· web...

12
甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 2015甲甲 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲 J甲甲甲甲甲甲甲甲甲 11281514 甲甲甲甲 はははは はははははははははははははは 1.1 甲甲甲甲甲甲甲 甲甲 1.2 甲甲No.1甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲 () 1.3 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲 () 1.4 甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲 甲甲甲 甲甲甲 、、・ ははは はははははははははははは 2.1 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲 2.2 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲 2.3 甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲甲 ・・・ 2.4 甲甲甲甲甲甲甲 ははは はははははははは 3.1 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲甲 ・・ 3-1-1 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲 3-1-2 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲 3.2 甲甲甲甲甲甲甲 3-2-1 甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲 甲甲 3-2-2 甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲甲甲甲甲 甲甲 U: ははは Jははははははははは 4.1 甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲 4.2 甲甲甲甲甲甲甲甲 4.3 甲甲甲甲甲甲甲甲 甲 甲甲甲甲甲甲甲甲 甲甲甲 甲甲 ・・ 4.4 甲甲甲甲甲甲甲甲甲 「」 4.5 甲甲

Upload: others

Post on 25-Sep-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

甲南大学 マネジメント創造学部2015 年度 卒業研究プロジェクト指導教員 佐藤治正

J リーグのアジア戦略

11281514 永島寛之

はじめに

第一章 世界スポーツとしてのサッカー

1.1 サッカーの歴史・経緯1.2 世界 No.1 スポーツ サッカー  (競技人口・規模)1.3 世界最大のスポーツ祭典 ワールドカップ  (経済規模、政治)1.4 主要国のプロリーグ  (経済規模、選手の年収、伸び・推移)

第二章 日本国内におけるサッカー

2.1 日本におけるサッカーの歴史・経緯2.2 日本におけるサッカーの現状  (競技人口・経済規模など)2.3 Jリーグの現状  (形態の変化・チケット・グッズ・視聴者数)2.4 日本代表の現状

第三章 サッカービジネス

3.1 サッカーのビジネスモデル  (チケット・グッズ・放映権ビジネス) 3-1-1 主要国プロリーグに関するビジネス・マネジメント 3-1-2 国際大会に関するビジネス・マネジメント3.2 世界戦略の事例 3-2-1 レアルマドリード:世界戦略の歴史・現状 3-2-2 マンチェスターU:世界戦略の歴史・現状

第四章 J リーグのアジア戦略

4.1 Jリーグアジア戦略の背景・概要4.2 アジア戦略の現状4.3 アジア戦略の課題  ☆スター選手の育成・養成・輩出4.4 「百年構想」との共存4.5 考察

Page 2:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

第一章 世界スポーツとしてのサッカー

1.1 サッカーの歴史 現代の、正式なサッカーの起源は、イングランドであるというのが定説だ。しかし、それ以前より、サッカーのような競技が世界各地で行われていたことも確かで、「サッカーの起源」にまつわる諸説には、有力なものが3つある。 一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004 年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。起源は 8 世紀頃、戦争で勝利すると敵国の将軍の首を切り取り、その首を蹴って勝利を祝ったことと言われている。それが、国内の一般大衆にもモッブゲームという「祭り」として形を変え、広まった。これは、王妃が将軍の首に見立てたボールを城から投げ、民衆が一斉に隣町の門(ゴール)へ競い合って蹴りあうもので、時間や人数に制限はなかったそうだ。 二つ目は、サッカーの起源はイタリアにあるとする説だ。イタリアでは 8 世紀頃、宮廷の門の前で数十人がボールを蹴り合い、その勝ち負けに対して賞金をかける「カルチョ」というゲームがあり、この「カルチョ」をサッカーの起源だと唱える人も多い。カルチョは、現代のサッカーと比べると、格闘技色が強かったようだが、現在「カルチョ」は、イタリア語で「サッカー」を意味する。 三つ目は、中国の伝統文化である「蹴鞠」がサッカーの起源であるという説だ。この「蹴鞠」は、紀元前 3 世紀ごろの黄帝の時代に軍事訓練として考案されたものを指す。500〜600 年後に日本にも伝わってきたが、日本の蹴鞠は球を蹴り上げるだけの遊びであったのに対し、中国では1 チーム 12 人で構成し、鞠を奪い合いながらゴール(球門)に入れる球技として発展していった。(http://www.fifa.com/about-fifa/who-we-are/the-game/) 2004 年に、中国の蹴鞠が国際サッカー連盟から「最も古い、サッカーの起源」として認定されたことから、この中国発祥説は現在、科学的根拠に基づき、且つ最も有力な発祥説だとされている。一方で、イギリスやイタリアだけでなく、世界中でこの説に対する反論の声があがっているようで、「サッカーの起源」については、未だに議論の余地があることに変わりはない。「モノを蹴って遊ぶ行為は世界中の民族で見られること」だという反論や、「サッカーの商業性を高めるため、中国にすり寄った」と、国際サッカー連盟のブラッター会長(当時)を揶揄する専門家もいたようだ。国際サッカー連盟(FIFA)のシャンパーニュ事務局次長は、「サッカー発祥の地は自国であると主張する国家は多いが、サッカー史を研究する学者によれば、サッカーの発祥地が中国だという確かな証拠がある。古代中国のスポーツ『蹴鞠』がサッカーの起源とされる」と述べている。加えて、中国のシ博(しはく)市の歴史博物館に所蔵されている、「斉時代の蹴鞠が西方へ伝わりサッカーに発展した」ことを示す古地図を、FIFA のブラッター会長(当時)が2004 年 7月に「第 3回中国国際サッカー博覧会」の開幕式に出席した際、「世界のサッカーの発祥地は中国である」と宣言し、発祥の地として認定したと、中国の新聞「人民網」(2004 年 7月16 日付け)は報じている。(http://www.j-cast.com/2014/06/12207485.html?p=all)

