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Title 地中海を渡るアフリカ難民の検討 ―アフリカの角の事例から―

Author(s) 眞城, 百華

Citation 多文化社会研究, 3, pp.35-49; 2017

Issue Date 2017-03-10

URL http://hdl.handle.net/10069/37259

Right

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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地中海を渡るアフリカ難民の検討―アフリカの角の事例から―

上智大学総合グローバル学部 眞城 百華

1.問題の所在:地中海難民の現状

2015年以降のシリア難民の大量流出は地中海難民に対する国際的関心を喚起した。シリアからトルコに流出したシリア難民の多くは、陸路以外にトルコ沿岸部から地中海を渡りその多くがギリシャを目指した。他方、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)の地中海難民に関する報告によると、ギリシャ以外に、イタリアやスペインなどの地中海沿岸部のヨーロッパの国々がシリア以外を出自とする難民を多数受け入れていることが明らかである1。シリア難民に係る問題は、ヨーロッパ諸国の難民受け入れ体制に多大な影響を与えたが、時期を同じくしてアフリカからも大量の難民がヨーロッパに押し寄せている。

本稿では、地中海を渡るアフリカ難民の現状と難民の送り出し国の政情、また難民の受け入れを巡る国連、UNHCR やヨーロッパ諸国の対応について論じる。アフリカ難民については、特に北東アフリカのソマリアならびにエリトリア出身の難民を中心に議論する。2015年から地中海におけるシリア難民の死亡事故など人命にかかわる深刻な事

例が多発しており、国際社会も迅速な対応を余儀なくされた。シリア難民に国際的関心が集中しているが、他方で同じ地中海のイタリア・リビア間の海域で2013年に難民に関する重大な事件が生じた。2013年10月3日、北アフリカのリビアから、アフリカ出身の多数の庇護申請者を乗せた船が地中海を航海中に、ランペドゥーサ島付近で船中において火災事故を発生し、その結果368名が命を落とす事件が発生した2。のちにランペドゥーサ島事件と称される本事件は地中海難民に関する1回の事故の被害として最大の死者数が生んだために注目を集め、国際的に地中海難民問題に関心を集める契機となった。ランペドゥーサ島事件における死者368名のうち、360名は北東アフリカのエリトリア出身者であった3。同事件における生存者は115名であり、出航時に約480名が乗船していた同事件の船には複数の国籍の庇護申請者が含まれていた。主な乗船者の国籍はエリトリア、チュニジア、ソマリア、ガーナである。ここで注目すべきは地中海に面する北アフリカからの庇護申請者はチュニジアのみで、それ以外は出航地のリビアからはるか

地中海を渡るアフリカ難民の検討

―アフリカの角の事例から―

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に離れた西アフリカや北東アフリカからの庇護申請者が多数を占めた点にある。地中海を渡る難民の多くは、地中海沿岸諸国からではなくアフリカの内陸部か

ら陸路で地中海沿岸部に到達し、その後、ブローカーの斡旋により渡航費を支払い装備の不十分なボートや船に乗り込み、地中海を越えてヨーロッパを目指す人々である。2015年に地中海を渡った難民の出身国別に統計によるとシリア難民が圧倒的に多く半数を占めており、続いてアフガニスタン、イラクと中東出身者が上位3位を占める。次いで4番目に多いのが北東アフリカのエリトリアとなる。7番目にはナイジェリア、8番目にソマリア、9番目にモロッコ、スーダンとアフリカ内陸部の出身者が難民に占める割合の高さが顕著である。(図1参照)

地中海難民の渡航ルートは、大きく二つあり、一つがトルコからギリシャに入国するルート、もう一つが北アフリカのリビアやチュニジアからイタリアに入国するルートにあたる。2016年の10月中旬までに二番目のルートでイタリアに入国した庇護申請者の国籍をみるとナイジェリア、エリトリア、ギニア、コートジボワールと続き9番目にソマリアが入る。ソマリアと同率9位のバングラディシュ以外は、上位10位以内はすべてサハラ以南アフリカ諸国出身者となる(図2参照)。2016年1月から12月18日までのイタリアに到達した地中海難民の総数は、179,475人となり、2015年の同地域の年間受け入れ難民数153,842人よりもすでに2万人以上も難民数は増加している。リビアやチュニジアからイタリアに入国する地中海ルートは複数存在する。地中海を渡りヨーロッパに到達するために西アフリカや北東アフリカから陸路でリビアに移動する難民の陸上移動ルートも UNHCRなどにより把握されている。この陸上ルートの移動も庇護申請者にとって決して安全ではなく、ブローカーによる搾取や移動中の死亡例も複数報告されている。

図14 地中海難民の出身国ギリシャ・イタリア・スペインに入国した難民の出身国別割合(2015)

