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Sam

gh�tas�tra-dharm

apary�ya

『サ

ソガ

タ経

Samgh�ta-s�tra

は、

西

カ語

(または于閲語)

の資

る。

の資

の概

の如

る。

,-.

 

-K-トrya-sarngh�ta-s�tra-dharma-pary�ya

  

ソド

二箇所

にお

いて所

いる。

一つは、

の国

(NationalArchives)が

し、

は、

スリ

ナガ

ル博

(SriPratap

Singh

Museum

Srinagqar)が

いる。

ー国

立文

局所

(以

下デ

リー本と云う)

は、

タイ

/

(SirAurelStein)が

1111年

にギ

ルギ

ット

ナウ

(Naupur)

ら蒐

の中

まれ

いる。

は、

"S ata-Pitaka"

 

"GilgitBuddhistM

anuscripts"

+

と題

Ldtj,印

(Facsimileedition)

で刊

た。

の内

『サ

ンガ

経』

は、

の中

に収

り、

(birchbark)で

四本

る。

七十

八葉

一葉

不完

全本

七葉

Sam

gh�tas�tra-dhrm

apary�ya

五葉

の断

五葉

は、

ルダ

(S�rad�)で

写本

であ

るが

の三

つの写

は直

タ文

(UprightGuptaScript)で

 

から

五~

六世

に遡

りえ

る。

スリ

ル博

の写

は'

O.V.H

inuber

によ

『サ

タ経

つの写

ると

二十

一葉

°

rad�

script完

v 

B

六十

四葉

a

cursivevariety

ofuprightsuript?

不完

写本

C

一葉

不明

これ

の写本

は、

ζ

゜ω゜KaulShastriが

j九

ゴ一八年

に、

スタイ

ンが

を蒐

た同

一場

に発

こと

って蒐

した

であ

る。

ち、

ー本

スリ

ナガ

ル本

じ場

から

のであ

る。

の内

スリ

ナガ

ル本

の写

A

は、

つか存

『サ

ンガ

タ経

写本

の中

で唯

一の完

全本

であ

る。

の意

で非

に貴

五七

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写本

であ

るが

KaulShastri

は、

の写

の奥

から

た年

は十

一世

であ

ると

いる。

一方

ー本

ルダ

で書

かれ

いる十

五葉

の断

(ListN0.39)を

つの写

は、

立グ

タ文

で書

かれ

り、

の書

から

五、

六世

の写

ら、

これ

の写

スリ

ナガ

ル本

Aと

の間

には、

の年

こと

にな

る。

は、

の小

玉大

「ヒ

マラ

ュミ

ル仏

の研

一貫

て、

五十

四年

三月

スリ

ルに

いて、

ζ

゜ω゜H

assnain

の好

って

スリ

ル本

A

よび

Bを

って収

た。

西

『hpags-pa-zun-gqyi-m

d°樹甲゜hos-kyi-rnam

-gram

Z

0.770

V

o1.28

(236-

5-

6)~

(257-

4-

5)

o.102

[N

a

228a1~

274bz〕

九世

に訳

出。

i

Uぎ

詠圃一ρ

旨蠧

B肆霽

℃饗

みΦ・゚ムΦ゜

漢訳本

二訳がある。すなわち、

『僧伽旺経』月婆首那訳。五三八年訳出。大正十三巻大集部。

『仏説大集会正法経』施護訳。九三〇年以降訳出。大正十三巻大集

部。

ω

サカ語訳本

サカ語は、于闡語とも云い、

Khotan(于闡)地方を中心として用い

られた語で、

「紀元前後のアフガ

ニスタン、西北イ

ンド、西イ

ンドに

政権をも

ったサカ族の言語との類似が指摘されている」と云う。この

五八

「新

二層

めら

」、

『サ

ンガ

タ経

は、

「古

ン語

(古層

のサカ語)

に属

る。

コー

ン地

で蒐

『サ

ンガ

タ経

の断

は、

ッパ

の各

に散

て保

てお

な所

地、

は明

でな

いが

の校

いる。

し、

の研

にと

『サ

ンガ

タ経

を構

成す

写本

は整

えら

いな

い。

『サ

ンガ

タ経

の資

て簡

に触

のであ

るが

の資

は豊

に具

って

ると

て、

の経典

ルギ

ットと

コー

ンで多

の写

いる

こと

ら、

これ

の地

た西

ンド

アジ

アで広

く流

いた

こと

る。

し、

は、

ほと

ど顧

った経

でも

る。

わず

『東

『僧

経疏

二巻

のあ

った

こと

るが

これ

して

いる。

『サ

ンガ

タ経

「サ

ンガ

の法

門」(Samgh�ta-dharmapary�ya)

る経

であ

ち、

ンガ

の法

を信

こと

によ

って得

の偉

と、

の消

を説

いて

いる。

ωo旨

-

gh�ta-dharmapary�ya

『サ

ンガ

経』

の説

を意

こと

にな

であ

ろう

はど

のよう

な意

のであ

ろう

か。

は、①

「サ

ンガ

の法

の意

味と

の法

の思

て考

に関

は、

スリ

ナガ

ル本

A匚

『僧

西

は、

によ

一致

るが

『大

は増

した

見受

れ、

容的

一致

い部分

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がある。したが

って、梵本のスリナガル本写本Aと月婆首那訳

『僧伽

旺経』を中心とし、適時西蔵訳を引用して論ずること

にする。

『大集経』との関係

『僧伽旺経』及び

『大集会正法経』ば、共に

『大正蔵経』十三巻の

「大集部」に収められている。

しかし、中国では、

『僧伽旺経』は元

「大集部」に編入されていなか

ったらしい。

井ノロ泰淳氏は

〔『至

元録』にょれぽ、

『祥符録』において始めて

『大集会正法経』が

「大

O

集部」に編入され、

『至元録』もそれを踏襲している〕のであり、ま

〔『僧伽旺経』は

『法経録』以来、

経録

に記されているが、

この経

『大集経』と関係せしめられ

た事は全くない〕と解説されている。

したが

って

『僧伽旺経』及び異訳の

『大集会正法経』は、

『大集経』

とは独立した経典として当初中国では扱われていたことになる。それ

では、内容的

『大集経』

『僧伽旺経』

との関係はどうであろう

か。それを論ずる前

に『大集経』とは、一体どのような経典であるのか

を考察せねばならない。しかし、そ

の構成内容を見る限り、はなはだ

曖昧であると云わざるを得ない。周知の如く、北涼の曇無讖訳の

『大

方等大集経』は、六十巻の大部

の経典であるが、

「六十巻本は、経録

の示す所

によると、隋代

に僧就が編んだのに始まるのであ

って、古く

は大集経は多く三十巻内外の本を指し、他は大集部に属しつつも夫れ

別名を以

って記されて居たのである。」

また、

『大集経』

の各品

は、それぞれ独立した内容を説き、統

一を欠く経典である。さらに西

蔵訳

に至

っては、

一層統

一的

編集意欲を

欠いている。

この様で

あれ

Saxngh碧

as�tra-dhrm

apary�ya

本来

の経典

た当

『大

いう

った

かど

か大

に疑

しな

いと

であ

ろう

し、

三郎

は、

『大

の意

「単

に集

の義

でも

なく

『大

に相

ンス

クリ

ット名

一般

M

ah�-sannip�ta-s�tra

.

