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Meiji University Title Author(s) �,Citation �, 87(3-4): 199-222 URL http://hdl.handle.net/10291/20157 Rights Issue Date 2019-03-22 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Page 1: Meiji Repository: ホーム - 平和と人権 URL DOI...政経論叢第87巻第3•4号 と人権の重要性は高まっているが,ただ単にそれらが正しいというだけでは,正しいとされる他の理念と混じり合ってその概念があいまいになってしまう

Meiji University

 

Title 平和と人権

Author(s) 外池,力

Citation 政經論叢, 87(3-4): 199-222

URL http://hdl.handle.net/10291/20157

Rights

Issue Date 2019-03-22

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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平和と人権

外池 力

―《論文要旨》

平和と人権は,その達成が求められ続けてきた正しい目標であるが,ただ単にそ

れらが正しいというだけでは,概念自体だけでなく,乎和と人権との関連もあいま

いなままである。本来,平和と人権は補い合ってその内容を深化させ,それに至る

方法を発展させていくぺきだが,人権を理由とした戦争,平和を理由とした人権侵

害がありうることを念頭に置き,平和と人権の概念の対立を中心にしながら論じ,

人道的介入など人権のために戦争が起こることや,反体制派や人権活動家が「平和

の敵」として弾圧されることなどについて宥和政策をはじめ様々な例を挙げながら

考察する。この問題は,人権が平和的秩序の撹乱要因とみなされることにみられる

ように,功利と権利の対立にも関連づけられる。最後に平和あっての人権と人権あっ

ての平和の問題を考えることで,正義が報復に転化しないように,平和と人権のバ

ランスのためには非暴力や寛容が重要になることを確認していく。

キーワード:平和と人権,人権論,平和論,反ファシズム.寛容

はじめに

平和と人権は,私たちの感情からはもちろんのこと,理論としても信条と

しても,その達成が求められ続けてきた正しい目標であり,政治運動や社会

運動の源泉となっている。その一方で,核戦争を含めて大きな戦争が起こる

リスクも高いままであり,世界各地で戦争や紛争が頻発し,言論や集会の自

由など基本的人権の侵害も世界の多くの国で起きている (I)。このように平和

(479) 199

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

と人権の重要性は高まっているが,ただ単にそれらが正しいというだけでは,

正しいとされる他の理念と混じり合ってその概念があいまいになってしまう

だけでなく,平和と人権との関連も問われないままになってしまう。

本来.平和と人権は補い合ってその内容を深化させ.それに至る方法を発

展させていくぺきだが,平和と人権の関連についての考察はあまりなされて

いない。本論では,人権を理由とした戦争.平和を理由とした人権侵害があ

りうることを念頭に置き,平和と人権の関連,特に.その二つの概念の対立

を中心にしながら論じることにする呪

この論考をはじめるにあたり, 1983年に刊行された吉本隆明の『「反核」

異論」を取り上げる。この本は.戦後の反体制思想を代表する一人とされた

吉本隆明が,当時の反核平和運動に正面切って異を唱えたことで物議を醸し

た。この本が出版されたのは,社会主義圏での民主化運動として全世界から

熱い視線を向けられていた 1980年夏のポーランドの「連帯」運動と翌年末

のヤルゼルスキ将軍の軍事クーデターによる弾圧という一連の出来事と時を

同じくして,東ドイツの文学者から始まった反核平和運動が全世界的に広が

り, H本でも文学者の声明などにより運動が盛り上がり,大規模な集会が各

地で開かれた時期である。当時反核平和運動の参加者から多大な批判を受け

たこの本の書き出しは次のようなものである。

わたしたちの言語が,いま倫理的に振舞っているのは,現在の停滞の

いちばん露骨な形式に,身を置いたじぷんを肯定しているか,政治的な

言語を退化させて,倫理の言葉で代償しているかどちらかなのだ。たし

かにそこは政治に自信が無くなったソフト・スターリン主義の言語と,

現在の華やかな空虚の意味に耐えられなくなった文学の言語とが,折合

いをつけて陥込んでいる場所である。この場所はまた別の言葉でいうこ

とができる。もう半世紀もまえに出現した思想的な光景の記憶,スター

200 (480)

