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LAVIC ESEARCH ENTER NEWS No. 116 January 2009 C スラブ研究センタヌニュヌス 季刊 2009 幎 号 S R 新孊術領域研究 「ナヌラシア地域倧囜の比范研究」 の採択 今幎床開始で申請しおいた新孊術領域研究「ナヌラシア地域倧囜の比范研究」領域代衚者 田畑䌞䞀郎が採択されたした。新孊術領域研究は、埓来の特定領域研究などを再線した もので、今幎床から新たに蚭けられた科孊研究費補助金の研究皮目です。人文・瀟䌚系で今 幎床採択されたのは、本研究の 1 件だけでした。研究期間は、2012 幎床たでの 5 幎間です。 2008 幎床の盎接経費の総額は 4760 䞇円で、 5 幎間では、盎接経費だけで 5 億円ほどずなりたす。 本研究は、ロシア、䞭囜、むンドなど、ナヌラシアの地域倧囜を総合的、孊際的に比范し ようずいう取り組みです。ここで、地域倧囜ずは、ある皋床の経枈力・軍事力を有し、近隣 諞囜ぞの圱響力を発揮しながら、同時に、米囜、EU、日本など、政治、経枈、文化などの面 で珟代䞖界の䞭栞ずなっおいる囜々に察しお、䞀定の距離を眮く倧囜矀を意味したす。ナヌ ラシア地域倧囜は、米囜や EU 䞻導の囜際政治・経枈秩序に察しお、時ずしお異議を唱える 存圚ずなっおいたす。民䞻䞻矩や垂堎経枈などに぀いおも、先進囜ずは異なる芋方を瀺すこ

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LAVIC

ESEARCH

ENTER NEWS No. 116 January 2009C

スラブ研究センタヌニュヌス 季刊 2009 幎 号

SR

新孊術領域研究 「ナヌラシア地域倧囜の比范研究」 の採択

今幎床開始で申請しおいた新孊術領域研究「ナヌラシア地域倧囜の比范研究」領域代衚者

 田畑䌞䞀郎が採択されたした。新孊術領域研究は、埓来の特定領域研究などを再線した

もので、今幎床から新たに蚭けられた科孊研究費補助金の研究皮目です。人文・瀟䌚系で今

幎床採択されたのは、本研究の 1 件だけでした。研究期間は、2012 幎床たでの 5 幎間です。

2008幎床の盎接経費の総額は 4760䞇円で、5幎間では、盎接経費だけで 5億円ほどずなりたす。

本研究は、ロシア、䞭囜、むンドなど、ナヌラシアの地域倧囜を総合的、孊際的に比范し

ようずいう取り組みです。ここで、地域倧囜ずは、ある皋床の経枈力・軍事力を有し、近隣

諞囜ぞの圱響力を発揮しながら、同時に、米囜、EU、日本など、政治、経枈、文化などの面

で珟代䞖界の䞭栞ずなっおいる囜々に察しお、䞀定の距離を眮く倧囜矀を意味したす。ナヌ

ラシア地域倧囜は、米囜や EU 䞻導の囜際政治・経枈秩序に察しお、時ずしお異議を唱える

存圚ずなっおいたす。民䞻䞻矩や垂堎経枈などに぀いおも、先進囜ずは異なる芋方を瀺すこ

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No. 116 January 2009

ずがありたす。たた、これらの地域倧囜は、過去に垝囜ずしお存圚したこずがあるずいう共

通性を有しおおり、珟圚においおも、か぀おの文明圏、文化圏を䜕らかの圢で匕き継いでい

るず蚀えたす。

本研究の目的は、第 1 に、これらの地域倧囜を総合的に比范するこずにより、それぞれの

地域倧囜の理解をさらに深めるこずにありたす。日本では、ロシアスラブ・ナヌラシア、

䞭囜、むンド南アゞアのそれぞれに぀いお、十数幎前に特定領域研究重点領域研究

がおこなわれ、それぞれの地域の研究に぀いおは既に囜際的に研究をリヌドする氎準にあり

たす。今回は、初めおこれらの囜々を察象ずする地域研究者が糟合しお研究をおこなうこず

になりたした。これは日本だけでなく、䞖界的にも画期的なこずです。

本研究では、以䞋のように、囜際関係、政治、経枈、歎史、瀟䌚、文化の 6 ぀の芖点から

の蚈画研究が蚭けられおいたす。そしお、それぞれの蚈画研究班に、ロシア、䞭囜、むンド

などに぀いおの研究者が含たれおいたす。このようにしお、人文・瀟䌚科孊の諞分野にわた

る䜓系的な共同研究䜓制が䜜られおいたす。

第 1 班囜際秩序の再線研究代衚者 岩䞋明裕、センタヌ

第 2 班゚リヌト、ガバナンス、政治瀟䌚的亀裂、䟡倀研究代衚者 唐亮、法政倧孊法孊郚

第 3 班持続的経枈発展の可胜性研究代衚者 䞊垣地、西南孊院倧孊経枈孊郚

第 4 班垝囜の厩壊・再線ず䞖界システム研究代衚者 宇山智圊、センタヌ

第 5 班囜家の茪郭ず越境研究代衚者 山根聡、倧阪倧孊䞖界蚀語研究センタヌ

第 6 班地域倧囜の文化的求心力ず遠心力研究代衚者 望月哲男、センタヌ

各蚈画研究における研究は、察象ずしお取り䞊げる諞囜が地域倧囜ずしお発展・定着でき

る条件が䜕であるのか、たた、それを劚げるような䞍安定芁因は䜕であるのかに぀いお明ら

かにするずいう共通の問題意識をもっお進められたす。ロシア、䞭囜、むンドが 10 幎埌、20幎埌にどのような囜になっおいるのかに぀いおは、日本でも䞖界でも倧きな関心が持たれお

いたすから、本研究によりそれを孊術的に明快に瀺すこずが期埅されたす。

本研究の第 2 の目的は、超倧囜ずその他の囜々の間に、地域倧囜ずいう「䞭間項」を挿入

するこずによっお、䞖界を理解するうえでの新たな芖座を確立し、その芖座から珟代䞖界の

様々な問題に぀いお怜蚎するこずにありたす。これは、「超倧囜の䞀極支配」あるいは「䞖界

的な均質化や画䞀化」ずは異なる芖座です。折から、米囜䞻導の囜際秩序は、政治的にも、

経枈的にも、䞍安定な様盞を匷めおいたす。ナヌラシアあるいは䞖界においお、ロシア、䞭

囜、むンドがどのような䜍眮を占めるようになり、どのような䞖界秩序が今埌圢成されるの

か、そのような問題に答えるこずが本研究の課題の 1 ぀です。図に瀺したように、本研究では、

民族玛争、宗教察立、栌差ず貧困など、珟代䞖界の重芁な問題に぀いお、この新しい芖座か

ら総合的、孊際的な解明を詊みるこずを予定しおいたす。さらに、こうした問題に぀いお䜕

らかの政策提蚀をするこずも芖野に入れおいたす。

本研究に぀いおの詳しい説明ず研究組織、構成員に぀いおは、本研究のりェブサむトhttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/rpをご芧䞋さい。

なお、本研究の第 1 回の党䜓集䌚が 3 月 4 日氎午埌 2 時半から北海道倧孊癟幎蚘念䌚

通倧䌚議宀で開催されたす。プログラムは、以䞋のずおりです。䞀般公開の研究䌚ですので、

ふるっおご参加ください。

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No. 116 January 2009

第回党䜓集䌚プログラム

パヌト 14:30  15:15 「研究の第段階にあっお  ねらい ・ 手法 ・ 抱負」

報告者領域代衚者ず぀の蚈画研究班の代衚者

叞䌚長瞄宣博北海道倧孊

パヌト 15:20  18:15 「『ナヌラシア地域倧囜の比范研究』 に期埅するこず」

報告者猪口孝䞭倮倧孊長厎暢子韍谷倧孊沌野充矩東京倧孊

コヌディネヌタヌ林忠行北海道倧孊

懇芪䌚18:30  20:30堎所癟幎蚘念䌚通きゃら亭

たた、本研究の第 1 回の囜際シンポゞりムが 7 月 9  10 日に新装されたスラブ研究センタヌ

の倧䌚議宀で開催されたす。これは、本研究の第 3 班経枈班を䞭心に組織されるもので、

持続的経枈発展がテヌマずなりたす。これも䞀般公開ですので、皆さんの参加を歓迎したす。

田畑

◆ 2008 幎床冬期囜際シンポゞりム ◆

「環黒海地域の跚境政治」のプログラム

2008 幎床の第 2 回囜際シンポゞりムは、北海道倧孊の重点配分経費の揎助を受けお、3 月

5  6 日、北海道倧孊創成科孊共同研究機構北キャンパスにおいおおこなわれたす。「環

黒海地域の跚境政治」をテヌマずしたす。珟時点で確定されおいるプログラムは以䞋の通り

です。束里

International Symposium “Trans-border Politics in the Black Sea Rim”

MARCH 5 ThursdayOpening Speeches 9:30 a.m. – 9: 45 a.m.

Akihiro Iwashita, Director, SRC; Kimitaka Matsuzato, SRCSession 1. 9:45 – 11:45 a.m. Learning from History: Macro-regional Tradition of Analyses

Testuya Sahara, Meiji U; Middle East Technical U - AnkaraAkitsu Mayuzumi, Tokyo U “The Black Sea Region as a Crossroad of Three Worlds: From Historical Perspective”Mikhail Shkarovskiy, SRC “The Soviet Church Policy in Black Sea Countries in 1944-1953” (in Russian)Disc.: Jun Akiba, Chiba U

Session 2. 1:15 – 3:15 p.m. EU Expansion and the Black Sea RimShigeo Mutsushika, Shizuoka U “The Effects and Limits of the European Neighborhood Policy to the GUAM”Anatoliy Kruglashov, Chernivtsi National U “Troublesome Neighborhood: Romania and Ukraine Disputes over Territories and Minorities Resolution in Regional and European Perspectives”Valentin Yakushik, Kyivo-Mohyla Academy U “The Impact of the South Ossetian Conflict on Ukrainian Politics”Disc.: Taro Tsukimura, Doshisha U

Session 3. 3:30 – 5:30 p.m. Mocro-regional Religious ProcessMehmet Gormez, Diyanet, TurkeyOktay F. Tanriserver, Middle East Technical U, Ankara “Rivalry between the Russian and Constantinople Orthodox Churches in the Black Sea Rims”Dan Dungaciu, Bucharest U “Conflicts between the Russian and Romanian Orthodox Churches over Moldova”Disc.: TBA

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No. 116 January 2009

RECEPTION Aspen Hotel 6:00 – 7:30 p.m.

MARCH 6 FridaySession 4. 10:00 – 12:00 a.m. Turkish Factors in the Black Sea Rims

Mustafa Aydin, Tobb U, AnkaraFumiko Sawae, Tohoku U “The Pro- or Post-Islamic Government and Turkey’s Growing Presence in International Affairs”Ozan Arslan & Itir Bagdadi, Izmir U of Economics “War and Borderland Nationalism in the Transcaucasus: The Historical Shaping of Azerbaijan's Turkic National IdentityDisc.: Yasushi Hazama, Institute of Developing Economics - JETRO

LUNCHEON 12: 15 a.m. – 1: 00 p.m.Speaker: William Hill, Professor at the National War College (Washington), the former OSCE Mission to MoldovaSession 5. 1:15 – 3:15 p.m. Un-frozen Conflicts in Broader Perspectives

Rebecca A. Chamberlain, LSE “The Marriage of Secession?: Elections, Public Opinion, and Moldovan-Transnistrian Conflict Resolution”Keiji Sato, SRC “Ethnic Minority Issues at the Border Regions: EU Enlargement and the Ethnic Minorities in CIS Countries”Disc.: William Hill, National War College

Session 6. 3:30 – 5:30 p.m. The South Ossetian Conflict and the Black Sea RimSergei Markedonov, The Institute of Political and Military Analysis, Moscow “Defrosting Conflicts: Eurasian Security after the War in South Ossetia”Gia Jorjoliani, Tbilisi U “War and Democracy: Challenges for Georgia’s New Statehood”Kosta Dzugaev, South Ossetian U “РеспублОка ЮжМая ОсетОя в ряЎу прОзМаММых гПсу-Ўарств” Disc.: Tomohiko Uyama, SRC

◆ 第 1回スラブ・ナヌラシア研究・東アゞア・コンファレンス ◆

2 月 5-6 日に北倧孊術亀流䌚通で予定されおいる第 1 回スラブ・ナヌラシア研究・東アゞ

アコンファレンスは、仮プログラムも発衚されhttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/eng/20090205/20090205-program.html、準備は䜳境を迎えおいたす。ペヌパヌは専甚サむトにアップロヌ

ドされおいたすパスワヌドに぀いおは青島にお問い合わせください。

4 䌚堎で䞊行しお 6 セッション、1 特別セッションをおこない、蚈 24 パネル、80 近いペヌパヌ

ずいう、圓初予定されおいたものよりかなり倧芏暡な催しずなっおしたいたしたが、これも、

東アゞアにおいおスラブ・ナヌラシア研究コミュニティを䜜るこずが客芳的に求められおい

るずいうこずの反映ではないでしょうか。

なお、2010 幎 ICCEES ストックホルム䞖界倧䌚のパネル提案も進行䞭です2 月 28 日締切。

AAASS などの登録ず違っお、圓面、パネルのタむトルず、報告者、蚎論者、叞䌚者の名前だ

け電子メヌルで [email protected] に送付すればいいようです。プロポヌザルの文章を

曞き、パネリストの CV を送るのは次の段階だそうです意倖だったので組織委員䌚に確認

したした。アゞア内倖の同僚に声をかけお、積極的に登録するこずを呌びかけたす。束里

プログラム芁旚

セッション 第 1 䌚堎 第 2 䌚堎 第 3 䌚堎 第 4 䌚堎

2 月 5 日朚9:30-10:30 党䜓集䌚・開䌚匏

110:45-12:45

19 䞖玀における朝鮮

半島

ナヌラシア安党保障に

おける非䌝統的争点

蚀語接觊ず異文化間

コミュニケヌション

近代瀟䌚におけるロ

シア正教の拡倧

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No. 116 January 2009

214:00-16:00

2008 幎䞖界金融危機

ずロシア

ロシア性に぀いおの

考察

オヌトノミヌの終わ

り ? プヌチン以降のロ

シア地域政治

脱共産䞻矩諞囜におけ

るむスラム埩興ずその

瀟䌚的・宗教的意味

316:15-18:15

寡頭制か個人暩力か ? 21 䞖玀におけるロシ

アずりクラむナ

垝囜の統合宗教、軍

隊、法制床

䞭倮アゞアずロシア

における移民問題ず

安党保障

蚀語政治の比范考察

18:30-20:00 レセプションアスペン・ホテル

2 月 6 日金4

8:30-10:30ロシアの成長ず䞖界

経枈

脱共産䞻矩空間にお

ける地域玛争の地球

的動態

りクラむナ人史ずり

クラむナ地域史の間

で

文孊の手段ずしおの

蚀説ず蚀語

510:45-12:45

ロシア人䜜家ず東掋 ロシアは非民䞻化さ

れたか ? 䜓制、遞挙、

政治文化

私的緊密圏における

ボリシェノィキの芳

点の再考

ロシア、䞭囜、䞭倮

ナヌラシアにおける

゚ネルギヌ安党保障

12:55-14:10 韓囜スラブ孊䌚䞻催による昌食懇談䌚

614:15-16:15

ロシアの察アゞア政

策の倉容

゜ノェト埌のロシア

瀟䌚のダむナミクス

垝囜の狭間で跚境民

族ずフロンティア囜家

プヌチン、メドノェ

デフ䞋の政治

16:30-18:00 特別セッション「東アゞアにおけるスラブ研究の倜明け (1950  70 幎代 )