sannip�ta

「衆

の類

の集

から

の経

は、

「大

の衆

に対

に於

て説

いた経」と

いう意味に解釈されて来たが、かならずしもそうでも

なく、この経を編纂した人々の真に意図するところは、

「法数、法宝

の聚、

法相の聚」

を説くことにあると

論じておられる。

このように

『大集経』の各品が、それぞれ独立した経典として存在しながらも、

法数、法宝の聚、法相を語る経典として互いに類似性を有するのであ

る。法数とは、喩えぽ

「陀羅尼自在王菩薩品」に

「善男子、菩薩摩訶

薩は八の光明有り、是の八明を以て能く諸の闇を壊し菩薩行を浄む、

何等を八と為す。

一に念光、二に意光、三に行光、四に法光、五に智

光、六に実光、七に神通光、八に無礙光なり、念光に八種あり云々」

とあるごとく、

一つひとつ数を並べて用語や句を列挙しながら解説す

る教義である。

法宝の

聚り

(あるいは法聚)

とは、

「無言菩薩品」

「八万四千の法聚」と説かれているごとく、仏の多くの教説を意味す

るし、それはまた、三宝中の法宝の聚りを意味する。ところで、法相

の聚という語は、真理がこの世界に種々様々な相として具現されるこ

と、すなわち、

「種々の教説」

いう

意味で

用いられたのであろう

か。

法相の聚をこのような

意味

に解するならぽ

「八万四千の法聚」

caturasiti-dharma-skandha-sahasr�niは、普通

「八万四千の法門」と

五九

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云われ、多く

(八万四千)の教説

(法門)を意味するからである。また、

たくさんの数にまとめられた仏語の列挙

(法数)もそれが

同時に法の

聚りということ

に帰結され、結局法数は法聚と同

一意味になる。しか

も、

『大集経』は、

一定数

に教

理をまとめた法数を随所に説

いてはい

るが、

「法数」という言葉自身は、

『大集経』中

には存在しない。し

たが

って、

『大集経』全体

に共通し統

一するものは、

一貫した筋道あ

る思想内容ではなく、

「法聚」という概念であること

になる。

前述したごとく、

『大集経』

「大集」という語が、説法を聴くた

めに多くの衆生が諸方から集り来

ったことを意味する

「集会」ω睾

口憎

p�taと

いうijitII義を持

つことを松本文三郎博士は、一応排除されたので

あるが、蓮沢成淳氏は、

「大集」の意味には、

「法聚」の外に

「仏菩

薩などの多数の集り」である

「大集会」の意味も有ることを述べてお

られる。

筆者

『大集経』

に対する管見の限りに於ても、

この語が

「大集会」と

「法聚」の二つの意味を同時に合せ持

つことが正しいと

考える。その論拠

については、

『サンガータ経』を考察する箇所で述

べること

にする。

以上

の様

『大集経』が何を意図した経典であるかに触れたのであ

るが、

『サンガータ経』

については

どのようであ

ろうか。

まず

「法

聚」と

いう語

について見てみると、この経典中に二箇所みられる。

地大之性無言無説。法聚無知無覚。

鋤8什き

(9ーザ)

凛けぼく(貯菩)

鷲巴Φ伽①

昌巴碧p。昌江

ω鋤巨

呂き叶一\

dharma-skandham

(na)praj�nanti//

他の個所

は、

六〇

子。

日浄

一切

不善

/dharma-skandho,dharma-skandaitibhagavannucyate,kiyat�

bhagavan

dharma-skandha

ity

ucyate//bagav�n

�ha/dharma-

skandha

iti

kulaptrocyate

yo

brahma-caryam

paryesa(t)e,

brahma-carya(m)

paryesya

sarva-p�p�d

viramatiQ

いる。

こと

「法

ω臨

゜は

dharma-skandha

(Tib:chos-kyi-phun-po)

であ

る。

『大

正法

、前

に相

箇所

いが

に相

部分

「法

いる

『サ

ソガ

タ経

二箇

「法

いう

使

いる

こと

の経典

『大集

の関

ので

いか

と、

の事

ら推

る。

ろで

『サ

ンガ

タ経

の説

は、

の通

り、

「サ

の法

Samgh�ta-dharma-pary�ya

の宣

にあ

るが

ω鋤旨

gh�ta

いう

を検

と、

の語

sam

<ghat

(toassemble

together,tomeet,toencounter)

から

した

「集

「聚

いは

「集

いう

こと

の月

は、

の語

「僧

ので

は、

「大

いる。

一方

西

ると

ω鋤旨αqげ碧o

の語

..塁

口、"

に当

いる。

の語

は、

「受

る」

いう

つが

、そ

の理

Sarimgh�ta-dharma-pary�yaが

よう

に「大

こと

の意

こと

に由

る為

であ

ろう

く'

Samgh�ta-dharma-pary�yaは

、dharma-skandhaや

sannip�ta

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と同義語的に扱われていると解

してもよいと思う。

「サ

ンガー

の法

門」

の意

「サ

ンガ

の法

を内

にど

のよ

の経典

は述

いる

ので

の法

る幾

つか

の重

を経

から

い上げ

こと

にす

る。

ω

の除

る。r

から

こと

ンガ

の法

の目

であ

る。

の経

の初

の部

に次

よう

に述

いる

一切

庇。、若

此.法

門、在

閻浮

阿耨

三藐

三菩

退

一切

。過

一仏

Φ<。。旨

げ冨

Q゚襞

の霞

(<)p。み霞

。び○き

同-の。。鼻

〕ぐ。

彎⇔冨

-の簿〔岱くO

bhagavatah

pratyasrausit/bhagav�n

a th aited

avocat//asti

sar(v a-s�rasam

gh�ton�m

adhar(m

 a-par��ya(h)/

ya(s)tarhi

恥(餌bP)げ学

(同)bΦ

p$

同霧

\巻

〔ザ〕訂

o津

。゚襞

(<》

み口諾

伴ヨ

samgh�taxn

dhar(m

)a-pary�yam

srosyatitasyapam

c�riantary�-

)穿

鋤蠢

℃霞

一訂

p巻

\象

く巽

け岸

(9)い

8

bhvisyaty

anuttar�y�m

sam

yaksam

bodhau

//tat

kim

m

anyase

ω贄

(<)甼

\醤

⇔旨

・゚鋤旨

αq訂

ωo肓p旨

穿

(日)帥・冩

餌髱

srosyatiyathaikasyatath�gatasyapunya-skandhastath�t�vat

punya-skandha(m)(sa)sat(t)va(h)prasavisya(t)�ti/

Jam

gh�tas�tra-dhrm

apary�ya

のよ

に、

ンガ

の法

るだ

で、

は誰

でも

五逆

のよう

な重

ても

の罪

から

から

退

こと

い。

ンガ

の法

いう

こと

は、

一如

の有

る偉

の集

(punya-skandha)