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平和と人権

リン主義がリベラリズムを味方に証し込んで, じぶんの双生児である社

会ファシズムを曲りなりにも打ち倒した懐かしい思い出の場所である。

そしていくらか悔恨をまじえて,古い懐かしい日々を回顧したい文学者

たちが現在寄り集っている地平なのだ。あたかも幼児期の原風景を覗き

込んだときのように,一瞬のうちに半世紀もまえの記樟にまで退化して

いってしまう。かれらはいったい五十年ものあいだ何を紡いで,作品に

積みあげてきたのだろう。わたしたちは禍禍しい影が冬眠から醒めて,

あっという間に文学の停滞を組織してしまうのを眼前にしている (3)0

ここにはいくつも論点が凝縮されている。まずこの時の束ドイツ発の反核

平和運動が,ボーランドの「連帯」運動とそれに対する弾圧という「大事件」

から国際世論の注目を逸らしたのではないか,という問題である。また平和

運動が,社会主義運動と歴史的に密接に結びついていたため,ソ連を平和勢

力とみなすことで,社会主義国の核兵器や軍事力には甘<. アメリカを一方

的に悪としていた傾向があることについての疑問である。ソ連が平和勢力で

あるという主張は,現在ではあまり真面目に顧みられないようだが,ソ連お

よび社会主義国が,戦中戦後一貫して反ファシズムの理念や運動の中心にあ

り,反帝国主義や反米というイデオロギーを打ち出していて,それが戦後し

ばらくの間,世界的に支持されていたという点は理解しておかなければなら

ない。

また当時,ソ連でも大規模な反核平和集会が行われたのであるが.それは

すぺて政府により公認されたもので,アメリカや NATOの核兵器や軍備に

ついては反対するが,自国の核兵器や軍備については一切鰊れずに,自国の

政策について批判したソ連の市民による独立した平和運動は壊滅させられ叫

サハロフ博士などソ連の人権活動家や反体制活動家は「平和の敵」として弾

圧されていた。

(481) 201

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

ここで理想とされた人民戦線についても.反ファシズムの旗の下に様々な

反戦平和運動を統一させるという大きな期待があったと思われるが,実際は

1930年代から,人民戦線内での主導権勢力争いだけでなく, このような

「善意の連合」の中心には.収容所や粛清に象徴されるスターリン体制があ

るという矛盾を抱える現実についての考察が棚上げされていた。

この吉本の異論の核心は,文学者たちが.反核平和運動という一見すると

異論の余地ない正義に甚づき.集団としての運動体となることで,異論を挟

む者を政治的に批判したことについてである (5)。それは戦前のプロレタリア

文学運動のあり方についてなされた「芸術の価値」論争や「政治と文学」論

争などにおける,文学にとって価値とはなにか.何をもって良い作品といえ

るのかという理論的な問題にも連なる (6)。また文学に限らず,政治運動や社

会運動の場合でも,反核や平和など正義の主張は,批判を封殺することで個

性や自由の抑圧につながるのではないかという問題がある。つまり,文学や

思想は.絶対的正義や常識的倫理を疑い,新たな価値の創造を模索するとい

うことが役割ではないかということもここでの論点である。

このような問題意識を前提に.第 1章では.平和と人権の矛盾について整

理し,第 2章では,平和と人権について,功利主義と権利との関係などを取

り上げながら論じる。第3章では.平和と人権の両者が相互に深まるような

方向性についての考察を行う。

第1章平和と人権の矛盾

ここでいう平和と人権の矛盾は表 lにおける①と③になる。まず①の人権

によって戦争が起こる(人権を理由に戦争を正当化)についてである。自国

民や自民族の人権や権利が国外で「不当」に侵害されている場合.戦争は安

易に正当化される。日本も歴史上様々な戦争の開戦事由として「居留民保護」

202 (482)

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平和と人権

表 1 平和と人権の関係

① 人権によって戦争が起こる

(人権を理由に戦争を正当化)

HR→ p (P→ HR) ご人権あっての平和

HR→P ② 人権侵害は,戦争につながる

HR→P

③ 平和によって人権侵害(独裁)が起こる

(平和を理由に独裁(人権侵害)を正当化)

P→面(韮 → P) [⇒ 平和あっての人権

P→ HR ④ 戦争こそ人権侵害

P→ HR

P: Peace P: War HR: Human Rights 面i:Violation of Human Rights

を主張してきたし,ナチスドイツはズデーデン地方のドイツ系住民の権利保

護のために軍事的併合を正当化した。このような例は枚挙に暇がない。また

他国民についても難民の発生など大規模な人権侵害が見られた場合に武力に

よる人道的介入が正当化される。ホロコーストを放置したトラウマに加え(7),

ポスニア,ルワンダなど大量虐殺に手をこまねいていた反省が,人道的介入

の正当性を強化した(BJ。しかし,一方で,人権というイデオロギーに基づい

た欧米による帝国主義的介入が,近年も数多くの戦争を惹き起こし膨大な犠

牲者を生み出しているという批判も根強い(9)。

ウォルツァーは,人道的介入を禁ずる論法は強力で,「帝国主義的政治へ

の反対と民族自決への賛同に端を発する」とし,基本的にはその国の人々に

任せるぺきだが,「住民の困難が内部から生じ,その非人道性がその地方に

広範に根ざしたものであ」(10) る場合はその論拠が正当化できないこともある

とする。しかし,その当否の見極めは困難である。

貧困や不平等,差別をふくむ社会秩序について,平和な状態とはしない構

造的平和論の考えに立てば,平和運動は民主化や経済社会の構造的改革にも

結びつく。さらに言えば革命とは,貧困や差別など,いわゆる社会問題や人

(483) 203

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

権問題の解決のためになされることから,革命のための戦争というのは,抑

圧体制を変革するという意味でも,人権擁護のための戦争の延長線上にあり,

まさに革命は平和のための闘争であるという考え方ともなる。

戦前から日本の反戦運動は基本的にコミンテルンなどソ連の政策に沿って

革命や社会主義を目指す方向性が内在化されていたのであり,それを反省し,

戦後は,幅広い統一戦線の形成,そして革命運動と市民運動の分離を求める

ことで,幅広い運動も目指された。久野収は「平和の論理と戦争の論理」

(「世界』 1949年 11月号)で,「平和の理論を革命の思想に従属させて考え

るのが只一つのまっとうな道だとする考え方がひろく知識人をとらえている

時期に,平和への要求から出発して一つの思想体系をつくる道もまた開かれ

ていることを示した。平和の理論と革命の理論の区分と両者の相対的自立性,

これをみとめた上でさらに平和の理論と革命の理論がいかにかかわるかを考

えることが,二十年前とおなじく,今日も問題であろう」(II)とした。

戦前から反戦運動が,ソ連や社会主義擁護の歴史を刻んできた論拠には,

なぜ戦争が起きるのか, どうやって戦争を防げるのか,ということについて

の真摯な考察と思想が前提とされていた。そこではアメリカや日本のような

帝国主義についての好戦性の構造的な本質が示されていて,日露戦争やシベ

リア出兵への反対運動,「対支非干渉同盟」,「国際反帝同盟」などの反戦運

動(12)' 反ファシズム人民戦線,そして戦後の単独講和から 8米安保反対運

動,ベトナム反戦運動と一貫している。また一方で,第二次世界大戦におい

て,多大な犠牲を払ってナチスドイツを打ち倒した,反ファシズムの象徴と

してのソ連が好戦的であるという証明には,朝鮮戦争,ハンガリー事件,チェ

コ事件を経て,さらには中ソ国境紛争や中越戦争など社会主義国同士の戦争,

さらにはアフガニスタン侵攻のような社会主義圏を越えた軍事介入などの事

実が必要であった。というのも,革命のための戦いとして位置づける限り,

人権を無視した戦争も安易に正当化されてしまうからである。

204 (484)