◆ 囜際ワヌクショップ「ポスト共産䞻矩の倉容」開催される ◆

12 月 5 日に、囜際ワヌクショップ「ポスト共産䞻矩の倉容䞭東欧諞囜ずロシアの比范分

析」が、センタヌ䞻催でおこなわれたした。このワヌクショップは、科孊研究費補助金基

盀研究 A「旧゜連・東欧諞囜における䜓制転換の総合的比范研究」代衚林忠行、2005 

2008 幎の䞀環ずしお、アメリカ、むギリス、チェコから著名な研究者を招き、ロシアず東

欧の政治経枈の比范をめぐる議論がおこなわれたした。

第䞀パネルでは、倧䞲敊がロシアの執行暩力の二頭制倧統領府ず政府は、゜連時代の

゜連共産党䞭倮委員䌚ず閣僚䌚議から発展したものであり、倧統領府の圹割は遠心的か぀セ

クショナリズムの匷い政府官僚組織の監督であるず論じたした。リチャヌド・サクワは、珟

代ロシア政治最倧の問題ずしお、政党の瀟䌚利益衚出機胜が匱いこずに瀺されるように、制

床化された立憲的な政治ず、その背埌にある暩力䜓「レゞヌム」のず間に倧きな乖離があ

るこずだず論じたした。蚎論者の束里公孝はじめ倚くの参加者は、二頭制成立における偶然

性の問題や、統䞀ロシアの圹割、ロシア瀟䌚の「ナニヌクさ」などに関しお掻発な議論をお

こないたした。

第二パネルで、ピヌタヌ・ラトランドはロシアず䞭囜の開発モデルを比范し、異なった発

展皋床から始たり、異なった経路をたどった䞡囜の開発モデルが、着地点では、いわゆるワ

シントン・コンセンサスずは異なる「芏制された垂堎」モデルに収斂しおきおいるず論じた

した。たた、䞊垣地は、自身の考案した分析モデルに基づき、他の䞭東欧諞囜ず比范した際

のルヌマニアずブルガリア経枈の「埌進性」を分析したした。蚎論者の田畑䌞䞀郎を含む参

加者からは、ロシアず䞭囜のモデルは本圓に収斂し぀぀あるのか、囜際経枈に巻き蟌たれる

床合いの䜎かった「埌進的な」囜々には、珟圚の金融危機の䞭では、利点があるのではない

かずいった倚くの質問がなされたした。

第䞉パネルでは、マルティン・ポトゥヌチェクが、緻密な経隓的なデヌタに基づいお䞭東

欧諞囜の犏祉制床の倚様性を瀺し、特にチェコの犏祉制床の発展経緯を跡付けたした。質的・

量的なデヌタず正確な比范分析の手法によっお、仙石孊は、そうした犏祉制床の倚様性を、

政党・劎組ずいった政治・瀟䌚的アクタヌの圱響力によっお説明したした。蚎論者の䌊東孝

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No. 116 January 2009

之はじめ倚くの参加者は、制床的倚様性の類型、劎組の圱響力の皋床などの点に関しお、様々

な議論をおこないたした以䞊、敬称略。

ワヌクショップの報告論集は近刊の予定です。倧䞲

10:00-12:00

倧䞲敊孊振特別研究員「゜連共産党䞭倮委員䌚からロシア倧統領府ぞロシアにおける半倧統領制の

発展」

リチャヌド・サクワケント倧、英囜「臣民それずも垂民珟代ロシアにおける憲法的䞻暩行䜿ぞの障害」

蚎論者束里公孝センタヌ

13:30-15:30

ピヌタヌ・ラトランドりェスリアン倧、米囜「ポスト瀟䌚䞻矩囜ず新しい開発モデルロシアず䞭囜

の比范」

䞊垣地西南孊院倧「EU 統合ず新加盟囜の『埌進性』ルヌマニアずブルガリアのケヌス」

蚎論者田畑䌞䞀郎センタヌ

15:45-17:45

マルティン・ポトゥヌチェクカレル倧、チェコ 「ポスト共産䞻矩ペヌロッパでは犏祉資本䞻矩か粗野

な資本䞻矩か ?」仙石孊西南孊院倧孊「䞭東欧諞囜における犏祉囜家制床ず犏祉政治制床的倚様性の政治的背景」

蚎論者䌊東孝之早皲田倧

◆ 囜際ワヌクショップ「人文孊的アプロヌチによるポヌランド ◆

地域䞻矩研究蚀語・文化・芞術を通しお考えるポヌランドの呚瞁地域」

開催される

東欧革呜から 20 幎目を迎える本幎 1 月

10 日、䞊蚘のワヌクショップが東京倧孊

で開催されたした。本䌁画は地域研究コン

゜ヌシアムの䞻催で、センタヌ、日本孊術

振興䌚「人文・瀟䌚科孊振興のためのプロ

ゞェクト」研究領域 V-1 第 2 グルヌプ「越

境ず文化」、東京倧孊文孊郚珟代文芞論の

共催によりおこなわれたした。たた内容的

な関連から、北海道倧孊総長宀重点配分経

費「公募型プロゞェクト研究等支揎経費」

代衚野町も䞀郚䜿われたした。

「ポヌランドの呚瞁郚」ずいう、あたり

銎染みのないテヌマであったにもかかわ

らず、研究者・䞀般の方を合わせお 50 人

近くの方が参加されたした。たた、圚日

ポヌランド共和囜倧䜿通からダドノィガ・

ロドノィッチ倧䜿もお芋えになり、ボゞェ

ナ・゜ハ文化担圓䞀等曞蚘官からはご挚

拶をいただきたした。倧䜿通は本䌁画の

埌揎を匕き受けおくださっおいたのです

が、倧䜿通の方々がご来堎され、ご挚拶

たでいただけるずは予想倖の名誉でした。

巊から加藀氏、小怋氏、ホミャク氏、シュミット氏

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No. 116 January 2009

叞䌚進行圹の小怋圩氏早皲田倧からワヌクショッ

プの目的ず抂芁が説明された埌、「珟䞖代」研究者の沌

野充矩氏東京倧の、次䞖代研究者ぞのメッセヌゞず

なる「䞭心・呚瞁・䞭間スラノ地域研究の掻性化に向

けお」ず題された基調講挔でワヌクショップが幕を開け

たした。

研究発衚は 3 郚構成文孊・芞術・蚀語でした。文

孊セクションでは、たず小怋圩氏が「若きポヌランド」

掟の文孊における東郚クレスィ地方のアンビノァレント

な衚象に぀いお、続いお加藀有子氏日本孊術振興䌚特

別研究員が倚文化郜垂ずしおのルノフずポヌランド語

雑誌『シグナりィ』に぀いお、最埌に井䞊暁子氏日本

孊術振興䌚特別研究員がドむツずポヌランドの囜境地

垯の䜜家・パノェり・ヒュヌレの凊女䜜『ノァむれル・

ダノィデク』に぀いおの研究報告をおこないたした。

芞術セクションでは、小川䞇海子氏倚摩垂立関戞公民通が「むンスピレヌションの源」

ずしおの東郚地域に぀いお、特にナれフ・ヘりモンスキずダン・スタニスワフスキの䜜品に

぀いお報告をおこないたした。次に加須屋明子氏京郜垂立芞術倧孊による、冷戊期のシ

ロンスク地方特にカトノィツェにおける前衛芞術運動に぀いおの分析の報告があり、続

く久山宏䞀氏東京倖囜語倧孊は、りェムコ人の傑出した画家・ニキフォルに぀いおの映

画䜜品『ニキフォル知られざる倩才画家の肖像』に関し、クラりれ倫劻の挔出歎、フェル

ドマンの挔技歎、「芞術家の䌝蚘映画」などずいう倚角的な芖点からの研究報告をおこないた

した。

蚀語セクションでは、たず論文を本䌁画にお送りくださったむェゞ・トレデル氏グダン

スク倧孊による「カシュブ語文化の最新動向」の抂説を野町センタヌがおこないたした。

続いお、野町によるカシュブ人瀟䌚掻動家アレクサンデル・ラブダのカシュブ語文語圢成ぞ

の貢献に぀いおの研究報告がありたした。

尚、蚀語セクションでは 2 人のゲストスピヌカヌによる特別講挔が䌁画されたした。たず、

りェムコ語教育の先駆者であるミロスワノァ・ホミャク氏りェムコ協䌚が、ポヌランド

の少数民族りェムコ人の蚀語文化の抂説ず教育の珟状ず諞問題に぀いお報告されたした。続

いお、䞖界的な蚀語孊者であり、センタヌの倖囜人研究員でもあったアルフレッド・マむェ

ノィッチ氏アダム・ミツキェノィッチ倧孊が、ポヌランドの倚民族囜家性ず倚蚀語性に

぀いお、独自の統蚈資料ず倚数の文献を甚い詳现に報告されたした。

テヌマの斬新さのみならず、若手研究者による質の高い報告ず孊界を代衚する「珟䞖代」

研究者の広い芖野に立぀基調講挔、および本囜ポヌランドからの特別講挔が組み合わされる

こずにより、本䌁画は予想以䞊の成功を収めたず蚀えるでしょう。

ワヌクショップ圓日ず翌日の゚クスカヌションでは、ポヌランド倧䜿通経枈郚のマりゎ

ゞャヌタ・シュミット氏が通蚳ずしお参加されたした。シュミット氏は金沢倧孊、東京倧孊

での留孊経隓を持ち、たた筆者がワルシャワ倧孊講垫を勀めおいたずきの「教え子」であり

たすが、「教え子」などずいうのが倧倉おこがたしいほどの倧掻躍ぶりでした。

ワヌクショップの翌 11 日、報告者数人はホミャク氏ずマむェノィッチ氏ず共に「はずバス」

で東京芳光をし、12 日にお二人は垰途に぀かれたした。

目䞋、䌁画代衚の小怋氏ず野町によるワヌクショップ報告集の線集䜜業がおこなわれおいた

す。予定されおいる報告集には、海倖も含めお問い合わせが既にあり、線集䜜業が急がれたす。

マむェノィッチ氏

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最埌になりたすが、本䌁画を採択しおくださった地域研究コン゜ヌシアム、共催および埌

揎を匕き受けおくださった関係者の方々、そしおご来堎の皆様に、この堎をお借りしおお瀌

申し䞊げたす。野町

◆ 2009 幎床鈎川・䞭村基金奚励研究員募集 ◆

鈎川・䞭村基金の奚励研究員制床を利甚しお、これたでに倚くの倧孊院生がセンタヌに滞

圚し、センタヌおよび北倧附属図曞通の文献資料の利甚、センタヌで開催されるシンポゞりム・

研究䌚ぞの参加、センタヌのスタッフずの意芋亀換をおこない、実りのある成果を挙げおき

たした。

2009 幎床も昚幎同様に募集をおこなう予定です。募集人数は数名ずし、助成察象者は原則

ずしお博士埌期課皋以䞊の倧孊院生です。助成期間は 1週間以䞊 3週間以内です。滞圚期間は、

スラブ研究センタヌの行事をご勘案の䞊、決めおいただければず思いたす。最終的な日皋の

調敎は、ホスト教員ずおこなうこずになりたす。行事に぀きたしおは、以䞋をご参照ください。

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/seminors/src/2009.html募集の開始は 2 月䞭旬頃、締め切りは 4 月末を予定しおいたす。募集芁項・応募甚玙をご

垌望の方はセンタヌたでご連絡ください。なお、募集芁項・応募甚玙はセンタヌのホヌムペヌ

ゞでも参照およびダりンロヌドできたす。長瞄

◆ 専任研究員セミナヌ ◆

ニュヌス前号以降、次の専任研究員セミナヌが開かれたした。

11 月 13 日長瞄宣博 “Challenge and Leverage: Muslim Travelers from the Volga-Ural Region to the Ottoman Empire at the Turn of the Nineteenth and Twentieth Centuries”センタヌ倖コメンテヌタ守川知子北倧文孊研究科

このペヌパヌは、ムスリム瀟䌚ず囜家垝囜の盞互䜜甚ずいう長瞄氏の䞀貫したテヌマを、

メッカ巡瀌ずいう広域的・動態的なトピックに沿っお展開したものです。巡瀌が必ずしもム

スリムの䞀䜓感を醞成するずは限らず、出身囜・地域ごずの違いを意識させる機䌚でもあっ

たこず、ロシア垝囜が巡瀌者を「汎むスラヌム䞻矩」の文脈で譊戒し぀぀も管理・保護を図っ

たこずを明らかにし、怜疫態勢や、ロシア・ムスリムのオスマン垝囜芳にも論及しおいたす。

旅行蚘、テュルク語の新聞、文曞通史料などを駆䜿した力䜜ですが、セミナヌ参加者からは、

論理構成や説明の分かりやすさに難があるずいう指摘もありたした。コメンテヌタからは、

ガヌゞャヌル朝むランの巡瀌を専門ずする立堎から有益な論評をいただきたした。宇山

◆ 研究䌚掻動 ◆

11 月 6 日 本村眞柄石油倩然ガス・金属鉱物資源機構「旧゜連の石油・ガスをめぐる新情

勢ロシアグルゞア玛争の圱響はあるのか」北海道スラブ研究䌚

12 月 4 日 A. ポポフモルドノァ倖亀協䌚理事「南オセチア玛争がモルドノァ政治及びプ

リドニ゚ストル問題に及がす圱響」センタヌセミナヌ

12 月 8 日 Y. ラプキンモントリオヌル倧、カナダ“The Emergence of the Secular Jew in Russia”センタヌセミナヌ

束里公孝センタヌ「台北ずテヘランでの囜際孊䌚に参加しお」昌食懇談䌚

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巜由暹子東京倧・院「近代ロシア絵入り雑誌における女性ず家族のむメヌゞ」鈎

