ロールズにおける「正義」の論証 - hiroshima...

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ロールズにおける「正義」の論証 一合理的選択と公共的合意ー 沢田善太郎 っか LいハかれはIf j 卜轟論。では. u 県初状態の当事者たちが合理的にふるまうなら,正 義についてどんな原理に同意するかを論理的 l じ有している公共的政治文化における良識と合 致しているならば,正義の原理として採択す」 公共理性との照合を反省的均衡とよんでいる。しかし,この万法では,合理的選択理論が放 棄されることによって,論理的推論の手段が貧しくなると,正義の理論は既存の公共的政治 文化の追認に終わらざるをえなくなる。ロールズの 1980 年代以降の議論は,まさにこの道を 進むことになった。 キーワード:ジョン・ロールズ,合理的選択,公共的合意,原初状態,反省的均衡 付記 本研究は 2005 年度広島国際学院大学現代社会学部特別研究「討議民主主義の社会学 的研究j の援助ドー 1 問題設定 1-1 ロールズによる正義の論証の変遷 「正義は社会制度の第一義的徳である。それはちょうど思想体系において真理が第一次的徳である のと同様である。理論は,それがエレガントでむだがないものであっても,真でないなら,破棄するか, 改訂しなければならない。それと同様に,いかに効率的で,よく調整されていても,それが不正義で あるなら,法と制度は改革するか,廃止しなければならないJo (Rawls 1971 p.3) 上の文は,ジョン・ロールズ(1 921-2002) の『正義論」第 1 章第 1 節「正義の役割」の冒頭部分 である (Rawls 1971 ,以下では TJ と略記)。ロールズの『正義論」は,価値自由を標梼する社会科学 の世界で,社会正義の基本原理を理論化するという,ふつうの社会科学者なら避けて通る問題に挑 戦した。この著作が刊行されたときの大きな反響は,こうした,素朴ではあるが,一面ではまっと うな問題意識にもとづくロールズの理論が,たんなる無知の露呈ではなく,当時の社会科学の成果 をふまえて,ある程度まで論理的に提示されたことによるだろう。ロールズが提出した「公正とし 〈現代社会学ワ〉

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ロールズにおける「正義」の論証一合理的選択と公共的合意ー

沢田善太郎

っか LいハかれはIfj卜轟論。では. ~) u県初状態の当事者たちが合理的にふるまうなら,正

義についてどんな原理に同意するかを論理的l

じ有している公共的政治文化における良識と合

致しているならば,正義の原理として採択す」

公共理性との照合を反省的均衡とよんでいる。しかし,この万法では,合理的選択理論が放

棄されることによって,論理的推論の手段が貧しくなると,正義の理論は既存の公共的政治

文化の追認に終わらざるをえなくなる。ロールズの1980年代以降の議論は,まさにこの道を

進むことになった。

キーワード:ジョン・ロールズ,合理的選択,公共的合意,原初状態,反省的均衡

付記 本研究は2005年度広島国際学院大学現代社会学部特別研究「討議民主主義の社会学

的研究j の援助ドー

1 問題設定

1-1 ロールズによる正義の論証の変遷

「正義は社会制度の第一義的徳である。それはちょうど思想体系において真理が第一次的徳である

のと同様である。理論は,それがエレガントでむだがないものであっても,真でないなら,破棄するか,

改訂しなければならない。それと同様に,いかに効率的で,よく調整されていても,それが不正義で

あるなら,法と制度は改革するか,廃止しなければならないJo (Rawls, 1971, p.3)

上の文は,ジョン・ロールズ(1921-2002)の『正義論」第 1章第 1節「正義の役割」の冒頭部分

である (Rawls,1971,以下では TJと略記)。ロールズの『正義論」は,価値自由を標梼する社会科学

の世界で,社会正義の基本原理を理論化するという,ふつうの社会科学者なら避けて通る問題に挑

戦した。この著作が刊行されたときの大きな反響は,こうした,素朴ではあるが,一面ではまっと

うな問題意識にもとづくロールズの理論が,たんなる無知の露呈ではなく,当時の社会科学の成果

をふまえて,ある程度まで論理的に提示されたことによるだろう。ロールズが提出した「公正とし

〈現代社会学ワ〉 日

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ての正義(justiceas fairness) J の理論の影響をぬきにしては,近年の自由主義理論・功利主義理

論の刷新のこころみ,アマルテイア・センに代表されるあたらしい厚生経済学の動向,さらには,

コミユニタリアニズム(共同体主義)やリパタリアニズム(自由至上主義)の社会理論の登場など,

社会正義に言及する現代の「社会的規範理論」の台頭は語れない注 o

とはいえ,社会科学の道具で正義を論証することはやはりむつかしい。ロールズほど,その生涯

でつぎつぎと批判をうけた学者もすくないだろう。ノーマン・ダニエルズが編集した『正義論」へ

の批判論文の選集 (Daniels,[1975], 1985) は,まだ 1巻本として出版できた。しかし,ロールズ

の後期の著作への批判論文も集録したチャンドラン・クカサス編の選集 (Kukathas,2003)になる

と,全4巻になる。ロールズ批判がつきない理由のひとつは,正義を論じるさいのかれの論証方法

が時期によってことなり,かつ,そのどの時期の方法をとっても批判の余地があるからである。

ロールズはその生涯をつうじて,公正としての正義の内容として,

正義の第 1原理 すべてのひとは平等な基礎的権利と自由が完全に妥当する枠組みを平等に

要求することができる。

正義の第 2原理社会的経済的不平等はつぎの 2つの条件をみたすべきである。①地位や

役職は機会の公正な平等という条件ですべてのひとに開かれているべきである。②それは

社会のもっともめぐまれないひとびとに最大の福利を提供するものであるべきである。

という「正義の 2つの原理」を主張した。しかし,この 2つの原理の論証方法は,かれが「道徳理

論におけるカント的構成主義J (Rawls, 1980)や「公正としての正義一一形而上学的ではなく政治

的なJ (Rawls, 1985) などを発表した1980年代に 11正義論」から変化した注20

ロールズは『正義論」で功利主義の正義論を真っ向から批判し,公正としての正義を功利主義に

代わる正義の原理であると主張した。しかし,かれは1985年の論文で,公正としての正義が「正義

についての政治的見解 (politicalconception of justice) J であるとみなすようになった。正義につい

ての政治的見解とは,正義についてのさまざまな「包括的教説 (comprehensivedoctrine) J のあい

だの原理的な対立には立ちいらず,政治と経済の領域にかぎって,対立する教説のあいだの一致点

をみつけようとする理論のことをいう。その結果,かれは,その後の大著「政治的自由主義」

(Rawls, [1993], 1996,以下ではPLと略記)では,公正としての正義を功利主義と対立するものでは

なく,功利主義の正義論が現実の社会に適用されるさいの近似であると論じるようになった (PL,

p.170)。論争から和解へという,こうしたロールズの論旨の変化は,ハーパーマスによるロールズ

批判の主要な論点となった(高野訳, 2004)。

正義の原理の位置づけの変化にともなって,正義の原理の論証方法も変化する。くわしくはのち

に述べるが,ロールズは『正義論」では,正義の 2つの原理を原初状態における合理的選択 (rational

choice) として論証しようとした。ところが, 1980年論文で「公正としての正義」を構成主義

(constructivism)の観点から再構成しようとしたロールズは,その帰結として1985年論文で合理的

選択理論の放棄を宣言するにいたった(注17を参照)。

1-2 問題設定

本稿では,このような論証方法の変更に内在するロールズの議論の弱点を検討するためにIi'正

義論』と先にあげた1980年代以後の著作とから,いくつかの論点をとりあげて議論する。

52 <現代社会学ワ〉

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まず筆者の問題意識を説明したい。経験科学としての社会科学のモデルでは,論理整合性だけが

真偽判断の基準ではない。社会科学のモデルが真であると主張するには,そのモデルによる推論が

経験的妥当性をもち,説明したい当該の社会現象と合致していることが必要である。ところが,正

義の原理の論証では,経験的現実を真偽判断の基準とすることはむつかしい。現実の社会でひんぱ

んにみられる現象だからといって,その現象が正義であると判断できるものでもないし,逆に,不

正義であると判断できるものでもないだろう。経験的現実から直接に道徳をみちびけないために,

道徳現象を道徳的に論じる社会科学は,あらかじめなんらかの倫理規範を前提にし,それに照らし

て現実の社会を批判するという批判理論のスタイルをとることが多い。批判理論の前提になる倫理

規範そのものを論証するという課題は,めったにとりあげられない。ところが,ロールズのように,

正義の原理そのものをみちびきたいときには,その推論の妥当性はどのように検証されるのだろう

か。

ロールズがまだ20代の1951年に書いた論文「倫理上の決定手続きの概要J (守屋明訳)を読むと,

かれは研究者生活をはじめた時期から,この問題に関心をもっていたことがわかる。私見によれば,

ロールズはこの時期から終生,道徳的見解の正しさの判定に,公平で聡明な人たちならだれでもそ

の道徳的見解に同意できるという基準を採用していたようである。いいかえれば,ロールズは道徳

原理の根拠を社会成員の公共的な同意にもとめる。かれが『正義論」で,正義の原理の決定条件と

して,各個人に固有の利害や固有の価値が捨象された原初状態(本稿第3節)での討議によって,

その原理が全員の賛同がえられることをあげていることも,そのひとつのあらわれである。

筆者が注目したいのは,こうしたロールズの視点と討議理論との関連である。筆者は,組織や集

団の意思決定における討議の役割と,これにかかわって,最近,多くの研究が発表されている討議

民主主義論に関心をもっている。討議民主主義 (deliberativedemocracy) とは,集団や社会がその

成員を拘束する決定をするさいには,それにさきだって成員の討議と合意を重視すべきであるとい

う観念に, 1980年代につけられた呼称である(沢田, 2005) 0

討議民主主義論の台頭にもっとも寄与したのは11'コミュニケーション的行為の理論」から『事

実性と妥当性」にいたるハーパーマスの一連の著作であろう。これとならんで,理性的な市民が各

人の利害や価値を捨象して,公共討議 (publicdeliberation) をしたときに到達するであろう正義の

諸原理を追究したロールズの仕事の影響も無視できない。最近では「公共理性 (publicreason) J

ということばは注 3 討議民主主義とほぼ同義語として使われることが多い (D'agonisto,1996;

