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2 2.都市の概況 2-1 広域的な位置付け 本市は、東京から北西約 190km、日本のほぼ 中央に位置し、東西方向に約 31km、南北方向に 37km の広がりを持ち、面積は 552k㎡を有し ています。長野、松本、軽井沢からそれぞれ約 40kmの位置にあります。 北は長野市、千曲市、須坂市、坂城町、筑北村、 西は松本市、青木村、東は嬬恋村(群馬県)、東 御市、南は長和町、立科町と接しています。 また、本市は奈良時代から京都と東北地方を結 ぶ「東山道」の拠点として栄え、交通の要所とな っていました。現在は北陸新幹線、しなの鉄道、 別所線などの公共交通が上田駅を中心に接続し ているほか、上信越自動車道(上田菅平インター チェンジ)をはじめとした多くの幹線道路が市内 を通っています。 2-2 自然条件 気象環境 本市の気候は、昼と夜の気温較差が大きい典型的な内陸性気候で、年平均降水量は 900mm 前後 と全国でも有数の少雨地域です。積雪も、山間地以外の地域では、10cm を超えることはまれで、日 照時間が長く、快適に暮らすことができる気候特性です。 なお、市の南北にある美ヶ原や菅平の高原では、年間の平均気温が約 6 度と低く、夏の平均気温 が約 18 度と東京の 5 月の気温と同じであり、避暑地として親しまれています。 地形等の状況 本市は長野県の東部に位置し、北は上信越高原国立公園の菅平高原、南は八ヶ岳中信高原国定公 園に指定されている美ヶ原高原をはじめとした雄大な自然に囲まれています。 また、千曲川は佐久地方から市の中央部を東西に流れ、ここに周囲の山々を源流とする依田川、 神川、浦野川等が合流し、長野地方へと注いでいるのをはじめ、標高 400 メートルから 800 メート ルの河川沿いに広がる平坦地や丘陵地帯に市街地及び集落が形成されています。 【2-1-1 広域条件図】 安曇野 JCT

