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2017.10 vol. 1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年 4 回)通巻1158 号 昭和 26 年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です 新しい時代へとバトンをつないだ 第73回日本ユネスコ運動全国大会 in 仙台 民間ユネスコ運動 70 周年を記念して宮城県仙台市で開催された全国大 会は、次の時代の活動に参考となる教訓を残した。第一は、若い世代に思 い切って企画立案と実行を任せた点である。どんな形で、どんな青年活動 が、全国に展開されているかを知るよい機会を提供したといえる。第二は、 その若い世代のイニシアティブは、壮年層やシニア世代との協力と相互 信頼なしには発揮できないという点である。まさに縦の「相互補完関係」 の構築がカギなのである。 だが、少子高齢化という人口構造の変化もあり、我が国における民間ユ ネスコ運動の将来展望は決して明るいわけではない。世界的に見ても課題 は山積している。とくに喫緊の課題は、グローバル化への反発から内向き のナショナリズムが強まっている点である。国境を越え、人種・宗教・文 化の違いを超え、紛争・戦争の原因を根本から解決しようとするUNESCO の理念がいまほど必要とされているときはない。仙台から新たな一歩が 始まる。 (日本ユネスコ協会連盟理事長:鈴木 佑司) 全国大会レポート 第 73 回日本ユネスコ運動全国大会 in 仙台 海外の動き WFUCA 執行委員会 特集 戦後 70 年 次世代へ語り継ぐ UNESCO 憲章に心動かされて 日本ユネスコ協会連盟顧問 村井 イベントレポート 日・中・韓 青年文化フェスティバル カンボジア高校生スタディツアー ユネスコ活動の広場 活動報告 第 49 回ユネスコ子どもキャンプ 平和の鐘を鳴らそう 東日本大震災子ども支援募金 世界寺子屋運動 一杯のスプーン 世界遺産活動 未来遺産運動 お知らせ・募集 1 4 5 7 8 11 CONTENTS 若い世代によるさまざまなアプローチがユネスコ活動の新たな可能性を感じさせた。 写真提供:仙台ユネスコ協会

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Page 1: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

2017.10 vol.1158

2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442

2017 年 は 民 間 ユ ネ ス コ 運 動 発 祥 70 周 年 で す

新しい時代へとバトンをつないだ第73回日本ユネスコ運動全国大会 in 仙台民間ユネスコ運動70周年を記念して宮城県仙台市で開催された全国大

会は、次の時代の活動に参考となる教訓を残した。第一は、若い世代に思

い切って企画立案と実行を任せた点である。どんな形で、どんな青年活動

が、全国に展開されているかを知るよい機会を提供したといえる。第二は、

その若い世代のイニシアティブは、壮年層やシニア世代との協力と相互

信頼なしには発揮できないという点である。まさに縦の「相互補完関係」

の構築がカギなのである。

だが、少子高齢化という人口構造の変化もあり、我が国における民間ユ

ネスコ運動の将来展望は決して明るいわけではない。世界的に見ても課題

は山積している。とくに喫緊の課題は、グローバル化への反発から内向き

のナショナリズムが強まっている点である。国境を越え、人種・宗教・文

化の違いを超え、紛争・戦争の原因を根本から解決しようとするUNESCO

の理念がいまほど必要とされているときはない。仙台から新たな一歩が

始まる。 (日本ユネスコ協会連盟理事長:鈴木 佑司)

全国大会レポート第73回日本ユネスコ運動全国大会 in 仙台海外の動きWFUCA執行委員会特集 戦後70年 次世代へ語り継ぐUNESCO憲章に心動かされて日本ユネスコ協会連盟顧問 村井 了イベントレポート●日・中・韓 青年文化フェスティバル●カンボジア高校生スタディツアーユネスコ活動の広場活動報告●第49回ユネスコ子どもキャンプ●平和の鐘を鳴らそう●東日本大震災子ども支援募金●世界寺子屋運動●一杯のスプーン●世界遺産活動●未来遺産運動お知らせ・募集

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CONTENTS

若い世代によるさまざまなアプローチがユネスコ活動の新たな可能性を感じさせた。 写真提供:仙台ユネスコ協会

Page 2: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

 世界で初めて民間ユネスコ運動が誕生してから70年の節目を迎えた。その発祥の地、宮城県仙台市で7月15日(土)・16日(日)、延べ1500名の参加者を迎えて、第73回日本ユネスコ運動全国大会が開催された。「発祥の地 仙台から世界へ UNESCO憲章の理念を未来に!」というテーマ通り、平和への思いを未来へとつなぐさまざまなアプローチにより、70周年を記念するにふさわしい大会となった。 (編集部:永山多恵子)

 大会は、NHK仙台少年少女合唱隊によるオープニングコンサートで幕を開けた。開会宣言に続いて、日ユ協連の大橋洋治新会長が、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」と「持続可能な開発のための教育(ESD)」に言及し、「“誰も置き去りにしない”世界の実現へ向け、行動する民間ユネスコ運動として、平和の心を次世代に伝えていきたい」と挨拶。次いで、松田昌士名誉会長が「ユネスコ活動の本質は、世界から戦争をなくし、平和な世界をつくること。この1点のみ」と力強いメッセージを送った。また、仙台ユネスコ協会の中村孝也会長は「自分たちの世代が民間ユネスコ運動の『明日への力』になること。そして、未来ある若者たちが『足元を見つめ、平和な明日を創る指針を示すこと』を、今大会でともに考えていきたい」と述べた。 1日目は、ノーベル平和賞を受賞したIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の議長を務めたラジェンドラ・クマール・パチャウリ氏の特別講演(p3に抄録)に続き、全国の青年の思いを伝える発表、東北の高校生による活動報告が行われ(ともに後述)、未来へとつながる若い力の可能性を感じさせた。 2日目最初の発表は、精神科医、心療内科医でNPO法人地球のステージ代表理事である桑山紀彦氏の「地球のステージ」。フィリピンのゴミの山「スモーキーマウンテン」でたくましく生きる子どもたちのようす、紛争が続くパレスチナで子どもたちを主役に映画をつくったこと、そして、自らも被災した東日本大震災では、心に深い傷を負った人びとの心の再生を、それぞれ映像と歌と演奏で表現した。いずれも、辛抱強く「心の中に平和のとりで」を築こうとする内容で、参加者は一心に耳を傾け、映像に見入った。 続くパネルディスカッション「ESD・地球の平和を守ろう」では、宮城教育大学教員キャリア研究機構の一瀬智紀教授をコーディネーターに、3人のパネリストが発表。特定非営利活動法人イコールネット仙台の宗片恵美子代表理事は、災害時における女性の人権を守ることの重要性を説いた。NPO法人田んぼの岩淵成紀代表は、すべての生物が一緒に生きられる世界をつくりあげるために、生物文化多様性を育む農業のあり方を提言。また、白石ユネスコ協会の引地瑠美子会長は、だし、おせち料理、郷土料理などの和食を通して、子どもたちに食育を続けている実践報告を行った。 充実した発表の合間には、馬場の田植踊保存会によるUNESCO無形文化遺産「秋保の田植踊」が、懇親会では、元気いっぱいの「仙台すずめ踊り」が会場を沸かせた。また、1日目の懇親会に加え、2日目の大会会場でも、UNESCO平和芸術家である