D'agonisto & Gaus, 1998; Frohock, 1993; MacGilivary, 2004)0 11'正義論」から転進したロールズが,

カントが「啓蒙とはなにかJ (カント, 1784)でもちいた「理性の公共的使用」ということばを換骨

奪胎し,対立する諸思想の「公共理性による和解J (Rawls, 1985, CP, p.395) を論じたことは,こ

のことばのこの用法が流布するきっかけとなった注40

けれども,ロールズ、が討議を論じるさいのスタイルは,討議理論のなかでもかなり特異である。

ロールズのばあい r討議」は現実におこなわれるのではなく,かれの頭のなかでおこなわれる。

一定の条件のもとでなら,討議の参加者たちの全員がおなじ結論に到達するであろうという推論は,

あくまでロールズの推論である。もちろん,推論という作業はたいていはひとりの個人が頭のなか

でするものである。また,推論をした本人以外に,他の多くの個人が同意するということは,推論

の正しさを確信させる有力な手段のひとつであろう。しかし,その推論を支持するとみなされる多

くの個人が,じつは推論をおこなった当の本人が考えた仮想的個人であるとき,かれらの同意は,

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推論の正しさをたしかめるうえで 決め手にはなるまい。ハーパーマスは,正義の原理をみちびく

ロールズの方法が,正義の原理に課せられるべき普遍性試験をモノローグ的におこなうことを批判

している(高野訳, 72頁)。ハーパーマスの議論のすすめ方は筆者のそれとちがうが,討議という本

来はダイアローグである過程を個人の思索に解消するロールズの方法論にたいして懐疑的である点

は,おなじである。

ロールズは,ロールズなりにこの問題にたいする解答を用意している。それは反省的均衡

(reflective equilibrium) という,かれ独特の方法論である。反省的均衡とは,道徳原理にかんする

論理的推論と,良識ある市民ならばだれもが支持する道徳観念とを照合することである。ロールズ

によると,正義の原理を推論する主体は r合理的かつ無偏見である観察者」でなければならない(刀,

p.184)注 5。しかし,この観察者がいかに合理的かつ無偏見であっても,かれの推論が倫理問題に

たいするほんとうに正しい結論として,すべてのひとびとから支持されるとはかぎらない。もし,

観察者の推論が市民の良識に合致しなければ,かれは推論の過程や前提を見なおさなくてはならな

い。この照合の過程は,同時に,漠然とした道徳通念を見なおす過程でもある O わたしたちの日常

の道徳意識には多くの不合理や矛盾があり,道徳原理として定式化できるような基本観念は,暗に

ふくまれているにすぎないだろう。反省的均衡が達成されるには,この漠然とした道徳意識に暗に

ふくまれている基本観念を明示し,首尾一貫したものに再編成することが必要である。

1980年代にロールズが合理的選択理論を放棄したことによって かれはそれまで使用してきた論

理的推論のもっとも有力な手段をうしなった。これにともなって,反省的均衡のありょうも変化す

る。均衡というメタファを借用すると,均衡状態をつくりだしていた有力な要素のひとつが消失し

たのだから,あらたにっくりだされる均衡では,その他の諸要素の配置も変わらざるをえない。私

見によれば,それは反省的均衡がそれ以前にもっていた日常意識にたいする批判能力を衰退させる

という結果をみちびく。以下の考察ではこのことを r正義論」とその後の著作をつうじてしめした

し、。

1-3 本稿の構成

本稿の以下の構成をしるしておく。第 2節と第 3節は『正義論』におけるロールズの構想のスケ

ッチである。第 2節では,社会成員のすべてに適用される正義と個人の任意にゆだねられる善

(good) というロールズの道徳哲学の基本構図をしめす。第 3節では,原初状態のモデルをがどの

ような仮説によって構成されているかをしるす。

第4節では,原初状態の仮説群のもとで合理的選択がされるとき,ロールズがいうように,正義

の2つの原理がほんとうに採択されるかどうかを吟味する。筆者の結論は,原初状態のモデルから

2つの原理をみちびくには,その仮説の一部を手なおしする必要があるということである。先述し

たように,ロールズは『正義論」ののち,合理的選択理論によって正義の原理をみちびくことを断

念した。第 5節では,ロールズが合理的選択理論を放棄したことがロールズの理論にもたらした結

果を論じて本稿を終える。

1・4 テクストについて

『正義論」は1971年に初版, 1999年に改訂版が出版された。いずれも 3部9章68節の構成で各章

各節の見出しも変わらないが,改訂版には,初版発行後のロールズの思想、の変遷を反映して,いく

54 <現代社会学的

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っかの修正がある(詳細は渡辺, 2000を参照のこと)。初期の段階のロールズの思想をとらえるには,

後の修正をへた改訂版よりも,初版が望ましい。本稿がとりあげるのは r正義論」初版であり,引

用ページの記載もこれによっている。なおD"正義論」初版の邦訳は,矢島鈎次監訳で1979年に紀

伊国屋書庖から出版されているが,現在は絶版,残念ながら筆者も未見である。

その他の著作についても述べておこう。 r政治的自由主義」は1993年に初版, 1996年に改訂版が

出た。これについては, 1995年のハーパーマス=ロールズ論争でのロールズの応答を追加集録し

た改訂版をもちいた。そのほかのロールズの主要論文は1999年に刊行された『論文集.1 (RawIs,

Collected Papers, 1999,以下,CPと略記)に集録されている。これらの論文の引用は,すでに邦訳の

あるものをのぞくと,引用ページの記載は r論文集」により,初出年次,引用ページ数のj頓に,

“Rawls. 19料, CP,pf同"のようにしるす。

2 正義と善 (good)

2-1 r正義」の意味

『正義論」でのロールズは,かれの「公正としての正義」の理論が,今日の正義の理論の主流と

目される功利主義の正義論 (r最大多数の最大幸福」の理論)に対抗し,ルソー,カントんに代表され

る契約説の正義の理論を現代に再生するこころみであると宣言する。ということは,正義の理論に

はロールズの理論以外にも,功利主義の正義論をはじめとして,いくつかの代替肢が考えられると

いうことである(万, p.124) 0ここではまず,競合する正義の諸原理に共通する「正義」というこ

とばの意味を,正義の 2つの原理のような正義の理論の内容についての議論に先だってたしかめて

おこう (T],pp.58-59)。

「正義」は,道徳にかかわる多くのことばのなかでも,社会とのかかわりでとらえられることが

多いことばである。本稿の官頭で引用した「正義は社会制度の第一義的徳である」というロールズ

の命題は r正義は人為的徳である」というヒュームの r人性論」の命題 (Hume,[1739-40], 2000,

p.307, [3.2.1.1]) を連想させる。この 2つの命題はともに,正義が人間にとって生得的なものでな

く,人間が社会のなかでつくりだすものであることを主張している。

ヒュームによると,正義は,家族愛のように人聞が生まれながらに保有している自然的徳とちが

って,所有関係を安定させるという公共の利益のために,文明社会が多くのしきたり (convention)

をつくりあげるなかでひとびとに内面化された情念である。

ロールズがとりあげる開題は,近代初期に市民的所有権の確立をテーマとしたとュームとはちが

うO ロールズは,先に引用した正義の第 1原理がしめすように,すべてのひとびとに最大限の自由

を平等に保障することを正義の最優先課題と考えた。かれは,大まかには市場経済を念頭において

いるが,生産手段の私有や国有など,特定の所有関係と正義の原理とをむすびつけることはしない

(T], pp.265-274)0かれが正義の第 2原理で注目するのは,市民間の経済的不平等の許容範囲をど

う設定するかという問題である。あえてステロタイプ化した言いかたをすれば,高度に組織化され,

福祉化もすすみつある現代産業社会における権利と富の配分が,かれの問題意識であるといえよう。

ロールズの議論は,社会を協働システム (systemof cooperation) としてとらえることから出発

する O

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「社会が,相互関係を維持するために特定の行動規則をみとめあい,たいていはその規則を遵守して

いるひとびとからなる多少とも自己充足的なアソシエーションであると仮定しよう。さらに,これら

の規則がそれに参加しているひとびとの善 (good)を促進するための協働システムを規定していると

仮定しよう。このとき,社会とは相互利益のための協働の冒険であるJ (Tj, p.4)

協働による生産力の増大は大まかには社会のすべての成員にとって利益であろう。しかし,それ

は同時に,協働による利益をどのように分配するかについての利害対立も生みだす。ロールズは,

この利害対立を解決するには 協働の利益の分配原理について社会成員のあいだで合意が成立して

いることが必要であるという。ロールズの用語法では,正義の原理とは協働によって生じる利益の

社会的分配原理である。

「協働によって生じた利益をどのように分配するかを決定するさまざまな社会的調整方法のうちから

どれかをえらび,適切な分配シェアについての同意を確実にするためには,一連の原理が必要である。

これらの原理が社会的正義の原理である。すなわち,それは社会の基礎構造における権利と義務を課

する方法をあたえ,社会的協働の利益と負担の適切な分配方法を規定するJ (Tj, p.4)

正義の原理について合意が成立し,諸制度がこの原理にもとづいて組織されている社会のことを,

ロールズは「よき秩序の社会 (well-orderedsociety) J とよぶ。その意味で,正義の原理はよき秩

序の社会の編成原理である。

「正義」が日常用語として使われるときには,それは社会の原理という意味だけでなく,同時に,

個人の正しい行動を指示する原理という意味ももっている。しかし ロールズは上で述べた意味で

の社会的正義を「正義の主題」とし,これを人間行動の正義にかんする問題と区別する。

「さまざまなことがらについて,正義と不正義がいわれる。法,制度,社会システムだけでなく,決定,

判断,罪科などのさまざまな行為についてもそうである O 人間の態度・性向や人間自身についても正

義・不正義がいわれる。しかし,本書のトピックは社会正義である。本書では正義の第一主題は「社

会の基礎構造 (basicstructure of society) J ,もっと正確にいうと,主要な社会制度が基本権と義務を割

りあて,社会的協働からの利益配分を決定する方式である O ここでいう主要な社会制度とは,政治体

制 (politicalconstitution) と主要な経済的・社会的調整方法であるJ (刀, p.7)

