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ISSN 1340-4253 発行 2012 3 30昆虫分類学若手懇談会会報第 17 号|事務局 九州快学大学院比較社会文化研究院 生物体系学教室 編集細谷忠嗣・大島康宏・近藤雅典 Panmixia 印刷所 コロニー印刷 81 0119福岡県糟屋郡新宮町線ヶ浜 1-11 1 特集「和名問題を考える J 古くて新しい和名問題:これまでの流れ ~イントロとして~ 細谷忠嗣 ………...・ H ..... H ..... H H H ..... H ・..…….. . H ..... H ・...・ H ・... . H 1 和名についての考え方 野村周平. .・ H .... . H ・..…. . H ..... H ・..…...・ H ・..…… 11 階層的和名体系の構築 鈴木邦雄…… H H ..... H ・-… H H .... H ・... . H ・. . H ・. 19 魚類における標準和名の考え方と日本魚類学会の取り組み 能宏 …... 37 和名問題を考える ーどうやって解決すればよいのか?:日本トンボ学会に おける試行一 苅部治紀 .…… .... H ..................................................... 45 昆虫分類学若手懇談会

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Page 1: Japan

ISSN 1340-4253

発行 2012年 3月 30日

昆虫分類学若手懇談会会報第 17号|事務局 九州快学大学院比較社会文化研究院

生物体系学教室

編集細谷忠嗣・大島康宏・近藤雅典

Panmixia 印刷所 コロニー印刷

〒81ト 0119福岡県糟屋郡新宮町線ヶ浜 1-11・1

特集「和名問題を考えるJ

古くて新しい和名問題:これまでの流れ ~イントロとして~

細谷忠嗣 ………...・H ・.....・H ・.....・H ・H ・H ・.....・ H ・..……...・ H ・.....・ H ・.....・ H ・.....・ H ・ 1

和名についての考え方 野村周平...・H ・.....・ H ・..…...・ H ・.....・ H ・..…...・ H ・..…… 11

階層的和名体系の構築 鈴木邦雄…… H ・H ・.....・ H ・-… H ・H ・.....・ H ・.....・ H ・...・ H ・. 19

魚類における標準和名の考え方と日本魚類学会の取り組み 瀬能宏 …... 37

和名問題を考える ーどうやって解決すればよいのか?:日本トンボ学会に

おける試行一 苅部治紀 .……....・ H ・...................................................... 45

昆虫分類学若手懇談会

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Panmixia (昆虫分類学若手懇談会会報).NO.17. ppト10(2012)

古くて新しい和名問題:これまでの流れ

~イントロとして~

細 谷忠嗣

九州大学大学院比較社会文化研究院生物多様性講座(生物体系学教室)

干819・0395 福岡市西区元岡 744番地

E-mail: [email protected]

(2009年 12月 26日原稿依頼, 2012年 2月 29日原稿受領)

はじめに

我々が自にする昆虫を始めとした生き物には,

多くの場合,何らかの日本語の名前がついてい

る.これら生物につけられている日本語名が「和

名」である.r和名」には,一部の地域でのみ使

われる地方名(方言),商業的な場面などで用い

られる商品名や品種名,現在は使われなくなっ

た古文中の古名,一般的に使われている通俗名

など,様々なものが含まれる.今回の特集で議

論される「和名Jは,そのうちの「標準和名J,

すなわち分類学的な背景を持つ学術的な和名で

ある.

和名(標準和名)は,分類学の研究において

必ずしも必要なものではなく,基本的に学名が

あれば学問上の問題はない.しかし分類学以

外のその他の基礎系・応用系の科学分野,およ

び教育分野において一般の方々も含めた全ての

人に当該分類群を正しく認識してもらうために,

そして学問的な名前の統一性を確保するために

も,標準和名はどうしても必要なものとなって

くる.標準和名は,図鑑や目録などの出服物や

インターネット上のデータベース等,さらに博

物館等による展示などにおける使用といった場

面における「分類学の社会貢献j とし寸意味合

いにおいても,分類学者と関わりの深いもので

あるといえる.しかし,学名とは異なり,標準

和名には命名規約があるわけではないため,

様々な和名の混乱や問題が生じており,また,

それに対してどう対処するかとし、う方法も明確

なコンセンサスが得られていない.

l

今後,昆虫分類学若手懇談会の会員である昆

虫分類学の若手研究者が,和名問題に直面し,

対処しなければならない場面も生じてくると恩

われる.今回,昆虫分類学若手懇談会会報

Panmixiaにおいて「和名問題を考えるJとい

う特集を組むこととし, r和名(標準和名)に

関する考え方」についてまとめるとともに, r実際に混乱が生じた際の対応の実例Jを紹介し,

会員各氏の標準和名に対する理解を深め,また

今後の実際的対応の参考になればと願っている.

標準和名の歴史~明治・大正期~ 和名の

命名法の提案

712年に太安万侶により編纂された現在確認

できる日本最古の歴史書である 「古事記」には,

すでに「蚕Jという昆虫の和名が示されており,

昆虫の和名の歴史は少なくとも 1300年の歴史

があることになる.この間,各種の和名が昆虫

につけられてきたが,特定の種に関する和名は

ごく一部のもののみであったと思われる.

「標準和名j としての和名が付けられるよう

になるのは,分類学が西洋から導入され,それ

が実践されるようになる明治時代以降のことで

ある.現在使われている見虫の和名は大部分が

明治以降に作られたものであり,明治時代に作

られた古い和名は「詩文Jなものがあった(江

崎, 1934). r臼本昆虫学の開祖Jと言われる

松村松年氏は 「日本見義挙J(1898) などの著

作において,多数の日本の代表的な見虫の種に

ついて和名と学名を併記して示し,現在につな

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Panmixia, NO.17 (2012)

がる標準和名の土台を作っていった.また,彼

は和名を一定の意識的な画ーの型に統一し,そ

れを全般的に適用していったが r日本昆轟綿、

目録,第一巻,蝶蛾之部J (松村, 1905)がそ

の最初であった(江崎, 1934) .そして,この

初期の時代から,すでに和名に関する問題の議

論が始まっている.

まず,長野(1905)が和名の命名法について

始めて言及した.彼は,動植物の名称は純粋に

学問上においては学名があれば和名は必要ない

と述べつつも r乃チ換言スレパ,皐名ハ皐問

的,和名ハ通俗的ニシテ共ニ必要ヲ感ズルモノ

ナリ Jとし,和名の必要性を論じ,昆虫類には

普通のもの,大型のもの,少数にのみ和名が存

在するに過ぎず,新たに和名を付けてし、く困難

さを述べている.また, f日名の命名に関する標

準(命名法)について 8項目を挙げている.即

ち, rー,成長ニヨリテ命ズルコト.二,近縁

ノモノニハ成ルベク同一基名ヲ用ヰルコト.三,

外部ニ現ハレタル形態ノ特徴ニヨノレコト.四,

形態ニヨラサ'ルモノハ他ト匡別スベキ名酔ヲ基

語ニ冠スノレコト(例として,人名や鬼神名,地

名をあげている).王,皐名ノ意味ヲ採ノレコト.

六, p;蓄食縞物ノ名ヲ冠スルコト.七,習性ニヨ

ルコト.八,口調ヲ好クスルコトJ.これが和

名の命名法に関する最初の言及である.また,

特徴的な点、は分類群(系統)ごとに基名を用い

ること(項目の二)とし,この基準に合わせて

一部の蛾について和名の改正を提唱し,すでに

与えられている和名の変更をも行っている.基

本的に,研究の初期段階にあるこの時点、で根本

的に基礎を定めて和名の統ーを図ることを重視

している.

次に矢野(1905)は,諸先輩が和名の説を一

致させるのを待っていたが,そうならないこと

を憂いて,彼の考えを示している.古名他すで

に命名されているものに命名するべきではない

とし,すでにある名称の取捨の基準として, rー,

従来一般に用ひられたるものには絶対的に是に

従ふ.二,近時殺表せられたるものは最も古き

ものに従ふ. 三,別に記載なくして拳名を附す

2

るものは是拳名に附属せる和名と して見る」の

3点を示している.彼は,異種同名,類名の場

合のみ多少の修正または改名をすればよく, 1

種 1名あればよく,高IJ名はいらないことを強く

主張している.この考えに従い,長野(1905)

が主張した類似の種との関係ある名辞に変更す

る必要はないとした.これは和名の安定性を重

視する考え方の最初の言説と思われる.また,

和名は「便宜上比較的通俗なる可き場合に用ひ

んJとし, 全ての見虫に和名を付ける必要はな

く,必要な場合に付ければ良いとし,後の「和

名制限論」につながる考えを示している.

平野 (1908)は r研究者は国家的園人の義

務として,協力一致以て和名の統ーを謀る敢て

不必要にあらざれのみか,寧ろ目下の急務なり J

と主張し, r根本的和名の統一を後起し,本邦

各地の多数なる研究者諸君より庚く投書を乞ひ,

其標準を一定せんとすJとして,まずは比較的

研究者も多い蝶類について,全国各地の同好者

に和名を決めるための投票に参加するよう促し

た.彼は,和名の選定法として, rー,尤も古

くより成議に封する名稿を附し,書籍,雑誌,

図説等によりて発表せられたる沓名を用ゆるこ

と.二.類似の種類は勿論同一基名を用ゆるこ

と.三.成轟外部に現はれたる色彩,形見犬,其

他特徴により命名すること .四, 口調を良くし

字数を少なく改正すること.五,新種のもの又

醤和名のものにでも名審大家,功努者,皐名,

採集したる地名等可成其紀念となるべき意味を

用ゆることJをあげている.また,別紙目録に

従い投票することになっていたが,各自の考案

した名称も記入できるというものであった.

高野 (1908)は,和名問題も第二期に入り,

今ある和名を如何に統一すべきかが問題である

とし, 平野 (1908)の「投票制Jによる統一策

を強く批判している.上記の平野の条件ーから,

これまでに発表されているものを用いると言っ

ているわけであり,なぜ新たな名前を提唱し,

そして投票によって統一する必要があるのか疑

問を呈している.また,この時代に,松村松年

氏とともに多くの和名を提唱していた平野氏を

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細谷忠嗣:古くて新しい和名問題:これまでの流れ ~イントロとして~

始めとする名和昆虫研究所の関係者の和名の付

け方について r改めて一定せんJと批判して

いる.

回中 (1915)は,魚類の標準和名を選定する

ための 4つの条件を提案しているが,その論考

の中で,学名を変えても和名を変えないという

方法を取っていると述べている.現在でも学名

と和名を連動させるかどうかで議論がでる場合

があり ,昆虫関係ではないが重要な言説ど言え

る.

標準和名の歴史-2つの世界大戦聞~ 学

名和名対照表の提案と和名制限論

向島 (1929)は, r昆義の和名は一種の昆姦

(通常一撃名を有するもの)に封し一名穏を使

用すること,且つ之を片偲名を以て表示するこ

と」とする提議を出し,附帯提義として「現時

使用しつつある主要昆轟の筆名和名針照表を調

整 し,此和名は昆轟に趣味を有する者,昆轟皐

に携はる者,盤皐者,農皐者,昆議撃者並に一

般斯皐関係教育者の聞に周知せしめ,此針照表

の使用を推奨する こと.而して一旦決定したる

和名は,之を狼りに嬰更せず,即ち和名の先取

権を重んずること」とし,新たに学名和名の対

照表を作成し,これの使用を推奨すること,い

ったん決定した和名を変更しないこと(先取権)

を提案している.さらに,対照表の調整方法に

ついては,東京見轟皐舎が斡旋を行い「昆姦和

名統一委員舎Jを組織し,原案を調整して公刊

し,一定期間を設けて訂正加除を行い実施する

という具体的な提案もなされている.これは,

和名の問題について学会による調整を提案した

最初期の事例と思われる.その後,実際に「昆

轟和名統一委員曾j が組織され討議されたとい

う記録を,筆者は確認できていない.また,ア

メリカ合衆国の応用昆虫学会が同様の学名英名

の対照表を作成した事例 (1919-1925年)に

ついて紹介しており,それによると,アメリカ

合衆国ではすでに 500種強について学名と英名

の対照が行われていたことになる.

加藤(1934)は,植物においては和名が大概

3

一定しているのに,昆虫では本によって異なっ

ており,場合によっては閉じ著者でも後に変え

るものもあり,昆虫の和名が全く当てにならな

いと批判している.また, r和名の改稿が流行

的に行はれつ 』ある」ことについても批判的で

ある.彼は雑誌「見轟界Jにおける昆虫の和名

統一の実行を目指して,以下の方針を示した.

r1.最も普遍的なものを用ひる.2.標準とす

べき文献は片寄らず諸種のものを参考とする.

3. 和名はなるべく省略式でなく,全記式を用

ひる.4.先取権を認めない.5.文字は片偲名

を用ひ,般名遣は古典的なものに従ふ(例とし

て,ハヒイロゲンゴラウなどがあげられている).

6.標準和名として準援すべき皐名釣照のリス

トは最も必要であるが,…,近く拙著分類原色

日本昆轟園鑑完結後に後刊する該書の線目録を

代用することにしたい(どのような線、目録が作

られたか,著者は未確認) • 7.寄稿者は一々

統一問題に捉はれることなく,従衆通り自己の

信ずる和名を用ひて書いても何等差支へない

(これは雑誌「昆盆界Jの従来からの編集方針

編集が不適当と考える場合にのみ訂正すること

を確認した)J彼は, 4. として「先取権を認

めなしリとしたが,これは昔の不完全極まる和

名に逆戻りしなければならないためとしている.

確かに「先取権」を認、める際にも,いつの時代

まで遡るかと言う問題がある.学名のように

1758年からという明確な基準がないため,先取

権だけで,近年使われていない古名 ・旧名を復

活させる訳にはし、かないであろう.先取権を重

んじる場合でも,判断が難しい場面がでてくる

であろう.

江崎 (1934)は, r昆袋、の和名統一の問題は

数十年来の懸案Jながらも, r問題は依然と し

て昔のま 〉に蔑されてゐるJと述べ,これまで

の和名に関する流れを示した.また,松村松年

氏による 「日本昆轟大圃鑑J(1931)等での和

名の短縮等の和名「改革Jについても触れ,画

ーと簡潔のために必要以上の短縮を行う こと に

不賛成の立場を示した.しかし,和名の統一は

「結局はある一定の年月の聞に於ける自然の淘

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Panmixia. NO.17 (2012)

汰によって残されたものに騎すべきものと思う」

とし,積極的な和名の統ーではなく,自然の流

れにまかせる考えである.また,彼は「和名制

限論」を展開し, r吾々の眼に崩れ易い大形な

もの,美しきもの,利害関係を伴ふもの等に封

しては和名は絶撃すに必要であるJとしながらも,

珍しく学術的以外に意味の少ない種類に対して

和名と学名の両方を併用するのは害あって益が

少なく ,こういった穏には学名のみを用いる方

が有益であるとしている.

標準和名の歴史~世界大戦後~ 今も残る

ウスパシロチョウ問題

第二次世界大戦後も和名に関する議論は継続

していく まず, 1955年に日本鱗麹学会が「和

名について」というシンポジウムを開催してい

る(藤田, 2008) .江崎悌三氏は和名全般の解

説と「和名制限論jを改めて主張した.対して,

春日敏郎氏は全ての種に和名を付けることによ

って将来の蛾屋を育てたいこと,また,改称、の

必要なものは思い切って改称したいと述べてい

る.また,岩瀬太郎氏は 8種の蝶類について和

名の短縮案を示したが,採用されなかったよう

ある.

次に, 1970年代から 1980年代にかけて,ウ

スパシロチョウおよびウスパキチョウを改名す

るか否かの論争がおこった.両種は和名からイ

メージされるシロチョウ科ではなく,アゲハチ

ョウ科に含まれるため,分類体系に即したウス

パアグノ、およびキイロウスパアゲハ(またはウ

スパキアグノ、)に改名する提案がなされたが,

これが論争となり,現在まで残る問題となって

いる.

猪文 ・伊吹(1979)は, rどの蝶をさすのか

不明にならない現状では,多少の語尾の扱いが

不適当だからといっていちいち修正変名してい

く方法をとったら多くの種について和名が変更

されることになり,将来大きな混乱を引き起こ

すJとして,改名に反対している.

これに対して雑誌「月刊むしJに多くの意見

が寄せられた.柏井(1979)は,よりよい和名

4

の方が使われ残ってゆくであろうとし,藤田

(1979)は,和名は学問的なこととは一切かけ

離れた次元の問題であり,プライオリティーや

普及性を侵してまで語尾を統一する必要性はな

いとした.藤岡 (1980)は,和名は固有名詞で

あり,その fふさわしさJは固有名詞としての

ふさわしさであって,系統分類学的なふさわし

さは必要ないとし,既に名のある種に新たな名

をつけても,科学的な進歩は何もなく,逆に 2

つの名ができることによって混乱するのでマイ

ナスであるとした.これに対して,入江(1980)

は,たかが 100年くらいしか使われていない和

名であるのだから,今後のために著しく不適当

な和名は変更すべきとした.橋本 (1980a)は,

「そろえるべきか,もとのままにしておくかJ

と一律に決めるべき問題ではないが, rやたら

に変えるべきでないJというのは皆同意見であ

ろうとした.いろいろな意味で変えた方が明ら

かにょいときは変えなければならないが,全て

について変えなくてはならないと考えるのは飛

躍し過ぎであると注意喚起をしている.橋本

(1980b)は,和名にも分類学的な理論性が必

要であるか,愛着のある名前が良し、かという問

題の議論よりも,どちらかにはっきりしてほし

いというユーザー側の願いを述べている.また,

今後,新しく和名を付ける際には,よく考慮の

上で理論的につけて欲しいとした.

このウスパシロチョ ウ問題は結局収束してい

ない.ウスパシロチョウがいまだに主流として

使われていると言えるが,図鑑等では両方の和

名を併記している場合が多々見られる(白水,

2006 ;猪文ら,2010など).

標準和名の歴史-20世紀末~ 目の和名の

変更と差別的表現の問題

昆虫を始めとする多くの動物の目などの上位

分類階級の和名は,形態的特徴を示す漢字を用

いた伝統的な名称で示されてきた. しかし,

1988年に編集された「学術用語集:動物編」の

動物分類名の一覧から,目以下の名称を全てカ

タカナ書きとし,目名はそれぞれの見虫群を代

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細谷忠嗣:古くて新しい和名問題 これまでの流れ ~イントロとして~

表する見虫名を用いるように改定された.とれ

は,教育現場や新聞などの一般報道のことも考

慮し,難解な漢字の利用を避けたものである.

昆虫の目は,それぞれに特徴的な麹を有してお

り,その麹の特徴にちなんだ学名を持ち,和名

でもそれを日本語に訳した目名が従来使用され

てきた(例えば,双題目,鱗麹目,膜麹目など)•

このような目の特徴を見事に表した名称が使わ

れず,ハエ目,チョウ目,ハチ目などに置き換

わってしまうことは,昆虫の形態的特徴の理解

を妨げるという問題点もある.この改定には,

異論も出された(青木, 1994など)が, 1990

年代を通して徐々にカタカナ表記の目名が使わ

れることが多くなってきた.しかし,現在でも,

形態的特徴を良く表す漢字名を使う場合が多々

見られる.

1990年代になって,新たな和名の問題が生じ

てきた.それが差別的な表現を用いた和名の扱

いである.昆虫においては, 1999年に日本昆虫

学会が「差別用語を用いる昆虫和名の扱いに関

するワーキンググ、ループJを設置し,日本見虫

学会会長と日本応用動物昆虫学会会長の連名で

「差別用語を用いた昆虫和名の扱いに関する要

望」を提出した(湯川 ・宮田, 1999;宮田・湯

川, 2000) .昆虫の和名の歴史性とその貢献の

大きさ,そして名称の安定性の理念からむやみ

に変更すべきではないことを認めながらも, r昨今の社会情勢を勘案すると,たとえ科学的所産

である見虫の和名といえども,社会の良識を超

えるものであってはならないと判断されるJと

し両学会員に,和名の命名,運用の際には十

分配慮し,改称、を含む適切な処置とその普及,

定着を強く要望している.

宮本ら (2000)は,差別的表現を含む「メク

ラカメムシJの代替名として「カスミカメムシJ

を提唱した.現在,この代替名が広く用いられ

ており, 差別的表現を含む和名の改称の好例で

ある.ただし,形態学的に不合理な名称として

改称を行っており ,差別的表現については一切

触れられていない.

他には,大石ら (2000)が差別的表現を含む

5

「メクラアブ」について,以前に提起されてい

た「ハネモンアプ」とする改定を提言した.現

在では rキンメアブ」に改称することになっ

たようであるが,現在でも「メクラアブ」が使

われる場合も多く,代替名の普及は 「カスミカ

メムシj の場合のようには進んでいないようで

ある.

差別的な表現を用いた和名の問題点について

は,佐藤 (2002)が魚類についてまとめている

ので参照されたい.また,その改称、については,

日本魚類学会が標準和名検討委員会を設けて組

織立った改称を行っており,差別的表現を含む

和名の改称を進めていく場合に大変参考になる

(瀬能, 2002).本特集においても,瀬能(2012)

がこの件についてまとめているので参考にされ

たい.

現時点でも,差別的表現を含む昆虫の和名は

いろいろと残されており,今後も,対応を行っ

ていく必要がある.しかし,どこまでを差別的

表現とするかという問題もあり,改称範囲の設

定もまた問題であろう .

また,このような差別的表現を含む和名改称

の流れに反対する意見も出されている.例えば,

遠藤 (2002)は,r言い換えJを行っても差別

問題は解決できず,むしろ思考停止に陥らせる

だけであると批判し,改名によって隠蔽するの

ではなく,敢えて自らの責任において用い続け

るほうが,より責任ある態度であると主張して

し、る .

