Title ネオスチグミンクモ膜下腔内注入による人工射精で女児を得た男子脊損患者の1例

Author(s) 羽間, 稔; 中野, 正則; 篠崎, 雅史; 藤澤, 正人; 岡本, 恭行; 柯,昭仁; 岡, 伸俊; 浜口, 毅樹; 岡田, 弘; 松本, 修; 守殿, 貞夫

Citation 泌尿器科紀要 (1988), 34(6): 1047-1050

Issue Date 1988-06

URL http://hdl.handle.net/2433/119599

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

泌尿紀要34:1047～1050,l988 1047

ネオスチグ ミンクモ膜下腔内注入による人工射精で

女児を得た男子脊損患者の1例

兵庫県立柏原病院泌尿器科学教室(医 長1羽 間 稔)

羽 間 稔,中 野 正 則

神戸大学 医学部泌尿器科学教室(主 任:守 殿貞夫教授)

篠 崎 雅 史,藤 澤 正 人,岡 本 恭 行

何 昭 仁,岡 伸 俊,浜 口 毅 樹

岡 田 弘,松 本 修,守 殿 貞 夫

A CASE OF A COMPLETE PARAPLEGIC FATHERING A

GIRL FOLLOWING ARTIFICIAL INSEMINATION AFTER

AN INTRATHECAL NEOSTIGMINE INJECTION

Minoru HAZAMA and Masanori NAKANO

From the Department of Urology, Hyogo Prefectural Kaibara Hospital

(Chief: Dr. M. Hazama)

Masashi SHINOZAKI, Masato FUJISAWA, Yasuyuki OKAMOTO,

Ko Zhao REN, Nobutoshi OKA, Takeki HAMAGUCHI,

Hiroshi OKADA, Osamu MATSUMOTO and Sadao KAMIDONO

From the Department of Urology, School of Medicine, Kobe University (Director: Prof. S. Kamidono)

A case of a 32-year-old paraplegic male who fathered a girl following artificial insemination after an intrathecal neostigmine injection is described. The patient became a complete paraplegic after injury to the spinal cord caused by a traffic accident in 1971, resulting in ejaculatory disturbance. In June, 1984 the first intrathecal neostigmine injection was tried and 2.7 ml of semen was collected and offered to artificial insemination. However, the first to ninth attempt did not result in fertilization. The tenth attempt was made in March 7, 1986, and 3 ml of semen presenting 240 x 106 spermatozoa per ml with 5% of motile sperms was collected. This resulted in pregnancy, and the patient's wife delivered a healthy girl weighing 2552 g by cesarean section on November 19, 1986. This is the fourth case of a paraplegic who fathered a child following artificial insemination after an intrathecal neostigmine injection in the Japanese literature.

(Acta Urol. Jpn. 34: 1047-1050, 1988)

Key words: Intrathecal neostigmine injection, Paraplegic, AIH, Ejaculation

緒 言

リハビリテーシ ョン医学が進歩 し,脊 損患者 の社会

復帰への道が開けるにつれ,結 婚 し実子を得たい とい

う要望が強 くな ってきた.こ れに関連す る問題の一つ

は男子脊損患者での性機能不全,と りわけ射精障害で

ある1・2).今回,こ うした射精障害を有する男子脊損

患者にネオスチグ ミンを クモ膜下腔に注入す ることに

より人工射精 を誘発 し,そ の精液 をAIHす ることに

よって妊 娠,

す る.

