論研究 VoL40, No .1 〔2012) 43.一・54

心理学 ・人間科学の メ タ理論 と して の デ ィ ル タ イ心理 学

伊 藤 直 樹*

Dilthey,s P$ychology  as Meta七heory of Psychology and  the HuInan  Sciences

Naoki  ITO *

Abstract

  In this paper , I will  exp !ore  the metatheory  in psychology alld  human  science  in relation  to

Dilthey’

s psychology . I will   utilize  two  methods .

  First, I will  examine  Dilthey’s psychQlogy iTl late 19th−century  Gci・IIlany , I ha,ve  follnd that

Diltheゾ s psychology  ha.s two  characteristics ;not  Qnly  empirical  ps5vchology but also  metatbeory

of  psychology. However , due to this alnbiguity 上lis p5ychology was  criticized  by both psycholQgists

and  philosophers  in his dayし And  at the same  time , the metatheory  which  llis psychology  colltailled

vanished  from the  main  stream  of  psychology.

  Second, I will  rcconsider  Dilt止le ゾs psychology  from thcse tw 〔} characteristics .  His cmpirica !

psycho1Qgy  is the foundatioll of various  sciell⊂℃ s ill that 三t stands  bctween the sciences  and  their

obje (:t.  On  the other  hand , his meta −psychology  prQvides a  principle t{, llis psychology which  is

considered  a basic science . As a. result ., Dilthey’

s meta −psychology  opens  up  a world  of a  person −

ceIltered  point of  vicw  to psycllology and  the  human  sciences .

 心珊学・人問科学メ タ 理論 の 新展開とい うテ

ーマ に

関 し、本稿 は、歴史的な視点からの 考察を試みる。そ の

さい 、考察の 対.象 とす る の は

・九 世紀末の ドイ ツ の 心理

学お よび哲学 の 状況、なか んず く哲学者 W ・デ ィ ル タ

イ (Wilhelm  Di!they ;1833 −1911 ) の ’L・理学で あ る。

 現在 、 心理学は複数の パ ラ ダ イ ム の も と に あ る と言

わ れ る 。 が 、そ の 多パ ラ ダイ ム 化 の 淵源 は、心理学が

科学 の一

部門として独立 した こ とそれ 白体の うちにす

で に胚 胎 して い たと言 っ て よい だ ろ う。す なわ ち、心

理学が ひ と つ の 自然科学と し て飛び立 とうとす るさい

に 取 り落 と した幾多の もの が 、い ま再び拾 い 集 め られ

ようとして い る の で あ る 。 そ して 、こ の ような飛躍が

生 じたの が、ドイッー一九匿紀末の こ とであ り、 それは、

哲学な い しは 「哲学部」か らの 分離独立 をとお して行な

わ れ た の で ある 。 もっ と もそれは円満 に は 行 な わ れ な

か っ た 。 哲学 に 対する論争や 、あるい は心理学内部 で

の 論争、さ ら に 問 題 は 飛 び 火 し、哲学内部で の 論争な

ど もと もな うもの で あ っ た。したが っ て、こ れ らの 論

争 に おけ る論点を際、Zたせ る こ とは、現在の 心埋学 に

お ける メ タ理論的考察 に対 し、顧 み る べ き視座 を提供

す る こ と と な ろ う tt 以 下 で は まず、こ の・九世紀末 の

心理学をめ ぐる 、言 わ ば 「戦況」を描き出 して みた い 。

次い で 、こ れ を踏 まえ、デ ィ ル タ イ心 理 学を考察す る 。

デ ィ ル タ イ心理学が、一九 10紀 末の状況 の なか で 批判

の 的 と な っ た の は 、彼 の 心理学 の うちに 、経験心理学

的 な 側向 と メ タ理論11勺な心理学 との 二 面性 が あ っ た か

ら である 。 こ れを明 らか にす る こ と を と お して、デ ィ

ル タ イ 心理学 が 、人 称的世界を開 く人間科・学 の メ タ 理

論 として の 性格 を もっ て い る こ とを示 した い 。

1. 一九世紀末の 心理学 の 状況 と W ・デ ィ 丿レタイ

   の 位置

*法 政 大学非常勤講師

E−mail : itounaok◎ nift }・,com

 一九 世紀 ド イ ッ 思想 の 転回点 は、大局 的 に 見 る な ら

ば、ド イ ッ 観念論 、とくに ヘー

ゲ ル の 哲学体系が力を

43 一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 2: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

44 科 学 基 礎 論 研 究 2012

  旧 世代 の 心 理学者

     ヴン トなど

実験 の位置 : 自己観 察 に 制限す る

心 理 学 の 位置 :精神科学 に属する

1 心理学 内部で の 対立

若き世代の 心理学者たち

  エ ビン グハ ウ ス ; キ ュ ル ペ な ど

   実験 の 適用領域 を拡大

   自然 科学 に 属 する

L・.       ■占

tl .     、”■

矼 心 理 学 VS 哲学

              皿 哲学 内部で の 対立

ヴ ィ ン デ ル バ ン ト、リ ッ カ ー ト        心 理 学は 、精神科学 に 属す

図 1

喪 っ た とい う点 に求める こ とがで きる1

。 こ の 思弁的な

哲学 は、認識 と存在との 同一

性 を な すそ の 体系に お い

て 、世界全体を知と して と ら え よ うと した 。 しか しこ

の 哲学は、自然科学の 隆盛の なか で 数多 くの 問題点 を

あ ら わ に す る よ うに な る 。 そ こ で 求 め られた の が 、 牛

理 学 ・心理学 を モ デ ル に したあ らたな哲学 、 す なわち

「認識論 Erkenntllistheorie」 と 呼 ば れ る もの で あ る 。

1カ ン トに帰 れ 」 と い うか け声 は 、こ の なか で 発せ ら れ

た もの で ある 。 他 方 で、こ の ような哲学的、すなわち

「メ タ理論 的」な問 い かけ と並行 して 、心理学それ 自体

も ま た、自然科学 と して の 発展 を遂げ て ゆ く。 こ こ で

あげるべ きは、周知 の W ・ヴ ン ト (Wilhelm WuIldt;

1832−1920)の ラ イプ ツ イ ヒ 大学 で の 実験室 の 開設 で

あ ろ うが 、こ の 出来事は 、たん に心理学 の 理論上 の 発

展の み な らず、他の 自然 諸科学 と同様に、心 理学 もま

た学 と して の 制度化 ・専 門 化 へ と遅 れ ばせ な が ら進 ん

で い っ た こ と を意味 して い る、,そ し て、こ の よ うな一

方で の 心理学 をモ デ ル とした哲学的、メ タ理 論的な 問

題設定 と、他方 で の 心 理 学そ れ 自体 の 自然科 学 と して

の 独立 へ の歩み とが先鋭的な対立状況 を呈 して くる の

が、一九世紀末で ある 。 こ れ は 、広 く言えば、心 理 学

1以 トの 記述 に つ い て は 、(SchnEdelba.ch  l893

, pp、88)、

(Cassirer 1973 , p .11)を 参照 の こ と。

一’i・d

と哲学との対.立 と して あら われ て くる。こ こで は、そ

れ を三 つ の 戦 線に よ っ て 示 して お こ う (図 1)。

  1.1 第一の戦線一心理学内部 での 対立

  ひ とつ め の 対立 は、一八九1一年に 出版され た キ ュ ル ペ

(Oswald KUIpe ; 1862− 1915) の Grundriss der Psy−

chologi 〔}、あるい は エ ビ ン グハ ウス (Hcrmann  Ebbing−

haus;1850 − 1909 )の GrundzUge  der Psychologie(一

八九七年)な どに よっ て引き起こ さ れ た 、1日世代 VS

新世代 とい う心理学内部で の 対 立 で あ る2、旧 世代 に

属する ヴ ン トは 、心理学 の 実験科学化 を推 し進め つ つ

も、一

八 八一

年に 発刊 した 雑誌 の タイ トル 「哲学研究

philosophische  Studien』が示す ように、心 理学と柝学

と の 結 び つ きを強 く意識 して い た,t そ れ に対 し、その

後 の 世代 で あるキ ュ ル ベ 、エ ビ ン グハ ウス ら は、心埋学

を哲学 か ら独立 さ せ よ うとす る 。 そ こ で 先鋭化 され る

の が、実験 の 位 置を め ぐる 論点で あ る 。 ヴ ン トは心理

学 の 実験科学化 を推 し進め た が 、しか しあ くまで 実験

的方法は 自己 観察の 領域 に 制限 され、高次 の 心的現象

2こ の 対 立 は、キ ュ ル ペ が 、一

八 九 三 年 の“GrundI ・iss

der Psychologie”にお い て 反 ヴ ン ト的な心理 学把握 を

行 なっ た こ とを発端 とする が、こ の 点につ い て の 詳細、ま

たそ れ 以後 の 展 開 に つ い て は、(Danziger 1979)、(Ash1980)を参照 の こ と。

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 3: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