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平和と人権

平和と人権の対立で最も本質的と思われる側面は,国際的であれ国内的で

あれ,人間の社会について,様々な権利の主体のせめぎ合いであるというイ

メージで捉える場合であり,そこでは権利同士の衝突が対立や紛争,そして

戦争の原因となる。ゆえに権利は平和に反するものとなる。もちろん,この

議論は,権利と人権の違いを考慮していないし,そのような利己的な権利の

主体同士の共存を図ることこそ平和であるとして,現実的にも理論的にも,

それが追求され続けてきたということもできる。ただし,後で述ぺるように,

平和の集団的,功利的性質と,人権のもつ個人的,利己的性質は矛盾しうる

ことには注意しなければならない。

②の「人権侵害は,戦争につながる」ということであるが,第二次世界大

戦の反省のもと,ホロコーストなど大規模な人権侵害を黙認したことが戦争

の原因となったことについては,世界人権宣言などにより強調された。戦争

などに至る誤った政策を批判する国内世論があること,すなわち言論や集会

の自由などが戦争や戦争のエスカレーションを防ぐのであり,独裁国の為政

者は国民や国際世論を無視して戦争を起すのでないかとされる。対外関係や

国内の状況を理由に,多様性や議論の機会が狭めてられていく場合も,戦争

につながりやすいことはいうまでもない。

③の「平和によって人権侵害(独裁)が起こる」(平和を理由に独裁(人

権侵害)を正当化)については,独裁や恐怖による秩序維持を前提とした平

和が,安易に正当化されてしまうという問題である。「平和主義という理想

は,どんな平和でも平和ならいいのか,平和のかげにどのようなひどいこと

がなされていても平和ならいいのか?という難問をかかえている。平和を,

ただ戦争なしの状態と規定して,これを他のあらゆる価値の上におくならば,

この難問をかえりみることなくはじめから切り捨ててしまうことになる。

(中略)そのような平和主義は, もし文字どおり社会に適用されたなら,今

の社会における富の不均衡と権力の不均衡を正当化することになり,平和の

(485) 205

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

下で進行する飢えと搾取と差別とを見過ごすことになる」とされる (13)。

第二次世界大戦後,平和運動が社会主義と結びつき,さらに反ファシズム

が主要な理念となると,ファシズムを助長するとみなされる自由や人権は制

限され,さらには社会主義国では反ファシズムを前提とした新たな内容の自

由や人権が求められることになる。これは一見,自由や人権の深化ともみえ

るが,実際には,資本主義国での自由や人権を形式的でプルジョア的なもの

として批判する一方で,実質的な自由や人権を主張することは,普逼的人権

や自然権の主張を軽視することになった。つまり,反ファシズムという平和

は,本来は人権擁護のはずであるが,むしろ人権を制限することにもなる。

このような問題を敷術すると,それは平和的秩序と撹乱的自由の対立とも

いえる。世界中で多くの人権活動家や反体制派が,「平和の敵」として弾圧

されてきた。米ソ対立期のソ連だけでなく,現在の中国,朝鮮半島などにお

ける人権問題についても,国家間が緊張状態にあり,せっかく戦争を回避し

平和を維持するために努力しているのに,人権問題のような撹乱要因を考慮

するべきでないという議論は,独裁政権が人権活動家や反体制派を抑圧する

理由に使われるだけでなく,独裁政権に対抗するはずの民主的国家の指導者

にも,また平和を望む多くの人々にも安易に共有されてしまう。さらには,

国際政治や外交を論じる専門家からも人権が非現実的で非理論的であるとも

批判される。これは,人権一般になされる批判にみられる構図でもある (14)0

人権や人道的問題に対する介入を重視する外交は不安定をもたらし,戦争

を引き起こす可能性が高まるという論理は,他国の人権や人道的問題に対す

る見て見ぬふりという態度にもよくみられるものでもあるが,典型的にはナ

チスドイツに対する宥和政策がこれにあたる。ナチスドイツに対する宥和政

策は,平和と人権を天秤にかけて前者を重視したというよりは,ソ連に対抗

するためにドイツを味方としfこことやドイツとの文化的な親近感や反ユダヤ

主義に共通点を見出したことなど様々な理由がある (JS)。またナチスドイツ

206 (486)