ロールズによると,個人の「正しさ (right)J についての理論注6は rよき秩序の社会」にかか

わる社会的正義の理論にくわえて r責務 (obligation)J や「自然的義務 (naturalduty) J を規定す

る「個人にかんする原理」を必要とする (Tj,p.108-110)注7。個人にかんする原理についてのロー

ルズの議論は煩現になるので,注7にまわす。ここでは社会正義にかんする原理と個人にかんする

原理とが区別されていることに注意したい。私見によれば11'正義論」でのこの区別が,のちにロー

ルズが正義の原理を「正義についての政治的見解」と規定しなおすことの根拠のひとつになってい

るO

2-2 善の意味

『正義論」に登場する道徳にかんする用語には,正義の系列のほかに,善 (good)の系列がある。

前者は社会の全成員に適用される。後者は,多元化した現代社会では,個人によってちがう。ロー

56 <現代社会学 7)

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ルズによると,善とは,各人が各人の人生の目標(ロールズのことばを借りると「合理的人生計画J)

を実現することであり,あることがらがある個人にとって「善い (good)J とされるのは,それが

かれの人生の目標に寄与するということである (T],pp.395-404)。

ロールズによると,ひとそれぞれによってちがう善にさきだ、って,社会成員が共有する正義の原

理を確定しなければならないのなぜなら,社会が成員聞の価値や利害の相違がもたらす葛藤をでき

るだけ小さくするには,社会成員が正義と不正義の判断について共通の基準をもち,この基準にし

たがって各人が各人の善を追求するという状態をつくりだす必要があるからである。同時に,正義

の原理とそれにもとづく「よき秩序の社会」は,各人の善の実現をできるだけ促進するように,構

想されなければならない。

3 原初状態のモデルと合理的選択

3-1 正義を論証するということ

2-1で述べたように,正義の原理にはいくつかの選択肢が考えられる。現実の社会では,諸集団

のあいだでの正義についての見解の相違が紛争の原閣になることもめずらしくない。そんななかで,

正義の諸原理の優劣を決し,特定の正義の原理を公共的見解 (publicconception) として選択する

とは,どういうことを意味するのだろうか。ロールズは社会正義をめぐる議論に決着をつけるため

に,正義がみたすべき 4つの条件を設定する (T], pp.5-6)。一一①同意 (agreement) 正義の原

理は社会の成員のすべてから同意をえられるものでなければならない。②調和 (coordination)

正義の原理は諸個人による善の追求を調和させ,これらの行為を促進するものでなければならない。

③効率 (efficiency) 正義の原理は諸個人による善の追求が,同時に,社会の共同目的の実現を促

進するように構成されなければならない。④安定性 (stability) 正義の原理にもとづいて編成さ

れた社会は安定した持続可能なものでなければならない。

ここでは,これらの基準のうち「河意」にしぼって議論をする注 80 ロールズは現実の社会では

正義についての見解に対立があることをみとめている。正義の諸原理について対立があるというの

に,どうすれば全員が同意する特定の原理を選択できるのだろうか。ロールズはこの問題に答える

ために,原初状態 (originalposition)のモデルを提唱する。

現実の社会では諸個人や諸集団ががかかげる正義の要求は,かれらの固有の利害や価値にもとづ

くバイアスをふくんでいる。これらのバイアスをとりのぞくために,ロールズは,ひとびとが自分

がどんな集団に属するかを知らず,かつ,現実の社会で自分がどんな価値を信奉するかもわからな

い状態を想定する。これが「無知のヴェール (veilof ignorance) Jにおおわれた原初状態である。ロー

ルズによると,それぞれの個人に固有の価値や利害が捨象された原初状態で,ひとびとが一致して

到達するであろう正義の原理こそ,諸個人のバイアスからまぬがれた,不偏的(impartial) な正義

の原理である。ロールズが自分の理論を社会契約説の再生であるというのは,かれが,原初状態の

モデルを,自然状態におけるひとびとが契約をつうじて社会をつくるという社会契約論の想定にな

ぞらえるからである。

3-2 合理的選択理論

すでに述べたようにIJ"正義論」でのロールズは,社会科学でよくもちいられるモデル構築の方

〈現代社会学 7) 57

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法によって,正義の原理をみちびこうとする。ここでいうモデルとは,経験的に観察された事実を

説明するための理論仮説の集合である。たとえば r社会的凝集は,強い緊張や不安にさらされて

いる集団成員に心理的ささえをあたえるJ,r自殺率は,ひとびとの除去されない不安や緊張の関数

である」というデユルケームの『自殺論」のふたつの命題は,モデルである。なぜなら,これらの

理論仮説は rカトリック教徒の集団はプロテスタントの集団より凝集性が高い」という事実があ

たえられたとき rカトリック教徒はプロテスタントよりも自殺率が低い」という経験的事実を説

明するからである。さらに,このモデルは,凝集性がことなる集団関の自殺率の相違について,検

証可能な予測を系統的にみちびくこともできる。

社会科学がもちいるモデルにはいくつかのパターンがある。そのなかでもっともよくもちいられ

るのは,合理的選択のモデルだろう。個人にいくつかの行動の選択肢があるとき,かれがなんらカ、

の基準からみて自分にとって利得が最大になると予想される選択肢をえらぶことを合理的選択,J-'い

う。合理的選択のモデルとは,ひとびとが合理的に選択をすると仮定して,ある状況でひとび左が

どんな行動をとるかを予想したり,あるいは,多くのひとびとが合理的選択をするとしたら,結果

的に社会全体でどんなことがおこるかを予想するモデルである。「悪貨は良貨を駆逐するJ という

グレシャムの法則は,合理的選択モデルのもっとも素朴な例であろう(経済学のモデルはほとんどが

合理的選択のモデルである)0 Ii正義論」での原初状態のモデルは,この意味での合理的選択モデルを

意図している(3-1で述べた正義にかんする同意の基準は,ひとびとがおなじ環境で,おなじ合理性基準に

もとづいて合理的選択をすれば,おなじ選択肢をえらぶであろうという合理的選択モデルの相定にもとづい

て論証されることになる)。

「契約論的ターミノロジーの利点は,合理的選択の見地からの正義の説明と正当化が可能であるとい

うことである。正義の理論は合理的選択理論の一部分,たぶんそのもっとも重要な一部分である」

(刀, p.16)

3-3 原初状態の仮説群

3-]で述べたように,ロールズによると,原初状態における「当事者たち (parties)J 注 9は,現

実の社会での自分たちの利害や価値について未知であるという特殊な情報環境で正義の原理を選択

する。また, 3-2で述べたように,当事者たちはなんらかの合理性基準にもとづいてこの選択をする。

原初状態のモテ守ルによって正義の原理をみちびくためには,こうした情報環境や当事者たちの合

理性基準などの条件について一連の仮説をさだめ これらの仮説からの帰結を推論する必要があ

る。ロールズは『正義論」第25節で,原初状態のモデルにふくまれる仮説を12項目をあげる (TJ,

146-147)。煩潰になるが,かれのあげた項目にそって原初状態のモデルの想定をまとめておこう。

仮定 1 当事者の性質(継続的人間):原初状態の当事者たちは,継続的人間 (continuingpersons)

である。継続的人間とは,家族と子孫を代表し,未来の世代にもかかわる長期的な利害に配慮する

人聞を意味する。

仮定 2 正義の主題(社会の基礎構造):正義論の主題は?先述したように,社会の基礎構造(社

会の基礎的な政治・経済制度)における正義に限定される。

仮定3 選択肢の提示(限定的リスト):選択の対象である正義の原理はリストとして提示される O

「正義論」はこのリストに「正義の 2つの原理」のほかに r正義の 2つの原理を一部修正した見解

58 (現代社会学ワ〉

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(平均効用原理)j, r古典的目的論(古典的功利主義)j, r直観主義j,r利己主義」の 4つの代替肢をあ

げている。当事者たちはリストにある選択肢を対比較し,そのなかから最良の選択肢をえらぶ。正

義の 2つの原理が最良であるという判断は,あくまでこれらの選択肢のなかでは最良であるという

判断である。

仮定4 参入時期(任意の時点):ロールズの理論が社会契約論を継承するといっても,実際に社

会成員が集まって契約をむすぶという場面を想定しているわけではない。ロールズが考えているの

は,わたしたちのだれもがその気になればできる思考実験である。このとき,ロールズの想定した

原初状態の制約条件と合理性基準とを前提に推論すれば,だれもがおなじ結論に到達するとすれば,

先述した同意の基準がみたされることになる。

仮定 5 正義の環境(ゆるやかな稀少性):正義の環境 (circumstancesof justice) j とは, ビュー

ムが『人性論」で正義と私有財産の成立を論じるときにもちいたことぼである。ロールズはビュー

ムの考え方を継承し,ひとびとに配分される資源の「ゆるやかな稀少性 (moderatescarcity) j が

漂初状態の特徴であるとする。つまり,原初状態の当事者たちは,資源配分の効率性を意識せざる

をえないのである O

仮定 6 原理の形式的条件:正義の原理は,つぎの条件をみたすものでなければならない。

正義の原理は, (1)一般性:一般化された命題で構成される。 (2)普遍性:すべての社会成員に適用

される。 (3)公共性:すべての社会成員に周知される。 (4)順序:対立する諸要求に優先順序をつけ

ることができる。 (5)最終性:諸要求の対立に決着をつける最終審廷となる。

仮定 7 知識と信念(無知のヴェール):先述した無知のヴェールの仮説である。無知のヴェール

によって,当事者たちはなにを知らず,なにを知っている状態で正義の原理を選択するのだろうか。

ロールズは r正義論」の第24節「原初状態」で,つぎのように整理している。

A 当事者たちが知らないこと

(1) 当事者は社会内での自分の場所,階級的位置あるいは社会的地位を知らない。

(2) 当事者は自分の生得の能力や知力がどれくらいであるかを知らない。

(3) 当事者は自分がどんな善の観念を有しているかを知らない。

(4) 当事者は自分がどんな性格か(たとえば楽天家か悲観家か)を知らない。

(5) 当事者は自分の社会の経済的・政治的状況や文明・文化の到達点を知らない。

(6) 当事者は自分がどんな世代に所属するかについて知らない。

B 当事者たちが知っていること

一方,ロールズは,当事者は個別の情報は知らないが,人間,経済,社会の一般法尉は知ってい

ると仮定する O

「当然のことながら,かれらは,人聞社会の一般的事実を知っている。かれらは政治問題と経済理論

の諸原理とを知っている。かれらは社会組織の基礎と人関心理学の諸法尉とを知っている。じっさい,

正義の原理の選択に影響をおよほす(すべての)一般的事実を知っている O 一般的情報についてはなん

の制限もない。すなわち,一般法則と諸理論についてはなんの制限もない。なぜなら,正義について

の見解はかれらが規制する社会的協働のシステムの特徴にあわせなければならないし,これらの事実

を閉めだす理由はまったくないからであるJ (η. pp.137-138)