Vol.40  No .1 心 理 学 ・人 問科学の メ タ 理 論 と して の デ ィ ル タ イ心 理 学 (伊藤1 45

に は適用 さ れ な か っ た 。 そ れ に 対 し、キ ュ ル ベ 、エ ビ

ン グハ ウス は、こ の 制限を撤廃 し、ある意味で は実験は

無限 に 拡張 口∫能 で あ る と さえ述べ て い る (KUIpe 1893,

pp .13)。こ の 対立点 をさら に押 しすす め れ ば

、 心 理学

と哲学 との 関係を どうとらえ る か とい う問題 とな る 。

そ れ を焦点 と した の が 、次に 見 る第二 の 戦線で あ る 。

  1.2 第 二 の 戦線  心理学 VS 哲学

 第二 の 戦線は 、心理学と哲学と の 対立、なか で も 、 哲

学者デ ィ ル タ イと心理学者エ ビ ン グハ ウ ス との 論争を

あげる こ とが で きる3

。 こ こ で の 論点は、心理学 の 位置

を め ぐっ て い る . 哲学史 E、デ ィ ル タ イの 思想 は、解釈

学、生 の 哲学 とい っ た 仕方 で 特徴 づ け られ る が、その 思

想 の 中期 と呼ば れ る 時期 に お い て は、自らの 思想 の う

ち に 心理学 を取 り込 ん で い た。デ ィ ル タ イは、心理学

を精神科学に属す る もの とみな して い た の で あ る 。こ

の 点で は、そ の 内実は 異 な る もの の ヴ ン ト もまた 同 じ

だ と言 っ て よ い (WLmdt  1901 ,pp ,19)。 他方で 、記憶

研究 で 知 られ る エ ビ ン グ ハ ウ ス は、心理学 を自然科学

に 属す る もの と み な して い る。エ ビ ン グハ ウ ス は 、こ

の 立場に 立 つ こ とに よ っ て 、心理学 をひ とつ の 経験科

学 と して 哲学 部 か ら独 立 さ せ よ うとす る、,こ の 方向 は 、

そ の後の 第二 次大戦後の 北米で の 心理 学の展開と 、 す

くな くと も学の位置づ け に関して は同じもの で あ る と

言え る だ ろ う。 デ ィ ル タ イ とエ ビ ン グ ハ ウ ス は 、デ ィ

ル タ イが一八 九 五年に刊 行 した 「記述 的分析的心理学

の 構想』 に お い て 行な っ た 、当時 の 自然科学的心理学

へ の 批判 を発端 に して 、対決す る こ と に な る.こ の 論

争 の 特徴 は、心理学 の とらえ方 に かかわるだけ で な く、

心理学と哲学 との 争 い 、言 わば 「学部 の 争 い 」 を呈 し

3デ ィ ル タ イは

一八 九五 年 に 「記述 的分 析的心 理 学の 構

想』を刊行 し、そ れ をエ ビ ン グハ ウ ス を含 む 何人 か に

献呈 し た 。エ ビ ン グ ハ ウ ス か ら 同年十月「 七 凵に 、こ

の 論 文 に対 す る礼 状 と、「説 明 的 心 理 学 と記 述 的心 理

学に つ い て 」 とい う論 文 の 見本刷 が デ ィ ル タ イに 送 ら

れ る .:が、こ の 礼状 と論文は デ ィ ル タ イに 対する 厳 し

い 批 判 を内 容 とす る も の だ っ た。こ の 論 文 は、そ の 翌

年、Z 副 5C 加 赧 ノ伽 Psyehologie  und  Physiologie der

Si,nnesOrgam ,e に掲載 され る。 デ ィル タ イは、こ の か つ

て の 同僚か らの 思い が けない 批判 に 驚き、憔悴 し、結局

それ まで 『記述的分析的心 理 学』 の 続編 と して 構想 し

て い た もの を 大幅 に 縮小 し、「個 別 性研 究 に つ い て の 論

考」 と題 し、末尾 に エ ビ ン グハ ウ ス の 書 評 に 対 す る コ

メ ン ト を付 し て 出 版す る こ とに な る 。こ れ が 、デ ィ ル

 タイ エ ビ ン グハ ウス 論 争 と呼ばれ る もの で ある。こ の

事実上 の 経緯 1こつ い て は、〔伊 藤 2008)を参照 の こ と。

て い た点に もあ る4

。エ ビ ン グハ ウ ス の デ ィ ル タ イ批判

が、容赦の ない 厳 しい もの であ っ た の は、ほかな らぬ

ベ ル リ ン 大学哲学部正教授 W ・デ ィ ル タ イが 、 心理学

へ と領域侵犯す る こ とに向けられ て い た の で あ る 。

  1.3 第三 の戦線  哲学内部での 対立

 上 述 の 対’立 を、言 わ ば哲学の 内部 に織 り込 ん だ もの

が、第三 の 戦線 で あ る.こ れ は 、哲学内部 で の 新カ ン

ト派 とデ ィ ル タ イとの対立 と して 現 われ る。よ く知 ら

れ て い る ように ヴ ィ ン デ ル バ ン ト (Wilheh エl Willdeレ

band : 1848 − 1915 )は 、 ・八 九 四年の 講演 [歴 史と自然

科学」に お い て、法則定立的な学と個性記述的な学 とい

う学 の 区分 を打 ち出 した u 重 要なの は、こ の 区分 が 何

を狙 っ て い た か と い う こ とで あ る 。 そ れ は 、筆者 が 見

る と こ ろ で は 、二 つ あ る。ひ とつ は、心理学 を法則定

立 的な学 に 属せ しめ、い わばそ の 勢 い を削 ぐこ と に あ

る.、一

九世紀末は 、ヒで あげた ようなエ ビ ン グ ハ ウ ス

な どの 自然科学的心理 学が 、圧 倒的な勢 い で哲学部を

浸食 し始 め て い た 。 そ れ に 対処す る た め に 、心理学 を、

法則定立的な学 と して 、また 自然科学 と して 認 め る と

同時 に 、哲学 の 、あるい は 歴 史科学 の 外部 に 位置 づ け

た の で あ る 。 そ して もう つ の 狷い は 、 白然科学的心

埋学 よりい っ そ う危惧す べ き方向性 、す なわち、哲学

の 陣営 に 立ちなが ら、哲学内部に 心理学 をヴ墜 入れ よ

うとする 企 て を斥ける こ とで あ る 。こ こ で は 、名指 し

は さ れ て い な い もの の 、明らか に デ ィ ル タ イが 、そ し

て また ヴ ン トが 攻撃対象と な っ て い る゜

。 こ の 批判は 、

さらにリ ッ カートに よ っ て 引 き継が れ る こ と に な る 。

もっ と も、こ こ で 新 カ ン ト派 に よ っ て 主題 に され て い

た の は、ハ イデ ガ ーが鋭 く指摘す る よ うに、「科学的言

明の 論理的構造へ の問い 」(Heldegger [979, p .20)に

す ぎず、「新 カ ン ト派は本当に実証主義者とその グラ ウ

ン ドで 戦 っ た こ と に は な ら な か っ た」(Hughes l 958,

邦訳 p ./31)と言っ て よい だ ろ う。

1.4 デ ィ ル タ イ の 位 置

さて 、以 ヒの よ うに、 ・九 世紀末 の 心理学 、ある い

4 こ こ に 関わ っ て くる の は 、「影の 文部大 臣 」 と も呼 ば

れ、い わ ゆ る 「ア ル トホーフ体制」 を敷い た、プ ロ イ セ

 ン の 文部 省 の 官僚 、ア ル トホー

フ (Friedrich Althofl.,

1839−1908)で あ る 。 ア ル トホー・フ 自身に つ い て は、(潮

木 1993)を、また そ こ で な され た W“’sg. enschaft .gpolitik

に つ い て は、(Brocke l991)を参照の こ と 。

5こ の 論 争の 意義 につ い て は 、(伊藤 2009)を参照の こ

 と,、

一 45一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 4: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