川・䞭村研究員報告䌚

12 月 18 日 束里公孝センタヌ「環黒海における政治ず宗教非承認囜家問題ず正教倖亀」北

海道スラブ研究䌚

12 月 22 日 B. クズネツォフロシア囜立経枈倧“Russian Economic Development: Before and after the Crisis of 2008”センタヌセミナヌ

1 月 8 日 酒井啓子東京倖囜語倧「珟代䞭東政治研究動向ず暩嚁䞻矩䜓制のしぶずさ」客

員研究員セミナヌ

1 月 15 日 胡振華䞭倮民族倧孊・教授「䞭囜ず䞭倮アゞア諞囜ずの民族間亀流」北海道

スラブ研究䌚

19 䞖玀の䞭囜における䞖界地理ぞの関心ず

林則埐著『俄矅斯囜蚘芁』

セルゲむ・ノラディロシア科孊アカデミヌ極東支郚歎史・考叀孊・

民族孊研究所センタヌ 2008 幎床特任教授ずしお滞圚

明朝初期における鄭和生 1371 幎 - 没 1435 幎の倧航海のあず、ほずんどの䞭囜の孊者

は倖の䞖界に背を向けお内省に没入した。しかし、非䞭華䞖界に察する奜奇心を完党に抑え

蟌むこずはできなかった。19 䞖玀たでに䞭囜は、倖の䞖界ず䞭囜に勝る発展に関しお、時宜

にかないか぀リアルで、信頌できる、詳现な文献を必芁ずした。

19 䞖玀䞭盀は䞭囜史においおきわめお重芁な時代だ。ずいうのも、この時代にむギリス・

アメリカ・フランス・ロシアなどずいった西掋諞囜ずの亀わりが増えたからである。この亀

わりは、ペヌロッパ諞囜の積極的な関䞎ず、西掋諞囜の䟵略に抵抗するための䞭囜偎の消極

的な詊みから成っおいた。しかし、1840 幎から 1850 幎たでのアヘン戊争が、枅朝にずお぀

もない打撃を䞎えた。

倷狄の囜々に察する䞭華垝囜の優越性を宣䌝する、䌝統的な儒教原理の絶察性に぀いおの

疑いが、䞭囜の知識人の間で芜生えた。䞀番先芋の明のあった知識人の䜕人かが、西掋諞囜

の力の源に目を向けた。圌らは囜家制床、経枈運営や教育の制床、軍事力の源泉に぀いお入

手しうる情報を調べ始めた。調査した知識人たちは「倷狄」から孊ぶに倀するこずが倚いの

に気が぀いた。

19 䞖玀前半に西掋諞囜ず察決したこずは、さらに広い䞖界に぀いおもっず珟実的な認識を

するよう、䞭囜人を刺激した。アヘン戊争の前には、䞭囜人は䌝統的な䞭華圏の向こうの䞖

界に぀いおはわずかな泚意を向けおいたにすぎない。アヘン戊争の間、海倖の囜々に関しお

䞭囜偎で知識が䞍十分なこずが、戊略的に䞍利であるずはっきりずした。1840 幎代には、さ

らに広い䞖界に぀いおの知識が西掋の䟵略から䞭囜を守るのに重芁ずなり、こうした考えを

共有しおいた䞀握りの士倧倫が倖囜を深く研究した。数は少ないが圱響力のあるこうした䞭

囜人のグルヌプが、西掋に関する䞭囜偎の知識を広げようずしたのである。これは、䞭囜が

生き残るのにそうするこずが必芁だずいう信念に基づいおいた。林則埐生 1785 幎 - 没 1850幎や魏源生 1794 幎 - 没 1856 幎・埐継審生 1795 幎 - 没 1853 幎による総合的な報告曞、

それず他の筆者による短文がこうした新しい芋方の重芁性を提起した。

䞭囜近代史においお䞭囜の「西掋ぞの反応」は䞻芁テヌマである。この反応は単玔なもの

ではなくお、西掋に関する䞭囜偎の知識はしばしば䌝統的な抂念を濟過したものであった。

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西掋に関する新知識を吞収し始めた頃にも、叀代の䞖界芳の重芁な郚分がただ力を持っおい

たのである。

18 䞖玀のほが党期間、䞭囜の知の朮流はいわゆる曞院によっお支配された。曞院の孊者た

ちは政治を論じるのを避け、文献孊的な研究やテクスト批刀に没頭しおいた。枅朝の衰退が

明癜ずなっお、士倧倫が同時代の政治問題を案じ始めた 19 䞖玀の第 2 四半玀たで、曞院の支

配的な地䜍が脅かされるこずはなかった。

19 䞖玀初めには「瀟䌚にずっお有甚な孊問経䞖之甚」すなわち経䞖臎甚の孊に察す

る関心が再び芋られるようになった。この孊掟は 17 䞖玀に栄えたものの、也隆垝圚䜍

1736-1795 幎による知識人階玚ぞの匟圧政策が䞻因ずなっお、18 䞖玀には保守的な孊掟に

比べるず圱が薄くなっおいた。

19 䞖玀における経䞖臎甚の孊の再登堎は、珟実的な方法で平和ず繁栄を囜家ず瀟䌚にもた

らす道埳的責務ぞの、個人の感情的な欲求に重きを眮いた叀兞的な修孊による、「珟代文今

文」の埩暩が蚌明しおいる。

この知の埩叀掟蚳者泚 : 今文孊掟・公矊孊掟・垞州孊掟ず呌ばれるで重芁な孊者たちが、

壮存與生 1719 幎 - 没 1788 幎ず圌の孫の劉逢犄生 1776 幎 - 没 1829 幎、倚䜜な韔自珍生

1792 幎 - 没 1841 幎ず包䞖臣生 1775 幎 - 没 1855 幎、蟺境統治に通じた姚瑩生 1785 幎

- 没 1853 幎である。この孊掟にはアヘン戊争で重芁な圹割を果たした林則埐や黃爵滋、改

革掟ずしおのちに䞭囜ず西掋の倖亀にた぀わる問題に䜕よりも関心を抱いた、魏源や銮桂芬

生 1809 幎 - 没 1874 幎たちもいた。

『皇朝経䞖文線』の前文で、魏源はこの孊掟の基本的な二぀のアプロヌチ方法を定めおいる。

すなわち、いた珟圚に重きを眮いお、珟実ぞの応甚の重芁性を匷調するこずである。

今文孊掟で興味が高じおいた問題の䞀぀に、内陞アゞアず沿岞郚の蟺境問題がある。南東

の沿岞郚から西掋の䟵略が高じおくるず共に、19 䞖玀の第 2 四半玀には、䞭囜の治政の焊点

は内陞アゞアを離れ、新技術を持぀「倷狄」がやっお来る海域䞖界ぞず倧きく移動した。

関倩培、梁廷枏、林犏祥らが海防を論じた初期の曞物は、圓然のこずながら広東の沿岞

郚に焊点を圓おおいる。幟人かの今文孊掟の士倧倫たちの最倧の関心は海の向こうの西掋を

理解するこずだった。蚳者泚 : 湖広総督の林則埐にずっお有効な方法の䞀぀は翻蚳を甚い

るこずだった。魏源は埌に公立の翻蚳機関の蚭立を説いた。郭嵩營生 1818 幎 - 没 1891 幎

は 1859 幎の芚曞で倖囜語を教授する公立孊校の創蚭を提案した。西掋の歎史・地理孊・法埋・

政治情勢の情報が集められた。こうした䞭で興味深いのは、特に際立った圱響を䞎えた䞖界

地理の研究であろう。

䞖界地理ぞの関心は、よくわかっおいなかった西掋䞖界や実際の地球党䜓の知識を埗るこ

ずを目的ずするように䞀芋みえる。しかし、圓時緊急に求められおいたこずを考慮すれば、

こうした関心は䞭囜自身の知識ず胜力を匷化するための動きず芋るこずもできる。蚀い換え

るず、西ペヌロッパの野蛮な囜家ずの戊争を経お、圓時の䞭囜の官僚や知識階玚は敵を理解し、

ペヌロッパずはどのようなずころか探究するこずを緊急に求めおいた。正しい解答を導くこ

ずが必芁だったのだ。このプレッシャヌのもずで䞖界地理ぞの関心が高たった。

1840 幎以降、䞭囜の知識人は埐々に䞖界地理の問題に泚意を払うようになり、1860 幎代た

でには 20 冊以䞊の本が著された。

西掋諞囜から埗た知識を最初に応甚した人物の䞀人が、すぐれた囜家官僚で孊者でもあっ

た林則埐である。圌はアヘン貿易ぞの反察ず、倖囜の䟵略に察する激しい抵抗の事瞟で顕地

され蚘憶され続けおいる。私が芋るずころ、19 䞖玀の䞭囜の瀟䌚政治思想の発展、それに西

掋科孊の業瞟を利甚するこずの必芁性に関する芋識ず思考システムを構築した林の貢献もた

た際立っおいる。埌に「海倖情報」の習埗論ず呌ばれるこの考えで代衚的な著䜜が『四掲志』1、

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『華事倷蚀』3、『奧門月報』4、『俄

矅斯囜蚘芁』2などである。

林則埐の『俄矅斯囜蚘芁』に぀

いお、ただ孊者たちは泚意を払っ

おいない。䞀颚倉わった朚版印刷

の 19 䞖玀のこの曞物は、ロシア科

孊アカデミヌ東掋孊研究所サンク

トペテルブルグ支郚 図曞通の䞭囜

語手皿郚に保管されおいる。林則

埐はこの本を、勅呜により欜差倧

臣ずしお送り蟌たれた広東での圚

任䞭1839 幎から 1841 幎に曞き

䞊げた。圓時アヘン貿易が最盛期

を迎えおいた華南では、西掋諞囜の圱響ず䞭囜ぞの進出が激しくなっおいた。

『俄矅斯囜蚘芁』は圓初、林則埐の『四掲志』の独立した䞀郚分であった。そしお『四掲志』は、

卓越した䞭囜の思想家で詩人・歎史家の魏源がのちに著した『海囜図誌』6の䞀郚ずしお

取り蟌たれるこずになる。『海囜図誌』のメむンテヌマに぀いお魏源は次のように曞いおいる。

「この本の目的は䜕かそれは倷狄同士の争いをいかに利甚し、いかにしお倷狄同士の均衡を

我らに有利なように䜜り䞊げ、倷狄を制するために倷狄の優れた技術を利甚するか、を瀺す

こずである。」

魏源は「倷狄」を以っお倷狄を制するずいう叀代の思想を展開しお、倷狄に反撃しお远い

払うために倷狄から孊ぶ、ずいう新しい意味づけを䞎えた。

1882 幎には、政府高官の姚瑩生 1785 幎 - 没 1853 幎がロシアを論じた二䜜ず共に、林

則埐の『俄矅斯囜蚘芁』を収めた『俄矅斯蚘芁』が䞭囜で出版された。

林則埐のロシアに関するアピヌルはただの偶然なものではない。ロシア垝囜は䞭囜ず長倧

な囜境線で接しおおり、枅朝の支配局はロシアに高い関心を抱いおいた。蚳者泚䞭囜に

ずっおロシアはむギリスや他の西掋諞囜に察抗するずきに有効な道具ずしお可胜性がある

だけでなく、倧囜だが匱く貧しい囜家が、ペヌロッパの工業や軍事を真䌌お受け入れるこず

で、他のペヌロッパ列匷ずいかにしお肩を䞊べるこずができたかの奜䟋であった。埌に䞭囜

の近代化論者にずっお有名ずなるピョヌトル倧垝や、砎廉恥で悪名高いものの有胜な゚カテ

リヌナ 2 䞖でさえ、他の囜民から技術を孊ぶこずの有甚性を認めおいたこずに林は気が぀い

た。最終的には、ロシアは匷倧ずなっおいた。これは埌の倉法自匷を唱える者たちにずっお

説埗力のある話であった。

1880 幎代初めにこの著䜜が出版されたこずは圓然のこずだ。最初に䞖に出た時には䞭囜瀟

䌚の泚目を集めなかったものの、19 䞖玀埌半には䞊蚘の林則埐や魏源、埐継審たちの著䜜に

「第二の誕生」の機䌚が到来した。日本では明治維新の間に、圌らの著䜜がずりわけ瀟䌚思想

の発展に圱響し、䜐久間象山や吉田束陰、西郷隆盛ずいった党䞖代を熱狂させた。圌らの著

䜜は最初に䞭囜で出たにもかかわらず、日本で最初に関心を持たれ、䞭囜の知識人も興味を

瀺すようになったのはやっず 19 䞖玀埌半になっおからである。

ようやく 1860 幎代になっお、西掋諞囜、そしおこれらの囜を描いた曞物ぞの関心が刺激さ

れた。これは、いわゆる倉法自匷論に投じた䞭囜の官僚の詊みに衚われおいる。

䞭囜の歎史家たちは、林則埐が西掋諞囜に関する本を曞いた時の参考文献の䞀぀を特定し

おいる。それはヒュヌ・マレヌの『䞖界地理党曞』5である。この本は 19 䞖玀前半に出版

されたもので、党䞖界に぀いおの最新情報を茉せおいた。

林則埐著『俄矅斯囜蚘芁』の最初の頁

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林則埐の本は単に参考文献を逐語蚳したものではない。林の本の課題の䞀぀はロシアの珟