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2.都市の概況

2-1 広域的な位置付け

本市は、東京から北西約 190km、日本のほぼ

中央に位置し、東西方向に約 31km、南北方向に

約 37km の広がりを持ち、面積は 552k㎡を有し

ています。長野、松本、軽井沢からそれぞれ約

40kmの位置にあります。

北は長野市、千曲市、須坂市、坂城町、筑北村、

西は松本市、青木村、東は嬬恋村(群馬県)、東

御市、南は長和町、立科町と接しています。

また、本市は奈良時代から京都と東北地方を結

ぶ「東山道」の拠点として栄え、交通の要所とな

っていました。現在は北陸新幹線、しなの鉄道、

別所線などの公共交通が上田駅を中心に接続し

ているほか、上信越自動車道(上田菅平インター

チェンジ)をはじめとした多くの幹線道路が市内

を通っています。

2-2 自然条件

(1)気象環境

本市の気候は、昼と夜の気温較差が大きい典型的な内陸性気候で、年平均降水量は 900mm 前後

と全国でも有数の少雨地域です。積雪も、山間地以外の地域では、10cm を超えることはまれで、日

照時間が長く、快適に暮らすことができる気候特性です。

なお、市の南北にある美ヶ原や菅平の高原では、年間の平均気温が約 6 度と低く、夏の平均気温

が約 18 度と東京の 5 月の気温と同じであり、避暑地として親しまれています。

(2)地形等の状況

本市は長野県の東部に位置し、北は上信越高原国立公園の菅平高原、南は八ヶ岳中信高原国定公

園に指定されている美ヶ原高原をはじめとした雄大な自然に囲まれています。

また、千曲川は佐久地方から市の中央部を東西に流れ、ここに周囲の山々を源流とする依田川、

神川、浦野川等が合流し、長野地方へと注いでいるのをはじめ、標高 400 メートルから 800 メート

ルの河川沿いに広がる平坦地や丘陵地帯に市街地及び集落が形成されています。

【2-1-1 広域条件図】

安曇野

JCT

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(1)歴史・文化

① 歴史的条件

本市の歴史は古く、大和時代には 国 造くにのみやつこ

(※)がこの地に派遣され、信濃国の政治・文化の中心地

になっていたと考えられており、奈良時代には国分寺などが建立され、信濃国で最初の国府が置か

れた地ではないかとも言われています。鎌倉時代には幕府の信濃守護職である北条氏が塩田に居を

構え、鎌倉の仏教文化を花咲かせました。この塩田平は信州の鎌倉といわれ、多くの歴史的建造物

や史跡が残されています。また、戦国時代に名を轟かせた真田氏発祥の地であり、1583 年に上田城

を築いた真田昌幸は徳川軍の侵攻を二度にわたって退けましたが、関ヶ原の戦いでの石田方敗北に

より、この上田城は徳川方に接収・破壊されてしまいます。その後 1626 年より上田城の復興に仙石

忠政が取り掛かり、城下町として、また、北国街道の宿場町として発展していくこととなります。

明治以降からは養蚕業の発達とともに全国有数の蚕種の生産地となり、全国の蚕糸業を支える「蚕

都(さんと)」として隆盛を極めました。その後もこれらで培った技術力などを活かしながら、工業

をはじめ、商業、農業、観光などバランスの取れた長野県東部の中核都市として着実な発展を遂げ

てきています。

※律令制が導入される以前のヤマト王権の職種・姓の一つ。ヤマト王権の行政区分の一つである国の長と言う意味

② 指定文化財

本市は多くの歴史遺産や自然景観などに恵まれており、国宝をはじめとする数多くの指定文化財

があり、市内の各地に存在しています。

【2-3-1 文化財指定状況】

2-3 社会的条件

種別 件数 主なもの

国指定文化財 19 安楽寺八角三重塔、上田城跡、信濃国分寺跡、鳥羽山洞窟遺跡、

四阿山の的岩 ほか

重要美術品(国) 2 紙本墨書徳川家康日課念仏 板絵着色三浦屋の図

登録文化財(国) 7 上田蚕種協業組合事務棟、信州大学繊維学部講堂、依水館母屋 ほか

選択無形民族文化財(国) 3 八日堂の蘇民将来符領布習俗、別所温泉の岳の幟行事、戸沢のねじ行事

県指定文化財 27 上田城(南櫓、北櫓、西櫓)、真田氏館跡、生島足島神社歌舞伎舞台ほか

市指定文化財 232 荒神宮本殿、旧上田市立図書館、安良居神社本殿、真田氏本城跡、

妙見寺鳴龍 ほか

安楽寺八角三重塔(国宝)

上田城跡(国史跡)

真田氏館跡(県史跡) 法住寺虚空蔵堂(国重文)

信廣寺のシダレザクラ(市天然)

平成 24年上田市都市計画基礎調査より

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(1)人口の推移

本市の平成 22 年現在における総人口は 159,597 人です。また、世帯数は 60,660 世帯であり、1

世帯当りの人員としては 2.63 人となっています。

資料:平成 22 年国勢調査

(平成 7 年から 17 年の数値は旧 4 市町村の合計)

(2)将来の人口予測

日本の人口は平成 16 年を境に減少に転じており、本市も同様の傾向にあります。

上田市都市計画マスタープランの目標年次(平成 42 年)の将来人口はおおむね 136,000 人と推計

されますが、将来に向けて生活環境の整備や充実、産業振興などの取組を展開し、市民生活の質を

重視するまちづくりによって、推計を上回る定住人口の確保を目指します。

2-4 人口の動向

区分 平成 7 年 平成 12 年 平成 17 年 平成 22 年

総人口 164,207 166,568 163,651 159,597

うち外国人数 1,656 3,822 4,296 2,906

世帯数 55,706 59,515 59,858 60,660

世帯当たり人員(人/世帯) 2.95 2.80 2.73 2.63

164,207 166,568 163,651 159,597 154,569 148,955 142,516 135,623

20,000

40,000

60,000

80,000

100,000

120,000

140,000

160,000

180,000

平成7年 平成12年 平成17年 平成22年 平成27年 平成32年 平成37年 平成42年

(人口) 推計値(※)実績値

20年

【2-4-1 人口の推移】

※推計の算出方法は、国立社会保障・人口問題研究所により平成 25 年 3 月に、平成 22 年

国勢調査の結果を基にした将来推計値が公表されていることから、その結果を用いてい

ます。

【2-4-2 将来の人口予測】