出産に成功 した1例 を経験 したので報告

症 例

患者:32歳,男 性,会 社員

主訴:不 妊

既往歴 ・現病歴:生 来,健 康であ ったが,1971年17

歳時に交通事 故のため第6,7胸 椎圧迫骨折,両 下肢

完全麻痺 とな った.以 来,局 所刺激に よる勃起はある

1048

時 聞

6

5

方 法

泌尿紀要34巻6号1988年

し〆一 ノネオスチグミン0.5～1,0㎎ クモ膜下腔内注 入

畢一/

一陰茎に精液をうける容器を装着

o

Fig.1.ネ オ ス チ グ ミソ人 工射 精 法

4

3

2

1

0

:1:誌]… チグ・ン注入

くみ られない.受 傷8年 後,nurseを している健常女

性 と結婚 したが,不 妊 のため1984年3月 実子 を得たい

との希望で神戸大学医学部泌尿器科男性不 妊外来を訪

れた.

現症:身 長 は180cm.体 重74kgと 長身,筋 肉

質,仮 性包茎 であるが,触 診上,副 性器に特別な異常

所見はなか った.両 側 の精巣容量は ともに26m1と 正

常大 で造精能は保たれ てい ると考えられたので,ネ ナ

スチグ ミンクモ膜下注入に よ り人工射精を誘発するこ

とに した 妻 は初診時28歳 で産婦人科的に異常を認め

ていない.

人工射精 お よび 授精法:妻 のBBTか ら排卵 日を

推定 し,そ の当日入院させたのち,側 臥位屈曲位に し

た患老に,腰 椎麻酔の要領で21G腰 椎穿刺針をL4-5

間よ り刺入 した,ク モ膜下腔に達 し,脊 髄液の流出を

確認 した 後,メ チル硫酸 ネォスチ グミン0.5～Img

をゆ っくりと注入 した.そ の後は頭側をやや高 くした

仰臥位 として,陰 茎 に精液を受けるカップを装着して

おいた(Fig.1).こ の間,血 管 を確保 し,vitalsign

に注意 した.数 時間後(Fig.2),嘔 気,嘔 吐 および

頭痛に伴い,相 前後 して 数分間 の 勃起 と数回の射精

攣1.

欝 麟懸.'・・← 一

%%%%%%%%努%(19糾年)(1985年)(1986年)

Fig.2.ネ オ ス チ グ ミン注入 後,射 精 ま でに 要 し

た時 間

Fig.4.プ ラ ス チttiク 人 工 授 精 針(Makler)

鶉子濃度

(×10●!nd》

600

500

400

300

200

100

0

●一 一→ 糟子濃度

o-一 一e■ 勘 串

w、、,.!、∀'

,A、

,"、 、、

モンー 、、、

八

＼

糟子運勘寧(%)

、、

、、

b

60

50

30

20

10

%%%%%%%%%%(19図年》{1985年}(1gee年)

Fig.3.治 療 経過 中 の 精子 濃 度 お よび 運動 率 の推 移

0

が精神的興奮に よる勃起 はみ られ ない.そ のため短時

間 の性交は可能 であるが射精お よびエ クスタシーは全

Fig.5. 1986年ll月19日 女 児 を 出産,現 在 まで

児 の 発 育 は順 調

羽間,ほ か:ネ オスチグ ミン人工射精 ・脊損

(Fig.3)が 誘発 され た の で,こ れ をAIHに 供 し

te;AIHに はMakler3)の プ ラスチ ック 人工 授 精

針を もち いintrauterineinSeminatiOnを 行 っ た

(Fig.4).1984年6月 か ら神 戸大 学,引 き続 い て 兵

庫県立柏 原病 院 で本 法 を施 行 した結 果,1986年3月7

日,10回 目のAIHで 妊 娠 に成 功 した.そ の後,7月

に妻に右卵 巣 嚢腫 が 発見 され たた め 手術 を施 行 した が

妊娠は順 調 に継 続 された.出 産 予 定 は11月28日 で あ っ

たが狭骨 盤 の た め11月19日 帝王 切 開 で2,552gの 女

児を 出 産 した.現 在 ま で 児 の 発 育 は 順 調 で あ る

(Fig。5).