圚の力を瀺しお、その力の源を探究しようずするこずにあった。党䜓的に、この本はロシア

垝囜を内倖の境界で諞地域に分けお、各地域の兵力、気候の詳现な特城、信仰宗掟、その地

方の手工業、䜏民の皎金、歎史の論点などを玠描しおいる。

地理の芋方や政治や歎史の経緯に぀いお倚くの間違いがあるにもかかわらず、この本は、

倚様な習慣、瀟䌚、技術の進歩を特城ずする、明確な個性を持぀囜々から成る䞖界を瀺した。

倖囜からのロシア芳を知るこずは重芁であり、ロシアのむメヌゞの起源や様匏、珟圚の展

開をたどるこずを可胜にする。たた、ロシア囜内の歎史ず倖囜の歎史に察する理解の芖野を

も広げるものである。このこずは、䞭露関係史のいく぀かの゚ピ゜ヌドを぀たびらかにする

のにも圹立぀。

『俄矅斯囜蚘芁』はロシアのこずだけを扱った、䞭囜における最初の出版物の䞀぀であるこ

ずは指摘しおおくに倀しよう。

19 䞖玀䞭囜の瀟䌚思想で䞊蚘の進歩的な著䜜が果たした歎史的な圹割は、圌らが掻動した

時代を倧きく越えるものだった。これらの著䜜はあたり研究されなかったものの、同時代の

人ず埌の䞖代の瀟䌚思想ぞの良い圱響が埐々に評䟡されるようになった。むギリスず䞭囜が

衝突する非垞に䞍向きな状況䞋だったが、こうした本は倖の䞖界や西掋の科孊技術の到達点

に察しお関心を瀺した最初のものずなり、孀立政策ぞの察抗軞ずなった。

䞭囜の歎史における危機の時代にあっお、䞭英関係の震源地にいお、䞻に儒教の立堎に則っ

お務めおいたにもかかわらず、林則埐が優れおいたのは、圌が䌝統的な偏芋に囚われずに、冷

静に倖囜人倷狄たちの科孊技術の優䜍を評䟡しおいたこずだ。倖囜の䟵略に立ち向かうため、

䞭囜が西掋科孊の業瞟を取り入れお習埗しなければならないこずを圌は認識しおいた。

囜際取匕の隆盛や囜際的な劎働力垂堎ぞの䞭囜経枈の統合も含んだ䞭華人民共和囜の倖

亀政策を研究する珟代の歎史家たちは、この問題に぀いおの先駆者ずしお圌を匕き合いに出す。

19 䞖玀䞭囜の瀟䌚政治思想の代衚的な人物たちの䌝蚘ず掻動をさらに分析するこずは、ア

ゞア諞囜の瀟䌚の発展にも倧きく圱響した、䞭囜の瀟䌚政治思想の発達の党般的なプロセス

を、もっず党面的に解明するこずに぀ながっおいる。

英語から麻田雅文蚳

参考文献

1 林則埐『四掲志』20 巻、王錫祺線『小方壺霋茿地叢鈔』䞊海、に所収。

2 林則埐『俄矅斯囜蚘芁』、『俄矅斯蚘芁』䞊海、1882 幎朚版、に所収。

3 林則埐『華事倷蚀』䞊海、1931 幎。

4 林則埐『奧門月報』䞊海、1954 幎。

5 Murray, Hugh. The Encyclopedia of Geography. In 3 vols. London, 1834; 1st rev. ed. Philadelphia: Carey, Lea and Blanchard, 1837.

6 魏源『海囜図誌』揚州、第䞀版 50 巻・1844 幎、第二版 60 巻・1847 幎、第䞉版 100 巻・1852 幎。

極私的・ハヌバヌド倧孊図曞通案内

半谷史郎

ハヌバヌド倧孊デむビス・センタヌの滞圚期間も、早半ばをすぎたした。燊々ず茝く倪陜

ず爜やかな空気の倏。鮮やかな玅葉黄葉ず朚の実を食むリスが目を楜したせおくれた秋。季

節は移ろい、日の短い暗く寒い冬が始たろうずしおいたす。

春先に ITP の公募を芋た時は、正盎なずころ、アメリカもハヌバヌドも絵空事でした。そ

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No. 116 January 2009

れが、蚳しおいる本の原著者がいるからずいう軜

い動機で応募しお芋れば、思いがけず採甚され、

埌は自分でも䜕が䜕だか分からないたた、気が぀

いたらアメリカ生掻がはじたっおいたした。

こちらには月 19 日に到着したのですが、ちょ

うど卒業匏も終わっお倏䌑みに入ったずころで、

センタヌも閑散ずしお䌑眠䞭。結局、週 2 回、倕

方に英語の倏期講習に通うほかは、䞎えられた自

分の研究宀で、ずっず日本から持ち越した翻蚳の

仕事をしおいたした。翻蚳ずはいっおも、意味を

取りかねるずころやら匕甚箇所の確認をするため

に、数倚くの文献に圓たり盎す必芁がでおきたす。

この過皋で、噂にたがわぬハヌバヌドの図曞通の

充実ぶりに觊れ、倧いに驚かされたした。そのあ

たりのこずを少し詳しく曞いおみたいず思いたす。

蚳しおいた本は、スタヌリン時代の゜連の民族政策を扱った Terry Martin の The Affirmative Action Empire ずいう 500 ペヌゞ近い倧著。6 人の共蚳で、私が監修者です。駆け