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地中海沿岸まで到達した難民は、ブローカーの斡旋により十分な装備もない船に定員超過の状態で押し込まれる事例が多々報告されている。地中海難民の死亡事故や、燃料切れで漂流し保護される難民船、密航ブローカーの摘発に関する報道はあとを絶たない。また生命の危険を冒しても EU 渡航を目指す人々に対し、庇護申請者か経済移民かを問う声は難民の増加に伴い強くなる一方である。他方で、地中海難民となった人々がいかなる理由で国を離れたのかについて十分理解されているとはいいがたい。次節ではソマリアとエリトリアにおける難民の流出原因について検討する。

2 アフリカの角地域における難民を取り巻く環境

アフリカの角と称される北東アフリカ地域は長年にわたり難民の送り出し地域となっている。1990年以後の民主化の波によりアフリカ諸地域の政情が安定化に向かう一方、北東アフリカのソマリアとエリトリアからは長期にわたり難民流出が継続している。本節では特に同地域のソマリアならびにエリトリアの事例からアフリカ難民の状況と流出原因について検討する。

UNHCR が、1980年から2014年までの難民流出国の世界ランキング上位の国を公表しているが、ソマリアとエリトリアは25年間以上継続して難民流出国の上位に入っている6。エリトリアについては1991年の内戦終結と暫定政権樹立以降の難民流出の統計が掲出されているが、1991年から2014年まで世界の難民送り出し国の上位20位圏内に連続して入っている。ソマリアも同じ状況であり、前政権末期の1988年から、1991年の政権崩壊と内戦の激化により難民流出は世界の上位20位圏内に2014年まで27年間にわたり継続してランクされている。統計からも両国

図25 イタリアから入国した地中海難民の出身国別割合(2016年12月18日現在)

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が難民送り出し国として世界でも突出して多数の難民を送り出している国である点が浮き彫りになる。

ソマリアは1991年のクーデターによるシアド・バーレ政権の崩壊後、中央政府が崩壊し、さらにソマリア全域を巻き込む内戦が発生した。国民を保護するべき国家がその機能を喪失したために、行政機能は麻痺し、治安は悪化した。その結果、内戦激化に伴い多数の難民がソマリアから流出した。2015年末の時点でUNHCR が関与するソマリア難民の総数は約119万人であり、シリア、アフガニスタンについでソマリアは世界で3番目に多くの難民を生み出している国家である7。2015年の時点でソマリア人が難民として滞在する国は世界中に広がっており、受け入れ国の上位国は、ケニア、エチオピア、イエメン、南アフリカ、ウガンダ、スウェーデン、オランダ、イタリア、ノルウェー、英国、ドイツである。これらの国家の1991年の内戦発生から現在までのソマリア難民の受け入れ人数の総計は約106万9500人となる8。アフリカ以外では EU 諸国がソマリア難民の受け入れ国の中で顕著である。第三国定住以外に、ソマリア難民が地中海を越えてイタリアに入国し、その後ドイツ、北欧などに移動し各国で難民申請を行うケースも多い。

次にエリトリアについて取り上げる。エリトリアは1961年から始まった30年に及ぶ独立闘争の末に1993年にエチオピアから悲願の独立を達成し、アフリカ53番目の独立国となった。独立後の政権は解放闘争を戦ったエリトリア人民解放戦線(Eritrean People’s Liberation Front, EPLF)が名称を民主主義と正義の人民戦線(People’s Front of Democracy and Justice, PFDJ)に変更して政権運営を担っている。長い内戦を越えて独立を果たしたものの、エリトリアは2016年の現在まで国政選挙を実施しておらず、実質的に PFDJ 一党体制が25年以上にわたり継続している。1998年には隣国エチオピアと国境紛争が生じ、双方の国家において多くの犠牲者を出した。国境紛争は2000年に停戦合意に至ったものの両国の国交は断絶されたままであり、政治的緊張は今も続いている。先に UNHCR の難民流出国の上位国を検討したが、エリトリアからは独立した1993年から現在(2016年)に至るまで多数の難民が流出しつづけている。長期の内戦を終えて独立を果たし、1998年から2年間続いたエチオピアとの国境紛争が停戦した後も、難民流出が継続している原因を検討する。

UNHCR が把握している範囲でも、2015年の1年間だけで35,500人のエリトリア人が難民として国外に流出している。統計に入らない数も含めるとさらにこの数は増加すると考えられる。エリトリアは人口約479万人9の小国であるにもかかわらず、世界中で UNHCR が関与するエリトリア難民の総数は、2015年は411,300

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人でありエリトリアの総人口の約1割にあたる。また2014年の363,200人から1年間で難民流出は約5万人も増加している10。2015年のエリトリアの難民総数は世界の難民の出身国別統計の第9位に位置付けられる。

