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Instructions for use Title 戰爭と食糧 Author(s) 中島, 九郎 Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 11, 81-98 Issue Date 1945-02 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10721 Type bulletin (article) File Information 11_p81-98.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Instructions for use

Title 戰爭と食糧

Author(s) 中島, 九郎

Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 11, 81-98

Issue Date 1945-02

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10721

Type bulletin (article)

File Information 11_p81-98.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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守幸

メム昆

"民μ・闘M円

前線銃後O差別なく、戦争遊行上食岨慨が如何ほど大切なものであるかは、脅からへの能く知る所であるが、

A7

私は銃後を護る我が同民生活に於て、食糧問題が聖戦完途上に有する重要性や、問題の解決策などにつき、明か皐・

見を述べて見たいと思ふ。我が閣は古来久しく瑞穂閥と呼ぴならされて来たもので、同氏にして農業の車搾に心

から感謝せざる者は誰一人として無かった。然るに最近支那市静穏勃費以来は果して

Eうであらうか。定づ昭和十

一三年は、内地はもとより、朝鮮も華燭も米の豊作であった。即ち内地に於ける米の供給線量は、鮮嘉よりの移入

額を加へ八千古同行に上り、食糧の轄では、支郎事費が縦へ如何に長引かうともどクともしない様子に見えた。と

ζ

ろが翌十川年になると、朝鮮の犬同予勉に見舞はれ、と-h

に始めて我が岡の食糧事情のト一に容易ならぬ番狂はせ

を損じ、世人をして警戒せしめ、それ以来作戟規模の揖大に伴刊日、年々歳k

食組閣緊迫の度を高めて今日に五り、

今や戟力の増強上より眺めるならば、食糧の増産は彼の航宅機や結舶や兵器弾薬などの増産と同列の蹴たる地伶

に進出して来た詐りで友く、或人にいはしむれば、却でそれ等をも凌駕ぜんとするほHCの市一要性を有つに至った

と唱へてゐる。

第一衣畝州戦争の直後に、人口食縄問題が我が岡に接頭したととがあったが、今日の食糧問題と較ぶれば、そ

の峻烈さに於て複雑さに於て岡より同日の論で辻ない。暴きの世界大較に於て、大陸軍閥潤逸が叫時期間には勝ちな

戦争と食糧

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即戦争と食間

がら、脆くも迭に戦争に殴けたのは、土俵際に於て食糧難に陥ったからだとは一般に信ぜられてゐたととろで、

ロルンカムマ

B

調逸が今失の封ソ開戦に際し、逸平く一断洲の穀倉ウクライナを手中に牧めたのも、前回の十一向い鰹験から山川たもの

と判断されたほ

Eである。震に澗逸は前大戦に於て、百九1寓の兵士を失ったばかりでたく、戦時中食糧封来よ

り来る柴養不良のため、同民の問に七十六前向人の死亡者を出した。

我が闘もとの生々しい前例を、而かも二十除年前の今の盟邦に於て見出すのであるからー1

1併し今度の調逸は

就にミュンヘン人材議の頃から計委を樹てL食糧政策に力府を入れてゐたので、目下の食腕事態は昨年の一応鈴諸問

作にも拘はちゃ安泰友ものといはれる1

1

食粧問題に闘し一段の緊張を脅えざるを作ぬ。以下との食精問題をば

種々の一由から眺めるととにしよう

η

但し食粗削の主たるものは、米だといふととは巾すまでもないの

さて然らば、最近我が闘にとの重大たる食粒難が議ひかL

って来た原肉は抑々伺であらうか。それには営然供

給と部要との雨両が存布する。先づ米の供給を減少せしめた京大原因として外米白輸入杜絶を拳げねばならぬの

l

l前にも二回せる如く‘内地外地を・通じて米の収穫の上には、年により豊凶の野あるととは勿論であるが、そ

れは一時的周期的の原川でとL

には述

J

べぬ

1

即ち昭和十九米穀年度(昨年十一月に始まり本年十月に終る)に

及び、主として舶腹

ω関係上外米

ω輸入を完全に遮断するに至った。

があいた語である。

それにより俄かに数百高石といふ大きな穴

以上は直接重要食油そのものL供給を、外側から意識的に減少せしめた原肉で

bるが、外に食料の間内生庁を

ぱ白然にジリジリと暦一迫する所の京大原肉で、今日我が同氏が至大の関心を挑ひっL

ある所のものがある。それ

は即ち勢力を始め肥料、資材な

ε農業生点手段のは臥乏問題に外ならね。口ハ放に注意すべきは、農業資材の中、民

需品であると同時に長一要市需品たるものの得布だ。例へば硫安の如きは、銃後に在では農業上不可快の買契肥料

であるが、

一u,職場に出れぽ、忽ち爆端鳩山パ原料となって縦横無壷の活躍を遂げる。之は第一次大戦に於て、今日

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の敵英闘などにも同様に起った民需平山市開に於ける微妙なる交錯闘係で、