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平和と人権

に対する宥和政策は,反‘ノ反共主義的性格や現実的な外交として「合理的和

解政策」としてみなされたこともある (16)0

反ファシズムの象徴である人民戦線派のフランスの知識人における平和と

人権の問題をめぐる論争は,たとえば以下のようなものである。「ドレフェ

ス事件の渦中から弧々の声をあげた人権同盟」は, 1937年 7月の時点で 13

万の会員を数えていたが,「組織内部にさまざまな左翼潮流を含みも」っこ

とで「意見の対立を生み」,それは特に「ファシズムに対する防衛と平和の

擁護という二律背反的な問題であった」(17)。スペイン内戦をめぐる「平和主

義者」と「介入派」は衝突し,前者は後者を好戦主義者と呼んで批判した。

すなわち「共産党がフランスをドイツとの戦争に投げ入れようとしていると

非難し,仏独和平の名においてスペイン共和派への軍事援助に反対」し,

「戦争よりは,たとえヒトラーであれ外国の占領のほうがましだ」としてド

イツに対する宥和を主張した(18)。一方で,「スペイン共和国のために軍事介

入しているソ連の国内問題を無視したかった」介入派が,ソ連で進行してい

たモスクワ裁判などの粛清については触れたがらなかったのに対し,「平和

主義者」である宥和派は,ソ連の人権侵害を批判することになる (19)0

ミュンヘン危機の真っ最中に「ドイツは戦争を必要としていないことをカ

説して仏独友好を説いた」「平和主義者」の代表は,ヒトラーには甘くスター

リンには厳しいということになり,「ナチ占領下で対独協力の道へ進む」こ

とになった (20)。宥和派はナチスの人権侵害を無視して平和を主張し,また

介入派はソ連の人権侵害について目をつぶり,ソ連と連帯しての戦争を主張

したことになる。社会主義の理念に結びついていた反ファシズムの主張は,

人民の敵を平和の敵と同一視することで,人権侵害を正当化することにもつ

ながる。

自らのスターリン主義体験を内省したエドガール・モランは,反ファシズ

ムの闘いの象徴であるスターリングラードについて次のように言う。

(487) 207

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政経論叢第 87 巷第 3•4 号

スターリングラードは.私にとっても,また私のような何千人のひと

びとにとっても,批判・疑惑・故意の沈黙を清算してしまった。スター

リングラードは,過去のすぺての罪過を,正当化しえないときに洗い落

としてしまった。残酷な処置・裁判・粛清は,スターリングラードのな

かにその目的性を見出した(21)0

平和も人権も犠牲をできる限り少なくするために必要なのだが,ここでは,

スターリン主義による膨大な犠牲は,社会主義的な反戦平和の歴史の進展の

なかで正当化されることとなる。さらに言えば,反ファシズムは,社会主義

的でなくても,第二次世界大戦での連合国に共通した理念でもあるので,原

爆などの非人逍的な兵器の使用も,平和的秩序を築くためとして正当化され

てしまうこともある。

④「戦争こそ人権侵害」であるということは,当然のこととされ詳しく論

じるまでもないようにみえるが(22)' 戦時においては実際は兵士の人権はも

ちろんのこと,戦時国際法,国内の有事法によって,人権の主張には多くの

制限がなされる。また非戦闘員への大規模な残虐行為も,様々な理由で正当

化され,黙認される。

戦争は,国際的状況に左右されるだけでなく,一国の努力だけでは防げな

いこともあるが,人権は,たとえ戦時であっても国内での政策に大きく関連

するため,あまり「戦争こそ人権侵害」ということだけを強調すると,平時

における地道な人権擁護活動が軽視されかねない。

第 2章平和と人権の対立

ここでは平和と人権の対立を,功利と権利の対立の図式を参考にして論じ

てみる。平和は人権に比ぺると適用範囲や影響範囲が広く,集団の構成貝の

208 (488)

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平和と人権

全員に関わることとみなされ,みんなのためにとって善いことの代表例とも

言えるのでまさに功利である。平和は,集団間でも集団内でも秩序が重視さ

れ,独裁体制であっても,民主体制であっても,その体制の平和的秩序と安

定が重視される。

一方で,人権は,権利の系列にあり,全体の善よりも個人的な正しさを重

視するあまり利己主義的であるとされ,独裁体制であっても,民主体制であっ

ても,撹乱要因とみなされる。人権はあくまで個人的な問題で,場合によっ

ては集団の秩序を乱したり,全体の利益や一般的な善に反してでも,個性を

尊重し,少数者や個人に適用される。つまり,人権は反独裁だけでなく反デ

モクラシーにもなりうるし,国家間の秩序も,国家内の秩序も乱す可能性が

ある。

平和=功利=秩序(=独裁/デモクラシー)=公共

人権=権利=撹乱(=反独裁/反デモクラシー)=自由

このように考えていくと平和と人権の関係は,公共と自由の関係,すなわ

ち公共を根拠として自由の制限がどこまで可能かという一般論につながる。

小田実は平和を考察するにあたり,戦争において特攻隊などで兵士が死ぬ

「散華」と空襲など民衆が死ぬ「難死」を対比させて,それぞれ「公状況」

と「私状況」とし,戦後「急速に社会のすみずみにまでひろがった」「私状

況」を, もう一度「公状況」に対し確立させる必要性を論じた。小田によれ

ば,民主主義にも「公状況」は当然あるのだが,「私状況」が優先するので

あり,「私状況」が「公状況」をつくり出していく度合いが大きく,「公状況」

を「私状況」に結びつけていくのであり,その反対ではないとする (23)。こ

こで小田のいう民主主義は,たとえ公的秩序に反してでも,私的なもの(個

人的利益や要求)が保障されるぺきということであるから本論での人権にあ

(489) 209

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

たるといえる。

ここで以前拙稿で用いたデモクラシーと人権について図を応用してみ

る@)。図 lについて簡単に説明すると,デモクラシーは「みんなの決定」

によるみんなにとって善いことを意味する(功利)が,「みんなの決定だか

ら」として少数者や個人の人権を侵害する可能性がある(ポピュリズム)。

それに反して,人権は,「みんなの決定であっても」護るぺき正しいことで

あるが,全体からみると,集団の安定や秩序を乱すことでエゴイズムであり

アナーキズムであるともみなされる。本来はデモクラシーと人権は相互補完

して内容と形式を深め合うぺきであるが,デモクラシーに対する批判と人権

に対する批判が重なり合い,独裁体制が正当化されてしまう。

権利論の絶対性に依拠すれば,「無寧の人間は決して意図的に攻撃されて

はならない」とされるが,「功利主義の恐ろしいまでの柔軟性に依拠して,

無翠であるという事実も,最大多数の最大善を追求する上で,他の価値と比

較考量すべきひとつの価値に過ぎない」とされる (25)0

このように人権に対する批判的な論点として,利己主義的で体制批判的で

あるというアナーキズム的要素があり,平和は国民全体で追い求めるという

点でポビュリズム的要素が含まれる。さらには,平和は国家という単位が重

210

Iみんなの決定であっても 1

(アナーキズム)

Iみんなの決定だから 1

(ポピュリズム)

図 l デモクラシーと人権の関係

(490)

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平和と人権

要とされ.人権は,反国家的あるとみなされる個人にも適用される。平和は.