匹敵

る功

から

であ

ると

『サ

ンガ

タ経

tjlt�ぢ

いが

救済

で、

だ含

経典

であ

る。

の経

は、

ンガ

の法

の持

つ功

の偉

し、'

の功

の力

によ

って

の罪

の救

を説

こう

いる。

の意

で前

の文

『サ

ンガ

タ経

の主

に表

るが

の経

五逆

よう

p�pa-karman

(漢訳

は、

不善業)

の外

に、

一つ衆

の為

大罪

て、

「正

いる。

ち、

一切

一切

勇。

衆生

二種

二。

一者

二者

正法

二人臨

\Φ養

Φ奉

ω胃(<)9・盆

口一鼠

げ冨

く穹

8、し。9

〔叶∀

日ゆ黄

パ魁9・。。餌ヨ曙

①藤響

ω贄

(<)甼盆

鬘广ω簿

〔畠畠

昌似旨

同蟲。゚饗

marana-k�la-samaye//katamau

dvau

/yad

utaikah

sat(t)vah

b91冨

白)餌訂

8鉱

犀91同91冨

〔蟲

〕五

≦菖巻

〔ヴ〕ω奚

(ぐ)鋤み臼

9。

saddhar(m a[m 

pratiksipati/imau

dvau

sat[t va-nair�syau

marana-k�la-samayeQ

り、

に為

正法

謗す

(。。巴阜

harmaxnpratiksipati)者

二者

から

され

た衆

⊥ハ」

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(sattv�n�mnair�syau)であるとする。この一節は、五逆の罪を犯す者

とは説かないで、ただ罪業を為す者とだけ説

いているが、罪業を為す

と誹謗正法とが救済され難いことを強調する点で

『無量寿経』の第十

八願に云う

「唯除五逆誹謗正法」の文を想起せしめ興味深い。

『サン

ガータ経』は五逆の罪よりの救済と誹謗正法を排斥することを繰り返

し述べていることからして、このこ点を強く意識した経典であること

がわかる。」それでは

『大集経』

においてはどうかと云えぽ、ところど

ころに散見する。

「虚空目分中浄目品」

能く衆生の身

・口

・意の悪

を壊し、能く衆生の三種の障業を滅せ

ん。唯五逆と正法

・賢聖の人を誹謗すると招提僧物を劫ることを

@

除く。

「日密分中四方菩薩集品」

当に知るべし、是の人の一切の悪罪、皆悉く消滅せん。五逆罪と

方等経を謗ると聖人を毀呰すると四重罪を犯すとをば除く。

h日蔵分陀羅尼品L

是の如き等の業皆悉ぐ滅尽して

罪報を

受けず、

悪処

に生ぜざら

'ん。唯三事を除く。何者か三と為す。

一つに五無間、二つに正法

を謗ると三つに聖人を謗るとなり。

などであ

って、

『大集経』に於

ては、五逆と正法

(または方等経)を誹

謗する者

の外、

「聖人を毀呰す

る者」などの条件も付加しているが、

悪業の除滅を説く

にあたつて、

五逆罪と誹謗正法の者は、その救済か

らはずされることを説いている。

六二

は、

『サ

ンガ

タ経

にお

いて

は五

正法

の救

かと

いえば

はじ

に述

ろ五

は、

「サ

ンガ

の法

で救

る点

調

る。有

門名

旺、

五逆

霧口

・゚胃

(<)pみ臼

p

ω。旨σqゲ碧o

桓p

穿

贄(ヨ)㌣冨

鋤矯魯

\饗

〔呂

け贄

』(PHP)訂

ム<(剛)需

b鬘

8霽

\醤

〔ゲ〕吋器

ω鶏

(<)?

s�remam

samgh�tam

dhar m a-pary�yam

srosyatitasyapamc-

�nantary�nikar(m �varan�nipariksayam

y�syanti  

一切

設使

五逆

一四

°・唇

ω胃

(<)㌣君

団Φ

びo傷窪

-°・鉾〔昌&

甲ω葺

く餌

似ω旨理

・゚餌旨αq冨

贄(日)昌

団碧

彜。罧

.8嘗

岸鋤目

鋤艮

αq冨

けげ餌・

(r:n)srosyanti/tadyath�.sar(v)a-s�ra

kas

cit

sat(t)vobhaved

yah

pa(m)c�nantary�nikar(m

)�varan�nikury�t

v�

kryam

�-

n�niv�num

odet,pa(m

)c�nantarya-k�ri(s)a

ita(h)

samgh�ta-

dhar(m)apary�y�c

catus-p(�)dik�m

apigh�th�m

srnuy�ttas-

�a

t�nipa(m)c�nantary�nikarm

�nipariksyaxn

gaccheyuh

//

。、

srnu

kuraputra

yenapanc(�)natary�nikar(m)�nikrt�nik�ri-

t�nikryam

�n�niv�rium

odit�nibhaveyul /yadisaitassamgh�-

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ta-dharma-pary�y�d

antasas

catus-p�dik�m

apig(�)th(�)m

srutv�mjalim

pranamayesyati/tasyasarv�nit�nipa(m)c(�)-

nantary�ni par(i)ksayam

gat�nibhavisyanti//

の様

に、

五逆

の罪

「サ

ンガ

の法

門」

を聴

り、

の法

に於

一つの

四句

いた

を聞

いて

一心

に合

るだ

の罪

ことが

でき

と述

いる。

こと

は真

に易

ろう

し、

の経

は、

の者

の救

に説

いて

いな

い。

は、

の非

い改

正法

こと

によ

って

み救

の機

る。

って、

正法

信ず

る者

は、

ただ

いと

いう

の経

の支

の信

に基

のか

い。

『大集

経』

にお

いて

は、

いてど

よう

に云

って

いる

いう

「日密

品」

に、

子、

尼仏

の本

まう

は、

し衆

五逆

を造

し方

り聖

人を

て波

に、

の如

人清

に容

れざ

る者

に生

め、

に教

しと

り。

五逆

し、

る等

の大

は、

尼仏

の本

の対

ると

いる。

は、

に如

の悪

に要

かと

の仏

に対

て無

一心

に誦

れば

の人

七年

に有

る諸

の罪

て余

Saxngh�tas�tr�-dhrm

apary�ya

る。

の如

『サ

ンガ

タ経

『大

にお

いて

は、

の重

者が

救済

の対

ら除

ると

なが

一方

であ

る。

たが

って

五逆

(ただ

し、

『サンガータ経』では誹

謗正法

の救

済を具体的

に説

いていない)