一方の消費量が殖れば、他万がそれだ

け廊高?を感やる諜である。

,次に米の需要の側から見る時は、

付人口の自然的増加より来る米消費量の増大。とれは敢て説明するに及ぶまい

0

尚一単語米としての消費。之も明瞭なととでるるが、他の一般食料Kついて見るも、軍需品として第一一械に出動

したものが、種類に於て数量に於て中身少くない。例へば臨・砂糖・味噌・醤油・問・ピ

lル・栴ず・ラッキョ

ウ漬・生芸漬・踏詰類等k

の如きものだ。中でも健詰類は、その或量が非常時防衛用として貯へられてゐる外は

殆んど全部軍部に納まり、街頭に於ては最近その姿を見るととは出来ぬ。戦前輪出食品として大いに維飛したる

との雌詰類は、開較と共に重要軍需食糧として念角度の韓回を友すに至った。

国防空非常時間備蓄食糧として、米本会を始め各種の健詰類(鮭鱒蟹)や味噌・醤油・乳製品戸煉乳粉乳)・梅干

津庖・照子魚細川、などといったやうなものが多量に分散貯擁されたとと。

(以上列暴口聞の内、健詰頬以下は中止へん民

絹傍閤の責任保管に属する)但し臨誌の備蓄については、

させた方が、高一の場合運搬や盟給上の手数が省ける左いふ利益はるるが、他面には食組難のとの際、各家庭で

一昨阿所に大H

軍一に纏め置くよりは、末端の各家庭に疎開

どうかすると品物に指を染め易いといふ懸念がある。との賠から最近に至るも向ほ常局に於て、何れとも決し袋

ねてゐる様子である。

同職局の進民に件ひ、労務動員計量買に基く州労務者の増加。とれば職業轄換より来るもので、米増配の閥係上

'H

ら消究増を招来する。米の外一般食紺品、晴好品についても、軍鮪点業努務者に釣し、配給上質量とも特段の陀

意を梯ひっh

あるととは今夏いふまでもない。

以上は米を始め主要食岨仰に針する需要増加

ω布桟を概翻したものであるが、特に一一育したきととがある。それ

際明容と食糧

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略戦争と食糧

八四

は即ち軍譜民需聞の競合といふ大問題である。右の同に既に述ペた所は軍需食糧のととで、それが前線と銃後と

に数量が割れるとはいへ、何れにせよ食粕日間たるの形は何等失はれるものではない。然るに-本来は食粗でありな

がら、時に臆じそれが形を建へ、或は用迭を費へて重要軍需品として登場し、直接戟力の増強に役立ち得るもの

がい仔在するととである。隔で澱粉・甘藷・馬鈴薯・菜箇油といったやうなものがそれで、前述。硫安肥料の場合

と類似の閥係に立ってゐる。

右の如く需給の師岡から、同内一般に食樹維を迎ふるに至ったものであるが、裁に叉皮肉な重大問題が費生し

た。それは外でもない、食糧の地方的偏布現象である。即ち都合では野菜飢僅に悩み抜いてゐる時に、程遠から

ぬ農村に在てはその捌け口に窮し、空しく腐般に委ねようとする誠に矛盾極まる場面を露呈したととである。と

れば結局輪選の不困滑が主凶をなしたもので、所謂買出部隊の大出動となって世間を騒がせるやうになり、東京

では本年一月頃郊外電車の乗客の約一五

l二OMmは貫に貿出部隊に依てい内められる有様でるった。咋夏以来金同

特定の消費地域に封し、野菜枯れの時を見計ひ、豆腐・納豆・豆前(不思議にも何れも原料は大豆ゾを配給して

都市住民の鵡菜渇望を辛うじて幾分癒しつL

ある。そんな,次第で、大都市周遊の硫菜供給圏創成のととについて

は、我が政府も最近漸く乗り出して来たゃうだ。肇縮問では明年度から主要都市の近傍に、野菜部落k設定して綿

計五千八百町歩に上る蹴菜畑を替ませる計蓋と俸へられる。

(との最後のあたりの記事は、弐に述べる食糧難車

服策に同局ずるけれど)さて然らば、我が岡はかLる食糧難に封し、従来如何なる打開策乞講じて来たでるらうか。

凡そ今日の一食組問題は生産・供出・運送・配給・泊費及債格のそれぞれの場商を有する誠に複雑庇汎にして微妙

なる問題であり、随って之れが封策も亦色々に岐れる。先づ最初に起ったのが、

米間修正策(引上策)であらう。数年前政府は、玄米一石の債格を三十八間より同十三闘に、

の大幅引kを断行し、低物慣政策の頗るやかましかった営時、世人をあっといはせたものである。とれは併し、

一患に五闘

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米の増庄方策といはんよりは寧ろ、その頃生庄究を割ってゐた水間農家の鰹摘を採算的ならしめるのが主映であ