エリトリアからの難民の流出原因については、UNHCR や国際人権団体により指摘されてきた。ソマリアのように内戦に起因する難民とは異なり、エリトリア難民の主たる流出原因はエリトリア内政にある。1党制の政治体制下で、主に政府による人権侵害が指摘されている。エリトリアにおいて特に問題視されているのが、ナショナル・サービスの実施である。1995年に発布されたナショナル・サービス布告によりエリトリアでは18歳以上の男女ともに18か月の軍事訓練を受けることが義務付けられている。しかし、法令では18カ月と規定されているナショナル・サービスへの参加は、政府により無期限に延長されている11。エリトリアでは高校3年生にあたる高校最後の1年間、家族と離れ軍事訓練キャンプに参加する12。1年間、訓練キャンプで共同生活を送り軍事訓練を受けた後で、全員が高校最終年の共通テストを受験する。この試験の結果により、成績上位の約10%は大学進学が許可されるが、それ以外の90%の若者たちは政府により公務員や軍隊に再配置される。ナショナル・サービスの義務を免除されるためには、病気や負傷、女性は婚姻、男性は父親が亡くなり世帯主となるなど限られた条件しか与えられていない。大学進学した約10%も、卒業後は同じくナショナル・サービス制度の下で主に公務員として各省庁に配置される。ナショナル・サービス従事者に対しては一定の給与が政府から支払われるが、給与が低水準に抑えられているために、家族の養育や生計維持には十分ではなく、エリトリア人の生活は非常に厳しい。食糧や燃料などは配給制であるが遅配も頻発し、その量や質についても不満の声がでている。

ナショナル・サービスが問題視される理由は、強制を伴う点に加えて職業選択の自由が剥奪されている点にある。1999年に設立されたナショナル・サービス制度はエリトリア政府にとって兵士の確保だけでなく国家運営における中核的政策となっている。1998-2000年のエチオピアとの国境紛争後、ナショナル・サービスの従事期間は18カ月を超えて実質的に無期限となり、エリトリア人の生活全般を支配している。

その他、エリトリアには政治活動の禁止、結社の禁止、報道の自由がないことも指摘されている。外に開かれた報道機関がなく、内政の実態把握を困難にしてきたが、その下でジャーナリスト、政治活動や学生運動の弾圧も続いている。

エリトリア内政における特殊な政策は移動規制にも顕著であり、難民流出と通底する問題である。エリトリアでは長らく一定の年齢に達するまで国外出国の許

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可がおりず、パスポートの発給がなされない状況が続いてきた。ナショナル・サービスに従事する人々は職務を離れることができないだけでなく、近親者を訪ねるために外国に出ることも許されない。一部出国が許可されるのは、50代、60代の男性や既婚女性であるが、毎回必ず移民局に申請が必要であり、理由なく国外出国許可が取り消される場合も多々ある。大学生も諸外国が提供する留学プログラムに申請し、外国の大学に留学許可と奨学金を得たとしても出国許可が出ないために教育の機会が喪失されるケースもある。

エリトリアは上記のような政治問題、人権侵害に起因して多数の難民を生み出し続けている。1991年の暫定政府成立以後の難民統計をこれまで分析対象としてきたが、エリトリアには独立前から多数の難民を送り出してきた過去がある。先にも触れたようにエリトリアは1961年から30年に及ぶ独立闘争をエチオピアと戦ってきた。60年代から80年代にかけて戦火とエチオピア政府の弾圧を逃れて多くのエリトリア人が国外に逃れた。在外エリトリア人の実態は、1993年にエリトリア独立を巡る住民投票実施の際に明らかになった。エリトリアの独立をめぐる住民投票は、エリトリアのみならず長い内戦で世界中に難民として流出したエリトリア人も対象に国連の支援も受けて実施された。エチオピアやスーダンなどアフリカ諸国のみならず、ヨーロッパ、北米、オーストラリア、オセアニア、中東、インド、世界中にエリトリア難民が居住しており、その総数は約100万人と推計される。エリトリアの人口は、約479万人であるがその5分の1以上に相当するエリトリア人が国外に居住する。特殊な人口構成が30年に及ぶ内戦により形成された。エリトリアは、独立後、硬直した政治体制の下で、経済統制を実施して自由な経済活動を許容していないため、国内の経済成長は独立以来低迷している13。現政権が独立後25年間以上にわたり経済的に存続しえた要因として在外エリトリア人の存在が指摘できる。現政権は在外エリトリア人に対し、収入の2%をエリトリアに収めること義務付けており14、ディアスポラ税(diaspora tax)と称される在外エリトリア人への課税により外貨収入を確保している。また在外エリトリア人による家族や親族に対する送金は、人口の大多数がナショナル・サービスに従事し収入が低く抑えられているエリトリア人の生活にとって命綱となっている。多くの世帯が家族や親類縁者の中に在外居住者がおり、海外送金によりかろうじて生計を維持している状況にある。