考 察

脊損患者 の性については,絶 望的な ものとして長 ら

く等閑視 される風潮があったが,近 年の リハビリテー

ション医学の進歩につれ重要な課題 としてみなおされ

つつある.男 子脊損患者の性機能障害は勃起不全 と射

精機能障害 の2つ にわけられる.前 者 の対策 としては

陰茎を外部か ら支持するpenisdeviceや 内部に シリコ

ンの支柱を うえこむpcnileprosthcsisな どが考案 さ

れ,後 者に対 しては電気刺激や脊髄腔内薬物注入法に

よる人工射精の誘発が試み られている4).ネ オスチグ

ミンクモ膜下腔 内注入法は1947年Guttmannら5)に

よって考案 され,現 在の ところ最 も高率に人工射精を

誘発する方法と考えられる.宮 崎 ら6)は約50例 に本法

を試み,約 半数に射精が誘 発されたが精液性状 の悪い

ものが多 くAIHに よって児を得た ものは1例 であ っ

たと報告 してい る.自 験例の人工射精10回 の精液所見

の変化(Fig.3)を みると,初 回は射精機能不全14年

目には じめて射出 した精液 のためか,高 濃度低運動率

で白血球が多数混入 していた.そ の後,人 工射精を繰

り返すにつれ,得 られる精液の所見は悪化す る傾向に

あった.そ の間,抗 菌剤 の投与 とPercol洗 浄に よる

良好精子の回収を行 ってAIHを 繰 り返 していたが妊

娠せず,体 外受精 も考慮 して いた ところ、 ユ0回目の

AIHで 妊娠に成功 した.そ の際の精液量3ml,精 子

1049

濃度240×1061mlで あったが,運 動率は5%と 低値で

あった(Fig.3).ネ オスチグ ミン注入後,射 精までに

要 した時間は1時 間30分 か ら5時 間15分(平 均2時 間

艦分)で,注 入の繰 り返 しと射精時間 との間には一定

の傾向はみ られなか った(Fig.2).

射精 は胸腰髄 由来の交感神経 と仙髄 由来の副交感神

経の協 同反射に よるため,完 全麻痺の脊損では損傷部

位にかかわ らず射精機能が残存す るものは少ない とい

われている2).こ うした症例に対 してGuttmannら5)

が プロスチグ ミンクモ膜下注入に よる人工射精法を考

案 して以来,多 くの試みが なされたが7,e),同法 で実子

を得たとの報告 は世界でも少な く9・1。),本邦 でも詳細

な報告があるのは自験例 を含め4例 にす ぎない6・!1・12)

(Table1).こ の4例 をみると,脊 損部位はC6か ら

Th6_7ま での上位脊損例 で,年 齢は28～33歳,受 傷後

年数は3年 ～15年 となっている.妻 は1例 が脊損者で

他の3例 は健常者である,得 られた精液 の所見は,自

験例以外は比較的良好 で,自 験例のみ精子運動率は5

%と 非常に低値 で あった.出 生児 は 全例女児 であっ

た.

このように妊娠成功例が少ない理由としては,脊 損

患者 では造精機能障害を伴 うものが多い こと,ま た神

経因性膀胱に よる尿路感染か ら副性器感染が起 こりや

すいことな どか ら,本 法に より得 られ る精液 の所見は

不良な ものが多いことが推測 される.し か し自験例の

ように受傷後15年 も経ち運動率5%と い う悪条件で幸

運にも児を得た とい うことは脊損患老に とっては大 き

な福音 となると思われた.本 法に よる射精 は上位脊損

で誘発率が高い とされているので5),今 後,妊 娠成功

率を高 め るた め には,受 傷後年数が短い上位脊損患

老 を対象 と して,彼 らの尿路お よび副性器の感染を

contro1し,か つ造精能を賦活す る薬物療法を行い,

さらには体外受精を併用す ることなどが必要 と考えら

れた.