ったかと推量される。即ち諸物慣に比ペ割安であった所の米債を引kげて他と釣合を取らせた諜だc

然るに段近

の米間政策は、政府の繋明にもある通り、明らかに増産奨闘の相貌を現はすに至った。即ち昨年四月政府は、明和

十八年沌米の質質上の政府買入債絡を石六十二同五十銭(内語乞いへば、政府標準買入債格を今までより石=一同引

上げて四十七闘とするの外、在来の一石五闘の奨励金に、更に補給金十回五十銭を加へ交付する)に高め、政府

の寅渡債格は一石三闘引

kげて四十六同と友し、かくて生産者に高く消費者に低い所謂三草債格制を採るに五つ

た。員に劃期的の米債政策と謂はねばなら向。との際政府は飽くまでも低物債政策の堅持を建前とし、随ってと

の米憤引上に呼臆して給輿・賃金などの増額を泣すが如きとと一-なからしめ、又米作農家の貯蓄を特に勧撰して、努

めて物質

ω悪循環を抑へ、そして生産者慣格と・消費者債絡間の開き一石十六同五十銭といふ英大なる岡庫柿給を

政府は敢行したのであった。今次の米慣政策に五つては皐友る米債臼策の域生起え、その主なる狙ひは高米債を

過しての米の増産に向けられた乙とは申すまでもない。第一次大戟昔時の、今Hの敵アメリカについて見るに、

その参戦の頃物債の騰貴は生産に封し多大の刺戟乞興へ、一九一七

i一八雨年に於ける農産物の増牧は、慣絡

ω

刺激(プライススチミユラス)と愛国心と、それと岡家の努力と、とのコ一者の綜合結果だといはれた臨どである。

消費規正。昭和十四年の秋、政府は米の揖精制限令を公布し、それまでの純白米の食用を差し止めるとと

第にした。次いで十六年には農林・厚生南省合議の上、米の消費基準量を二合三勺と定め今日に及んでゐる。味噌・

醤油の如き調味料は、従来地域的に消費量を異にしてゐたので、消費基準量を定める場合にも過去の貫績を参酌

し、例へば味噌・なれば、多い地方の一人一日首り九匁から、少い地方のコ一匁一二分といふ莫大な差を地域的に設け

たが、米の場合には上の如く全園一律に二合三勺に基準を置いた11i但し年齢や努働の軽重により甲乙のあると

とは首然だ

ll。更に昭和十七年十一月玄米食普及に閥する閤議決定に基き、農商省では農務用米を玄米に限る

験宗と食糧

八五

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略戦争と食糧

入/、

ととにしたが、家庭別米の方は強制まではしなかった。斯様に玄米食を蹟く同氏一般に封して断行するに至らな

かった識は、案者の飼料として大切な都心開係もあるからであらうし、米作農家の多くが今向ほ自家保有米を向

米として消費し、出合川崎を刺りに美しがらせてゐるのもつまりは之がためで、必要から来た賠も少くはないであ

らう。併し都合民のととを思へば、農民としても考へさせられる節もない課ではあるまい。今脊二月衆議院の或

委員合の席ヒ、段付事情に明るい農村歌人士口杭代議士の口から、農民白米食排酬明論が叫ばれたのも此あるかなで

ある。悶に人間と家高とは、不思議にも同じ種類の食物を捕ることが稀ではない。艇の外にも例へば附什・支局条

いけ刊梁・同町鈴苓な

Eが故へられるし、叉近頃食純化を勧めようとしてゐる枕の如きも然りで、入者食縄問の競争の

種乞作って肘る。第一次大戦の頃、欧洲で阪が縫んに屠殺されてえいにその教乞減じたととがあるのも、人者続

合上の犠牲である。

凡そん民料の泊代制肢については、戦争中は外闘でも普から同じゃうなことを能くやったもので、ナポレオン戦

争時代英閣ではパンの中に小委粉以外のものを混ぜ、叉今回の大戦勃費以来欧洲交戦各闘は何れも穀物の全粒粉

を用ひ、遂に白パンは一一瞥して黒パンとなって仕舞った。我が闘でもは収近小委粉の歩印刷を九一二%に引上げた。凡

そ戦時中の不作凶作は肢も必ふべきものでるる。之に千一平日庖するが沼には、議め古来世界に於ける飢僅護生の事情

此にとれが封策の極・史に闘し研究を進める必要があらう。

食粉配給機構の整備。昭和十五年の秋以来政府は米の岡家管理制度設置施し、農家の生産米は自家保有の

分を除き他は全部政府に於て買取るとととなし、超えて十七年九月に中央食糧管聞が設けられ、それから僅か数

ヶ月の聞に会同都道府鯨に地方食組銭円悶が生れ、米を始め主要食絹の配給機構の上に一臨の完成を見るに至った。

食相増路の奨励。債格政策や消費政策に較ぶれば、食糧自策上一一暦根幹的と見らるべきとの食糧増直に対

しては、奨励の費地が遺憾-ながら多少遅れたるやの親なき能はやであらう|11作物の割営生活制は開戦早々始つ

第四

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た円であるが、とれは多くは針耕地の上に於ける作物種類約韓換に止まり、耕地総面積の上