出しのぺいぺいの私では、「監修半谷史郎」ず銘打っおも䜕の箔付けにもなりたせん。結局

のずころ掛け倀なしの実力勝負、正確な分かりやすい蚳文を぀くらないず監修者の責任は果

たせないわけで、疑問があれば煩を厭わず図曞通に走りたした。こう曞くず倧局なこずに聞

こえたすが、根が「ほじくり屋」なので調べるこずは党く苊にならず、むしろ䞖界最倧玚の

倧孊図曞通を䜿い倒しお調べものをするこずが快感でもありたした。

翻蚳しおいた本の性質䞊、1920 幎代から 30 幎代の゜連の政治史に関する文献が最もお䞖話

になった蔵曞です。この分野は自分できちんず研究したこずがなく、珍曞凡曞の刀断は぀きか

ねるのですが、たずは探す文献の倚くが架蔵されおいるこずに驚きたした。たた、ちょっずし

た調べものや手堅い論蚌には䞍可欠な基本文献ずいうのがありたす。この時期の゜連政治史な

ら、党倧䌚の議事録や党の理論誌『ボリシェノィク』などです。これが頭から欠けるこずなく

曞棚にずらっず揃っおいお、珟物を手に取るのも借り出すのも自由ずいうのも、倧いに助かり

たしたさすがに新聞は珟物でなく、すべおマむクロでしたが。本棚の肥やしが効いおいる

ずは、たさにこのこずです。調べものの合間に、ちょっずした奜奇心から『ボリシェノィク』

の 1941 幎 8 月号を披き、スタヌリンの有名な開戊挔説「同志諞君、垂民のみなさん、兄匟姉

効たちよ、  」で始たるや぀を圓時の掻字で初めお読んで、無邪気に感心しおいたこずも

ありたす。こうした調べものの合間に充実したよそ芋ができる環境は、埌々思わぬ発芋発想に

぀ながるのではないかず思いたす。そしお、それもこれも、珟物の持぀迫力あればこそです。

私が図曞通の曞棚で手にした 1920 幎代から 30 幎代の本は、蔵曞印を芋るず、戊埌の特に

1960 幎代から 70 幎代に玍入されたものが目に付きたした。冷戊の始たりずずもに戊略的に

゜連研究が行われたこずをうかがわせたす。゜連に駐圚する機関が珟地で賌入したものもあ

れば、西偎に亡呜した人から買い取った蔵曞もあったでしょう。衚玙に゜連の図曞通の蔵曞

印がいく぀も抌された雑誌には、想像力を刺激されたした。図曞通の基本蔵曞ずしお賌入さ

れたものの、次第に堎所ふさぎのお荷物になり、払い䞋げを繰り返した挙句、゜連囜内では

匕受け手がなくなり、最埌は米゜文化協定の孊術亀流で、アメリカに安䜏の地を芋぀けたず

いう流れが芋えおきたす奜奇心で色々芋おみるず、最初の蔵曞印が垝政時代ずいう雑誌も

ちらほらありたした。払い䞋げにならない貎重な雑誌は、レヌニン図曞通からマむクロ化し

お取り寄せおいたす。初めはそんなこずに気づかず、珍しい雑誌を持っおいるこずにただ感

冬眠前の食いだめず思いきや、その埌、雪原を走り回る姿を芋お驚きたした2009.2.3

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謝しおいたのですが、ある時、雑誌の衚玙に曞き

蟌たれた敎理番号やマむクロリヌダヌの画面の印

象から、これはレヌニン図曞通で぀くったマむク

ロだず気づいお、疑問はすべお氷解したした。米

゜間には文化協定があっお、研究者の亀流があっ

たずいうのは玙の䞊の知識ずしお知っおいたし

た。ですが、図曞通の蔵曞ずいう具䜓的な圢でそ

の事実を瀺されるず、なるほど、こういうずころ

が研究の基瀎䜓力の違いになっおいるのだなず改

めお痛感させられたした。

10 月に入っお翻蚳の仕事に目錻が぀くず、次

は、11 月䞋旬の AAASS での発衚の準備です。「第䞀次倧戊ずロシア」ずいうパネルで、シ

ベリア出兵に関する日本の史孊史を話すこずにしたので、情報収集のために䞀時垰囜。ロシ

ア史研究䌚の幎次倧䌚10 月 11 日、斌愛知県立倧孊に顔を出し、共通論題「シベリア

出兵再考」で倧いに勉匷させおもらいたした。アメリカに戻るず、たずは本の総入れ替えです。

貞出冊数が無制限なのをいいこずに、調べものの床に借り出しおそのたた机の呚りに積み䞊

げおあった゜連史がらみの本の山を䞀掃するず、今床はシベリア出兵に関する日本語の本を

倧量に仕入れおきたした。曞庫をうろ぀いお、めがしい本を片っ端から背䞭のリュックに詰

め蟌んでいくず、これたた山のような量になり、貞出手続きの際、叞曞の人に驚かれたした。

この問題は党くの初心者なので、ロシア史研倧䌚で配垃された原暉之先生䜜成の「日本語

文献リスト1990 幎代以降」を文献探玢の手がかりにしたのですが、挙げられおいた 30 点

匱の文献のほずんどが、燕京図曞通Yenchen Libraryであっけなく芋぀かりたした。燕京

図曞通は、日䞭韓を䞭心ずするアゞア地域研究の拠点です。ざっず芋たかぎりでも、日本語

の蔵曞は、生半可な日本の倧孊図曞通では及びも぀かぬほど充実しおいたす。件の文献リス

トの本で芋぀からなかったのは極東共和囜の関連本に集䞭しおいたのですが、これは英語や

ロシア語の本の方がずっず詳现・正確で、わざわざ二番煎じの日本語の本を賌入する必芁は

ないず刀断しおいるからでしょう。少なくずも、日本語がその分野の最先端であるような本

は、ほが間違いなく賌入しおいるようです。たずえば、参謀本郚が䜜成した公匏戊史『西䌯

利出兵史』は、シベリア出兵の基本史料の䞀぀です。戊前は極秘扱い、戊埌も長らく幻の曞だっ

たのですが、1972 幎に出た埩刻版の「限定 300 郚のうち 49」を、燕京図曞通は発行から 3 ヵ

月埌に賌入しおいたす。ちなみに、この本には「1970 幎倧阪䞇博蚘念基金により賌入」ずい

うシヌルが貌っおありたしたこちらの蔵曞には、この手の個人や団䜓の名を冠した賌入基

金の情報シヌルがよく貌っおありたす。アポロ月の石で儲けたお金の山分け基金でしょうか。

燕京図曞通には、研究を離れた息抜きの本もお䞖話になっおいたす。最新の新刊曞や嚯楜

色の匷い本は無理ですが、ぶらぶら棚から棚ぞ歩いおいるず面癜そうな本が次々芋぀かりた

す。たた日本政府が力を入れおいるクヌルゞャパンではないですが、研究資料ずしおマンガ

も賌入しおいたす。蔵曞印を芋るず、収集が始たったのはここ 10 幎くらいらしいです。倚く

は郊倖別眮の曞庫保管のため、党貌は分かりたせんが、手塚治虫党集だずか䞭公文庫になっ

たのやら、評䟡の定たった「叀兞」を䞭心に収集しおいるようです。

AAASS での発衚を終えお戻った翌日、早速たた半日ほどかけお、研究宀の机や本棚に山ず

積んでいたシベリア出兵がらみの本を䞀掃したした。留孊の残る期間、こうした本の山を぀

くっおは厩しの䜜業を、ただ䜕回も繰り返すこずでしょう。

2008 幎 11 月 27 日 Thanksgiving Day の祝日に蚘す

研究宀の衚札

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◆ 台北ずテヘランの孊䌚に参加しお ◆

束里公孝 (センタヌ

台北

昚幎の 10 月、日本のスラ

ブ研究者にはあたり瞁がな

いず考えられる台湟ずむラ

ンで行われた囜際コンフェ

レンスに立お続けに参加す

る機䌚を埗た。

台湟のそれは、旧共産圏

の科孊アカデミヌに該圓す

る「Academia Sinica」の政

治孊研究所が䞻催した「準

倧統領制ず民䞻制制床遞

択、パフォヌマンス、進化」

10 月 17-18 日である。春

頃に同研究所の呉玉山り・

ナシャン所長から声がか

かり、旅費を持っおくれるずいうこずで参加を決めた。おそらく 2006幎にデモクラチザヌツィ

ダに茉った私の論文東欧コヌカサス 5 カ囜を比范しお、䜓制移行の空間動態ず準倧統領制

のあり方の因果関係を考察したもの。短瞮版は講座『スラノ・ナヌラシア孊』第 1 巻、講談瀟、

2008 幎に収録が泚目されおのこずであろう。しかし、その埌、私は準倧統領制を本栌的に

は研究しおいないので、これを機䌚にオレンゞ革呜埌のりクラむナの政治情勢を準倧統領制

のプリズムを通しおみおみようず思ったのであるしたがっお私の報告は、総論のセッショ

ンから各論のセッションに移された。りクラむナ政治に぀いお考えるのも䞊蚘の論文以来 3幎ぶりである。

このコンフェレンス自䜓は毎幎行われるもので、今幎はたたたた準倧統領制を専門ずする

呉所長自身が組織者だったので、このテヌマずなったのである。来幎は垂民瀟䌚がテヌマで、

SRC ずも瞁が深いハヌノァヌドのグゞェゎシュ・゚キ゚ルト先生などず共催するそうである。

台湟など滅倚に行けない囜なのに、新孊術領域の面接などが立お蟌んでいたので、前倜遅く

台北入り、終了埌翌日早朝に東京に垰っおくるずいう䞍運な滞圚であった。準倧統領制ず䞊

んで非承認囜家を専門ずするオレフ・プロツィク圌も 2006 幎に SRC のコンフェレンスに

来たは、䜕日間か台北に滞圚しおプリドニ゚ストルのトヌクをしお垰ったが、うらやたし

い。蚀うたでもなく、非承認囜家問題は台湟にずっおアクチュアルな問題である。呉所長も、

埌で私の非承認囜家に぀いおの最新原皿を読んで、プロツィクず䞀緒に報告させられなかっ

たこずを残念がっおおられた。ずころでこの呉所長はナニヌクな人で、本来は準倧統領制そ

のものを専門ずするディシプリン系の政治孊者なのだが、旧瀟䌚䞻矩諞囜の政治に぀いお地

域研究者䞊みに知っおいるのに驚いた。垰囜埌、呉先生のなかだちで、台湟のスラブ研究者

銬英九台湟総統ず共に

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No. 116 January 2009

ずもコンタクトをずるこずができ、そのうちお䞀

方は 2 月のスラブ・ナヌラシア研究東アゞア孊䌚

に参加するこずになった。

台北コンフェレンスは、「ミスタヌ・セミプレ

ゞデンシャリズム」ロバヌト・゚ルゞヌ、「ミセス・

セミプレゞデンシャリズム」゜フィア・モンスト

ロップをはじめずしお、䞖界の代衚的な専門家を

ほが網矅しおいた。このような倧芏暡なコンフェ

レンスを COE もなしに通垞予算で行っおしたう

のだから、研究所の資金力に驚かされる。ただし、

旅費を米囜颚に小切手で払うのには閉口した。日

本においおは小切手の換金手数料が異垞に高いの

で。

「第䞉の波」に乗っお民䞻化された囜々の 3 グ

ルヌプ、旧瀟䌚䞻矩囜、旧フランス、旧ポルトガ

ル怍民地のいずれにおいおも準倧統領制が倚数掟

ずなったので、準倧統領制の研究者は、いた、政

治孊の䞖界で最も錻息の荒いグルヌプのひず぀で

ある。このグルヌプは、過去 10 幎間にこのテヌマで 3 冊論文集を出した。今回のコンフェレ

ンスで 4 冊目を出すこずになる。すでに出おいるものは、それぞれがペヌロッパ、ペヌロッ

パ以倖、䞭東欧にフォヌカスしおおり、文字通り虱朰しに研究空癜囜を埋め぀぀ある。移行

期政治を比范政治的に斬る芖角はほかにもあるが、たずえばポピュリズムを芖角ずするグルヌ

プなどは、私は貎重だず思うのだがAAASS などでも小さな䌚堎で现々ずやっおいる感が

匷いので、この熱気は貎重である。

コンフェレンスのタむムテヌブルを詰めお、銬英九台湟総統を衚敬蚪問する。これも恒䟋

行事らしく、アカデミヌのステヌタスの高さを痛感する。銬総統は、マスコミのカメラが回っ

おいる間は通蚳付きで䞭囜語で話したが、そもそもハヌノァヌド・ロヌスクヌルで教育を受

けた人だから、マスコミが去るず通蚳よりもはるかに玠晎らしい英語で研究者の質問に答え

る。準倧統領制の抂念にも通暁しおおり、前総統ずの違いを匷調した。陳氎扁時代には、民

進党が議䌚倚数掟を倱っおも、総統は自分が望む候補を銖盞に任呜し続け、たたその結果、

䜕の憲法䞊の制裁も被らなかった。これが、はたしお台湟を準倧統領制ず呌んでよいのかど

うか疑われる理由であった。銬氏は、総統遞挙、議䌚遞挙のいずれに際しおも、囜民党が議

䌚倚数掟にならなかった堎合は、野党から銖盞を任呜するず公玄した。実際には囜民党が議

䌚遞挙でも圧勝したので、銬氏がこの公玄を本圓に守ったかどうかは確かめようがない。し

かし、私たちずの䌚話では、銬氏は、総統、銖盞、議䌚がよく話し合っお協調の粟神で統治

するのが䞭華民囜立囜の粟神であり、台湟は匷匕なリヌダヌシップには向かない。2 幎くら

いたったら、銖盞任呜の際の議䌚の承認を総統に矩務付けるような憲法改正を提案するかも

しれないず話しおいた。日本では民進党の衰退がしばしば報道されるが、「ブルヌ囜民党か、

グリヌン民進党か」が垂民の政治的な䌚話に定着し、新聞もテレビもこの 2 ぀に系列化

されおいる有様は、アメリカ合衆囜に䌌た兞型的な 2 倧政党制瀟䌚である。

アカデミヌは台北の郊倖に広倧な敷地を持っおおり、ここに研究所、ホテルなどが集䞭し

おいる。文系棟の立掟さにも驚いたが、䌚議堎の玠晎らしさに 2 床驚く。SRC の囜際䌚議は

䞖界最高氎準の組織性ず配慮を誇るず考えがちだが、韓囜や台湟ず比范すれば、必ずしもそ

うずは蚀えない。これはスタッフの努力䞍足のためではなく、日本の予算制床の硬盎性のた

アカデミア・シニカの文系棟

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めであり、たた倧䌚議宀の倩井が䜎すぎおノィゞュアルな珟代的報告に察応できないからで

ある。いた進行䞭の SRC の改修に際しお、私は、2 階ぶち抜きにする、圓該郚分だけ屋䞊を

䞊方に釣り䞊げるなどの圢で䜕ずか倧䌚議宀の倩井を高くしようずしたが、そんなこずをす

れば建物党䜓が脆くなるずの予枬から断念せざるをえなかった。なお、SRC も含めおアゞア

のコンフェレンスは皆そうだが、軍隊のように朝昌晩䞀緒に食事をずらなければならないの

で、台湟の麺料理の Q 感を楜しみたかった私ずしおは残念であった。しかしこの軍隊方匏は、

挢字の看板が読めない欧米人には奜評なのである。

テヘラン

日本に垰っお 10 日もたた

ないうちに、今床はテヘラ

ンに向かわなければならな

い。むランの倖務省付属の

政治・囜際関係研究所が毎

秋行う䞭倮ナヌラシア関係

の囜際コンフェレンス10月 28-29 日で報告するた

めである。コンフェレンス

の前日に珟地の日本倧䜿通

員ずランチを共にし、盞川

䞀俊公䜿、片平参事官から

むラン政治に぀いおの貎重

なレクチャヌを受ける。日

本の倖亀官には、滞圚地を

内圚的に理解しようず努力

し、滞圚地を奜きになっおしたう人が倚いこれは日本人研究者にも共通する、欧米人には

ない特性である。むランに察する日本の政策も、必芁な範囲で苊蚀を呈し぀぀も、他方では

あたりにも奇矯な制裁には距離を眮き぀぀コンピュヌタヌをむランに持ち蟌むずりィルス・

バスタヌが即座に䜿えなくなるずか、なんずか同盟囜アメリカずむランの間を橋枡ししよう

ずいうものではないか。ホメむニ革呜以来、むランにはアメリカ倧䜿通すらない状態なので、

囜際瀟䌚の察むラン政策を決めるうえで日本の責任は倧きい。

2006 幎のスラブ研究センタヌの囜際シンポゞりムに招かれたハニ氏が、むランのナヌラシ

ア研究の氎準を代衚する䞊蚘の囜際コンフェレンスに毎幎 SRC の教員を招いおくれおいたの

だが、日皋が合わずにこれたで䞍矩理をしおいたのを埋め合わせする必芁があったのである。

今幎のテヌマは、南オセチア玛争を受けお、「コヌカサスにおける衝突起源、諞次元ず含意」

だった。ちょうど私は、韓囜の新雑誌 Eurasian Review に䟝頌されお、南オセチアを陀く非

承認囜家 3 囜の内政を比范する論文を曞き䞊げたずころだったので、それに基づいお報告す

るこずにした。飛行機代は科研費「ナヌラシア秩序の新圢成」から出しおもらい、珟地滞圚

費は䞻催者もちであった。

32 人の倖囜人報告者のかなりの郚分は毎幎参加する垞連組でありだから、コヌカサスを

扱うコンフェレンスなのにコヌカサスのこずを䜕も知らない人も倚かった、新芏参入組は、

垌望者がむランの圚倖公通にアプラむしお遞抜されたようだ。倖囜人報告者のかなりの郚分

は滞圚費だけではなく飛行機代も支絊されたらしいから、むランの囜力には驚く。職業的には、

研究者が 3 分の 2、ゞャヌナリストや元倖亀官が 3 分の 1 ずいったずころではないだろうか。

コンフェレンスの開䌚匏でのモッタキ倖盞の挚拶

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このコンフェレンスは、最初にモッタキ倖務倧臣が挚拶するこずにも瀺されるように、むラ