残念なことに,ここでいう人間,社会,経済の「一般的事実j,r一般法則」とはなにか,ロール

〈現代社会学 7) 59

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ズは説明していない。そのことは,のちに正義の原理の導出に困難を生みだすことになる。

仮定 8 当事者の動機(相互無関心に原初状態の当事者たちは相互無関心である。この仮説の意

味は,ひとは自分の利益の増加を望むが,他者がそれをうわまわる利益をえてもそれをうらやまな

いということである。

仮定9 合理性:合理的選択理論の基本的仮定である。原初状態のひとびとはつねに自分の利益

を最大化をめざすと仮定する。

仮定10 同意の条件(恒久的な満場一致):正義の原理は r.恒久的な満場一致」によって採択される。

仮定11 服従の条件(厳格な服従):合意された正義の原理には成員は厳格に服従する。正義の論

証では,この仮定は,かれらは服従できないほど負担の大きな合意をすることはないという推論に

ももちいられる。

仮定12 合意 (agreement)に達しない点(一般的利己主義):個人の特殊な事情にもとづく利己

主義は,原理の普遍性条件(仮定6)から排除される。しかし,正義の原理は諸個人がそれぞれこ

となる善を追求する存在であることを受けいれる。

4 Ii正義論』 における正義の論証

4-1 基本財の概念と第 1原理の導出

以下では,ロールズが上にしるした原初状態のモデルをもちいて,どのように自由の 2つの原理

をみちびいたかを検討する。ロールズの想定によると,原初状態の当事者たちは,善の追求が人生

の基本的な目標であるという一般的事実を知っている。しかし,かれらはそれぞれ自分がどんな善

をめざしているかという個別的事実を知らない。いわば,かれらは目的不明のまま目的合理性を仮

定されている。

ロールズは,この奇妙な状態のもとでは,ひとびとは基本財 (basicgoods)の配分に関心をもっ

と推論する。基本財とは r正義論」では,権利と自由,機会と権力,収入と富など,個人の人生

計画がどんなものであるにせよ,それ実現しようとすれば,かならず必要になる財 (goods)のこ

とである。ロールズによると,ひとびとは無知のヴェールがとりさられたのちに判明するであろう

自分の善を実現するための準備として,原初状態ではとりあえず基本財の適正な配分を望む。

このとき,正義の第 l原理は,自由がもっとも重要な基本財であるという認識からみちぴかれる。

宗教戦争の時代のカトリックを国教とする国や,プロテスタントを国教とする国のように,善の判

断が,多数決や独裁者の判断などによって,一元的に規定される社会を考えよう。その社会は,た

またまその善を支持する個人にとっては,望ましい社会であるかもしれない。それゆえ,個人は,

無知のヴェールがとりはらわれたときに,かれの善が社会の善と一致していることがわかれば,そ

の社会を支持するかもしれない。しかし,別の善を信奉する個人にとっては,その社会は迫害の危

険にみちた,人生の目的が否認される最悪の社会であろう。それゆえ,無知のヴェールがとりはら

われれば,かれはそんな社会を望まないだろう。

仮定によれば,原初状態における当事者は自分の善が何であるかを知らない。しかし,かれは,

無知のヴェールがとりはらわれたときに,自分がなんらかの善を信奉しているにちがいないことを

知っている。そういうかれにとっては,自分の善が承認されるか,逆に否認されるかがわからない

一元的社会よりも,すべての善がみとめられる自由な社会が望ましいと考えるであろう。原初状態

60 <現代社会学 7)

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の当事者たちは,みなおなじ環境におかれ,自分特有の個性を排除されているので,かれらはすべ

てこれとおなじように判断をするだろう。すなわち,かれらはかれらに平等に自由が保障された多

元的社会をえらぶだろう。

以上が,ロールズが正義の第 l原理をみちびく推論の筋道である。しかし ロールズとおなじ仮

定をもちいて,当事者たちは善が多数決によって規定される社会を選好するという,意地の悪い推

論がなりたつ可能性もある。多数決で善が決定される社会では,個人が多数派に属する確率は0.5

をこえる。もし自分の善が社会的支持を独占することの利益とそれが否認されることの損失の絶対

量がひとしいとすれば,各個人にとって,社会が多数決によって善を決定することの期待利益はプ

ラスになるだろう。同一条件におかれた原初状態の当事者たちがすべてこれとおなじ判断をすると

仮定すれば,多数決による善の決定は満場一致で採択されるだろう。あるいは,仮にひとりでもこ

のように判断する個人がいれば,満場一致を採択の基準とするロールズのモデルでは,正義の第 l

原理は原初状態では決定不能におちいるだろう。

もちろん,上の議論への反論はいくつも考えられる。たとえば,自分の善が社会的支持を独占す

ることの効用にくらべると,自分の善が,他人が信奉する(自分の善には相反する)善と同等の資格

で認知されることの効用は小さいかもしれない。しかし,すべての個人がこの小さな利得をえると

きの総利得は,多数決によって唯一の善を決定するときのそれよりも大きいはずだというような反

論である。

しかし,このような反論をするときには,ロールズが正義の論証で避けようとした「効用の個人

間比較は可能か ?Jという問題注10や r自由の効用は計測可能か ?Jという問題に直面する。ロー

ルズは,正義の第 2原理が効用原理よりもすぐれている根拠のひとつに,複雑な効用計算を避けて

通れることをあげる (T],pp.318-325)。そうであれば,自分の善が社会的支持を独占することの効

用と,たんに承認されることの効用とが,どれくらいちがうかというような効用の差の計測の問題

もおなじ困難におちいるのである注110

ハーパーマス(高野訳)は,ロールズが自由のような基本的権利を財とみなしたことに無理があ

るという。自由はそれが貴重な財だから最優先されるのではなく,当事者たちが規範的義務として

まず相互の自由を尊重することに合意するからこそ,自由の原理が成立するのだというのが,ハー

パーマスの言いたいことだろう。たしかに,この考え方は自然だし,効用計算をしなくてもいいか

ら,前段落で述べたような困難も解消する。しかし,本稿の第 5節で述べるように,ハーパーマス

が『政治的自由主義」を念頭にロールズ批判をしたときには,すでにロールズはハーパーマスの指

摘する方向で正義の理論の改編をおこなっていたとみるべきだろう。そして,このロールズの方針

転換は,原初状態のモデルを無用の長物にし,ハーパーマスの期待とうらはらに,ロールズの理論

の現状追認的性格を強めることにもなったのである。

『正義論」でのロールズのアイデアをいかしつつ,第 1原理をみちびくには,原初状態のモデル

に,①原初状態の当事者たちは,数量的な情報をもちいられない選択には,予想されるいくつか

の状態についての選好順序から判断する,②この判断は,無知のヴェールがとりはらわれたとき

に生じうる最悪の事態を回避するマクシミン基準による,という仮定を追加するのがいいだろう O

そうすれば,当事者たちは自分にとっての善が否認されるという最悪の事態を避けるために,平等

な自由をえらぶという推論がむりなくみちびけるのではあるまいか。次項で述べるように,ロール

ズが正義の第 2原理をみちびくさいにマクシミン基準を採用したことの可否はIr正義論」をめぐ

〈現代社会学ワ) 61

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る論争の焦点ぬひとつになった。私見によれば,それは実際には第 1原理の導出でもすでに潜在し

ていた問題である O

4-2 第2原理の導出

原初状態の当事者たちが平等な自由にすでに合意している状態から推論を再開しよう。自由が平

等に保障されている状態でも,ひとびとが自由をどれくらいうまく活用し,経済的な収入や富をど

のくらい得るかは,ひとそれぞれの天分や社会的偶然によって,ちがうだろう。このことから生じ

るであろう経済的分配における不平等をどう規制するかという分配における正義の問題が,正義の

第2原理の主題である。

収入や富は経済財であり,価格などによって客観的に計測できる。公正としての正義の理論は,

この客観的尺度によって,分配における正義を考える。無知のヴェールの仮説によると,原初状態

のひとびとは自分の普を知らないので,ある財が自分にもたらす効用を正確に見積もることはでき

ない (η,p.155)。ロールズによると,おなじ量の財がひとによってことなる効用をもつことに注

目する功利主義の理論は,効用の正確な判断ができないときには受けいれにくい理論である。

分配における正義としてまず頭に浮かぶのは,すべてのひとに等しく富と収入を割りふる平等主

義であろう。ロールズによると,原初状態の当事者たちもこれを出発点にして推論をはじめるが,

最終的には平等主義とちがう結論に到達する(刀, pp.150-151)。現実の社会には工業労働者,農民,

大学教員などなど,さまざまな職業やその他の社会的地位がある。これらの地位をめぐる市場をう

まく調整し,協働の利益をふやすためには,平等主義だけでは達成できない効率の問題を考慮しな

ければならない。

1-1にしるしたように,正義の第 2原理は経済的不平等がどういう条件のもとで正当化されるか

を規定する原理であり,①地位や役職の機会の公正な平等,②もっともめぐまれないひとびとの

福利の向上,という 2つの要素がある C ロールズは,前者を機会の公正な平等の原理 (principleof

fair equality of opportunity) といい,後者を格差原理 (differenceprinciple) とよぶ。この 2つの原

理に共通する観念は,社会のすべてのひとに結果的に利益になる不平等は許されるということであ

る。重要な地位や役職に有能な人材を集めるにはそれなりのインセンテイプが必要である。ロール

ズは,こうした優遇措置が結果的に社会のすべてのひとに利益をもたらすなら,原初状態の当事者

たちは合理的判断として不平等を許容すると推論する。

まず,公正な機会の平等について。出自やその他の理由によってつくられる閉鎖的な社会集団が

特定の地位を独占するのではなく,すべてのひとにその地位に接近できるようにすれば,適材適所

が実現し,協働システムの効率が高まるという推論は,実際には自分がどんな地位にあるかを知ら

ない原初状態の当事者たちには合理的な推論であろう。また,当事者たちが,子孫にも責任をもっ

継続的人間(仮定 1)であることも,かれらがこの原理に同意する根拠になる。なぜ、なら,この原

理は,無知のヴェールがとりのぞかれたのち,もし,ある当事者が現実の社会では低い地位にあっ

たとしても,そのことがかれの子孫にまで悪影響をおよぼさないための保険になるからである。

つぎに格差原理について。公正な機会の平等が分配における不平等を正当化する原理であるとす

れば,格差原理は不平等の幅を規定する原理である。ロールズは この問題に答えるにあたって,

まず, r (経済的不平等が)すべてのひとびとの利益になることが,理性的に期待できる」という正

義の第 2原理の原型からスタートする (T],p.60)。

62 <現代社会学ワ〉

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この第 2涼垣の風型は,経済的不平等はもっともめぐまれないひとびとの利益になるかぎりで正