Kはた程の影響は見

られぬ

l

附和十戸年に農地開護営闘が生れて土地改良に手を着けたが、然[政府が増搾運動上本腰を入計始め

たれは、昭和十八年

CH反に否寓町歩の土地改良事業計撃を

4

公表してからのととだと忠ふ。それ以来暗渠排水や答

土や小用排水たどの如き農業土木事業を大規模に反則して今日に及んでゐる。食続増産のため

Kは農業者の生応

意慾を物心両副より高めるととが必要であるが、最近政府に於て自作農創設報嘆金制度を設け、仙川主む土地提緋

を容易にし、自作曲民の増殖を闘らうとするのももつまり右の日的

kmたものである。

臥山間アメリカに於ては、曇きの大戦昔時参職布告の後、僅か四ヶ月しか粧たね一九一七年八月

κは平くも平副

、物生産奨助法」を公布し、農務省は農家に向って穀物特に小委の作付反別の棋張を熱心に勧背l、犬、なる効果を

牧めたのであった。そしてとの増涼奨臨聞に割Lては、農務省は常K-各地配農科大原と緊特友る悲帥析が取るととを

忘れ・なかった。今回も同職'r-共K政府は農業増産に釘する努力を続け、現に本年の作付面積は昨年のそれを凌ぐ

ものといはれる。

家庭菜園の抗張。最近都市に於ける斑楽類の本易友らね紋乏

κ鑑み、政府は決職非常拍世の一環として宅

地の徹底的利用を数へた段"とで、そのため今春は各地とも家庭菜闘が非常友る勢ひで時んになり、(ととろによれ

btL 五

ば↓山科道路の一部までも借りて耕す¥熱間繁華た都合同の中

κ背々とした仲びやかた農村風景そ措合同し、その栽培

両私も、父それより邸中げる国製作物山数量も侮るべからざるもののゃうである。叉k

アメリカの例を前の職命営時

より引くならば、戦時楽闘

R4ミ岱恒三B)の新事業を促進させる目的で、非常食粉国委員合ハZPHEMP-何回

5品2x・河

町宮乙。伊豆

SAKE芭皆目。ロL

-

なるものが設けられた依であり、との所前戦時菜園よりの収穫物の総額は三億五千寓

一人常りコ一品叩必・・の計算となってゐた。そしてとの職時楽園の中には一百良一エーカー以上即ち四十寓町

歩以上の市街宅地が含まれたのであるr

私は休戦後間もなく波米したが、その頃太平洋前岸の都内に於て桐人の

弗K建l、戦

争と食糧

入七

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八八

庭の中に戦時菜関の名残り配向ほ眺めるととが出来た。

父同じく前大戦の際、英闘に於ける食糧増車問職守

QZご】宮内山己主

8

2自宮目的ろの一大目標は分貸地〔胆

-ZB85

の増加に置かれたのであるが、附労働者の飴眼を以下回家消費の野菜のために耕されるとのふ川貸地の敢は、

七ー一八年に於て五十三高より一躍百四十寓に激増した。かくして飴剰勢力の利用により、而かも食糧が蹟く岡

内各地に分散して生席される様になったがため、鞍時下に見るやうな農村崎労働力の一般的不足などは我闘せ余震

とすますととが出来、その上食糧農産物の各地聞に於ける無駄危出荷、職迭の必要を減じ、鍛道の輪選力に徐裕

を生ぜしめる結果となり、園山家の時局的要請を満たすととが出来た。そして分貸地の数が斯様に殖えた許りでな

く、各戸の庭闘の内で市花の代りに野菜を植ゑ付けるやうに‘なったので、双方を合せると園霊的食糧の増湾は一

百寓トンを下らねものといはれたのである。今述ぺたやうに、富時イギリスの分貸地が自給食糧生産の上に、且

つ又餓道の運送力絞和む上に殻揮した大いなる貢献は、移して以て今日の我が岡家庭菜園の場合にも考へ作るで

るらう。

第六

戦時農業要員の指定。本年コ

J

月に農業生産統制令及同施行細則の一部が改正されたが、それに主り戦時

農業要員として指定を受くべき者は、一二反歩以上の農耕を後む経借主や、叉その世帯員たる農業従事者で、

一年間

の農業労働日教が九十日以上に及ぶ者であるハ外に農業指導員や農業技術員も含まれる)。

そしてとの指定を受

けたものは、原則として離農は許され歩、叉徴用からは兎れ得る。之は食糧増点上に必要とする努力をば、農村

に僻保せんがための強力な手段であって、食糧向給熊勢強化に闘する同家の要請に臆へしめんとするものでるる。

盟邦ドイツでも昨年の初め以来賦労務動員を一一摩強化したが、それでも農業要員制は鍛守し℃ゐる。

臨時農地等管珂令の改

E。政・肘は本年三月同勅令及同施行細則の一部を改疋し、農地の生産力の低下を防

/"".'

~j

ぎ十地利則の両度化を阿るがため、有効なる耕作が出来ねゃう友4

合の手に農地の所有権が移ったり、或は左様な

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者に耕作させたりするととのたき様、農地白寅良貸借は凡て認可制に依らしめ、営事宥悶の・円山取引を封じ、か