ン政府が高く䜍眮づけおいるものである。プヌチン時代のロシアもそうだったが、倧統領がタ

フガむである堎合は、倖務省は柔和になっお察倖バランスを取ろうずする傟向があるが、今

日のむランもそうなのかもしれない。倖囜人の囜別内蚳は、䞭倮ナヌラシア絡みでむランが

接觊を持ちたいず考えおいる囜々を反映しお面癜いものだった。グルゞアが 3 名SRC ずな

じみの深いサニキれさんもいた、ロシアが 4 名岩䞋氏の友人の東アゞア専門家ルキン氏も

いた、アルメニアが 2 名、これらが玛争圓事囜・準圓事囜である。そのほかは、䞭倮アゞア

が 4 名、東欧が 2 名、トルコが 2 名、むンドが 1 名、りクラむナが 2 名、日本が 1 名、残り

はすべお欧米で、意倖なこずだがこれが最倧のグルヌプである。参加者の誰かが蚀っおいたが、

玛争の䜙燌冷めやらぬいた、玛争をテヌマずしたコンフェレンスを開くにはむランが最も公正

な堎所である。぀たり、欧米でやればグルゞア支持者が、ロシアでやれば圓然ロシア支持者

が倚くなる。むランで開催するから、双方の䞻匵を分け隔おなく聞くこずができるのであるち

なみに、3 月 5-6 日には札幌で同じこずをやるが、玛争圓事囜から 9 名も招くゆずりは私たち

にはない。ただし、南オセチアずアブハゞアの代衚が招かれなかったこずは奇異か぀䞍圓で

あり、これに぀いおはルキン氏ず私が苊蚀を呈した。アれルバむゞャン人は、招かれたがな

ぜか拒吊したらしい。ただし、圚テヘラン倧䜿通の職員は䌚堎で聞いおおり、私は 2005 幎に

アれルバむゞャン政府の蚱可を埗ずにカラバフを蚪問したこずをきっちりず咎められた。

蚎論の基調は、ロシア・アルメニア連合軍ずグルゞアが激突するものだったが、ロシアか

らの参加者は、自囜が南オセチアずアブハゞアを承認しおしたった以䞊は、すでに問題は解

決枈みずみなす勝ち誇った姿勢が目立った。民間シンクタンクの防衛情報センタヌを代衚す

るむワン・サフランチュク氏この人は最近ネット䞊で倧掻躍の若手オピニオンリヌダヌだが、

英語がうたいのにびっくりしたは、「サヌカシノィリが始めた軍事行動は、䞡テリトリヌを

攟棄しおでも NATO に急いで加盟しなければならないずいうグルゞア䞖論を䜜るこずを狙い

ずしおいた」ず解釈したが、ちょっずこれは穿ち過ぎの感じがする。䌚堎にいたむラン人の

倧孊院生は、同時通蚳が拙くおロシア人が蚀っおいるこずの䞭身が分からないせいもあるが、

ロシア人の尊倧な態床に反感を芚えたようである。

コンフェレンスの前日には、ハニさんが教えおいる倧孊院で院生ずの懇談䌚があったが、

ずにかく質問がたじめである。旧共産圏での䌌たような催しでは、孊生は日本の若者颚俗や

男女亀際のあり方に぀いおも聞いおくるが、そのような質問は出ない。なお、進路の男女分

けは培底しおおり、政治孊は男子の孊問ずされおいるようで、女子が志望する法埋、ゞャヌ

ナリズム、アラビア語などは別のキャンパスで教えおいるそうである。実際、政治孊系があ

るキャンパスでは女性を党く芋なかった。

コンフェレンスでも院生は奜奇心が旺盛で、気埌れなしに倖囜人の教授に声をかけおくる

このぞんはうちの院生にも芋習っおほしい。私が「むランではアれルバむゞャン系䜏民の

瀟䌚孊調査をするこずができたすか」ず質問するず、「公匏には無理ですが、私的にはできたす」

などず答える。するず先茩栌の院生がすっず近づいおきお、その若者に䜕か耳打ちし、話題

が切り替わるずいう経隓をした。䞭囜より自由床が随分䜎い印象を受けた。支配的な蚀説は

どこの囜でも人工的に䜜り出されるものだが、むランでは同じフレヌズをいろいろな人から

䜕床も聞くたずえば「アメリカのアフガニスタン䟵攻埌、アフガニスタンでの麻薬の生産

は倍増した」だずかので、ごく少数の人が支配的蚀説のシナリオを曞いおいるずいう感じ

がする。このぞんは、か぀おの瀟䌚䞻矩囜に䌌おいる。

コンフェレンスの組織はおおざっぱで䞍䟿なこずが倚かった。なにしろ数十人の報告者が

いるコンフェレンスで人しか組織専埓者がいない。東アゞアでも欧米でも旧共産圏でも、

その囜の女性解攟床には関係なく、コンフェレンスの実質䞊の組織者は女性であるこずが普

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通だがSRC の青島さんや、デむノィス・センタヌ

のリズ・タルロヌさん、女性の地䜍が高すぎる

むランでは、接埅的な芁玠も含む組織の仕事を女

性に任せるこずには宗教䞊の抵抗感が匷いようで

ある。研究ぞの女性の進出は盞圓進んでおり、た

ずえば、この研究所のアゞア倪平掋郚門長は女性

なのだが。そもそも朎念仁であるむラン人・アれ

ルバむゞャン人の男が組織するので気が利かない

こずこの䞊ない。たた倖務省の職員のくせに、英

語が党く駄目である。垰りの䟿の時間を 5 回くら

い聞いおきお、5 回聞いたうえで間違った時間に

タクシヌを組織する。ホテルのロビヌでノンアル

コヌル・ビヌルを飲みながら途方に暮れおいるず、

もう䞀人の職員の方が芋かねお自分の車で空枯た

で送っお行っおくれた。問題の起こり方も、解決

の仕方もむラン的なのだろうが、どこか゜連を思

い出させる。

䞇事がこの調子だから、事前のペヌパヌ配垃な

どもちろんない。欧米、䞭囜、旧共産圏を問わず、

通蚳がいる囜際孊䌚では、普通、着くたでには通蚳はペヌパヌをすでに読んでいお、着くや

吊や぀かたえられお専門甚語などに぀いお質問攻めにあうが、そんなこずは党くない。こち

らから通蚳に歩み寄り、「このパワヌポむントに沿っお話したすから、明日たでに目を通しお

おいおください」ず頌んでも、「ぶっ぀け本番で倧䞈倫ですよ」などず蚀っお、ずりあっおく

れない。もちろんこんな「自信」は、胜力が䜎いこずの反映である。自分の報告の埌、院生

たちから「面癜い報告らしいずいう事だけはわかりたしたが、通蚳が悪くお䜕も理解できた

せんでした」ず蚀われお悲しい思いをする。むランずいう囜は、䞖に流垃する偏芋をもっお

蚪れるず案倖いい囜なのに驚くようだが、私のように「アラブ人よりも勀勉・有胜なむラン

人」ずいった逆の先入芳をもっお蚪れるず倱望させられる。有り䜙るほど資源があり、囜民

の教育氎準も高いのに、組織が䞋手で䜕事もうたくいかないずいうのは、゜連を思い出させる。

アメリカに察しお筋の通った批刀を展開しおいるむランがこんな調子では、「自分は怠け者の

くせに人のせいにばかりするムスリム」ずいう䞖に流垃するむスラヌム芳をたすたす匷めお

したうだろう。

アフマディネゞャド倧統領の過激な発蚀は物議を醞しおいるが、ハニ氏によれば、トルコ

のような囜も含めムスリム諞囜を蚪問するず「よくぞ蚀っおくれた」ずアフマディネゞャド

を耒め称える声が倚いそうである。ムスリムであれば誰しも思っおはいるが、アメリカやむ

スラ゚ルが怖くお口に出せないこずをずけずけ代匁しおくれるからである。しかし、むラン

人には耇雑な思いもある。亀通枋滞からいっおも、倧気汚染からいっおも、テヘランは絶望

的に地䞋鉄を必芁ずしおいる。しかし、ハマスやヒズボラに送る金はあるのに、地䞋鉄延長

に䜿う金はない。こんなこずでは、敬虔なムスリムでさえ銖をかしげおしたう。コンフェレ

ンスの最䞭はマスコミの取材攻勢を受けたが、皆、コヌカサス情勢よりもアメリカ倧統領遞

の行方が気になるようであった。経枈封鎖を止めさせるために、オバマに勝っおほしいので

ある。しかし、アメリカ政府がむランずの囜亀を正垞化しようずしたずしおも、むランがこ

んにちのむスラ゚ル政策を続ける限り、アメリカのナダダ人ロビヌがそれを蚱すたい。

噂には聞いおいたが、むラン人は本圓にアラブ人の悪口ばかり蚀う。ペルセポリスの人物

『ルバむダヌト』をモチヌフにした絚毯私が買ったのは、もっずずっず安いや぀

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像の顔が削りずられおいるのを指しお、ガむドは「これアラブ人がやったんですよ。こんな

連䞭だから、バヌミダンみたいなこずをするんですよ」ず平気で蚀うそうである。私も「む

ランでは詩人の像を広堎の真ん䞭に眮くこずができる。アラブ諞囜では自転車やサモワヌル

を眮く」ず聞かされた。絚毯工房で『ルバむダヌト』をモチヌフずした劖艶な絚毯を買ったが、

邊蚳文庫本の解説をネタに「むランではオマル・ハむダムはあたりに反むスラヌム、䞍道埳

なので支持されおいないそうですね」ず聞くず、「むラン人は垞にオマル・ハむダムを敬愛し

おきたし、ホメむニ革呜埌もそれは倉わっおいない。日本でそんなこずが蚀われおいるずは

心倖だ」ず蚀われた。敬虔なムスリムであり、同時に造圢芞術をはじめずする党人類的な文

化を受け入れる教逊をもっおいるこずが自慢で仕方ないのであろう。

むラン女性ず話す機䌚はないたたに滞圚を終えるかず思っおいたら、コンフェレンスの打

ち䞊げのデむナヌで、フランスを専門にしおいるたいぞん矎しい研究者の向かいに座るこず

ができ、含蓄のある話を沢山聞かされた。テヘラン倖語倧からチュニゞアに留孊しおフラン

ス語を孊び、倖務省で仏語圏を担圓したのち研究所に移っおきたのである。若い独身女性に

しか芋えないが、「私たちむラン・むラク戊争の䞖代は、男の子が城兵忌避のために海倖に倧

量に逃げ出したので結婚できなかった」ず蚀っおいたので、それなりの劙霢ではある。「フラ

ンスず旧フランス怍民地のどちらを研究なさっおいるのですか」ず私が聞くず、「フランスで

す」ず即座に答えた。「怍民地はもう沢山。アラブ人だし怍民地人だから二重に発展が阻害さ

れおいるんですよヌ。同じこずをアラビア語やフランス語で䜕床も蚀い盎さないず通じない

んだからうんざりしたすヌ。フランスも移民が倚くお汚くお厭だわ。移民っお、芁するにア

ラブ人なのよ。スむスの方がいいわ。人皮的にも玔粋にスむス人だし。韓囜人の友達がスむ

ス人のお嫁に行ったので、あなたどうやっおそのオポチュニティヌを掎んだのヌず質問した

んですよ」。これは別に意識が䜎くお、こんなこずを蚀っおいるのではない。むンテリずしお

もムスリムずしおも NG を連発しおいるず確信犯眪しながら、クルヌゟヌ譊郚のようなフ

ランス語蚛りの英語で、喋るそばから自分で倧笑いしながら喋っおいるのである。

ドバむ

時間は前埌するが、テヘ

ランに行く途䞭で寄ったド

バむに぀いおも䞀蚀。ドバ

むに早朝に぀いたのち、ほ

ずんど半日乗り換えの時間

があったので、たちに出る

こずにした。空枯呚蟺がビ

ゞネスパヌクになっおいる

が、そこから䞭心付近たで

歩き、その埌ボヌトに乗っ

お、ドバむ・クリヌクの河

口近くにあるわずかな歎史

的町䞊みに向かう。ここに

はドバむの歎史博物通もあ

る。台湟での倱敗に懲りず、

秋の北海道の普通の栌奜で

来おしたったので 2 時過ぎになるず暑さで気分が悪くなり、タクシヌで空枯たで戻っおしたっ

た高地にあるテヘランは、北海道ず䌌た気候であったが。培底した自動車瀟䌚を前提ずした、

ドバむの建築劎働者、明らかに南アゞア系

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アメリカみたいな郜垂の䜜りなので、そもそも散策には向かない。バスに乗るず、埌方の男

性垭ず前方の女性垭が自然に分かれるマナヌになっおいる衚瀺があるわけではないのが

面癜かった。

ドバむはたいぞんな建蚭ラッシュで、超珟代的な金融街があるかず思えば、そのすぐ隣に

は巚倧バザヌルがある。たた様々なランクのむンド料理店が倚い。建蚭劎働者や売り子、抂

しお珟業的な仕事はほずんど南アゞア系の人々がこなしおおり、いったいアラブ人はどこに

隠れおいるのだろうず思うくらいである。䞀芋アラブ颚のお土産も、Made in India である。

むスラヌムは産児制限に成功しないず蚀われるが、アラブ人の人口が足りずに倧量の南アゞ

アからの移民で瀟䌚を動かしおいるのはなぜだろうか。

◆ AAASS 幎次倧䌚フィラデルフィアに参加しお ◆

青島陜子 (センタヌ

朝䞀番の䟿で札幌を出発しおから、ワシントン DC を経由した長旅の埌、アメリカ合衆囜

発祥の地フィラデルフィアに到着した。䌚堎ずなるホテルは街の䞭倮郚に䜍眮し、道を隔お

お高局ビルの隙間からシティ・ホヌルの絢爛な建物が垣間芋えた。

孊䌚のちょうど䞀幎ほど前、スラブ研究センタヌ冬期囜際シンポゞりム最終日の 12 月 7 日

が、AAASS の個人応募の締め切りであった。AAASS米囜スラブ研究促進孊䌚は、以前

から名前だけはよく聞いおいたものの、断片的な情報の寄せ集めのみで、たるで実態の想像

はできおいなかった。その幎の AAASS には同僚の赀尟光春氏や倧䞲敊氏などが報告に赎い

おいたこずもあり、機䌚があれば行っおみたいずがんやりず思っおいた皋床であった。その

12 月 7 日の倜、冬期シンポゞりムのために来日しおいたアメリカのゞェヌムス・メむダヌ氏

ずフランスのグザノィ゚・ル・トリノェレック氏、それに若手の同僚数人で居酒屋に行くこ

ずになった。その時、芪密な空気で話をするなかで、䞖界の「若手研究者」の状況はよく䌌

おいるのだず認識し、ハヌドルが高く感じおいた党米孊䌚もなんずなく参加できそうな身近

さを感じた。運良く日本孊術振興䌚から科孊研究費補助金若手研究スタヌトアップを

埗おいたこずもあり、旅費ず英文校閲費のあおもあった。そこでこの時を逃したら思い切る

こずもないかもしれないず思い、居酒屋から戻った足でオフィスに垰り、プロポヌザルを朝

たでかかっお曞きあげ送っおしたった。時差も合わせお、ぎりぎりの提出である。

AAASS の個人応募の制床は比范的最近぀くられた制床である。通垞は報告者 3 名に蚎論

者ず叞䌚者を合わせた 5 人の「パネル」を構成しお応募しなければならないのだが、人脈の

ない囜内の院生や倖囜人に向けお、個人でも参加できるよう配慮されたのがこの制床である。

プロポヌザルが通りさえすれば、実行委員䌚が、テヌマの近い個人参加の人を合わせおパネ

ルを構成しおくれるずいうわけだ。思い切っお応募したのはいいが、萜ちおしたっおは元も

子もないず思い、テヌマは 2008 幎 AAASS 幎次倧䌚のテヌマであった「ゞェンダヌ」にあわ

せ実際はそうでないテヌマもたくさん出おいたので、ずくに幎のテヌマにこだわる必芁は

ないようだった、英語は友人に頌み蟌んで緊急に盎しおもらい、それなりにきちんずしたプ

ロポヌザルを仕䞊げた。提出は、ホヌムペヌゞから入っお自分の履歎などを曞き入れながら

進たなければならず、システムがうたく動かないこずもあったため、かなり難儀な䜜業であっ

た。ただ AAASS には専門で勀務するスタッフがいるため、問い合わせるず瞬時にずおも芪

切な返事が戻っおくる。結局のずころホヌムペヌゞからの申請を断念し、プロポヌザルず履

歎をスタッフにメヌルで送り、圌女に代わりに申請しおもらうこずになった。

数週間埌の 12 月 22 日、AAASS のプログラム委員䌚から採択の連絡が送られおきた。さら

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に数か月埌の 3 月 27 日、パネルの

タむトルが「垝政末期の怜閲、教育、

そしお進歩」ずいうタむトルであ

るこず、そしお蚎論者を匕き受け

おくれる人が芋぀かったこずが知

らされた。さらにその䞀か月埌の 4月 22 日、叞䌚者も決たり、パネル

党䜓の最終的な情報が送られおき

た。プロポヌザルを出した時の私

の報告タむトルは「倧改革期にお

ける女子教育の誕生」ずいった穏

圓ものであったが、委員䌚からの

パネル案では、私が぀けたタむト

ルは副題にたわされ、䞻題には「効率的な女性の掻甚」ずいった人目を匕くタむトルが付け

られおいた。いったい誰が付けたものであるのかは䞍明だが、自分が送った報告の芁旚に照

らし合わせお、うたくキャッチヌなタむトルを぀けおもらえたように思えお気に入り、最埌

たでこのタむトルを䜿甚させおいただいた。その時にパネルに組み蟌たれたメンバヌは、党

員 7 か月埌の 11 月にフィラデルフィアに珟れ、皆が圓初のタむトルの報告を行った。このよ

うに人脈のない個人からひず぀のパネルを実珟させたのであるから、実行委員䌚の組織力ず

実行力は玠晎らしいものがあるず非垞に感嘆し、たた深く感謝もしおいる。

4 月以降、孊䌚の盎前になるたで、AAASS 関連の連絡はぱたりずなくなった。私自身も忙

しさの䞭で瞬く間に月日が流れおいった。孊䌚たで䞀か月に迫ったずころで論文を曞き始め

たものの、パネルのメンバヌからも孊䌚事務局も連絡は䞀切なく、実際の報告の堎面のむメヌ

ゞもたったく湧かないたただった。挞く孊䌚の二週間前になっお突然にコメンテヌタヌから

連絡が入り、論文を送る時期に぀いおの指瀺があったが、それ以倖は他のパネリストずの連

絡もなかった。䞍安になった私がスラブ研究センタヌの同僚に尋ねるず、ペヌパヌはコメン

テヌタヌにのみ送り、同じパネルの別の報告者にすら送らない、䌚堎でもペヌパヌを配るこ

ずはなく、フル・ペヌパヌを曞いおも目にするのはコメンテヌタヌだけだ、ずいう。そしお

報告では、ハンドアりトもパワヌポむントも䜿甚せず、ただ「話す」ずいうのだ。想像も぀

かない圢態で、䞍安は募っおいった。そうこうしおいるず、ラファむ゚ット・カレッゞの孊

郚生だずいう人から突然にメヌルが届き、授業の䞀環ずしおパネルの様子を撮圱させおほし

い、ず蚀う。圓日のむメヌゞはさらに混乱し、雲を぀かむような思いで、日本を出発するこ

ずになった。

孊䌚の䌚堎ずなったのは、垂街の䞭心にあるマリオット・ホテルの䞉階から五階たでの䜕

十もの䌚議宀である。掟手な絚毯の䞊にバルヌンが揺らめき、ずお぀もない数の人が行きかっ

おいる。私は䌚堎の雰囲気に抌され、たた自分の報告ぞの䞍安に駆られおもいたので、䞊の

空でプログラムを眺めおいた。そのために開始時間を間違えおしたい、しかも慌おお䌚堎の

䞀぀に飛び蟌んだため、実際に行こうず思っおいたパネルずは違う郚屋に入っおしたうずい

う始末であった。少しだけ参加したパネルでも気もそぞろで、内容を理解するどころではな

かった。倜には、冬期シンポに来日しおいたゞェヌムス・メむダヌ氏ずスラブ研究センタヌ

の同僚長瞄宣博氏が組んだパネルの仲間ず食事をご䞀緒させおもらった。そのパネルには、

調査を終えお博論を準備しおいる院生この局がもっずも倧きな参加者母䜓の䞀぀なっおい

るが参加しおいたが、圌女もずいぶん緊匵した様子であった。圌女は䞭東孊䌚がホヌムグ

ラりンドなので、スラブ系の孊䌚は初めおであり、オヌディ゚ンスの反応が予想できない、

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ず䞍安がっおいたのである。私は、アメリカ人でもそう思うのかず、勇気づけられもしたが、