二村英仁氏が素晴らしいバイオリン演奏を披露。芳醇で澄みわたる音色が聴衆を魅了した。 青年たちがユネスコ活動への思いを語る 仙台ユネスコ協会青年部により結成された「みらい創造隊」が「青年部がいざなう現在・過去・未来のユネスコ探検ツアー」と題して発表。「世代が違っても、平和のために活動しているのは同じ。青年たちのいろいろなアプローチを知ってほしい」と、民間ユネスコ運動発祥時の精神を再確認しつつ、全国の青年たちの現在の活動と平和観を紹介した。【全国の青年たちの声(抜粋)】・「過去10回カンボジアスタディツアーを行ってきた。今年はキャンプで平和を語れる場をつくりたい」(岐阜県ユ協)

・「月2回の定例会で、寺子屋支援やキャンプなどの活動について話し合っている。またスタディツアーは、経験と感動を共有することで学びを深めている」(柏ユネスコユース)

・「被災地支援として、友好都市である宮城県気仙沼市と交流を続けている。これまでの経験で得たことを、これからは後輩に伝えていきたい」(目黒ユ協)

・「出前授業で、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを伝えている。いろいろな人と活動することで、多様な価値観を知ることができている」(豊橋ユ協)

・「大事にしているのは、自分がやりたいことを実現すること。面白そうだから、というより、未来をよりよくしていこうという思いで活動している」(長野ユ協青年部つなっぷる)

【仙台ユ協青年部のメッセージ】・「情報の多様化によって、平和への価値観はさまざまに広がってきた。でも、UNESCO憲章の前文は普遍的で、それを目的としているのは昔もいまも変わらない。世代間でもっと対話を深め、平和な未来をつくっていきたい」

写真提供:仙台ユネスコ協会

第73回日本ユネスコ運動全国大会 in仙台主催:日本ユネスコ協会連盟、宮城県ユネスコ連絡協議会、仙台ユネスコ協会

青年部による仙台宣言民間ユネスコ運動という枠や、青年であることにとらわれず、人びとの多様な平和の望みに目を向ける。そこから生まれる多様な表現を尊重し、それに寄り添うユネスコ精神を守る。これらを担う民間ユネスコ運動を未来へと持続させていく。

全国大会レポート

ユネスコ 2017.101

Page 3: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

 東北のユネスコスクールで学ぶ4人の高校生が、「UNESCO憲章が私たちに届けるメッセージ 持続可能な社会の構築のために」と題して、それぞれがESDに通じる4者4様の発表をした。抄録を紹介する。

●宮城県気仙沼高校2年 伊藤 連くん 私が通っている気仙沼高校は、前にいちど統合して、来年また別の高校と統合します。少子化が進んでいるからです。それを後押しするかのように東日本大震災が起きました。また、気仙沼には大学がないため、進学のためにいちど外へ出ると、そのまま戻ってこないという問題もあります。私は、これら地域の課題を解決するための学習に取り組んでいます。 気仙沼の高校生は地元のことをよく知りません。例えば、気仙沼市は漁業が盛んで、カツオの水揚げ量は20年連続1位。サンマ、マグロも全国有数の水揚げを誇ります。でも、気仙沼の漁業についても、観光スポットについても、私たちはあまり知らないのです。私の高校は、国際的に活躍できるグルーバル・リーダーの育成を図るスーパー グローバル ハイスクール(SGH)に指定されています。SGHでは、海に着目した活動を行っています。また、OECD地方創生イノベーションスクール2030に参加し、皆で地元のことを話し合うために、昨年「WA~人とつながりが保てる気仙沼」をつくりました。これからも、大人や小・中学生とも意見を交換して、少子化の進む気仙沼をどうやったら盛り上げられるか、話し合っていきたいと思います。●宮城県富谷高校2年 水上 美咲さん 私は高校でJRC(青少年赤十字)同好会に参加し、さまざまなボランティアを行っています。老人介護施設で利用者の方々と一緒に夏祭りの準備をしたり、ブルーベリー農家で収穫体験や委託販売、パンの共同開発をしたり。知的障害のある方々が多い市内の障害者施設では、クッキーづくり、卓球などのスポーツ、お花見などで交流を深めています。 さらに、自発的にボランティアを企画したいと思いました。富谷市の社会福祉協議会と何度も打ち合わせをして、異文化を知ってほしいと、韓国料理のチヂミをつくる会を企画しました。知的障害のある方が読みやすいよう、レシピにふりがなをふったら喜んでもらえました。一方で、豚肉を噛みにくいお年寄りもいて、皆にいいボランティアは難しいと思いました。 これらの経験で気づいたことは、障害はその人の個性だということ。私が理想とする未来は、高齢者や障害者への偏見をなくし、皆が互いの個性を生かせる社会。そして、思いやりをもって、足りないところは補い合える社会です。●宮城県仙台二華高校2年 大泉 さくらさん スーパー グローバル ハイスクールの学習で、世界の水問題について学んでいます。1年のときは岩手県の水処理施設を訪問し、北上川フィールドワークを行いました。2年では夏のメコン川フィールドワークを行い、私は水質のグループにいます。米のとぎ汁からつくった乳酸菌をおがくずに混ぜて、バイオトイレにしたら水質は改善されるのではないか、など試行錯誤を重ね、実際にバイオトイレを建設する予定です。3年になると、2年で取