標準和名 の歴史-21世紀~ 続く和名に関

する提案 と論争

今坂 (2002)は,和名に関する 3つの提案を

行っている. 1つ目が, r日本産の昆虫には和

名をつけよう j であり,分類学以外の応用 ・生

態 ・生理などの研究者や,環境アセスメン トの

関係者,同好者,官公庁,マスコミ,一般の人

などにとっては,和名がついている方が扱いや

すいのは明らかとし,新種の記載者は和名の命

名も同時に行い,また和名のない多数の種につ

いても目録等の発行時,または研究者か学会で

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Panmixia. NO.17 (2012)

付けることを希望している.また,和名はでき

るだけ短く簡潔に,長くとも 15字以内にする

ことを要望している. 2つ自は, f和名はなる

べく変更しないようにしよう Jということで,

できるだけ最初に付けられた和名を尊重し,よ

ほど不都合がない限り,和名は変更しないよう

にしようとしている.また,図鑑には異名も収

録する配慮の必要性を述べている.さらに,所

属の再整理や変更になった場合の和名について

は,特に変更する必要はないとしている.外国

産亜種との関係で日本産のE種に「ホンドj な

どを付ける変更を批判し,和名は日本産に対す

るものであり,かつ学名変更とは別次元のもの

であり ,学名の変更に伴う和名の変更はしない

方が良いとしている. 3つ目に, f亜種の和名

についてノレール作り Jをすることを提案してい

る.和名によっては,種かE種かわからず不便

なものもあり,どちらか判断できる方が便利で

あるとし,種名後に f--BE:種」と後ろにE種

を表示する方法他を示し,ルール作りを提案し

ている.

亜種の表記に関しては,現在でも統一的な緩

いはなされていない.例えば, f日本産昆虫目

録J (九州大学農学部昆虫学教室 ・日本野生生

物研究センター編, 1989, 1990)およびこれを

元にした「日本産昆虫目録データベース

MOKUROKUJ (Tadauchi & Inoue, 2000) ,

「バッタ ・コオロギ ・キリギリス大図鑑J (日

本直麹類学会編, 2006)などでは,!IE:種にも固

有な和名が与えられている.これに対して, f日

本産コガネムシ上科総目録J(藤岡, 2001)や

「日本産蛾類総目録J (神保,2004-2008) ,

「日本産蝶類和名学名使覧J (猪文ら, 2010)

などでは,和名後に f--(地域名)BE:種Jと

いう表記を行っている.

また,図鑑等への異名の収録については,配

慮、される傾向にある.特にデータベース関連で

は異名の収録が普通に行われるようになってお

り, f日本産蛾類総目録J (神保,2004・2008)

や「日本産蝶類和名学名便覧J(猪文ら, 2010)

などのデータベースで異名が収録されている.

6

図鑑を作る際にも,和名をどう扱うかについ

て著者問で意見の相違が見られる場合もでてく

る.例えば, fバッタ ・コオロギ ・キリギリス

大図鑑J (日本直麹類学会編, 2006)では,凡

例の『和名についてj の項目で, f和名につい

ては,流布している名称についてはできるだけ

変えない方がいいという考えと,今回を機会に

改革かをした方がいいという考えがあった.歴史

的な経過があったり混乱の大きいと思われるも

のを除き,属名などの分類単位にそって統一的

に,また,できるだけ簡潔にする方向で,最小

限の改称を行った.Jと書いてある.ここでも,

和名問題が議論された当初からの 2論がせめぎ

合うことになり,両者の折衷案で

られたものと思われる.

その後, 2008年からキイロネクイハムシとノレ

リクワガタの和名の改称に関する論争がおこり,

本特集へとつながっていく.これらの問題に関

連して,手口名をどう扱うかに閲する意見が活発

に交わされていくことになる.

藤田 (2008)は,和名の歴史,和名が混乱し

てきた歴史,および混乱の理由について,いろ

いろな事例を紹介しながらまとめている.また,

外国産種の和名の付け方についても触れており,

穏の学名をカタカナ読みし,それにそのグルー

プ名をつける方式が紹介されている.そして,

和名についてはさまざまな事情を勘案しつつも,

基本は先取性,普及性,安定性などを重視する

考えに基づき 4つの提言を試案として示して

いる.以下,その概要であるが, 1. 新しく学

名を創設する時は適切な和名を提案する.近縁

種との整合性なども考え合わせ,長過ぎる和名

を避ける.2.すでに使われている和名は実害

がある場合以外はできるだけ改称しない.必要

があってどうしても改称をする場合は,事前に

改称案を学会や関係者に相談し,コンセンサス

を得て一斉に改称する.3. 2つ以上の和名がい

つまでも使われる場合は,学会などで勧告また

は裁定をして適切な和名を選択する.改称が必

要なケースを検討できる受け皿を学会が担う.

4.それでも 2つ以上の和名が使われ続け,ま

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細谷忠嗣 古くて新しい和名問題 .これまでの流れ ~イントロとして~

た選択の役割を担う学会がない場合には,影響

の大きな出版物を作る際などは,なるべく異名

も収録し,利用者の混乱を最小限にとどめる配

慮をする.

これに対して大津 (2008)は,和名に関する

5つの私見を示した. (1) r和名の最後にムシ

をつけたほうが適当と思われるものはムシを省

略しないJ. (2) r複数の種をふくむグ、ルー

プでは,科,族,属と言った上位分類群の名称

をそのまま特定の穏の和名にしなし、J.特定の

種かグ、ループかがわからない点を問題視してお

り,種の和名には“ヤマト"などの適当な接頭辞

をつけることを提案している (3) r形態上

明らかに魁僚をきたしている和名は改名するJ.

標準和名としてふさわしくないものについては

再検討すべきで,いたずらに定着性を持ち出す

ことに異議を唱えている.また,差別用語など

不都合な用語を含む和名についても変えるべき

としている. (4) r合理的に改名されたもの

は標準和名として定着させるJ.和名にはそれ

なりの科学的合理性を付与するべきとしている

また, 1種が複数種に分割された場合は旧名を

排して,新たな名前をつけるのが合理的で、ある

とした.伝統だけではなく,合理性を加味した

標準和名を確立し,定着させる義務があるとし

ている. (5) r“亜種"には和名をつけないJ.

亜種は将来的に廃止すべきであるとの論を示し

ている.

鈴木 (2009a)は,和名は学名同様,名辞(概

念を持つ語の総称)体系を構成するから,原則

的に階層的に構築されるべきであると主張し,

属と種の和名が同ーな場合には無用な混乱の原

因どなるとした.和名も, 学名 と同様,その安

定性/連続性 continuity と普遍性/包括性

universalityとを持つことが最重要の機能であ

る.名辞体系は階層的に構成し,階層性が維持

されなければ,体系自体が十全に機能しない.

和名の適切性の判断基準は,自然に対する認識

(理解)の深化にとってより効果的であるか否

かに置かれるべきであると述べている.また,

命名行為の意味と学名の階層性に関する説明を

7

行い,日本魚類学会が「標準和名は一名式命名

法である」としている点について,誤解を招く

不適切なものとして批判し,実際は複合語であ

るとしている.また r生物名の安定性Jは流

動性(あるいは可塑性) と背中合わせであり,

理解が深まれば定義に当てはまらない部分が出

てくる.その場合, 53IJの名前(新名)を与える

か,定義を見直すことになるが,これらで対処

できない時に新たな命名を迫られるとしている.

さらに鈴木 (2009b)では,亜種には固有の

和名を付けないで,種の和名の後に r~~ (地

域名など)gp:種Jをつけるのが実際的であろう

としている.ここでも,再度「属と種に同 じ和

名を付けるのは避けるべきJであることを強調

している.また, r種和名の歴史を尊重するこ

とJと「学名体系に準じた和名体系を構築する」

ということは別次元の問題であり, 両立させる

ことは論理的に不可能で、あることも述べている.

さらに r属より上の分類階級に位置する分類

群の和名Jについては, r科Jなどを後に付け

るのは絶対条件とし, 上位分類群の和名も学名

同様に,タイプに従って自動的に決められると

している.

丸山 (2009)は,和名は使う側がどう感じる

かが何より重要として,きっちりとした論理を

押し付けるのではなく,日常的使用における明

らかな混乱がない限り,和名は馴染み深いもの

を使えば良いし,万が一重大な混乱があれば,

その際に適宜変更すればよいと述べている.

2009年に日本鞘麹学会・日本昆虫学会関東支

部合同大会において, r昆虫の和名について考

えるJという公開シンポジウムを開催された.

瀬能宏氏は「標準和名に求められる ものとは何

か?Jで,まず標準和名の問題についてまとめ,

求められていることは「安定Jと「普及」であ

るとした.また, 日本魚類学会標準和名検討委

員会による日本産魚類の標準和名の提言につい

て紹介された.苅部治紀氏は「日本麟蛤学会で

の検討事例と和名についてJで, 日本晴蛤学会

和名検討委員会における検討事例の紹介を行っ

た.秋田勝巳氏は「最近の甲虫和名について考

Page 9: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

えることJで,アマチュア虫屋の意見として複

数の事例について考えを示した.特に, 1種が

複数種に分かれた時には,新和名 2つを付ける

方が「区別」という意味で良いのではないかと

述べている.藤田宏氏は「和名の混乱への対応

一理論上の混乱と現実の混乱Jで,鈴木

(2009ab)は規約の議論にあたるレベルであり,

実際的にはそこまで達しておらず,現実的な対

応の必要性があると述べた.

また,シンポジウム後,瀬能宏氏に伺ったと

ころによると,魚類では「分類学的内容の書か

れた論文等j で和名の提唱 ・変更を行い,それ

以外については無効として扱っているとのこと

である.昆虫では,分類に関係のない文章や学

会発表などで和名提唱されることもあり ,今後,

和名を整理する際の基準のーっとして考えてい

かなければならない点であると恩われる.

ルリクワガタの和名問題については,野村

(2008, 2012)や鈴木 (2009c)に議論の流れ

がまとめられているのでそちらを参照されたい.

このように,和名問題が議論され始めた初期

の段階で示されたf先取権に基づくべきであり,

基本的に和名の改称を行うべきでないJとする

矢野(1905)の流れを組む考え方と , r系統分

類学的な知見に合わせ,組曲Eをきたす場合には

改称すべきJとする長野(1905)の流れを組む

考え方が,現在でも場面と内容を変えながらも

基本的な考え方の柱となって議論を戦わせてい

るといえる.

本特集の経緯と内容

2008-2009年度の昆虫分類学若手懇談会編

集委員会において,キイロネクイハムシとルリ

クワガタの和名の改称、に関する議論は,昆虫分

類学若手懇談会の会員にとっても昆虫分類学を

研究する上で考えなければいけない事例であろ

うということになり ,2009年夏に和名問題に関

する特集をまとめる準備を始めた.

まず,和名に関する考え方として,標準和名

の安定性 ・継続性を重視して取り扱っていく考

えの代表として野村周平氏に,そして,区別性

8

を重視し和名も学名と同様に階層的に機築して

いく考えの鈴木邦雄氏に,それぞれ原稿を依頼

することとした.野村 (2012)では,標準和名

に基本的に求められることについて,および標

準和名の安定性 ・継続性を重視して取り扱って

いくという基本的な考え方について解説してい

ただいた.特に,旧日本鞘麹学会の和名問題検

討委員会の委員長として問題の対応にあたられ

たノレリクワガタ問題に照らし合わせて,この考

えをまとめて頂いた.鈴木 (2012)では,区別

性を重視するという考え方,つまり和名も学名

と同様に階層的秩序を持つように構築していく

べきとの考え方に基づく和名の扱い方の理論的

な面について整理して頂いた.

次に,実際に混乱が生じた際の対応の事例と

して,2氏にご執筆いただいた.苅部 (2012)

では, トンボにおける和名についての混乱が生

じた実例と日本鯖蛤学会での実際の検討方法に

ついて紹介いただいた.また,瀬能 (2012)で

は,和名問題の検討について既に議論が進めら

れ,検討委員会も設置されている魚類における

標準和名の従え方と委員会としての考え方およ

び対応の仕方について,日本魚類学会標準和名

検討委員会の委員長である瀬能氏にご紹介いた

だし、た.

執筆者のうちの 3氏が,前述の 2009年 11月

の日本鞘麹学会 ・日本昆虫学会関東支部合同大

会シンポジウムの講演者であり ,3氏にはその

際に執筆の打診を行い,鈴木氏を含めた 4氏に

は翌月に正式に執筆依頼をさせていただいた.

また,このシンポジウムは旧日本鞘麹学会の

和名検討委員会が企画されたものであり,今回

の特集はその内容と重なる面も多いため,問委

員会の野村委員長と高桑正敏氏に,昆虫分類学

若手懇談会会報 Panmixiaで本特集を組むこと

の許可を求め,ご快諾をいただいた.

本特集はいろいろな粁余曲折があり,発行ま

でに 2年以上の時聞がかかってしまった.これ

は 2008-2009年度編集委員会の怠慢であり,

申し聞きのしょうもない.ここに全会員に怠慢

の謝罪を表明し,お許しを願うばかりである.

Page 10: Japan

細谷忠嗣 :古くて新しい和名問題:これまでの流れ ~イントロとして~

謝 辞

最後に,お忙しい中,本特集の原稿を御執筆

いただいた野村周平氏,鈴木邦雄氏,瀬能宏氏,

苅部治紀氏に厚く御礼申し上げるとともに,特

集完成まで時聞が掛かりすぎてご迷惑をお掛け

したことをお詫びします.また,本特集を見虫

分類学若手懇談会会報 Panmixiaで組むことを

ご快諾いただいた旧日本鞘題学会の和名検討委

員会の高桑E敏氏に,本特集に関する御意見 ・

御情報をいただいた阿部芳久氏,荒谷邦雄氏,

祝輝男氏に,そして 2008-2009年度事務局メ

ンバーの大島康宏氏,勝山礼一朗氏,近藤雅典

氏,高橋元氏に心よりお礼申し上げる.また,

遅々として進まぬ編集作業でご迷惑をお掛けし

た 2010-2011年度事務局幹事の佐野正和氏に

感謝の意を表する.

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Panmixia (昆虫分類学若手懇談会会報).NO.17. pp. 11-18 (2012)

和名についての考え方

野 村周平

国立科学博物館動物研究部

〒305-0005茨城県つくば市天久保 4・1・1

E-mail: [email protected]

(2009年 12月 26日原稿依頼, 2010年 9月 16日原稿受領)

1.議論の経緯

すでに本誌の読者の多くがご存知のとおり,

2009年に甲虫界では和名をめぐる論議が活発

になり,前年に日本鞘題学会内に設置された,

「甲虫の和名に関する検討委員会J(通称和名

検討委員会)を中心として活発なやり取りが展

開された.さ らにこの経緯を受けて, 2009年

11月 15日,日本鞘麹学会 2009年度大会・日

本昆虫学会関東支部大会合同大会の席上,公開

シンポジウム 「昆虫の和名を考えるj が開催さ

れた.

事の発端は,上に述べた和名検討委員会がそ

の声明として,甲虫ニュース第 164号に r001

号勧告」を掲載したことであった.この内容は

次の段落の枠囲み中に示したとおりである.ち

なみにこの勧告は,旧日本鞘題学会(旧日本甲

虫学会と 2010年に合併し,現在は新たな日本

甲虫学会)ホームページ rELYTRAJ中に掲載

されており,インターネットをつかうことので

きるすべての人々に向けて公開されている (註

1) .

これに対して,同学会会員である大津省三氏

から 3月27日付質問が学会(和名検討委員会)

宛提出された これに対して和名検討委員会は

回答文を用意し, 4月 22日付学会HPに掲載し

た.さらに,ほぽ時を閉じくして,同学会会員

の鈴木邦雄氏が長文の「公開質問状Jを提出し

た.しかしこれは当初,和文誌「甲虫ニュース」

に対する投稿原稿と言う形であったので,同誌

に掲載するのが適当かどうか編集委員会での検

討が優先される形となった.鈴木氏と同誌の編

集委員会との間でやり取りが会った後,会長の

001号勧告

2008年 11月 22日

以下の分類群について、和名をルリクワガタとすべきであることを勧告する。

所属:クワガタムシ科

分類群名(学名): Platycerus delicatulus Lewis, 1883

当該分類群に用いられるべき和名 :ルリクワガタ

当該分類群に用いられる和名のシノ ニ ム:オオノレリクワガタ

参考文献 :Imura, Y., 2007. Elytra, Tokyo, 35: 471-489.

註 1:旧日本鞘麹学会 HPのコンテンツであった当該の記事は合併により,新日本甲虫学会 HP

の中では旧日本鞘題学会アーカイブとして搭載されている.

11

Page 13: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

斡旋により,学会誌ではなく,旧鞘姐学会ホー

ムページへの掲載,和名検討委員会からの回答,

という形になった.和名検討委員会としてはこ

の「公開質問状Jを 6月 16日に受け取り ,7

月 1日に回答文を旧鞘題学会ホームページに掲

載した.大津氏および鈴木氏の質問内容および

学会側からの回答も|日鞘題学会ホームページに

掲載 ・公開されている.

鈴木氏は以上に述べたやり取りを含めて,主

にメール上で行われた討論なども含めた形で,

『日本鞘勉学会 f和名検討委員会」の r001号

勧告Jへの疑義一日本鞘麹学会への 「公開質問

状Jと学会の「回答」をめぐってー』と題する

小冊子を 8月 15日付刊行し,関係先へ配布し

た.なお,問冊子には,大津氏による書き下ろ

し論文(大津, 2009)が収録されている.

同年 11月 15日,日本鞘題学会大会と日本昆

虫学会関東支部大会の合同大会が東京農業大学

厚木キャンパスで行われたが,その席上, r昆虫

の和名を考える」と題する公開シンポジウムが

行われた.これは, 4名のパネラーが見虫のみ

に限らず,生物和名の構造や機能について見解

を述べ,それに対し,また関連する事柄につい

て,会場からの意見を募ったものである.本シ

ンポジウムの講演要旨や質疑内容については前

掲の旧鞘麹学会ホームページのみならず,大会

講演要旨集に掲載されているので参照されたい.

以上が 2009年末までの本テーマにかかわる

学会および会員による議論の経緯である.筆者

は日本鞘姐学会の和名検討委員会委員長として,

上記に閲する議論の中で発言したり ,シンポジ

ウムの司会進行を担当した立場と して,さらに

これらの問題を深く掘り下げようと当初は考え

ていた.しかしそれは,筆者の立場における弁

明にはなるかもしれないが,読者の和名に対す

る理解に資するものとはなり得ないのではない

かという疑義を抱いた.したがってここでは,

両氏との聞の議論の内容に深入りすることなく,

しかし読者には 2009年内に行われた論争の主

だった論点が理解できるような内容を心がけた

いと思っている.

12

2.論点を整理しよう

以上に示したようないきさつがあった後,特

に鈴木氏の私刊書を入手された昆虫研究者の多

くの諸先生,諸先輩方に,本件に関する有益な

アドバイスや激励をいただいた.大変ありがた

いことである.しかし中には,十分な理解がな

されていないと感じられるご意見もあった.特

に,筆者と大津氏,筆者と鈴木氏との問で, r和

名のあるべき姿」について全面的に意見が対立

していて,互いに一歩も譲らないと理解されて

いる節が見受けられた.これは必ずしも正しい

理解とは言いがたい.

大海氏,鈴木氏はそれぞれ, 2008-2009年の

著作の中で,和名の構成やその役割について,

詳しく意見を述べている.例えば大津氏は,大

津 (2008)の中で,鈴木氏は鈴木 (2009a)の

中で述べているので参照すべきであろう.これ

らお二方のご意見に対して,筆者は決して反対

の立場に立ってはいない.むしろ和名のない分

類群に新たな和名を与える場合には,大いに参

考にすべきであると考えている.また,亜種の

和名に関する取り扱いについては,少なくとも

筆者は両氏の意見に賛同できる(大津, 2008;

鈴木, 2009b).

それでは我々委員会側とお二方ではどの部分

で意見が対立しているのか?この点を明らかに

しないと,今後の建設的な展開は望むべくもな

い.ここで問題となっている和名を大きく 2つ

に分けてみよう ,すなわち,和名のない分類群

に新たに和名を与える場合と,すでに和名があ

る分類群に命名する場合である.前者の場合,

すなわち和名のない分類群に新たに命名する場

合,例えば,新種に和名を命名するとか,もと

もとはっきりした和名が与えられていない外国

産の種に命名する場合などが考えられるだろう.

そのような場合には,該当する分類群に近縁な

日本産の分類群の和名の例や,近縁群との関係

に配慮した命名が求められるだろう.それにつ

いて,大海,鈴木両氏もそれぞれ持論を発表し

ている.それについて筆者は対立した意見を述

べるつもりはない.つまりこの点で対立してい

Page 14: Japan

るわけではない.

そうではなく ,もう一方の場合,すなわち,

すでに永年使われ,定着してきた和名がある場

合に,その旧来の和名をどうするか,あるいは

分類学的な変更があった場合に旧来の和名を引

き継ぐべきか否かという点について,双方の意

見は分かれている.つまり継続性の問題である.

さらに,階級の異なる分類群に同一の和名を用

いることが適切かどうかについて,かなり明確

に分かれているといってもよいだろう.