国家(共同体)の秩序に関連するものであり.人権は.もともと国家権力に

対抗するものであり,国家(共同体)の秩序に反することもある。

図2は.本来は平和と人権が相互補完し合っていくぺきにもかかわらず,

人権活動家が「平和の敵」として弾圧されるように.人権が平和的秩序の撹

乱要因としてみなされ,平和と人権が対立することがあることを示してしヽる。

この図式を参考にして,平和と人権の考え方の差異や対立を整理しておく。

平和は人権に比ぺて,人々の感性に訴えやすく.日に出しやすいようにみ

える。これは連帯感が平和の方が優ることからくるのであり,これは多数

(全体)にかかわるのか,少数(個人)にかかわるのかという現実的な感覚

から来るものである。また平和は政権の成果や政策の成功と捉えられるのに

対し,人権は反体制的な事件や政策の失敗を示すことがある。ソルジェニー

ツィンは,ソ連での平和の努力への強調と人権抑圧の最たるものである農業

集団化についての無視を対比させて次のように記す。

第一次世界大戦の全期間を通じて,わが国は三百万人の生命を失った。

第二次世界大戦の全期間を通じては,二千万人を失った。(中略)彼ら

に捧げられた頌歌のなんと多いことか! 建立されたオベリスクや永遠

図2 平和と人権の関係

(491) 211

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平和

政経論叢第 87 巻第 3•4 号

表 1 平和と人権の差異

人権

多数や人類全体にも関わる(功利) 少数や個人に関わる(権利)