の救

に衆

に随

こと

への戒

めと

い。

「サ

ンガ

の法

門」

は、

から

る点

に、

在意

り、

「法

聚」

『大

にお

ても

の救

を熱

に説

のを

であ

る。

し、

『大

は、

成男

の思

を説

であ

るが

『サ

ンガ

タ経

は見

せな

い。

の点

は留

なけ

い。

衆生

の罪

の苦

から

の解

の経

は説

に、臨

にお

衆生

の恐

や、

の死

の問

ても

いる。

の深

を追

の死

いて

こと

に到

であ

ろう

に経

り少

しく

ると

ω

「サ

ンガ

の法

いて信

心を

る者

は、

「六

五千

にdr?死

る」

(paxnca-sasti-kalpa-sahasr�nimaran�nusmrti[h〕

bhevisyti)

ω

(brahma-carya)を

る者

は、

「臨

の時

の心

は怖

(m

arana-k�la-sam

aye

tr�saxn

notpadyate)

六一二

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、非

の死

遂げ

た者

( 死

anapar�dhikah

pursah)

に対

て、

「彼

は死

に臨

む時

一念

に浄

心を

し仏

に、

って

に六

十劫

三十

三天

に於

いて楽

ん」,

の衆

(少衆生

dahar�hsattv�h)が

にわれ

た死

べき

かと

かけ

に対

て、

・「汝

一切

の衆

た死

に帰

る。

よう

に、

にお

る死

の恐怖

ら離

こと

は避

ぬも

のと

る自

(念死)

や、

の死

(枉死)を

遂げ

の救

を説

こと

に年

の者

は必

らず

到来

こと

ど、

の死

いて

しぼ

しぼ

いて

いる。

し、

に関

『大

にお

いて

も詳

され

ると

であ

り、

おそ

『大

の影

を受

のと考

る。

一四

の聴

を勧

る。

「サ

ンガ

の法

を聞

の集

(功徳聚

punya-skandha)

で、

の大

く滅

ると

「サ

ンガ

の法

一四

いう

表現

しば

し憾

見受

る。

来。

若有

一西

句偈

 

o

 <‐髱

ひ8

霞亀

&

曽σq"旨αq91蠧

爵之91ξ

あ9。ヨ似旨ω富け氤

σq卑口笥臂}蜂

ωp。旨巻

閃・ω9甘げ&

穿

〕餌巻

\巻

ゆ。(etah)ωp旨αqゲ鋤箪

穿

臂(ヨ)餌、

91鴇91鎚

富ひ詠

噸も&

貯91日

鋤且

αq肆冨

珍o質

簿(矯)鋤髯

六四

tato

bahutaram

punya-skandham

prasavisyati  

の法

たと

一つの

四句

こと

の功

は、

三恒

の如

供養

る功

も多

いと

一切

勇。

墟摩

訶薩

唾。

此法

四句

使

人随

喜。

一四

偈。

珍冒

ω襞

(<)9。-欝

団Φ

げ。山ぼ

あ肄〔昌畠

目跨

甲ω讐

〔け〕畠

器日肆

samgh ta-dharma-.pary�y�d

ant sas

catus-p�dik�m

api

g�th�-

〔m 

ァrosyanii/tadyath�

sar(v)泳

口鑓

。騨

ω卑

〔昌

く。

げ冨

く&

yah

pa[m c�nantary�nikar(m)�caran�nikur��tk�rayed

v�

kryam�n�niv�numodet/pa(m c�nantarya-k�risa

itah

sam

-

gh�ta-dharma-pary�y�ccatus-p�dik�m

apigh�th�m

srnuy�ttas-

yat�nipamc�nantary�nikar(m)�nipariksayam

gaccheyuh

/f

いて

いる

よう

に、

ンガ

の法

わず

(それ

によ

って得られる功徳

の量

は)あ

も、

の業

造作

し、

に造作

め、

(他人

によ

って罪が)造

つあ

こと

に喜

を感

生が

ンガ

の法

から

いて

の罪

こと

(偉大

ある)と

う。

に云

o簿二覗も91伍涛⇔

は、

四行

り成

こと

って

一四

偈と

は、

の最

ると

るが

の極

い経

文が

ンガ

の法

門と

て説

た場

、不

思議

を有

こと

にな

。そ

の理

は、恐

「法

聚」

(dharma-skandha)と

いう

え方

に基

であ

ろう

ω⇔旨σqげ碧p。

いう

「聚

り」

いう

こと

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の法

(dharma-pary�ya)

は八

の法

、す

一法

一四

の中

に集

こそ

の功

偉大

であ

ろう

って

一四

ンガ

の法

にお

いて聞

は無

の教

のであ

ろう

に、

五逆

の大

した

一四

を法

ら聞

は悉

われ

ると

いう

理が

のであ

る。

一字

こと

いる中

「サ

ンガ

の法

いて次

こと

こと

一切

法。

以輪

徳為

喩。

一切

Φ奉

Φ奉

。゚碧

(<)餌み51Ho

び&

-ω簿

〔昌く⇔°・唄9。

ヨpゲ甲ω鉾

〔畠奉

9

mah�y�na-saddhar(m)a-dh�rakasya

pratipatt(au)

sth(�na)sya

yatpunyam

tan

na

sakyam

r�jabhincakravartibhirabhibha-

vatum

/evam

ev�syasamgh�ta-s�trasyadhar(m a-pary�yasya

lekhan�d

yatpunyam

tan

na

sakyam

upam�m

karutum

//

の文

は、

ω閃汁゚

は少

しく

で'

Skt°本

ると

、こ

のよ

に、

ルバ

・シ

ュー

ラよ

の正

にと

(mah�y�na-saddharma-dh�rakasya)ボ

・偉

に造

(pratipattausth�nasya)功

は、

によ

っても

こと

でき

い。

に、

ンガ

の法

の書

(得られ

る)功

こと

い。

には

、「此

門者

一切

大乗

正法

「サ

ンガ

Sam_gh�冨as�tra-dhrm

apary�ya

一切

の大

正法

るL

に述

いるが

にお

は、

「大乗

の正法

にと

(11

る)

げo争

hi-sattvasya

mah�-sattvasya

mah�y�na-saddharma-dh�rakasya

って

いる。

し、

の文

に、

「こ

よう

に、

ンガ

の法

の書

(得

られ

る)功

は、

こと

でき

い。」

いる

こと

て、

「サ

ンガ

の法

いう

語が

「大

の正法

を受

る」

に置

えら

いる。

「サ

ンガ

の法

「大乗

の正法

を受

こと

こと

でき

ろで

-dh�rakaであ

るが

「摂

いる。

し、

「受

持す

(人)」と

訳す

べき

であ

る。

「教

こと

であ

-穿

p訂

は、

に教

しよ

(人)

の意

であ

る。

の正

の主

こと

「サ

ンガ

の法

であ

る。

の主

に大

の正

こと

を漢

「受

」と

せず

「摂」と

であ

る。

一方

西

は、

の経

の題

「受

経と

いう

gyi-mdocho-kyi-rnam-gransと

して

るが

..N⊆臣、、と

「衆

の心

に大乗

の正法

る」

こと

を意

のであ

ろう

のよ

に考

ると

の法

は究

は法

穿

arma-skandha

と同

一意

にな

る。

「法

る」

は、

の中

にと

こと

でも

る。

は意

であ

るが

の経典

は、

「聞

「書

る」

「読

る」

「解

の身

口業

「サ

ンガ

の法

て挙

いる

の強

調

六五

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?

