市制100周年 - chiba...1954 犢橋村 107.24 1954 幕張町 117.24 1955...

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0 10 20 30 40 50 15 10 05 00 95 90 85 80 75 70 65 60 55 1950 (年) 合併町村 面積 1921 市制施行時 15.22㎢ 1937 検見川町、都賀村、都村、蘇我町 66.88㎢ 1944 千城村 86.33㎢ 1954 犢橋村 107.24㎢ 1954 幕張町 117.24㎢ 1955 生浜町、誉田村、椎名村 158.81㎢ 1963 泉町 210.84㎢ 1969 土気町 249.68㎢ 2020 現在 271.78㎢ 1954年 1954年 1937年 1944年 1921年 1963年 1955年 1969年 東京湾 公有海水面 埋立 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 (万人) 1950 55 60 65 70 75 80 85 90 95 00 05 10 1519(年) 150 (校) 135 120 105 90 75 60 45 30 15 0 114校 48,362人 60校 25,394人 小学校児童数 中学校生徒数 小学校数 中学校数 16,635 人 14校 11校 8,127人 千葉市が1921年(大正10年)1月1日に市制を施行 してから、ちょうど100年になります。この100年、 千葉市はどのようにあゆみ、発展してきたのかをデー タで紹介します。 都市アイデンティティ推進課 ☎245-5660 FAX FAX 245-5476 市制100周年 市制100周年 100年前、千葉市が誕生しました 100年のあゆみ 100年のあゆみ 千葉市が誕生して100年。戦争からの復興や高度経済成長などを通して、千葉市がどのように発展 してきたか、さまざまなデータから振り返ります。 人口は100年間で約30倍に小・中学校児童生徒数は、 高度経済成長期に大きく増加 1921年の市制施行時の人口は33,887人でした。その後、高度経済 成長期の転入増や第2次ベビーブームにより大きく人口を伸ばしまし た。 近年でも緩やかな増加傾向が続いており、2020年には、市制施行 時の約30倍の98万人が居住する都市となりました。 小・中学校児童生徒数は、高度経済成長期の人口増加や第2次ベビー ブームで大きく増加した後、1980年代後半からは減少に転じまし た。 また、学校数も児童生徒数の増加に伴い増加しました。 総務省国勢調査、千葉市住民基本台帳人口、総理府人口調査、千葉市推計人口より 人口の推移 小・中学校数、児童生徒数の推移 面積は100年間で約18倍に千葉市は、1937年から 1969年までの間の7回にわ たる合併で大きくなりまし た。また、東京湾の埋め立て も行い、面積はこの100年間 で約18倍の271.78㎢となり ました。 就業人口の構成比は、 一貫して第3次産業が中心 千葉市は、県都として多くの公共施設や商業施設、事業所などが集 積しており、一貫して第3次産業が産業の中心となっています。 また、1953年に川崎製鉄千葉製鉄所(現JFEスチール㈱東日本製鉄 所)の操業が開始したことに伴い、第2次産業の人口が増加し、第1次 産業と第2次産業の就業人口が逆転しました。 千葉市統計書より 千葉市統計書、総務省国勢調査より (万人) 就業人口(産業3部門別)の推移 第1次産業(農業、林業、漁業) 第2次産業(建築業、製造業など) 第3次産業(卸売・小売業、サービス業など) 分類不能 2020年 2020年 271.78㎢ 271.78㎢ 1921年 1921年 15.22㎢ 15.22㎢ 0 100 50 60 70 80 90 40 30 20 10 (万人) 30 10 00 20 (年) 1921 90 40 50 60 70 80 981,675人 33,887人 324,932人 26,226人 76,076人 10,085人 2,964人 11,900人 1955年〜60年の間に逆転 1955年〜60年の間に逆転 1955年 1960年 第1次産業 20,023人 17,552人 第2次産業 17,700人 33,207人 430,638人 430,638人 48,225人 48,225人 ちば市政だよりは、毎月1日発行です。発行日前日までに各家庭にお届けします‼ 2021年(令和3年)1月号 特集 2 ちば市政だより