 現代の、正式なサッカーの発祥はイングランド(英国)とされており、18~19 世紀には、上流階級の人々が学ぶパブリックスクールでプレーされていた。当時の「フットボール」は学校により、それぞれ独自のルールで行われており、ユニフォーム等についての規定はなかった。そのため、すねまで隠れた長いズボンを履いている人や、時には帽子を被ってプレーする人までいた

Page 3:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

という。そんな中、1848 年、ケンブリッジ大学で、学校間、クラブ間で異なったフィールドの広さやルールを統一する動きが始まり、1863 年、ロンドンとその近郊にあるフットボールクラブの代表者が集まり、共通したルールを決めると共に、協会(Football Association)を設立した。厳密には、これ(1863 年)がサッカー("協会"で決めたルールによるフットボール)の始まりとされている。その際、ルールの主軸である「手の使用禁止」に反発し、一部分裂したグループがあり、それが後に Union Football、現在のラグビーとなった。また、当時、フットボールは「Association Football」と呼ばれ、アメリカでは「Association Football をする人」という意味で、「Association」から「soc」を引用し「~をする人」という意味の「er」をつけて「soccer」となった。(http://lsin.jp/howto/?go=detail&title=his&hid=314&kkey=&kana)

1.2 世界 No.1 スポーツ サッカー 世界スポーツ連盟に加盟されているサッカーの競技人口は 2億 5000万人とされており、これは同世界トップのバスケットボールの 4億 5000万人※(http://www.fiba.com/presentation)に次いで第二位だ。競技人口が世界一のバスケットボールや、同 3位のクリケット(1億数千万人)が、それぞれアメリカやインドなどの、人口が多い特定の国々でしか普及していない一方で、サッカーの競技人口の分布は 5 大陸全てを網羅し、文字通り世界中で発展している。加えて、各スポーツの全世界でのファンの総数に関しては、ネット上のどのソースも、あくまで推測値ではあるものの、サッカーは常に世界トップであり、中には 35億人にまで昇ると予測する記事まである※(http://www.topendsports.com/world/lists/popular-sport/fans.htm)。これらのデータはあくまで推測値とはいえ、サッカーがどれほど世界規模で人気であるかが伺える。