り組んだ課題をさらに深めます。 いま高校では本格的に世界の水問題の解決に取り組んでいます。起こっている問題について知り、解決へ向けて筋道を立てるとき、これまでの経験が役に立っています。正解のない問いに答えを見つけようとするのは大変ですが、今後も取り組んでいきたいです。●福島県立安達高校2年 鈴木 みつきさん  私はいま、福島第一原子力発電所から60km離れた安達高校に通っています。私にとって、福島の復興とは何か。この問いから、自然科学部で放射線について勉強を始めました。福島の高校生のほとんどは、放射線についてよく知りません。そこで部では、自分たちの目で現実を確かめてきました。人のいなくなった畑、立ち入り制限の検問、鉄柵のある家…。ニュースなどでは報道されますが、自分の目で見ることで、もっと知りたい、自分たちにできることは何か、考えるようになりました。 原発事故の前、福島には豊かな自然がありました。福島から避難した人が、ひとりでも多く戻ってくることを願っています。福島産のお米はすべて放射線検査を受けますが、今回初めて基準値を超える米が出ませんでした。徐々に改善はしています。ただ、汚染土を入れた大量の土はいまも積み上げられたまま。その汚染土の向こうに、太陽光パネルが並んでいる。これが福島の現実です。まずは自分たちが正しい知識を身につけ、情報に惑わされず、多くの人に福島について考えてもらう機会をつくり、福島を見る目をポジティブなものに変えていきたい。それを、これからも県内外に発信していきたいです。【オブザーバーからのメッセージ】●ベトナム人留学生 ボーティホンハーさん「積極的にボランティアに参加していること、また、東北の大変さについて教えてくれてありがとうございます。私ももう一歩、踏み出して、夢を実現できるようにがんばります」●ラジェンドラ・クマール・パチャウリ博士「皆さんは、この世界に明るい希望を与えてくれました。私からのリクエストがあります。私が関与しているPOP(p3参照)は、この惑星を守ろうという運動です。ぜひ、皆さんの若い力で、この問題を解決していただきたいです」

全国大会レポート

ESDにつながる高校生たちの取り組み

写真提供:仙台ユネスコ協会

ユネスコ 2017.10 2

Page 4: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

     アメリカのノースカロライナ州立大学で博士号を取得(経済生産工学)。インド・エネルギー資源研究所(TERI)元会長・創設CEO。2002年、IPCCの議長に就任し2008年に再任、2015年2月まで務めた。IPCCは「人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた」ことが高く評価され、2007年アル・ゴア元アメリカ副大統領とともにノーベル平和賞を受賞。2009年からUNESCOの「平和ならびに文化の対話に関するハイレベルパネル」のメンバー。現在はPOP運動のチーフメンターであり世界持続可能な開発フォーラム代表を務める。

PROFILE

全国大会レポート

 今日は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書をもとに、いくつかの真実についてお話しします。気候変動が人類の影響を受けている、という認識が生まれたのは100年も前のことです。世界中で石炭を大量に燃やすことでCO2が大量に放出され、気温を上昇させていました。このままでは2~3世紀のうちに大きな影響が出るといわれましたが、実際は1世紀も経たないうちに深刻な状況になっています。 ここで、IPCCについて少しご説明します。3つのワーキンググループがあり、世界中の何千人という科学者が関わって、正確な評価を出そうとしています。それぞれ3万~5万件以上もあるコメントはすべて公表されており、この透明性もIPCCの大きな特徴といえます。 陸上と海上の温度は、この100年で徐々に上がっています。太陽の活動など自然の要因もありますが、驚くべきことに1950年代からは急激に上昇しています。温度が上がれば氷が溶け、海面が上昇します。この100年で平均19cm海面が上昇し、とくに1993年以降の上昇率は非常に早くなっています。 気候変動に対する人の影響はさまざまです。中でもCO2など温室効果ガスの排出による影響は顕著です。実際、CO2はどこから多く排出されているのでしょう。大きな部分を化石燃料の燃焼が占めています。これによる気候変動で、熱帯から極地まで、すでに数々の大きな災害が起きています。このままCO2の排出が続けば、温暖化は進み、海水温もさらに上がります。すでにサンゴ礁などには影響が出ており、何も対策を取らなければ、極地や氷河の氷がさらに溶け続け、今世紀末には海面が93cmも上昇するといわれています。 気候変動によって、私たちの暮らしにもさまざまな影響が出ます。まず食料不足や貧困の増大。これは水不足がもたらす農業への影響からきます。また、気候変動によって難民が生じる可能性があります。洪水の危険も指摘されています。パリ協定で目指しているのは、産業革命前からの気温上昇を2度までに抑えること。そのために、世界の温室効果ガス排出を2010年に比べ2050年に40~70%減らし、2100年にはゼロかマイナスまで減らすなどが求められています。そして実際には、パリ協定以上のものが必要なのです。 地球温暖化が進む状況を緩和するため、私たちには何ができるでしょうか。より効果的なエネルギーや、すでに開発されている低炭素・ゼロ炭素のエネルギーを使うことはできます。森林破壊を減らすなどCO2の吸収源を改善することも。そして、いちばん大事なのは、生活スタイルや行動を変えること。どんどん消費しては捨てる、という生活をやめるのです。 ここで、POP(Protect Our Planet=我々の地球を守ろう)運動について紹介します。SDGsの実現や気候変動の軽減など、この地球を守るため若者を動員し、若者が主導して対策に関わってもらう運動です。「たとえ小さな体であれ、尽きることのない使命感によって、燃えさかる精神は歴史を変えることができる」とマハトマ・ガンジーはいっています。皆さんもぜひ、私たちと一緒に歴史をスタートさせてください。

「気候変動に挑戦する知と勇気をもつ若者を育てよう」ラジェンドラ・クマール・パチャウリ博士

特別講演抄録

パチャウリ博士インタビュー

Q:気候変動と平和にはどのようなつながりが?気候変動を解決しないと、CO2の排出により気温が上昇し、水不足となり、農業生産性が低下します。世界の人口が増え続ける中、食糧不足に陥り、世の常ですが一番貧しい人びとが影響を受けます。そして、貧困や難民などますます深刻な問題となり、さまざまな形で平和を脅かすことになります。

Q:パチャウリ博士にとって平和とは?例えば、身体や環境に悪影響を及ぼすことがわかっていても、対策を施すことで不利益を被る人たちがいます。中には、科学的根拠があっても認めず、むしろ妨害したいと願う人たちもいます。これは気候変動に関しても実際に起きています。従って「平和」とは「変化の兆しを早く見つけること」ではないかと考えています。また、「平和」を脅かすことに対して、人びとのリーダーシップや連帯が必要だと思います。

Q:日本の人にメッセージをいただけますか。消費してすぐに捨てる社会ではなく、一人ひとりが消費パターンについて自分のこととして考え、変えていく必要があります。公共交通機関を使用する、自転車に乗るなど、できることはたくさんあります。インドでは朝「今日、自分が使わせていただく全てのこと」に関して、地球に感謝の祈りをささげる習慣があります。そのような気持ちを一人ひとりが持てれば変えることはできるはず。とくに次代を担う若い人たちにこのことを伝え、ともに行動したいと願っています。 (取材:川上千春 事務局長)

写真提供:仙台ユネスコ協会

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Page 5: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