「サ

ソガ

の法

の目

は、

こと

にあ

った

が、

や浄

こと

一゚切

一切

退

一切

:

団Φ

ω貧

(<)①み臼

Φヨ鋤旨

ω9ヨσqげ鋤$旨

働げ霞

(ヨ)p-℃贄

団似蜜鋤旨

吟o鷲

偉D-

ntite

sar v e

svaivartik�bhavisyanti/sarve

ca

tath�gatam

,脅

9犀鷲p昌江

\の胃(<)Φ

8

霽節似σq9冨-号

同総

く(帥冨甑け91)びげ⇔≦鷲

①ヨ同逼

「サ

ンガ

の法

は、

こと

ら離

いと

に。

evam

evadurlabh(am)

brahma-cary(am)/yad�

ca

brahma-

(ca)ryam

c�ryasya(t)itath�gatarims(atad�draksy)a(t)ir�tri

(旨∀象く鋤ヨ

8

$匪

91αqp。雷-勉p。詠o心鋤昏

びゲ餌乱鷲

⇔江

\団鋤餌鋤

8

富臣

σq卑鋤旨

bo⑫

讐凶

富山鋤

づ舘同ひq山傷げo昏

び信山餌財鋤-犀噸Φ什蠢

づ9珍

p寓

図Q山鋤

℃⇔ユ瓮

島侮ゲ鋤旨

げ皿山山ゲ鋤涛噸Φ茸p屯旨

℃詠

団ρ。江

寅鎚91

。・鴛

(<)節ムゲ貧

(m)鋤-巳鎚ゴ鋤⇒鋤巳

b詠団鋤鉱

「サ

ンガ

の法

て、

る者

は如

る者

は浄

仏国

を見

ると

る。

に、

の衆

の願

を発

に、

仏者

入死

羅尼

心願

び二伍匹ゴ9。旨

8

い母①づ⇔旨

αq鉾

(oy

嘱qo同

昌9

団鋤超

⇔江

く募9鰹鳩

犀曾鷺鋤旨

℃曷D゚団⇔鉱

αげ鋤蠢⇔剛も

葺学鷲⇔。D91匹餌厳

犀慧く鋤ω(鋤)霽。。曾融鋤旨

六六

'、

℃o超

魯Φ

、彼

に帰

し、

に従

せず

に陀

て、

(仏)を

る、

る。

の様

に、

ンガ

の法

を聞

や法

る梵

に菩

の願

の衆

の束

ると

に、

ことが

でき

ると

のも

の経

の特

であ

ω

'法

を述

る。

これ

の中

に、

しば

しば

「サ

ンガ

の法

たが

は、

の法

一体

のか

こと

にな

る。

の人

は法

(dharma-bh�naka)であ

ると

いる

一切

言。

世尊

人功

与如

等。

仏告

一切勇

唾。

子。

一切

世尊

一切

此法

者。

師。

ω母

(<)鋤み臼

o

鋤ゴ餌\閃鋤冨ヨ①(o)

8

びげ⇔σq餌く帥(口)

犀qい巴卑白

巳⇔旨

tath�gata-samam

jn�tavyam

//bhagav�n

�ha/dhar(m a-bh�-

仁⇔犀o〔げ〕鈴八く)o-君鑓

叶⇔臣鋤σq讐p-ω9。日鋤旨

肆9<蜜⇔ゲ藤ω贄(<)㌣盆

�ha

/katamo

bhagavan

dhar(m)a-bh�nakah

//bhagav�n

�ha/

団霧・ωo旨σqげ鋤8-ωO霞p旨

ゆH餌く⇔図鉾一ω餌伍犀母

(日)p-げげ鋤仁p犀鋤ヴ§

の様

に、

『サ

ンガ

タ経

(。。9旨σqh�ta-s�tram

sr�vayati)

は法

,Q

(dharma-bh�naka)であ

るが

、彼

こそ

『サ

ンガ

タ経

の精

「法

て大

に語

説法

であ

った

のであ

る。

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いて

研究

た静

正雄

によ

ると

は初

の作

つあ

った

に登

し、

らが

「大

した

唱者

ったと

云う

の引

「サ

・シ

ュー

ラよ

如来

(善根

の所持者)と

べき

(dharma-bh�nakahsarva-s�ra.tath�gata-samam

jn�tavyam)と

いる

から

る通

り、

は自

の伝

て強

い自

って

いた。

に、

「大乗

の正法

を受

る菩

(bodhi-sattvasyamah�-sattvasyamah�y�na-saddharma-dh�rakasya)と

は、

師自

を指

のであ

る。

よう

であ

ソガ

の法

説法

の法

師と

の法

を聞

は、

一線

る。

は、

の故

に専

ソガ

の法

であ

一四句

であ

る。

これ

に対

て能

の法

は、

の菩

一段

い位

に置

いて

いた。

て、

は、

ただ

に説

るだ

でな

し、

三千

に諸

の如来

が清

の心

生ず

る所

に、

の此

の法

は彼

に勝

る。

いか

に況

や書

・読

.受

るを

や。

一切

た況

って清

の経

を憶

の法

を聞

凡夫

であ

り、

の功

は偉

であ

るが、

.読

・受

し、

って

憶念

はも

っと

であ

う。

に云う

・読

・受

・清

心を

って憶

は法

であ

ると

る。

スリ

ル写

は、

の部

が脱

し、

Samgh�tas�tra-dhrmapary�ya

    1 

の箇所

明確

いが

、西

は、団一-αqΦ同-江

び9(書写)、hdsin,冨

(受持)、

klog-pa

(読誦)'

sems-dan-basphyag-hdsal-ba(清浄

心をも

て礼拝す

る)と

って

いる

は、法

の登

る大

「経

の読

・受

・供麹

を強

調す

ると

いる

から

は漢

西

に近

った

る。

のよう

に、

は書

、受

、解

、礼

、ま

は、梵

(brahma-

c�rin)

でも

った。

は前

に引

した

に、

「梵

得。

。」

(似巨

筈訂

ぼ魯

日甲。⇔蔓⇔ヨ\巻舞

8

ぼ接

B学

caryam

caryasyati,tath�gatam

s(a

t�d�

draksy)(t)ir�trixn-divaxn

ca

tath�-

ぴq⇔琶

げ蕚

叶歯

述べている箇所から解る・

梵行誰

、邪

の行為

を離

を為

し、

の説

の対

は、

の大

にだ

く、

(少衆生

留訂

冨ザ

ψ彗

螽ザ)