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Page 1: 市制100周年 - Chiba...1954 犢橋村 107.24 1954 幕張町 117.24 1955 生浜町、誉田村、椎名村 158.81 1963 泉町 210.84 1969 土気町 249.68 2020 現在 271.78 1954年

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151005009590858075706560551950 (年)

年 合併町村 面積1921 市制施行時 15.22㎢1937 検見川町、都賀村、都村、蘇我町 66.88㎢1944 千城村 86.33㎢1954 犢橋村 107.24㎢1954 幕張町 117.24㎢1955 生浜町、誉田村、椎名村 158.81㎢1963 泉町 210.84㎢1969 土気町 249.68㎢ 2020 現在 271.78㎢

1954年

1954年

1937年1944年

1921年 1963年

1955年

1969年東京湾

公有海水面埋立

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10(万人)

1950 55 60 65 70 75 80 85 90 95 00 05 10 15 19(年)

150(校)

135

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114校

48,362人

60校

25,394人

小学校児童数 中学校生徒数 小学校数 中学校数

16,635 人

14校11校

8,127人

千葉市が1921年(大正10年)1月1日に市制を施行してから、ちょうど100年になります。この100年、千葉市はどのようにあゆみ、発展してきたのかをデータで紹介します。問都市アイデンティティ推進課  ☎245-5660 FAXFAX245-5476

市制100周年市制100周年100年前、千葉市が誕生しました‼

100年のあゆみ100年のあゆみ 千葉市が誕生して100年。戦争からの復興や高度経済成長などを通して、千葉市がどのように発展してきたか、さまざまなデータから振り返ります。

人口は100年間で約30倍に‼

小・中学校児童生徒数は、高度経済成長期に大きく増加

1921年の市制施行時の人口は33,887人でした。その後、高度経済成長期の転入増や第2次ベビーブームにより大きく人口を伸ばしました。近年でも緩やかな増加傾向が続いており、2020年には、市制施行時の約30倍の98万人が居住する都市となりました。

小・中学校児童生徒数は、高度経済成長期の人口増加や第2次ベビーブームで大きく増加した後、1980年代後半からは減少に転じました。また、学校数も児童生徒数の増加に伴い増加しました。

総務省国勢調査、千葉市住民基本台帳人口、総理府人口調査、千葉市推計人口より

人口の推移

小・中学校数、児童生徒数の推移

面積は100年間で約18倍に‼千葉市は、1937年から1969年までの間の7回にわたる合併で大きくなりました。また、東京湾の埋め立ても行い、面積はこの100年間で約18倍の271.78㎢となりました。

就業人口の構成比は、一貫して第3次産業が中心千葉市は、県都として多くの公共施設や商業施設、事業所などが集積しており、一貫して第3次産業が産業の中心となっています。また、1953年に川崎製鉄千葉製鉄所(現JFEスチール㈱東日本製鉄所)の操業が開始したことに伴い、第2次産業の人口が増加し、第1次産業と第2次産業の就業人口が逆転しました。

千葉市統計書より 千葉市統計書、総務省国勢調査より

(万人)

就業人口(産業3部門別)の推移■第1次産業(農業、林業、漁業)■�第2次産業(建築業、製造業など)■�第3次産業(卸売・小売業、サービス業など)■分類不能

2020年2020年271.78㎢271.78㎢

1921年1921年15.22㎢15.22㎢

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(万人)

30 1000 20 (年)1921 9040 50 60 70 80

太平洋戦争

第2次ベビーブーム

高度経済成長期

981,675人

33,887人

324,932人

26,226人

76,076人

10,085人

2,964人

11,900人

1955年〜60年の間に逆転1955年〜60年の間に逆転1955年 1960年

第1次産業 20,023人 17,552人第2次産業 17,700人 33,207人

430,638人430,638人

48,225人48,225人

ちば市政だよりは、毎月1日発行です。発行日前日までに各家庭にお届けします‼

2021年(令和3年)1月号特集2 ちば市政だより