46 科 学 基 礎 論 研 究 2012

は そ れ に対する哲学 との論争.状 況を整理 して み る と、

と りわ け デ ィ ル タ イ が 、は な は だ分 の悪い 立 場 に 立 っ

て い る こ と が 分 か る 。 ・方 で は心理学か ら批判 さ れ 、

他 方で は 哲 学内部 か ら も批判 さ れ て い る。な ぜ そうい

うこ と に なるかと言えば、まずは、哲学者 デ ィル タイ

が 心 理 学を説い て い る とい う点に あ る 。 た とえば、エ

ビ ン グ ハ ウ ス は 、デ ィ ル タ イ批判 の論文に 同封 し た手

紙 の な か で 、もは や 「よ そ者」で あ る の に、い まだ教

師ぶ っ て 心 理学 に 言及す る デ ィ ル タ イ を な じっ て い る

(Ebbinghaus 1895, p.228)。.が、それ は 、デ ィ ル タイ

の 心理学 の 特異性 がそ う させ て い る と 胥 っ て もよ い 。

すなわ ち 、 心理学と哲学 と い う二 つ の 立場が 、 心 理 学

の なか で の 二 面性と して あ らわれ る の で あ る 。 デ ィ ル

タ イは 、自ら の 心理 学を 「記述的分析的心理 学」と呼ぶ

が 、こ れ は 一方 で は 経験科学 と して の それだ と言 うこ

とが で き、かつ また こ れが精神諸科学 の 基礎学 の 役割

も果 た す。他方 で 、デ ィ ル タ イは 、こ の 経験科学 と し

て の 心理学 に つ い て 認識論 的な基礎 づ けを行な う。こ

れは、メ タ理論的 な企 て で ある と言 っ て よい 。デ ィ ル

タ イが言 うとこ ろ の 「歴史的理性批判」は、こ の 心理学

の 二 面性 をうち に も っ て い る の で ある 。 こ こ で は 、 こ

の 二 面性 に つ い て の 考察は次節に まわ し、デ ィ ル タ イ

とエ ビ ン グ ハ ウ ス の あ い だ で の 論争 の その 後 の 経緯に

つ い て 見て お こ う、 端的に言 えば、こ の 論争の 結果 は、

デ ィ ル タ イの 「負け」 の よ う に思 わ れ て い た。た と え

ば 、後に デ ィ ル タ イ心理学を高 く評価す る フ ッ サー

で す ら、当時は、デ ィ ル タ イの 心理学書は読まな くとも

よ い と考えて い た (Husserl /968, p,34)。 しか し、裏

を返せ ば、こ の よ うな心理学の 「勝利」は 、デ ィ ル タ

イ的な心理 学、すな わ ち、心理学 の メ タ 理論的問 い の

排斥 で も あ る 。 後 の 、北米 を 舞台 と し た 心 理 学史 の メ

イ ン ス トリーム で は 、こ うした 問 い は 、表 立 っ て 問 わ

れ る こ とは な くな っ て ゆ く。た だ し、こ こ で付け加 え

て お きた い の は、必 ず しもデ ィ ル タ イが孤立無援 だ っ

た の で は ない とい う こ とで あ る。た とえばす で に ふ れ

たよう に、ヴ ン トは、デ ィ ル タイ と同様に、心理学を

精神科学 に属する もの と見な し、か つ 学の 基礎づ け と

い う論点 も保持 して い た 。 「民族心理学」の方法的自覚

は そ こ にあっ た と言 える だ ろ う6

。 ある い は ジ ェー

ム ズ

6も っ と も、デ ィ ル タ イ と ヴ ン トとの あい だ に は 大 きな

相違 もあ る 。 た と えば、ヴ ン トの 琿論が 、一貫 して 「機

械論的 ・分 析加算の 論理 の 枠」に 留ま る の に対.し (高橋

p.211)、デ ィ ル タ イの 心理学 は 「構造」概念を中心 と し

た 有機 体論 的論 理 を と る。

〔William Jalnes,1842−1910)は、こ の 論 争 に さい し

て、デ ィ ル タ イ に、言わ ば援軍 の手紙を送 っ た と言わ

れ て い る (Rodi  2003, p ]82)。 しか し結局、デ ィ ル タ

イ 自身は 、九 六 年秋 に ミ ュ ン ヘ ン で 開催 さ れ る 国際 心

理学会 で 、自 らの 立場 を弁護す る機会 を持 ち得 た もの

の 、エ ビ ン グ ハ ウ ス とは同席 した くない とい う理 由か

ら そ れ を拒絶し (Dilthey 1923 , p .210)、 後に発表さ れ

た論文で わずか に コ メ ン トを残 し た に とどまっ た の で

あ る 。

2. デ ィ ル タ イ心理学の 二 面性

 以 Eの よ うな心 理 学に つ い て の 歴史的状況を踏まえ 、

以 1・.で は 、デ ィ ル タ イ の 心 理学が もつ 二 面性に つ い て

考察する 。 先 にふ れ た ように、一九 世紀 末の 心理学史

の 状況 におい て、デ ィ ル タイの 立場が危うい 立場 に陥 っ

た の は、その 心理学が、二 面的な性格 をも っ て い た ゆ

えで あ っ た。デ ィ ル タ イ の 心理学は・方 で は、記述

一分

析 を力法 とし、人間 の 心的生 を、同型的な構造 として 、

あ る い は 類型 と して とらえ る経験科学 と して の 側面 を

もつ。 こ の心理 学は 、 精神諸科学の基礎学とな る 。 し

か し他方で 、デ ィ ル タ イ に お い て 、こ の 心 理学が 、「心

理学的分析」(V , p.130 )7に よ っ て 、認識論的 に基礎 づ

けられる 。 後者の 側面 を、こ こ で は メ タ理論 と して の

心琿学 と呼 ん で お きた い 。

  も っ と も、こ の よ うな心理学 の 二 面性は

、 事態をい

たずらに複雑に す る ように 思われ る か もしれな い。 と

い うの も、前者の経験的心 殫学 (的側面)が 、認識論

的、メ タ理論的に基礎づ けられ る の で ある か ら、一方

を 「心理学」とし、他方を 「認識論」と整理すれ ば、よ

りわ か りや す い もの と な る で あ ろ うか らで あ る 。 しか

し、こ の よ う に把握 して しまう と、デ ィ ル タ イ自身が

置かれ て い た歴史的状況 を覆 い 隠 して しまう こ とに な

る。

と い うの も 、 認識論 Erkenntnistheorieとい う語

の 歴史的由来が示すよ うに 、

一九世紀後半に お い て認

識論と心理学は、かな らず しも明確に区分さ れた概念

で は なか っ た 。 ほ か な らぬ 前節 で 見 た、心理学 をめ ぐ

る論争状況 は、こ の 両者の 位置づ けをめ ぐっ て 争わ れ

て い る と見 る こ と もで きよ う。さら に、デ ィ ル タイ自      s     x     h  ,  1

身、自らの 心理学/認識論 を形成す る プ ロ セ ス で 、心

理学的 な知見を、固有の しかたで 摂取 して い る8

。 それ

一 46一

7 以 ト、デ ィ ル タ イか らの 引用 に つ い て は、(Dilthey lgl4−

2007)の 巻数 と頁数を文中 に記 す。8 こ れ に つ い て は、(伊

’藤 2007)を参照 の こ と 。

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 5: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

Vol,40   No .1 心 理 学 ・人 間 科 学 の メ タ 理論 と して の デ ィル タ イ心 理 学 (伊 藤 ) 47

は、たとえば新 カ ン ト派が、心理学 の 内実 とは無縁 な

論理 的区分に もとつ い て 心理 学を位置づ けたの と は異

な り、デ ィ ル タ イの 心理 学的思索の 核心で行なわ れ て

い る。本稿 で 、心 理 学 の 二 面性 と い う、や や もす れ ば

誤解 され るおそれの あ る特徴 づ け に 固執す るの は、こ

の ような理 由に よる。で は、こ の 二 面性 とは、い かな

る もの か 。 以 下 で は、まずは そ の 経験的心理学を、次

い で メ タ 理論 と して の 心理学を見て ゆ くこ と にする 。

 2,1  経験科学 としての心理学

 デ ィ ル タイ は、『記述的分析的心理学 の 構想』とい う

論文の なか で、 自らの 心 理 学を 「記述 的分析的心 理 学」

と名づ ける 。 他方で 、 同時代の心理 学の 主傾向を 「説

明的心理 学」 と呼び、そ れ を厳し く批判する 。エ ビン

グハ ウ ス の 心理学 は こ れ に属す ると言っ て よい 。 説明

的心理学 とは、「.義 的 に規定 され た

一定数 の 要素 を用

い て、心的生 の 現象 を因果連関 に従属 させ よ う とす る」

(V , p.139)もの で あ る 。 しか し、こ れは結果的 に 、 多

くの 仮説を作 り出す に す ぎな い もの とな る 。エ ビ ン グ

ハ ウ ス の 厳 しい 反批判 は 、こ の よ うな 心 理 学把握に 向

け られて い た の で あ る 。 た だ し、こ こ で 見 て お きた い

の は む しろ 、なぜ 説明的心琿学 は 仮説構成的 に な る の

か とい うデ ィ ル タ イ自身の 論拠 で あ る 。結論 か ら言 え

ば、こ の 心理学が、自然科学をモ デ ル に して お り、次

の よ うな 自然科学と精神科学 との相違 を踏まえ て い な

い か ら、とい うこ と に な る 。

「精神科学は、何よ りも次 の 点 で 自然科学か ら区別

される。すなわち、自然科学 が対象とする事実 は、

外か ら、現象と して、しか も個々 別 々 に 与え ら れ た

もの と して意識 され 、こ れ に 対 し て精神科学が 対

象 とす る 事実 は 、内か ら、実在と して 、しか も生 き

生 き した 連関 と して 、あ りの ままの 姿 で 意識 され

るとい うこ とで ある。したが っ て 、自然科学 にお

い て は、自然 の 連関は、仮説 の 結合 に もと つ い て 、

また補足 的な推論 に よ っ て の み与え られ 、こ れ に

   1   1   1   1   1   li  1   1   x       li  h   1   へ   h   ヘ   へ       h対 して精神科学に お い て は、心的生 の 連関は、根1   1   h   1   1    1    1   1   ,   1   ’   1   1      1   x    h   1   1   1    1   1

源的 に 与 え られ た も の と して 、つ ね に そ の 基礎 を1   へ   h   h   へな して い る 。 わ れ わ れ は 自然を説明 し、心的生 を

理解 する 1(V ,pp .143 .)。[傍点、筆者]