職業選択の自由、経済活動の自由、政治参加の自由が欠如していることに加え、政府による監視、司法の欠如、理由なき逮捕・監禁などが多くのエリトリア人に国外脱出の道を選択させている。しかしながら、国外移動の自由が許可されない現体制下では国外に移動するためには、主に陸路で「違法」に出国するしか術は

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ない。スーダンやエチオピアの国境沿いでは軍による厳しい監視が実施されており、もし国外脱出を試みたことが発覚し身柄が拘束されれば司法手続きを経ずに長期間拘束される危険性がある。また国外流出の事実が政府に把握されると、国内に残された家族には罰金が科せられる。罰金の支払いができない場合、家族の代表が投獄される。

エリトリア難民は、出国過程、また第一次流出先であるスーダンやエジプトに入国した後も、リビアやイスラエルに移動する経路で人身売買組織により誘拐される事例が相次いでいる15。誘拐後に彼/彼女らは拷問や性的虐待を受ける場合もある16。人身売買組織により親族に身代金が要求される事例もあるが、最も深刻な事例は誘拐されたエリトリア難民の臓器が摘出され、臓器売買ネットワークを通じて人身売買組織に利益をもたらす事例である17。難民申請前の流出過程においても生命が危険にさらされるエリトリア難民にかかる深刻な問題は看過できない。

上記のエリトリアにおける深刻な人権侵害を鑑みて、国際人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)やアムネスティ(Am-nesty International)などは長年にわたってエリトリアの人権侵害について報告し、警鐘を鳴らしてきた。しかしながら国連をはじめとする国際社会の、エリトリアの人権問題に対する取り組みは遅れた。国連諸機関ならびに国際社会の地中海難民に対する取り組みについて次節で検討する。

3 地中海難民に対する国際社会の対応

アフリカの角を出自とする難民の中ではソマリア難民が世界的にも認知度が高い。本稿では地中海難民を主に論じるが、ソマリア難民やエリトリア難民は、地中海や EU に向かうだけでなく、アフリカ、中東、また第三国定住で北米やオセアニアにも多数居住する。紛争や人権侵害から逃れるための難民であれば第一次庇護国である隣国などに留まるべきであるという論は特に欧米の難民受け入れ国で強く主張されてきた。第一次庇護国においても政府や UNHCR が流出する難民に対応するために難民キャンプの設営などの支援を実施して難民の保護体制を構築している。しかしながら難民の置かれる地位は受入国により異なり、時として非常に厳しい制約を受ける場合もある。例えばソマリア難民を長年にわたり受け入れてきたケニアのダダーブ難民キャンプは、世界最大の難民キャンプと称され約30万人のソマリア難民を収容しているが、同キャンプでは難民の移動をキャンプ内に制限し、ケニア社会との接触を阻害する政策を採用している18。また、

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ソマリアのアルカイーダ系反政府組織アッシャバーブによるケニア北部におけるテロ事件が頻発し治安問題が悪化したこと、2012年以降ソマリア暫定政府による新政府樹立にむけた政治プロセスの進展を理由に、ケニア政府は2016年5月にダダーブを含む複数の難民キャンプの閉鎖を発表した。閉鎖が発表されたケニアの難民キャンプのソマリア難民の総数は約60万人と推計されている19。ケニア政府の対応は、難民キャンプにおける滞在が難民にとって決して安定した選択肢となりえないことを示している。ソマリアの国家再建に向けたプロセスは2012年から前進しているものの、治安の悪化要因は残る。内戦や治安悪化などの問題が未解決の場合、難民キャンプに長期滞在することを望まない人々が選択肢として、命の危険を冒して地中海を渡り EU を目指しており、この流れは20年以上にわたり継続している。

3.1 EUの対応2015年以降は、シリア難民の大量流入の影響もあり、地中海難民に対する政策

は保護の側面も報じられた。しかしながら、EU を目指す地中海難民は長く規制や取り締まりの対象であり、現在もアフリカ出身の地中海難民に対して EU は強硬な態度を崩していない。EU が地中海難民に対する規制を検討する理由は、彼/彼女らは難民として庇護申請する十分な理由を持たず、経済的動機に基づきEU 入国を目指すと捉えているためと考えられる。大量の難民や庇護申請者の流入は、EU 各国において重い財政負担や国内における排外主義といった問題を引き起こしている。難民条約に批准する国であってもその運用は各国の裁量に委ねられている。

EU は、EU/アフリカサミットにおいても移民・難民問題を議論の遡上にのせてきた20。また、EU は、地中海沿岸部において主にアフリカからの庇護申請者の EU 入国を阻止するための措置もとってきた。EU により創設された欧州域外国境管理協力機構は、アフリカからの地中海難民に対する海上国境警備において主導的役割を担っており、2013年からは新たに欧州境界監視システムも導入された21。