は、死

の避

いこ

(念死

maran�nusmrtih)を

め、

た陀

羅尼

一切

(仏)法

べき

こと

いて

いる。

世尊

。法

聚。

縁故

聚。

上。

日浄

一切

子。

見如

不。

此諸

生離

故。

必得

一切

dhar(m)a-skandho,

dhar(m)a-skandha

itibhagavann

ucyate,

kiyat�

bhagavan

dhar(m)a-skandhaity

ucyate  bhagav�n

�ha

/dhar(m)a-skandha

itikulaputrocya(t)e,yodhar(m)a-caryam

paryesya(t)eBrahma-carya(m paryesyasar(v)a-p�p�dviramati

六七

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/pasyasiteam,kulaputr�midahar�(h)sat(t)v�

abrahma-car-

y�d

viramanti//�ha/te

n�nam

dh�ranipratilabdh�

bhavis-

yanti,sar(v)a-dhar(m)a-samanv�gat�

bhavisyanti  

は、

め、

大乗

正法

の受

(;iE[聚

dha-

rma-skandha)と

り、

行者

て陀

し、

一切

の仏

マス

て、

ち法

の継

承者

ってく

よう

にと

の、

の強

い期

待感

る。

『サ

ンガ

タ経

の前

は、

ンガ

の法

を聞

一四句

の偉

の解

に専

し、

は、

の衆

への

に専

いる。

た、馳先

の文

ら、

ちが

こと

『サ

ンガ

タ経

に、

正法

の説

であ

る法

の関

学的

に次

のよう

に説

いる。

一切

世尊

一切

、菩

一切

二衆

等為

二。

一者

一切

心平

。°二者

無稀

望。

一切勇

一切

勇。

渇仰

聞法

・近

o浮

鋤犀ず巴仁

ω胃(<)⇔み臼

o

びo働ぼ

-ω鉾

〔昌くo

ヨoげ㌣ω餌け〔昌くo

びげoσq甲

vantam

etadavocat/katametebhagavan

sat(t v�yedhar(m)a-

℃母

肆場肆91

びげp<同鷲

p三団ミ①<oヨ

q埣Φ

ぴげQαQ餌く餌u

ω穹

(<)餌-鯊

bodhi-sat(t)vam

mah�-sat(t)vam

etad

avocat/dvau

imau

sar-

(<)pみ冒

㊤。・卑

〔畠く鋤⊆

畠ゲ鎚八ヨ)蝉も鋤ユ貫曾鼠信強犀9一9。日餌q山く勉信\団o自

葺巴犀9ザ

ω贄

(<)9み91$

の胃

(<)甲の暮

〔昌話

-°。鋤日㊤-9叶$ゲ\餌≦寓団9〔ゲ〕

六八

sar(v)a-s�rayodhar(m)am

srutv�sar(v)a-sat(t}v�n�m

samam

91鐙旨

けミ

。・貧

(<)⇔-ひ貸oぴo傷ぼ-°・卑

〔昌奉

鋤げ9\犀卑⇔ヨ9旨

ぴげpσq-

avan

dhar(in)am

srutv�

lar(v)a-sat(t]v�n�(m)saura(m)pra-

い①〔yati //bhagav�n

�ha/ekah

sar(v)甲いo量

α冨

八日)⇔旨

ァrutv�

bodh�ya

parin�maya(t)i/yad�

ca

bodh�ya

(pa)rin�-

mayatitad�sar(v)a-sat[t)v�dhar(m)a-(pa ritrsit�bhavisyanti

ミα<貯

蜜餌。。贄

(<)餌み91蠢

団o

目聾

鋤嵐

⇔σq鋤冨

団⇔鉱

巳亳

⇔ヨ

8

dhar(m)a-paritrsito

bhavati//

は漢

ので、

を訳

〔そ

のと

ルバ

・シ

ュー

ラボ

・偉

大な

は、

よう

に言

った

「尊

、法

を仰

う者

は如

る衆

よう

か。」

のよう

に言

ったと

は、

ルバ

・シ

ュー

ラボ

・偉

に向

って

のよう

に言

た。

「サ

ルバ

・シ

ュー

ラよ

は、

これ

二種

る。」

「いず

二種

(の衆生)で

よう

か。」

「す

ち、

ルバ

・シ

ュー

よ、

一つ

は(

の衆生

におけ

る平

であ

る。

に、

ルバ

・シ

ュー

ラよ、

を学

です

の衆

に等

しく

(そ

の法

を)

であ

る。」

ルバ

・シ

ュー

ラボ

は言

った

「尊

よ、

のよ

が、

です

の衆

に等

しく

よう

か。」

は言

われ

た。

「サ

ルバ

・シ

ュー

ラよ

一つは、

(すべての衆生が)覚

よう

(自分

の功徳

を)振

(人)

であ

る。

(すべての衆生が)覚

よう

(学んだ功徳

を)振

らば

の衆

は法

を仰

こと

にな

であ

ろう

ルバ

ュー

ラよ、

に、

(人々を)

て、

に法

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であ

る。〕

こと

でき

る。

の場

を仰

二種

の衆

(sattvaudharma-paritrsitau)

のう

ち、

「す

の衆

にお

心」

(sarva-sattva-sama-cittah)と

は、

し、

「法

です

の衆

に等

しく

(そ

の法を)説

」(yodharmam

srutv�

sarva-sattv�n�m

samam

prak�sayati)は

を意

味す

る。

「法

を学

(す

べての衆生が)

るよ

(自分

の功徳

を)振

り向

rCa」

(dharmam

srutv�bodh�ya

parin�mayati)

のと

「(人

々を)大

に入

r@」

(mah�y�nam

avag�hayati)

こと

を使

いた。

ち、

の説

目的

は、

ちを

「さ

の方

に向

こ」

「大

入ら

る」

二大

であ

った

一方

(の心)を意

「す

の衆

おけ

る平

(sarva-sattva-

sama-eitta於

一切衆生其心平等)と

いう

『大

にし

しぼ

る。

した

って

の経

を引

の意

こと

にす

る。

「虚

に、

く、

無く

無く

無く

し実

は究

が故

に。

の部分

は、

まず

「平等

云う

は、

「実

「空

であ

こと

を知

る。

ると

「平

は、

(実際)