日に出しやすい?理論的には平易.大衆 口に出しにくい?理論的には抽象的,ェ

的 リート的

実際の政策は専門家,エリート任せ,具 実際の政策は「生活密着」,具体的な個

体的な個人から遠い 人の生活•生き方そのもの

関係者は権力者も 関係者は反体制派や悪人も

外交,国際関係,国際法,法的規範性が 司法,行政,国内法,国際法,法的規範

弱い 性が強い

産業密着.軍需.経済を左右,大砲or 法的・政治的であるが,長期的には社会

パター 経済構造に影響

の火のなんと多いことか! いや,その小説も叙事詩もなんと多いこと

か! 四半世紀にわたって,ソビエト文学全体がこれら戦死した人びと

の流した血潮だけで食っている有様だ。

しかしながら,わが国の一千五百万人の百姓たち,それも無差別にでパヲクポーン

はなく.選びぬかれた,ロシア民族の背骨を成す百姓たちを呑み込ん

だ,物音ひとったてぬ背信的な悪疫,あの〈悪疫〉のことを書いた書物

は一冊もないのだ。ラッパも私たちを呼び起しはしない。死に追いやら

れたこれらの人びとの馬車が通り過ぎた田舎道の十字路には.三つの小

石すら置いていない(26)。

平和は身近で大切なものとして論じられ,様々な宗教でも主導的理念とし

て位置づけられてきた。その意味でも理論的に平易とみられるのに対し,人

権は理論的には法的概念ということになり,専門的で抽象的とみられる。し

かし実際は.平和は主に国家間のことであり,軍事や外交に関わりその政策

過程は専門家やエリート任せとなり.政治過程を通してしか政策を変えられ

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平和と人権

ないのに対し,人権は法律家など専門家の助けは必要ではあるが,実際には

個々の人たちの生活や生き方に密着し,自分たちで闘い取るものでもある。

最後に,経済との関連だが,当然のことながら,平和の問題は軍需産業に

も影響することで一国の経済を左右する問題である一方で,人権も,労働者

の権利は言うまでもなく,言論の自由や男女機会均等などの平等は,長期的

にみて経済構造に影響する。資本主義と自由の関係という問題は,歴史学や

社会科学の主要なテーマであるし,歴史的にみても資本主義経済は多くの失

敗や機能不全を示してきたため,資本主義によっては叶えられなかったとさ

れる平和,そして人権についても改普への期待が社会主義に託された時代も

あった。

1946年 2月,国連の場で「何ものにも屈せず話すことの権利,それが国

際連合又は国際連合一加盟国に反することであろうと,自らが正しいと信じ

ることを発言する権利」を主張したエレノア・ルーズヴェルトに対し,ソ連

代表アンドレイ・ヴィシンスキーは,「我々は皆言論の自由を尊重している。

しかし我々が今次の大戦に勝ったのは,民主主義の保護のもとでなされるファ

シスト又は半ファシストの宣伝のために言論の自由をとって置くためではな

かった。そうだとすれば,それは新しい戦争を導くだけであろう」とし,

「ルーズヴェルト夫人の主張する無制限の自由というものは,どこの国にも

存在していないものである」とした⑰。

ここでは,「自由・人権→資本主義→ファシズム→戦争」と「平等→社会

主義→反ファシズム→平和」という戦後しばらくの間は強力に作用した図式

が対比されている。しかし,本来は,反ファシズムには,人権が不可欠であ

るし,まさに平和と人権の結びつきによってファシズムに対抗すぺきもので

ある。

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第 3章平和と人権の結びつき

平和と人権の結びつきとして,乎和であることが人権であるという考えに

ついて考えてみよう。二つの大戦の悲惨な経験から,戦争がない状態で生き

る権利を「人権化」しておくぺきだとされた。戦争での殺裁が,最も強烈で

広範囲な人権侵害であることは言うまでもない。実際は,戦争は事前の予想

や想定をはるかに上回って殺数や人権侵害を引き起こすのであり,人道的介

入についても同様である。そのためにも自由権としても,社会権としても,

平和的生存権のような人権による戦争への歯止めと,戦時もしくは有事に集

団的秩序が優先されないようにするため,基本的人権を最大限擁護すること

は不可欠である。ただし,平和的生存権や平和に生きる権利は,国内法はま

だしも,国際法ではその内容があいまいなままで,「平和に対する罪」に比

して定着していない(28)0

環境への権利など第三世代の人権として位置づけられた人権を含め,発展

への権利,民族自決権,文化的権利,そして平和への権利などは,個人の人

権というよりは,集団的権利としての性格を持ち,その主体があいまいで集

団が優先されるという側面がある。そこでは集団が危険に晒される時,個人

への配慮はぜいたくであるという功利性と,権利の主体についての抽象性が

問題となる。これらの集団的権利は,個人単位では解決できない問題を構造

的に解決するために必要なものであるが,主体が集団であるので,言論の自

由などの自由権と対立する危険性を持っている。

ここで問題となるのは集団的権利と個人的権利という対立構図についてで

あるが,これは人権のアボリアでもあり,普遍的人権と文化相対主義,自由

権と社会権の対立も同様である。特に文化や民族のような集団おける自己決

定権を重視することは,その内部の個人の自己決定権を軽視することにつな

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平和と人権

がりかねない。それゆえ平和を人権として考える場合には,国家や社会全体

としての構造的な仕組みだけでなく,個人としての自由権にできるだけ配慮

しておくことを忘れてはならない。平和運動のなかでも基地問題のような具

体的な政策に対する反対運動は,国家権力と対峙することから人権的な平和

運動といえるだろう。

次に,表 1でも示した平和あっての人権(平和⇒人権)と人権あっての平

和(人権⇒平和)の問題を考えることで,平和と人権のつながりについて確

認していく。まず,平和あっての人権(平和⇒人権)について述ぺる。何よ

りもまず,戦争は,それ自体が最大の人権侵害を引き起こすことは言うまで

もない。戦闘における民間人への残虐行為はもちろんのこと,戦争の過程で

収容所や難民など大規模な人権侵害が生じ(29)' その多くが正当化されたり

隠蔽されるたりすることを考えれば,平和あっての人権ということには,か

なりの根拠がある。ファシズムやスターリン主義の独裁の原因についても,

「戦争の時代」であったためであるという説明はよくなされる。戦後日本の

民主化や民主主義の定着が「平和の配当」と言われるように,平和の時代が

続いてこそ,デモクラシーや人権が根づくような社会が形成されていく。平

和により国際的及び国内的な緊張関係が緩むと,デモクラシーや人権の状況

がよくなるという事実もある。これだけみると,平和と人権の結びつきは当

然のごとくみえ,人権の必要条件として平和があり,そもそも戦争で死んだ

ら人権などないのではないか,と単純に考えることができそうだが.これま

で述べてきたように,平和は,秩序や倫理が強く結びつくことで異論を許さ

ないという構造となり,人権にとって危険な側面がある。

次に.人権⇒平和(人権あっての平和)について考えてみよう。「人類社

会のすぺての構成貝の固有の尊厳と乎等で譲ることのできない権利とを承認

することは.世界における自由,正義及び平和の基礎」であるとする世界人

権宣言にみられるように.第二次世界大戦以後の人権の国際的保障の枠組み

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の構築する努力は.ファシズムなど独裁体制の人権侵害を野放しにしておい