 こ こ で の 要点は、精神科学の 対象は あらか じめ根源的

に 与 え られ て い る と い う点に あ る 。 こ の 所与性は、「意

識 の 事実」 とも 「体験」 と も言 い 換えられ る 。 そ して

そ れ を記述 し、分析す る の が記述的分析的心理学 で あ

る。こ の 所与性 は 、い わば 「問 い 合わせ 先」(Heidegger

l925, p.155)で ある 。 そ し て、心理 学的記述は、こ の

所与性を有し、そ れ に 問 い 合わせ る が ゆ え に、構成的な

説 明 で は な く、理 解 と い う方法 を と る こ と に な る 。 他

ん、自然科学は、こ の 所与性 を有 しない 。 それ ゆ え、説

明 とい う方法に よっ て 対象を構成 し法則化す る。と こ

ろ が 説明的心理学は、こ の 白然科学モ デ ル に従う。 所itt・性をもた な い ゆ え に、心的生 の外か ら先入見や 仮説

を 持 ち 込 み 、仮説 の 楼閣 を 築 くこ と に な る 。 デ ィ ル タ

イが取 る道 は こ れ で は ない。 デ ィル タイ は、根源 的に

与 え られた所与 を、記述一分析す る と い う方途 を取 り、

そ れ に よ っ て 心的生 を構造と して と らえて ゆ く。 「構造

連関」「発展連関」「獲得連関」とい っ た もの がそれ で あ

る 。 心 理 学史で シ ュ プ ラ ン ガー

の 「了解心理学」 と呼

ばれ るもの は、こ の デ ィ ル タイの 心的生 の 構造論をよ

り具体化 した もの で あ る 。 デ ィ ル タイの 心理学 を、経

験科学 と み なす とすれ ば 、以上 の よ うな側面 をあげ る

こ とが で きよう。

 で は、この ような心理学は、基礎学として 、他 の 諸科

学 とどの よ うな関係 に あ る の か 。 結論か ら言えば、そ                    1   1   1

れ は 諸学問 と現実 との あ い だ に あ る、と い うこ と に な

る 。そ の 意味 で い えば 、「様 々 な理論 や 方法論 を 比較す

る た め に 視点」 を 提供す る もの で あ っ た り、「あ ら ゆ る

立場 の 違 い を超 えうる“

超越論 的地平”」 とい っ た もの

とは 異な っ て い る。あ る い は、す で に ふ れ た新 カ ン ト

派の よ うに 、 学問 そ の もの の 論理 学的な仕組み を問題

にする の で もない。 で は 、「あ い だ」に 立 つ とは どうい

うこ とか 。

 こ の とき手がか りにな る の は、デ ィ ル タ イが 、心理

学 を、人間学 (Anthropologic)と並置 させ て 述べ て い

る くだ りで あ る 。(無論 、こ の 場 合 の 「人間学」と は 、

「人類学」で も、また二 Q 匿紀に 入 っ て 提起 され た 「哲

学的人聞学」で もない 。)たとえば次の 箇所で は、人間

学 と して の心理学は 、 歴 史学で は歴 史記述者と史料 と

の あ い だ、政治学で は 政治思 想家と社会的現実との あ

い だ に 位置づ けられ て い る 。 そ して 、心理学/人間学

は、歴 史学 や政治学 に対 して、そ れ らが 手が か りとす

べ き人間類型 を示すの で ある 。

「こ の よ うに考えて み れ ば、人間学や 心理学は、歴

史的 生 の 全認識 の 基礎で あ り、社会 を指導し形成

す る全規則 の 基礎で ある 。 人 間学 と心理 学は 、た

ん に人間 の 自己観察を深 め る だけ の もの で は ない。

歴史記述者と [歴史 ヒの ]人物 を 生 き生 き と 呼 び 起

一 47一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 6: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

48 科 学 基 礎 論 研 究 2012

こ す さい に 用 い る 史料 と の あ い だ に は、つ ね に 人

間本性の ある類刑が ある 。 杜会形成 の 規則を起案

し よ うとす る 政治思 想家と社会 的現実との あ い だ

に も、人間本性の ある類型が あ る 。 [人間学や心理

学とい う]学問 は こ うし た 主観的な類型 に対 し て

正 当性 と生 産性 を与 え る だ け で あ る 」(Lp .32)。

  もう少 しパ ラ フ レーズす る な ら次 の よ う に な ろ うか 。

人 間諸科学の研究に お い て は、そ れ ぞ れ の 領域に お い

て 意識す る と しない と に か か わ ら ず、一定 の 歴史的文

化的厚み を有す る人間観が 前提され て い る.こ の よう

な人間類型 は、そ の学問領域 で は、それ 自休 としてあ

ま り問 題 に さ れ る こ と は な い。 そ れ ど こ ろ か 、そ うし

た 人聞観 を今 まで提供 し て きた の は 、文学 で あ っ た り

芸術で あ っ た り、ある い は モ ラ リ ス トに よ る 人間研 究

で あ っ た りす る。そ して こ の 人間把握 を、「心理学」と

して 学問化 しようとい うの が、デ ィ ル タイの 企 て で あ

る。デ ィ ル タ イが、自伝 ・伝記を重要視す る の は、こ

の 故で あ る u た と え ば、 宗教に関 して は 次の よ うに 述

べ られ て い る 。

「い かなる精神科学 も、心理学的認識 を必要とす る

の で あ る。た とえば、宗教 とい う事実 に 関 す る あ

ら ゆ る分析は 、 感情 ・意志 ・従属 ・白由 ・動機 と

い っ た概念 に 出 くわすが.こ れ らの概念は、心 理

学的連関 に お い て の み解明す る こ とが で きる 。 宗

教 的事実 の 分析 は、心的生 の 連 関を取 り扱 わ ねば

な ら な い 」(V ,p .147 )。

  こ の ような心理学の す ぐれた具体例 と して 、神的な存

在に対する 白己 の 感情、行為、経験か ら出発 し た ジ ェーム

ズの 「宗教的経験の 諸相』をあげる こ とが で きる 。 デ ィ

ル タ イ は こ の 著作を高 く評価 して い る (Hughcs  1958 ,

邦訳 p .134)。 以 上 の よ うに 、デ ィ ル タ イの 心理学 は 、

人聞 の 心的生 の 同型的 な構造連関お よび、そ こ か ら変容

す る 類型 を と ら える こ と に な る。こ れが、精神諸科学

の 基礎学 と して の 心理学の、 経験科学的な側面で ある 。

 2.2   メ タ 理 論 と して の デ ィ ル タ イ 心 理 学

 デ ィ ル タ イ心理学の もつ メ タ埋論的な側面 に注目し、

デ ィ ル タ イ心理学を現代 の 方法論議 の 舞台に引 き出 し

た 研究 と し て 、渡辺恒 夫氏 の 研究 が あ る (Watallabe

2009)。渡辺 は、心理学の パ ラ ダイ ム を四象限 に 区分

す る、,それ は、認識論上 の靴を縦軸に と り、方法論 Lの 軸を横軸に と っ て な さ れ る 。

こ の とき、こ の 方法 論

的区分 の 論拠 に され る の が、デ ィ ル タ イの 「自然 を 説

明 し、心的生 を理解す る」 とい う考えノ∫で ある。渡辺

は、直接に は 旨及 し て い な い が 、こ の 枠組み の なか で

デ ィ ル タ イ心理学 (の経験科学的側面)を とら える な

ら、第 2 象限 に位置づ け られ る こ とに な る だろ う。 そ

して さ ら に 渡辺 は 、こ こ に 「人称性」 と い う視点 を重

ねる。デ ィル タイ心理学は、  ・人称的心理学 と二 人称

的心理学 との あ い だ に 位置づ け られる こ と に なる。

  こ の 渡辺 の 着想は 、卓抜で あ り、と くに 人称性とい

う視点を導入 した 点、さ ら に は 、そ れ に よ っ て 心 理学

の 諸潮流 が 明瞭 に 区分 され る とい う利点が ある 。 ただ

し、同時 に、こ の 入称性 とい う視点 の 導入 に伴 っ て、

問われ、顧慮 されるべ きい くつ か の 論点が十分 に 展開

さ れ て い ない 憾 み が あ る。と い うの も、心理学 を人間

科学 とみ な し、そ れ を人称性を軸に して 「人称的科学」

の 問題 とみ なす限 り、「誰が誰に向か っ て 何を語る か」

(野家 2005 ,p ,332 )と い う論点 が 問題 に さ れ なけれ ば

な ら ない 。 た と え ば 、仮 に 、一一人称的 な 心理学 が あ る

と す れ ば 、そ れ は 、私 が 私 に つ い て 語 る もの で あ ろ う

し、二 人称的なそれ で あれ ば 、私があな た に つ い て 語

る もの だ とい うこ とに な ろ う。 そ して 、人称性を メ タ

理 論の 要 と して 導人 す る な ら ば、こ う した あ り方 の 基

礎を示 さ な くて は な ら な い。

 わけて も、そ の うちの論点 と して 、「受容可能」とい

う問題 が あ る (野家 2005 ,p .315 )。 人 称性 を 問 わ な い

従来 の 科学/学問 で あれば、対象は誰に と っ て も受容

口∫能で ある こ とが 目ざす べ き埋想 で ある。それ に 対 し、

「人称的科学」の 立場 に 立 つ な らば、誰 に受容 目∫能な

の か、そ して そ の受容可能とは どう い うこ とかが、そ

れ 自体で ひ とつ の 論点 となる 。こ の 点は、すで に ふ れ

た 、経験科学的 な デ ィ ル タ イ心理学 の 位置 づ け を 念頭

に置 くと、問題 と し て 1祭立 っ て くる 。 と い うの も、上

に見た よ うに 、渡辺 に従うな らば、デ ィ ル タイ心理学

を人称性 の 図式 の うちに配する とき、デ ィ ル タイ心理

学 は 理解 とい う方法 に よ っ て 位置 づ けられ る こ とに な

る 。こ の よ うに な る の は 、デ ィ ル タ イ心理学 の 位置 が 、

理解か説明か とい う方法論に 関わ る 「認識論的態度」

(Watallabe 2009, p.256)に よ っ て 決定され る か らで

あ る 、,こ れ は 、一般的に 言えば、対 象の 扱 い 方 の 決定

権は 認識論的態度 の 側 にあ り、対 象 は 、と きには 理解

に よ っ て 、また と きに は 説明 に よ っ て 扱 い うる とい う

任 意性を引き入れ て い る こ とに ほ か ならな い。 もっ と

も、現在の 多パ ラ ダイム化 した 心理学の 現状 を踏 まえ

る 限 り、こ の よ うな 認識論 的態度 の 任意性 を拒絶 して

一4s 一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 7: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