1.3 世界最大のスポーツ祭典 ワールドカップ 今日、日本のみならず、海外のメディアをも賑わせている大きな話題の一つが、新国立競技場の建設計画の問題である。テレビのニュースなどでも、建設費用が高騰した「原因」や、その「責任の所在」等については頻繁に言及されており、数多くの専門家やコメンテーターの意見が伺える。安倍総理大臣が生放送のテレビニュースに出演し、この問題について自らコメントすることまであった。新国立競技場建設の目的は、「2020 年に開催される東京オリンピックをより盛大にするため」であるのだが、国のトップである内閣総理大臣が報道番組に生出演し、その問題について言及するほどであることを考えると、オリンピックというスポーツ祭典が日本という一つの「国家」にとってどれほど重要な位置付けにあるのかがよく分かる。それだけ国際的にも影響力があるということだ。 そのオリンピックを規模的に(テレビの視聴数で)凌駕すると言われているのが、ワールドカップである。国際サッカー連盟によると、2006 年のワールドカップドイツ大会のテレビ視聴者数は、世界 214 カ国・地域で延べ 263億人(大会を通じて)である一方で、2008 年の北京オリンピック北京の視聴者数は約 47億人だったそうだ。サッカーのみの、たった一種目を扱うワールドカップが、約 300種目(当時)を扱うオリンピックに視聴者数という観点で圧勝しているのである。 このようにサッカーは国境や文化等、あらゆる垣根を超え、世界中で人気であるが故に、国同士や民族同士の政治的な争いに影響を受けることもある。例えば、一時は「世界最強」とまで謳われた旧ユーゴスラビア代表は、1992 年の欧州選手権直前に、国内紛争が原因となり、国連の制裁によって一切の国際試合を禁じられたため、その後 1994 年のワールドカップの出場機会を逃している。2014 年ブラジル大会では、旧ユーゴスラビアから分離独立した国の一つであるボ

Page 4:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

スニア・ヘルツェゴビナがワールドカップ初出場を果たしたが、旧ユーゴスラビア代表の“悲劇”は世界中のメディアから引き合いに出されていた。【オリンピック等の他の国際大会との比較を入れたい】

1.4 主要国のプロリーグ (経済規模、選手の年収、伸び・推移) 現在、市場規模においては、イングランド、スペイン、ドイツ、イタリアをはじめとする欧州諸国、そして競技面においては欧州に加え、ブラジル、アルゼンチンなどの南米の国々が世界のサッカーのトップに君臨している。 とりわけ、サッカー界で big five と呼ばれる、イングランドのプレミアリーグ、スペインのリーガエスパニョーラ、ドイツのブンデスリーガ、イタリアのセリエA、そしてフランスのリーグアンは商業的にも世界を牽引している。

図1

流れ:プロスポーツとしてのサッカーも世界一↓動いている金(経済規模)も世界一且つ、その規模は年々増大している(図1)(ワールドカップの経済規模も:放映権料の高騰により増大)

Page 5:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

第二章 日本国内におけるサッカー

2.1 日本におけるサッカーの歴史・経緯 初めて日本にサッカーが伝わったのは 1873 年で、英国海軍教官団の A.L.ダグラス少佐と海軍兵が来日し、東京の海軍兵学寮で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた、というのが定説。その後、東京の高等師範学校に"フートボール部"が、また、神戸尋常中学校(現 神戸高校)や神戸の御影師範学校などにサッカー部ができ、徐々にサッカーが広まった。1918 年には、全国高校サッカー選手権の前身となる日本フートボール大会や東海蹴球大会、関東蹴球大会など多くの大会が開催されるようになり、その翌年にイングランドから FAシルバーカップが寄贈ことを契機に、大日本蹴球協会(現 日本サッカー協会)が設立された。

2.2 日本におけるサッカーの現状(競技人口・経済規模など)  J リーグの歴史は、1991 年 11、『公益財団法人 日本サッカー協会の傘下団体として、プロサッカーを通じて日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及を図ることにより、豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達に寄与するとともに、国際社会における交流及び親善に貢献することを目的とする』という趣旨の下、幕を開けた。ここで言う「プロサッカー」とは、「この法人の正会員となった団体に所属するサッカーチームが業務として行うサッカー」のことを意味する。 1980 年代後半、JSL が日本サッカー協会に「日本サッカーリーグの活性化案」を提案するなど、日本サッカー界の積極的なプロ化への動きにより、1991 年に J リーグが設立された。翌年 1992年には、現在も続く J リーグヤマザキナビスコカップが開幕し、同年に日本代表が自国で開催された AFC アジアカップで初優勝を飾るなど、日本サッカーは盛り上がりを見せた。そして、1993 年 5月 15 日、ついに J リーグが開幕し、翌年から順調にリーグ加入クラブも増えた。またJ リーグが開幕した 1993 年には、日本代表はワールドカップアメリカ大会の最終予選で惜しくも敗退(ドーハの悲劇)するなど、プロ化以降、日本サッカーのレベルは確実に以前より上がった。 1999 年、J リーグは 1・2 部制を開始し、J1・J2 という現在のリーグの構造が確立された。その後も全国各地で新たにJリーグ入会を目指す動きが活発化したことを受け、日本サッカー協会とJリーグは 、2005 年 10月に「Jリーグ将来構想委員会」を創設。国内全体のリーグ構造やJリーグ参入を目指すクラブの経営モデル、また、Jリーグの将来構想などについての検討や提示を行っている。J リーグ開幕当初、会員となった J クラブは 10 クラブであったが、現在では52 クラブ(37都道府県)にまで発展しており、2013 年2月には、2014シーズンより「Jリーグディビジョン3(J3)」が新設されるなど、更なる拡大を続ける。