本法施行時の合併症 として頭痛,嘔 吐,高 血圧など

を主症状 とす るautonomichyperreflexiaが あげら

Table1.ネ オスチグ ミン人工射精 によ り妊娠に成功 した男子脊損患者 の本邦報告例

症例 報告者 報告年脊損部位

(麻痺)

受傷後 妻年齢

年数

ネオスチグミンAlH精 子濃 度 運動率 出 生 児

注入 量(祀 〉 回数(×loe/me)(%)(体 重)

1宮 崎1982C●(完 全)28

2小 谷1985The(完 全)33

3小 川1985The(完 全}32

628歳 脊損

325歳 正常1.0

827歳 正常O.2

4自 験例1986The-i(完 全)321530歳 正 常O,5

2245

10

2

90

40

10240

74♀

70♀(3100g)

60♀(3400g}

5

1050 泌尿紀要34巻6号1988年

れ る.重 篤な場合,脳 出血に よる死亡例 も報卸)さ れ

てお り,本 法施行時にはネオスチグ ミンの拮抗薬であ

る硫酸ア トロピンや交感神経節遮断剤な どを用意 し.

vitalsignに 充分な注意を払 うことが重要 であ ると考

え られた.

結 語

受傷後15年 を経た射精障害を有す る男子脊損患老 に

ネオスチ グミンクモ膜下腔 内注入による人工射精 を誘

発 し,そ の精液をAIHす ることによって女児を得た

1例 を経験 したので,文 献的考察を加え報告 した.

文 献

1)辻 一 郎,黒 田 一一秀,中 島 文 雄,森 元 譲 一,能 中

陽 一,藤 村 誠;脊 損 患 者 の 性 機 能.総 合 臨 床

9:116-124,1960

2)宮 崎 一 興,石 堂 哲 郎,高 坂 哲:脊 髄 損 傷 者 の 性

機 能.総 合 リハ7:832-842,1979

3)MaklerA,DeCherneyAandNaftolinF:

Adeviceforinjectingandretainingasmall

volumcofconcentratedspermatozoainthc

uterinecavitvandcervicalcanal.Fertil

Steril42;306-308,1984

4)宮 崎 一 興:脊 損 者 の 性 機 能 と結 婚 問 題.理 学 療 法

と 作 業 療 法16;745-749,1982

5)GuttmannLandWalshJJ=Prosti9皿in

assessmenttestoffertilityinspi紅 瓠man.

Paraplegia9二39-51,1971

6)宮 崎 一 興=脊 髄 神 経 系,イ ン ポ テ ン ス ー 診 断 と 治

療 の 実 際 一.同 研 究 会 編,pp.75～85,メ デ:nlヵ

ル ト リ ピ ュ ー ン,東 京,'1982

7)PieraJB=Theestablishmentofaprognosis

forgenito-sexualfunctionintheparapl¢gic

andtetraplegicmalb.Paraplegiale:271-278,

1973

8)光 川 史 郎=人 工 的 射 精 誘 発 法 に よ るAIH試 料 採

取 と そ の 成 果.ホ と 臨S4:春 季 増 刊 号=203-208,

1986

9)SpiraR:Artificialinseminationafterintra・

thecalinjectionofneostigmineinapara.

plegic.Lancct1=670-671,1956

10)chapellePA,JondetM,DurandJand

GrossiordA:Pregnancyofthewifeofa

completeparaplegicbyhomologeousinse・

minationafteranintrathecalinjeetionof

neostigmine.Paraplegia14:173-177,1976

11)小 谷 俊 一,近 藤 厚 生,瀧 田 徹=ネ オ ス チ グ ミ ン

人 工 射 精 に よ り女 児 を 得 た 脊 髄 損 傷 者 の1例.臨

泌39=785-787,1985

12)小 川 隆 敏,上 門 康 成,藤 永 卓 次:ネ オ ス チ グ ミ ン

人 工 受 精 に よ り女 児 を 得 た 脊 髄 損 傷 者 の1例.日

泌 尿 会 誌77=1063-1064,1986

(1987年5月21日 受 付)