くして農地の統制強化に依て食糧増産の貫を拳げようとするものだ。

川内ぴ第一次欧酬戟争営時の英閤に例を取って見ょう。との闘では一九一七年に公布されたる土地耕作令ハの己・

広言民自色

FEL

由。E2)により、農務局の一有する椛限の多くをば郡執行委員合

2253『肘凶

SEt

。25砕け宮〉

の手に委ねたので-あるが、

との委員舎の主目標は、耕地の経替上農家を援助して必需食糧の極度の増産を岡らう

とするにるった。

そしてとの委員舎に委心られた権限は賓に強大たものであって、閤家に取りさうした方が一屠

有利だと認めた場合には、椴令農家の私有地であらうとも、牧草地を耕起して畑地とするととをその農家に要求

し、或は委員舎が肖分でその土地を引取って耕すととが出来た。若しもその農家が委員合の要求に麿じたい時に

は罰金或は禁銅の刑に庭せられたq

術協仏叉委員舎は耕作の行届かぬ農場の全部求刑くは一部分を買取って、委員合

口らそれを耕すか、或は他人に耕作さぜる椛能を有ってゐたのであえ。我が闘に於ける如上改疋法令の趣旨と比

較せよ。

第j¥

曲学章給食、幼児加配の賓施。攻代萩櫓ふべき筑幼児や車電の礎養を佳くし瞳位の一向上を闘るととは、維産

婦の健康保持の問題と相誼んで、間家百年の割策上決して看過を許さぬ大問題でるる。政府も最近敢に深く鑑み

る所あリ、今春来窮屈なる食糧の中から、六大都市に封し尊重給食を始め、叉蹟く会闘のコ一歳から六歳までの幼

見に針し、米の加配を断行して温い親心を一示し、岡氏から深く感謝されてゐるがとれなども誠意の昂揚に資する

所が蓋し齢くないであらう。殊に叉態宣給食は同時に職時集国訓練に資するものと期待される。

第九供出促進。先づ以て主要食糧の生産増強を闘るといふととは食続問題の解決上第一義をなすものである

が、生席者と消費者間に、現存食糧を左るペ〈公平遁

EK配分するととも亦頗る大切な事柄である。近来特にやか

ましい米の供出問題も賓にととから殻足する。昭和十八年度に於ける政府管理米の供出数景除、本年四月に稜表さ

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戦争と食糧

九O

それによると三月末で以て供同米の割合制は全部川揃ひ、全開平均一

oouwそ超過するといふこ

00・

0九%〉好成結を示した。之れ偏に営局の熱誠と米作農家の愛岡心との結合に基くrbので、農家は自家保有米を

も一部犠牲にしながら、都市の消費者のために供出を敢でしたものと思はれる。ー

l満洲岡でも、昨年の続穀牧

民成績は非常に良く、年末に於て既に橡定数量を超えるといふ勢ひで

bった。豊作のためもあったであらうが、

れたが、

同開民が我が闘の食糧事情に寄せた深い同怖の結果でもあらうーー

更に本年度に入り、四月下旬閣議で内地に於ける米穀の増産供出奨勘に闘する特別措置を決定し、,次いで最近

七月下旬の朗読で、それを朝鮮憂悶の外地へも及ぼすととに決定を見たのであるが、供出米の柄付前割営と特別

債絡報奨制とは、その円以も特微を一示す所の而かも思ひ切った新施策と申さねばならぬ。即ち政府は大東亜戦争の

凌恰苛烈なる現段階に於ける、且つ叉外米依存を全く一概せる現下に於ける食糧の闘内確保の重要件に顧み、米

の供向に約しでも在来のやうな生ねるい態度を捨てて事前割営11J災害の外は、牧穫時に至り供出の減量は認

められね

llへとな韓間を友したものである。それは即ち部落割首量以上に米を供出した部落に針しでは、その

成績が割常世の九OMm乃五一OO%の場合には、

一石

Kっき生産者へ四十闘、地主へ十五闘を奨助金として輿へ

一打。%以上の場合には、生山内品作へ百附、地主へ七十冗闘を報奨金として輿へるととにした。かくして農家側の

米の生産供出に封する熱意乞一段と燃え上らせようとするものであり、彼の米の航付前

κ割営てるといふが如き

はf

一見無理な殺な翻があるけれども、

それはクまり農家自身をして・なるべく多く米を節約させて郷土食に移ら

せようとする深い立闘に出たものである。然し奨働金報奨金制度には快院の存在も否定するととは出来ね。

標題の項目とは一寸離れるけれ

E、郷土食に燭れた序に一言述べたいととがある。日本内地の内、会く米山生

-mを見ないととろは梓太である。単・・時に在ては数十寓の島民のために、米を島外より仰いでゐたものだが、戦争

ととに北方碁地たる京大友使命を帯びる梓太に於て、郷土食の研究費施は現

の烈化に件ひ米の輪選難に逢着し、

Page 12: Instructions for use€¦ · 第一衣畝州戦争の直後に、人口食縄問題が我が岡に接頭したととがあったが、今日の食糧問題と較ぶれば、そ の峻烈さに於て複雑さに於て岡より同日の論で辻ない。暴きの世界大較に於て、大陸軍閥潤逸が叫時期間には勝ちな

ω問題として、都道府臨とは比較にならぬほどの熱心さを以て、同地官民の間に取り上げられる

K至った。北

方食パンや北方食粉の附現はその成果の一つである。之は今回の鞍局すが問内の持取食糧形式の上に大規模に及ぼ

したる地方的影響として珍らしいものと謂はねばたらぬ。

生鮮食料品の集荷配給機構の整備強化。右に関する閣議の決定に基き、東京青果物統制除式合一枇此

K東

京水作物統制株式命日枇が何れも本年七月一日同時に誕生し、その課せられたる目的達成比一路逃避するととにな

った。共他大阪・榊戸・京都・名古犀の各大消費地にも、右生鮮食料品統制に闘する雨紐合枇が既に創立を見、

Jrf

LaH月

iI

時る北九州にも間近く出来上らうとしてゐる。島川農商相は生鮮食料品針策につき、在野営時から大いなる抱負

を議へて居られたといはれる。

魚介類の不足は、藤莱の場合と相蛇んで戟時下の食生活上最も著しい現象であるが、との海産物の快乏は食糧

作物の時と同様、努力及び資材(燃料を含む)の榔底が大原因をなしてゐるととに疑びはないが、併し外に向漁

家に於ては時局柄主食の柿ひに供する自家漁獲物の分量が殖えて来たととも関係が詫くないやうに見える。その

法の事情は先般中央食糧協力舎の委鴎により、営北大農業経簡単科教室が行った北海道漁村地方に於ける郷土食

調布の上にも現はれてゐる。叉金閥的に見て、大消費都市に於ける今日の野菜難も同じ闘係と忠はれる。

以上我が闘に川化ける食糧問題の生成稜展と、今日までのその解決策の梗概とを述べて来たのであるが、更に進

んでとの重嬰問題の解決に封し、今後打つべき手は何んであらうか、少しく考へて見たいと忠ふ。併し大開A7ま

でにいひ議されてゐるので、別にとればといって目新らしい有力な方法も見出し粂ねる。我が同は遠き古へより

農業が能く刷け、今時分残されてゐる可耕地といふものは割合に少いの彼の英闘が第一次倣洲戦争の最中、

一七

l一八の僅か雨年の聞に時局のなに臆じ、約三百高エーカー即ち約百二ト高町歩といふ莫ムへな畑地をぱ閥内

で帥H

加せしめ得たるが如き(牧平地

ω切替による)担き蹄力性は之を我が闘の農業方面に喰むととはむづかしい

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けれども、それでも向ほ食飴の生府泊費の方一山に於て相官内潜勢力の伏布を認めるととが出来る。創立ヱ夫の徐