3. 和名の構造と機能→継続性の問題へ

日本における甲虫研究の長い歴史の中で,お

びただしい数の甲虫和名が提唱されてきた.ご

存知のように,種に対して命名されたものが最

も一般的であろうが,科や目など高次分類群に

対するものもあるし,逆に種より下の亜種や,

型に対して命名されたものもある.ここで和名

を取り扱う我々が前提としておかなければなら

ないのは,以下の 2点で、ある,すなわち. 1)

分類体系は世界中の分類学研究者によって絶え

ず見直され,和名が命名される対象である分類

群の組み合わせば常に流動している. 2) 学名

には複数の同物異名 (シノニム)の中からただ

一つを選択する基準が示されており(先取権=

プライオリティーの原則).国際的な合意が得ら

れているが,和名にはそれがない.1.2の結果,

単一の種または分類群に複数の和名が提唱され

ている例も多くあり ,研究者のみならず,和名

を取り扱う人々はしばしば,ある種を指し示す

ために複数の和名の中からひとつを選ぶ,ある

いは併記せざるを得ない,などといった,あや

ふやな状況が続いている.このような困った事

態についての検討はすでに行われている.藤田

(2008)は昆虫の和名に関して広範にわたって

総括しており.i和名による「混乱Jが起こると

きJという章を立てた中で.i一番の混乱は,異

物同名と同物異名Jであるとしている.

藤田はこの中で,和名では.i学名ではありえ

ない 「一つの種に 2つ以上の名Jとし、う状態が

時としてまかりとおるJと述べている.しかし

13

野村周平 和名についての考え方

学名にも通常,一つの種に多数の異名が存在す

る.学名の場合,命名者と発表年を伴ったラテ

ン語の名称、として成立しているものを 「適格

(available) Jと称し,発表年の古い順に分類

の論文でリストアップされる(シノニミック ・

リスト).同一分類群について,しばしば複数存

在する適格名の中で,最も古く,他の適格名に

対して優先されるべき名称、を 「有効 (valid)J

と称している.つまり学名においても同物異名

や異物同名は頻繁に生じているが,学名の場合

には最も優先されるべき名称が選択されるルー

ルが定められている,ということなのである.

和名にはそれがないことが問題なのである.

文頭の鞘題学会和名検討委員会の勧告を再度

参照していただきたい.この勧告は井村氏によ

って新たに提唱された 「オオルリクワガタ」と

いう和名を否定したものであると誤解されてい

る節があるが,実際は決してそうではない.iオ

オルリクワガタ J という和名が"Platycerus

delicatuluよという種を指し示すことを確認し

た上で,それが,同じ種を示す「ルリクワガタJ

という和名とシノ ニム(同物異名)の関係にあ

って.iノレリクワガタJよりも下位にあるべきだ,

ということを勧告したものである(強制したも

のではなしつ.これはあくまで学名における同物

異名の処理の仕方と同様である.

藤田氏の論文に戻ろう.彼は有名な日本産の

昆虫に対してつけられた和名が,諸般の事情に

よって後世さまざまな研究者や学者,有名無名

の出版物によって新たな和名や改称案が提出さ

れてきた例を示し,それらが必ずしも成功 しな

かったことを示している.そして.r提唱された

新名は,ほとんど恩恵がないばかりか,現実の

大きな混乱を引き起こすというのが私の見解で

ある」としている.

つまり藤田は,和名のつけられた見虫の種お

よびその近縁群について,分類学的な取り扱い

が流動することを踏まえた上で,古い和名と新

しい和名との聞の断絶をもたらさないために,

すなわち和名を通じたコミュニケーションの上

に新たな混乱を付加しないために,継続性を重

Page 15: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

視する立場であると理解される.学名の場合に

は,分類学的変更によって有効名が変更される

などの場合,通常このような継続性は生じない.

和名の継続性はしばしば学名にはないメリッ

トをもたらすことがある.つまり分類学的変更

によって,有効な学名が継続性のない名称に置

き換えられた場合でも,和名が変更されないこ

とによって,和名 と学名の両方を用いる人々に

は,元が何であって,何が変更されたのかを理

解することができる.学名は変更されたが,和

名は一旦変更後,元に戻したコーカサスオオカ

ブトムシの例を藤田 (2008)が示している.ま

た閉じ論文で,学名と連動した和名を与えたた

めに混乱してしまったチピコブカミキリ種群の

例が示されている.

継続性を重視する観点から藤田は,鈴木 ・南

(2008)がこれまでキイロネクイハムシと呼ば

れてきた種に対して, rミナミキイロネクイハム

シJという新たな和名を提唱したことについて

批判している.それに対して鈴木 (2009a) も

また反論し,この件について統一的な見解は得

られていないと見るべきであろう .いずれにし

てもこの継続性の問題が和名論争の一つの論点

であることには間違いがない.

4.階級の異なる同名の問題

鈴木氏は鈴木 (2009b)のタイトノレで「和名

体系は学名体系に準じて構築されるべきであるJ

と述べているにもかかわらず,学名の体系に何

ら変更のないキイロネクイハムシに対して新た

な和名を提唱した.その娘拠はおそらく,属(あ

るいは種より高次の分類群)と穏に同一の和名

をつけるのは避けるべきである(鈴木, 2009b)

とする所説にしたがったためであると筆者は理

解している.そしてそれはルリクワガタ属の一

つの種である Platycerusdelicatulusに対して

「ノレリクワガタJという旧来の和名を引き継ぐ

ことを認めない立場と整合であると理解される.

大津省三氏も,大津 (2008)やノレリクワガタの

名称をめぐる議論の中で拝見する限りでは,同

様の立場に立っているようである.このように

14

分類学的な階級(ランク)の異なる同名関係に

ついて我々はどのように取り扱うべきだろう

か?

読者諸兄はすでにご存知のように,分類学的

な階級を異にする同名関係というものは,生物

和名の世界にはほぼ無数に存在するといってよ

い. 日本で最も広く知られた甲虫といっても差

し支えないカブトムシ (Trypoxylus

dichotom us)については,科名(コガネムシ科)

とこそ異なっているものの,カブトムシE科,

カブトムシ族,カブトムシ属,カブトムシ直属

と同名である.コガネムシ (Mimelasplendens)

については少々事情が異なり,コガネムシ科,

コガネムシ属とは同名であるものの,本種が属

するスジコガネ亜科,スジコガネ族,スジコガ

ネ亜族とは同名でない.(以上,和名学名につい

ては,藤岡, 2001に準じた)

だからといって,これら階級の異なる同名の

ものにいちいち異なる和名を提唱するのが現実

的に妥当であろうか?カブトムシ,コガネムシ

ばかりでなく,スジコガネ亜科,スジコガネ族,

スジコガネ亜族についても互いに異なる新たな

名称を与えるべきなのであろうか.野村 (2008)

はすでに,そのような行為は 「現実的でないJ

と述べている.代替名を考え付いて,何らかの

方法で提唱することは可能でも,それが和名を

使うあらゆる人々に受け入れられて,定着する

とは思えない.

通常,我々を含む,和名を使う人々が「カブ

トムシj とのみ言った場合には,第一に穫とし

てのカブトムシ(およびその類似のもの)を指

し示すと考えるのが常識だろう.種としてのカ

ブトムシではなく Dynastinae(カブトムシ亜

科)を限定して指し示す場合には,その和名は

「カブトムシE科Jであって, rカブトムシJで

はあり得ない.つまり 「亜科Jをつけることに

よって,階層(カテゴリー)の中から,r直科J

という階級を特定しているのである.カブトム

シ亜科は穏としてのカブトムシを包含している

ものであるから,その亜科をカブトムシE科と

呼ぶことが不適切であるとは思われない.

Page 16: Japan

Dynastinae=カブ トムシ亜科 Trypoxylus

dichotomus=カブトムシ,という 1対 1関係が

含まれる言葉の体系が通用している限りにおい

て,カブトムシとカブトムシ亜科を混同するこ

とは,よほど不注意な人でない限り考えられな

し、.

逆にカブトムシ以外の類似の種を排除した,

種としてのカブトムシを限定する場合において

「カブトムシJという和名は適切ではないと鈴

木氏は主張されるかもしれない.わざわざ「種

どしてのJなどという面倒くさい但し書きをつ

けなければならないし,そのままでは他の名称

と紛らわしいし,ということである.論旨は理

解できる,しかし現実的にカブトムシに 「カブ

トムシj 以外の和名を与えることが可能だろう

か.

鈴木氏は冒頭に挙げた fOOl号勧告」に対す

る公開質問状の中で, f委員会が,ある属の和名

と,その属に帰属する種の和名とが同一である

ことを是とする立場に立つ理由と根拠は何か?

(質問 8)Jと委員会に閉し、かけており, f fある

属の和名と,その属に帰属する種の和名とが同

ーであること」は,質問 7の基本的な立場に抵

触するという理由によって,絶対に避けるべき

であるJとの所説に照らして痛烈に本勧告を批

判している.しかし,委員会からの回答にある

とおり,委員会は,種の和名とそれが属する高

次分類群(属も含まれる)の和名が同一である

ことを是とする立場を表明したことは一度もな

い. むしろその 2 者は階級を明示する語(~亜

科~族~属,等々)を付記することによっ

て容易に区別できるので,是か否かなどという

ことを判断する必要がない,ということである.

鈴木 (2009b)の中で鈴木氏は,Parnassius

citrinariusという有効学名を持つチ ョウにつ

いて,その和名を「当面はナミウスパアゲハと

することを提案するJと記している.これは氏

の所説に基づき,ウスパアゲ、ハ属 (Parnassius)

と異なる和名を与えるべきとの立場に立ったも

のであろう.当該のチョウは従来「ウスパシロ

チョウ」という和名でよく知られた種であるが,

15

野村周平:和名についての考え方

シロチョウ科ではなくアゲ、ハチョウ科であると

いう理由から「ウスパアゲハJとするべきと提

唱されたものである(藤田, 2008では改称がう

まくし、かなかった例として解説されている).そ

こでこれらの和名をインターネット検索してみ

ることにした.すると Yahoo検索 (2010年 6

月 30日)では,ウスパシロチョウ 389,000件,

ウスパアグハ 33,900件 (ただし,種の和名と

高次群の和名は区別せずにナミウスパアゲハO

件であった.Google検索(Yahooと同日)では,

ウスパシロチョウ 25,600件,ウスパアゲノ、

8,180件(ただし,!IlI科名,族名,属名として

示されたものを含む),ナミウスパアグハは,ナ

ミとウスパアゲハを別々に検索して しまい

1,320件,つながった文字列でヒットしたもの

はゼロだ、った.ことほど左様に,し、かに合理的

に作られた和名であっても,人口に槍苦笑した旧

来の和名と取り替えることは至難の業である

鈴木氏が推奨する「ナミウスパアグハ」は生物

の和名としてどうであるかより以前に,意思を

やり取りする道具であるはずの言葉として成り

立っていない.

5. r言葉狩り」はすべきではない→強制性

の問題

冒頭に示した fOOl号勧告Jについて,大津

省三氏および鈴木邦雄氏がこれに強く反発し,

所論を述べたことについてはすでに示した.そ

の中で両氏が強く懸念しているのは,同勧告の

強制性についてである.すなわち,日本鞘麹学

会という学会の権威をカサに着て,研究者個々

人の「学問の自由Jを侵害する可能性があると

いう点である.

大津氏は旧鞘題学会ホームページに掲載され

た,和名検討委員会に対する質問の中で,この

委員会による勧告に強制力はないという点につ

いて再三確認しながらも, fただ,任意団体とは

いえ,学会がこのようなやり方で関与すると,

見解の相違が増幅され,虫屋の聞に亀裂が入る

可能性が高まることもありえますJとし,個人

レベルの議論を積み重ね,自然の成り行きに任

Page 17: Japan

Panmixia, NO.17 (2012)

せるべきとした.

さらにこの委員会からの回答に対して大津氏

は, rいずれにせよ,和名問題の土俵を作り,そ

こで今回のような事案を検討し「勧告をだすj

とする委員長の意見は認めがたい.し、かなる学

会にもそのような権限はないと考える.特に「勧

告」では「オオノレリクワガタをルリクワガタの

シノニムj とし,学名のシノニム指定のような

書き方がしである以上,いくら強制力がないと

但し書きを入れても,多くの人は,オオノレリは

消されたと受け止めるであろう Jと述べている

(大津, 2009).

鈴木氏は, 1日鞘趨学会ホームページ所載の「公

開質問状Jの中で,学会あるいはその中の委員

会で和名に関する規則や基準が学会の責任と権

威によって策定されていない状況下において,

「今回のような特定の事例についてのみ,しか

も特定の判断を声明/勧告として出すというの

は,一種の魔女狩り的蛮行(特定研究者に対す

る個人攻撃)と言わねばならず,学問の自由に

対する重大な侵害に当る可能性が高いJ(質問

10) と批判した.

多数の研究者によって組織される学会に参加

し,その会の運営に携わる者の一員として,こ

れらの会員からの声は真撃に受け止め,その意

味するところを肝に銘じるべきであると私は考

えている.大津氏が言われるとおり ,たとえ「強

制力がないものである」と強調したところで,

学会やその一部としての委員会の名前で発信さ

れた声明には公共性が強く反映するものであり ,

一般会員や一般の人々が受け取る際には何らか

のカを感じるものであるかもしれないからだ.

もし上掲の勧告が「オオノレリクワガタ」とい

う和名を強制的に禁じ,一方的に「ルリクワガ

タJのみを Platycerusdelicatulusの和名とし

て認めたものだとしたら,それは鈴木氏が言う

ように, r一種の魔女狩り的蛮行」であり「学問

の自由に対する重大な侵害行為」であるとする

見方に私もくみせざるを得ない.学会の権威=

強制力を持って,ある名称を禁じる行為は「言

葉狩り j であって,良識ある研究者の集団であ

16

る学会が決して行うべきことではない.学会が

研究の自由を保障するのは当然のことであるが,

しかし学会が関与する分野で混乱を生じるか,

その可能性があるときに,学会として方向性を

示すことで混乱を収拾するとし、う責任も併せ持

つことも,頭の隅に置いておくべきだろう.

しかし旧鞘姐学会ホームページにおいて和名

検討委員会が説明しているとおり,この勧告は

「オオノレリクワガタj という和名を強制的に排

除したものではなく,奄も個人攻撃を意図した

ものではない.この点については,鈴木氏への

電子メールで直接説明したが,まったく受け入

れてもらえなかった(鈴木, 2009c. 特に pp.

20・21参照).

6.標準和名 を決定する ものは何か ?

大津氏ならびに鈴木氏とのやり取りを通じて,

以上説明してきたような和名の構造と機能にか

かわる問題点は,以下の 2点に絞られるように

感じられる.すなわち…

1 ) 階級を異にする同名の和名については,こ

れを排除し,異なる和名を提唱するべきと

する意見があるが,少なくとも筆者はこれ

には同意できない.階級を明示する語を添

えることによって混乱は確実に回避でき

るし,多くの新たな名称を提唱する ことは

更なる混乱を招く恐れがある.

2) 一つの分類群について複数の和名が生じ

ている場合,またはその恐れがある場合に,

他に優先して一つの和名を決定できる理

由として,その和名が一つの理念に照らし

て合理的であるとする「合理性Jか,また

はその和名が従来使われ続けてきたとす

る「継続性Jがあって,意見が分かれる.

2に関連して,結局のところ,単一の分類群

について複数の和名がある場合に,最も優先さ

れるべき和名=標準和名を決定するのは何であ

る(ベき)か?という点については,これまで

意思統ーが図られてこなかった.そのことが,

以上述べてきたような和名にまつわる多くの問

題をもたらしているといえるのではないだろう

Page 18: Japan

か.fウスパシロチョウJの例に端的に現れてい

るように,少なくともこれまでいくつかの中か

ら標準和名を決定してきたのは f合理性」では

なく ,和名を用いる多くの人々の合意=コンセ

ンサスであった.

冒頭に示した日本鞘麹学会和名検討委員会の

f001号勧告」は,ノレリクワガタ研究に携わる

数名の会員から意見を聴取し,少なくともルリ

クワガタ研究者の多数意見を尊重する方向で発

信されたものである.それに対する疑義を提出

した一人である鈴木氏は鈴木 (2009c)の中で

以下のように述べている.f研究者聞のコンセン

サスの有無を重視するという考えが,貴兄らの

今回の「声明/勧告Jの背後に自明のことのよ

うにあることにむしろ非常な危機感を抱くのは

私だけではないと考えます.J (p. 21). このこ

とが,鈴木氏らと筆者らとの間で,和名に対す

る大きな意見の違いを生んでいるポイントであ

るように思われる.

藤田 (2008)はこのように複数の和名が生じ,

混乱を招いている,あるいはその恐れがある場

合に,日本晴蛤学会や日本魚類学会のような学

会がその裁決を行って和名の安定を図っている

例を紹介した.そして 4つの提言のうちのーっ

として以下のように述べている f同じ種類に対

して 2つ以上の異なった和名があり,平行して

いつまでも使われて混乱があると思われる場合

は,学会などで勧告または裁定をして適切な和

名を選択する方向をめざすことが望ましい.J

筆者は研究の自由が原則だと考えてはいるが,

学会の社会的責任としてその役割を果たすべき

と考える .だからこの意見に賛同できるし,

f001号勧告Jはそのような理念に従って発信

されたものだと理解している.大津氏が鞘題学

会への質問の中で述べているように,個人レベ

ルの議論を積み重ねてゆき,学会は介入せず自

然の成り行きに任せるという方策も当然あるし,

多くの和名はたとえ一時的に物議をかもすこと

があっても,時間をかけることによって,ある

べき姿に簿ち着いていくことになるであろう.

しかしそれには多大な時聞が必要だ.学会が研

17

野村周平.和名についての考え方

究者と一般社会との間の意思疎通を手助けしな

ければならないケースはたびたび起こる.ただ

し,先にも述べたようにこのような学会による

方向付けは絶対に強制的なものであってはなら

ない.あくまでも非強制的な対応に限定するべ

きであると思う.

和名は研究者だけのものではない.研究者の

仲間内でカブトムシやコガネムシの分類体系に

ついて云々するだけであれば,学名だけで一向

に問題がない.しかし和名の機能はもっとスケ

ールの大きいものである.分類研究者ばかりで

なく,生態研究者にも,生理学関係の研究者に

も,あるいは,昆虫愛好者,農林業関係,教育

関係,マスコ ミ関係,等々,臼本語教育を受け

た,多くの人々を結びつけることのできるコミ

ュニケーションツールである.研究者の集合体

である学会はそのことを意識しながら,コミュ

ニケーションを阻害する ことのないよう,和名

をあるべき姿に導く責任を負っているのではな

いだろうか.

謝 辞

本稿を草するに当たり ,原稿を閲覧してチェ

ックいただいたほか,有益な情報をいただいた

下記の方々に心より御礼申 し上げる(敬称略,

順不同):高桑正敏,藤田宏,新里達也,露木繁

雄,大原昌宏,鈴木亙.また本稿の執筆を依頼

され,本誌への掲載をお世話いただいた九州大

学大学院比較社会文化研究院の細谷忠嗣助教に

厚く御礼申し上げる.

参考文献

大津省三, 2008.昆虫の和名についての私見.

ねじればね, (123): 4・7.

大津省三, 2009.大津省三 ・日本鞘麹学会HP

に掲載された「大津省三会員からのご質問

とそれに対する回答 (27thMar. 2009)に

対する疑義.鈴木邦雄編「日本鞘題学会「和

名検討委員会」の f001号勧告」への疑義一

日本鞘趨学会への「公開質問状」と学会の

「回答」をめぐってーJ,pp.29・32.

Page 19: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

藤岡昌介.2001.日本産コガネムシ上科総目録.

KOGANE Supplement No. 1.293 pp.

藤田 宏.2008.昆虫の和名を考えるー標準和

名への道.月刊むし. (450): 64-77.

野村周平. 2008. 2007年の昆虫界をふりかえ

ってー甲虫界一.月刊むし.(447): 30・51.

鈴木邦雄. 2009a. キイロネクイハムシの改称、

和名の提唱理由と標準和名に関するこ三の

私見~藤田宏氏の批判に応える...._月刊む

し. (457): 52・57.

鈴木邦雄. 2009b.和名体系は学名体系に準じ

て構築されるべきであるー属と種に同じ和

名を付けるのはなぜ不都合かー.月刊むし,

18

(463): 48・53.

鈴木邦雄. 2009c. 日本鞘姐学会「和名検討委

員会jの rOOl号勧告」への疑義一日本鞘題

学会への「公開質問状Jと学会の f回答」

をめぐってー.鈴木邦雄編「日本鞘題学会

「和名検討委員会Jの rOOl号勧告Jへの疑

義一日本鞘麹学会への「公開質問状」と学会

の「回答Jをめぐって-J.pp.l・24.

鈴木邦雄 ・南雅之. 2008. George Lewisが

横浜豊顕寺で採集したミナミキイロネク イ

ハムシのタイプ標本ーいわゆる索木標本と

関連してー.甲虫ニュース. (162): 1・14.

Page 20: Japan

Panmixia (昆虫分類学若手懇談会会報).No. 17. pp. 19-36 (2012)

階層的和名体系の構築

鈴 木邦雄

干939.0364富山県射水市南太閤山 14-35

E .mail: [email protected]

(2009年 12月 26日原稿依頼,2011年 9月 2日原稿受領)

「たいていの知的問題は,結局,分類と命名法の問題であるJ(Hayakawa, 1978)

1.はじめにー和名の功罪ー

院生時代,研究室の教授達のもと にしばしば

欧米の研究者が来訪したが,末席に座しながら

ひどく考えさせられたのは,彼らの多くが,自

身の研究材料だけでなく ,多くの生物群につい

て学名で議論していることであった.

angiosperm (被子縫物)とか mammal(晴乳

動物)などといった一般名については不思議で、

はないが,様々な生物群の高次分類群名や代表

的種の学名が自然と口をついて出るといった感

じであった.類似の経験は,その後,欧米諸国

で多くの研究者と交流する際にもしばしば味わ

った.日本では,研究者同士でも,自身の研究

材料は別としても,他の生物群については互い

に和名で済ませている場合が多いように見受け

られる.和名によって専門研究者間でも,現実

に意見交換が円滑に行なわれるとい う利点も否

定できない.学校教育や社会教育,さ らに啓蒙

活動などの場において,和名の果たす役割は小

さくない.