V 【)1.40   No .1 心 理 学 ・人 闘科学 の メ タ理 論 と して の デ ィ ル タ イ心 理 学 〔伊藤) 49

も、あま り意味が ない だ ろ う。 む し ろ 問題 は そ の 先 に

ある 。 と い うの も、対 象 の (デ ィ ル タ イで 吉えば 1心

的生」 の 〉性格 を度外 視 し、それ は 理解 され て もよ い

し、説明 され て もよ い と い う認識論的態度の 任意性を

持 ち込む とき、こ の こ とに よ っ て 隠され て し まうもの

が あ る か ら で あ る 。 そ れ が 、受容可能 とい う問題 で あ

る ,、心理学 を人 間科学 とみ な し、それ を人称性 を軸 に

して 「人称的科学」と い う枠組 み で と らえ よ う とす る

限 り、そ れ を、理解/ 説明 と い う方法を決定す る 任意

な認識論 的態度 に よる とす る ならば、認識主体が対象

をどう受け容れ るか とい う問題次元が 、飛び越えられ

て し まう。 話を心 理学 史 に 戻 して み れ ば 、先 に見 た よ

うに 、キ ュ ル ペ 、エ ビ ン グ ハ ウ ス は 、実験 0)全能性 を

讃え、こ の 問題次元 を省み な か っ た。そ れ に 対 し、ヴ

ン トが 、実験 とい う方法 を自己観察に 制限 して い た の

は、こ の 受答可能の 問題 を一定程度は、顧慮 して い た

か ら で あ ろ う。デ ィ ル タ イ の 、メ タ 理 論 と し て の 心 理

学に 関 し て い えば、こ の 対 象の 受容可能 の 問題 は、す

で に ふ れ た、理解 の 対象と して の 根源的所与性 に かか

わ る もの で あ る .そ して デ ィ ル タ イ は、

こ れを実在性

をめ ぐる問い として扱 っ た の で あ る 。

 以上 の 点 を踏 まえ、次 に は、デ ィ ル タ イ 心 理 学 の メ

タ理論的側面 の 中心 となる 「意識の 亊実」を示す 「現

象1生の 原理」を、さら に そ こ で 生ずる 「抵抗経験」の

分析 をみ て み た い。

   現 象性 の 原理

 デ ィ ル タ イ に よ っ て 、哲学、ならび に すべ て の 学問

の 根本原理 として 掲げ られ る の が 「現象性の 原理」と

呼 ばれ る もの で あ る。こ の 原理 に お い て は、対象の 根

源的所与性を示す 「意識 の 事実」が提示 さ れ る tt

「きわ め て 真摯 で 首尾一

貰 した すべ て の 哲学 の 始原

を形成 して い るの は次 の 洞察で ある.それは、さ

まざまの 個人 さ え も含ん だ こ れ らす べ て の対象、

私 が 関 わ りあ っ て い るすべ て の 対象は 、私 に と っ

て は 私 の 意識 の 事実と して の み 現 に存在する 、つ

ま り意識の 事実 こ そ客観 が 構 築 され る もと に な る

唯・の 質料 で ある、とい う洞 察 で あ る ,,意識 の 事

実 は 、客観が示す抵抗 で あ り、客観が 占め る空間

で あ り、客観が衝 突 して 苦痛 を感じさせ た り快 く

接触 した りす る こ とで あ る」(XIX , p.58)。

 さらに デ ィ ル タイは、こ の 意識 の 事実が 、「覚知 ln−

newerdell 」を とお して 5・え られ る と言 う。

「私が覚知 と い う語で 表わす の は、自分を自己観察

する こ とに よ っ て つ ね に新た に現れ て くる事実の

こ とで あ る 。 あ る 内容を意識主体に 対 し て 対鬪す

る (前に 一立 て る=表象する 〉の で は な く、ある

内容 を な ん の 区別 もな し に 含 む よ うな、そ うい う

意識 が 存在す る 。こ の 意識 に お い て は、そ の 内容

を形成 して い る もの とこ れ を生 ずる作用 とはけっ

して 別 々 の もの で はな い。 覚知す る もの は、こ の

覚知の 内容をな し て い る もの か ら分離 さ れ な い 」

(XIX , P.66}o

 私に とっ て存在 して い る もの が、意識の 事実 と して

与え ら れ る とい うと き、内容 と そ の 内容 を 生 ず る 作用                1  1  1

と は 一体 の もの で あ る 。 こ の 事態 に気 づ くの が覚知 と

い う働 きで あ る。だ か ら、た とえば 、目の 前 に木があ

る と して 、その 木 は 見 る もの の 意識作用 とは独立 の 対

象として 意識 に現われ、他方で 、見る もの の 意識作用

が、覚知 の 働 きと して直接に 意識 さ れ て い る とい うよ

うに、覚知を解 して は 誤 りで ある 。 覚知 は、外 的な知覚

と対比 させ られ た 、内面性 に つ い て の 直接 的な意識 と

い うこ とで もな い 。覚知 は、外的知覚 と は 区別 された

内的意識 で はな く、外的知覚に伴 っ て い る 。 したが っ

て また、意識 の 事実 の 覚知 と い う こ とで 言わ れ て い る

の は 、「意識 に依存 しな い もの は 現存しない と い う独我

論 」(V ,P.90)で もない 。覚知 は、知覚、感陦、意志 の

い ず れ に も伴 うもの で あ り、カ ン トの 超越論的統覚に

な ぞ ら え れ ば、「超越 論的 な もの を持 ち 出 さ な い 超越論

的な」(マ ッ ク リー

ル 1990 ,p.6)意識 だ とい う こ と に

な る。デ ィ ル タ イ は、こ の 意識 の 事実 の 所与性格 を次

の よ う に 述べ て い る。

「意識 (conscientia )は、定義 され る こ とが で きず、

む しろ そ れ 以 上 に 分解す る こ と の で きない 究極 の

状態と して 示 さ れ る だけ で ある 。 私 は、私 自身の

うちにお い て、あ るもの が私 に とっ て 現 に あ るし

かた を体験す る」(XIX , p.59)。

 意識 は 、こ の よ うに 1究極 の 状態」で あ り、あ らゆ

る 知がそ こ を通過 せ ね ば ならぬ よ うな、知 の 「最終審」

(XIX , p 、177)で ある,;ただ し、意識 の 事実がそ の よう

な審廷 で あるな らば、そ こ で はな に が 質されなければ

な ら ない の か 。 そ れ が 、実在性 (に つ い て の 信念)で あ

70,、そ して それを担保す る の が、上記 の 引用 の 後半に

見 られる、意識の 事実が、私に とっ て現に あ る しかた

で 体験 される もの と して ある、と い う事態で あ る 。 こ

一 49 一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 8: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

50 科 学 基 礎 論 研 究 2012

の よ うに意識 の 事実 と して 、心的 生 が 与 え られ て い る

限 り、心 的生 は 、心理学 の 対象 と して 記述.分析 しうる

もの と なる の で あ る。こ れ は、先 に 述べ た 「受容可能」                 s   1の 問題 で もあ る

. すな わ ち、対象が、私 の 意識 の 事実

として 、あ る い は体験 として与えられて い るが ゆ え に、

心的生 は 「受容可 能」な もの とな る の で あ る 。 だ とす

れ ば、こ の と きの 「私」 と は、誰 の こ とで あ ろ うか 。 す

なわ ち、一人称 と して の 私 、と 呼 ん で よ い で あ ろ うか 。

 さしあ た っ て 次の よ うに 言うこ とが で きる 。そ の 行

論か らうかが えるの は、デ ィル タ イは、こ の 意識 の 事

実を提示する に あた っ て 、た とえば デ カル トの ような、

方法論 的な手続 きを踏 ん で い る わ けで は ない 、と い う

こ と で あ る 。 む しろ 、意識 の 事実と は、さ しあた っ て

た い て い 与 えられ て い る もの で あ り、す で に 、特定の

歴史的社会的現実や 、他者との 関わ りに媒介された内

容を含むもの で あ る 。 したが っ て 、「私」とは、他人 と

の 関 わ りの うち に あ る 、ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス や ル ソーや