WFUCA執行委員会WFUCA(世界ユネスコ協会クラブ・センター連盟)は日本が主導して1982年にパリで誕生した組織だ。現在、およそ100ヵ国で4000ほどの団体が活動しているといわれる。WFUCAでは2年に1回、役員による執行委員会を開催している。第38回目の今年は、多くの国の役員から、民間ユネスコ運動70周年を記念して日本で会議を開催してほしいという要望を受け、7月13日(木)・14日(金)に東京のホテルメトロポリタンエドモントおよび国連大学で執行委員会を開催した。会議ではバトナガールWFUCA会長と

野口昇日本ユネスコ協会連盟副会長が中心となり、WFUCAの定款の改定のほか、UNESCOから起草された新しい民間ユネスコ団体の協力枠組みについて

の議論で多くの時間が割かれた。WFUCA会長名でUNESCOの ボ コバ事務局長宛の要望書を作成し、会議終了後、直ちにUNESCOに提出した。なお、野口副会長はWFUCAのアドバイザーに選任された。7月14日(金)には、執行委員会に続いてオープンフォーラムが国連大学で開催され、WFUCA役員を含めて約90名が参加した。フォーラムでは、小宮山宏氏(三菱総研理事長)による講演「プラチナ社会へのイノベーション」をはじめ、松浦晃一郎氏(前UNESCO事務局長)による「混乱の時代におけるユネスコの役割」という講演が行われ、国内外の参加者にとって今後の活動に示唆を与えてくれる素晴らしいものとなった。その後、「民間ユネスコ運動と文化の和解」をテーマにパネルディス

カッションが行われ、5大陸のユネスコ協会による活動紹介や活発な意見交換が行われた。執行委員会のメンバーはその後、仙台に移動し、日本ユネスコ運動全国大会の開会式に参加。ノーベル賞受賞者であるラジェンドラ・クマール・パチャウリ博士の基調講演を聞いた。その後、東日本大震災の被災地である塩釜や松島の現状を視察した。多くの参加者は、民間ユネスコ発祥の地である仙台を訪問できたことに感銘を受け、日本各地のユネスコ協会の活発さも印象に残ったようだ。

(海外事業部:鴨志田 智也)

海外の動き

WFUCA執行委員会(ホテルメトロポリタンエドモント)

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特集 戦後70年 次世代へ語り継ぐ

日本ユネスコ協会連盟顧問村井 了

空襲で何もかも焼けてしまった ハワイの真珠湾攻撃によって、日本がアメリカを相手に戦争を始めたのは僕が中学3年生のときです。都会ではそのしばらく前から、庶民の食糧事情が逼迫していました。大きな原因は、中国での紛争が長期化してきたことと、予想される戦争のため軍関係者が食糧を備蓄していたことです。そんな状況でアメリカに戦争を仕掛けたのだから、極めて無謀でした。 僕は昔から船乗りになりたかったので、中学5年生のとき静岡県にあった清水高等商船学校に入り、そこで同時に海軍の予備将校生徒となりました。毎朝、まず1里(4km)走らないと朝ご飯を食べることができない。そのご飯も粟と米を混ぜた粗末なものです。そうやって、勉強に加えて猛烈な訓練生活が始まりました。 しかし、昭和20年になると日本本土への空襲が激しくなり、商船学校も爆撃を受けるようになります。終戦間際には、東京にあった僕の家も空襲で丸焼けとなり、防空壕の入り口に置いてあったものもすべて焼失。父は銀行員でしたが、身につけるものから食べるものまですべて焼け、戦後7、8年くらいはかなり辛く困窮した生活が続きました。  日本の商船の船もすべて沈められてしまったため、戦後いったん退学し、やり直し。昭和21年、僕は東京商科大学(現一橋大学)予科に受験入学しました。

UNESCO憲章が日本再生への道標に 国連でUNESCO憲章が採択されたのは、戦後すぐの昭和20年11月。この憲章が日本全国に広がるきっかけとなったのは、実は、日本の占領行政を担当することになったマッカーサー率いるアメリカの進駐軍でした。「人の心の中に平和のと

りでを築こう」と謳うUNESCO憲章は、日本再生への道標になるのではないか。そこで、各県に置かれた軍のブランチを通じて全国に紹介されていったようです。 それに反応したのが日本ペンクラブに所属していた阿部知二や小松清、大山郁夫といった学者や文学者たち、戦時中、外国で過ごし、戦後日本の動向に心を痛めていた知識人たち、そして外務省の有志などです。そして昭和22年7月、仙台で最初のユネスコ協力会ができると同時に、民間ユネスコ運動の流れは広がっていきました。

利根川決壊で学生が集結した 同じ頃、昭和22年秋に到来したカスリーン台風が、関東から東北にかけて大量の雨をもたらしました。利根川では堤防が決壊し、隅田川の左岸全域が浸水。戦争によって焼け野原となったところに、トタン屋根に板やガラスを貼ってなんとか暮らしていた大勢の人たちが、割れたガラスで怪我をしたり、流れ出たトイレの排泄物のため疫病化膿の危険にさらされたりしていました。そこで、東京都がこの問題について新聞で発表したところ、学生ボランティアが1万人くらい動員され、公園のボートや医薬品などをトラックに積んで行くことになったのです。 当時、大学予科だった僕も参加しました。水際にテントを張って、ボートで被災者を救助したり、医学部生は怪我人の治療に当たったり、テントでお産のお手伝いをした者もいました。この活動は20日くらい続けられました。赤十字なども活動していましたが、学生たちは頭を使い、柔軟で機動力があり、大変役に立ったと思います。

広島県の宮島で開催された第1回日本ユネスコ学生連盟全国大会。前列左から2人目が村井氏

戦後すぐ、平和を希求する多くの人びとによって、民間ユネスコ運動が全国各地で産声をあげた。と同時に、学生の間でもUNESCO憲章が草の根で広まっていった。今回は、その始まりから運動を牽引してきた村井了・日本ユネスコ協会連盟顧問に、運動の原動力となった戦争と、平和への思いを伺った。(取材・文/編集部:木村まり子、永山多恵子)

UNESCO憲章に心動かされて

ユネスコ 2017.105

Page 7: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

 昭和18年、2万5000人もの学生たちが学徒動員され、氷雨の降る神宮外苑競技場を行進して戦地に赴きました。1964年の東京オリンピックでは神宮外苑が使われましたが、当時の映像を見ているとどうしても涙が出てきます。その同じ土を踏みしめて行った多くの人たちは、二度と帰ってこなかったんですから。 戦争を体験した僕らには、こういう思いがあります。だからこそ、戦争から解放された喜びと、平和憲法、そしてUNESCO憲章への強い共感がみなぎっていたんです。理論なんかなくても、同じ思いで賛同し、仲間をたくさんつくろうというのが当時の学生ユネスコ運動でした。