1997年,中米パナマにしばらく滞在したが,

スミソニアン熱帯研究所(STRI)の D.Windsor

博士と共通の研究対象であるハムシ類の寄主植

物について議論していて,種々の植物群の学名

を,科のような高次分類群名すら必ずしも充分

に記憶していないために博士の失笑を買った苦

い思い出がある.その時,私に, 自らの不勉強

を棚に上げて 「ふだん和名でほとんど済んでい

るからなあJという弁解がましい思いが湧いた

ことは否めない.その後は,意識して寄主植物

などの学名もできるだけ記憶しようと心掛けて

19

はきたが,付け焼き刃で容易に身に付くもので

はない.個人的経験ばかりを記して恐縮だが,

中学生の頃からハムシ類に興味を抱いていた私

は,高校生の頃には日本産の種の半数以上は学

名で誇んじていた.いろいろな生物群について

も同じような意識で学名に注意を払っていたな

らと思わないでもない.名称は,単なる記号以

上のものであり ,名称を知ることを通して,わ

れわれはこの世界についての理解を深めていく

のであるから.

諸外国の研究者との積極的な交流を前提に考

えるなら,大学教育の場では,もっ と学名に親

しむようにすべきだろう .特に生物学関係の分

野の専攻生には, 主な生物群名(内外の主要な

教科書類に頻出する生物に照準を合わせるのは

現実的な選定法)は,英名と共に学名をもっと

身につけるような教育がなされる必要があろう .

でなければ,生物系の外国人研究者との円滑な

意見交換は,かなり限られたものとならざるを

得ないよ うに恩われる.

そもそも「学名は万国共通の名称であるJと

学校教育でも教えていながら,生物学専攻の大

学生でも,代表的な実験生物を除けば,学名を

知っている生物はごく限られて しまっているよ

うに思われる.平嶋義宏博士が, "、くつかの著

書の中で,学名に関してもっと広く関心をもつ

べき ことを強調しておられるのは真に尤もであ

る.個人差もあろうが,私の経験では,日本国

内では,分類学関係の学会などでも自分の研究

対象にかかわる群以外の生物群について,和名

だけで実際上はほとんど支障が生じないという

Page 21: Japan

Panmixia, NO.17 (2012)

現実がある.これは,生物学徒にとっては,和

名の存在が,一種の足柳になっているというこ

とでもある.

さて,本特集で事務局から要請されたのは,

私がこれまでにいくつかの小論において一貫し

て主張してきた, r和名(標準和名)体系は,学

名と同様,階層的秩序を持つように構築される

べきであるj という私見について,その論拠な

どを解説することである.官頭の標語のように,

本稿での諾議論の中心課題も,結局は言葉(和

名とその関連用語)の定義,つまり命名法に関

わる問題である,というのが私の基本的立場で

ある.

和名に関する私見は,私の fキイロネクイハ

ムシの改称和名の提唱理由と標準和名に関する

二,三の私見ー藤田宏氏の批判に応えるーJ(鈴

木, 2009a)と「和名体系は学名体系に準じて構

築されるべきであるー属と種に同じ和名を付け

るのはなぜ不都合か-J(鈴木, 2009b)なる 2

矯の論考中での所論にほとんど尽きている.ま

た,私は,日本鞘趨学会の和名検討委員会が,

2008年に同会会報『甲虫ニュース』の「会告j

記事中に「声明」として出した r001号勧告J

[Imura (2007)が Platycerusdelicatulus Lewis,

1883に対して用いた‘オオルジクワガタ'の和

名を‘ルリクワガタ'のシノ ニムとして,後者

を用いるべきであるとの趣旨]に対して,その

内容(判断)自体が不適切であり,そのような

勧告を学会の委員会名で出したことも学問の自

由を不当に奪うものであると考えた.どのよう

な和名を使用するかは,その使用者の学問的理

解の内容や水準と不可分のことだからである.

同学会は,その勧告を撤回すべきである(鈴木,

2009b) .私は, r r甲虫ニュースJ164号掲載の

日本鞘姐学会「会告J記事に対する疑義一和名

検討委員会への公開質問状ーJと題する原稿(後

述の冊子に収録)を同ニュースに投稿したが,

その掲載を拒否された.私は,その処置に納得

できず,同編集委員会宛抗議文を送付しその論

拠を明示するよう求めた.私は,現在も,その

時点での私の主張や抗議内容は,正当であって,

20

何ら修正すべき点、を見出せない.学会事務局は,

私の抗議に対して,私の原稿を学会の Web頁

に「公開質問状に対する回答Jと併せて掲載し

た.私は,私の原稿は,上記勧告に対する公開

質問状として警かれたのであり,勧告同様 『甲

虫ニュース』に掲載されるべきことを再三主張

したが拒否された.私は,現在でも,学会事務

局が提示したその理由にも措置にも納得してい

ない.私の原稿の,学会 Web頁への掲載は,

学会事務局が 『甲虫ニュース』に掲載しないこ

とに対する代替案として私に示したものだが,

それを受け容れなければ私の原稿はまったく日

の目を見ないことになるため,承諾したに過ぎ

ない.私は,この件に対する学会事務局の一連

の対応は,現在でも極めて不当であったと考え

ている.私は,この件に関する一連の経緯をき

ちんと記録しておく必要があると考え, Web頁

に掲載された私の原稿とともに,やはり Web

頁に掲載された大津省三1等士が和名検討委員会

宛に出された質問状とそれへの回答, さらに『甲

虫ニュース』の編集委員会や学会執行部と私の

間で交されたメーノレなどを収録した 44頁の私

家版冊子(鈴木編, 2009)を作成し,インター

ネットの revolveJや rtaxaJなどのメーリン

グリストを通じて広告し,希望者全員に送付し

た.その冊子中の私の執筆した部分にも,和名

に関する私見はいろいろな形で述べてある.

和名に関する諸問題 u和名問題Jと総称)に

ついて,建設的 ・生産的な議論を進めるには,

その前提として,いくつかの事項や用語につい

て,常識的な論理学的・ 言語学的理解を踏まえ

る必要がある.r和名問題Jの多くの問題は,そ

れだけで,ある程度は合理的に処理できる.既

発表のいくつかの論考などでもある程度は触れ

てきたが,本稿でもそのために必要と思われる

ごく基礎的な事項についてはできるだけ要約的

に整理して示すようにした.読者は,本稿の全

体が,rf日名体系は,学名体系に準じて構築され

るべきであるJことを主張していると理解され

たい.

和名体系の構築にあたっては,学名体系を細

Page 22: Japan

部にわたって規定している現行の『国際動物命

名規約~ (第 4版. 2000 ; 以下 WCode~) に対

応するような一般的な規約を策定できれば,不

毛な議論や無用な混乱の多くは避けられるであ

ろう.しかし,現状は,その地点、からはほど遠

いと言う他ない. rCode~ が,全動物群に適用

されることを前提として策定されているのに対

して r和名問題」は,少数の動物群について,

個別にいろいろなレベルでの議論が行われ始め

ている段階に過ぎない.本稿の射程も,主に昆

虫綱という,節足動物門の 1綱を対象にした和

名体系構築への,しかもまだ第一段階の問題に

絞らざるを得ず,今後の議論への多少とも叩き

台となることを期待した試論的なものであるこ

とを承知されたい.r和名問題jは,学名と異な

り,重要度が圧倒的に低いから,真剣に議論す

るに値しない,と考える研究者も少なくない.

しかし,他にも多様な立場があるであろう こと

を承知の上で,私は,和名を,少なくとも学問

的な議論の場ではいっさい用いないとするので

ない以上.r和名問題Jを軽視することは,むし

ろ非現実的であると考えている.

本稿では,これまでに公表した拙著論考中で

披涯した和名に関する私見を,少し整理しでま

とめておくことで,責を果たしたいと思う.い

ろいろ思案したが.L. Wittgensteinの『論理皆

学論考』のひそみにならうなどとい う大それた

ことを考えたわけではないが,私の考える論理

展開上の重要度あるいは順序に従ってナンバリ

ングした命題 preposition(((論理的判断を言語

や記号で表現したもの)))の形式で纏めてみるこ

とにした.どのような命題も,当然のことなが

ら,それが置かれた前後の文脈で意味が大いに

異なる場合がある.ここでのナンバリングに従

って主張内容を検討していただければ,私の意

図は自ずと明らかであろうと考える.V章は,

既に一度,かなり詳しく論じたことに,多少補

足事項を加えたものである.

本論に入るに先立ち,本稿執筆の機会を与え

られた「若手の会J前事務局と厄介な編集の労

を取られた細谷忠嗣氏に深謝する.

21

鈴木邦雄 ・階層的和名体系の構築

11.階層的和名体系の構築

。本稿に於ける凡例と注意事項

(1)以下の議論は,全て動物の学名や和名を前提と

したものである

(2) r和名Jの語は, 一貫して学術的な議論におい

て用いられる「学名に対応する和名J.すなわち 「標

準和名j の誇と同義に用いる.

(3)以下の命題群は,いずれも「和名とはこのよう

なものとして理解されるべきであるJとの私の主張の

展開の結果を,法律の条項におけるように,階層的ナ

ンバリングを施すことによって,各命題の重要度や本

稿の議論の射程全体における位置,さらに命題相互の

関連性が把握しやすいように意図して整理されてい

る.ただし,どの命題も他の命題とさまざまな関連を

持っており,別様の整理(その結果として,各命題に

対する比重の付け方)がいくらも可能である

(4)以下に示す命題群の階層性の規定や各命題の

表現の全体は.r (生物の学名や和名に関する)本稿の

議論の文脈に於いてはJとの意味で記されている独自

のものであることを承知されたい.

(5)各命題中の一般語の定義(意味)は,無用な誤

解を避けるために,可能な限り一般的な国語辞典で基

本的な理解が得られる範囲を踏まえて用いるが,必要

に応じて直後の( )中に私なりの表現で,本稿にお

ける文脈に副った補足的説明を与えたごく 一般的な

辞典類においても,受け止め方によっては,同一誇の

定義(意味)についてかなり異なる理解に到ることが

あるためである

(6)各命題中の生物学関連の術語の定義 (意味)は3

主に岩波の「生物学辞典J(第 4版)で基本的な理解

が得られる範囲を踏まえて用いるが.(4)と同じ趣旨

から,必要に応じて直後の( )中に私なりの表現で

補足的説明を与えた.

(7)各命題中の生物学以外の学問領域の術語の定

義(意味)は,可能な限り一般的な国語辞典で基本的

な理解が得られる範囲を踏まえて用いるが.(4)と同

じ趣旨から,必要に応じて直後の( )中に私なりの

表現で補足的説明を与え,特定の文献からの引用を基

礎とするものは,必要に応じて,その旨明記するよう

にした.

(8)ある命題に対する補足説明,さらには理解を助

Page 23: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

ける具体的事例(原員IJとして,昆虫類から選ぶ)など

が必要と考えた場合,できるだけ階層的なナンバリン

グを施した副次的命題を冨IJえることで,ここでの議論

の射程全体に於ける位置が明示されるように工夫し

た.

(9)本題から逸れるものの,さらに読者の注意を喚

起しておきたい関連事項に関する私見などは,当該命

題の下に(君主)として小ポイントで記した.

(1ω 本稿では, r和名問題Jを議論することが目的

であるが,和名は学名に付随する名称であり,和名体

系は学名体系に準じて構築されるべきであるという

のが私の基本的立場であり,後者についての軍要事項

の解説を前提とした議論の進め方に比重が置かれて

いることも承知されたい.

(11) r腐のJおよび「種のJという表現は,それ

ぞれ「属階級のj もしくは「種階級のj と同義の場合

とf属(階級に位置する)分類群のjもしくは f種 (階

級に位置する)分類群のJと同義の場合とがあるので,

できるだけ誤解を生じないように,厳密に使い分ける

ようにした.そのため,表現がくどい部分が少なくな

いが,諒とされたい.特に誤解の余地がないと判断し

た場合は,それぞれ後者の場合を, r属分類群のJも

しくは「種分類群のJと記した.

* * *

命題,名辞.概念,定義

1 命題 propositionとは,判断 judgementを

言葉 wordで表現したものである.

1.1 判断とは,ある思考対象についての主張の

作用である.

1.11 命題と判断とは,ほとんど同義と見な し

ても差し支えない.

1.2 名辞 term(name)とは,概念 concept

を持つ語の総称である.

1.21 概念とは,名辞の意味内容を指す.

1.211 概念とは,名辞に対してわれわれが与

える約束事(定義)であり,事象phenomenon

に対して与えられるものではない.

1.2111 名辞は,内包intension(connota tion)

と外延 denotation(extension)を持つ.

1.21111 名辞の内包とは,その名辞の適用さ

22

れる対象の共通性質(意味 meaning)を,名辞

の外延とは,その名辞が適用される対象の集合

(クラス class),つまりその名辞の意味の及ぶ

範囲を,それぞれ指す.

1.212 さまざまな事象に対する認識(理解)

を深めていくには,既存の名辞(概念)の制約

(外延)を打破して既存の外延を改変する(内

包を改変すれば外延も必然的に変わらざるを得

ない)か,新たな名辞(概念)を作る(あるい

は発見する)か,いずれかの作業が不可欠であ

る. (→唯名的定義)

1.2121 名辞は,言語学的な機能上の違いによ

って多くのクラス(品詞)に分けられる.

1.22 概念は,包含関係によって,上位概念

(genus ;類概念)と下位概念 (species;種概

念)に区別される.

1.221 概念は,我々の論理logicによって支え

られているが,それはわれわれが概念というも

のを階層的hierarchicに構築してきたことを反

映している.

1.22日 全ての名辞体系は,基本的に階層的に

構成されている.

1.22111 名辞体系は,概念の使用にあたって,

その階層性の維持を前提とすることによって十

全に機能することが保障される.

1.3 ある命題において,主語 subjectとは,そ

れについて主張される当のものを指し,術語

predicateとは,主語について主張される事柄

を指す.

1.31 主語となるものを主辞(=主概念)

subject,それについて述べられる概念を賓辞

predicate,主辞と賓辞を連結して肯定または否

定を表す語を繋辞 copulaと呼ぶ.

1.4 名辞の定義 definitionとは,その名辞(概

念)の内包を明示し,その外延(クラス)を確

定する手続きのことである.

1.41 名辞の定義において,定義される名辞を

被定義項(被説明項)definiendum,定義に用

いられる穏を定義項(説明項)definiensと呼ぶ.

(1主)定義には次のような,さまざまな種類がある.

詳しくは,倫理学の教科書を参照されたい

Page 24: Japan

(1)指示による定義ostensivedefinition:定義され

る名古手の適用される対象を指し示すととによってそ

の内包を理解させる方法(直示的定義とも言う)

(2)同意語による定義synonymousdefinition :辞

典が用いる定義法難解な名辞をこれと同内容の平易

な名辞で置き換えたり,外国語の名辞を母国語の同じ

内包の名辞に翻訳したりする定義法.

(3)唯名約定義 nominaldefinition :新名古辛の導入

法で,既存の名苦手に新しい内包を与える(当該名辞の

再定義)か,新しい名辞を使用するか, 2通りの方法

がある.

(4)発生的定義 geneticdefinition:クラスの構成員

の発生や成立の条件を挙げる定義法

(5)実質的定義 realdefinition (分析的定義

analytic definition) :被定義項が指示する事物を分析

して,それの構造や機能を明示する定義.

(6)操作的定義 operationaldefinition:名辞の示す

対象がし、かにして実験観察されるか,その対象をいか

にして他のものから識別し,その特性を決めるかとい

う操作を述べる定義.

なお,定義設定の規則として,一般的に次の 5規則

がある.

(1)規則 1:定義は,被定義項の公共的内包(被定

義項のクラスの属する諸対象の共通な性質で,しかも

任意の対象がそのクラスに属するか否かを判定する

のに充分な基準)を与えるべきである.

(2)規則 II:定義項の決めるクラスと被定義項のそ

れとは一致すべきである.

(3)規則 III:定義は,被定義項またはこれと同意

味の名古宇を用いてはならない

(4)規員IJIV:定義は唆味な,多義的な,または比

B命的な名古事を用いてはならない

(5)規則IJV:定義は,肯定的な言葉でのべ得る時に

は,否定的な言葉で述べるべきではない.ただし,被

定義項の指示する事態が,元来否定的,欠知的である

場合は否定の形となる.

命名という行為の意味

2 われわれは,この世界を,言語languageを

通して認識している.

2.1 感覚ですら,一般的には言語を通して初め

23

鈴木邦雄階層的和名体系の構築

て他者に伝えることができる.

2.2 事象に対して名称(語)を与えること,つ

まり命名(名づけ) namingは,この世界をど

のように認識(理解)する(べきな)のかとい

う問題と不可分である.

2.21 命名行為には,その属性として,他者に

そのものの位置を示す機能と情報を伝達する機

能が伴う.

2.3 名 称 name(語,言葉)は,そのものの特徴

を他者に理解させる(伝達する)表現力(表意

性 expression)とそれが所属する範惇を示す表

示カ(示差性 indication)とを持つ (cf.森岡 ・

山口, 1985).

学名体系とリンネ式階層分類方式

3 学名 scientificnameは,動物の分類群taxon

(pl. taxa) に与えられる名称である.

3.1 学名は,固有名詞 propernounであり,

名辞体系の 1部を構成する.つまり,学名体系

scientific name systemを構成する.

3.11 固有名詞は,通常,個物 individumに対

して与えられる名称であるが,学名は,特定の

生物個体 individualに対してではなく,特定の

分類階級 taxonomicrank (以下,階級)に位置

する特定の分類群 [3.4も参照]に属する個体

の集合(体)set (あるいはクラス class) に対

して与えられる.

3.2 学名体系は,動物命名法国際委員会

International Commission on Zoological

Nomenclature (ICZN)の定める 『国際動物命

名規約 International Code of Zoological

Nomenclature~ (以下 WCode~ ;現行 WCode~

は, 2000年 1月 1日に発効した第 4版)によ

って構築される階層的秩序を持つ二語名法

binominal nomenclatureに基礎を置くリンネ

式階層分類体系 Linnaean hierarchic

classification systemであり,ス ウェーデンの

C. Linnaeus (C. von Linne) によって 18世

紀中葉に確立された.

3.21 リンネ式階層分類体系は,最下位の種(あ

るいはE種)を二(あるいは三)個の名称のセ

Page 25: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

ットで表し,順次同じ階級に位置する分類群の

全てを包含するように次の上位の階級に位置す

る特定分類群を設定することによって,種(あ

るいは亜種)から界へと連なる階層的秩序を構

築していく体系であり,対象群の持つ多量の情

報の集約性 informationcompilingと検索性

information retrievalに優れている (cf.鈴木,

1989) .

3.211 種学名は,帰属する属分類群名を明示

する構成と表記法をとり ,しかも属から界へと

連なる諸階級が階層(入れ子構造)的に構成さ

れるという規則によって体系づけられるが, こ

の方式によって , 全ての種分類群. ~種分類群

を動物界, さらには植物界や微生物界をも含め

た全生物界に位置づけることが可能なのである.

最下位の階層の種分類群 ・亜種分類群だけ,所

属するすぐ上位の属階級に位置する特定の属分

類群の学名とセットで明示する構成と表記法を

採っているということがこの二語名法(亜種の

場合は三語名法)の要である.その重要性と有

用性はどんなに強調してもし過ぎることはない.

3.2111 リンネ式階層分類体系においては,全

ての階級と分類群が階層的に構成されているこ

とによって,多量の情報を効率良く集約するこ

とが可能である.つまり,特定の階級に位置す

る特定の分類群は,その分類群に関して得られ

た全ての情報を属性として持つから,それより

下位の階級に位置する全ての分類群の持つ全て

の情報(属性)を持つ.別言すれば,ある特定

の分類群は,その分類群を構成する下位階級の

全ての分類群の持つ全ての情報を整然と収納す

る器のようなものと見なされるべきである.

3.212 リンネ式階層分類体系においては,全

ての階級と分類群が階層的に構成されているこ

とによって,ある特定の分類群の,この体系金

体における位置を明確に示すことができる.別

言すれば,ある特定の分類群を,体系金体から

容易に検索することができる.それゆえ,こう

した機能に疎外的に作用する事柄は,原則的に

排除されるべきである.

3.22 学名体系は, リンネ式階層分類方式

24

Linnaean hierarchic classification systemを

採用していることによって,二語名?去が極めて

有効に機能する体系である.

3.221 ただし,この機能は,分類体系の完成

時において初めて完全に果たされるものでもあ

る(実際上は,分類群によって分類体系の構築

度の差が甚だしいために,理想からは程遠い段

階にある分類群が大部分である)•

3.3 学名の最重要の機能は,その安定性/連続

性 continuityと普遍性/包括性universalityに

ある.これら 2点、は, r Code~ 各版の前文

Preambleその他で繰り返し主張されている

(ICZN (International Commission on

Zoological Nomenclature), 1985, 1999 ;動物命

名法国際審議会, 2000).

3.31 WCode~ の該当部分を訳する時に,私が

変則であるが,<安定性/連続性と普遍性/包

括性>とニュアンスの異なる別の訳語を併記し

たのは, WCode~ 前文中の英語の continuity と

universalityにそれぞれ後者の意味も含まれ,

前者の釈語だけを記 したのでは日本語のニュア

ンスとして偏りすぎると考えたためである.