ゲ ーテ とい っ た特定の 個人 と して の 私だと言 っ て も よ

い だ ろ う 。 そ し て 意識 の 事実とは 、そ う した個人が関                  1   1わ りあ う対

.象が 私 の 意識 の事実と して、私 の視点か ら

述 べ られ た もの で あ る ,, この 視点は、事柄 と して は 「・

人称的」 な もの で あ ろ う。 た だ し、そ う言 える とす れ

ば 、 同時に 、他の 人称的視点 もまた確保され て い なけ

れば ならな い。 言い 換えれ ば、こ の 意識 の事実に お い

て、外界 や他者が どの ような 関 わ り方を して い る か が

問 わ れ ねば な ら な い、,

こ れ を明 ら か にする の が 、次に

み る抵抗経験で ある 。

   抵抗経験

 デ ィ ル タ イ は 、外界や他者 に関 して は 随所 で ふ れ て

い る。 そ こ で

一貫 して 問 わ れ て い る の は 、外界の 実在

性 をめ ぐる 問題9で あ る。こ の 問題 圏の なかか ら、抵抗

経験とい う事態が、そ して こ れ を介して、自己と他者

とい う入称的な分節化が 開示され る こ とに なる 。

 こ の 抵抗経験を、先の 意識 の 事実と関連づ け て 言え

ば、すで に引用 し た、現象性の 原理 の くだ りで の 次の

箇所 を 引 き合 い に 出す こ とが で きる 。

「意識 の 事実は、客観が示す抵抗であ り、客観が 占

め る空間で あり、客観が衝突 して苦痛を感じ させ た

9 正 確 に 言え ば、一般 に 「実在性論文」と略記 され る 、彼

の 論 考の 長 い タ イ トル 、す な わ ち 「外 界 の 実 在性 につ い

て の わ れ わ れ の 信念の 起源 とそ の 信念 の 正 当性 と に 関

す る 問 い を解決す る こ とへ の 寄与」が 示 す よ うに、実

在性 に つ い て の 信念 が 問 題 に さ れ る。

り快 く接触 した りする こ とで あ る」(XIX , P ,58)。

  こ こ に見ら れ る よ うに 、 意識の 事実 の うちに は 、す

で に客観との 関わ りが含 まれ て い る 。 そ して そ の 関わ

りの 原初的 な事態が抵抗経験 で あ る。デ ィ ル タ イ に よ

れ ば 、抵抗経験は 、意志衝動 (lmpuls)におい て 、圧

覚を介 して 、志 向の 阻 [Eが意識 され る こ と に よ っ て 生

ず る。こ こ に は 、次 の よ うに 二 つ の レ ベ ル を見 て 取 る

こ とが で きる 。 まずは 、 知覚 、 と くに圧覚の レ ベ ル で

あ る 。 意志衝動が 外界の 事物に たい して作用す る。そ

こ に お い て 圧 覚が 生 ずる 。 こ れ をとお して、身体の外

部 に客観が措 定 され る 。 次 い で 第 二 の 、阻止 の 意識 に

お い て 生ず る 意志 レ ベ ル があ る 。第一の レ ベ ル で 見 い

だ された圧覚とは 、 意志衝動に対す る抵抗 で あ る。し           1  h                                h

か しこ れだけで は、抵抗感覚 とは言い えて も、抵抗経h験 と して は 不十分 で あ る 。 と い うの も、圧 覚の み で は、

それが た ん に局所 的な、い わ ば 死 ん だ 感覚 に 過 ぎない

場合 もあ る か らで あ る。む しろ、こ うした 感覚が 、生              1   s  1  li  s

き 生 き した 経験、つ ま り 「規定 さ れ て い る とい う経験」

(V ,p.102)の なかで 、意志過程を と もなっ た 志向の 阻

止 の 意識 を と もな うの で なけれ ば な ら ない 。こ れ が抵

抗経験 で あ る 。 デ ィ ル タ イは次 の ように言う。

「意志経験 、つ まり志向の 阻止 は、上述 の 意識過程

に よっ て 媒介 され て い るの で ある。こ うして 志向

の 阻 rEは、抵抗 の 意識 に含まれ 、われわれ とは独

立 し た もの の 生 き生 き した核 とな る実在性を は じ

め て 開示する」(V , p .104)。

  こ の ように して 、デ ィ ル タイは、外界 の 実在性 の 信

念 の 起源 を抵抗経験 の うち に 見 て とる。外界は、志向

の 阻止とい う意志の経験に お い て与え られ る以上 、 意

識 の 事実 の 覚知と同等 の 実在性をもっ て い る とい うこ

と に な る c,そ して 、こ こ か ら自己 と外界ない しは 他 な

る もの との 区分が立ち現 れて くる 。 デ ィ ル タイは次 の

よ う に述 べ て い る。

「か くして 、衝動 と抵抗 とい う、どの 触覚過程 で も

共 に 働 い て い る一二つ の 側面 に お い て 、自己 と他 な

る もの との 区別 の 最初 の 経験が なされ る 。 我 と世

界と の 最初 の 胚が 、同様に、双方を区別す る最初

の 胚が 、 こ こ に ある 。 そ れ は 、 意志の 生 き生 きし

た経験 に あ る 」(V ,p.105 )。

 外界の 実在性に関する デ ィ ル タ イの こ の よ うな立論

の うちに含 まれ て い る意義と して 、次の 点をあげ る こ

一 50一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 9: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

VoL 40  No 、1 心理 学 ・人間 科学の メ タ 理 論 と して の デ ィ ル タ イ心理学 !伊藤) 51

とが で きる。まず第一

に、デ ィ ル タイが、実在性 につ

い て の 信念 を、こ の よ うな 「抵抗」 とい うあ り方 を手

が か りにする こ とが で きる の は、デ ィ ル タ イが意識 の

事実の覚知に お い て、そ の 主体をた ん に認知的なもの

に 限 らず、知覚 し、感受 し、意志 す る 、「衝動 と感情 の

束」 と して の 「生」 とみ な して い る か らで ある 。 こ こ に

は、デ ィ ル タイが影響 を受けたヘ ル ム ホ ル ツ の 批判的

な摂取がある 。 た と え ば、

ヘ ル ム ホ ル ッ の 知覚論 に お

い て は 、 自己と外界との 関係は 、 「外.1を原因とし 「内」

をそ の 結果 とする悟性的な推論 (= 無意識的推論)に

お い て と らえられ て い る (Helmlloltz 1910, pp ,5)。 こ

の ような しかた で は、外界を、「抵抗」ない し 「阻 IE」

と して は とらええな い 。

 そ し て第二 に 、こ の外界に対す る関わ り方が、視覚

モ デ ル で はな く、抵抗の 意識が圧覚に よっ て介され て

い る よ うに、触覚モ デ ル に よ っ て とら え ら れ て い る と

い うこ とで ある 。

一般 に触覚にお い て は、触れ る と い

う動作 に さ い して 、触れ るもの と触 れ られ る もの と の

あ い だ に は、 主客を対立 させ る 分離は 起 こ ら ない 。し

た が っ て 、こ の触れ る一触れ られ る の関係は、因果関係

で は け っ し て な く、デ ィ ル タ イ の 別 の 箇所 で の 言い ま

わ しを使 えば 「能動 受動」(XIX , p.354)関係で ある tt

そ し て こ こ に、「白己と他な る もの の最初の 経験」が生

じて い る の で あ る 。

 そ して 以上 の 点を踏 まえて 、第1一と して あげら れ る

の は、こ こ に問題設定 の 変換 を指摘 で きる とい うこ と         1  1

で ある 。 すなわち 、 外界の 実在性 とい う問題、つ まり

「内」 と 「外」とい うしかた で 立 て られ て い た問題が、

こ こ で は 、「自」と 「他」とい う問題 に変換 され て い る。

抵抗経験 にお い て 、阻止 が 意識 さ れ る 限 りに お い て 、

そ こ に は、他 なる もの が現前して い る 。 そ こ に は 「わ

れ わ れ と は 独立 した もの の 生 き生 きし た核」が ある 。

そ して こ れ に相関 して 「自己」 もまた成立す るの で あ

る 。 もっ とも、こ こ で の 自..他 を直ち に、人称性 の 位格

を もっ て呼ぶ こ とは で きない だ ろ う。こ の 自一他 の 関係

は、い まだ前一人称的な もの で あ る 。こ こ で現前 して い

る他な る もの とは、あ くまで 、抵抗経験 とい う意識 の 事

実 に お い て 記 述 さ れ た他な る もの で あ る。意志衝 動 が

何 もの かに阻止 され 、その 何 もの か が 迫 っ て い る 。 そ

の 限 りで は、た しか に そ の 何 もの か は 「自」な ら ざる

「他」で ある 。 しか しなが ら、こ こ で の 自一他 は、デ ィ

ル タ イ 自身の 比喩を用 い れば、い まだ 「我 と世 界 と の   1最初 の 胚」で あ る ,,こ の 胚 が 「卵割」(V , p,124)さ れ 、

「芽 を出す」(V , p .125)の で なけれ ば、白は 、 自己同一

性 を有す る 「私」 と して は 成立 しえな い 。 で は、自と

他が 、ど の よ うに して 実在性 を有す る もの と して 、私

と して 、 またあな た と して 成立す る の で あ ろ うか 。

   他者の 実在性と 追体験

 デ t ル タ イ は他者/他 人 の 実在性 を 「実在性論文』

第 10 章 「他 の 人格の 実在性を信 じ る こ と」の章で扱

う。その 冒頭で は 、「私 以 外 の 人格 が 、つ ま り私 以 外 の

意志 の 単位が、とりわけ力強 い 実在性 を もっ て 出現す

る」(V ,p ,110)こ とが述 べ られる。こ れ に よ っ て 、「外

界 は 、高揚 した 実在性の エ ネル ギ ーを受け取る」(V ,

p .llO )こ とに な る 。 こ の こ とか ら言え る の は、デ ィ ル

タ イが 、他者/他 人 とい う文脈 で 問題 にする の は、い

わ ゆ る 他者論 で 問題 に なる ような、異他的 な他者 の 他

者性 で はない 。む しろ、抵抗経験 に よっ て 確保 され て

い た、白 他の 原 初的事態か ら、どの ように して 「他」

が他人 として 生成する か 、すなわち、他人の人格の 実

在性が 高め ら れ る か とい うこ との 分析である 。 そ して、

こ の よ うな 他 の 人格 が 現 わ れ て くる 最初 の 事態 を、乳

飲 み子 と母親 と の 関係 を念頭 に置 きなが ら次 の よ うに

述 べ て い る。

「衝動 と抵抗 は 、自己 と客観 と の 分 離 の 胚 を含ん で

い た 。 こ の 胚が芽 を 出す の は 、自己が 、自己固有

の H 的全体 と して 白ら を完結する こ とに よ る 。 今

や、自己 を取 り巻 い て 出現 して くる さまざまな力

の カオス 的な遊動か ら、他 の 人格もまた分離 して

現れて くる、,とい うの は、われわれ に 立ち現れ て

く る 最 初 の 客観的 な 全体 的連 関 は、他 の 人格 と い

う連関 だ か ら で ある 。 揺 り籠に身を屈め 、了供を

抱 き上 げ て 乳 を飲 ませ る 母親 は、子供 に とっ て 、

感覚の カ オ ス と い う背景 か ら浮 上 して 身体的 な 姿

を と っ た 最 初 の 充実 した 実在性 で あ る 。 とい うの

は 、意欲 し作用す る 自 LL固右 の 経験 に応じて 、自

己 に は 、 白らが被る各 々 の 阻止あ る い は 促進 の 中

で、力が現前して くるか らで ある。そ して 今や、力

の 作用 の 配 列 が 規則的 に経験 さ れ 、そ れ が 、自身

の 生 の 感情 に もとつ い て 、 他の 人格と して 理 解さ

れ る」(V , p .125)。

 こ こ で は 「胚」が芽を出 し、自己 を とりまくカ オス

的遊 動 を背景 に して 、母 親が 他の 人 格 と して 実在性 を

と もなっ た もの と して 現 わ れ る 。 こ こ で の 他人 の 人格

は、自己 に 働 きか け る意志的な 生動性をも っ た もの で

あ る。抵抗経験 の た だ な か で 、「他」が 、母親とい う「あ

一51 一

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 10: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