戦争から解放された日 清水の商船学校で終戦を迎えた昭和20年8月15日、夕暮れどきに見た風景を、僕はいまでも忘れません。 戦争に負けてしまって、何もすることがなく、三保の松原の浜辺にぼんやり座っていたときのことです。対岸にはいつものように遠く伊豆半島が見えていました。やがて夕暮れとなり、あたりが暗くなってきたとき、伊豆半島に電灯の小さな明かりがぽっと灯ったんです。昨日までは、空襲を避けるための灯火管制で、どこもかしこも真っ暗でした。それがいまは、みるみるうちに、ぽっ、ぽっ、と明かりが増えていく。 僕は、お袋のひざに頭を埋めているような何ともいえない懐かしい気持ちになって、泣き出してしまいました。隣にいる者も泣いていました。あのときほど「平和」を感じた瞬間はありません。戦争という抑圧からやっと解放されたんです。あれこそが、僕の「平和」への第一歩でした。

学生たちの組織をつくろう 後日、このボランティア組織の幹部だけで集まったとき、せっかく大勢の学生たちが活躍したのだから、これを機会に学生の連絡組織をつくろうという声があがりました。でも、ぼくは上滑りの左翼運動に流れるのではと危惧し、学生はまず学校へ帰れと猛反対しました。そんなとき、進駐軍総司令部の民生部で翻訳のアルバイトをしていた学生が、UNESCO憲章を持ってきたのです。それを読んで、大変感激したことをいまでもよく覚えています。この憲章の精神を広め、共有するためならと、開放的な社会集団という意味あいで、敢えて“クラブ”という名称を用いた学生クラブを立ち上げました。仙台のほか、京都でもユネスコ精神を説く会が大学で開かれるなど、同時期にあちこちでユネスコ運動の火が上がり始めていました。 昭和22年11月には日比谷公会堂で第1回目のユネスコ運動全国大会があり、僕も大学から参加しました。仙台や京都からもたくさんの人が集まったのを覚えています。当時、僕たち皆が日本のUNESCO加盟を目指していました。 その後も、UNESCO憲章の解説をするため、鉄道もまだちゃんと整備されていない時代に、九州をはじめいろいろな地方に呼ばれて行きました。ユネスコ活動がいちばん大事にしているのは、話し合い、つまりお互いを知り合う努力を重ねるということ。このような信念で憲章の話をするうちに、情報が不足していた地方にもユネスコ運動の種がまかれていったのです。そして私は皮肉にも仏語の履修時間が足らず、予科を1年落第し、ずいぶん寂しい思いをしました。 そして昭和24年、ユネスコ学生連盟が設立され、2年後には、世相が荒れる中、UNESCO憲章の思想を広めようと、広島県の宮島で第1回日本ユネスコ学生連盟全国大会が開かれました。僕はその初代委員長を仰せつかりました。 大会の後も、多くの学生がじっとしておられず、自発的に動きました。そのため、左翼とは似て非なるものだったのですが、一部の学生が警察に捕まったりしました。昭和51年、日本がUNESCOに加盟するまで、学生ユネスコ運動は、ものすごい消長を見せました。 敗戦後の日本に必要なのは、平和を求める日本国憲法とUNESCOの理念。これを占領軍が最初に紹介し伝え、各地の知識人や学生が反応し、全国の平和を求める人たちの間で、ユネスコ運動は文字通り草の根で広まっていったのです。ユネスコ精神を身に着けた人たちは、長い一生、社会のお役に立つことを考えます。とくに、休日に教会などで集会を持つ習慣のない日本では、クラブ的な協会が全国に必要なのです。

神宮外苑、雨の出陣学徒壮行会 学生ユネスコ運動をはじめ、日本全国でユネスコ運動が沸き起こる原動力となったのは、戦争です。 戦争中はなんでも強制的だったから、ある意味、皆がいろんな我慢をしていました。でも、僕の家の隣に住んでいた2人の大学生、裏に住んでいた大学生も、戦場から帰ってきませんでした。自分たちのすぐ上の兄貴たちは、えらい目に遭っているんです。僕らは幸せですよ。本が自由に読めて、皆で議論ができて、旅にさえ行けるんですから。

村井 了(むらい・さとる)1927年(昭和2)東京都に生まれる。'44年清水高等商船学校に入学、'45年終戦に伴い退学。'46年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。'49年ユネスコ学生連盟設立に参画、'51年日本ユネスコ学生連盟初代委員長。'53年東京商科大学卒業、電源開発(株)入社(第1期生)。'86年同社代表取締役常務。'92年同社退任、イー・ピー・ディー・シー海外炭(株)代表取締役会長、相談役、顧問を経て2000年退任。'94年日本ユネスコ協会連盟理事長(現・顧問)。ほかに日豪協会理事、青少年育成国民会議理事、(財)ベルマーク教育助成財団評議員、(財)日本ユニセフ協会評議員など。

PROFILE

2000年、UNESCOの主催で中庭にある日本庭園の修復披露セレモニーが行われた。その際、日本文化紹介の一環として十二単きものショーを開催。挨拶しているのが当時、日本ユネスコ協会連盟理事長を務めた村井氏

ユネスコ 2017.10 6

Page 8: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

日・中・韓青年文化フェスティバル-最終年は東京で開催-

 2017年8月3日(木)~7日(月)、東京で日・中・韓青年文化フェスティバルを開催した。本プログラムは2015年に中国、2016年に韓国、そして今年は日本で開催された。 本年のテーマはSDGs(持続可能な開発目標)の目標11「持続可能な都市とコミュニティ」である。日本、中国、韓国の高校生が東京を舞台に、自分の住む都市(まち)が持続可能であるために必要なこと、自分にできることを学び、考え、発表するプログラムとなった。都市にはさまざまな側面があるため、3つのトピック(インフラ、環境、安全)に分かれ、英語でプレゼンテーション、グループワーク、課外活動が行われた。 参加者は開会式で初めて顔を合わせたが、すぐに仲よくなり、課外活動の際には日本人の高校生が中国・韓国の高校生に日本語の案内を訳す姿も見られた。また、本プログラムの成功に大きな役割を果たしたのが、日本ユネスコ協会連盟主催の過去のスタディツアー参加者や、ユネスコ協会の青年部に所属する青年たちである。プログラムを通して高校生に寄り添い、滞りなくプログラムが進行するように尽力した。3ヵ国で順番に開催した本プログラムは今年で終了となるが、今後プログラムに参加した高校生が日・中・韓の架け橋となり活躍することが期待される。 (国内事業部:井上 葵)