義であるという,最終的に定式化された格差原理とちがっている。格差原理が採用されるのは,ロー

ルスの推論によると,原初状態の当事者たちはリスクをともなう選択では合理性基準としてマクシ

三ン基準を採用するからである。マクシミン基準とは,不確実な環境のもとでは,最悪の事態が生

iたときの被害を最小にするように選択をすべきであるという基準である。原初状態の当事者たち

は,無知のヴェールにおおわれているので,自分が誠実の社会でどんな地位にあるかを知らない。

万れらにとって最悪の事態とは,無知のヴェールがとりのぞかれたとき,自分が経済的にもっとも

昨ぐまれない階層に属していることが判明するという事態であろう。ロールズによると,格差原理

ばこの事態での損失を最 'j、にするための合意である。

i詞1を使って説明しよう。図 lで横軸にとったX1の値は,最上層の平均所得をあらわすc また,

縦軸にとてた X2の値は,最下層の平均所得をあらわす。 X1とX2には関数関係があるとしよう O

Xz (最下回の平均所得)は,X 1 (最上層の平均所得)がaになるまでは上昇するが,X1がαを越す

と減少する。すなわち,最下層の最大所得は,X1 = aであるときの bであり,最適な経済的不平Y

等の幅は ω-bである。点 (a, b) は相対格差 L~ 1ーを最小ドする点ではない。最下層の平均所X2

"-...,..'J' ,~

得がある程度増加するあいだ、に,最上層の平均所得はさらに増加すると考えられるからである。ロー

ルズによると,原初状態、の当事者たちがこの事態を受けいれるのは,原初状態の仮定8により,か

れらは自分の利益の増加を望むが,他者がそれを上まわる利益をえてもそれをうらやまないからで

ある注120

X2 Xl二 x2〆

b

Xl 。 G

図 1

さらに,図 1で点Aはグラフにあらわれる 2人の当事者にとってパレート最適の状態であること

に注意したい。パレート最適とは,他の個人の満足を減じることなしには, もはやいかなる個人の

満足も増加させることができない効率的な状態のことをいう。この例では,点AはX1をG より大

きくしようとすると,X2はbより減るので,パレート最適で、ある。パレート最適は,あたえられ

た資源では,各人の利益を他者の利益を侵害することなしにはこれ以上ふやせないという意味で,

全員の利益を極大化した効率的な状態である。また,いったん到達したパレート最適の状態は,こ

の状態から他の状態に移行することには,成員のだれかから反対されるという意味で,全員一致の

同意という要請を満足する。ロールズは,全員の利益の増進と全員の同意という 2つの要請をみた

すために,格差原理がパレート最適であるということを利用しているのである。

〈現代社会学ワ 63

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Xl二 X2 B d B

X:l X3

b X2

n XJ

{} d 。C

図2 図3

図 iではパレート最適の状態は点 (a. b)以外にない。しかし,図 2や図 3では,後述するよ

うに,いくつものパレート最適状態が存在する。ロールズによると,格差原理は,最下層のひとび

との利益を最大化するという条件をつけることで,複数のパレート最適状態のなかから,そのひと

つをえらびだすための原理なのである。

けれども,パレート最適を介して,格差原理と効率,全員の同意という 3つの条件が一致すると

いうロールズの主張はなりたつ場合と,かならずしもなりたたない場合とがある。このことを,か

れの主張がなりたつ図 2のケースと,かならずしもなりたたない図 3のケースとを使って説明し,

かれの主張の意味を掘りさげることにしよう。

図 2. 図 3 は,図 l の X1 • X2にくわえて,中間階層の平均所得をあらわすX3をつけくわえた

ものである注130 まず,図 2はロールズの主張がなりたつ場合で、ある。この図では.X1の増加に

ともなう X2の変化が上昇から下降に転じる点Aは.X3が下降に転じる点Bよりも左側にある。

だから.Xぃ X2 • X3が完全に平等な状態から.X1が徐々に上昇するとき,最初に達するパレー

ト最適の状態はX1=αのときである(この例では.X1がαから Cの値をとる状態はすべてパレー

ト最適である)。たしかに, xl=α のとき.X2は極大になるが.X3はまだ極大に達していない。

けれども.X3の値はX1の値がαに達するまで増加を続けているので,経済的不平等が全員の利

益の増大に寄与するという要請と矛盾しない。 X1= aは格差原理が指示する最適状態でもあるか

ら,格差原理と全員の利益とのあいだにはくいちがいはない。それゆえ,全員一致が合意の条件で

あれば,この点で所得配分が決定されるだろう。

しかし,図 3ではどうだろうか。 X1が徐々に上昇するとき,最初に到達するパレート最適の状

態はX1= CでX3が極大になったときである。この状態からさらに,格差原理をみたすX1=α

までX1を増大させることは,この間X3が減少を続けるので,全員の利益にはならないし,損害

をこうむる中間階層の反対によって全員の同意もえられないかもしれない。

ロールズはこの問題に気づいている。かれは,図 2のように,最上層の利益を横軸にとったグラ

フで.X2が右上がりである区間では,つねにX3も右上がりである状態を鎖状の連結 (chain

connection) とよび,格差原理と全員の利益の増進という要請とが一致するのは,鎖状連結がなり

たつときであるという。さらに,かれは,図 3のように鎖状の連結がなりたたないケースでも,か

れらは仮定11によって原初状態での同意にしたがうので,もっともめぐまれないひとびとの利益が

全員の利益に優先されるとした(刀.pp.81-82)。ここで注意したいことは,ロールズが第 2原理の

プロトタイプを格差原理におきかえたのは,かれが,よき秩序の社会では鎖状の連結がなりたつの

64 <現代社会学ワ〉

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が通常であり,鎖状の連結がなりたたないのは,めずらしいケースであると考えていることである。

「鎖状の連鎖は,正義の他の条件がみたされれば,多くの場合は真であろう。そうであれば,右上が

りの区間では,完全な正義にむかう動きは,福祉の平均を向上させ,すべての期待利得を増大させる。

1中略〉もちろん鎖状の連結がめったに維持できないなら,この一致もまれにしか起こらない。しかし,

われわれはしばしば,正しい社会的調整のもとでは利得の一般的広がりに類似した現象が,長い目で

は起こると考えるJ (Tj, p.82)

この蓋然的な議論から,格差原理が,効率性と全員の同意との両者に両立すると判断するのは困

難であろう。ある経済政策が上層階級と下層階級との利益を増進するが,中産階級を衰退させると

いうことは十分にありうる。また,このような政策が正義であるとか,不正義であるとか,あるい

は,めったにみられない政策であるというように,独断的に決めつけることもできない。

原初状態の当事者が,当初は完全平等な分配から推論を出発し,もっとも重要な地位のひとに追

加的利益を提供することが,すべてのひとに利益をもたらすかどうかを順々に検討していくと仮定

しよう注140 このとき,図 3のケースで到達する合意はやはり X1= cであろう。つまり,原初状

態での分配的正義の原理は,仮定 9と仮定10を直接の前提とするかぎり,もっともめぐまれたひと

びとの利益の増加は「かれらよりめぐまれないすべてのひとびとの利得を増大するものでなくては

ならない」という第 2原理の原型であって rもっともめぐまれないひとびとの最大限の利益をは

かるものでなければならない」という格差原理にはならないだろう。けれども,ロールズは,仮定

?と仮定9をもとにマクシミン基準をみちびき,格差原理を採択した,もし,このロールズの推論

にも一理があるなら,原初状態の諸仮説は矛盾した命題をともにみちびく不完全な公理系というこ

とになる。

おそらく,このような議論にたいして,ロールズは不満だろう。かれの発想では,分配の決定は,

完全平等状態から出発して逐次的に各階層の分けまえをふやしていくのではなく,まず,図 3のよ

うなパレート最適集合(c孟 X1孟 α)が烏服され,そのなかから格差原理に合致した X1= αの

状態が選択されるのだろう。原初状態において一挙に正義の原理が決定されることになるロールズ

の理論にたいして,諸個人のミクロなバーゲニングの積みかさねのなかで正義の原理が確定してい

くとする対案を提出したゴーテイエ(Gauthier, 1986) が,ロールズの理論がもっ無偏見性

(impartiality) に疑問を投げかけるのも,このようなロールズの発想方法と関連している注15。ロー

ルズの発想では, 1-2で述べた「合理的かつ無偏見な観察者」は,無知のヴェールにおおわれた原

初状態の当事者たちとは対照的に,当事者たちには決断がつきそうにない分配の帰結を,天上から

公平に裁定しなければならないのである。

5 ロールズの転進

5・Ii正義論」にたいする経済学者の批判

『正義論」にたいして,早い時期におこなわれた批判には,ハーサニ (Harsanyi,1975)やアロー

(Arrow, 1973) らの経済学者による批判がある O これらの批判の概要は,川本(1997),渡辺 (2000)