3.311 安定性と普遍性の二機能は,学名に限

らず,さらに名詞に限らず,およそあらゆる名

辞について要請されるべきことである.

3.4 分類群とは,リンネ式階層分類体系の階層

的秩序において,特定の階級に位置づけられる,

われわれが認知し,学名を与えた実在の生物群

を指す語であり ,分類学的取り扱い上の単位

taxonomic unitである.

3.41 分類学的取り扱いを行う際,われわれが

認知し得た実在の群は,まだ学名を与えていな

い段階のものであっても,分類群と呼び得る.

3.411 taxonに対して ‘分類単位'という訳語

がしばしば見られるが,これは誤訳である.上

の定義中の taxonomicunitの unitの語は,分

類を行なう際の‘取り扱い上の単位'という意

味である.分類単位なる訳語は,論理学用語で

言う被定義項(被説明項)である taxonに対す

る定義項(説明項)中の taxonomicunitを,

taxonの同義語と誤解し,あたかも天文単位(地

Page 26: Japan

球と太陽の平均距離)のように訳してしまった

二重の誤りによる誤訳である.

(註)因みに,単位の語は,多くの国語辞典では,

(1)数量計算の規準となるもの,または数値長さの

メートル,目方のグラムの類, (2)すべて物事の比較

計算の基準となるもの, (3)学習量を測定する尺度J

などの意味が挙げられており,群の意味は含まれない.

3.412 数量表現学 numericalpheneticsでは,

分類学上の単位を操作的分類 [学的]単位

operational taxonomic unit (OTU)と呼び習

わしてきた.それは,種分類群や亜種分類群に

限らず,まとまりある単位として扱い得る個体

その他,時には仮想、生物をも含み得る操作的な

術語(概念)だが,このことも分類単位という

taxonの不適切な訳語が無批判に使われてきた

一因かもしれない.

3.413 taxonの訳語としては,今後は,分類群

の諾を使うべきである.英語をそのままカタカ

ナ表記しただけのタクソンとタクサの語も,指

示する分類群が単数か複数かで使い分けをせざ

るを得ず,日本語の名詞と同等に扱い得なし、か

ら,原則的に避けるべきである.

3.42 実在の生物群という時の<実在>の意味

をめぐっては解釈が分れるが, 現行WCode~は,

種階級である種 species(単複同形)と亜種

subspecies (単複同形)に位置する分類群を,

この世界の実在物と認知した上で策定されてお

り,属 genus(複数 genera) (およびE属

subgenus,複数 subgenera)より上の高次階級

に位置する分類群も,実在の種分類群や亜種分

類群から順次階層(入れ子構造)的に構成され

る集合体であることから実在物と規定されるの

である.

(註)ここでは,種分類群や亜種分類群の実在性に

ついて議論するのが目的ではないので, これ以上は立

ち入らない.

3.5 階級とは,リンネ式階層分類体系の階層的

秩序において,特定の位置(階層)を示す語で

ある.

3.51 階級は,いかなる動物群においても必ず

使用されなければならない 7個の責任階級

25

鈴木邦雄階層的和名体系の犠築

obligatory rank,つまり界kingdom'門phylum

(複数 phyla)・綱 class'目order・科 family'

属 ・種と,それらの聞に任意に設定される任意

階級 arbitraryrankとから成る.

3.52 種より上の階級は,特に設定基準はなく,

任意に設定される.責任階級は, r分類体系にお

いて,必ず用いなければならなしリという点で

任意階級とは本質的に異なる属性を付与されて

いるが,責任階級のみで体系づけられる分類群

は現時点ではほとんど存在しない.すなわち,

責任階級聞に何らかの分類群の存在を仮定した

場合,それにどのような任意階級を挿入するか

は,当該分類群と近縁(と推定される)分類群

との関係において,どのような階級づけ

rankingをするのがより妥当であるかによって,

相対的に異ならざるを得ない.その結果,それ

まで責任階級が筈1)り振られていた分類群に新た

に任意階級が割り振られることもある(分類群

の階級の昇降格)•

3.53 分類群の階級づけには,生物分類に対す

る研究者の基本的な姿勢が強く反映される

(→5.4スプリッティングとランピング).

3.6 種分類群の学名は,属名 genericname + 種小名 specificnameの二語のセットで構成さ

れる (ゆえに二語名法=二名法 binominal

nomenclatureと呼ぶ).

3.61 亜種分類群の学名は,種分類群の学名に

さらに亜種小名 subspecificnameを加えた三

語のセットから成る(ゆえに三語名法=三名法

trinominal nomenclatureと呼ぶ)•

3.611 種分類群と亜種分類群の学名は,科階

級群の 5階級(→3.71)に位置する分類群のよ

うな,語尾によって帰属する階級を明示する属

性は持たないが,帰属する属分類群名を自身の

名称内に持つことによって,科階級群の 5階級

それぞれの特定分類群へと順次階層的に秩序づ

けられる機能を持つのである.

3.612 亜種分類群についても,その概念(定

義)と認知をめぐって多くの問題が存在する.

(註)もっとも一般的な亜種の定義は, r他亜種と

形態的に一定の区別点を持ち,地理的に互いに異所的

Page 27: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

に allopatric分布する個体群J.

3.6121 亜種をめぐる問題を複雑にしている

のは,分類群によって,亜種より下に,さまざ

まな任意階級がしばしば設置されるためである.

3.6122 亜種分類群に分割されない種分類群

を単型種 monotypicspecies,複数のE種分類

群に分けられる種分類群を多型種 polytypic

speciesと呼ぶ.多形(性)polymorphismを示

す多形種polymorphicspeciesや表現型多形(性)

polyphenism を示す表現型多形種 polyphenic

species,さらには雑種由来の個体群なども問題

となる.

(註)ここでは立ち入らない.

3.7 種より上の階級の分類群の学名は,全て一

語名式 uninominalの固有名であり, 1個 (種)

以上の構成員が含まれる集合名 col1ective

nameである.

3.71 属より上の科階級群の 5階級(亜族

subtribe,族 tribe,!!E:科 subfamily,科 family ,

上科 superfamily)に位置する分類群の学名は,

語尾によって階級を明示し得る属性を備える

(亜族 'lna,族 'ini,亜科 'inae,科 'idae,

上科 ・oidea).

3.72 上科より上の階級に位置する分類群の学

名には,語尾によって階級を明示する規則はな

し、.

3.73 属と穫の聞には,しばしば亜属が用いら

れるが, 亜属と種の間にも さらに任意の階級が

設けられることがある.

3.731 ショウジョウパエ属 Drosophilaには多

くの亜属が設けられ,キイロショウジョウパエ

Drosophila melanogaster Meigen, 1830とそ

の近縁種の属する Sophophora!!E:属では,遺伝

進化学的研究が詳細に行われた経緯から,種と

の聞に多くの種群 species'group と種E群

species'subgroupなる任意階級が設けられて

いる. また,~IJの亜属分類群の中には,種群の

上にさらに節 sectionや亜節 subsectionなる任

意階級が設けられている ものもある.

3.7311 ここには,分類の際,われわれの認知

結果を大分けするランピング lumping傾向と

26

小分けするスプリッティング splitting傾向に

よって生じる派生的な, しかし生物分類の本質

に係わるいくつかの間題がある(鈴木, 1994).

3.73111 また, 日本ではほとんど論じられる

こともないが,分類群の階級設定の任意性をめ

ぐる階級づけ問題 ranking'problem とも深く

係わり,特に高次分類群の系統輸を展開する際

に不可避の多くの派生的問題が存在する(鈴木,

1984, 1989).

3.8 現行の生物分類体系は,階層的体系である

と同時に, r分類群相互の系統類縁関係を反映す

るように構築されねばならない(r系統分類学的

原理 theprinciple of phylogenetic classifi'

cation J とでも呼ぶべきもの)J 系統分類

phylogenetic classificationである.

3.81 系統類縁関係は,歴史であり,永久に仮

説に留まらざるを得ない (cf.鈴木, 1989).

3.82 現行の生物分類は , 単 系 統 分 類

monophyletic classification,つまり,単系統群

monophyletic group (((ある共通祖先分類群

common ancestral taxonとそれに派生する全

ての子孫分類群 descendanttaxon (or taxa)か

ら成る群)))の認知に基づく分類である.

3.821 全ての分類群は,単系統群でなければ

ならない.

3.822 多系統群 polyphyleticgroup (((異なる

共通祖先分類群に由来する子孫分類群より 構成

される分類群)))や側系統群paraphyelticgroup

( ((ある共通祖先分類群に由来する子孫分類群

の一部から構成される分類群)))による分類群の

設定を是認する意見もあるが,それは系統分類

の基盤を根底から覆すものである.

3.823 し、かなる分類群も,未知の構成員の存

在を永久に否定できないから,その大部分は,

実際上は構成員の一部の欠如した側系統群に留

まらざるをf専ない.

3.824 側系統群をできるだけ単系統群に近づ

けていくことが分類研究者の使命である.

担金生丞4 和名 Japanese nameは,学名に対応づけら

Page 28: Japan

れる名称 nameであるから,学名同様,固有名

詞 propernounの一種であり,名辞体系の一部

を構成する.

4.1 和名には,学名における全動物群に適用で

きる命名規約に相当するものはなし、から,体系

と呼び得るものは確立されていない.

4.11 和名体系 Japanesename systemは,学

名体系に準じ階層的に構築されるべきである.

(註)和名体系が学名体系に「準じるJとは,後者

に言語学的 ・論理学的に適用される事項は,原則的に

はほとんどそのまま適用されることを意味する目以下,

その前提で考察する.

4.111 和名および和名体系の規範は, W Code~

によって特徴づけられ,そこで定められた諸規

則に従って運用される学名および学名体系の諸

規則に求めるべきであり,原則的にそれに準じ

た処遇を受けるように考えるべきである.

4.1111 それには,学名および学名体系の構造

と機能についての基本的理解が前提だが,研究

者によってその理解内容は多様で、あり ,誤解に

基づく非建設的な意見も多い.特に,和名は,

学名のようなこ語名式の構成を持たなし、から,

現実的には,WCode~ の精神を尊重し,学名体

系の持つ目的や機能にできるだけ準じたものを

目標とするということになろう.和名も,形式

的にも学名に準じて付けることを前提とするな

らば,種分類群の和名も,形式的には,例えば

「アゲハ属ナミアゲノリのように表記しなけれ

ばならなくなるだろうが,それではもちろん和

名の実用的機能はほとんど失われてしまう .

4.11111 和名についてこうした水準の問題が

公的な場で討議されたことはない.つまり, r和

名体系も学名体系に準じるべきJと唱えられな

がら,その内容の検討や議論はほとんど成され

てきではおらず,特定の意見が共通の理解を充

分に得ているような現況にもない.

4.2 和名は, r学術的な議論に於いて用いられ

るJという意味で, r学術的和名 academic

Japanese nameJと呼ぶことができる.

4.21 俗名 trivialname/vernacular nameは,

和名から除外し,考察の対象外とする.

27

鈴木邦雄:階層的和名休系の構築

4.211 学名における種小名も trivialnameの

訳語であるので注意が必要である.

4.2111 俗名は r学術的議論とは無関係に,

人聞社会の諸局面で便宜的 ・慣習的 ・地域的に

用いられるJという意味で, r社会的和名 social

Japanese nameJと呼ぶことができる.

4.3 和名も,学名に対しては,一種の俗名に他

ならない.

4.4 r和名は,どのようなものであるべきかJ,

つまり, r和名の適切性」に関わる諸問題を r和

名問題」と総称する.

4.41 r和名問題j は,多岐にわたり ,研究者

聞に多様な意見があるため,その全体像を把握

することは容易でなく,この議論に参加するに

は基本的な問題状況や関連事項についての一定

の理解が不可欠である.

4.411 r和名問題j は,も っと一般的に,事

象に対する命名という行為,つまり外界認識に

おける言語機能と深くかかわる本質的問題であ

ることを踏まえて議論されるべきである.それ

は , 私 の 理 解 で は , 一 般 意 味 論 general

semantics の中心課題と 一致する(cf.

Hayakawa, 1978).

4.4111 議論の前提となる私の基本的な立場

と主張は,従来多くの研究者によっても支持さ

れてきた「和名体系は学名体系に準じて階層構

造を持つように構築されるべきである」なる標

語に要約できる.

4.42 命名(名づけ)には,大きな社会的責任

が伴うから,当該和名の提唱者であると否とで

は対社会的責任の程度が甚だしく異なることを

不当に軽視しではならない.

4.421 r和名の適切性」の判定基準は,多種

多様な意見が存在し,充分な議論がなされてい

ない現状では,設定が甚だ困難である.

4.422 r和名の適切性」の判断基準は,目的

の設定の如何や議論の前提によって大いに異な

るだろうが,少なくともわれわれの自然に対す

る認識(理解)の深化にとって,どれだけ有効

であるかは充分に考慮された上で設定されるべ

きである.

Page 29: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

4.423 r和名の適切性Jの判定基準の設定に,

多くの昆虫愛好家などの充分な共通理解を得る

ことができるかどうかを考慮することは必ずし

も適切ではない.つまり, r和名の適切性Jの判

定基準をめぐる議論の土俵に,たとえば,いく

らカプトムシ類やクワガタムシ類がポピュラー

であるからといって,子供向けや一般向けの本

における使用状況まで持ち出すのは不適切かっ

不当であって,本質的議論を撹乱してきた主要

な要因にもなっている.

4.424 真に適切な和名は,初めは少数派であ

っても,やがては受容されていくものだろう.

4.4241 長年使用されてきた和名は,充分に尊

重されるべきであるが,それが全てに優先され

ると考えるべきではない.

4.4242 ある時点での多数意見が妥当かっ正

当とは限らず,少数意見こそが正鵠を得ていた

という例は枚挙に暇がない.多数決原理は,わ

れわれの問題処理の便宜的方策であり,多数意

見の正当性 ・妥当性を自動的に保障するもので

はない.このことは,帰納的推論 inductive

reasomngに依拠することの多いわれわれが充

分に承知しておくべきである.

4.5 和名体系は,原則として日本領土内に生息

分布する生物にのみ適用されるべきである.

(註)特にポピュラリティーの高いいくつかの生物

鮮では,しばしば日本領土内には生息分布していない

生物にも和名が与えられている場合がある(例.へラ

クレスオオカブト).その是非については,諸論があ

るので,ここではこれ以上立ち入らない.

4.6 異なる階層(階級)の構成員には階層の上

下(包含)関係をも反映する様に名称を与える

ことが特に重要で,それは階層的体系を採用す

る以上, 不可避の要請である.

4.61 階級を異にする分類群(特に属分類群と

その構成員である特定の種分類群)の和名が同

ーであるような,多くの群でしばしば許容され

てきた扱いは,名辞体系の属性である階層構造

性の備える機能を基本的に損ない無用な混乱の

原因となるため,原則的に避けるべきである.

4.611 r属分類群の和名と積分類群の和名が

28

同じであるJ(昆虫類には多い)ことを是とする

意見には,そもそも両者の学名と和名の構造

上 ・機能上の違いについての初歩的な誤解があ

る.すなわち,属分類群の和名は一語名式で表

記される属分類群の学名に対して与えられるが,

種分類群の和名は属名+種小名のセットで構成

される種分類群の学名に対して与えられるとい

う点で,まったく性格を異にする.種分類群の

和名は,種分類群の学名とは臭ーなり,一語名式

に表記されることから,その性格を属分類群の

和名と基本的に等しいものと誤認 ・錯覚する人

が多い点に混乱と意見の不一致の一因がある.

4.6111 和名体系は,学名体系とはその使用圏

(利用範囲)が著しく限られているため,学名

体系とは異なる特例条件が設定されることが一

定程度は認められても良い.

4.61111 和名は,日本語圏でのみ通用する名

称であるから,その属分類群に帰属する日本産

の種分類群が 1種のみである場合に限り,属分

類群には必ず roo属j のように階級名を付せ

ば実際上の支障や誤解が生じないとい うことで,

特例として属分類群の和名と種分類群の和名が

同一であるケースを認めても良いが,その属分

類群に帰属する日本産の種分類群が,複数にな

った時点で,この特例は当然無効となる.

(例)日本産の既知稲は 1種であったが,後に同属

の別種が発見されたというような例は少なくない.

eキイロネクイハムシ属'に帰属する日本産の種分類

群は,‘キイロネクイハムシ, 1種のみとされてきた

が,別の種分類群の存在が明らかになったため,それ

らには‘ミナミキイロネクイハムシ'と‘キタキイロ

ネクイハムシ'の新称が提唱された(鈴木・南, 2008).

その結果,種分類群の和名の‘キイロネクイハムシ'

は消滅した.

4.62 種より上の階級の分類群名は,使用の際

に原則として名称、の直後に必ず階級名を添える

べきである.

適切な和名

5 和名の安定性は,流動性(あるいは可塑性)

と背中合わせである.

Page 30: Japan

5.1 この点は,和名問題に言及するほとんどの

論者の視点から漏れている重要な点である.

5.11 名称の安定性は,その名称で指示される

対象についてのわれわれの知識(情報 ・理解)

の増大と常に衝突せざるをえない.

5.111 それは,名称が,定義(語の意味,内

包)を背負っているからである.その定義の及

ぶ範囲(語の外延)についての理解が人によっ

てどんなに暖味であろうと,ある名称が機能的

に用いられる時,その使用者は一定の定義(内

包)とそれが及ぶ範囲(外延)を無意識にも踏

まえているはずである.

5.2 名称、の定義は,その名称の担い手に付与さ

れたその時点における約束事であり,その水準

は,その定義が取り上げられる問題状況と目的

によって大いに異なるものである.

(~主)たとえば,苦手書や辞典類の記述・説明のレベ

ルは,想定される読者によって大いに異なる,

5.21 ある名称(語)で指示される対象(具象

的なものにとどまらなし、)についての理解が深

まれば,従来の定義にあてはまらない部分が出

てくるのは必然である.その時,執るべき道(解

決策)には一般的に二つある.一つは,その名

称で指示できないものについて別の名称(新名)

を与えるということである.もう一つの解決策

は,これこそが非常に重要なのだが,それまで

その名称に対して与えられていた定義を,新た

な情報(理解)をも包含するように定義し直す

(つまり再定義する)ということである(→唯

名的定義).

(註)現行の,リンネ式階層分類方式を前提とする

生物分類は,実際上はタイプ分類であるから,たとえ

ば種分類群は,一義的にはタイプに合致するかどうか,

つまり相互排他的認識 mutually'exclusive

recognitionの方法によって区別 ・認知されるもので

あり,既存のタイプに合致しなければ新種分類群と判

定されることになる.もちろん,タイプは,通常は個

体であり,進化概念や遺伝の諸法則の確立後において

は,当該個体を含む種分類群の変異性を考慮して行わ

れるのが普通であって,単純に個体単位でのタイプ分

類が行なわれているわけではない.ここでは,タイプ

29

鈴木邦雄 :階層的和名休系の構築

分類の基本的原理を言っているのである.

5.211 名称は,安定性と同時に流動性を持っ

ているからこそ命を持つのだとも言える.この

ことも,あらゆる名辞(言葉=概念)について

当て依まる.

5.2111 われわれは,生物分類においても,こ

れら二方策を状況に応じて使い分けてきたので

ある.たとえばホロタイプのみしか知られてい

なければ,変異性についての情報は皆無である

から,極端な場合,眼前のある l個の標本があ

らゆる形質についてそのタイプと 1対 lに対応

するか否かによって機械的に同種あるいは別種

分類群であるとの判定が下されるというような

ことも,現在でもまったくなく はない事態であ

ろう.

5.3 われわれが眼前のある対象に特定の名称

(固有名)を与えて他から区別する時,命名の

段階で当該の対象について充分な知識(理解)

を得ていることはほとんどなく,一般的には命

名後に徐々に知識(理解)が深められていく,

つまり再定義を繰り返していく(上述の三番目

の解決策)のである.そうした作業の連続によ

って,その名称、の担い手についての理解は深め

られ,同時にその名称、の安定性もはかられてい

くのである.

5.31 逆説的表現になるが,その名称の担い手

たる事象についての理解の深化(一般的には,

情報の増加)こそが,その名称の安定性を支え

る.学名や和名の安定性も,このように理解さ

れるべきである.

5.311 そうした作業によっても処理し得ない

事態が生じた時,われわれは,たとえば新種分

類群の存在を認知し,それに新たな命名を行な

う必要に迫られるのである.

5.3111 キイロネクイハムシ属の 2種(ミナミ

キイロネクイハムシとキタキイロネクイハム

シ),ノレリクワガタ属の 2種(オオルリクワガ

タとコノレリクワガタ)やキマダラヒカゲ属の 2

種(サトキマダラヒカグとヤマキマダラ ヒカゲ)

などの名称をめぐって生じる問題は,こうした

われわれの理解(認識)の進展に伴って,それ

Page 31: Japan

Panmixia, NO.17 (2012)

までの通常の再定義の連続では処置しきれない が帰属する種分類群の便宜的代表である.

事態への処置方策をめぐる問題をも含んでいる 6.12 属分類群は,個物である種分類群の集合

(集合体)である.

スプリッティングとランピング

5.4 一個の分類群を二個以上の対等の,あるい

は一つ下位の階級の分類群に分割(スプリッテ

イング)したり,逆に二個以上の分類群を一個

の(通常は同等以上の階級の)分類群に統合(ラ

ンピング)したりする処置は,自動的に階層的

な分類体系の一定の変更を伴う.

5.41 その結果,新たなシノニムやホモニムが

生じたり ,当該の, あるいは,その近縁の分類

群の位置する階級の変更が生じたりすることが

ある.