第4回カンボジア高校生スタディツアー 8月5日(土)~12日(土)の8日間、公益財団法人かめのり財団との共催で、標記スタディツアーを行った。全国から選ばれた10名の高校生が参加し、日本ユネスコ国内委員の横山恵里子氏(新潟市ユ協事務局長)が団長として同行した。参加者は応募段階から「教育」「貧困」「ジェンダー」「伝統文化」「農業」「食・栄養」「スポーツ振興」など自分なりの問題意識を持ち、日本で調べたことを踏まえて、カンボジアの実際の姿に触れて理解を深める旅となった。プノンペンでは在カンボジア日本国大使館、UNESCO事務所への表敬訪問で、さまざまな課題に取り組む職員の方々に積極的に質問した。国立博物館、キリング・フィールド、ツールスレン博物館では古代からの歴史や文化と、ポル・ポト政権時代の負の歴史を学んだ。シエムリアップでは「世界寺子屋運動」「世界遺産活動」のプロジェクト地を訪問し、民間ユネスコ運動による国際協力を体験。自分にできることは何か、それぞれが考えることとなった。最終日に各自がツアーで発見したことを発表し、関心分野の異なるメンバーから学ぶことが多く、視野が広がったという声が聞かれた。今後、ツアーで得た経験を学校や地域社会で発信する。 (海外事業部:宍戸 亮子)

●甲府ユネスコ協会(山梨県) 6月20日(火)に世界寺子屋運動の支援先であるカンボジアのコックスロック寺子屋を訪問した。幼稚園児から中学生まで、約150名が迎えてくれた。手づくりのナップサック、学用品、ぬいぐるみなどを寄附した後、国際交流として皆で浴衣を着て東京音頭を踊り、記念撮影をした。 子どもたちはナップサックを大変喜び、背負ってそれぞれの家に帰る姿に胸が熱くなった。寺子屋の子どもたちの輝く目が忘れられず、成長

ぶりを見たいので、ぜひ再び訪れたい。

●名古屋ユネスコ協会(愛知県) 6月10日(土)、名古屋国際センターで「国際理解講座vol.4 世界の遊び」を開催した。手遊び、歌遊び、ゲームを通して国際理解を図った。参加した子どもたちは講師の話を真剣に聞き、積極的に話しかけに行く姿も見られた。「次も参加したい」と好評で、海外の国に関心を持ってもらうきっかけを提供することができた。

Open space for UNESCO activities

ユネスコ活動の広場 皆さまからのお便りをお待ちしています。

皆で東京音頭を踊って楽しく交流した

子どもたちに大好評だった国際理解講座。国境を越えて交流が深まった

E V E N T R E P O R T

国境を越えて対話と交流を重ねた日・中・韓の高校生たち

国際協力の現場で、それぞれが学びを深めることができた

ユネスコ 2017.107

Page 9: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

活 動 報 告

7月30日(日)~8月2日(水)、和歌山県東牟婁郡串本町にある潮岬青少年の家で、第49回ユネスコ子どもキャンプを開催した(共催:和歌山県ユネスコ連絡協議会)。ユネスコ子どもキャンプは、日本各地から集まった青少年たちが、野外での集団生活を通して、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」というUNESCOの精神を学び、自然愛護と相互理解による平和の心を育むことを目指している。さらに2015年度からは、これまでの目的に加え、青年リーダーの育成とESDの実践の場としても位置づけている。今年は、和歌山県内から集まった実行

委員を中心に、青年スタッフ41名と小学4年生から中学2年生までの子ども27名

が参加した。テーマを「わ(WA)!!~自然と深めるぼくらの絆~」とし、串本町周辺の自然の素晴らしさを感じるプログラム(古座川カヌー、シーカヤック、スタンドアップパドルボード(SUP)、串本海中公園のバックヤード訪問)や、串本町と縁の深いトルコについて学ぶプログラム(トルコ記念館・樫野埼灯台見学、トルコ料理づくり、トルコのお守り「ナザールボンジュウ」づくり)、南紀熊野ジオパークについて楽しみながら学ぶ運動会「ジオリンピック」などを行った。

全国各地から集まった仲間と、いろいろな「わっ!」と驚く体験を共有し、協力してキャンプをつくりあげる中で、人と人とのつながりを体感し、絆を自然と深めていった。初めてユネスコ活動やキャンプに関わるスタッフが多い中で、テーマを実感できる4日間となった。 (国内事業部:小崎 好美)

第49回ユネスコ子どもキャンプ 

 土地の区画整備やまちづくりのための建設工事がいまも続き、経済や産業の復興途上にある東北沿岸部。生活再建のさなかに並行してかかる教育費の捻出に苦労されているご家庭が多いため、日本ユネスコ協会連盟では、子どもたちが安心して勉学と部活に励むことができるよう、奨学金支援を続けている。

東日本大震災子ども支援募金 ユネスコ協会就学支援奨学金

多彩なプログラムで自然の素晴らしさ、人とのつながりを学んだ

毎年、7月19日の民間ユネスコ運動の日と8月15日を中心に各地で行っている「平和の鐘を鳴らそう」。長門ユネスコ協会(山口県)では7月7日(金)、遍照寺本堂で「第11回平和の鐘を鳴らそう in 長門」を開催した。お寺近くの幼稚園からも、お泊り保育の園児40名が参加。幼児から80代の方まで128名が参加した。「私の

平和宣言」の唱和、賛助団体の方の演奏、平和の鐘つきを通して平和について考える会となった。長門ユネスコ協会はじめ、全国各地のユネスコ協会・クラブが平和を願い、毎年、地域のお寺で鐘を鳴らす活動を行っており、平和の大切さについて世代を超えてともに考え、発信するときを刻んでいる。 (国内事業部:木村 まり子)

平和の鐘を鳴らそう

美しい音色とともに皆で平和に思いを馳せる会となった 写真提供:長門ユネスコ協会

募金口座三菱東京UFJ銀行 神田支店 普通 0297275 シャ)ニホンユネスコキョウカイレンメイ※領収書が必要な方は日ユ協連までご連絡ください。

『東日本大震災 教育復興支援レポート2016』完成2016年度の活動報告書が完成しました。募金者の皆さまや会員の皆さまにお送りしています。複数部をご希望の方は国内事業部までご連絡ください。

ユネスコ 2017.10 8

Page 10: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

一杯のスプーン

世界寺子屋運動

 全16軒の寺子屋で6月から活動を開始した。識字・幼稚園・復学支援・中学進学支援を含む「基礎教育プログラム」では、総勢1000人以上が学んでいる。「収入向上プログラム」では小口融資、米の貸付、伝統音楽などの活動に約290家族が参加する。 小学校を中途退学した10~16歳の子どもが学ぶ「復学支援クラス」は、入学式にあたるキックオフが各寺子屋で開かれる。現地事務所職員によると、日頃は農作業と家事で多忙な保護者たちが、スピーチを聞くためだけに大勢集まったという。笑顔で聞き入るようすから、わが子が再び勉強できることへの喜びがあふれていたそうだ。子どもたちへの教育は、大人の希望ともなる。世界のどこの国でも同じではないだろうか。(海外事業部:宍戸 亮子)