52 科 学 基 礎 論 研 究 2012

なた」 と し て現わ れ て い る 。 こ こ に、自己 と他者 (他

人)の 関係性を創出する、人称的世界の 基礎的なあり方

を確認 で きる 。 た だ し、こ れ だ け で は 不 卜分 だ と も言

え る 。 と い うの も、わ た した ち の 日常的な経験 に あ っ

て は、他入 との 関 わ りは、母子関係 の よ うな直接 的な

関 わ りに の み留まる もの で はな い か らで あ る 。 要する

に、わた したちはあらゆ る他人と (そ し て、そ の他人

と二 人称的関係にあっ た と して も〉、母子関係 を結ん で

い る わ け で は ない 。 ゆえに、デ ィル タイ の 行論 の なか

に は 、次 の よ うな場 面 も提示される。

「外部か ら規定 して くる意志の 実在性が と りわけ生

き生 き と経験 さ れ る の は、父 と子 ・夫 と妻 ・主人 と

家 臣 とい う第・次的な関係に お い て で あ る v こ こ

で は感 情 と意志 の 過程 が 他 の 生 の 単位 の 実在性を

色 づ け 、 強め て い るが 、こ の 過程は、支配・依存 ・

共同に もとつ い て成 り立 っ て い る 。 そ こ に お い て

今 や 、汝 が 体験 さ れ 、私 もまた 、こ れ に よ っ て 深

め られ る 。 圧 力・抵抗

・育成 、 こ れ らが静 か に 不

断に交代する こ とを通 し て、わ れ わ れ は け っ して

一人 で は な い とい う こ と を 感 じ る。そ して 他 の 人

格 の 存 在 の 経験 は、それぞれ の 社会的関係 ・他者

の 承認 ・犠牲的行為 に含 まれて い る」(V , p .111)。

  こ こ で 示さ れ て い る、父子、夫婦 、主従関係 と い っ

た 諸関係 は、母 子関係 をモ デ ル に して創出された 自己

と他者が、より自立 し、特定の役割の うち に帰属する

もの と して と ら え返 さ れ た もの だ と考え て よ い だ ろ う。

一方を母子関係 モ デ ル とすれ ば、他方は 役割 モ デ ル と

呼ぶ こ とが で きる だ ろ う。 た だ し、こ こ で次 の 点につ

い て は考 えて お か な け れ ば な ら な い 。と い うの も、い

ま ま で 述べ て きた よ うに、他人ある い は外界 の 実在性

は、抵抗経験を介して 確保 され て い た。こ の 点、母 子

関係 モ デ ル に関 して は そ の 諸契機 を見 て取る こ とが で

きよ う。 しか し、もう一

方 の役割モ デ ル に関して言え

ば、抵抗経.験を支え て い た触覚モ デ ル は適用で きない

の で は ない か 、こ の 点をどの よ うに考えれ ば よ い の か

とい う点で ある1°

10 こ の 論点 に つ い て は、山本幾生氏 に よる 周 到 な考察が

 あ る ([.i」本 ,2005)。山本 氏 は、こ の 抵 抗経験 と感覚の

  関係 に 関 わ る 問.題 を、実在性概念 の 含意をと ら え返 す

  こ と に よ っ て 解 決 さ れ て い る。結 論 的 に は ほ ぼ 同様の

 事態 に な るが、筆者自身は こ こ で は、意志的な抵抗経

 験 が 前景 と な る役割モ デ ル に お い て も、圧 覚 を介 した

 外界一般 に 対す る実在性 の 信念が 並存 して い る とい う

 視点 か ら 考察 した。こ れ は次注 も参照 され た い。

 あ ら た め て 母子 関係 モ デ ル をみ て み る と次 の よ うに

な る 。 こ こ に お い て は、二 つ の 契機があ る。ひ とつ は、

「自己を と りま くカ オ ス 的遊動」で あ り、 もうひ と つ は

「他 の 入格」で あ る 。 前者は、後者の背景をな して い る 。

外界を な し て い る カ オ ス か ら、「意欲 し作用す る 自己固

有の 経験に応じ て」他が 、他入 の 人格と して 分離 され

る。これ を抵抗経験 とい う視点か らみ て みるなら次 の

よ うに な る。 抵抗に は

、二 つ の レ ベ ル が あ っ た 。

ひ と

つ は圧覚の レベ ル、 もうひ とつ は 、 その 圧覚を介 した

意志 の レ ベ ル で あ る。こ れを母子関係モ デ ル に お い て

考え て み よ う。 圧覚に お け る抵抗に つ い て、デ ィ ル タ

イ 自身は、子 どもが部屋 に閉 じ込め られ戸 を揺さぶ っ

て い る 例 をあげ て い る が、よ り母子 関係 モ デ ル に 引 き

寄 せ て み れば、た とえば、「授乳」や 「だ っ こ 」とい っ

た場面が容易 に想定で きる 。こ こ に は圧覚が介在す る 。

ただ し、こ の母親の 身体を とお して の抵抗は、非身体

的物体 と して の外的事物の抵抗 とどう異な る で あろ う

か 。 圧 覚の レベ ル で は異な ら ない はずで あ る。だ が母

親 との 関係 に お い て は 、そ こ に そ の 身体 が 、母親 の 身

体 と して 、すな わ ち人格 と して 立ち現れ て くる 。 それ

は、「意欲 し作用する自己固有の 経験 に応じて」経験 さ

れ る 意志 の レ ベ ル で の 抵抗経験 に お い て で ある 。 外界

が 「高揚 した実在性の エ ネル ギー

を受け取る」とする

な ら、ま さ に こ の 場面 で あ る 。 そ し て こ の よ うに考え

る な らば、役割モ デ ル に お い て も、意志 の レ ベ ル で の

抵抗経験を見い だすこ とが で きる王1。

 そ して 、デ ィ ル タ イ が こ こ で 持ち出す の が 、 追体験

で あ る 。 追体験 に は、前段があ る 。 上 で す で に 述 べ た

よ うに、他 人が人格 として 現出す る に は、「自己が、自

一 52 一

11デ ィ ル タ イ 自身、「実在性論文』第 10 章 「他の 人格 の 実

 在性 を信 じる こ と 」の 章で 、圧 覚 レ ベ ル で の 抵 抗 につ い

て は な に も述べ て い ない。 そ れ ゆ え、一見する と、役割                    へ  1

モ デ ル に お い て は、圧覚 を介 して の 抵抗 経験 が ない よ

うに思 わ れ る。こ の 点に つ い て、厳 しい 批 判 を向けた の

が、M ・シ ェー

ラー

で ある。シ ェー

ラー

は、デ ィ ル タイ

が抵抗経験を十分 に認 識 して お らず、「抵 抗経験 は、末

端的な 感性的 な経験 で は ない 」(Schclcr 1976 , p210 )と した。た しか に、父子 関係 や、主従関係 に お い て 、母

子関係 と1司様 の 接触が あ る と は 言えない だろ う。しか

し、翻 っ て み れ ば、圧覚 レベ ル で の 接 触 は、身体 を も含

む外 的事物 の 抵抗 で あ る 。 したが っ て 、役割 モ デ ル に

お い て は 圧 覚 レ ベ ル で の 抵 抗が な い 、とい うの で は な

く、他 人 の 人 格の 現出の 背景た る 「カ オス 的遊動」 に

お い て 隠然 と生 じ て い る と考えて もさ しつ か えな い だ

ろ う。む しろ 逆に 、他人 の 抵抗経験 に お い て 、圧覚 レ

ベ ル で の 抵抗 が生 じて い な い とす る ほ うが 奇妙 で あ ろ

う。な ん とな れ ば、そ れ は 外界一

般の 実在性 の 信 念 な

しに、他人の 実在性 を信 ずる とい う事態 だか らで あ る 。

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 11: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