5.42 同時に,和名も一定の影響を受けざるを

得ない.

III. '属分類群の和名と種分類群の和名が

閉じである'ことの問題点

ーウスパアグノ、属 ParnassiusとウスパアゲハP目

citrinarius Motschulsky, 1866を例としてー

以下は, r'ウスパアゲノゾの,8IJ(旧)名である,‘ウ

スパシロチョウ'の和名は,‘シロチョウ科Pieridae'

の構成員と混同する原因となるので用いなし、jことを

前提としている.

6 リンネ式階層分類体系において,属分類群

と種分類群は,異なる階層(階級)に属すると

いうだけでなく ,それぞれの内包(その名の意

味するもの;定義)と外延 (その意味が適用さ

れる範囲)とが異なる.

6,1 Parnassiusという特定の属分類群の学名

に対する和名‘ウスパアゲハ属'と,Parnassius

citrinariusという特定の種分類群の学名に対

する和名‘ウスバアグハ'は,それぞれの内包

と外延が異なる.

6,11 種分類群は,個物(ここでは個体性

ind.ividualityの明瞭な事物を指す)であり,個

体の集合(集合体)である.

6.111 WCode~ によって,種分類群の学名の

厳密な担い手は,一般的には完模式療本

holotypeという特定個体だが,それはその個体

30

6.121 属分類鮮は,理論上は無制限に種分類

群を包含し得る(実際上は有限だが,数百以上

の種分類群を包含する大きな属分類群も稀でな

6.2 種名は,学名と和名のいずれも,穏分類群

に対する名称(固有名)だから,同じ種階級に

位置する別の種分類群と閉じ名称は与えられな

い(異物同名=ホモニムが生じる),

6.3 属分類群の名称は,種分類群の数の増減の

みによって変更されることはない.

6.4 種より上の階級の分類群の和名に対して

は,少なくとも誤解の余地のない場合を除き,

常に階級名を副えるべきである(例:‘ウスパア

ゲハ属,) .

6.5 和名は日本産の種分類群にのみ付与する

名称であると限定し,ある属分類群に帰属する

(原則として)日本産の種分類群が 1種のみで

ある場合に限って,両者に同じ和名を付すこと

を特例として認めるというのは現実的措置とし

て可能であるが,それもその属分類群に帰属す

る種分類群が 2種になった時点で直ちに解消さ

れねばならないし, [6.4)は厳密に適用されねば

ならない.

(註)階層伎を崩した和名体系をいったん認めてし

まえば,歯止めがなくなり,階層的分類方式の持つ,

他方式には代え難い有効な機能を失うことになる.

Parnassiusに対してウスパアゲハ属の和名を与え,

P. citrinariusにウスパアゲハ,例えば P.hoenei

Schweitzer, 1912 Iこヒメ ウスパアゲハなる和名を与

えることは,言籍体系(ここでは和名体系)の階層構

造性を根底から破援することである.学名体系にはこ

のような混乱した事態の生じる余地はない.

6.51 ウスバアゲハ属には,複数の日本産の種

分類群が存在するから,リンネ式階層分類体系

における階層性の二機能(情報の高い集約性と

検索性を併せ持つこと)を維持するには,いず

れの種分類群も,その上位概念(類概念)であ

るこの属分類群に含まれる下位概念(種概念)

Page 32: Japan

であることが明らかであるような和名を与える

ことが要請される.

(註)ウスパアゲハ属に帰属する複数の種分類群の

和名としては,たとえば00ウスパアグハ,ムムウ

スバアゲハ, X Xウスパアゲハのような命名がもっと

も一般的と考えられるが,P. citrinariusに対して‘ウ

スパアゲハ'なる和名を使うには,この種分類群だけ

を特別扱いし,ウスパアゲハ属の他の種分類群とは命

名上等価ではない和名を与えることをも認める措置

(具体的には,和名設定上の特例規則のようなものの

策定)を採らざるを得なくなるであろう 例外の存在

を認めるには,和名設定の規則に説得力ある特例を設

けなければならなくなるが,どのような場合に特例を

認めるべきかという議論が避け難く,次にはその判定

基準を設けなければならず,果てしない議論になろう .

それこそ現実的ではないから,上のような特例を認め

る立場は原則的に採るべきではなし¥‘ウスパアゲ.ハ

属'の‘ウスパアゲハ'は, この属分類群に属する種

分類群の全体を指す ‘総称名'であるのに対して,種

和名の‘ウスパアゲハ'は, この腐分類群に属する特

定の種分類群を指す ‘特称名 'である.Parnassius

にウスパアゲハ属という和名を与えた以上,結論とし

て,P. citinariusには00ウスバアゲハなる和名を

与えざるを得ない.それがわれわれの習慣や,長い聞

に熔われた親近感や愛着などに逆らうとしても,和名

体系も学名体系と同様に,安定的使用を目指す限り,

こうした扱いにすべきである.長く使用されてきた

‘ウスバシロチョウ'という種分類群の和名の歴史を

尊重することと,学名体系に準じた和名体系を構築す

るということとは別次元の問題であり,両立させるこ

とは論理的に不可能である.日本に生息する昆虫類は,

既知種だけで 3万種以上と推定されるが,その全体か

ら見れば,和名問題が議論されるたびに取り上げられ

るこうした事例は,ごく僅かである.この P.

citrinariusの和名も,当面はナミウスバアゲハ(あ

るいはヤマトウスバアゲハ/エホンウスパアゲ、ハ)と

することを提案する属分類群の和名と種分類群の和

名が,内包と外延において異なるという意味はこうい

うことなのである.階層分類体系においてP 異なる階

層に位置するものに同じ名称を付すことの混乱は,正

にここに起因する.ここで言う混乱は,藤田 (2008)

31

鈴木邦雄 :階層的和名体系の構築

の言うような「幻Jなどではない.なお, r複数種を

含む群では,科,族,属といった上位分類群の名称を

そのまま特定種の和名にしなし、Jと言う大津 (2008)

の意見は,実用性に重点が置かれてはいるがz 私見と

基本的に軌をーにする.

IV.属より上の階級に位置する分類群の和

名はどうあるべき か

科階級に位置する高次分類群の和名をどうするべ

きか.それらの数が属階級や種階級に位置する分類群

に比べて圧倒的に少ないことから,私は,さほど深刻

な問題が生じるようには考えていない高次分類群の

場合は,名称の持つ表示カ(他の名称との差異を示す

働き)と表現力(意味を表わす働き) (詳しくは,鈴

木, 2009a)のバランスをはかることがそれほど困難

ではなく,混乱も生じ難く ,現実的な処理もたやすい

からである.

7 属より上の階級に位置する分類群の和名に

は,最後に必ず階級名を付 けるべきである(例:

アゲハチョウ科,オサムシ科).

7.1 属より 上の階級に位置する分類群名は, す

ぐ下の階級の分類鮮の代表名として不都合なく

機能すれば良い.分類群名は,固有名調だが,

一義的には記号だからである.

7.11 どの階級の分類群の学名も,すぐ下の階

級の特定分類群,つまりタイプ分類群の学名に

基づいていわば自動的に決められる.

7.111 和名の場合も,この点は学名の体系に

従えば良く,それ以外の方策は,全て正当な根

拠を持たない.

7.1111 タイプ分類群は,ゲーテのいう原型

Urtypus (=prototype)や比較形態学における

構造型 structuraltypeの よう に,それが位置す

る階級の全分類群の代表として相応しいかどう

かによって決められるものではない.極端な場

合,タイプ分類群が,その階級の分類群中の例

外的な存在であることすらある.例えば,アゲ

ハチョウ科 Papilionidae やオサムシ科

Carabidaeの代表として, それらのタイプ分類

群であるアゲハチ ョウ属 Papilioやオサムシ属

Carabusがふさわしし、かどうかは直接関係が

Page 33: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

ない.タイプ分類群が,その階級の全分類群の

平均的な特徴を持つ分類群であれば,好都合な

点は多いが,そうでなくても階層的秩序の維持

自体には何の影響も与えない.ここでも, リン

ネ式階層分類体系においては,階級が異なれば

それぞれに位置する分類群の内包と外延が異な

るということを思い出していただきたい.アゲ

ノ、チョウ科とアゲノ、チョウ属,オサムシ科とオ

サムシ属は,それぞれその両者において異なっ

ている.

7.1111 ある分類群について,その平均的特徴

を持つ構成員を選ぶということはできない相談

である.たとえば,ある種分類群が新種分類群

と認定される時,一般的あるいは原則的には,

既知の特定の属分類群の構成員であることが同

時に認定されなければ,二名法で記載すること

ができない(該当する属分類群がなければ新属

分類群を設置せざるを得ないことになる).この

ことは,対象とすべきものの全てが明らかにな

っていない段階で,それを収容すべき場所の方

は予め決めなければならないということを意味

する.命名と,その対象についてのわれわれの

理解(認識)の聞には,こうした大きなギャッ

プがある.対象について,きわめて限られた情

報しか得られていない段階で命名が先行する.

これが,命名という行為の属性である.われわ

れの認識(理解)と命名の間に,こうした時間

的な先行一後行関係があることは,充分に承知

しておかねばならない.

V.和名は一名式か?

ー魚類学会の標準和名設定ガイドライン(案)に対す

る疑義-

8.1 日本魚類学会は, 2000年度年次大会で,

f魚の和名を考えるー差別的名称をどうするか

-Jなるシンポジウムを開催した.瀬能 (2000)

は,和名の提唱 ・変更に際してのガイドライン

(祭)を示し,学会内部の意見などを踏まえた

修正案を提示した.瀬能が委員長を務める日本

魚類学会標準和名検討委員会 (2005)は, r魚

類の標準和名の定義等についてJなる答申を行

32

なった.そのガイドライン(案)中に, r標準和

名は一名式命名法であるJとの定義が与えられ

ているが,この定義は,種分類群の学名が,原

則的に二諮によって表記されること(二名法)

を意識して与えられたのであろうと推測される

が,誤解を招く不適切なものと言わざるを得な

い.魚類図鑑を綴くと,一名式と呼び得る種分

類群の和名も(特に食用に供される種分類群に

は)自につくが,全体的には一部に留まり,実

際には複合語を形成しているのが一般的である.

日本語の表記法では,通常は分かち書きをせず,

特に生物和名は形式的にカタカナ表記されるこ

とによって,表面上際だって一語に見えるとい

うに過ぎない.

8.2 キイロネクイハムシの場合も,所属グルー

プ(ネクイハムシ亜科)の名称 ‘ネクイハムシ'

を背負っている複合語である !たとえばミナミ

キイロネクイハムシ Minami-kiiro-nekui・

hamushiは,ミナミ(繭),キイロ(黄色),ネ

クイ(根食し、),およびハムシ(葉虫)の 4概

念(英単語の通常の音節とは異なる)からなる

複合語であり,ローマ字表記の場合のハイ フン

は,いわば便宜的な道具に過ぎない.厳密には,

キイロもネクイもハムシも,さらに 2概念から

成る複合語である(キイロ=黄+色,ネクイ=

根+食い,ハムシ=葉+虫)が, Minami-kHro・

ne-kui・ha-mushiとまではしなかったのは,意

味上の階層性や等価性のバランスと実際上の便

利さを考慮したためである.実利をさらに重視

するという前提に立つなら, ネクイハムシを集

合名として 1語扱いとし, Minami-kiiro・

nekuihamushiとすることも受容可能な措置で

ある(ただし,これ以上ハイフンを略すること

は不可).英語の俗名(害虫にはほとんど付けら

れている)は,大半が数誇で表記される(たと

えば,イネネクイハムシは,幼虫がイネの根を

食害することから riceroot wormと3語で呼ば

れる).一部の語は,しばしばハイフンで繋がれ

る.独語では,ハイフンなしに数語を 1i吾とし

て連続表記することが可能なので,外見上はむ

しろ和名に似ている(たとえば,ハムシは,英

Page 34: Japan

語では leafbeetleと 2語だが,独語では

Blattkaferと1語で表記される).これらは,言

語による表記の習慣の違いに過ぎない.それを

一括して「一名式」と呼ぶのは,不適切でLある.

私がキイロネクイハムシにミナミキイロネクイ

ハムシの改称和名を提案したのは,上述の立場

からは必然である.それは.Imura (2007)の

ルリクワガタに対するオオルリクワガタなる改

称和名提案と同じ論拠に立つ.

8.3 瀬能 (2002)は. r標準和名をむやみに変

えなし、Jという理由を挙げ,コチ科コチ属の 2

種(マゴチとヨシノゴチ)のうち,従来単にコ

チとされてきた種のマゴチへの改称、は不必要と

述べているが,私は前章で明示した理由から同

意できない.

8.31 属以上の高次階級の分類群の和名につい

ては,階級を示す語(属・科・・・・など)や

類や群などの語を末尾に添えて使うのが普通で

あるから,実際上の組僚を来さないことが多い

というだけなのである.つまり,瀬能 (2002)

や藤田 (2008)は. r類概念Jと「種概念Jを

「状況によっては等価な概念として扱っても差

し支えなしリと主張しているのに等しい.これ

は,和名をめぐる議論以前の問題であり,和名

体系も学名体系に基本的に準拠させるべきであ

る,という立場からも,まったく容認できない.

コチ科とコチ属とコチとは,階級が異なること

によって,それぞれの内包も外延も大きく異な

るからである!

8.32 瀬能と藤田は,論理展開上,初歩的な誤

りも共通に犯している.つまり,彼らは,全体

からみればごく部分的な事例について当て絞ま

る (しかも,慣習的にそうしてきたというに過

ぎなし、)ことをしばしば全体に適用しようとし

ている(野崎(1976)の規定に従えば論弁の一

種にほかならなし、).

8.4 魚類の場合には,種分類群の和名がわれわ

れの重要な食料資源であることとしばしば深く

結びついているから,文字通りの俗称(名)が

そのまま和名として今日まで通用してきている

ものも少なくない(昆虫では,そうした俗称は,

33

鈴木邦雄階層的和名体系の構築

全般的にはごく少数である).それを「昆虫類に

ついての理解を深めていく上でどのような和名

が適切であるか」という 一般論の文脈に安易に

持ち込むことによって,さらに無用な混乱と誤

解を生じさせる要因になっていると思われる.

8.5 藤田 (2008)は. r本文を読まれていて,

ウスパキチョウやジャコウアゲノ、といった種が,

学名なしに読む人にきちんと伝わることにお気

づきだろうか?これが‘標準和名'の意味であ

ゑJ(下線藤田)と述べている.この意見は,名

称、(語/言葉)の記号性,つまり表示力だけを

強調しているのであり,より重要な表現力を無

視していることによって名称というものの持つ

本質的な特徴(属性)についての誤解を拡大さ

せていると危倶する.その名称によって喚起さ

れる既知情報に基づくイメージ内容と,それが

人によって,また用いられる状況によってしば

しば甚だしく異なるということこそが議論の軸

に据えられるべき重要な点なのである.一般意

味論の解説書でよく例示されるのが「地図と現

地の関係」である.直接行ったことがなく,現

地の具体的状況などほとんど知らなくとも,地

図上の位置を知っただけで人は何かを解った気

にな(れるものであ)る.名称の持つ表示力と

は,正にこういうことを指す.だが,より重要

なことは,たとえばジャ コウアゲハという名称、

で表される実在について,われわれがどれだけ

具体的な内容(内実)を知っているのか,つま

り名称の持つ表現力(表意性)なのである.昆

虫好きの小学生ならジャコウアゲハは知ってい

るであろう.だが,その小学生の抱いているジ

ャコウアゲハのイメージ(情報).つまりジャコ

ウアゲハという名称の持つ表示力/表現力と,

チョウの専門研究者の抱いているジャコクアゲ

ハのそれの内容が閉じであるなどということは

(一般的には)あり得ない.もちろん専門研究

者間でも所有する情報量には差があり,多様な

視点の存在によって,表示カと表現力両者の差

異はむしろ甚だしく大きいであろう .

Page 35: Japan

Panmixia, NO.17 (2012)

VI.おわり に

差別用語を含む和名に関しては,本稿では特

に言及しなかった.そもそも 「差別用語Jにお

ける「差別Jとは何かということについてすら

多様な意見があり,現時点では充分な共通理解

が得られているとは言えない.私は,和名にも,

基本的には差別用語の使用は避けるべきである

と考える者だが, 議論すら充分になされてきて

いない現状では,どのような主張も全体的射程

に立ち得ないのは当然だからである.

「和名問題Jは,われわれが何を目指してい

るのかということと深く関係する.この世界の

存在物を認知し尽くすことは不可能だろうが,

われわれは究極的にはそれを目指しているので

はないか.昆虫の世界は,あまりに多様で,わ

れわれがこれまでに認知し得た積も,全体のご

く一部に過ぎない.そして,われわれの目標は,

単に全種の目録を作成することだけにあるので

はなく ,それらの聞の進化的な,つまり系統発

生的な連関の解明はもとより,個々の種の多面

的で多様な生物現象の全てに及ぶものでなけれ

ばならないだろう .その際,われわれが依拠す

る対象生物群の分類体系が一貫した論理のもと

に構築されることは,分類学 ・系統進化学ばか

りでなく,生物学諸分野から要請される一般参

照体系 generalreference systemとしての役割

を果たす上でも欠かせない

分類体系は,プロと ノンプロの立場の違いに

係わらず,学問としての分類学 ・系統進化学,

さらには生物学全体の進歩に繋がるものとする

ことを目指す立場で構築されるべきである.わ

れわれがある分類体系に依拠した分類群名に言

及する時,和名をいっさい用いず,学名のみを

用いることにでもするのであれば話は別だが,

われわれはこれからも状況によって両者を賢く

かっ有効に使い分けてし、かざるを得ないだろう .

藤田 (2008)のような意見は,趣味の世界の内

側だけに限って主張すれば良い.

和名にも学名に準じた体系化を目標として,

そのルールを真剣に策定しようというのであれ

ば,言語の一般的機能についての一定の共通理

34

解が前提にされる必要がある.そのためには,

特に一般意味論における成果が反映されるよう

なものであるべきである.

単に経験主義的に事を運ぼうと しても,充分

な共通理解の得られるものに到達することはも

はや容易ではなかろう.われわれは,昆虫なら

昆虫とし、う特定の世界の現象については多くの

情報を持っているが,この世界を理解して行く

上でそうした情報をどのように整理 ・利用して

いけば良いのか,そのノウハウについては初歩

的なレベノレの共通理解さえ得られているとは言

い難い, rCode~ すらも, 第 3 版 (ISZN, 1985)

には緒言で, r規約に完全はない.万人を等しく

喜ばすものなどないのだ.まこと,いかなる人

をも完全に満足させるような規約など,およそ

ありえないJと記されている.現行の第 4版

(1999;日本語版 2000)も緒言の最後でそれを

引き, rこの言葉は常に真理であり続けるだろう

が,先楚達に習って,我々は今,動物学者諸氏

にこの新規約を推奨するものであるJの言葉で

結ぼれている(以上の 2文の訳文は,いずれも

野図泰一 ・西川輝昭両氏による).第 3版より約

15年をかけて準備された現行rCoddにして,

まだ多くの問題点があり ,妥協の産物と言わざ

るを得ない側面を持っている.

和名に関しでも,そうした道を進んでいく以

外ないと恩われるが,言語の基本的な属性や言

語体系の階層構造性とその基本的な機能につい

て,極めて粗雑な理解しか踏まえられていない

現状では,まだまだ充分な議論が行なわれる条

件が整っているとは言い難い.

私は,たとえば一般意味論の講義が,大学の

いわゆる教養課程段階で広く行なわれているよ

うな北米のいくつかの大学で見聞した状況を想

起しないわけにはいかない.残念ながら,日本

では,そうした学問の基礎的訓練が,全般的に

は大学ですら充分に行なわれているとは言い難

いのが実情である.これは,長年大学で教鞭を

執ってきた者の一人としての,自戒をこめた率

直な意見である.

和名は,学名同様,かけがえのない文化遺産

Page 36: Japan

として継承されていくべきものであろう.それ

は,同時に,遺跡のような有形のものではなく,

われわれの認識の進歩や時代と共に流動的に変

化していかざるを得ない,その意味では無形な

ものである.和名は,学名同様,当該分類群の

分類研究者だけの所有物などではないのは自明

である.そういう視点を持たなければ,権威主

義的な意見が罷り通ることになるだけであり,

研究の自由に対する無用な足柳になる危険が大

きい.現に特定の分類群について,研究者によ

る見解の違いによって紛糾したりするのは,そ

の表れである.近年,さまざまな分類群につい

て,関連学会を中心として標準和名設定の議論

が活発になってきたこと自体は歓迎されること

である しかし,どの分類群について議論する

にしても,当該分類群以外の研究者の意見を考

慮せず,閉ざされた議論をしていたのでは,権

威主義の弊害を免れることはできまい.

~Code~ は, 100年以上の歴史を持つが,そ

れとても未だ完全とは言い難い.和名に関しで

も,古くから一定の議論はなされていたものの,

頻繁に議論されるようになったのは最近のこと

である.現在は,多くの研究者が学名の体系に

準じることを標携しながらも,学名体系につい

ての理解に研究者間で甚だしい不一致があり ,

和名設定の土台とすべき共通の理解を得るため

の最小限の作業すらなされている状況にはまだ

ないと言わざるを得ず,拙速に結論を出すのは

控えるべきである.

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(463): 48・53.

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会Jの r001号勧告」への疑義一日本輸麹学

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ぐってー附:関係資料.自刊.44pp.

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ムシのタイプ標本ーいわゆる‘素木標本'

と関連してー.甲虫ニュース, (162): 1'14.