 Jリーグは、日本サッカーのレベルアップはもちろん、『「地域に根差したスポーツクラブ」を核として、誰もが生涯を通じてスポーツを楽しめる環境をつくり、Jリーグの理念の一つである「豊かなスポーツ文化の醸成」を具現化すること』※を目指している。このような「地域性」と「スポーツ文化の醸成」に重点を置くことを求められるJクラブの原点はドイツにある。1960 年、サッカー日本代表が強化合宿のため西ドイツを訪れた際、トップクラスの選手の強化や育成だけでなく、世代や性別に関係なく多くの人々へ広くスポーツの機会を提供する、当時の日本のスポーツ環境とは全く異なる状況を目の当たりにしたことがきっかけだ。従ってJリーグでは、Jクラブの本拠地を、本拠地占有権、興行権などの意味合いが深い「フランチャイズ」とは区別し、「ホームタウン」と呼んでいる。J リーグに所属する各 J クラブは、『ホームタウン

Page 6:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

が「Jクラブと地域社会が一体となって実現する、スポーツが生活の中に溶け込み、人々が心身の健康と生活の楽しみを享受できる町」』※となることを目的として活動を展開している。

 具体的に、Jリーグが目指す「地域に根差したスポーツクラブ」とは、ホームタウンの市民・行政・企業が三位一体となった支援体制を持ち、その町に不可欠の存在として発展するクラブを表す。Jリーグは、Jクラブが地域に根差しながら、ホームタウンのシンボルとして存在するところに価値があると考え、そのため各チームの呼称を「地域名+愛称」としている。そうすることでホームタウンの市民・行政・企業の理解と協力を得ることを可能し、各クラブを経済的に自立させている。現代における日本のスポーツ界では、プロスポーツチームが経済的に自立することは当たり前のように求められるが、J リーグが出来る前はこのような概念は存在しなかった。

 Jクラブは、プロとして活躍する選手を一人でも多く輩出するために1種(トップ・サテライトチーム)だけでなく、2種(ユースチーム)、3種(ジュニアユースチーム)、4種(ジュニアチームやスクール、クリニック)の育成年代の組織であるJリーグアカデミーを持つことが義務づけられている。各年代、カテゴリーにおいてリーグ水準の向上と、広く日本サッカーの強化のために、リーグとクラブがより一層の連携をはかり、育成活動を推進していくことを目指しているからだ。さらに J リーグは 2001 年、「選手育成プロジェクト」を立ち上げ、日本サッカーの強化に加え、社会人として自立出来る人間教育や、地域スポーツ振興を目的に、年代別の選手育成、学校や行政との関係づくり、施設の確保と整備、指導者の養成など、スポーツエンタテインメントの垣根をはるかに越えた取り組みを始めている。最近では、ホームスタジアムやクラブハウスが、ホームタウンのスポーツ振興を担う活動や地域の人々のコミュニケーションの場としての役割を果たしており、J リーグと J クラブのビジョンや存在意義が時代に合わせて変化していることが伺える。

 また、Jリーグは、選手育成と指導者養成を一貫してとらえ、 研修会を実施するなど積極的に指導者の養成にも力を入れている。自クラブのアカデミーの発展に貢献出来る指導者を育てることを目的として、ピッチ上のコーチングスキルだけでなく、選手一人一人を社会人として成長させるためのオフ・ザ・ピッチ教育のスキル指導などを行っている。更に、日本サッカー協会とJリーグは、審判員の養成にも目を向け、年間を通じて定期的に研修会やトレーニングを実施し、判定基準の統一や主審と副審との協力体制の強化などを図っている。 十分な審判経験と技術を持ち合わせる審判員を「プロ契約審判員」として認定するなど、日本サッカー協会の認定する 1級審判員の資格取得後のモチベーション維持にも力を入れている。