一面

であ

り、

た空

の思

いる

ので

「不

に、

の平

て法

るが

平等

れば

、如

り。

Sam

gh�tas�tra-dhrm

apary�ya

「海慧菩薩品」にも

復三法有り、

一つに諸の衆生を視るに其

の心平等なり。二つに心

の平等を観じ、三つに仏の平等を観ずるなり。

これらの記述は、多分

に観法的意味を持

っていると云えるだろう。我

(菩薩)が自己の平等性を内観するとき、衆生と法

(または心)と如来

の平等性を観ずると

いう。さらに、

「海慧菩薩品」に

「亠法有

って大

乗を摂取する」ものとして、多くの法数を列挙する中で、

「復

一法有

り、諸

の衆生に於て其の心平等にして楽んで大慈を修するなり」を数

えている。

「無言菩薩品」には、

「菩提心を荘厳する」

のに四十事あ

るとして、その

一つに

「諸の衆生に於て其の心平等」を挙げている。

以上の

『大集経』の述べるところから考察すると、

「諸

の衆生

に於

て其の心平等なり」

と、

まず菩薩が

内観することである。

その内観

は、衆生心と法性と仏の平等なること

に到る。これによ

ってすべての

衆生の救済可能なることを菩薩が確信するのであろう。換言すると、

「すべての衆生における平等な心」とは、菩薩としての法師の利他の

実践に対する心がまえでもある。法師は、まず始めに

「すべての衆生

における平等な心」を内観し、その心でも

って人々に

「等しく法を説

く」

のである。

「衆生

の心」

と法師

「菩提Q向」

(bodh�yaparin�-

mayati すなわち、「説法する」こととの間には、このような論理が成

立するから、

「もし(法師が、すべての衆生が)覚れるよう

(自己の学んだ

功徳を)振り向けるならぽ、

すべての衆生は法を仰ぎ慕うことになる

であろう。」と云う結果になる。

法師が説法し、聴衆がその法を聞くのであれば、当然そこに法会の

六九

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座が営まれることになる。経典中

に蓮花蔵

(padma-garbha)と号する如

のもとで、法会が営まれることを説く。その要旨を述べると、

「蓮

花蔵如来

の前

に忽然と座が出現する(�sanaxnpr�durbh�tam)。サルバ

シューラ菩薩は、

その座が

無人であることを

発見する。

そこで世尊

は、

サンガータの法門を曽

って聞

いた者あるいは、法門を書写等の行

を修した者

のみがその座

に坐す

ことができる」と説明する。以上がそ

の概略であるが、

このこと

によ

って次の事実が考えられる。蓮花蔵世

界に出現する法座は、仏国土におけるドラマとして描かれているが、

そのドラマはまた法師たちが大乗法を説く集会を理想化したものであ

ると云える。なぜなら、サンガータの法門を曽

って聞

いた者すなわち

聴衆者と法門を書写する等の行を

為す者

(法師)たちがその法座に列

席できると述べているからであ

る。われらこそは如来と等しい善根功

徳を有する者たちだと自負する法師たちは、自分たちの主催する法会

が、仏の説法される法会と等しくあれと、とりわけ世尊

の法会と等し

い意義を見出そうとする強

い願望のあ

ったことが感ぜられる。すなわ

ち、

爾時世尊告

一切勇菩薩壗摩訶薩唾言。

善男子。

汝詣

十方

諸仏世

界。告諸菩提薩壗。今日如来於王舎城演説大法。汝等十方菩提薩

墟。合掌恭敬。汝於須臾速還。及此衆会聴法。

と述べていることから、推測される。

「サンガータの法門」と法師

の主催する法会の関係については、

在彼衆中聞此法門発浄信者。皆得授阿耨多羅三藐三菩提記。

yecatatrasat(t v�hsannipatit�h/yairimam

dhar(m)a-par-

七〇

y�yam

ァrutv�

srad(d)adh�nat�

v�krt�pa(nn�?)v�,tesar(v)e

vy�kryante

jnuttar�y�m

samyaksambodhau

(集会)

に集

って衆

の法

女、

よう

に、

「サ

ンガ

の法

」が

にお

いて説

かれ

る事

る。

「サ

ンガ

の法

体が

「大

正法

の説

る集

ると

る。

の法

は、

「法

聚」

dharma-skandha

こと

は、

に指

が、

の主催

た法

にお

いて

「大

る」

こと

にも

であ

ろう

の聚

は、

ただ

に聚

はな

特定

の時

場所

にお

いて具

と、

の経

の編

は考

いた

であ

る。

し、

の意

はす

『大

にお

「法

にもあ

った

こと

によ

って指

たと

であ

る。

「サ

ンガ

の法

門」

°・。旨σQh�ta-dharma-pary�ya

いて

のであ

るが

の法

『大

「法

聚」dharma-skandha

の影

を強

く受

いる。

らく

『大

の大

の品

の経

たと

る。

し、

の法

dharma-

skanda-dharma-pary�yaと

せず

ω鋤旨αqh�ta-dharma-pary�yaと

した

に、

の経

の独

を伺

い知

こと

でき

る。

は、

は五

に訳

し、ギ

ルギ

ト地

、六世

の経

血ハが

いた

ら、

四世

の成

はな

いかと

いて

は、こ

の経

は、ギ

ルギ

ットや

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アジアのコータン地方で広く用

いられていたと考えられるが、ジャイ

ナ教

(尼健子

巳αqantha)とバラモン教、

とくにジャイナ教を

激しく非

難している事実から、インド国内で造られた経典であろうが、中央ア

ジアとあまり遠くな

い地方、すなわち西北インドの成立であろう。

samgh�taと

いう言葉自身、「聚り」という意味を持つことからも、

『大集経』の説く

「法聚」と深

い関係があると考えられ、

「サンガー

タの法門」

とは

「大乗の正法

の聚り」

を意味

することになるであろ

う。

しかし、

具体的には、

々の事象を意味する。

法師が大乗法を

「受持する」

「書写する」

「読誦する」

「解説する」また、法師の説

法を聴衆者が

「聞く」乃至

四句偈を聞くLさらには、大乗法の説

かれる

「衆会」

「経典」

(すなはち

『サンガータ経』)などである。

これ

らは、すべて大乗法が聚り具現する、具体的事実なのである。法師は

「大乗」という言葉の意識的創唱者である。彼らは僧院に留

って煩瑣

な哲学に没頭することなく、無知な大衆の面前

にあ

って菩薩の利他行

を行なう実践者であ

った。罪業深き人々の業の束縛を取り除く菩薩の

慈悲の願いが

「サンガータの法門」に込められていたと云える。

『サ

ンガータ経』は

『大集経』の影響の基に造られたのであろうが、初期

大乗経典の

『般若経』

『華厳経』十地品、

『法華経』などの影響も認

められる。取分け、

『法華経』と

の関係が深

いよう

に思われる。

1._.

 

"A

rchaeologicalD

iscoveries

in

the

H

induksh"

p,863.Journal

of

the

R

oyal

A

siatic

Society

of

Great

Britain

and

Ireland.1931.

( 

} 

J.

、Sam

gh�tas�tra-dhrm

apary�ya

O

.I.B

)

"Gilgit

Buddhist

M

anuscripts"

10

vols,in

Satapitaka

1974°

ρ゜く."G

ilgit

BuddhistM

anuscripts"

part8^-9.in

Satapitaka

=

Z

ρ

ω①.Serial

N

0.1947~

2107.

一葉

H

ζ

ω叶2

o.37.SerialN

o.21.08~

2289.

=

2

o.38.Serial

N

ρ

卜。NりO-

2305.

-j‐五

=

List

No.39.Serial

O①~

b。ωωα゜

Lokesh

Chandra:"Preface"

G

ilgitBuddhist

M

anuscripts.

R.A

.G

unatileka:

"A

Short

Introduction

to

the

Four

Im

com

plete

M

anuscriptsof

Samgh�tas�tra

in

theN

ationalA

rchivesN

ew

D

lelhi"

Studies

in

Indo-Asian

Artand

Culuture

V

olI

.1972.