Page 38: Japan

Panmixia (昆虫分類学若手懇談会会報), NO.17, pp.37-44 (2012)

魚類における標準和名の考え方と日本魚類学会の取り組み

瀬能宏

日本魚類学会標準和名検討委員会;

神奈川県立生命の星・地球博物館

〒250・0031 神奈川県小田原市入生田 499

E-mail: [email protected]

(2009年 12月初日原稿依頼, 2012年 1月 27日原稿受領)

標準和名の概念の成立は比較的新しく,生物

分類学が導入された明治期以降のことである.

標準和名は,それよりも以前から存在した歴史

的な和名や,一般的に使われている通俗名とは,

例え閉じ表記であったとしても,生物分類学を

背景に持つ点で本質的に異なる(図1).標準和

名には明文化された命名法はないが, 100年以

上にもわたり「紳士協定Jとして大きな混乱な

く受け継がれてきた事実がある目その聞に研究

者が創りだした新たな名称は,安定性を第一義

とし,ほとんど無意識に,時には強し、主張の下,

学名に準じた形で保守的に運用されてきた.し

かしながら,研究者個人のレベルでは解決でき

ない命名上の問題があることもまた事実である.

本稿では著者個人の見解も交えながら,日本魚

類学会の標準和名検討委員会が取り組んできた

和名問題解決に向けての取り組みについて紹介

する.

図1.魚類和名の概念図(瀬能, 2007bより).背景と由来の違いにより4つに分類される.どのような

魚でも商品に成りうるので,商品名の範囲の決定は難しい.地方名は言わば歴史的名称に該当し,

地方名に由来しない標準和名は明治期以降に研究者が創りだしたもの.品種名は主に遺伝学の

分野で命名されている.

37

Page 39: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

背景

標準和名の命名法をめ ぐる諸問題は, 1990

年代前半までは研究者間で議論されることはあ

っても,一般の人たちにはほとんど無縁のこと

だったと思われる.ところが 1990年代後半に

都道府県単位のレッドデータブックが相次いで

刊行され, 2000年代に入りインターネットが急

速に普及すると,標準和名 をとりまく情勢は大

きく変化した.生物多様性保全の潮流に乗って

自然観察への意識が高まり,対象生物が多様化

する中で,マイナーな生物の標準和名が一般の

人たちの自に触れる機会が各段に増えたのであ

る.

標準和名とは,学名の代わりに用いられる生

物の日本語名称であり,発音がしやすいこと,

意味を容易に理解できること, 記憶しやすいこ

となど,一般的になじみがない学名の短所を補

う便利なものとして,対象とする生物やその関

連分野の研究の進歩や普及,教育に大きく貢献

してきた. しかしその一方で,命名についての

明文化された規則がないため,新しい名称の提

唱,同名や異名の処理,改称といった行為は,

研究者による慣習によって行われているにすぎ

ず, しばしば問題の合理的解決を困難にしてい

た.その現状が,上述の社会情勢の変化によっ

て図らずも露呈してしまったのである.

研究業績を重んじる研究者にとって標準和名

の命名は些細な事柄かもしれない.標準和名な

んてどうでもよいという話もしばしば耳にする.

しかし,標準和名のユーザーであり ,その生物

に愛着をもって接している一般の人からみると,

fニセ ・・ 」や「 ・・ ダマシJなどといった名

称は受け入れがたい.固有種でもないのに発見

地にちなんで命名される地名 を冠した名称も同

様である.また,発見者に敬意を表し,あるい

は標本提供者に感謝の意を込めて献名する行為

も不快に感じる人がいる.生物の標準和名とは

格調高く ,また生物の特徴に基づくべきであり ,

歴史に名を残すような大人物でもない限り,人

名を用いるのはよくないと考えているからであ

る.標準和名の命名行為に関して,一部の自然

38

愛好家の間で激烈!な議論がネット上で展開され,

果ては研究者批判にまで及ぶ始末であった.こ

れは標準和名に対する一般の人たちの理解不足

もあるが,命名を真主義に行ってこなかった研究

者側にも責任があった.

また,標準和名にはふだん表立つことはない

が,決して忘れ去られることのない難問がある.

差別的語を含む名称である.この問題は一般の

人たちとの接点の多い博物館や水族館,動物閣

といった施設の関係者を悩ませていた.施設に

よってはそのような語を含む名称の生物の展示

を控えたり,批判を受けない名称に変更して展

示するなどの応急措置によってその場を凌いで

いた.名称、の言い換えは研究者側から見れば分

類学的研究成果の一端である命名行為を歪曲す

るものであるし,使い控えは次代を担う世代へ

の教育機会の喪失につながる.脊椎動物の進化

を語る上で欠かせない 「メクラウナギJが人権

問題を刺激するとなれば,教科書に掲載できる

はずもない.差別的語を含む名称の問題は,近

年の人権意識の高まりから見過ごせない問題に

発展していたが,研究者個人による解決は困難

であった.

日本魚類学会標準和名検討委員会

こうした現状に鑑み,日本魚類学会では魚類

の標準和名に関わる諸問題を検討し,解決のた

めに必要な活動を行うため, r標準和名検討委員

会Jを 2003年 4月 1日付けで立ち上げた.委

員会の要綱や諸活動については同学会のホーム

ページに掲載されているので詳細はそちらを見

ていただくとして, いくつか重要なポイン トに

ついて解説しておく.

まず委員会の役割は次のように定めている.

1)魚類の標準和名に関する諸問題を検討

し,必要な提言を行うとともに,命名や問

題解決のためのガイドライン,諸規則等の

策定を目指す.

2) 関連学協会や諸機関等と連携をとり ,

問題を共有し,解決のための諸活動を展開

する.

Page 40: Japan

瀬古E 宏魚類における標準和名の考え方と 日本魚類学会の取り組み

ここで重要なことは, 1)で述べられているこ

とが国際動物命名規約のような拘束力の強い命

名規約を作ることが第一義の目的ではない点で

ある.策定を目指すガイドラインや諸規則には,

命名規約に盛り込まれるような内容を含むこと

もあるだろうが,学名とは異なる背景を持つ標

準和名ならではのガイドラインや諸規則の策定

を目指さすことが謡われていると理解していた

だきたい.

次に委員構成であるが,標準和名の命名は学

名における命名と原理的には同じであることか

ら,まずは分類学を専門とする研究者がメンバ

ーとして必要であるとい う観点、で人選された.

また,同時に,標準和名のユーザーである一般

の人たちと接点の多い博物館や水族館の研究者

であること,さらには魚類の場合は水産物とし

て流通していることから,水産業界との接点が

あることも人選の重要なポイントであった.委

員会は,これらの立場にある研究者に学会の編

集委員会の委員を加えることで,様々な問題に

対応しやすくなると考えて構成されたのである.

標準和名の定義

委員会が最初に取り組んだ大きな課題は,標

準和名の定義である.問委員会は 2005年 9月

2日付けで「魚類の標準和名の定義等について

(答申)Jを日本魚類学会会長宛に提出,同年 9

月 22日に開催された 2005年度第 1回評議員会

において議案として提出され,承認が得られた.

日本魚類学会は標準和名を次のように定義した.

標準和名は,名称の安定と普及を確保する

ための ものであり , 目,科,属,種,亜種

といった分類学的単位に与えられる固有か

っ学術的な名称である.

実は意外に思われるかも知れないが,標準和

名とはし、かなるものか,それまで学会レベルで

は一度も定義されたことがなかった.そのよう

な現状にもかかわらず, これまで大きな混乱も

なく標準和名という考え方が研究者間に定着し

ているのは,あるタクソンに対して命名される

固有名称であることは自明として捉えられてき

39

たからであろう .しかし,実際に研究者がこれ

まで行ってきた命名行為や関連する発言等を振

り返ると,それが自明であるとは言えないこと

がわかる.

例えばもし標準和名がタクソン固有の名称、で

あるなら,それは固有名詞であるから,英文中

での標準和名のローマ字表記は頭文字を大文字

にしなければならないし,そうするのが自然で

あると思 う. しかしながら,標準和名が定義さ

れる以前の魚類学会では,魚類の標準和名が固

有名詞であるこ とについて研究者聞のコンセン

サスは得られていなかった.上記定義に先立ち,

標準和名検討委員会では 2004年5月 14日付け

で「魚類の標準和名のローマ字表記について(答

申)Jを提出し,f標準和名は分類学的に定義さ

れた分類単位に与えられる固有な名称,すなわ

ち固有名詞であ り,アジやサパといった一般魚

名とは本質的に異なるとの観点、から,そのロー

マ字表記の際には頭文字を大文字で綴るべきで

ある」 と答申していた.これに対して,学会誌

上での表記についてはそのように改めるにして

も,評議員会では標準和名が固有名詞か普通名

詞かの判断は行わず,その定義を早急に行うべ

きであるとの要望が出されたのである.標準和

名が定義されておらず,英語では生物の名称は

普通名詞として扱うからというのが理由であっ

た.前者の指摘はその通りだが,後者について

は私個人としてはまったく納得できなかった.

鮮魚底でお客さんが使っている「アジ (aji)J

は普通名詞だが,種の標準和名である「マアジ

(Maaji) Jは固有名詞と考えていたからである.

ただ, このことがきっかけとなり,標準和名を

学会レベルで定義できたのは大きな前進であっ

た.

もうひとつ関連する事例を示そう .例えば日

本産00科魚類目録のような単なる種名リスト

において,学名に対応させる形で新たな和名が

命名されることがある.この時,その名称はそ

の学名を持つタクソンに対して与えられたもの

であることは自明であると言えるだろうか?答

えは否である.なぜなら,その命名対象は少な

Page 41: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

くとも, 1)目録を作成した著者の同定した種,

2)目録で使われた学名の原記載の種, 3)学名そ

のもの(タクソンでないことに留意)の 3つの

ケースが考えられるからである.目録が地域の

ものであれば 1)と判断されるかもしれないし,

学名と連動させて標準和名を変更する行為は

3)の考え方に基づくものである. 2)のケースだ

ったとしても,タイプ産地が海外で,後の研究

により臼本のものが別種であることが判明する

と,標準和名をどちらの種に継承させるかで意

見が分かれてしまう.タクソン固有の名称であ

れば,海外の種に継承させることが自明である

にも関わらずである.これは 1)と2)の区別がつ

いていないことに起因する.このように,著者

が当該目録中で明記しない限り,命名対象とは

かくも唆昧なものになりがちである.目録での

命名がいかに危険な行為であるか,和名リスト

の和名と対応させる形で学名を命名したらどう

なるのか,学名と和名をひっくり返して考えて

みると,より理解しやすいであろう.

G内H@ Fω

2つの命名体系

そもそも学名と標準和名の命名体系はそれぞ

れ独立したものである(図 2).海外に広く分布

する種が日本で新たに見つかった場合など,学

名が確定している種に標準和名が与えられる事

例はよくある.一方,その逆のパターンもあり

得る.よく経験することだが,ファウナ調査の

中で,分類学的研究が遅れているグル}プに朱

記載もしくは学名未確定の種が発見されること

がある.また,遺伝学的研究や生態学的研究が

分類学的研究に先行し,同様な種が発見される

こともある.いずれにしても,発見された種が,

形態学的に区別でき,種としての実体を捉えや

すい場合には,学名の決定を待つことなく標準

和名が与えられる場合があるのだ.例えばその

種が絶滅に瀕していて,保全策を前進させるた

めや,図鑑等の出版物にいち早く情報を取り入

れたい時などに起こ り得る.こうした行為を可

能にしているのは,学名と標準和名がそれぞれ

別の命名体系だからである.

図 2.学名と標準和名の命名体系概念図.A........Hはタクソン,タクソン中の小さな丸はタクソンが

穏であれば個体を表し,黒丸は学名のタイプ,十字は標準和名のタイプであることを示す.

A とBは学名がなく ,標準和名があるタクソン, C........Eは学名 と標準和名があるタクソン,

F........Hは学名はあるが,標準和名がないタクソン.標準和名のタイプは規約がないために指

定は任意.Cは学名と標準和名のタイプが同ーのタクソン.

40

Page 42: Japan

瀬能 宏魚類における標準和名の考え方と日本魚類学会の取り組み

標準和名があるタクソンに対して与えられる

固有な名称であるとの観点から言えば,学名は

変更されても標準和名は変わらないという言明

は正しく ,標準和名は学名に連動させるべきで

ないことが容易に理解されよう.岩波生物学辞

典第 4版(電子版)には,標準和名という項目

はないが,それを意識した解説が和名の項にあ

り,r生物の俗称 (vernacularnames)のうち,

学名と対比される日本語名Jと記述されている.

この解説は我々が認識している標準和名の概念

とはかけ離れたものであることが上述のことか

らご理解いただけよう .

標準和名への要求と要件

日本魚類学会は,標準和名の使用範囲を以下

のように定めている.

標準和名は自然科学,教育,法律,行政等,

分類学的単位を特定し,共通の理解を得る

ことが必要な分野での使用が推奨される.

ただし,それは通俗名(方言や商品名等)

の使用を制限するものではない.

標準和名とはどのような場面で使われるべき

かを諮ったものであるが,どこで使われるにし

ても先に定義されたように標準和名には安定と

普及が求められる.自然科学の現場だけであれ

ば,その要求を満たすことはそれほど難しくな

い.タクソン固有の名称という独自性と ,分類

体系あるいは形態等との一致とし、う合理性が備

わっていれば,たいていの研究者は受け入れる

からである.しかしながら,その使用範囲が教

育や法律,行政等にも及ぶとなれば話は違って

くる.万人に受け入れられるための倫理性が要

件として求められるからである(図 3).標準和

名は研究者にとって便利なものであるが,利用

者数という観点からはごく少数派である.一方,

一般の人たちの占める割合は桁外れに大きい.

例えば水族館だけでも年間ののべ入場者数は

3000万人を上回る (2009年度の統計;鈴木 ・

西,2010).し、かに独自性と合理性を兼ね備え

ていたとしても,倫理的に問題があり,一般の

人たちに受け入れられなければ,本来の意義は

薄れてしまうし,学問の普及にブレーキをかけ

ることになる.日本魚類学会による標準和名の

定義においては,倫理性について次のように補

E 9ヨ 置彊冨圏 置霊童ヨタクソン固有であるとと

分類体系・形態等

との一致万人に受け入れ

られるとと

図 3.標準和名への要求と要件.標準和名の安定と普及は,独自性,合理性,倫理性に支えられ

る.

41

Page 43: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

足している.

標準和名のない外国産魚類については,命

名 に関わるガイ ドラインの策定と合わせて

引き続き議論を行うものとする .また,差

別的名称については別途答申す る.

外国産魚類の問題は現在検討中であり,ここ

では魚類学会が差別的名称についてどのように

取り組んだのかを解説したい.なお,冒頭明言

しておくが,以下に述べる差別的諮を含む標準

和名の改名は,差別を解消することが第一義の

目的ではない.結果的に人権意識が高まるので

あれば喜ばしいことであるが,改名はあく まで

魚類学会が定義した標準和名の枠組み内でのこ

とである.また,旧名は分類学的にはシノニム

として残るし,伝統的な名称や通俗名の使用に

制限をかけるものではない.

差別的語を含む和名の改称

魚類学会が行った差別的誇を含む和名の改称

に至るステップをまとめる と以下のようになる.

1. 魚類の差別的和名の改称、について (答申)

(2006年 8月 30日)

2. 評議員会において答申を承認 (2006年

10月 7日)

3. 会員向けパブ リックコメン トの実施

(2006年 10月 20日.......11月 30日)

4. 最終勧告案の作成 (2006年 12月 1日~

2007年 1月 9日)

5. 評議員会での採決 (2007年 1月 12日~

1月 31日)

6. 評議員会において承認 (2007年 1月 31

日)

7. 最終勧告 ・学会員からの意見に対する回

答 ・会員以外からの意見に対する考え方の公表

(2007年 2月 1日)

標準和名検討委員会では,まずはじめに改名

すべき名称の検討を行った.その結果,rメクラ,

オシ,パカ,テナシ,アシナシ,セムシ,イザ

リ,セッパリ,ミツクチj の語を含む和名につ

いては圏内産 ・外国産を問わず改名するべきと

結論された.2006年 8月 30日,問委員会はこ

42

れら 9語を含む 50タクサ(最終的には研究者

によって改名の提案がなされていた 1タクサを

含めて 51タクサ)の和名の改名が必要である

こと,今後,新和名を提唱するときには,これ

らの差別的諮を含まないよう配慮すべきである

こと,委員会による改名案をもとにどのような

手続きを踏んで学会の意見とすべきかを学会長

宛に答申し,同年 10月 7日に開催された評議

員会において承認された.

答申に示された改名に向けての手続きは,会

員向けのパブ、リックコメン トと,それに基づく

最終勧告案の作成, そして評議員による承認へ

と進む.そのため, 承認の可否は様々な質問や

意見に対して説得力のある回答ができるかどう

かにかかっていたが,その対策は十分に整って

いた.実は一部の委員は委員会が立ち上がるか

なり以前からこの問題に取り組んでおり,様々

な活動をしていたからである.例えば 2000年

10月には魚類学会の年会において,シンポジウ

ム「魚の和名を考えるー差別的名称をどうする

かJを開催し, 人権問題の専門家や当事者を含

めての議論を行い, r標準和名提唱 ・変更に際し

てのガイドライン(案)Jを学会に提言した(佐

藤 ・瀬能,2000;瀬能, 2000). このシンポジ

ウムに先立ち,委員のひとりが中心となり r博

物館等における差別的生物名称の使用に関する

アンケート調査Jが行われていた(佐藤, 2002a).

また,標準和名の原理原則や差別的語を含む魚

名問題について論考をまとめていたことも大い

に役に立った(瀬能, 2002;佐藤,2002b).

こうした一連の動きと呼応するかのように,

政府の障害者基本計画 (2002年 12月 24日閣

議決定)においてバリアフリーとは物理的な障

壁だけでなく ,社会的,制度的,心理的なすべ

ての障壁の除去に用いられる概念として定義さ

れた.また,障害者やその支援者に対する意識

調査(前川 ・横畑,2005)が実施されるなど,

追い風となる社会情勢や反応もあったが,一方

では研究者側からの酷評(遠藤, 2002)も出た.

「言い換えによって差別問題は解決できないJ

という主張はその典型的なものである.しかし

Page 44: Japan

瀬能 宏魚類における標準和名の考え方と日本魚類学会の取り組み

最初に明言したように,改名の目的は一義的に

は和名の安定と普及を目的としたもので,差別

を解消するためのものではないので,この点に

ついては言えば論点がかみ合わない.我々の取

り組みとは,要件を満たしておらず,本来の目

的を果たせなくなった学術用語を改名する行為

に過ぎないのである.また r使い続けることが

研究者の責任であるJとの主張 (ditto)につい

ても,標準和名の定義や使用範囲が唆昧なまま

研究者個人の論理を展開されても問題の解決に

はつながらないだろう.

ともあれ,最終勧告案がパブ、リックコメント

を参考に作成され,評議員会の採決を仰いだ結

果, 2007年 1月 31日付けで承認が得られたの

である.最終勧告は,会員向けに実施したパブ、

ジックコメントで寄せられた質問や意見に対す

る回答とともに,翌日の 2月 1日付けで学会ホ

ームページ上に公開した.また,パブリックコ

メントの実施はホームページ上に告知したため,

学会員以外からも質問や意見等が寄せられた.

そのため,それらに対する委員会の考え方も合

わせて公開した.

これらの詳細については魚類学会のホームペ

ージに公開されているのでそちらを参照してい

ただくとして,改称された名称のその後につい

て触れておく.最終勧告の公表と同時に多数の

新聞社から取材があり,改名措置は各紙で大き

く報道された.また,それらの記事が大手検索

サイトのトピックスに掲示されたことで学会の

ホームページにはアクセスが殺到した. 2006

年度のアクセス数の月平均は 38000件ほどで

あるが,公表された 2007年 2月だけで 19万 9

千件に遺したのである.これによりインターネ

ット上にも情報が瞬時に広まった.ネット上に

は歴史的な言葉を消し去るのは「言葉狩り j で

あり,文化の破壊行為であるとの批判が目立っ

たが,批判のほとんどは感情的なもので,標準

和名の原理原則が理解されていないことに起因

していた.そのため,改称の背景や経緯,意義

を新聞や博物館の普及啓発誌に投稿し,理解を

求めた(瀬能, 2007a, b).標準和名は定義上,

43

いわゆる歴史的言葉にはあたらないし,批判が

見当外れであることはすでに述べたとおりであ

る.その後,改称された標準和名は広辞苑第六

版(電子版)にも採用され,図鑑類はもとより,

水族館や博物館等の施設でも混乱なく使用され

ており,当初の目的は達成したと判断される.

おわりに

標準和名の命名法に関わる問題を合理的に解

決できるかどうかは,突き詰めていくとタクソ

ンに固有な日本語名であると定義されているか

どうかに行き着く .問題の多くは分類学的なも

のであるため,原則的には学名に準じた解決が

可能である.つまり,ほとんどの問題は研究者

個人が行う分類学的研究の一環として解決すべ

きものなのである.しかしながら,差別的諮を

含む和名の改名には,分類学的な知識が必要で

あるが,改名そのものは分類学的な措置とは異

なる.解決を困難にしていた原因はそこにあっ

たが,標準和名の命名が社会における営為であ

る以上,独自性と合理性に加えて倫理性を備え

るべき要件とするのは当然のことである.国際

動物命名規約においても倫理規定があり, r 1t、か

なる著者も,その知識としかるべき信念に照ら

し,なんらかの観点、において無礼な感覚を与え

そうな学名を提唱するべきではないJと勧告さ

れている(動物命名法国際審議会, 2005). と

もあれ,命名法が整備された学名ですら容易に

は解決できない問題が生じ,その解決には審議

会の裁定が下されるのと同様,標準和名におい

ても研究者個人で解決できない問題は組織的に

取り組むのがよいと考える.委員会の役割とは

正にそこにあると言ってよい.今回の特集がき

っかけとなり ,標準和名問題についての関連学

会聞の議論がさらに深まることを期待したい.