2.3 Jリーグの現状(形態の変化・チケット・グッズ・視聴者数)financial report入手可能か

2.4 日本代表の現状financial report入手可能か「J リーグ」と「日本代表」が決定的に違う点と、リンクする・参考になる点

Page 7:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

第三章 サッカービジネス

3.1 サッカーのビジネスモデル (チケット・グッズ・放映権ビジネス) 3-1-1 主要国プロリーグに関するビジネス・マネジメントプレミアリーグの放映権料は、まだ伸び続けている。2016/17 年シーズンでは、Sky と BT が合わせて 17億ポンドを支払う契約をしており、たったこの4年で 11億ポンドも増えている。The sheer size of the Premier League’s new three year £5.136 billion domestic live rights deals surprised many, focussing attention on the League’s remarkable growth story. In 2016/17, the first year of the new deals, Sky and BT will pay a combined £1.7 billion a season, an increase of over £1.1 billion compared to just four years previously.

クラブチームの収入源は、大きく分けると3つある。金を生む仕組みは大きく分けると3つ(図2)1、入場料2、関連商品販売(ユニフォームなど)3、放映権料

昨今、各クラブは SNS の活用などを積極的に行っている。

Page 8:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。
Page 9:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

(出展:全てデロイトグループ:http://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/uk/Documents/sports-business-group/deloitte-football-money-league-2015.PDF)

 3-1-2 国際大会に関するビジネス・マネジメント 視聴者数という観点や、世界に対する影響力という意味で、世界最大のスポーツ祭典であるワールドカップは、国際サッカー連盟(FIFA)が運営を行っている。FIFA とは、スイスのチューリッヒにオフィスを構える、「世界のサッカー」を統括する組織で、1904 年にオランダ、スイス、スウェーデン、デンマーク、ベルギー、フランスの 6 カ国とレアルマドリード(スペイン)によって設立された。ワールドカップは、1930 年に第 1回大会をウルグアイで迎え、第二次世界大戦のため中止された 1942 年、1946 年大会以外は、4 年に 1 度開催されている。FIFAは、ワールドカップの他に、女子ワールドカップをはじめとする各年代のワールドカップや、クラブワールドカップ、フットサルワールドカップといった国際大会を主催するほか、「サッカーの普及、ユース育成、レフェリーのレベルアップ、サッカーや移籍に関するルールの策定、サッカーを通じた国際貢献など、様々な活動」を行っている。また、FIFA の下には現在、 208 の国と地域のサッカー協会が加盟する「大陸別地域連盟」があり、日本サッカー協会(JFA)は、アジアサッカー連盟(AFC)に加盟している。FIFA の汚職について/どこで触れるか

【スポーツビジネスには欠かせない「放映権ビジネス」】【「高騰した」というだけの結論を「したがって、放映権ビジネスは重要」に変える】 ワールドカップの放送権料は、この 30 年間で急激に高騰している。ワールドカップのテレビ中継が開始されたのは第 5回大会の 1954 年スイスワールドカップからだが、1974 年の西ドイツ大会までは、ワールドカップの放送権は開催国の組織委員会が保持していた。この西ドイツ大会のテレビ放送権獲得交渉の相手は、ミュンヘン五輪の大会運営組織「ラジオ・テレビ委員会(DOZ)」であり、その組織委員会が競技場内の看板を中心とした広告の販売窓口となり、テレビ放送権も、組織委員会帰属の中継制作をするテレビ局が販売窓口となっていた。しかし、大会前の FIFA 会長選挙において、ビジネス界で成功していたブラジル出身のジョアン・アベランジェが当選し、FIFA自体が放送権の獲得とともに商業化路線に大きく舵を切ったことから、その 4 年後のアルゼンチン大会からは広告販売の一部を FIFA が直接世界的企業と契約するようになった。また、テレビ放送権については FIFA が直接販売するようになり、長期的な放送権契約で収入の安定化を図るために3大会(1990 年イタリア大会、1994 年アメリカ大会、1998 年フランス大会)を一緒にしてパッケージ販売するなどしている。 1974 年西ドイツ大会では、決勝戦の生中継と残りの録画放送権料で 70万マルク(約 8400万円/1マルク=120円換算)だったそうだ(注)。それに対し 2006 年のドイツ大会の、日本国内の放送権料は推定 150億円とされている。1974 年西ドイツ大会の試合数は 38試合であるのに対し、2006 年ドイツ大会は 64試合であることや、1974 年大会の放送は、決勝戦以外は全て録画放送であったことなど、単純比較することはできないが、1974 年から 2006 年の 30 年間で、日本向けのワールドカップ放送権料は約 180倍に高騰したことになる。 両大会のチケットの値段を比較すると、どれほど放送権料の高騰が他の品物の物価上昇と比較して破格かがわかる。74 年西ドイツ大会のチケットの値段は、たとえばドルトムントで行われた 1次リーグのスウェーデン対オランダ戦のチケットは椅子席が 25 マルク(3000円/1 マルク=120円換算)、立ち見席は 15 マルク(1800円)とある(注)。一方で 06 年ドイツ大会で