Stein

の報

Q

°O

°H°S

p.864)

Lokesh

Chandra

("Preface"

G

ilgit

Buddhist

M

anuscripts)

.Bapat

の上

(.、9

一σq津

⇔旨

-

scripts

and

N

um

erical

Symbols"

Journalofthe

Oriental

Institute

,

]≦

°ω.U

niversity

of

]Waroda

XI-

2,p.129°)

Q

Dr.O

°<

°H

inuber"T

he

GilgitSam

ghatasutra

in

the

S.P.S

M

useum

,

Srinagqar"

Jam

mu

&

K

ashim

ir

State

Reserch

Biannal.

Vol:1,N

゜勹゜40-

41.1979°

ζ

゜ω゜K

aulShastri

"Reporton

the

G

ilgqitE

xcavation"

The

Q

uartary

Journal

ofthe

M

ystic

Socity

p.2-

3.1939°

ibid

p.5°

ロ泰

「シ

」二

(『ア

V

)

Q

"A

Guide

to

the

Literature

of

K

hotan"

p,28.Reiyukai1979.

ロ泰

「大

(『国

一切

)

Sten

K

onow

"Saka

Studi�s"

Introduction

p.1.Os1o.1932.

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⑪0②③④0⑥0⑧⑨  ⑫⑬ ⑮⑯0②③,④a⑥n⑧⑨ 

『仏書解説大辞

典』七巻。三七頁。

 

ノ降泰淳

「大集部解説」

二八四頁

(『国訳

一切経』大集部

六巻)

二八三頁。

蓮沢成淳

『仏書解

説大辞典』七巻四七七頁。

本文

三郎

『仏典批評論』

コニ頁。

一=二頁。

一一四~五頁。

=

一〇頁。

大正十三巻九頁上。

七七頁中。

『望月辞典』

五巻

四二二六上。

蓮沢成淳

『仏書解説大辞

典』七巻

四七七頁

(「大方等大集経」解説

の項)

大正十三巻九七

一頁中。

スリ

ナガ

ル本

A

{o冨02o.89-b115~ρ

大正十三巻九七三頁中。

スリナガ

ル本

A

出o鵠02o.95‐a117~2o.95-b112°

Moni�rW

illiams"Sanskrit-English

Dictionary"p.1130.col3.

 

大正十三巻

九五九頁下。

スリナガ

ル本

A

{o鵠o

乞o.3‐a118~Zo.3-b

115

大正十三巻九六

一頁上。

スリナガル本A

宀o嵩0

2ρ12=a112~卜

大正十

三巻

一六六頁下。

大正十三巻二二〇頁上。

正十

三巻二四三頁上。

大正十三巻九五九頁下。

スリナガル本A

ho賦o冖Zo.3‐a119~No3-b

11°ω

大正十三巻

九六三頁下。

⑪⑫⑬ ⑮⑯ ⑱⑲⑳⑳⑫⑬⑳㊧  ⑱⑳ ⑳⑫  ⑳⑯⑳  

七二

スリ

ナガ

ル本

A

hO冨o

Zo.33-b

111~α゜

三巻

頁上

スリ

ナガ

ル本

A

{o=0

40-

a115~2ρ

40b

112.

三巻

二四

下。

六〇

下。

スリ

ナガ

ル本

A

出o胃o

り-

b

116.

正十

三巻

三頁

スリ

ナガ

ル本

A

{o鵠o

26-

b

116.

正十

三巻

九頁

下、

スリ

.},fi

/本

A

folio

No.76‐

b

二頁

中、

スリ

ル本

A

{oま

乞ρ

り①1

⇔~

Zo.96‐b

六三

中。

ナガ

ル本

A

{o嵩OZρ

29-

b115^-No.30-

9

113°

三巻

六三

下。

ナガ

ル本

A

ho嵩0

33-b

111~㎝゜

三巻

三頁

上。

スリ

ル本

A

宀o醤o

26-

a

111~ω゜

ヨ仏教

』上

八頁

一段

目。

正十

六〇

スリ

/-j゚Q

folio

No.4-

a

111~

三巻

三頁

スr,ナ

ル本

A

folio

No.26‐

b

112- -115.

三巻

六頁

スリ

/本

A

folio

No.115‐

a115~

9

三巻

一頁

中。

スリ

ナガ

ル本

A

hOζo

乞ρ

14-b

112-

6.

正雄

『初

大乗

の成

立課

程』

四三

頁。

folio

No.26‐

a

111.

三頁

・下。

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 ⑳⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲ks ⑪⑫

北京

八巻

冒おi

膳l

G。~

『初

仏教

の成

三頁

三巻

六三

頁上

-}-,ガ

ル本

Q

folio

No.26-b

112~=ω゜

三巻

二頁

ル本

Q

folio

No.95-a

116~冖Zo.95-

b

115°

三巻

六〇

ル本

Q

folio

No.4‐b

118~

Zo.5-b

112°

正十

三巻

一八頁

九頁

三頁

頁中

頁中

三巻

二頁

中、

「時

一座

地踊

加趺

已。

量座

出空

仏。

空無

人坐

世尊

而告

子。

不種

不得

中。

彼如

。作

。時

善男

旺法

門者

是善

。何

况書

写読

スリ

ナガ

ル-K-+-幻

folio

No°卜ObOi

げ~Zρ

23‐

b

111,yath�ham

tasyata-

th�gatasya

p�dau

siras(�bhiv�d �bhibandya

puratah

sthita

�sanam

ca

pr�durbh�tam

/sa

cam

�m

tath�gata

evam

�ha/nis°dakulaputr-

(�)sane//ath�haxntasm

in�sane

nisannah

tad�cabhagavan

anek�ny

�san�nipr�durbh�t�ni/na

ca

k(ixn)cit

tesv

�sanesu

nisan axn

pasy�mi//sa

bhagav�n

(m)�m

evam

�ha/n�krta-kusala-m�l�h

k-

ulaputra

sat(t)v�

esv

�sanesu

saknva(nt inisidatum

//tam

aham

tath�gatam

etad

avocat/kidrsam

bhagqava(n)

sat(t v�h

kusala-

m

�lam

krtv(ai)sv

�sanesu

nis'danti//

sa

m�xn

bhagav(�n)

evam

�ha/srnu

kulaputra,

ye

sat[t)v�h

samgh�ta-s�tram

dhar(m)apa-

ry�yam

srosyanti[te tena

kusala-m�len(ai sv

�sanesu

nisatsyante

Samgh�tas�tra-dharmapary�ya

つい

//kah

punar

v�do

ye

likhisyanti/tvay�

sarva-s�ra

samgh�tam

dhar(m

)a-pary�yam

srutam

y(asm

 t 

tvam

atr�sane

nis:ditah

/

anyatra

kas

taveha

Buddha-ksetre

Sbhya(n)tar-pravesam

da(dhit)//

/-jErQ

folio

N

o.39-

a

117~

c◎。

七三