アラブの春の余波をうけたリビアの政変を前後して、2011年、ならびに2013年に EU はリビア政府と同国を拠点に地中海を渡る難民を水際で防ぐために難民取り締まりの相互協力に関する協定を締結した。しかしながらリビア政変の影響も受けて、同協定は十分な難民流出の障壁として機能しえず、先述した通り2011年以後、リビアを拠点として渡航する地中海難民の数は急激に増加し、EU はシリア難民のみならずアフリカからの地中海難民に本格的に取り組むことが喫緊の課

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題となった。EU は2015年に欧州委員会の首脳会議においてアフリカからの非合法移民・難

民の根本原因に対応するために、18億ユーロもの「欧州連合緊急信託基金」の設立を決定した22。同基金の下で、アフリカの主な移民・難民の送り出し地域がサヘル地域とチャド湖周辺、アフリカの角、北アフリカの3地域に区分された。2016年末には、EU は、同基金の財源を基に国際移住機関(IOM)と連携し、「中央地中海経由で移動する移民・難民の保護及び送還者再統合に関する EU アフリカ信託基金・IOM イニシアチブ」に1億ユーロの拠出を決定した23。当面、サヘル地域とチャド湖周辺地域及びリビアを含む周辺国が対象とされるが、今後同プログラムの対象にアフリカの角地域が追加される可能性はある。

欧州委員会による新たな決定を受けて、EU はエリトリアに対して2016年から移民・難民問題に対応する資金として5年間で21600万ドルの支援拠出を決定した。同基金の下で、エリトリアでは難民の流出原因に対処するために、雇用機会の創出と技術訓練のために160万ユーロが拠出される計画が EU とエリトリア政府の間で締結された24。

一連の EU の新たな難民に対する諸プログラムからは、十分な資金と、資金を基にアフリカ諸国政府と共同して難民流出に正面から取組む姿勢がみえる。紛争、低開発、貧困などの問題は資金供出と諸プログラムの実施によりヒトの移動を減少させる一定程度の効果が見込めると予想される。他方で、EU が UNHCR や国連により人権問題が指摘されるエリトリア政府と難民流出阻止を狙い協働することについては多大な懸念がある。EU はエリトリア政府に巨額支援を実施することに対し、EU 加盟国だけでなく、国連、国際社会、そして流出するエリトリア難民に対して説明責任を果たすことが求められる。

3.2 UNHCRによる難民対策:エリトリアの事例を中心にエリトリアが独立を達成した1993年から継続してエリトリア難民は流出してい

る。しかしながら UNHCR がエリトリア難民に関する特別報告書を提出したのは2009年が初めてである。UNHCR は大量のエリトリア難民流出を受けて2008年前後からエリトリアに関する調査を開始した。他方、国連全体ではエリトリアの人権侵害の審議は大幅に遅れた。2009年に UNHCR がエリトリアに関する特別報告書を公表した背景には、国連の対エリトリア政策の変節が影響を及ぼしていると考えられる。エリトリアは長らく非民主的な政治運営を行い、人権問題についても国際人権団体から批判されてきたが、国連は長らくエリトリアに関する諸問題について沈黙を維持してきた。国連の対エリトリア対応が大きく舵を切った

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のは2009年である。国連安保理は2009年にエリトリアに対して経済制裁を発動した25。だが、国連制裁の原因は、先述したエリトリアにおける人権侵害ではなく、エリトリア政府によるソマリア内戦介入であった。冷戦後の国連は人権問題を抱える国について不介入の立場をとることも多く、エリトリアについても長らく積極的関与は敬遠されてきた。エリトリア内政や人権問題が経済制裁の直接の対象にならなかったとはいえ、この経済制裁はエリトリア政府に大きな圧力として作用した。エリトリア包囲網ともいえる国連とエリトリアの新たな関係の始まりと、エリトリア内政問題に起因して大量に流出するエリトリア難民に関して UNHCRが同2009年に初めて特別報告書を出し、エリトリア難民に対する国際的認知度を高めようとしたことは決して無関係ではない。エリトリアに対する安保理制裁は、2011年に対象を拡大し経済制裁、ならびに武器禁輸措置をとっている。2011年の経済制裁ではディアスポラ税も対象となり、エリトリア政府の経済基盤であるディアスポラ税による外貨収入が国際的監視の対象となり、外貨流入は制限されている。経済制裁はエリトリア政府に対する強力な外圧として作用しているが、同時に同国の経済悪化によりエリトリア人の生活も苦境に直面している。因果関係については今後詳細に検証されるべきであるが、経済制裁も難民流出の新たな原因となっている可能性は否定できない。