Page 10:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

はカテゴリー 1 が 100ユーロ(1万 4500円/1ユーロ=145円換算)、カテゴリー 2 が 60ユーロ(8700円)、カテゴリー 3 が 45ユーロ(6525円)、カテゴリー 4 が 35ユーロ(5075円)であった。通貨単位やレートの違いがあるため、単純比較することは不可能だが、それでもチケットの価格はこの約 30 年間で約 3〜5倍の値上がりにすぎないのに対し、テレビ放送権料は約 180倍にまで膨れ上がっている。 ワールドカップの放送権料が暴騰したのは、2002 年の日韓大会からだ。まず背景には、1980年代後半からの衛星有料放送の登場と共に、加入者獲得のため高額な放送権料を支払いキラーコンテンツであるサッカーソフトを獲得する動きが強まり、各国リーグの放送権料が高騰したという事実がある。加えて、1992 年バルセロナ五輪の放送権料が、1990 年イタリアワールドカップの約 8倍になったことから、FIFA 内部での放送権料に対する不満が広がるようになった。そこで FIFA は 2002 年と 2006 年ワールドカップでは、従来のようなヨーロッパ放送連合を中心とする ITC(International Television Consortium)との直接交渉を止め、公開入札制度を取り入れることにした。その結果、1996 年にスイスのスポリス社とドイツのキルヒグループという 2 つの企業が共同で放送権を獲得し、2002 年大会の放送権料は 13億スイスフラン(約 10億4000万ドル)、2006 年大会の放送権料は 15億スイスフラン(約 12億ドル)にまで高騰した。1998 年フランス大会と単純比較すると、日韓ワールドカップの放送権料は約 6倍にまで跳ね上がり、日本のテレビ局は「ジャパン・コンソーシアム体制」での対応を余儀なくされた。ジャパン・コンソーシアムとは、NHK と民間放送各社で構成される放送機構のことで、主な業務の一つに、ワールドカップのような世界的なスポーツイベントの放送権料の折半が挙げられる。 その後スポリス社の倒産とキルヒグループの破綻もあり、2010 年南アフリカワールドカップ以降は、FIFA 本体が再び放送権を直接販売管理することを原則としているが、特定の国や地域については電通などのエージェントに販売を委託している。前述したように、1974 年西ドイツワールドカップ前の FIFA 会長選挙でアベランジュ氏が当選してから、権益を FIFA に集中させ、大会出場国数をそれまでの 16 カ国から 32 カ国へと増やして大会規模を拡大させるなど、ワールドカップのビジネス化が始まった。後任のゼップ・ブラッター現 FIFA 会長もビジネス拡大路線を推進し、2006 年ドイツ大会では 200 を越える国と地域が参加し、総収入は約 28.6億スイスフラン(約 3326億 1800万円)にまで昇っている。【「高騰した」というだけの結論を「したがって、放映権ビジネスは重要」に変える】

3.2 世界戦略の事例

 3-2-1 レアルマドリード (世界戦略の歴史・現状・成功した要因) レアル・マドリードは、リーガエスパニョーラに所属する、スペインの首都マドリードのクラブチーム。売上が一位。メンバーの多くが、世界的スター選手であることから、「銀河系軍団」と呼ばれ、世界中のサッカーファンの憧れ、注目の的となっている。

 そんなレアル・マドリードは、2013 年には、アメリカの月刊誌『フォーブス』が発表した「サッカークラブ長者番付」において、8年連続トップの座を守り続けていたマンチェスター・ユナイテッドを抜き、世界で最も資産価値の高いクラブと称されている。