地がまだまだ多分に存花する。

先づ外地をも加へ

E

静岡内に於ける食加の増殖を極度に同るととが第一であらう。||併し舶舶の需要激増のと

の際、朝鮮基樹よりの移入米に到しては、今後飴り多くの期作をかけ難く友るやも知れぬとと故、その耕は内地

側として充分崎悟を決めて居らねばたるまい|iそれには横に平面的に新たに耕地を増加すると同時に、縦に玄

睦的に在来の奮い土地の集約度を高めて反首牧穫を上せねばならぬ。右の水平的開殻ム」垂直的附殻との双方の使

命を川時に川水し得る所の土地改良事業は、それ故に一一暦有望なものであるから、将来谷々とれを顕充すべきはい

ふまでもない。

さりながら戦時下努力資材掛肢の悪僚件に肌まれるととそ念頭に置き、最も効率的友方策を講十

る山必要がるる。持カに到しては今後とも援農部隊の山川勤により勢力不足も少たからや絞和されるであらうし、

(第一次険制職争の最小、

イギリス中央政府の食糧生宜伸課(司会三一

pgzazロロ巾同居ユB23により、

一九一八年

に援農附労働力としT

農村に繰問された教は、兵士七寓、作虜一一一寓、農業動報除四千、閣民感校児童一寓五千と、

その外に向ほ前人野働隊の英大抵る数に上った。兵隊の一時的師農援助は注目K値するがアメリカでは現にやっ

てゐる。叉長近潤逸でも敵園C捕虜を農村に使ってゐる。)肥料の不足え寸弐の稿逸の開鞍以来我が闘は加阜の般

乏に陥んでゐるが、第一次大戦勃殻と共にイギリスでも加里肥料は市場からその影を潜めた〉に到しては自給肥

料の増斥や、燐酸資源の岡内問穫も

ll日本肥料命日枇に於て近頃とれが調官況を始めた。叉最近北海道聴では経荊.

ω首脳者誌が1

或無入品の海鳥毅一土の開護調訴に問掛けて師臆したばかりであるが、中央税局との折衝の結果

が間作される。我が山領地域内の塑宮友燐鯖石には輪選闘係上今暫らくは営てに友らね

ll大切だ。農業薬剤の

方面では、新制問の殻見施川ハ例へば植物ホルモン朔)はもとより、薬剤の不足に封しては、法相及作物管理の周

終化を採るべきであるn

父農機具、及び修理材料の入手難におしては、今恰も針策運動が起りかけて来たやろであ

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るが、農機具を愛護しその使用と修繕とに注意を加へて耐周年限の延長を闘るととが泊極的方法としては極めて