国連のエリトリア内政不介入の立場が、ソマリア内戦に関り2009年に転換したことをうけて UNHCR もエリトリア難民に関する関与を深めた。UNHCR はエリトリア難民の流出原因として重大な人権問題26を重い腰を上げて指摘した。エリトリア出身の庇護申請者を国際的に保護するための評価ガイドラインとなるべく、エリトリアの人権侵害の詳細が2009年に文書化された「エリトリア出身の庇護希望者の国際的保護の必要性を評価するための該当性ガイドライン」において公表された27。UNHCR は更にエリトリア難民の流出原因についての分析を深め、2011年には2009年版ガイドラインを更新した。2011年度のガイドラインでは、軍事/ナショナル・サービス、野党並びに政府批判者、ジャーナリスト、労働組合や労働の権利に関する活動家、マイノリティの宗教集団、女性と子供、LGBTI、マイノリティのエスニック集団などの項目別にエリトリアにおいて難民の送り出し要因となる問題点が総括されている28。

3.3 国連人権委員会とエリトリア安保理制裁ならびに UNHCR によるエリトリア難民に関するガイドライン公

表をうけてもエリトリアの内政転換がはかられず、難民流出が拡大の一途を辿っているために、国連はエリトリア問題に関してさらに一歩踏み込んだ対応にのり

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だした。2014年の国連総会において国連人権委員会がエリトリアの人権問題に関する調査を実施することが決定された29。2013年以降、エリトリアからの難民流出が急激に拡大したことが総会決議につながった。国連総会決議を受けて国連人権委員会がエリトリア調査委員会を立ち上げたのが2014年である。2015年7月と2016年6月に人権委員会からエリトリアの人権状況に関する報告書が提出された。2015年に提出された国連人権員会の報告書では、エリトリア難民についても詳細に取り上げられており、2014年前後には毎月5000人がエリトリアから難民として流出し、2014年中頃までに UNHCR が関与するエリトリア難民の総数は35万7406人にまで拡大した。これは、エリトリアの総人口の6-10%に該当すると報告された30。2016年の「エリトリアの人権に関する調査委員会報告書」31では、24ページにわたりエリトリアにおける人権侵害の詳細が分析された。同報告書では、国政選挙の未実施、憲法の不在、軍事/ナショナル・サービスプログラム、政府の自由裁量による拘束・失踪・拷問、第三者に対する報復、宗教的・民族的マイノリティに対する差別、性的・ジェンダーに基づく暴力、生存権、表現並びに結社の自由、ナクファの交換、財政的透明性と汚職の11項目においてエリトリアの人権侵害の状況が取り上げられた。上記の項目では、エリトリア政府が2015年の人権委員会報告書に対応する形で改善の実施を試みた点も言及されているが、具体的にエリトリア政府が内政の転換に大きな舵を切ったとは評価できない状況にある。例えば、軍事/ナショナル・サービスプログラムについてエリトリア政府は、ナショナル・サービスの従事期間を1995年の布告通り18カ月に限定する方向で改善を検討したが、ナショナル・サービスを解除した若者が雇用されるべき経済環境が整っていないことを理由に政府はいまだにナショナル・サービスの無期限従事を継続している32。

さらに報告書は一連の人権問題を人道に対する罪として検討しており、エリトリアにおけるナショナル・サービスを通じた国民の隷属化、投獄並びに他の身体の自由の剥奪、強制失踪、拷問、他の非人道的行為、迫害、レイプ、殺人の各項目で具体的事例が報告された。2016年6月の人権調査団のエリトリア報告提出以後、人権委員会はエリトリア

が国家として行っている人権侵害は人道に対する罪であると引き続き主張している。2016年10月28日に同委員会は、1991年の独立以後のエリトリア国家による一連の人権侵害を国際刑事裁判所に付託することを国連安保理に対して強く要求した33。

一連の国連のエリトリア内政に対する言及は、正鵠を得ている。20年以上の長きにわたり継続してきたエリトリア現政権の人権に関する諸問題に対する国際社

地中海を渡るアフリカ難民の検討

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会の対応は遅きに失したといわざるを得ないが、2009年のエリトリアに対する経済制裁以後、複数の回路を通じてエリトリア政府に対する圧力が強化されていることは間違いない。国連をはじめ国際社会による圧力が強化されたことを受けて、エリトリア政府も「改善」を行う必要は認識しているようであるが、現時点では大きな変化はみうけられず、深刻な人権侵害は依然続いている。

4 むすびにかえて

地中海難民を巡る問題は、アジア、中東、アフリカというグローバル・サウスから豊かな EU、つまりグローバル・ノースへの移動であり、移動する人々の経済的動機が主に関心を集めたために難民の流入は長らく規制対象とされてきた。他方で、シリア、ソマリア、エリトリアの事例が示すように、難民たちが出身国において生命の危険や人権侵害にさらされ、その結果として甚大なヒトの移動が生じている事実は決して看過できない。大量の難民流入による EU 諸国の経済負担や国内問題が盛んに報道される一方、多くの人々が生命の危険を冒してでも逃れ出なくてはいけない問題に直面している。国際社会は難民の流出原因にいかに対応すべきか、という課題が我々に突き付けられている。紛争や人権侵害が認識されていながら一連の問題が放置されてきただけでなく、逃れてきた人々が、移動中に命を落とし、また受入国の事情により招かれざる客として十分な庇護や難民認定をなされない状況は各地で生じている。2016年にエリトリアに関する国際社会の対応はさらに一歩前進し、国連を中心