らによる紹介にゆずって,本稿の議論にかかわることだけを述べる。

ロールズと経済学者との論争が紛糾したのは,ロールズの議論が肝腎のところであいまいである

〈現代社会学ワ) 65

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ことと,批判する経済学者の側にも誤解があることとによるだろう。

両者の議論のすれちがいがもっともよくあらわれているのは,ロールズが格差原理で,社会的経

済的不平等は「もっともめぐまれないひとびと」の利益を増大させるかぎりで容認されると主張し

たのにたいして,ハーサニやアローにかぎらず,ロールズとの共著の多いセン(志田他訳,第 9章,

9 *章)注loでさえ,格差原理を「もっともめぐまれない個人」というたった l人の利益の向上の

問題におきかえて論じていることである。念のためにD"正義論」から 2つの引用をしておこう。

ひとつはロールズが格差原理の発想の原点を述べた文章,もうひとつはもっともめぐまれないひと

びとをどのようにして測定するかを論じた文章である。

「平等な自由と機会の公正な平等を要請する諸制度の枠組を考えると,めぐまれた地位にあるひとび

とがより高い期待(所得)をもつことが正義であるのは,それが社会のもっともめぐまれないメンバー

たち (theleast advantaged rnernbers of society)の期待を向上させるスキームの一部として作用すると

きのみであるJ (刀.p.75)

「真の困難はもっともめぐまれない集団をどう定義するかである。/それには恐意性が避けられない

ようにみえるかもしれない。ひとつの方法は特定の社会的地位,たとえば非熟練労働者をえらび,つ

ぎに,かれらをもっともめぐまれないひとびととみなして,かれらやそれ以下の境遇のひとび、との平

均の収入と富を計算することである。最下位の代表者の期待(所得)はこの階級全体の平均と定義され

る。もうひとつの代替肢は地位を考慮せず,たんに相対的な収入と富に注目した定義である。それゆえ,

中間値以下のすべてのひとびとがもっともめぐまれないひとびととみなされる O この定義はもっぱら

所得の下半分のひとびとに依存し,もっともめぐまれないひとびとと平均人との社会的距離に注目で

きるという利点がある O 両者のギャップはまちがいなく,社会のよりめぐまれないひとびとの状況の

欠かせない特徴である O わたしは,この 2つの定義のどちらかか,その組合せが十分に役だっとおも

っているJ (刀, p.98)

格差原理が準拠するのが,もっともめぐまれないひとびとか,もっともめぐまれない一個人かと

いう問題は,不確定状況での主観確率として等確率原理を採用するかどうかについてのハーサニと

ロールズの論争に端的にあらわれている。ハーサニは,ロールズに先だって,平均効用原理にもと

づく規範的分配の理論 (Harsanyi,1953, 1955) を提出した経済倫理の研究者である。かれの平均効

用原理と等確率仮説とが密接にむすびついていることは,かれのロールズ批判のつぎの文章によく

あらわれている。

in人の個人からなる社会を想定し,当該の人物はつぎのような条件で社会システムをえらぶと仮定

しよう。すなわち,かれが,その社会の最上位から,第 2位,第3位をへて,最下位までの個人の地

位を占める確率が,それぞれ lInであると仮定しよう。これを等確率仮説という。さらに,かれは決

定規則として期待効用最大化の原理をもちいようと仮定しよう。これが原初状態の概念についてのわ

たしのヴァージョンである二

かれが自分の意見にもとづL、て平均効用レベルの高い社会システムをえらぶことはあきらかである。

より一般化すると,かれは平均効用の高い社会システムをえらぶ。これを平均効用原理という」

iHarsanyi, [1975], 1976, p.45)

66 (現代社会学ワ〉

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この仮定を前提にし,さらに格差原理をもっともめぐまれない個人の利益に注目する原理である

と解釈するなら,たしかにロールズの議論はナンセンスになる。たとえば 1億人の人口の社会で,

最下位のひとの利益の向上だけを考えて,それ以外のひとの利益を考慮しないとすれば,それは各

個人には Oに近い確率でしか自分の利益に寄与しない。また これくらい大きな社会では,もっと

もめぐまれない個人とそのつぎにめぐまれない個人との格差はごくわずかであると考えられるか

ら,もっともめぐまれない個人の利益の向上もほとんど期待できない。

しかし,格差原理がもっともめぐまれないひとびとに注目するのであればどうだろうか。先に引

用したロールズの主張を読むかぎり,かれが考えるもっともめぐまれないひとびとは 1億の人口

にたいして数千万人を占めても不思議でない大きな階級であったり,さらには,所得分布の中間値

に達しないひとのすべてであったりする。ロールズが格差原理の測定を論じるとき r関連する社

会的地位 (relevantsocial positions) J はかぎられており,社会成員はせいぜいいくつかの階級ある

いは階層に分類されるようである (T],95-99)。もっともめぐまれないひとびととは,そのなかで

もっともめぐまれない階級・階層に属するひとびとである。このときには原初状態の当事者たちが

リスク回避の観点から格差原理を採用することは,大いに考えられる。

社会成員が所属する階級・階層が比較的かぎられているなら,自分はどんな社会的地位に属する

かを判断するさいの原初状態の当事者の主観的確率は,かれらが当該の社会の階級・階層の実際の

構成比を知っているか,あるいは,すくなくともどんなイメージをもっているかによって規定され

るだろう O 宮野勝(1988)が日本人の階層イメージを調査した結果によると,社会を上層・中層・

下層に分けたとき,各階層がどれくらいの比率を占めるとイメージするかは,日本人のあいだ、では,

①上層と下層はすくなく,中層が多い中間集中型,②下層が半分以上で上層が中層よりすくない

ピラミッド型,③それぞれの階層の構成がほぼ似た均等分布型,などに分かれていた。また,こ

の階層イメージは階層帰属意識に影響をあたえていた。たとえば,ピラミッド型の階層イメージを

もつひとは,別のイメージをもっ(同一所得水準の)ひとよりも自分が下層に属すると判断するこ

とが多かった。この例では,主観的確率は等確率ではなく,階層イメージに左右されている。

ロールズの議論のあいまいさも主観的確率をめぐる問題を混乱させた。無知のヴェールのもとで

原初状態の当事者たちが社会の階級・階層構造やその構成比率を知っているのか,知らないのか,

少なくとも筆者には『正義論」から読みとることができない。

ロールズと経済学者たちとのくいちがいは,格差原理の適用範囲についても生じている (Rawls,

1974, CP, p.226)。経済学者の格差原理への批判は,小状況での行為者の選択が格差原理にしたが

うと,奇妙な帰結をもたらすことを例示するというスタイルをとることが多い。たとえば,治療薬

が1人分しかないのに,患者が2人いるとする。ひとりはガンが進行して治癒不可能な患者であり,

もうひとりは治癒ができる可能早期ガンの患者とする。格差原理によってもっともめぐまれないひ

との福利の向上をめざすと,治癒不可能な患者のほうに薬を投与することになるというような批判

である (Harsanyi,[1975], 1976, p.40)。本稿の2-1で述べたように,ロールズは正義の 2つの原理

を政治や経済の基本的な制度の編成原理としてとらえ,個人の行為の原理と区別した。ロールズに

よると,個人の行為にも,自然的義務や責務のように,すべての人間に要請される規範があるが,

私見によれば,これらの規範も例示した状況での医師の行動を特定するものではあるまい(注7参

照のこと)。回復可能な患者に治療薬を使うことを決断した医師が,社会的正義にかんして格差原

理を支持したとしても,かれは論理矛盾を犯していることにはならないだろう。

〈現代社会学的 67

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5-2 原初状態のモデルの再編成

ロールズが合理的選択理論とマクシミン基準を放棄したのは,ハーサニらの経済学者の批判に降

伏したからであるといわれることがある。しかし,前項でみたように,かれらの批判はロールズに

それほど打撃をあたえるものではなかった(あえていえばロールズの主張をなかなかみとめない論者た

ちがいること自体が,同意の基準に反するということにはなるのだが)。ロールズはその気になれば,論

争を続けることもできたろう。しかし,かれは実際には, 1980年代に合理的選択理論を放棄した。

おそらくこの方針転換は,経済学者たちとの論争によるものではなく,ロールズ自身からすれば,

かれの思考の発展の必然的な結果であったろう。かれは1980年の論文以来,カントの影響で,合理

性 (theRationaI)と道理性 (theReasonable) とを区別し,後者の前者にたいする優越を説くよう

になった。ロールズによると 社会を協働のシステムとしてとらえたとき,道理性は協働の利益を

公正に分配するという互酬性の観念とむすびつき,合理性は自分の利益を最大化するという観念と

むすびっく。ロールズによると 道理性と合理性とは 一方から他方を演鐸できないという意味で

相互に区別され,独立した基本観念である。 (Rawls,[1980], CP, pp.315-317; PL, pp.48-54) 0 1985

年論文でロールズが合理的選択理論を放棄したのは,かれが道理性を,合理性から演鐸できないと

規定したことの論理的帰結であった注170

一方,かれは11'政治的自由主義』の序論で回顧するように,おなじ時期から r両立不能でいて,

しかもいずれもが道理のある包括的諸教説の多元性」が特徴である今日の社会での正義の原理は,

道理のあるどんな教説とも矛盾がなく,支持を受けるものでなくてはならないと考えるようになっ

た (PL,p.xvii-xix)。この考え方と前段落での議論とをまとめると,ロールズは1980年代に,社会

成員のあいだの相互依存とE酬性とをみとめるすべての教説の重なりあう合意にもとづいて,正義

についての政治的見解を定式化することに目標をきりかえたことになる。

そうなると,原初状態のモデルも変化する。もともと,原初状態のモデルは合理的選択理論を推

論エンジンとして利用し 論証の厳密性もそれによってチェックしていた。合理的選択理論を放棄

したのちの原初状態のモデルの性能は低下する。ロールズは この時期から原初状態を「表現上の

くふう (deviceof representation) J とよぶようになり,あらたな推論をみちびく索出装置としての

意義を重視しなくなる。

この時期から,ロールズはよき秩序の社会の市民が,正義の原理にもとづいて行動する正義感覚

(a sense of justice) と,みずからの善を合理的に追求する能力という 2つの道徳力 (moralpower)