たことが.戦争につながったという反省と洞察に基づくものである。

ソ連0)反体制知識人のサハロフは, 1968年に記した地下文書(サミズダー

ト)「進歩•平和共存および知的自由」に「世界人権宜言」を添えたうえで,

「人間社会には知的自由一~情報の入手と普及の自由.先入観にとらわれぬ

大胆な討議,権威と偏見からの自由が必要である。この三つの思想の自由こデマゴーグ

そが.陰険な偽善者一大衆煽動家たちの手で容易に血まみれの独裁に変えマ ス

られる集団神話から民衆の伝染を防ぐ唯一の保障なのである。この三つの思

・想の自由こそが,政治,経済,文化への科学的で民主的なアプローチを実現

させうる唯一の保障である」(30) とした。ここでは,知的自由こそ戦争宣伝を

阻止することが強調されており,ソ連において「平和の敵」と非難されたサ

ハロフの言葉として重みがある。

1975年の全欧安全保障会議(当時は CSCEで現在は OSCE)におけるヘ

ルシンキ協定では,ソ連は大戦後の東西国境(勢力範囲)の画定,すなわち,

平和的国際秩序の維持を目論んだが,西側は,この協定に「人権条項」を滑

り込ませ,それがソ連・束欧の人権活動家の拠り所となり,まさに東側の政

権にとっての撹乱要因となったのであるが,地域的安全保障という平和の枠

組みに人権を入れ込んだのは画期的とされた(31)0

人権により戦争を防ぐという重要な論拠としては,言論・出版・集会など

自由が守られていれば,政策についての論争や批判がしっかりとなされ戦争

反対や政府批判という戦争の歯止めが強まるというものである。情報の自由

についても,人権が抑圧されている国からは,その内部において,政府への

反対意見や外国への寛容な意見を含め多様な考えが伝わってこないために緊

張が高まる。これは「相手を知らなければ,緊張」,「相手を知れば,安心」

という意味での平和論である。先に述ぺたヘルシンキ協定では,軍事演習に

相互に監視団を参加させるなどの信頼醸成措置が盛り込まれたほ)。もちろ

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平和と人権

んこれは,民主主義国同士はあまり戦争をしない,というデモクラティック・

ピース論の根拠にもつながる。

しかし一方で,民主主義とナショナリズムの相補性を考えると,戦争を支

持する言論が「自由に」高まっていくことは十分にありうる。自由な報道に

よっても敵意の煽動や戦争宣伝がなされるように,急激な民主化が,民族紛

争を引き起こす可能性があることはよく知られている。これは,民主化にお

いて,安定と秩序のため,人権を制限し・たり,人権を軽視したりする根拠に

つながる。さらには民主主義国では,ツイッターなどの SNSを含め,国民

や政治家の些細な行動や発言が増幅されて伝わり,相手国での偏った判断材

料となるかもしれないのに対し,独裁国だとトップは言うまでもなく一部エ

リートの動向だけ注視しておけばよいということにもなる。

最後に,平和と人権の両者のバランスについて論じる。言論の自由や野党

による反対の正当性が担保され反対勢力がそれ相当の力があってこそ.政策

の間違いの修正を図ることができるのであり,誤った政策下での個人を守る

ためにも.平和時であっても戦争時であっても,人権は大切である。しかし

独裁であっても犠牲が外から目立たなければ,平和でさえあればよいという

考えに陥りやすい。デモクラシーと人権についてのバランスについては転向

を論じた際にも考察したが(33)' あるぺき方向性を模索しつつ,平和と人権

の双方の価値に配慮しながら努力していくことが重要である。

図3に示したように,平和を無視して人権に偏ると.人道的介入なども戦

争目的となり,結果として想定外の大量の人権侵害を引き起こす可能性があ

り,他国の人権への介入については人権帝国主義として批判される。一方で,

内政不干渉の原則を貫くと,平和を保つことにより他国での悲惨な人権侵害

が軽視されるのに加え,緊張した国際関係のなかで国内の反体制派を「平和

の敵」として抑圧する状況が正当化される。また対外的な緊張だけでなく,

国家の統一や開発など国内的な課題の遂行のために,人権より秩序を優先さ

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せることになる。

デモクラシーと人権を論じた際に示した「差別(人間/非人間)+闘争

(味方/敵)=虐殺(人間でない敵)」という図式もまさに人権と平和の双方

が大切なことを説明することに役立つ(叫)。すなわち.いじめをも含む「虐

殺」が.敵とした人間を非人間とするメカニズムから正当化されるとすれば.

それを防ぐために必要なことは.人間を非人間化しないように人権を尊璽す

ることと.敵を生み出さないために平和を推し進めることである。これこそ,

まさに「人権+平和」の必要性である。

戦争をできる限り避ける理由は,戦争になれば人権侵害や人権制限が想定

されるだけでなく,その想定や予想をはるかに超えて人権侵害が引き起こさ

れる可能性が高いことである。戦争目的は常に当事者にとっては正義とされ.

自衛的であり.自らを被害者として報復感情に訴えるものであるのだが,で

きる限り報復感情を抑えるためにも寛容の思想が重要になる。なぜなら報復

感情は人間の非人間化と闘争の激化を促し.人権の軽視を生じさせることに

なるからである。さらにまた民主化後の新政権,さらには国際機関や国際

平和・秩序

218

平和>人権

内政不干渉

宥和政策

反体制派=「平和の敵」,「ファシスト」

人権>平和

人道的介入.革命のための戦争

人権帝国主義(正義の戦争)

人権・反体制

図3 平和と人権のパランス

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平和と人権

NGOが.旧独哉体制や民族紛争などでの犯罪行為の指導者や加担者の責任

を追及し,正義を求めることは.まさに人権の主張ではあるが,それは報復

的になりうることには注意を払わなければならない。それはまさに平和より

人権を璽視する「人道的介入」でも同様で.「人道的介入がおこなうことが

認められるのだとすれば,まずは犠牲者の救済が最優先されなければならな

い」のであり,懲罰という目的でなされてはいけないということである (35)。

正義のためのパルチザンが,復得に燃えるテロリストに転化しないように,

「紛争に関わりのない人びとの権利や人間性まですっかり見えなくなる」党

派心の助長を抑える必要がある(竺)。歴代のノーベル平和賞が政治的ともみ

なされるのは,平和や人権そのものだけでなく寛容や和解,すなわち政治的

妥協を重視するためでもある。

多様な個性の主張を認める人権を尊重する社会を形成していくためには,

寛容の思想が大切となる (37)。報復感情は都合よく編集された歴史に基づく

ことが多いので.何より戦争や独裁体制のリアルな残虐さを常に想起し.歴

史は生き残った者たちによって正当化された歴史ともなりうることを理解し

なければならない。報復感情を強める過去の美化や,平和や人権の一面的な

正義としての主張に対して注意を払い,多様性を包含するように共同体を変

え,対立をなくすことも菫要だが,そこまで至らずとも対立を暴力的なもの

から非暴力的なものに変えていくためにも寛容が必要となる。

(注〉

(1) Freedom Houseによる Freedomin the Worldの指標によれば, 2018年

版で,自由な国が45%,部分的自由な国が30%, 自由でない国が25%であり,

言いたいことを言うとつかまる可能性が高い国が全世界の 55%を占める。さ

らにここ 12年間連続してこの指標が悪化している国の数が,改善している国

の数を上回っていることが問題とされる。 https://freedomhouse.org/re

port/freedom-world/freedom-world-2018 (2018年11月6日アクセス)

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政経論叢第 87 巻第 3•4 号

(2) 本稿は,拙稿「人権批判の構造」「政経論叢」明治大学政治経済研究所.第

80 巻第 5•6 号, 2012年3月の第6章「平和と人権」 54-58ページの考察をさ

らに展開したものである。

(3) 吉本隆明「停滞論」(同『「反核」異論」深夜叢書社, 1983年所収). 9ペー

ジ。

(4) 吉本隆明「政治なんてものはない—埴谷雄高への返信」(同「重層的な非

決定へ」大和書房, 1985年所収), 20-21ページ。

(5) この問題にも関連して埴谷雄高との論争がなされた。注 2の論文に加え,吉

本隆明「重層的な非決定ヘ一ー埴谷雄高の「苦言」への批判」(同上所収), 48-

76ページ。

(6) 拙稿「社会主義リアリズムについての一考察 なぜリアリズムが社会主義に

好まれたのか?」 r政経論叢J 明治大学政治経済研究所.第 74 巻第 3•4 号.