にエリトリアの人権問題について「人道に対する罪」と認識し、対峙すべき深刻な事例であるとの主張が強化されつつある。他方で、難民流入を何としても阻止したい EU による新たな対策、特にエリトリア政府に対する巨額の資金提供については国連の動向と対比して議論していく必要がある。エリトリアの人権問題については、国連安保理の対応、国際刑事裁判所への訴追を巡る政治的駆け引きなど、今後も注視すべき重要な局面を迎えている。長らく国際社会から軽視されてきたエリトリアの国内問題が、大量の難民流出により国際社会の関心を喚起し、エリトリア政府に対する圧力として作用しはじめている。他方で、新国家建設に向かうソマリアと国際的圧力の強化されるエリトリアの両国は政治的安定からは程遠い環境にあり、今後も難民流出は継続することが予測される。ソマリアやエリトリアを含めた大量の難民の流入は EU にとって深刻な脅威である点も変わらない。最も脆弱な存在である庇護申請者が国際政治や受入国の事情により生命の危険に脅かされる状況はいかなる手段を講じても回避されるべきである。

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難民問題の検証を通じて浮き彫りになるアフリカと国際政治、国連、EU との関係は、関心の所在によって多様な相を映し出す。地中海難民の死者は2016年末に5000人を超え、過去最悪の数値を再び更新した34。難民を取り巻く各国、地域機構、国際社会、それぞれの思惑と利害を超えて、難民条約にある難民の定義、難民の権利、ノン・ルフールマン原則に立ち返るところから地中海難民の問題を再検討することが必要とされる局面を迎えているのではないだろうか。

注1 UNHCR, “Refugees/Migrants Response - Mediterranean”

http://data.unhcr.org/mediterranean/regional.php(2016年12月2日最終確認)2 UNHCR, “Mediterranean Crossings to Italy and Malta Exceed 8000 in First Six Months of

2013”, Briefing Notes, 5 July 2013.http://www.unhcr.org/51d6a0859.html(2016年12月2日最終確認)

3 O’Kane, David and Arone, Anna, “Eritrea”, Anthropology Today, vol.32, No.5, 2016, p.26.4 UNHCR, Global Trend 2015

http://www.unhcr.org/statistics/unhcrstats/576408cd7/unhcr-global-trends-2015.html(2016年12月18日最終確認)

5 UNHCR, “Refugees/Migrants Response - Mediterranean”http://data.unhcr.org/mediterranean/country.php?id=105(2016年12月18日最終確認)

6 UNHCR, Global Trend 2014http://www.unhcr.org/statistics/country/556725e69/unhcr-global-trends-2014.html(2016年12月18日最終確認)

7 約119万人のうち、ソマリア国内避難民が約113万人と多数を占める。http://popstats.unhcr.org/en/overview#_ga=1.125645386.119861147.1476351034(2016年12月18日最終確認)。2015年の1年間に国外に逃れたソマリ人の総数は13700名である。UNHCR, Global Trend 2015,op. cit.

8 UNHCR, Global Trend 2015, op. cit.9 2011年の推計。世界銀行エリトリア事務所,“Country at a Glance: Eritrea” http://www.world-

bank.org/en/country/eritrea(2016年12月18最終確認)10 UNHCR, Global Trend 2015, op. cit.11 ナショナル・サービスに関する布告は1999年に更新された。UN Human Rights Council, Re-

port of the commission of inquiry on human rights in Eritrea, UN Doc. A/HRC/32/47, 9 May2016.http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/CoIEritrea/A_HRC_32_47_AEV.pdf(2016年12月18日最終確認)

12 1年間の軍事訓練は、基本的に17歳、18歳が対象とされるが、15歳など若年の参加も見られ、訓練キャンプにおける暴力などについても報告されている。UN Human Rights Council, Re-

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port of the commission of inquiry on human rights in Eritrea, UN Doc. A/HRC/32/47, 9 May2016.http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/CoIEritrea/A_HRC_32_47_AEV.pdf(2016年12月18日最終確認)

13 エリトリアの GDP 成長率は、2003年以降をみても、2011年(8.68%)、2012年(7.017%)を除いて、-9.783%(2008年)から3.877%(2009年)という低水準で推移している。世界銀行エリトリア事務所,“Country at a Glance: Eritrea”http://www.worldbank.org/en/country/eritrea(2016年12月18日最終確認)