をもっていることを強調し,さらに,この2つの能力が部分的に原初状態の討議環境と討議に参加

する当事者たちの属性とに投影されていることを仮定するようになる (Rawls,1980, CP, p.312)。

原初状態の自由・平等な討議環境は,現実の社会の討議の模範とみなされる。また,参加する当事

者たちはIi正義論」のように,たんに無知のヴェールがとりはらわれたのちに判明する自分の善

を実現するための準備をする合理的人間であるだけでなく,それにもまして,討議によって公正な

協働をささえる正義の原理を見いだし,それを推進する意志をもっ道徳的人間であると仮定される

ようになる O

原初状態のモデルにあらたに正義感覚という仮定がつけくわわったのだから,それにともなって,

あらたな推論が生じなければなるまい。しかし,正義感覚の仮定をもちいた正義の 2つの原理の論

証はIi'政治的自由主義」でも,筆者の理解によるかぎり,①当事者たちは安定した正義の原理を

望むが,正義の 2つの原理はこの要求をみたす,②それは成員たちの自尊の念にかなう,③それは

68 現代社会学的

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市民の社会的結合(相互補完的分業)を促進するという,そう言いたければそうも言えるだろうと,

返事するしかないような,ロールズの直観の論証ぬきの表明に終わっている (PL,pp.315-324)。

5-3 公共理性の限界

ここで,本稿の1-2で述べたことを復習しておこう。社会科学のモデルには論理整合性と経験的

妥当性という2つの検証基準がある。道徳理論にモデル論の方法をもちこもうとすると,モデルか

らの推論を経験的妥当性によってチェックすることは困難である。そこで ロールズはこれに代え

て公共的合意をモデルの検証の基準にもちいるようになった。この合意が成立するかどうかの判断

はまず,原初状態という仮想的現実のもとで論理的に推論され,さらに反省的均衡の観点からの吟

味にかけられる。こうした正義の論証の枠組で合理的選択理論を放棄することは,どんな帰結を生

むだろうか。

ロールズの思考実験で,原初状態の当事者たちがおなじ正義の原理に同意するであろうという推

論をするときの前提は,経済学の理論がそうであるように,ひとびとが同一条件で,かぎられた目

標にたいして目的合理的にふるまうなら,ひとびとの行動は類似したものになるであろうという合

理的選択理論の前提であった。『正義論」での正義の論証にたいする批判の多くも,おなじ合理的

選択の観点から,ロールズの推論の不備をつくものであった。本稿の第4節の議論もこのスタイル

による批判である。このような批判が絶えないこと自体が,かれの理論のテスタピリテイの証しで

もあったのである。ロールズが合理的選択理論を放棄したことは,論理整合性のレベルでロールズ

の理論を検証することを困難にした。

論理整合性の検証が困難になれば,ロールズの理論の論証は公共的合意にますます依存するよう

になる。そのために,ロールズはいくつかの対策を講じている。

第 1は正義の原理の論証基準を真偽判断から,その原理に道理 (reason)があるかどうかという

判断におきかえることである。この主張は, 1980年論文で みずからの理論を構成主義とみなし,

合理的直観主義と対比させた時点であらわれた。ここでいう合理的直観主義とは,個人に外在した

道徳秩序が存在するという立場である注180 この立場では,道徳が個人の主観から独立して客観的

に存在するのだから,それとの対応関係によって真偽判断ができる。一方,構成主義では,道徳秩

序は,ひとびとがなんらかの観点にもとづいて道徳原理を選択し,それをひとつの体系にしあげた

ものである。ロールズは原初状態における正義の原理の選択を,この意味での構成の過程とみなし

て,みずからの立場を構成主義と位置づけた。ロールズは,構成主義では道徳、の第 1原理は真偽を

問えないという。たとえば,社会を協働のシステムととらえるロールズの議論の出発点の真偽は,

問えない。それは構成主体である原初状態の当事者たちが任意にえらびとった視点だからである。

論理的真偽判断は,この前提からみちびかれる派生的な命題についてのみ可能である。協働のシス

テムとして社会をとらえること自体の是非は,素朴にいえば,それがピンとくるかどうか,むつか

しくいえば,実践理性に適合しているかどうかで判断される。

ここまでのロールズの議論は筆者もとくに異論はない。それどころか,筆者のようにウェーパー

の理念型論(新カント派的構成主義)に洗脳された人間なら,道徳科学の理論にかぎらず,社会科学

の理論一般がこの意味での構成主義的性質をもっていると考えるだろう。しかし,リッケルトやウ

ェーパーの方法論とロールズの方法論とは,ここから先がちがう。前者は 文化や社会についての

理論の構成主体を,特定の価値にしたがう文化的個人とみなす。たとえば,筆者が筆者なりの理論

〈現代社会学ワ> 69

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を提出するとき,それは(多少は文化的であると思いたい)筆者個人の観点から,筆者の個人名で,

筆者の個人責任でおこなう。また,筆者は筆者の理論が何人かの読者から評価をうけたらとりあえ

ずは満足できる。しかし,ロールズの場合はそれほど単純ではない。ロールズのもくろみからする

と,かれは対立する道理ある包括的教説のすべてから合意がえられるように,ロールズ固有の視点

からではなく不偏不党の観点から,正義について,すべてのひとを代表する道理ある政治的見解を

提出し,読者全体の同意をえなければならない。さらに,かれはそれを原初状態における(おそら

〈どんな思想対立があるかを知らない)当事者たちの討議の所産として提示しなければならない。

その結果,かれは正義の理論の基礎的観念を,現代の民主主義社会(おそらくはアメリカ社会)の

公共文化のなかでだれもがみとめる見解だけに依存して議論をせざるをえなくなる。これがロール

ズが考えた第 2の対策である。

「われわれは,宗教的寛容や奴隷制の否認のような決着ずみの結論を収集して,これらの信念に潜在

する基本観念と原理を,首尾一貫した正義についての政治的見解にまで組織化することにトライする O

これらの信念は,すべての道理ある見解が説明しなければならないであろう暫定的定点である。そこ

でわれわれはまず,公共的文化自体に,暗黙にみとめられている観念と原理の共通ファンドとして,

注目する。われわれが望むのは,これらの観念と原理を明確に定式化し,われわれのもっとも強固な

信念と合致する正義についての政治的見解と結合することである。このことをつぎのように言おう

われわれが受けいれることができる正義についての政治的見解は,あらゆる一般性の水準で,適

切な反省にもとづいて,あるいは,わたしがべっのところで「反省的均衡」とよんでいるもののなかで,

われわれの熟慮した信念と合致しなければならないJ (PL, p.8)

筆者の不勉強のせいかもしれないが,筆者には,ロールズがこのような議論をするとき,宗教的

寛容と奴隷制廃止以外の例をあげている箇所がみつからない。思想や文化の領域でひとびとが a致

してみとめることがらは,それほど多くはないのではあるまいか。以下の行論では,上の引用にか

かわるいくつかの論点を提示して,本稿をしめくくりたい。

第 1は,公共文化にふくまれる共通観念だけで正義の 2つの原理が論証できるかどうかという問

題である。宗教的寛容と奴隷制廃止というロールズのあげた例からだけでは,すべての人間に自由

と平等を保障しなければならないという正義の第 1原理をみちびくのが精一杯だろう。すくなくと

も筆者には,ロールズ、が格差原理をささえる,たしかな公共観念の存在を指摘しているとはおもえ

ない。『政治的自由主義」での格差原理の論証は,注14にしめしたように, i'JE義論」とくらべても

荒っぽい論証に経わっている。かれは1980年代以後の論文の大半で,正義の 2つの原理を捧儀に紹

介しているが,格差原理を正面から論じることはほとんどしなくなった。おそらく,格差原理は,

合理的選択理論の放棄によるダメージを回復できず,論証ぬきに r道理ある」読者の共感にたょ

ったロールズの信念の表明にとどまっている。

第2に,原初状態、のモデルが無用の長物になった。正義についての見解を公共文化によって基礎

づけようとすれば,必要な研究は,すなおに考えれば,思想史や知識社会学の研究であろう。ある

いは r現代アメリカ人の正義感覚J についての意識調査のほうがいっそ役にたっかもしれない。

1980年代以後の論文でも,ロールズはあいかわらず原初状態のモデルをいつもとりあげてはいるが,

それはかれの議論をまわりくどくするだけの儀礼行為に終わっている。

この結果,第 3に,反省的均衡の性質が変わった。ロールズはi'正義論」では反省的均衡には

70 <現代社会学 7)

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民佼!状認のモデルの展開と,そのインプリケーションの公共観念との照応という 2つの契機があっ