 そのレアル・マドリードの経営の一翼を担うのが、会長のフロレンティーノ・ペレス氏である。ペレスはサッカークラブ経営の常識を覆す手法で経営改革を行い、レアル・マドリードを、現在

Page 11:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

のような、世界一のサッカークラブに仕立て上げた。ペレス氏は、現在2度目の会長職を務めており、彼が最初にレアル・マドリードの会長に就任したのは、2000 年のことである。同年の会長選挙の際、レアル・マドリードの宿敵である、バルセロナの当時のアイドル、ルイス・フィーゴ選手の獲得を公約として掲げ、当選後、実際にフィーゴ選手を獲得した。レアル・マドリードとバルセロナは、互いに一番のライバルであると認識しており、古くから両チームの試合は「クラシコ」と呼ばれ、毎試合、世界中が大注目する一戦となっている。したがって、レアル・マドリードとバルセロナの間で、選手の移籍等の取引が行われることは極めて稀なケースであり、ペレス氏がフィーゴ選手を獲得した際は、バルセロナのサポーターが激怒し、世界中のサッカーファンに大きなインパクトを与えた。 当時、レアル・マドリードは金融機関から1億 5600万ユーロ(当時で約 155億 2400万円)もの融資を受けるなど、2億 300万ユーロ(約 202億円)にも昇る負債を抱えていた。移籍金の未払いも 2000万ユーロ(約 19億 9000万円)に膨らんでおり、当時のレアル・マドリードは、フィーゴ選手の獲得も、ままならない危機的な財務状況にあった。そのような状況から、ペレス氏のテコ入れによりレアル・マドリードは、スター選手の獲得を軸に、スポンサー収入、テレビ放送権収入、スタジアム収入、マーチャンダイジング収入等、すべての部門を急成長させた。 建設業界屈指の実業家として知られるペレス氏は、金融機関と放送権を持つテレビ会社への、11 年分のマーチャンダイジング権や選手肖像権、そしてインターネット事業売上の権利、それぞれ 30%分の売却や、マドリード中心地に所有していた3万ヘクタールの練習場を自治体に売り払うなどして、クラブが抱えていた負債を完済した。そのうえで、郊外の広大な土地を購入し、新しい練習場の建設費に充てるなど、斬新な方法によって、クラブを破綻の危機から救った。 加えてペレス氏は、フィーゴ選手に続き、ジネディーヌ・ジダン選手や、デビッド・ベッカム選手など、毎年のように積極的に、世界的スター選手を獲得することで、「銀河系軍団」と呼ばれる、文字通り「スター軍団」の基盤を築いた。

 2006 年、レアル・マドリードは、所属するリーガエスパニョーラで思うような結果を残すことができず、ペレス氏は、その責任を取る形で会長の座を降りることになった。しかし、3 年後の 2009 年にペレス氏は、会長に再就任することとなり、またもやスター選手の獲得による独自の経営を推し進めた。同年のシーズンで、当時の2大ビッグネームであった、クリスティアーノ・ロナウド選手とカカ選手を一気に獲得し、更に 2010 年には、前年度、インテルを率いてヨーロッパチャンピオンに輝いたばかりの名将ジョゼ・モウリーニョ氏をチームに招き入れた。再びレアル・マドリードの愛称である「銀河系軍団」の名にふさわしいスター軍団を復活させ、リーガエスパニョーラのタイトルを獲得した。

 このようにレアル・マドリードは、凄まじいブランド力と潤沢な資金を武器に、絶妙なタイミングでスター選手や監督を獲得し、マーケティングと上手く連動させている。例えば、レアル・マドリードが 2014 年にハメス・ロドリゲス選手を獲得した際の移籍金にまつわる話は、レアル・マドリードの経営の上手さを裏付ける好例だ。ハメス・ロドリゲス選手は、2014 年ブラジルワールドカップに、コロンビア代表のエースとして出場し、大会得点王とうい称号だけでなく、大会ベストゴールも決め、同大会を通じて一躍世界的に有名な選手となった。ワールドカップブラジル大会直後、レアル・マドリードは、約 110億円という超破格な移籍金を払い、ハメス・ロドリゲス選手を獲得した。同時に、レアル・マドリードは、アルゼンチン代表のアンヘル・ディ・マリア選手をマンチェスター・ユナイテッドに売却し、約 103億円の移籍金を受け取っていた。それ以前、100億円を超える移籍案件は数件しかなく、巨額な移籍金を操るレアル・マドリードの経営術に世界中が驚いていた。しかしレアル・マドリードは、卓越したマーケティン