14 Tecle, Samia & Goldring, Luin, “From ‘remittance’ to ‘tax’: the shifting meanings and strate-gies of capture of the Eritrean transnational party-state”, African and Black Diaspola, vol.6,no.2, 2013, pp 189-201.エリトリア政府は、戦時や非常時には期間を限定して2%の税率を10%に増額することも報告されている。

15 身代金の金額は4000ドル、15,000ドル、30,000ドルと多様な事例が報告されているがいずれも非常に高額である。4000ドルの身代金を海外の親族が誘拐団に支払ったのちに、誘拐されたエリトリア人の身柄が別の誘拐団に引き渡され再度さらに高額な身代金が要求される事例も報告されている。Humphris, Rachel, “Refugees and the Rashaida: human smuggling andtrafficking from Eritrea to Sudan and Egypt”, UNHCR, New Issues in Refugee Research, Re-search Paper No.254, 2013,(http://www.unhcr.org/research/working/51407fc69/refugees-rashaida-human-smuggling-trafficking-eritrea-sudan-egypt-rachel.html)(2016年12月18日 最終確認)

16 Connell, Dan, “The Rerouted Trafficking in Eritrean Refugees”, Middle East Report, no.268,2013.

17 Humphris, op. cit.18 Lindley, Anna, “Between a protracted and a crisis situation: Policy responses to Somali refu-

gees in Kenya”, Refugee Survey Quarterly (UNHCR) 2011, p.1-36.19 BBC, “Can Kenya close Dadaab, the world’s biggest refugee camp?”, 15 November 2016.

http://www.bbc.com/news/world-africa-37953344(2016年12月18日最終確認)20 EU-Africa Partnership, “Migration and Mobility” http://www.africa-eu-partnership.org/en/

areas-cooperation/migration-mobility-and-employment/migration-and-mobility(2016年12月18日最終確認)

21 森千香子・エレン・ルバイ編『国境政策のパラドクス』勁草書房、2014年.22 欧州委員会,“President Juncker launches the EU Emergency Trust Fund to tackle root

causes of irregular migration in Africa”, Press Release, 12 November 2015.http://europa.eu/rapid/press-release_IP-15-6055_en.htm(2016年12月18日最終確認)

23 欧州委員会,“EU and IOM launch initiative for migrant protection and reintegration in Africaalong the Central Mediterranean migration routes”, Press Release, 15 December 2016.http://europa.eu/rapid/press-release_IP-16-4404_en.htm?locale=en(2016年12月18日最終確認)

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24 欧州委員会,“Support for the creation of employment opportunities and skills development inEritrea”http : / / ec. europa. eu / europeaid / support-creation-employment-opportunities-and-skills-development-eritrea_en(2016年12月18日最終確認)

25 拙稿「エリトリアを取り巻く国際関係―新興独立国20年の歩み―」『アジ研ワールド・トレンド』no.205,2012年,pp.33‐34.

26 UNHCR, “Eligibility Guidelines for Assessing the International Protection Needs of Asylum-Seekers from Eritrea”,2009.http://www.refworld.org/docid/49de06122.html(2016年12月18日最終確認)

27 日本は難民認定において厳格な姿勢を維持しており、毎年10人前後しか難民認定を行わないが、2015年度にエリトリア人2名が難民として正式に認定された。UNHCR のガイドラインの影響は大きいと考えられる。

28 UNHCR, “Eligibility Guidelines for Assessing the International Protection Needs of Asylum-Seekers from Eritrea”, 2011.http://www.refworld.org/docid/4dafe0ec2.html(2016年12月18日最終確認)

29 UN General Assembly, Resolution 26/24, Situation of human rights in Eritrea, UN Doc. A/HRC/RES/26/24, 27 June 2014.(2016年12月18日最終確認)

30 UN Human Rights Council, Report of the commission of inquiry on human rights in Eritrea,June 2015, p.16.http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/CoIEritrea/A_HRC_32_47_AEV.pdf(2016年12月18日最終確認)

31 UN Human Rights Council, Report of the commission of inquiry on human rights in Eritrea,UN Doc. A/HRC/32/47, 9 May 2016.http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/HRCouncil/CoIEritrea/A_HRC_32_47_AEV.pdf(2016年12月18日最終確認)

32 Ibid., p.7.33 OHCHR, “Eritrea: UN Commission has urged referral to the International Criminal Court”, 28

October 2016.http://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=20779&LangID=E#sthash.GatinzXN.dpuf(2016年12月2日最終確認)The International Justice Resource Center (IJRC), “UN Commission Urges Security CouncilReferral of Eritrea to ICC”, 9 November 2016.http : / /www. ijrcenter. org / 2016 / 11 / 09 / un-commission-urges-security-council-referral-of-eritrea-to-icc/(2016年12月2日最終確認)

34 UNHCR, “Refugees/Migrants Response - Mediterranean”http://data.unhcr.org/mediterranean/regional.php(2016年12月25日最終確認)

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