2006年3月号, 46-47ページ。

(7) 細谷雄一「倫理的な戦争:トニー・プレアの栄光と挫折」慶應義塾大学出版

会,2009年, 117,319ページ。

(8) 同上, 39,80, 130ページ。最上敏樹「人道的介入:正義の武力行使はある

か」岩波書店, 2001年参照。

(9) 他国の人権侵害について葉書やメールなどで抗議するような「平和的」運動

をするアムネスティ・インターナショナルやヒューマンライツウォッチなどの

国際人権NGOも,自らの「帝国主義」的スタンスに無自党であるがゆえに危

険であると批判される。(ジャン・プリクモン(菊池昌実訳) r人道的帝国主義:

民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像』新評論, 2011年, 205-206,

214ページ)

(10) マイケル・ウォルツァー(駒村圭吾ほか訳)「戦争を論ずる:正義のモラル・

リアリティ」風行社,2008年, 108ページ。

(11) 鶴見俊輔「平和の思想」(同編「平和の思想」(戦後日本思想大系; 4)筑摩

書房, 1968年所収). 11ページ。

(12) 日本平和委員会編「平和運動20年運勁史」大月書店, 1969年, 4-20ページ。

(13) 前掲「平和の思想」 8ページ。

(14) 前掲「人権批判の構造」 44-52ベージ。

(15) ドフラーヌは,「対独協力の動機」として,熱狂,忍従,私欲の三点を挙げ

た。(ジャン・ドフラーヌ(大久保敏彦ほか訳)「対独協力の歴史」白水社,

1990年, 128-131ページ)

(16) 佐々木雄太「三0年代イギリス外交戦略:帝国防衛と宥和の論理」名古屋大

学出版会, 1987年, 4ページ。

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平和と人権

(17) 渡辺和行「フランス人とスペイン内戦:不千渉と宥和Jミネルヴァ書房,

2003年, 284-285ページ。

-(18) 同上, 287ページ。

(19) 同上, 289ページ。

(20) 同上, 290ページ。

(21) エドガール・モラン(宇波彰訳)『自己批評:スターリニズムと知識人」法

政大学出版局, 1976年, 53ページ。

(22) 2018年のノーベル平和箕は,世界中の紛争下での性暴力との闘いが評価さ

れコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師と,イラクの少数派ヤジディ教徒

の権利擁護を訴えてきた活動家のナディア・ムラド氏に授与された。

(23) 小田実「「難死」の思想―ー戦後民主主義・今日の状況と問題」(前掲「平和

の思想」所収), 56-57ページ。

(24) 拙稿「デモクラシーと人権」「政経論叢J明治大学政治経済研究所,第86巻

第 3•4 号, 2018年3月, 8ページ。

(25) 前掲「戦争を論ずる」 58ページ。

(26) A・ソルジェニーツィン(木村浩訳)「収容所群島: 1918-1956文学的考察J

6 新潮社(新潮文庫), 1978年, 105ページ。

(27) 中野重治編「時のうごき・ 1947」プレプス社, 1948年, 9-10ページ。

(28) 最上敏樹「いま平和とは:人権と人道をめぐる 9話」岩波書店, 2006年.

105-106ページ。

(29) 1933年から 1945年までの間にヨーロッパ中央部(ポーランド中央部からウ

クライナ,ベラルーシ.バルト諸国.ロシア西部)では.戦闘での兵士の死者

を除いても,ホロコーストによる 600万を含め, 1,400万の死者を数えるとい

う。それは主に餓死(強制収容所,捕虜収容所,包囲された都市,農業集団化

などによる),銃殺.ガス殺などである。(ティモシー・スナイダー(布施由紀

子訳)『プラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実」上.筑摩書房

2015年, 10-11ページ。)

(30) アンドレイ・サハロフ(上甲太郎ほか訳)『進歩•平和共存および知的自由」

みすず書房, 1969年, 25ページ。

(31) 拙稿「CSCEと人権」『明治大学社会科学研究所紀要」第33巻第 2号.明治

大学社会科学研究所, 1995年3月, 252-257ページ。

(32) 同上, 255ページ。

(33) 図3は,拙稿「転向論」「政経論叢」明治大学政治経済研究所.第82巻第5.

6号,2014年3月, 187ページの図を若干修正した。

(34) 前掲「デモクラシーと人権」 18ページ。

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(35) 前掲『いま平和とは」 124ページ。人権 NGOの目的は.「奪われた人問性

を回復すること=脱犠牲者化そのものをめざす」ことであるとされる。(同上

140-141ページ)ここではさらに「脱犠牲者化」が自己目的化されて政治利用

されないためにも人権NGOには「救急車」的発想が必要であるということも

付け加えておく。

(36) シセラ・ポク(大沢正道訳)「戦争と平和:カント.クラウゼヴィツと現代」

法政大学出版局, 1990年, 3,31ページ。

(37) 拙稿「寛容論」「政経論叢J 明治大学政治経済研究所.第 81 巻第 5•6 号.2013年 3月, 139-140ページ。

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