逆にさらに怖くもなった。

翌日の午埌の䞀番が私のパネルであった。午前䞭は寝䞍足でがんやりずしおいたが、午埌、

郚屋に入るたでの行皋はいたでも鮮明に思い出すこずができる。報告䌚堎は 20 人で満杯ずい

う皋床の小さな郚屋で、マむクも存圚しない。しばらく誰もいない郚屋で、顔も芋たこずが

ないパネリストが来るのを埅った。10 分ぐらい前になるず、パネリストず思しき人々がよう

やく党員集合した。非垞に簡単な挚拶を亀わしたあず、報告の順番だけを確認しお、あっさ

りずパネルが開始された。芳客垭の右手には、メヌルをくれたず思われる孊生が倧きなカメ

ラをセットしお座っおいた。芳客は 10 人皋床であろうか。

私は第䞀の報告者であった。20 分で収たるようコンパクトな読み原皿を甚意しお臚んだが、

いざ読み始めおみるず、緊匵からか、読むずいう簡単な行為もたずもにこなせず、所々でな

んども躓いた。こういった聞き取りにくい英語に察しお、芳衆は冷ややかである。少なくず

も私にはそう感じられた。読み終わった瞬間に二人ほど人が郚屋を出お行ったのを芋お、ひ

どく気萜ちした。次の報告者はベむルヌトから来た若い教授で、私は地名から䞭東系の方が

来るず思い蟌んでいたが、生粋のアメリカ人であった。圌の英語はもちろんネむディノで報

告自䜓も非垞に面癜かったが、報告時間をはるかに超えお話し続けた。そのためなのか、圌

の報告䞭・報告埌にはさらに数人が郚屋を出お行った。その間、逆に入っお来る人も䜕人か

いた。最埌の報告者は、ロシアでの調査を終えたばかりの院生で、非垞にたずたった報告であっ

たが、それでも芳客は入れ替わり続けた。驚いたこずに、コメンテヌタヌの先生が論じおい

る間にも、聎衆は移動を続けたのである。私の英語の皚拙さは䞀因であったかもしれないが、

それ以前に、そもそも聎衆は恐ろしいほど忍耐力がなく、移動するこずが垞態であるずいう

こずをパネルが終わる頃にようやく理解した。

コメンテヌタヌは、ハプスブルクの近䞖・近代史を専門にしおいる先生であった。圌女は、

必ずしも自分ず専門が近いわけではなく、さらに党員個人で応募したために盞互に連関を芋

出すのが非垞に難しい 3 本の論文を、䞁寧に読みこんできおいた。そしお、できる限りの議

論のオヌガナむズをしおくださったのである。私の堎合は、論文の内容自䜓は耒められたの

だが、はっきり蚀っお質問にはたずもに答えるこずができなかった。返答は無駄に長くなり、

叞䌚者に「こういうこずも聞かれおいるんじゃないかしら」ず助け船を出される始末で、

思い出すだけでも居心地の悪い気持ちになる。そのあず、フロアに議論が開かれたが、党䜓

に時間がかかっおいたために、質疑応答の時間はほずんどずれず、二぀皋床の簡単な質問が

出されただけで、私に向けられた質問はなかった。そこでも少々寂しい思いをするこずになっ

たが、そのたたパネルはあっけなく終わり、パネリストはたた非垞に簡単な挚拶をお互いに

亀わしお瞬時に解散ずなった。あずから分かったが、パネルは自䞻的に぀くられおいおも、

ネットで参加者を募ったり、知り合いの぀おを通じお探したりするため、お互い知り合いで

ないこずは珍しくなく、こうしたドラむさは普通に芋られる。すべおの流れが速く、すぐに

次のパネルが始たる。そんななか、ビデオ撮圱をしおいた孊生が私に話しかけお、報告に関

しお二䞉の質問をしおくれた。私はなんずなくほっずしたような気分になり、䞀生懞呜に答

えた。なにもかもが䞀瞬で過ぎ去ったように感じた。

自分のパネルが終わるずその日はすっかり疲れ果おおしたったが、翌日以降、ようやく状

況が芋えるようになっおきた。よく知っおいる研究者がプログラムで次々ず目に入り、心を

躍らせながら聞きに行く䜙裕ができた。論文や本を読んでいるだけの研究者が目の前で報告

をしおいるこずが非垞に嬉しく、ルむヌズ・マクレむノルズやスヌザン・スミスピヌタヌ

などには、報告埌に名刺を枡しお簡単な挚拶をしに行ったりもした。最初に日本に蚪れた時

からの知り合いであるミハむル・ドルビヌロフに再䌚し、圌の力の入った報告を二床も聞け

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たのも幞いであった。シベリアの博物通に぀いお印象的な報告をした若手の研究者にも声を

かけに行った。プログラムは次々ず進んでしたうので、じっくりず話す時間などない。しか

し䞀蚀でも、面癜かったですよ、ず蚀っおみたくなるものだ。シンポゞりムやワヌクショッ

プでスラブ研究センタヌを蚪れた倖囜人ずも䌚話を亀わし食事に出かけるこずもできた。同

じパネルの報告者だった院生にもホテル内でばったりず䌚い、自分がいかにうたく報告でき

なかったかをこがすず、圌女は自分が前幎にロシアで報告した時のこずを話し、「思い出した

くもないひどい有様」だったず笑っお慰めおくれた。3 日目にしお、ようやく AAASS の空

気が分かっおきたように思えた。

AAASS からは、培底した垂堎原理が感じられた。同じ時間垯に 200 人以䞊による 40 以䞊

のパネルが掻動しおいる。聎衆はこれらのなかからいく぀かを遞んで、パネルを枡り歩いお

いるのだ。なかにははじめから聎衆が非垞に少数のパネルもあるし、極端な堎合ではたった

く聎衆のいないパネルすらある。こういう極めお流動的な堎で、聎衆を集めおむンパクトを

䞎え、印象に残るパネルにするにはどうしたらよいのか。人目を匕くパネル・タむトルを぀

け、有名な先生をコメンテヌタヌで呌び、有胜な同僚を報告者に巻き蟌む。そしお 40 パネル

のなかから遞ばれ、䞀床入った聎衆が他に移らないようにし、質疑応答たで興味を持たせお

聞かせる。AAASSはそういったような䞀皮のゲヌムのようにも芋えた。このゲヌムの掚移は、

時間垯や裏番組などの状況にもかなり巊右されるため、必ずしもパネルの孊術的レベルを反

映しおいるずいうわけでもなく、圓たりの幎もあれば倖れの幎もあるずいった感じだ。私が

聎講したあるパネルでは、聎衆が私ずもう䞀人しかおらず、今幎は倖れだずいう様子でパネ

リストの士気がたったく枛退しおいた。そしお、パネル自䜓も 1 時間足らずで終わっおしたっ

たのである。

聎衆を集めるずいう意味では、自分でパネルをオヌガナむズするこずの利点は倧いにある。

たずたりのある報告を䞊べお流れのあるパネルを䜜るこずができるし、そうするこずで聞き

終わった時に䞀定の知芋が埗られるような締たりのある 2 時間を提䟛できる。AAASS のゲヌ

ムに参戊するずは、パネルを自分で組織するようになった時に本圓に蚀えるこずかもしれな

い。ただ、垞に同じようなメンバヌずパネルを組んで、同じような聎衆が聎きに行くこずになっ

おいるずいう批刀がよく聞かれるのも事実である。こうしたマンネリずいう欠点を考えるず、

個人応募にも倧いに利点がある。今たでは知らなかった近い分野の研究者ず知り合う契機を

埗られるからだ。私のパネルに参加したベむルヌトの研究者に個人応募で参加した理由を尋

ねるず、色々な人からの研究のフィヌドバックが欲しいが、同じ研究テヌマの人が非垞に少

ないので個人応募するようにしおいる、ずのこずであった。

AAASS は、膚倧な人数の参加者が巚倧な䌚堎の䞭を垞に動き回っおいるような堎なので、

参加するこず自䜓のハヌドルは実はそれほど高くはない。倱敗を泚芖しお芋守り非難するよ

うな根気のある聎衆はいないので、最悪でも䜕かマむナスになるこずはないのである。しかし、

プラスの効果を埗ようずするず、぀たり、䞀定の存圚感を芋せようずするず、これほど難し

い堎はない。英語力は思ったよりも高床なものが必芁ずされる。圌らが非英語圏の孊者を排

陀しおいるずいうわけではなく、単玔に分かりにくい報告は我慢匷く聞いおもらえないから

である。もちろん、報告の英語などは経隓次第で向䞊するものであるから、最初の数回はひ

どい恥をかく芚悟がいるずいうこずであろう。高床な研究内容ももちろん必芁であるが、こ

の点に関しお、日本の研究者が匕けをずるこずはほがないず思われる。むしろ、その芋せ方

であろう。あたり浮足立っおもいけないが、謙虚さはずくに矎埳ではない。ずりわけ、倖囜

から参戊しおいるような堎合、参加自䜓がむレギュラヌなので、存圚意矩を必芁以䞊に芋せ

なければいけないように思えた。初めお参加した私は、これらのどれも出来おいなかったず

思う。正盎に蚀っお、ただ途方に暮れおいた。おろおろしおいた私から芋お印象的だったのは、

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䌚堎でしばしば芋られた若手ロシア人研究者の迫力である。私がよく芋かけたロシア人はど

のパネルでも垞に質問をしおいた。色々なパネルで質問を出すこずは、聎衆でありながら自

分の存圚を瀺す䞀぀の歊噚でもあるからだ。その他にも、英語がそれほど流暢ではなくずも、

報告で熱を蟌めお滔々ず話し続けるロシア人も䜕床か芋かけ、圌らにもある皮の凄味を感じ

たのである。発信しなければれロであり、マむナスがないこずは最䜎限の仕事をしたずいう

より、存圚䟡倀がないずいう意味になる、そんな堎である。䌝える、分からせる、ずいう迫

力が䜕よりも必芁なものであるかもしれない、ず思えた。

最埌に、孊䌚の内容的なものに少しだけ觊れおおこう。私は専門が歎史なので、䌚堎では

歎史のパネルを枡り歩いおいた。聎衆ぞのアピヌルを最倧の県目ずするため、パネルには流

行が反映しやすい。そう芋るず、歎史では圧倒的に文化史が倚かった。もはや瀟䌚史ですらめっ

たに芋かけず、文化史に倧きく振れおいるのである。たた倧䌚のテヌマがゞェンダヌであっ

ただけに、圓然のこずながら、今回はゞェンダヌ論のパネルが非垞に倚かった。そしお、民族・

宗教・地域史が劇的に流行しおいる。党般的に蚀っお、オヌ゜ドックスな歎史の展開に぀い

おの議論や時代論などではなく、個別の面癜さが匷調されおいたように芋えた。あるパネルで、

䞭倮・地方関係ずいう芳点から地域史を研究しおいる人たちに察しお、コメンテヌタヌが䞭

倮・地方関係はもう結論が芋えおいるから論じる必芁はない、もっずその地域に焊点をあお、

地域文化史に特化した方が良い、ず述べおいた。これには率盎に蚀っお非垞に驚いた。

私の初めおの AAASS ぞの参加は、それほど成功であったずは思えないが、孊ぶずころの

倧きいものであった。参加には資金がかなり必芁になるので、恒垞的に参加するこずはなか

なか難しいが、い぀かリベンゞの機䌚が欲しいず思う。次は、それなりの心構えず、ある皮

の戊略を甚意するぐらいの䜙裕をもっお臚めるように思うのだ。

◆ 孊䌚カレンダヌ ◆

2009 幎 3 月 4 日 新孊術領域研究党䜓集䌚蚘事参照

3 月 5-6 日 スラブ研究センタヌ冬期囜際シンポゞりム蚘事参照

6 月 6-7 日 比范経枈䜓制孊䌚党囜倧䌚 斌囜孊院倧孊

7 月 9-10 日 新孊術領域研究囜際シンポゞりム・スラブ研究センタヌ倏期囜際シンポゞりム

10 月 24-25 日 日本ロシア文孊䌚定䟋総䌚 斌筑波倧孊

11 月 12-15 日 米囜スラブ研究促進孊䌚AAASS幎次倧䌚 斌ボストン

2010 幎 7 月 26-31 日 ICCEES囜際䞭欧・東欧研究協議䌚第回䞖界䌚議 斌ストックホルムパ

ネル公募締切りは 2009 幎 2 月 28 日

センタヌのホヌムペヌゞ裏衚玙参照にはこの他にも倚くの海倖情報が掲茉されおいたす。

倧須賀

◆ 逐次刊行物賌読誌・玙の芋盎し ◆

センタヌ図曞宀では、これたで、賌読する逐次刊行物タむトルの維持に努めおきたしたが、

財政的に困難ずなったため、芋盎しをおこない、2009 幎床より玄 100 タむトルを削枛するこ

ずずなりたした。

たた、ロシア・旧゜連諞囜の新聞に぀いおは、保存甚にマむクロフィルムを賌入しおきた

したが、これも継続困難ずなり、2007 幎分で終了ずなりたしたのでお知らせしたす。

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利甚者のみなさたにはご䞍䟿をかけたすが、ご了解願いたす次第です。兎内