た。 原初状態のモデルが弱体化すると,上の引用文にみられるように,正義についての見解は,公

共観念との-~ .致以外に根拠をもたなくなる。たしかに,それは「反省にもとづく」わたしたちの公

共観念なのだから,集合的なバイアスや思いこみから解きはなたれた理想化された公共観念ではあ

るだろう。しかし,そこから,その時代.ぞの社会をのりこえるような,あたらしい観念が生じる

かどうかには,疑問の余地がある。

ロールズが,今日の社会で,もっとも真撃かっ愚直に社会正義の原理を追求した社会珪論家のひ

とりであることには,筆者も異論がない。かれがその死の直前まで,著作の改訂をくりかえした執

念には,改訂版が出るごとに論旨の異同が生じていないかをチェックしなければならない煩わしさ

には悩まされるが,敬服するしかない。とはし aえ,かれの議論は改訂がされればきれるほど,合理

的推論のための方法論が放棄され,読者の共感をたよりにしたあいまいな論証が支配的になる。そ

の意味で,筆者にとってはロールズへの弔辞であるこの論文i 賞賛のことばで斜めつくすことは

できないの'とある O

注 1 これらの理論の具体的内容については,有賀・伊藤・松井 (2∞0),川本(F'95) などを参照された

L ミ。文中の「社会的規範理論」という呼称は有賀・伊藤・松井によっているつ

註 2 ロールズによる正義の論証は,つぎの 3つの時期で変化したとされる(クカサス /111同・嶋津訳, 1996,

i度辺, 2000など)。①「正義論」にいたる時期。この間,かれは,正義の 2つの原理を,原初状態に

おいて諸個人が合理的選択をすれば必然的に到達する帰結であると主張する「正義論」の論旨を

完成させた。②「カント的構成主義」の時期。この時期にロールズは正義の原理が社会的に合意

される過程を,公共理性(publicreason)による構成(cons truction )の過程とみるようになった (Rawls,

1980)。③「政治的自由主義」の時期。私見によれば,この時期はかれが「重なりあう合室 1をと

りあげた1985年の論文 (Rawls,1985) にすでにはじまる。かれは,価値が多元化した今日の社会で

は,正義の理論は,対立する世界観が一致して主張する「重なりあう合意」を,政治と経済の領

域で追求する「正義についての政治的見解」であると主張するようになった。本稿ではこのうち,

①と②の時期の切れ目(合理的選択理論の放棄)を重視する。

注3 public reasonは,公共の場でひとびとが討議し,共通の推論をみちびく過程,こうした推論をす

る能力,方法,さらには,公共討議を通じてえられたひとびとの共通認識や実践の指針を広く包

括することばである。訳語としては「公共推論」のほうが的確だ、ろうが,ここでは「公共理性」

をもちいる。 publicreasonという原語を頭においてよんでほしい。ダーゴニストとガウスの編著

(D'agonisto & Gaus, 1998)は大部だが,このことばの意味の広がりと歴史を知るうえでは目を通す

にあたいする。

ロールスのつぎの文章も publicreasonの定義とはいえそうにないが,かれがこのことばをもちい

るときの意味と用法の外延はある程度しめしている。「政治社会や(個人,家族,アソシエーション,

さらには政治同盟でも)すべての理性的・合理的主体は,はその計画を定式化し,優先)順序を定め,

それにもとづいて決定をする方法をもっている。政治社会がこれをする方法がその reasonである。

これをする能力もまた少しちがった意味で reasonである。それは人間の能力に根ざした知的・道

徳的力である与/すべての reasonがpublicreasonではない。教会や大学や多くの市民社会にお

〈現代社会学 7) 71

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けるアソシエーシヨンの reasonはnon-publicreasonである。〈中略)public reasonは平等な市

民権を共有する民主的人民の特徴である。かれらの reasonの主題は公共の善(出egood of the

imblic)である O つまり,正義についての政治的見解はどんな社会的基礎構造を必要とするか,そ

11-が奉仕すべき目的はなにかが主題である O それゆえ, public reasonは,つぎの 3つの意味で

publicである。①市民としての市民の reasonとして publicである。すなわち,それは公衆 (public)

のreasonである。②その主題が共益 (commongood) と根本的正義の問題とにかかわっているの

で, publicである。③その性質と内容がpublicである O なぜなら,政治的正義にしめされたその

社会の見解によって,理想と原理があたえられ,この基礎にもとづいて見通せるものだからであるJ

(PL,213)

注4 この「公共理性 (publicreason)による和解」という,ロールズが1985年論文でもちいたフレーズ

がハーパーマスによるロールズ批判の論文(高野訳)のタイトル「理性の公共的使用による和解」

のもとになっている。

注:J rヒュームとアダム・スミスを想起させるつぎの定義について考えよう。あるものが(たとえばあ

る社会システムが)正しいといえるのは,ある理想的に合理的かっ無偏見の観察者 (anideally ration-

al and impartial spectator)が一般的な観点から肯定し,かつ,かれがその状況に関連するすべての

知識を有しているときである。正しく秩序化された社会とは,こういう観察者が肯定する社会で

ある 3 この定義にはいくつかの問題があるだろう υ たとえば,肯定の観念と,関連する知識とい

う観念とのあいだが循環論法におちいらずに明細化できるかというような。だが,これらの問題

i土脇においておこう。ここで重要なことは,この定義と公正としての正義とのあいだに矛盾がな

λということである I(刀, 184)

ヨ6 ゴールズの rightの概念が, rightを日本語に訳したときの「正しさ」と「権利」の両方の意味を

らっていることに注意したい。ロールズがいう権利 (right) とは,社会正義にかんする原理と,

責務と自然的義務を規定する個人にかんする原理とに,いずれも整合した道徳的にも正当なクレ

イムを意味する。

注7 ロールズの用語法では 責務とは個人が自由意志である協働システムに加入したときに発生する

茅務である。その意味で,責務は社会正義についての原理が確定し,その原理にそった法や社会

引交がつくられたときにはじめて明確になる。正義の形式的意味を離れて実質に踏みこむと,ロ-

)'ノズ自身は,個人の責務についての選択可能なさまざまな原理のうちで,責務がそれに相応する

協働の利益の分配によって報われなければならないという「公正の原理 (principlesof fairness) J

を社会的正義にかかわる正義の 2つの原理に対応する個人の原理として提唱する(刀, pp.108-114) 0

一方,自然的義務には,家族愛や相互扶助の義務のように,社会正義についての原理が確立する

以前から存在する情念もあるし rよき秩序の社会」を支持し,それを発展させようとする情念の

ように正義の原理が確立したのちに生じる義務もある。両者がいずれも自然的義務とされるのは,

これらが特定の行為を選択したときに生じる責務とちがって,すべてのひとびとが内発的感情か

ら,どんなときにもしたがう義務だからである(刀, 918, pp.114-117) 0

注8 ロールズは,正義の 2つの原理が「同意J の基準をみたしていることを r正義論」の第 1部から

熱心に論じている。 2つの原理がそのほかの 3つの基準をみたしていることの論証のしあげは,

第3部第 7章「合理性としての善」で善 (good)の概念が定義されたのちになされる。そのさい

には,社会成員がすでに同意し,かつ r正義感覚」として内面化した正義の 2つの原理が善 (good)

の理論と調和することが,この 2つの原理がこれら 3つの基準をみたすことの論拠とされる O つ

まり,同意の基準の成否に,そのほかの基準の成否もかかっているのである。

注9 ロールズは原初状態で,無知のヴェールのもとで,正義の原理の採択のために討議に参加する仮

想的な諸偲人を「当事者たち (parties)J とよぶ。

72 <現代社会学ワ〉

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注目効用の個人間比較については,手っとり早いサーベイとして,沢田 (2003) を参照のこと。

注11 自由はかけがえもなく尊いものであるというような議論は,この推論の反論になるだろうか。た

しかに, 1980年代以後のロールズは,事実上これに近い議論をしているが,合理的選択理論をも

ちいる r正義論』の時期には,こういう議論は直観的であるとして,しりぞけられていた。自由

の価値はあくまで合理的選択の観点から論証されなければならなかった。

注12 へンリー・フォードがT型フォードを量産化したとき,かれは自動車市場の拡大をはかるために

従業員の給与の改善をはかったという。自動車産業の労働者の所得の向上は,フォードがえた巨

万の富にくらべると,小さなものだが,ロールズの議論にしたがえば,フォードの戦略は当時の

状況では正義であるということになる。

注目記述の順序のちがいから,本稿では r正義論」でX2になっている中間層の利得がX3になり,

『正義論」ではX3である最下層の利得がX2になっているので,注意してほしい。

注14 合理的選択理論を放棄した後の r政治的自由主義』でのロールズの格差原理の論証は,このスタ

イルをとっている。かれは,不平等は,もっともめぐまれないひとびともふくめて,すべてのひ

とびとに寄与するという条件のもとで容認されるとしたうえで,完全平等状態から出発して,い

ちばん利益のないものが拒否権を発動した時点で,分配シェアが決定すると説明する (PL,p.282) 0

この論法によれば,図 3のケースでは,もっともめぐまれないひとびとは利得の最大化を達成し

ないだろう。

注目沢田 (2005) で紹介したように,討議民主主義を論じたガットマンとトンプソン (Guttman&

Thompson, 1996) も,対立する教説から超然として一致点を探求する無偏見性の原理が討議倫理と

しては不適切であることを指摘している。無偏見性の立場は市民が自己利益を捨象して共益

(common good) を討議したら,かならずこういう結論に到達するであろうという,結論先取の議

論Bにおちいりやすいからである。

注目 ロールズとセンとの関係については,後藤 (2002) を参照されたい。

注17 i原初状態はカント的構成主義の基本的特徴をモデル化している。すなわち,道理性(theReasonable)

と合理性 (theRationaJ)との区別,および,前者の後者にたいする優位をあらわしている。〈中略〉

それゆえ~正義論」で正義の理論を合理的選択理論の一部として記述したしたことは誤りであっ

た。わたしがいうべきだったことは,公正としての正義は,合理的選択の説明を,自由・平等な

人間の代表による討議を特徴づける道理性の条件に従属させてもちいるということである。また,

これはすべて正義についての政治的見解の範囲内でもちいるということである。唯一の規範的観

念として,合理性という観念をもちいる枠組で正義の内容をみちびくことは考えられない。そう

いう思考はどんなカント主義の見解とも両立しないJ (Rawls, 1985, CP, p.401n.)

注目 ロールズによると,合理的直観主義の伝統はギリシャ哲学にまでさかのぼるが,かれが主として

念頭においているのは,クラーク (SamuelClark) ,プライス (RichardPrice) ,シジウイツク (Henry

Sidgwick) ,ムーア (GeorgeEdward Morre),ロス (David,Ross) などのイギリスの道徳哲学の伝

統であるらしい (Rawls,(1980], 1990, p.343)。

〈現代社会学 7) 73

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On Rawls's Argumentation of “Justice" -Rational Choice and Public Agreement-

Zentaro Sawada

Since 1980s, Rawls has given up the rational choice theory which was made use of the

argumentation of his “two principles of justice" in his Theoη 01 justice. (1971). We will

consider the results and the meanings of his discard of that theory. Generally, the models of

social sciences are tested by the logical coherence and the empirical confirmation, but moral

theories, such as Rawls's conception of justice, are difficult to ascertain its rightness on

empirical facts. Instead, Rawls employs the criterion of public agreements to show the

validity of his theory. In Theoη 01 justice, the inferences which the parties in the original

position will employ on the basis of the principles of rationality are examined with the basic

ideas implicit in the public political culture: Rawls calls this method “reflective equilibrium".

But, his dumping of the rational choice theory makes the instruments of logical inference so

poor that his theory of Justice is obliged to ratify the existing public political culture.

Key Words: John Rawls, rational choice, public agreement, original position, reflective

equilibrium

76 (現代社会学的