 ネパールでは20数年ぶりの地方選挙が5月から始まった。ネパール寺子屋プロジェクトを実施しているルンビニ文化市(Lumbini Cultural Municipality)でも市長選挙が行われた。選出されたのは、マンモハン・チョードリーさん。彼は2006年からバグワンプール寺子屋の運営委員長を務めている人物だ。 プロジェクトが実施する研修に何度も参加し、寺子屋(CLC)での識字クラスや小学校クラスの実施と年間計画策定、自立に向けた活動に中心的な役割を果たしてきた。「マスタープランに則りルンビニを発展させるとともに、地域のニーズや課題解決のために働きたい」と抱負を述べたチョードリー市長。今後、ルンビニ市と地域の人びと、寺子屋の持続発展のために活躍することが期待される。(海外事業部:鴨志田 智也)

 アフガニスタン寺子屋プロジェクトは、タリバン政権崩壊後の2002年に始まった。2010年頃までは辛うじて日本人の現地訪問は可能だったが、治安は悪化の一途をたどり、現状では訪問できる状況にない。5月31日にはカブールで最大規模のテロが発生し、多くの市民が犠牲になり、日本大使館でも負傷者が出た。不安定な治安状況にもかかわらず、アフガニスタン事務所では10名のスタッフが、識字率の向上や地域の人びとの生活向上のために活動している。治安の最新情報をチェックし、ルートや行動時間帯に留意しながら、寺子屋訪問や政府機関との協議、さまざまな研修活動を実施している。カブール県の南部には、治安悪化のため現地職員でも訪問できない寺子屋がいくつかある。そのような寺子屋とは、運営委員との電話や写真提供によって活動の進捗を確認している。(海外事業部:鴨志田 智也)

 世界寺子屋運動の対象地となるヤンゴン北部の4地域(タナットピン、オクトウィン、ポカウン、パウンデーの各タウンシップ)で、クラス開始に向けた準備がハード、ソフトの両面で本格化している。ハード面の準備は、実施村の決定、各村での会場決定(学校の空き教室や僧院などの施設を利用)、計480人となる子どもたちの教材・学用品の調達など。ソフト面は、クラス実施を支える関係者の選定と養成だ。 8月上旬には18歳以上の教員48名が研修に参加し、心構えや学習内容を学んだ。参加したマー・ニュ・ニ・コーさん(40歳女性、ポカウン・タウンシップ)は、「1日も早く、私の村で学校に行けない子どもたちの助けになりたい」と意気込みを聞かせてくれた。(海外事業部:宍戸 亮子)

保護者も大勢集まった復学支援クラスのキックオフ

寺子屋運営委員がルンビニ市長に!

不安定な治安の中、続けられる寺子屋活動

4地域で着々と進む寺子屋の準備

一杯のスプーンを提唱した犬養道子さん逝く

1974年から継続している一杯のスプーン事業の提唱者である犬養道子さんが、去る7月24日(月)、96歳でご逝去された。「バングラデシュの飢え餓える孤児たちのためにスプーン一杯の節約を!」という犬養道子さんの呼びかけに応え、1974年、日本ユネスコ協会連盟は「一杯のスプーン運動」を開始。以来たくさんの支援者の思いに支えられながら、今日に至るまで発展途上国の食糧・医療支援を続けている。犬養道子さんは、五・一五事件で暗殺された犬養毅・第29代内閣総理大臣の孫で、生涯を通じて世界の

難民救済などに尽力された。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

活 動 報 告

fromカンボジア

fromネパール

fromアフガニスタン

fromミャンマー

ルエル寺子屋で。復学支援クラスのキックオフ(入学式)で教材を受け取る生徒

裁縫クラスのようす。厳しい治安状況でも女性たちの学習意欲は高い

新市長となり期待を一身に背負うチョードリー氏

貧困にあえぐ人びとや難民への支援活動に生涯をかけて尽力された故・犬養道子さん

ポカウン・タウンシップで開かれた教員研修会

ユネスコ 2017.109

Page 11: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

活 動 報 告

今年10年目を迎えた「守ろう地球のたからもの」事業の植樹活動。2008年から青森県の世界遺産「白神山地」周辺地域で植樹活動を始め、2013年度からは、植樹した苗木を大きな木に育てるために、下草刈りや捕植などの「育樹」活動を行ってきた。今年も7月1日(土)、三菱UFJフィナン

シャル・グループ社員47名をはじめ、津軽森林管理署、津軽人文自然科学研究会など地元協力団体から約50名、三菱東京

UFJ銀行の三木繁光特別顧問、日本ユネスコ協会連盟の野口昇副会長が出席した。晴天で暑い中、下草刈

りを行い、心地よい汗をかいた。閉会式には、日ユ協連の世界遺産活動特別大使 “犬”(ワンバサダー)である秋田犬わさおも応援に駆けつけ、わさおに代わりマネージャーの工藤健さんより、津軽の森

林を守る活動に対して感謝が述べられた。(国内事業部:本間 雅子)

育樹のための下草刈りで心地よい汗をかいた参加者たち。わさおを囲んで

アンコール遺跡バイヨン寺院「ナーガ像・シンハ像」彫像修復プロジェクトは、今年で6年目を迎えた。9名の修復スタッフにはそれぞれ得意とする作業があり、修復作業の最初と最後に行う図面作成を得意とするのがドンさん(24歳)だ。ドンさんの仕事を紹介しよう。図面作成には2つの重要な作業があ

る。ひとつ目は、修復前の石材の位置や並び順などを記録しておくこと。これは、解体修理後に再設置を行う際、間違えないようにするためだ。二つ目は、今回、どこをどのように修復したのか、修復前後の記録を残すことだ。遺跡は定期的なメンテナンスが必要であり、この作業は、50年後あるいは100年後に修復を行う人

のために必要となる。具体的な作業は、まず測量器を使って

基準となる線をつける。そして、方眼用紙の上に、20分の1の縮尺で図面を描いていく。3人一組となり、2人がメジャーや水平器を駆使して、石材の角やその他の特徴的な点と、先ほどの基準線との距離を計り、図面を書く人に伝える。残りの1人がその点を紙に書いていき、最終的には、その点を結ぶことで遺跡の形が出来上がる。この点をうまく結べるかどうかで図面の良し悪しが決まるため、センスが求められる。ドンさんは、「図面がきれいに書けると

嬉しいし、シャーペンで紙に図面を書くのは気持ちがいい。図面作成が上手にな

るには、ひたすら練習あるのみです」と、日々奮闘している。

(海外事業部:青山 由仁子)