ハ野鍛冶の減少は農具の修理上困ったととだ。先きの大識の頃にもイギリスに同じ現象が起った

ものだ。)要するに今日は農業経営上技術指導の刷新宏置を以て最大目標の一に数へねばたらぬ。本年五月次官舎

必要でるらう。

議で決定されたる奉村精農作業賓施要綱の中に現はれてゐるやうに、農家に針し技術指導を徹底させるととは、

食魁の増産確保に取り昧くべからざる事柄である。

川人食粒作物の種類

ω中でも、時局の推移に臆じ以前要度から眺めて、自ら甲乙の差が生やるであらうから、縦ひ

前隙の如く耕地の総雨積の上にはさしたる境化はないとしても、趨切なる生産統制を立て、内部に於ける作物の

轄換を闘るととは有意義であらう。最近政府が主要食組作物の一種類を蹟張し、同時に制限作物を縮少したのはそ

の一例だ。即ち農商省では農地作付統制規則の改疋により、従来は米・葵・甘藷・馬鈴薯・大豆の五種類だけが

重要食組作物として法令上特別の取扱を受付、作付面積を確保されて来たのであるが、とのたび新たに玉笥黍・

架・科・黍・蕎姿・萄黍・必需読菜をもその一中に加へて指定するととに-なった。且つ叉特用作物に封しでも、食

制作物と同様に指定制度を賓施して、耕作者が勝手に他の作物に縛じ行くととを禁じた。その内調味用・噌好用

作物ゃ、又は食糧生産に役立つ作物としては、菜種・薄荷・果樹・煙草・茶樹・緑肥用又は飼料則作物生数へる

ととが出来る。之により従来は制限作物の取扱を受けてゐた薄荷や岡市樹や煙車や茶樹はその範園から除かれ、米

安共他の主要人民組作物と同様、現在の作付地に封し他種

ω作物の侵入を喰ひ止め得るやうにたったのそして同時

に今後の制民作物としては花品類は今まで通りとし、その外新たに人民絹刑闘要作物の側から、西瓜・甜瓜・主体

が加へられ、此等一群の農作物件h

今後はその栽培に到し大なる統制を蒙ることになったの右に見ゆる如く、新た

に重要疏菜を保存作物の中に紐人れたのは、要するに都市の近郊に於て、米本会などのため野菜品が侵蝕されて野

菜飢館を起し、ビタミン紙芝の由々しき事態に陥るので結合作付計書に依てそれを防ぎ、両者聞に凶満な調整を

験争と食糧

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職容と食糧

九四

取らせようとするもので、

との鮎は農商省の西村新農政局長の農政方針の一つだともいはれてゐる。

イギリスに於ても先きの欧洲戟争の頃、営局は食糧作物の栽培に向けんがために、ホップやカラシや、球根類

花升類、などに到し作付面積の大削減配農家

κ命じたととがあった。

岡氏に到し食杭の安定締保を同るがためには、何んと申しても農業の基盤たる耕土の生産力の維持増進を以て

恒久割策となさねばならぬ。との地力の向上護展のためには有寸前農業を必要とするととはいふまでもない。そし

て有高農業の本場としては、我同引水ではないが北海道を推さざるを得ぬ。最近有畜機械化農業の必要が本道闘

係な識唱のの人々により股く呼びかけられたのも故あるかなである。との有畜農業の導入上、今日最大の臨路とな

ってゐるものは、向給飼料(購入飼料杜絶Oとの際)の供給であるが、との臨路打開のため、最近農商省では放

牧及び採草ハ野草は同時に堆肥の重要原料とも怠る〉の目的を以て、開有林野を解放する様地方長官宛通牒を溌

J-P」C

IF とれにより二千高立の飼料が得られる計算であるが、われわれはその貫現を望んで止まぬものである。但

しそれには又入手の聞係がつき糎って来る。

以LLは我が関白瞳に於ける食組問増産についての観察であるが、更に蹴野を蹟

ιし百満岡岡を打って一丸となし

との雨闘を泊とて食料調立の方策を講やるととが、将来に取りより一一暦占へ切た事柄ではあるまいか。咋年十二月

開議で決定されたる「臼減食純白給に闘する措置要綱」に基き、今春我が農商省内に目減食粕協議品開なるものが

設置されたが、川合規税第一僚に「日浦食続協議舎は内地、朝鮮、基潤及満洲関心各地域を泊やる食部の確保を

目誌とし有機的・なる辺環の下に生産計重の樹立置施を闘ると共に一関的観念の下

κ各地域の需給の調整を闘ると

とを以て目的とす」とある。

外米依存関制を全く掛拭ト去れる今日、幸ひに右の円満連繋の日的が完全に達成される暁には、我が岡の食組側

事情は一大安定を仰るであらう。即、満州から彼闘の特所たる大一息や(満洲の大一良作は今次の世界大戦開始以来

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ヱ産原料としての輸出減少のため摘んでゐた矢先、それを食精として我が闘に向けるととは双方にとり有利なわ

け〉高梁・玉罰黍・粟などを、叉新たに北浦に水同を謹成してその産米を我が問へ輸入生同るのは、とれば直接

的の供給方法であるが、減刑から架を朝鮮に入れ、更に朝鮮からその代りに剰った米を内地に移入するのは、間

接的に我が闘に満洲から食糧を入れる持になる。但しとの際齢りに満洲との聞に食判明依存の閥係を深める時には

自然満洲より華北への輸出食糧(年々多量の高梁や玉笥黍を還り出す)に累を及ぼすととになり、大陸共祭闘に

属する日満支三闘の緊密化のために取らざる乙とであるから、との黙は注意せねばならね。

以上は我が同在来の主要食糧の供給をば、如何にして更に一居増強せしむべきやの方策で、自然大規模のもの

であるが、弐には未利用動植物資源の食糧化

l内間前農商相の護案ーーを取上げる必要があらう。とれはもと

もと落穂拾ひ式救荒式な比較的小規模のもので、可食性の山菜野草や木の貫(樺太では向島特有のツンドラの食

品化が以前試験的に試みられたととがある)などの探集食用(粉放にして他に混入)がとれに嵐する。その或物

は就に土日から問ひられてゐたもので、今後は一段とそれを進めて行かねばならぬ。叉食糧の完全利用のためには

原形食に代るぺき粉食ハ食糧粉末をパンや闘子に混入する、魚粉などは就に五六年前、今の北海道興農公一杭の前

身たる酪聯で製迭を始められて一時有名になった彼の酪農パンの中に交ってゐた)、臓物食、生食、皮付食などに

創意工夫を撮らすべきであら

5。元来原始人は動物と同様に、脂肪の少い筋肉よりは寧ろ脂ぎった滋養に認める

臓断の部分を好むものであるが、われわれは大いに臓物食品乞奨闘して天物を無にせざる椋にしたい志のだ。叉九四…

類の臓蹄からは醤油の製造が試みられたととがるる。その他乾燥及び冷凍疏菜ゃ、開干懐製及び冷凍魚類、或は

叉冷凍肉や諸佃煮類の上にも一一暦の工夫を働かして、重要副食たる魚菜の保蔵力の向上と時期的配給の闘滑とを

国らねばならぬ。叉無頭魚は鮮度及輸送力の向上ゃ、頭部の別途利用の諸賄から見て今後奨むべきものであらう。

要するに食生活の巧妙なる敵前切替を断行するだけの勇気を沿互に有たねばならぬ。叉貯硫力を高めるために

職容と食糧

九五

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九戸 L・〆、

は冷凍食品

ω製也を盛んにするととも必要だn

更に我が閥現在の食生活に於ては、油の不足佐痛切に感じられる

ので、股共による削油の食糧化は陥る望ましいし、叉豆附註つくる際大豆から泊を搾って食則叉は工業川に加し

その搾粕から豆闘を也るととを今日相常にやり出したゃうであるが、斯様に一石二鳥式なやり方は今後益々奨め

たいe

叉大一立を米に混炊の場合会粒のまL

よりも、股脂L

へ豆の形で混ぜた方が同hし意味から有利で

bる。欧米は

どとでもさうであるが、現下の調逸などは特に食用油脂の補給に大童だ。調逸の岡川町は今日食用油部少いとてと

ぼしてゐるが、それでも東京あたりに比べると、その配給量は買に二十倍以上に常るとのととでるる。

向ほ.泊趨米は今までも,次第に削減を加へられては来たが、更に一屠の大制限を敢行し、酒の配給は軍用を除い

ては労務者位ひに止め、その剰れる米を全部一般闘民の食用に廻はすととにした-ならば、時局の要請にふさは!