◆ 耐震改修工事完成による移転に぀いお ◆

昚幎倏より始たったスラブ研究センタヌの耐震改修工事は、本幎 2 月䞭に竣工の予定でし

たが、若干の遅れが生じおいる様子です。その埌、図曞宀は、改修された建物の 1 階に移動

したす。そのため、3  5 月ごろ、䞀時䌑宀するこずが予想されたすので、あらかじめご承

知おき願いたす。兎内

2008 幎 11  12 月たでの 2 ヵ月間における、センタヌのホヌムペヌゞぞのアクセス数䜆し、

gif、jpg、png 等の画像圢匏ファむルを陀くの統蚈です。山䞋

党アクセス数日平均

うち、邊語衚玙アクセス数日平均

うち、英語衚玙アクセス数日平均

囜内からのアクセス数

%

囜倖からのアクセス数

%䞍明%

11 月382,073(12,736)

11,118(371)

2,080(69)

108,826(28.5%)

210,860(55.2%)

62,387(16.3%)

12 月384,348(12,398)

11,858(383)

2,220(72)

106,345(28%)

206,701(54%)

71,302(19%)

◆ スラブ・ナヌラシア叢曞第 4巻 ◆

『近代東北アゞアの誕生跚境史ぞの詊み』刊行

スラブ・ナヌラシア叢曞第 4 巻『近代東北アゞアの誕

生跚境史ぞの詊み』巊近幞村線著が 12 月に刊行さ

れたした。2007 幎 3 月にスラブ研究センタヌで開催さ

れた研究䌚「近代東北アゞアにおける囜際秩序ず地域的

特性の圢成」での報告がもずになっおいたす。

執筆陣は、ロシア極東史の泰斗、原暉之氏を陀き、い

ずれも 60・70 幎代生たれの䞭堅若手から構成されおい

たす。最幎少は線著者で 79 幎生たれ、ただ博士埌期課

皋です。目次からも明らかですが、珟圚、各分野の第䞀

線で掻躍しおいる気鋭の研究者が倚く含たれおいたす。

たた盞互参照を培底し、すべおの論文が、本曞所収の他

のいずれかの論文に蚀及しおいたす。このこずは圓然、

論文集䞀般のあり方に぀いおの問題提起でもありたす。

ロシア史を軞ずし぀぀も、領域的には倧きくそこから飛び出した本曞は、2008 幎の初頭に

講談瀟から刊行された『講座スラブ・ナヌラシア孊』線集代衚家田修の事実䞊の続線ずなっ

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No. 116 January 2009

おいたす。本曞を手にずっお、「ここに結集した野心的な歎史家たちの熱意」川北皔氏によ

る垯の掚薊文よりを盎に感じおいただければ幞いです。巊近

序論 巊近幞村 東北アゞアから芋える䞖界

第䞀郚 ロシアずアゞアのネットワヌク

第䞀章 原暉之 近代東北アゞア亀易ネットワヌクの成立環日本海圏を䞭心に

第二章 麓慎䞀 囜際的環境から芋た日露間の航路圢成

第䞉章 倩野尚暹 サハリン石炭ず東北アゞア海域史

第四章 巊近幞村 キャフタからりラゞオストクぞ囜境地垯における貿易構造の倉化ず関皎政策

第二郚 倉容する䞭囜の内ず倖

第五章 岡本隆叞 19 䞖玀䞭囜における自由貿易ず保護関皎「裁釐加皎」の圢成過皋

第六章 矢埌和圊 露亜銀行1910  26 幎芚曞

第䞃章 浅田進史 利益独占ず「門戞開攟」ドむツ山東鉄道事業をめぐる秩序圢成

第八章 荒歊達朗 1900  1920 幎山東半島の移民ず蟲村経枈

第䞉郚 東北アゞアからの露枅垝囜再考

第九章 杉山枅圊 倧枅垝囜のマンチュリア統治ず垝囜統合の構造

第十章 塚瀬進 䞭囜東北統治の倉容1860  1880 幎代の吉林を䞭心に

第十䞀章 束里公孝 プリアムヌル総督府の導入ずロシア極東の誕生

第十二章 オむドフ・バトバダル ロシア垝囜の蟺境統治ず領域拡匵東郚蟺境の囜境監督官制床

補論 桃朚至朗 海域史、地域研究ず近代東北アゞア

◆ 新しい研究報告集の発刊 ◆

12 月付けで『スラブ・ナヌラシア研究報告集』第 1 号

が発行されたした。これは 1979幎から 2004幎たで 95号・別冊 5 号にわたっお出版された『スラブ研究センタヌ研

究報告シリヌズ』の趣旚を受け継ぎ、スラブ研究センタヌ

を舞台ずした恒垞的な研究掻動のプロセスおよび成果を

反映するワヌキグ・ペヌパヌずしお、このたび新たなシ

リヌズずしお刊行されるものです。今号の内容は科孊研

究費研究「スラブ・ナヌラシアにおける東西文化の察話

ず察抗のパラダむム」の研究成果の䞀郚で、タむトルは

『共産圏の日垞䞖界』。内容は以䞋の通りです。 柚朚かおり ポストスタヌリン期における組織的な日垞嚯楜

の盛衰楜噚バララむカの事䟋から

塚厎今日子 ゜連時代のアネクドヌト「アルメニア・ラゞオ」

シリヌズ

越野剛 ゜連の孊校における少女の物語文化

Alexei Palkin Games of Russian Pre-school Children in Soviet and Post-Soviet Periods: Comparison

鈎朚正矎 1960 幎代のゞャズ・フェスティバルず聎衆

岩本和久 犁忌ずアトラクションキラ・ムラヌトノァの映画に芋る日垞的空間ずその異化

宮颚耕治 1980 幎代ロシア SF ファンダムの構造ず倉動

鳳英里子 壁面を圩るタシケントのパネル匏倚局階集合䜏宅の装食事䟋

䌊賀䞊菜穂 「旧」叀儀匏掟蟲村は゜連時代にどう語られたかブリダヌト共和囜・セメむスキヌに関

する 1960  70 幎代の蚘述の特城

䞭野培 英雄の読たれ方小説『鉄道遊撃隊』の受容

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No. 116 January 2009

応雄 映画『千䞇䞍芁忘蚘』くれぐれも忘れぬよう、1964ず「道埳的マゟヒズム」切断・連

接ずしおのむデオロギヌ

䞭根研䞀 䞭囜の怪獣〈野人〉ず〈氎怪〉珟代䞭囜を埘埊する劖怪むメヌゞ

◆ スラノ研究 ◆

『スラノ研究』第 56 号は、審査の結果、以䞋の原皿を掲茉するこずになりたした。2009 幎

春の刊行予定で䜜業を進めおいたす掲茉順は未定。

論文

北芋諭 「ロヌスキヌの盎芳䞻矩ずベルク゜ン哲孊」

櫻間瑛 「『受掗タタヌル』から『クリャシェン』ぞ珟代ロシアにおける民族埩興の䞀様態」

地田培朗 「戊埌スタヌリン期トルクメニスタンにおける運河建蚭蚈画ずアラル海問題」

䞭銬瑞貎 「ロシアの䞭倮・地方関係をめぐる政治過皋暩限分割条玄の包括的な分析を䟋に」

芋附陜介 「М.М. バフチンの察話理論における人栌ずモノの抂念С.Л. フランクずの比范の芳点から」

研究ノヌト

朝劻恵里子 「ロマン・ダコブ゜ンのコミュニケヌション論蚀語の転䜍ず䞻䜓の転換」

埌藀正憲 「実践ずしおの知の再構成チュノァシの䌝統宗教ず卜占」

封安党 「ロシアの朚材茞出の新展開察䞭囜貿易を䞭心に」

曞評特集

久保慶䞀・西山克兞・鳥山祐介・家田修・宇山智圊・束里公孝「『講座 スラブ・ナヌラシア孊』 批評ず応答」

今回も倚方面にわたる力䜜が揃いたした。有益な講評・アドノァむスを曞いおくださった

レフェリヌの皆様にお瀌申し䞊げたす。

次の第 57 号の原皿締め切りは、2009 幎 8 月末の予定です。センタヌのりェブサむトで投

皿芏皋・執筆芁領をよく読んでご投皿ください。宇山・長瞄

2008 幎 11  12 月

◆ センタヌ運営委員䌚 ◆

2008 幎第 2回 12 月 6 日

議題 1. 党囜共同利甚斜蚭から共同研究・共同利甚拠点ぞの移行に぀いお

2. 運営委員䌚の圚り方に぀いお

3. 2009  10 幎床共同研究員の委嘱に぀いお

4. 共同研究公募の審査

5. その他

◆ センタヌ協議員䌚 ◆

2008 幎床第 6 回 11 月 10 日

議題 1. 北海道倧孊スラブ研究センタヌ運営委員䌚に぀いお

2. その他

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No. 116 January 2009

◆ 人物埀来 ◆

ニュヌス 115 号以降のセンタヌ蚪問者客員、道倮圏を陀くは以䞋の通りです敬称略。

岩䞋倧須賀

11 月 6 日 本村眞柄石油倩然ガス・金属鉱物資源機構

11 月 10 日 パクPark, Hye Kyungハルリム倧孊、韓囜、キムKim, Taehwanコリア基金、韓囜、

シンShin, Beon-Shik韓囜スラブ孊䌚

12 月 4 日 ポポフAndrei Popovモルドノァ倖亀協䌚、六鹿茂倫静岡県立倧

12 月 5 日 ポトゥヌチェクMartin Potucekカレル倧、チェコ、ラトランドPeter Rutlandりェ

スリアン倧、米囜、サクワRichard Sakwaケント倧、英囜、䌊東孝之早皲田倧、

池本修䞀日本倧、䞊垣地西南孊院倧、小森田秋倫東京倧、仙石孊西南孊院倧孊、

平田歊東北倧、溝口修平東京倧・院

12 月 6 日 小束久男東京倧、月村倪郎同志瀟倧、沌野充矩東京倧、西山克兞静岡県立倧、

䞉谷惠子京郜倧

12 月 8 日 ラプキンYakov Rabkinモントリオヌル倧、カナダ、巜由暹子東京倧・院

12 月 20 日 井䞊貎子倧東文化倧、䞊垣地西南孊院倧、杉本良男囜立民族孊博物通、唐亮法政倧、

䞭村唯史山圢倧、村田雄二郎東京倧、䞉谷惠子京郜倧、山根聡倧阪倧

12 月 22 日 クズネツォフBoris Kuznetsovロシア囜立経枈倧

1 月 15 日 胡振華䞭倮民族倧、䞭囜

◆ 研究員消息 ◆

岩䞋明裕研究員は 10 月 11  22 日の間、科孊研究費研究に関する囜際䌚議出垭及び資料収集のため、

むンドに出匵。たた、12 月 1 日 12 月 5 日の間、囜際䌚議での研究成果の発衚及び研究打ち合わせのた

め、米囜に出匵。たた、12 月 11  14 日の間、囜際䌚議での研究成果発衚のため、䞭囜に出匵。

束里公孝研究員は 10 月 25  31 日の間、科孊研究費研究に関する囜際カンファレンス出垭のため、む

ランに出匵。たた、11 月 19  25 日の間、重点配分経費研究集䌚開催にかかる予備䌚議のため、米囜に出匵。

たた、1 月 17  27 日の間、新孊術領域研究に関する珟地調査のため、ロシア、グルゞアに出匵。

望月哲男研究員は 11 月 4  11 日の間、科孊研究費研究に関するシンポゞりム出垭のため、ロシアに

出匵。

家田修研究員は 11 月 7  27 日の間、科孊研究費研究に関するハンガリヌの環境資源の公共財的研究

に関する珟地調査のため、ハンガリヌに出匵。

野町玠己研究員は 11 月 18  30 日の間、海倖調査及び地域研究コン゜ヌシアム打合せのため、ポヌラ

ンドに出匵。たた、3 月 22  4 月 1 の間、孊䌚出垭のため、ロシア、英囜に出匵。

田畑䌞䞀郎研究員は 11 月 19  25 日の間、科孊研究費研究に関する孊䌚における研究成果の発衚のた

め、米囜に出匵。

長瞄宣博研究員は 11 月 19  27 日の間、科孊研究費研究に関する孊䌚における研究成果の発衚のため、

米囜に出匵。

荒井信雄研究員は、12 月 16  24 日の間、科孊研究費研究に関する資料収集のため、ロシアに出匵。

りルフ ディビッド研究員は、12 月 28  1 月 12 日の間、新孊術領域研究に関する資料収集、䌚議出

垭及び報告のため、䞭囜に出匵。たた、1 月 12 日 8 月 22 日の間、米囜に出匵。

宇山智圊研究員は、1 月 11  21 日の間、財団法人日本囜際フォヌラム「安党保障に関する知的亀流事業」

に関わる珟地調査・意芋亀換のため、アれルバむゞャン、グルゞア、アルメニア、ロシアに出匵。

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2009 幎 1 月 30 日発行

線集責任 倧須賀みか線集協力 田畑䌞䞀郎発行者 岩䞋明裕発行所 北海道倧孊スラブ研究センタヌ

060-0809 札幌垂北区北 9 条西 7 䞁目 Tel.011-706-3156、706-2388 Fax.011-706-4952 むンタヌネットホヌムペヌゞ http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/

No. 116 January 2009

ᅵ0

゚ッセむ

S. ノラディ 19 䞖玀の䞭囜における䞖界地理ぞの関心ず林則埐著 『俄矅斯囜蚘芁』 p. 9

半谷史郎 極私的 ・ ハヌバヌド倧孊図曞通案内 p. 12

束里公孝 台北ずテヘランの孊䌚に参加しお p. 15

青島陜子 AAASS 幎次倧䌚 フィラデルフィア に参加しお p. 21

もう、䌝統ずなったセンタヌ幎末パヌティ

2008.12.19.

改築䞭のため、 クラヌク䌚通の食

堂だった堎所でおこなわれたした。

予算が乏しいずいうこずでみなさん

が腕によりをかけ、 厚房の蚭備を

利甚しお、 チェコの家庭料理、 秋

田のきりたんぜ鍋、 特補たこやきな

ど様々な手料理が䞊び、 かえっお

豪華なテヌブルずなりたした。

右は 3 人嚘によるグルゞアのクリス

マス ・ ゜ング。 出し物は他にも、 玠

人技ずは思えないノァむオリンや

チェロの挔奏、 元気な新人による

日本ハムファむタヌズの応揎歌、 そ

しお修論に苊しむ孊生による、 共感

ず笑いをさそった替え歌など、 今幎

も非垞に倚圩なものでした。