住友ゴム工業株式会社ダンロップと日ユ協連の共同事業「チームエナセーブ未来プロジェクト」は5年目を迎えた。8月までに、ムサシトミヨ生息地の保全活動(熊谷市ムサシトミヨを守る会/埼玉県)、ため池づくり(久保川イーハトーブ自然再生協議会/岩手県)、ビオトープづくり(水辺と生き物を守る農家と市民の会/福井県)、田植え(自然回帰を試みる会・ビオトープ孟子/和歌山県)の4ヵ所で、同社社員による環境保全活動を実

施した。今年からは地元の子どもたちも参加して、ダンロップ社員との交流を深めた。福井県越前市で行われたビオトープづくりでは、約30名の地元の子どもたちが参加し、生きもの観察や水路づくりを行った。またふくいユネスコ協会からも参加があり、子どもたちや団体間との交流が深まった。

9月から10月にかけては、北海道や福岡県など5ヵ所で活動を行う予定だ。

9年目を迎えた「プロジェクト未来遺産」は、7月21日(金)で募集を締め切った。今年は全国から21件の応募があり、8月28日(月)に、専門家で構成される

ワーキンググループで審議を行った。その後、9月~11月にかけて現地調査を行い、12月の未来遺産委員会での審査を経て2017年度のプロジェクト未来遺産が

決定する。選ばれたプロジェクトに対しては、来

年の1月以降に順次、伝達式が行われる。 (以上、海外事業部:青山 由仁子)

集中して丁寧に図面を描くドンさん

大人も子どもも一緒になってビオトープの自然観察をした(福井県越前市)

未来遺産運動

世界遺産活動図面作成を得意とする修復スタッフ、ドンさん

植樹活動にワンバサダーわさおが「出勤」

活動が続く「チームエナセーブ未来プロジェクト」

2017年度「プロジェクト未来遺産」募集締め切り

ナーガ・シンハ像修復最新情報

ユネスコ 2017.10 10

Page 12: 1158 · 2017.10 vol.1158 2017年10月1日発行(1、4、7、10月の1日発行・年4回)通巻1158号 昭和26年11月24日 第三種郵便認可 ISSN1340-6442 2017年は民間ユネスコ運動発祥70周年です

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟は、UNESCO憲章の精神に共鳴した人びとによって1947年、世界にさきがけ仙台で始まった、民間ユネスコ運動の日本における連合体です。現在全国に283のユネスコ協会があります。会長:大橋洋治 副会長:佐々木毅・野口昇・林美紀子・引地瑠美子 理事長:鈴木佑司

2017年10月1日発行 通巻第1158号 第3種郵便物認可(1、4、7、10月の1日発行・年4回) ●発行/公益社団法人 日本ユネスコ協会連盟 東京00150-9-56030 ●購読料1000円(1年・送料込)〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-3-1 朝日生命恵比寿ビル12階 TEL 03(5424)1121 FAX 03(5424)1126 発行人:鈴木 佑司 再生紙を利用しています

日本ユネスコ協会連盟からのお知らせ

設や学習者への支援に活用されています。 今年11月からは、書きそんじハガキ・キャンペーン2018を実施します。ミャンマーで新たに開始している世界寺子屋運動に向けても、一人でも多くの皆さまにご協力をお願いいたします。9月号のユネスコ協会便でお届けした参加申込書にご記入のうえ、ぜひお申し込みください。●問合せ:海外事業部(鴨志田)

新設構成団体会員の紹介●衣川ユネスコ協会(岩手県奥州市)代表者:佐々木 秀康第515回理事会(5月20日)承認

●徳之島ユネスコ協会(鹿児島県大島郡徳之島町)代表者:安田 司第516回理事会(6月17日)承認

青年会員対象研修プログラムへの参加補助制度について 青年会員の皆さんが外部団体の研修に参加する際の受講料・旅費などを補助する「青年ユネスコ研修補助制度」をご存じですか? 多くの青年会員が本制度を利用し、国内外で開かれている研修に参加することで、ESDに関する学びを深め、地域でユネスコ活動を企画・運営する際に必要となるノウハウを学び、国境を超えて平和構築のために活動する人・団体とのネットワークづくりを目的としています。関心のある方は[email protected]あてに件名:「青年ユネスコ研修補助制度」としてメールをお送りください。詳細をお知らせします。●問合せ:国内事業部(小崎・古澤)

年間領収書の発行と送付のお知らせ  日本ユネスコ協会連盟への募金・寄附金は、確定申告していただくことにより、税法上の優遇措置を受けることができます。2017年1月1日(日)~12月31日(日)に受領したご寄附の年間領収書と税額控除の証明書は、2018年1月下旬頃までにお届けする予定です。紛失等による領収書の再発行は承ることができませんので、申告時まで大切に保管していただきますようお願いいたします。下記の点にもご留意ください。◆クレジットカードやコンビニ決済でのご寄附は、決済日ではなく、カード会社・決済代行会社から日ユ協連に入金された日が受領日となります。◆今回発行分より領収書の送付先住所を変更される方は、2017年12月1日(金)までに書面またはメール、もしくはお電話でお知らせください。●問合せ:総務部(稲垣)Email:[email protected]:03-5424-1121

書きそんじハガキ・キャンペーン2017報告と2018年へのご協力のお願い 昨年度の「書きそんじハガキ・キャンペーン2017」には、全国140のユネスコ協会・クラブ、42のユネスコスクールをはじめ多くの企業が参加し、8月末日現在108万枚相当のタンス遺産が集まりました。これは5076万円分の募金に相当し、アフガニスタン、ネパール、カンボジアでの寺子屋建

お知らせ

2017

10月14・15日 北海道ブロック・ユネスコ活動研究会(北海道厚岸町)10月14・15日 関東ブロック・ユネスコ活動研究会(千葉県市川市)10月14日 近畿ブロック・ユネスコ活動研究会(和歌山県紀の川市)10月21・22日 東北ブロック・ユネスコ活動研究会(福島県いわき市)10月28・29日 中部西ブロック・ユネスコ活動研究会(三重県伊勢市)11月11日 第519回理事会、第43回評議員会11月18・19日 中国ブロック・ユネスコ活動研究会(山口県防府市)11月18・19日 四国ブロック・ユネスコ活動研究会(香川県高松市)11月25・26日 九州ブロック・ユネスコ活動研究会(沖縄県那覇市)12月9日 「みどりの絵コンクール」授賞式12月 未来遺産委員会(プロジェクト未来遺産2017選定)(東京都)12月下旬 寺子屋・世界遺産事業協力者向け カンボジアスタディツアー

2018 1月13日 第520回理事会、第44回評議員会、新年懇親会

今後の主催事業日程