いものかと思はれる。然るに他商に於ては、煙草の栽培をやめて米安を作れとの極端な議論をたすものがある。

出来得ればとの上もないとと-ながら、喫煙の習慣牢同たる以上それはいふぺくして行ひ難いととだ。

茶は今にも統制口聞になるかのやうな噌が故近頻りに巷聞に立ち-初めたが、営局の言明によると、茶については

白山販寅を停止する立向はたいもの

L

ゃうである。ベルリンでは現在コーヒーの特配をやってゐるし、叉敵同ア

メリカでもコーヒーや砂糖を今年六月から再び白山販賞品に移しもμ段

Eであるから、せめては我が闘でも敵米の

コーヒーに営る治茶位は白山に飲ませて、窮簡な戦時食生活の裡に一片のゆとりを奥へるととは賢明な方法でも

あらう。

病弱者の柴養食餌も決して軒んや'る課には行かねが1

1

鶏卵やパターは聾仰の診断書に依て配給される|殊

に乳児及び姫点姉

ω保健については、食続方聞から多大の注・立を梯はねばならぬ。会問的なととではあらうが、

札幌友

Eでは今ぷ来午乳配給の統制を俄かに強化し、母乳不足の乳児に封し殆んど排他的の優先配給をなすに至

ったが之は持だ喜ばしい事柄ぜある。又焼庭婦に封しでも、能ふ限り食糧

ω数量品質

ω上に遺憾なきを明せねば

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ならぬ。早速との秋から全閥的にそれ等

ω姉人げ仏大一旦粉を配給するの計霊があると聞いてゐる、貫現を一航るもの

だ。L

へ豆は柴養分に官み目つ満洲から多社

ω輪入を仰ぐととが出来る。

今や食続の緊迫は交戦各園の何れに於ても免れ作ざる願著友現象と化し、濁り我が岡にのみ限られた課では決

してない。大東亜民放の解放を大目標とする翠鞍に勝ち抜くためには、如何なる耐乏忍苦の生活をも、如何に長

くとも敢て押し通すだけの牢聞たる決心を五日々は凡て有たねばならぬ、叉貫際その決意を有ってゐないものは五口

々同胞の中にた立の一人もあり得ない。買に困背訣乏の生活への抵抗力の強靭友ととが、確かに今日我が岡が敵

米英に封して有する最大強味の一つである。今日我が闘は砂糖無し日白蓮績であるが、今となっては別に苦痛と

も何んとも思はぬ。叉黒い米に慣れて来ては一向平気で却て滋味をさへ感守る棋だ。混食も同ヒととだ。現下の食

生活は頗る規則正しく過食の心配はあり作ないので、粗食-ながらも胃腸病患者は鞍争の営初は却って減巴たとの

ととでるる。然しながら食生活の低級水準を永く績けそれに慣れ過ぎる結果、生前向上の意気を将来氾喪せし

fG

むるが如きととなきゃう最低警戒を要する。そして戟捷

ω暁には、入閣の物質生活の三大要素たる衣食住のその,も

心身に影響するととの特に偉大なるとの食糧掛取の改革口に切カし、叉必ややそれに成功して見せるといふ烈火の

如き捲土重来の明るい希望を胸底に絶やすととがあってはならぬ。人聞は

Eとまでも反楼力を北へつては友らぬ。

食糧問題は生産と消費との爾面から同来て居り、換言すれば農村と都市とが互に相呼躍し、雨者合して設に始め

て一つの全きを得る謹で

bる。随て農民と都合民との気持がピヅグリ融け合って居らねば食糧問題の高金の解決

は望み難い。例へば農民は都市からの按農作業に心から感謝し、都合民は叉農村より治って来た美事た収穫物に心

から喜び合ふのは、即ち部部の接近で何よりも結構友ととである。併し爾者の利害が反目する場合の費生も亦時

として避け難い。例へば供出米について見れば、都合ではなるべく多くの供出を望み、農村では・なるべく多く己

れの飯米に廻したいのが人情で、とれが白然の仔様であらう。今夏開催の第五同中央協力合議の席上一議はから

九七

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64L」食

九}¥、

農民に渦腹感乞似(へるととが増尽の詮なる故、自家保有米の増額を認められたいとの率直な意見が出たのであっ

た。

P」とまでも農家は都合叫んの温い心に感臨し、愛凶心を傾けて農事

κ身を捧げ、なるべく多くの飴剰米を白強

的に作り出して都合の消費者を潤すととを息念し、同時に叉都合民としては、農村より飴りに多くの供出を望み

そのために却ヴて農民

ω生産立慾をさまして翌年の増産にひピが入り、結局都合も農村も自他共に不利従を受け

るといったやうな事態に陥るととを大いに警めねばならぬ。

家庭菜園の栽培収穫の成績は、札幌あたりでは素人粧皆としては上の部のやうだ。市民の何れもが、朝夕の飴

暇を割いて倍々として野菜の手入をするその熱心な態度は、患に一一塊の著、

一本の葱を以て食時を賑はすばかり

が目的ではない。

それと同時に僻遠の地に鍬把る農民の勢苦を忠ひやり、叉己れが庭先の作物の壁けき稔りを見

るにつけ、天恩に感謝する心が自然にむくむくと湧き出るのである。

要するに食粕問題は人心の機微に偶れ易い問題であるからして、その取扱に到しては震政者も息者も、都制性

民の心理を充分に能く理解する

ω必一裂があらう。同時に長期戟を健悟する以上、食組問題の霊山貫性はム佐々加増す

るものと見て、設局に於ても一所慌主に之が針策を講ぜねば友らぬ。

最後に一一言断って置きたいととは、今までとの論文の中で、敵国米英の例を所々に引用したととであるが、之

は税敵を打倒せんがためには、敵を知り味方を知るの必要を痛感したからに外たらぬ。敵は前の職守でも今の職

争でも、前総銃設を問はやいつも職争には中々真剣である。敵米英両闘は何れも前回の大戦に於て、食組問題に

闘し背い試練を鰹て居り、叉輿同調迭でも今度は二度目のととLて食糧政策に封しては寓事抜かりはない筈だ。

われわれは食料持久戦に於て高が一にも敵闘に引けを取るやうなととがるった・ならば、それとそ悠久三千年の柴

えある御闘に封し耐目次第もないではなからうかの今とそ緊祁一番を要する秋である。

ハ昭一九・八・一川)