Page 12:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

グ戦略により、サッカー界を更に驚かせた。ハメス・ロドリゲス選手の入団後のたった2日間で、ハメス・ロドリゲス選手の名前入りユニフォームを約 34万 5000枚販売し、移籍金の約 33%にあたる約 36億円を売り上げたのだった。このようにレアル・マドリードは、自チームでプレーすることにより、更に価値が高まった選手を多額で売り払うだけでなく、莫大な資金を活用し、チームとしてピッチ上で必要な選手を、より「旬の時期」に獲得することで、商業的にも成功を収める。

ディ・マリア(http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20140903/228245.html)ハメス・ロドリゲス(http://www.sportsone.jp/sw/20140720/75.html)

 3-2-2 マンチェスター・ユナイテッドU:世界戦略の歴史・現状

第四章 J リーグのアジア戦略

4.1 Jリーグアジア戦略の背景・概要 Jリーグは、日本サッカーのレベルアップだけでは、日本も含めたアジア諸国が世界のトップレベルに追い付き、FIFA ワールドカップをはじめとする国際舞台で好成績を収めることができないとしており、市場規模において世界のサッカーのトップに君臨するイングランドやスペイン、ブラジルなどに追いつくため、積極的に「アジア市場の拡大」を進めている。 具体的には、「アジア諸国から優秀な選手を獲得して、Jリーグに活躍の場を広げることで、Jリーグの競技面におけるレベルアップを図ること」や「Jリーグで活躍するアジア諸国の選手が自国の代表チームで活躍し、強いライバルとなることによって、日本代表のレベルアップにつなげること」そして、「アジア諸国の選手がJリーグで活躍することで、アジアの注目をJリーグに集め、Jリーグとアジアサッカーの市場拡大を目指すこと」を念頭に置いている。実際に Jリーグは、2009 年から各チームの外国籍選手の登録数を拡大して、3名の外国籍選手枠に加え、アジアサッカー連盟加盟諸国の選手1名を登録可能とする「アジア枠」を設けた。 また、2012 年には、Jリーグの活動の一環として、岡山と福岡がそれぞれミャンマーとベトナムで試合に参加し、2015 年 1月時点では、札幌、清水、磐田、C大阪、神戸、横浜 FM、FC琉球の7クラブが、タイやベトナム、ミャンマー、インドネシア、マレーシアのクラブと「クラブ間提携」にあるなど、J クラブでもアジア諸国での活動を積極的に行っている。

4.2 アジア戦略の現状現状

4.3 アジア戦略の課題・スター選手の育成・輩出について

4.4 「百年構想」との共存

Page 13:  · Web view一つ目の有力な説は、イングランドがサッカーの起源であるとする説だ。このイングランド発祥説は、2004年までは、世界的に最も有力とされてきた説であり、他国でサッカーの起源を裏付ける、より古い科学的根拠が見つかった(後述)同年以降でも、イングランド発祥説を唱える人は多い。

 Jリーグは1993年の発足以来、サッカーを通してあらゆるスポーツを老若男女が楽しめる豊かな国をめざしたいという思いから、「Jリーグ百年構想 〜スポーツでもっと幸せな国へ。〜」というスローガンを掲げてスポーツ振興に取り組でいる。  2014 年以降、Jリーグ準加盟クラブは、J3参加を目指すこととなっているが、これらの準加盟クラブは 、「Jリーグ百年構想クラブ(百年構想クラブ)」に呼称変更 されている。

4.5 考察

参考文献

・Deloitte’s Annual Review of Football (Finance June 2015): http://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/me/Documents/about-deloitte/deloitte-uk-football-money-league-june2015.pdf・Deloitte’s Football Money League (2015): http://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/uk/Documents/sports-business-group/deloitte-football-money-league-2015.PDF・村社淳氏著「ワールドカップがもっと楽しめるサッカー中継の舞台裏」・メディア総合研究所著 『新スポーツ放送権ビジネス最前線』「高騰の波静まらぬサッカーワールドカップ放送権、ワールドカップの「世界」と「日本」の放送権料の水位」より・J リーグ HP: http://www.jleague.jp・FIFA: http://www.fifa.com