謝辞

本稿をまとめるにあたり ,有益な助言を与え

られた日本魚類学会標準和名検討委員会委員の

佐藤陽一博士(徳島県立博物館),中坊徹次博士

(京都大学総合博物館),坂本一男博士(おさか

Page 45: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

な普及センター資料館).棲井 博氏(葛西臨海

水族園).佐々木邦夫博士(高知大学理学部,日

本魚類学会編集委員会).日本甲虫学会の高桑正

敏博士(神奈川県立生命の星 ・地球博物館)に

対し,慎んで感謝の意を表する.

引用文献

動物命名法国際審議.2005.国際動物命名規約,

第 4版,日本語版[追補].日本分類学会連

合,東京.xviu + 135 pp.

遠藤秀樹.2002.差別表現問題と晴乳類の和名.

H甫乳類科学.42(1):79・83.

前川 望 ・横畑康志.2005.動物の差別的和名

に関する障害者およびその支援者へのアン

ケート調査.タクサ.(18): 10・19.

佐藤陽一. 2002a.博物館における生物の差別

的和名の使用ーアンケー ト調査から.徳島

博物館研究会編.地域に生きる博物館.教

育出版センター,徳島市.pp. 240・261.

佐藤陽一,2002b.魚の困った名前一差別的和

名をどうするか.青木淳一 ・奥谷喬司 ・松浦

啓一編著.虫の名,貝の名,魚の名ー和名に

44

まつわる話題.東海大学出版会,東京, pp.

172・191.

佐藤陽一 ・瀬能 宏.2000.学会への提言ー標

準和名提唱・変更に際してのガイ ドライン.

2000年度日本魚類学会年会講演要旨, p.86.

瀬能宏, 2000.標準和名提唱 ・変更に際して

のガイドライン(案).2000年度日本魚類学

会年会講演要旨, p.87'89.

瀬能 宏,2002.標準和名の安定化に向けて.

青木淳一・奥谷喬司・松浦啓一編著.虫の名,

貝の名,魚の名ー和名にまつわる話題東海

大学出版会,東京, pp.192・225.

瀬能 宏,2007a.論点ー魚類の差別的和名.

2007年 3月 1日付け読売新聞解説面.

瀬能宏,2007b.標準和名とは?差別的語を

含む魚類の標準和名の改名をめぐって.自

然科学のとびら.13(2): 10・11.

鈴木克美 ・西 源二郎. 2010.新版水族館学一

水族館の発展に期待をこめて.東海大学出

版会,秦野市.xiv + 517 pp.

Page 46: Japan

Panmixia (昆虫分類学若手懇談会会報), NO.17, pp.45-49 (2012)

和名問題を考える

ーどうやって解決すればよいのか?

日本トンボ学会における試行ー

苅 部治紀

神奈川県立生命の星 ・地球博物館

干250・0031 神奈川県小岡原市入生田 499

E-ma辻:[email protected]

(2009年 12月 初 日原稿依頼, 2012年 2月 9日原稿受領)

和名はつくづく因果な名前だと思う なじみ

やすい 「和名Jがあったおかげで,一般の日本

人は自然に対する知識と関心を飛躍的に高めた

と思われるし,いろいろなメリットは多いもの

だと思われるのだが, r命名ルールがなし、」こと

から最近様々な混乱を招いていて,なんとなく

「和名が悪い ?J的な印象を与えてしまってい

るのは,残念なことである.

さて,おそらく他の著者の方々は,その豪華

な顔ぶれから見ても今回の特集の中でもマジメ

に持論を展開されておられる と思うので,和名

に関する様々な問題については,そちらをご覧

いただきたいと思う. ここでは,切り口を変え

て r"、ろいろな意見はある,それぞれに正当性

はあるだろう,その中で合意を見いだして混乱

を収拾するにはどうすればよいのか?J という

実務面について,私見を述べるとともに,筆者

自身が主導して試行した結果を日本トンボ学会

の事例をとりあげて紹介していきたい.

世界的に見ても,個々の生物種に対応する地

域それぞれの固有の名称、 (しかも特定の代表的

な生物だけでなく ,ほぽ全種について)を付す

習慣がある国は,他にはヨーロッパなどごく少

なかったものと思われる.イギリスなどでは,

1970年代にはチョウ類で,全種に対して固有英

名を付しているという(中村康弘氏私信).たと

えばトンボの世界でも,過去にはなかったこと

だが, 最近 ではオーストラリアの図鑑

45

(Theischinger & Howkings, 2006)や香港の

図鑑 (Wilson,2003),シンガポールの図鑑

(Tang et a1., 2010)などに見られるように,

個々の種にすべて固有の「英名Jを付す事例も

増えているようである.

学名の世界と違って,和名のように普段の生

活で普通に使われる自国語の固有名称を持って

いることは,生物群への親 しみや理解という点

でも,大きなメリットがあったものと思われる.

たとえば,現実にはいろいろ課題はあるものの,

多くの分類群で系統に則した命名が行われてい

ることで, rこの虫はどんな虫の仲間なのか?J

というような問題も直感的にイメージがわきや

すい.

こうしたメリットの反面,和名には致命的な

欠陥もある.それは, r命名のノレーノレがないJと

いうことにつきょう .それでも最近までは伝統

的に 1度付された和名は,安定的に使われた物

であれば,よほどのことがない限り後知恵での

変更はなされない状況が長く続いていた.これ

は,ノレーノレがない中で, 個々の研究者が好き勝

手な変更を繰り返す弊害を見抜いていた先人の

知恵ということができるのではないだろうか?

このような状況が大きく崩れた事例が頻出し

ているのが近年の状況である.この問題の先陣

を切り,クローズアップされるに至ったのは,

井村有希氏の一連のノレリクワガタ属の研究であ

ろう (Imura,2007) .ご専門のオサムシの手法

Page 47: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

の転用とは言え,氏の斬新な着服による新たな

分類体系の提示はクワガタ研究者にも大きなイ

ンパクトを与えた素晴らしい研究と思う.しか

し,同時に提案された和名の変更には,首をか

しげることも多かった.もっとも物議を醸した

のが, rノレリクワガタj →「オオノレリクワガタJ

の提唱だ、ったのではないだろうか?

筆者には,未だにこの変更がもたらすメリ ッ

トがよく理解できないのだが,ょうするに「ノレ

リクワガタJという名称は,属名であり, 固有

の種和名であり,どちらの意味で使っているか

分かりやすくするための変更,ということなの

だろう.しかし,それは属を意味して使う場合

には,r /レリクワガタ属1,もっと漠然としたも

のであれば「ノレリクワガタの仲間Jなどの言葉

を足せば良いだけであって,和名を変更すると

いう非常に大きな変更を選択するほどの意味は

ないと思われる.

井村氏は,ルリクワガタだけのことをお考え

だったのかもしれないが,仮にこの論法に従う

とすると,クワガタムシ科だけでも,属名と穏

和名が合致するものが多数派であり(例を挙げ

ると,ミヤマクワガタ,ノコギリクワガタ,オ

オクワガタ,ネブトクワガタ,オニクワガタ,

チピクワガタ,ノレリクワガタ,マダラクワガタ,

ツヤハダクワガタ,マグソクワガタと 13属中

10属と圧倒的多数を占める),クワガタだけで

も非常に大規模な和名の変更を伴うことに考え

が至っていないのではないかと思わざるを得な

い.そもそも「属和名Jを提唱する際には,そ

の属を代表する種和名をそのまま00属とする

のが普通だろう .筆者の専門のトンボでも,こ

のような構造をもつものが多数を占める.この

ような莫大な変更を伴う提案は,それ自体が仮

に理想的なものであったとしても,もたらすメ

リットよりは混乱の方が大きいことが明らかで,

許容されるものではないだろう .

また,研究者は忘れがちなことでもあるが,

和名は一般の方々も使う名称である(一般の

方々は学名をふつう併用しない)ということで

ある.研究者によって異なる和名が頻出するよ

46

うな事態はさけるのが常道であろう.実際に,

井村氏の提案がなされた後,ネット上などでは,

和名のことをよく知らない方々が「今日からr/レ

リクワガタ」は使えなくなりました!J的な書

き込みもよく見かけた.実際にはー研究者の提

案に過ぎないものが, 事情を知らない方々へも

たらす混乱というのがよく理解できたのは,自

分にとってはよい体験であった.

さて,一方学名というのは,厳格なルー/レに

もとづいて決定されるものであって,命名時の

ノレーノレが適合していれば,その後の後知恵によ

る「こっちの方が適切だからJのような勝手な

変更は許されない世界であることは周知の通り

である.これも長い間の様々な混乱を収束させ

るために,議論を重ねてきた結果できあがって

きたものである.

そもそも, (自戒を込めて)研究者の多くは「自

分が一番正しい」と思い込みがちな人種である

ことを,忘れてはならないと思う.筆者の身近

にもそういう人は沢山いる.rおまえがその最前

線だろう !Jと言われそうだが ・・・ .そして,

「自分が正ししリと思っている人が正しくない

場合も沢山あることも皆さんよくご存知のこと

と思う.

現在の和名の安易な変更提案に,不安を覚え

るのは,こうした行為に走る方々の多くが,我々

が享受している「和名の安定性の大切さjや『な

ぜ安易な変更を避けるべきかJということを真

剣に考えているとは思えないからである.

手口名は,学名と違って規約がない以上, 自動

的に先取権で安定させられる物ではない.つま

り,今日からミヤマクワガタを「ヨロイクワガ

タJの方が適切で、実情に合っているという個人

的な理由で,改名提案するのも自由な世界では

ある.また,系統を重視する人からは,系統に

合致した和名しか認めなし、!的な発想も出てこ

よう .

こうした状況に対して人によっては, r様々な

提案があってもいずれはより良い和名に統一さ

れていくだろうJという希望的観測を述べる人

もいる.しかし,これは実際に二つの和名シノ

Page 48: Japan

苅部j台紀:和名問題を考えるーどうやって解決すればよいのかつ 日本 トンボ学会における試行ー

ニム関係を 40年以上引きずっているト ンボ界

の事例や,ウスバシロチョウ,ウスパアゲノ、問

題のように, r時聞が解決してくれるJという思

いは甘いものだと思う .個々の研究者が 1度提

案したものは,そう簡単に自説を引っ込めない

のも,自らを振り返ればすぐわかるものと思う.

むしろ研究者の派閥によって,世代を超えて引

き継がれかねない負の遺産となりかねないもの

であることを認識するべきであろう.

実際に今のルリクワガタ界は悲惨な状況だと

思う.図鑑ごと(著者ごと)に異なる和名が使

われるような状況は,誰にとってもよいものと

は言えまい.

筆者はなにもこうした新たな提案はすべて却

下すべきといっているのではない.現在の提案

の方法があまりに直接的で,このような「対決

型」の提案では問題解決にはならないと述べた

いのである.ことの性質を考えれば, r私の方が

正しし、J合戦を繰り返していても,裁定の基準

がないのであるから解決しない問題であること

は,実際の現場からもそろそろ理解されてよい

時期にあると思う.

筆者は,和名問題の議論がなされるようにな

ってきたのは,これまで研究者があまりマジメ

に考えてこなかった和名に対して,真主義に向き

合おうという萌芽と受け取っており,それは悪

いことではないと感じている.せっかく和名に

ついて真剣に議論するのであれば,いつまでも

相手を論破することに時間を使うよりは,ここ

はひとつ解決に向けた大人の議論を始めようで

はないか.

私見でも,実際に様々な見地から変更した方

がよいと考える和名もあるし,現行の和名が一

般人を含めかえって誤解を招く要因になってい

るものもある.検討すべき案件は沢山あると思

フ.

そこで提案したいのが,たとえば「各研究者

が勝手に改名提案をするのではなく,それぞれ

の専門学会などで和名検討委員会などの組織を

つくり,改名の要が強いと思われる事案につい

47

ては,熟議の上でその可否を検討するJような

民主的な形だ.

さて,理想論をお目にかけたところで,実際

に我々日本トンボ学会が抱えている(し、た)和

名問題とその解決手法を紹介したい.これが最

善かどうかは議論がわかれると思うが,個々人

が声高に持論をつきつけあっていては,簡単に

解決しなかった事例が解決に至ったことは事実

だと思う .

以下は, トンボ学会での解説(苅部, 2007)

から引用し一部改訂したものである.

.トンボ学会和名検討委員会における実践

・和名については,学名と異なりその命名法に

は規約がない.そのため複数の和名が存在して

しまうことがあ り,それは「時聞が経過すれば,

いずれ解決(統一)されるJと考えられたもの

と思われるが,たとえばオキナワチョウトンボ

などのように数十年を経ても和名が混在する事

実から考えると,なんらかの 「学会裁定Jを行

わないと,今後も図鑑などの執筆者の好みで和

名が使用されることは避けられない.

-検討すべき課題は多いが,原則を決めて標準

和名を決定していく必要がある.

-前提として,和名にもルーノレが必要である.

学名については,国際命名規約があるが,基本

的にこれにのっとった形で考えたい.つまり,

1 ) 和名も基本的には 「先取権jを考える(つ

まり早い時期に提唱されたものを優先

する)

2) とくに理由のない新名称提示は,採用し

ない.

3) シノニム関係にある和名(同じ種につい

て違う和名があるもの)については, 1

つに整理する.この場合も基本は先取権

である.

4) 和名は必ずしも学名と連動しているも

のではなく, r実物そのものJにつけら

れていることに注意する.学名が変わっ

ても,命名された個体群が変化したわけ

Page 49: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

でないことに留意.研究が進むと種名が

変わることがあるが,この場合原則とし

て学名の変更に伴って和名を変更する

必要はない(ただし,和名そのものが外

国産のものに先行して付けられている

場合や元の和名を残すことがかえって

混乱を招くなど,ややこしいケースはあ

る).

5 ) 学名でもそうだが,さまざまなケースが

あるので,最終的な判断については,汎

用性,適切な和名かどうか,など歴史的

経緯も勘案したう えで, 裁定をする必要

がある.

シノニム問題での実践

・和名については,実はいろいろな問題を含ん

だままであり ,規約もないこ とから,今後の議

論 ・整理が必要とし、う認識の共有のもと整理を

進めた.まずは,シノニム関係の整理を行った.

1 ) カワトンボ問題(分類の問題,和名の問題

ともに含んだ問題)

→ l種説から 4種説までが存在し,和名も

さまざまに扱われていた.おもに流通して

いた和名は, rオオカワトンボjrヒガシカ

ワトンボjrニシカワトンボjrヒウラカワ

トンボJなど.

・現在広く受け入れられている, Hayashi

et a1. (2004)の論文で日本産が 2種に分

けられることを提示.和名については,最

終的にそれぞれオオカワトンボ Mnais

costalisとカワトンボ Mnaispruinosaと

整理(林ほか, 2005).

・枝 (2005,2006)では, この分類を受

け入れつつも Mnaispruinosaに対して,

既存の『ニシカワトンボJの和名を使うこ

とを提唱.

-検討の結果,林ほかの 2種説に従う場合

に,既存の和名と林らの 2種説が示すもの

と異なる部分も多いことから,新たな和名

を付し,それぞれアサヒナカワトンボ

Mnais pruinosa (かつてのニシカワトン

48

ボを中心とするにニホンカワトンボ

Mnais costalis (かつてのオオカワトンボ,

ヒガシカワトンボを中心とする)と整理し

た.

2) ワタナベオジロサナエ,ヤエヤマオジロサ

ナエ問題(同じ種類に二つの名前がつけら

れていた事例.ワタナベオジロサナエが命

名された後,違う著者によってヤエヤマオ

ジロサナエが提唱された)

→先取の原則にのっとり,ワタナベオジロ

サナエに統一.

3) ゴトウアカメイ トトンボ,アカメイト トン

ボ問題(当初違う穏とされていたものにつ

けられた和名が,その後の研究で実は同じ

種に命名されていたことが判明,結果的に

同じ種に二つの和名をつけていた事例)

→先取の原則にのっとり,アカメイトトン

ボ(戦前の満州産に命名されていたもの)

に整理.

これまでの活動で以上のような懸案を解決し

てきた.議論にあたっては,学会内の有識者を

つのり委員会を設立した上で,問題が生じた場

合には当時者同士の出席のもと議論を重ねて,

禍根を残さないようにも工夫した.多様な意見

はあってしかるべきだが,民主的な話合いでの

決定後は,それに従うということも「大人のノレ

ーノレJとして重要であろう.幸いトンボ学会で

は,問題解決後の混乱は生じていない.

残された課題も少なくはなく ,たとえば所属

についての誤解を招く「ウチワヤンマ,コオニ

ヤンマ問題 (両種ともサナエトンボ科に属する

が, r..ヤンマjr・・オニヤンマJという形

式の和名であるため,その所属に誤解を招きや

すい.このようなケースでは,系統的な面にも

整合できるとすれば,その方が一般の人にもわ

かりやすいのは事実である)j .差別用語の問題,

E種和名の問題などなど.これらについては,

現在進行中の日本産のトンボ類の分類に関する

分子系統解析結果からの見直しとともに,進め

て行く予定である.

Page 50: Japan

苅部治紀・和名問題を考えるーどうやって解決すればよいのか7:日本トンボ学会における試行ー

今後多様な分野で,同様の和名問題を扱うこ

とが増えると思うが,それぞれ持論をお持ちに

なるのは結構なことだが,和名は一般の人も使

うものであること(より公共性が強し、)を念頭

に置き,冷静な議論の上で皆が気持ちよく使え

る方法を模索していただきたいと強く思う.

末筆となったが,原稿に 目を通し有益な助言

をいただいた,高桑E敏博士とチョウ類におけ

る英名の歴史をご教示いただいた中村康弘氏に

感謝する.

引用文献

校重夫, 2005. 2004年の昆虫界をふりかえ

って トンボ界.月刊むし, (411): 44・54

校重夫, 2006. 2005年の昆虫界をふりかえ

って トンボ界月刊むし, (423): 25-35.

Hayashi, F., Dobata, S., and Futahashi, R.,

2004. Macro-and microscale distribution

patterns of two closely related Japanese

Mnais species inferred from nuclear

ribosomal DNA, ITS sequences and

morphology (Zygoptera: Calopterygidae).

Odonatologica, 33: 399・412.

49

林文男・土畑重人・二橋亮, 2005. 日本産

カワトンボ属の分類的,生態的諸問題への

新しいアプローチ (2) 資料 • Aeschna, 42:

1・18.

Imura, Y., 2007. Endophallic structure of the

genus Platycerus (Coleoptera, Luca-

niidae) of Japan, with descriptions of two

new species. Elytra, 35(2): 471・489.

苅部1合紀, 2007. 日本鯖蛤学会和名検討委員会

の報告.Tombo, Matsumoto, 49: 46-47.

Tang, H. B., Wang, L. K., and Hamalainen,

M., 2010. A photographic guide to the

dragonflies of Singapore. The Raffles

museum of biodiversity research.

Singapore.

Theischinger, G., and Howkings, J., 2006.

The complete field guide to dragonflies of

Australia. CSIRO publishing, Colling-

wood,IX+366pp.

Wilson, K. D., 2003. Field guide to the

dragonflies of Hong Kong, Agriculture,

fisheries and conservation department,

Hong Kong, 383pp.

Page 51: Japan

Panmixia. NO.17 (2012)

編集後記

本号の編集について

本号は, 2008-2009年度に事務局を担当していた九州大学大学院比較社会文化研究院生物

体系学教室が企画し,編集・発行作業を進めてきました.諸般の事情により発行が大幅に遅れ

ましたことを,会員各位にお詫び申し上げます.この号に関する問合せは,以下の問い合わせ

先までお願いいたします.

ヌド号に関する問い合わせ先

干819-0395 福岡市西区元岡 744番地

九州大学大学院比較社会文化研究院生物多様性講座(生物体系学教室) 細谷忠嗣

TEL&FAX: 092'802-5646

E-mail: [email protected]_jp

本号の入手方法

昆虫分類学若手懇談会会員には,登録されている送付先に 1冊送付しています.もし,会員

であるのにお手元に届いていない方を見かけましたら,上記の「本号に関する問い合わせ先」

または下記の「昆虫分類学若手懇談会事務局Jへ連絡いただけるようにお伝えください.

会員外で入手を希望される場合は,以下のいずれかの方法で入手が可能です.

・昆虫分類学若手懇談会に入会し, 2012年会費 (1,000円)を納入して頂ければ,本号を l冊

送付いたします.上記の「本号に関する問い合わせ先Jまたは下記の 「昆虫分類学若手懇絞会事

務局」へご連絡ください.

・昆虫分類学若手懇談会に入会しないで本号の入手を希望される場合には, 1,300円(送料別,

送料 200円.ただし海外への送付は別途請求)で販売いたします.上記の「本号に関する問い

合わせ先」へご連絡ください.

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昆虫分類学若手懇談会の事務局は, 2012年度から移動予定です.正式な移動前ですので,会

の連絡先として 2010-2011年度の事務局の連絡先を以下に記しておき ます.

昆虫分類学若手懇談会に関する問い合わせ先 (2010-2011年度事務局)

〒060-8589 札幌市北区北 9条西 9丁目

北海道大学大学院農学研究院昆虫体系学研究室

TEL: 011・706・2491

FAX: 011・706・4939

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くお願いいた します.

郵便振替口座:昆虫分類学若手懇談会 01730-6-26607

年会費:1,000円(海外在住で日本円の入手が困難な場合は 15USD)

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