Vol.40  No ,1 心理 学 ・人 聞科学 の メ タ理 論として の デ ィ ル タイ心理 学 (伊藤) 53

己固有 の 目的全体 と して 自らを完結す る こ と」が と も

な う。こ れ に応 じて

、 他人の 人格が 、 自己に働 きかけ

る意志的な生動性をも っ た他人 と して現われ る 。 次い

で 、こ の 他入を 「わ れ われ自身 と同じよ うな自己目的

として と らえる」こ と がなされる 。 こ れが追体験 で あ

り、こ こ で は 「他 の 生 の 単位 の 実在性 は、最 もエ ネ ル

ギー

に 満 ち て 濃縮 さ れ て い る 」(V , p.111)v こ の よ う

に して 自己 rl的 として 現前す る他者は、け っ して 自己

の 意の まま に把握 され る こ とはで きな い。 そ の 白、1tlが

尊 重 さ れ な け れ ば な ら な い。 他方 で 、そ の 他 人 と の あ

い だ には、類縁性 や同種性が意識され て くる 。 こ れが、

デ ィ ル タ イの 経験科学 と して の 心理学 に お い て 、「同型

性」と して とらえ られ る こ とに な る 。 さらに また 、こ

の ような他人は、歴 史上 の 人物に も拡張され る 。 「彼ら

は、わ れ わ れ に と っ て 実在性 を も っ た 人 々 で あ る 。 な

ぜ なら、彼 らの 偉大 な人格性が、意志 の 力 で わ れ わ れ

に 作用 を及 ぼ すか らで あ る 」(V ,p .114 )。以 E の よ う

な追体験 の うち に は、二 人称と して の 他八 と、それ に

柑関する 一人称 として の私の 出現を見て取る こ とがで

きる だ ろ う。

 こ の よ うな追体験 に よ っ て と らえら れ る 「他 (人)」

に対 して 、追体験の 対象で は ない 「疎遠な」もの と し

て 、わ れ わ れ に 向か っ て くる他 もある 。 そ れ は 、感覚

の カ オ ス か ら、因果連関に よっ て 区切 られ取 り出され、

それ固有 の 法則 に従 っ て 作用する。もっ と もデ ィ ル タ

イは、そ の 外部 の 独立 した 存在 に つ い て も、抵抗経験

が 介在 して い る こ とを指摘す る 。 それ に よっ て 、そ の

外部の 存在は 、幻覚や夢 とは 異な っ た実在性を右す る

も の と な る 。こ ち ら は 、三 人 称的 な 「そ れ」 と呼ん で

よ い だ ろ う。

 以一トの よ うに 、デ ィ ル タ イ は、意識 の 事実を所与と

して、そ こ に 生ず る 抵抗経験 を分析 す る 。 そ れ に よ っ

て、自己や他人 の 生成 を見届ける 。こ れは、言 い 換 え

れ ば、意識 の 事実を人称的 世 界 と し て 開 示 し、そ こ か

ら諸 人称 の 認識論的基礎を示す作業だ っ た と言え る で

あ ろ う。 こ の よ うに して 、メ タ理論 として の デ ィ ル タ

イ 心理学 は、み ずか ら の 経験科学的な 心 理 学に 基礎を

確保 し、さらに は、諸心理学 の 、そ して また 精神諸科

学す なわ ち人間諸科学 の 基礎 と な る の で ある 。

ま と め に か え て

 本稿 で は、まず、デ ィ ル タ イ心理 学を一

九世紀末の

心理学の 状 況 の な か で位置づ けて み た 。 そ こ で 明らか

にな っ た の は、デ ィ ル タ イ心理学が、心理学 か ら も、哲

学か らも批判に さらされ て い た と い うこ と で あ る。 そ

の結果、そ の後、心 理学の領域 の なかで は 、 デ ィ ル タ

イ心理学は ほ とん ど顧み られ る こ とがな くな っ た 。 だ

が それ は 同時に、デ ィ ル タイ心理学が は らん で い た問

い 、すな わ ち心理学 を、そ の メ タ理論的 問い をも含 め

て 間う と い う姿勢が失 わ れ た こ と を意味す る 。現在 の

心理学ない しは人間科学の メ タ理論が問 うて い る もの

は、まさに こ の ときの デ ィ ル タ イ的問い で あっ た と言

K よ つ 。

 次 い で 本稿 で は 、こ うした事態を 引 き起 こ した 原 囚

が 、デ ィ ル タ イ 心理学 が含む 二 面性 に ある とみ て 、あ

らため て 、こ の 二 面性 を追究 した 。 その ひ と つ は 、諸

科学の 「基礎学」と して の経験科学的な心理学で ある 。

こ の 心 理 学 は、精神諸科学 な い しは 人 間科学と そ れ が

対象 とす る 現実 の あい だ に 立 ち、い わ ば結節点の 役割

を果 た す。こ れ は 、人間 の 生 の 構造性 を明 らか に する

こ と を と お して 、個別 諸科学が暗黙裡に 前提 して い る

人 間把握 の 解明に寄与する もの で ある 。 そ して もうひ

とつ は、そ の 「基礎学」 として の 心理学 を、基礎学 た

ら しめ る 原理 を提示する 、メ タ理論 と して の 認識論 心

理学で ある 。 こ の 心理学は 、経験科学的な心 理学が 根

源的所与とする意識の 事実を分析 し、そ こ に 人称的LN一

界 を開示す る もの で あ っ た 。こ の よ うな二 重性 を もつ

デ ィ ル タ イの 思想 は 、心理学 を自称 しつ つ (そ して 、こ

れ 自体がす で に 問題 で あ っ た わ けだ が )、心理学 を超え

た問 い 、すなわち、心理学 をそ の うちに 含 む精神科学

とはな に か、あ る い は人間科学 とはな に か とい う問 い

を問 うもの だ っ た と言 う こ とが で き よ う。

参考文献

Ash,  M .G .(1980) 

“AcadeInic Politics  iD むhe His−

    tory   of   science :  Experimental   Psychology   in

    Germally  l8791941 ,”Centrat European  HistoTv,,

    Volum ε Xm  Number  3, pp .255285

BrQcke , Bernhard  v .(1991)、〜」issellschaftgeschichte ulld

    Wissenschaftspo 正iしik  im  Industriezcitaltcr: Da $

   “System   A !tohoff

”iIl  historischer  Perg. pek しive,

    Hiユdesheim

Cassirer, E . (1973) D α s  Erkenntnisproblem  in der

   Philosoph .i・e  w,n,d  LVtsseγしsch αプt der’neueren  ZeiL.

    yzε r・ter B α nd  von  ffegels Tod bis xur  Gegenw 醂

    Hildesh〔im /New  Ybrk

Danziger,  K  (1979) 

hTbe

 positivist  replldiatiQn  of

53 −.

N 工工一Eleotronio  Library  

Page 12: Dilthey Meta heory the Sciences ITO

the Japan Association for Philosophy of Science

NII-Electronic Library Service

the  Japan  Assooiation  for  Philosophy  of  Soienoe

54 科 学 基 礎 論 研 究 2012

    Wllrldtノ,.Jouf.nal  of  the H ・istor・y Oμ んε Behamflorat

    Scie・nces ,15. pp.205−.230

Dilthey、 W .(19142007 )aesammmelte Schriften, G6ttingenDilthey,  W .(1923 ) Briefwech,sel   zwisch ,en   LViZhetrn,

    D ’ilth・ey  u ’r− d de’rrL Cropfen Pa,u,I York z・on  LVa,rten −

    burg 1877 −1897, Ha.l!e

Ebbingba .us,

亅L (1895) i‘Ilcrmann  Ebbinghaus   an

   Wilhc ]m  Diltllcy[Bricf】”,  in; 1)ilthev.−Jahrbuch

   叛 TPhitosophie   und  Gcschichtc der aei・steswis −

   senschaJ’ten Band 3 (1985), G6ttingel上、 p .228

王leidegger, M .(1979 )GE.sa,rn,tav,,sgabe  Band  20、 Frank −

   furt1Main

Heidegger ,  M .(1925 )Wilhelm  Diltbeys  Forschung8a.r−

    beit  und   der  gegenwtirtig Kampf   unl   eille  his−

    torische   Weltanscha .uung,  ill: Dilthey−Jahrbueh

    揮 rPhitosophie  und  Geschichte der G 驫 sめes 賀瘤 一

   senschaftcn  Band  8 〔1992−93)1

 G6ttiIlgeIl

Ilelmholtz, H , von (1910 )Handbu ・ch  dε r p 砌瀦 o !og 琶sche η

    Opttk. Bd,3、 HamburgScheler

, M .〔1976)Ge5 傷隅 me 億e  Werke  Band  9, Bern

Hughes , S.(1958)Consciousness and  Sciet’y−The Reo γ・’i−

   enta ,tion qプEuropean  Social Though ‘ヱ890−1930,

   New  Y6rk 〔邦訳 「意識 と社会』1978,生松敬 三,荒

    1[「幾男訳 み すず書房IIIIusserl, E .(1968 )Hu5serl・iana  Band  IXI Den  Huag

伊藤 直樹 (2007)「デ ィ ル タ イ とヘ ル ム ホ ル ッ :『デ ィ ル タ イ

   研 究』一

八 号,pp .22−37

伊 藤 直樹 (2008)「デ ィ ル タ イ .一エ ビ ン グハ ウ ス 論争 につ い

   て  .十 九 世 紀 末 に お け る心 理 学 と哲 学 の 抗争の一

   面 」 「比 較 文 化 史研 究 』 第九.号,pp .1−24

伊.藤直樹 (2009 )「1.九世紀末 に お け る心理 学 と哲学

一心 理

   学者 W ・ヴ ン トと哲学者 W ・デ ィ ル タ イ」「イ ン ター・

   カル チ ャー一

異文化の 哲学』晃洋書房,pp .83−112

KUlpc, O ,(1893)Grundriss  der Psycholgiε. Leipzig

マ ッ ク リール ,R .A .(1990)「デ ィル タ イの 梢神科学論にお

   け る 自己理 解 と解 釈の 課 題」「カ ン テ ィ アー

ナ』第 21

   号,PP ,1 20

野 家啓一

(2   05) 「物語 の 哲学』岩波現代文庫

Rod 藍, F .〔2003 )Da.s stTvrLktw ,rierte  G’an2e , G6ttingen

Schlladelbach、  H .(1893 ) Phi・losophie in Deutschla,nd

   ゴ8Sl −1933、 Frankfurt/工L・lain

高橋澪子 (1990) 『心 の 科学史一西 洋心 理 学 の 源 流 と実験 心

   理 学 の 誕 生一」東北 大 学 出 版 会

潮 木守一一

(1993)「ドイ ツ 近代科・学 を支 え た官僚 影 の 文 部

   大 臣 ア ル トホ ーフ 』中 央公 論 社

VVutaiiabe、「V.(2009) “N,letascien七ific fuundaLions for

   pluralisin iil psychology,

 New  ideas in Psychol−

   og 鮎 pp .253 262

、Vundt ,、V .(1901)σ7駕 πd再55  der Psychologie, Leibzig

山本幾牛 〔2005)f実在 と現 実 リア リテ ィ の 消尽 点 へ 向け

   て 』関 西 大学出 版部

(2010 年 6 月 30 口 投 稿、2011 年 2 月 22 凵 再 投 稿、2011

年 8 月 LO 日掲載 決 定)

.5ゴ

N 工工一Eleotronio  Library