現代社会とバーナード理論 - hiroshima...

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  • -71ー

    現代社会とバーナード理論

    前原雅文

    現代社会は、 「あらゆる人間の杜会的行為が、巨大なピラミッド型組

    織=官僚制組織をもって営まれるような社会∞」であり、その「社会的行

    為のほとんどが、規則中心・階層化・専門化せられた巨大なピラミッド

    型組織で営まれるようになるプロセスが工業化、産業化の諸側面として(勺

    把握される O そして、工業化・産業化のプロセスにおいて、組織体は巨

    大化し、官僚制化してきたのである(到。

    現代社会においては、 「人々の目的志向的活動が、各種のフォーマル

    組織に支配されていること勺や、「社会の具体的な構造はフォーマルな

    組織の複合体として形成されており、社会の諸制度・諸慣習などと人々

    の態度・動機・性向・本能などとを橋渡しするものとしてフォーマル組

    織が介在していること吋が明らかである O

    このような社会状況において組織と人間の問題を考えるとき、バーナ

    ード理論は、現代においてもなお普遍妥当性をもっ理論として高く評価

    されるべきである。

    (1) 三戸公著「財産の終駕組織社会の支配構造一」文虞堂 1982年 176ページ。

    (2) 同書 176~ 177ページ。

    (3) 同書 177ページ。

    (4) 岡本康雄稿「組織の全過程の理論としてのバーナード理論 馬場敬治博士のバ

    ーナード論と筆者のバーナード理解を媒介にして j加藤勝康・飯野春樹編「バ

    ーナード 現代社会と組織問題 j文莫堂 1986年 54ページ。

    (5) 同書 54ページ。

  • -72-

    ところで、バーナード理論に関して、注目すべき書物として三戸公氏

    の f随伴的結果一管理の革命-j (丈虞堂 1994年)をあげることができ

    る。三戸氏は、その書物において次のように主張している。すなわち、

    「精綴・巨大な技術に武装された組織体の行為は、巨大な目的的結果と

    ともに巨大な随伴的結果をもたらして来た。環境危機と呼ばれる諸現象

    がそれである。地球の自然環境の破壊は、動植物の種の存続を危うくし

    その絶滅を次々に招き、ょうやく人類にも及ぼうとしている。そして環

    境危機は、ひとり自然環境のみにとどまらず社会環境にも及んでいる O

    この期に及んでは最早、組織体の意思決定が目的的結果に関する情報の

    みをあつめて意思決定をするのではなく、随伴的結果に関する情報をも

    積極的に収集し、これに積極的に取り組み配慮しなければならなくなっ

    ているのである O 随伴的結果という概念こそ、環境危機における決定的

    なキー・ワードというべきものである{的。」さらに、三戸氏は、 「随伴的

    結果を初めてとり上げたのは C'1 .バーナードであり、彼はこれに関説

    しながら有効性と能率という対概念をたてている勺と述べている O すな

    わち、それは、 「バーナードが有効性と能率の概念説明の中で触れた目

    的追求行為に伴う f求めざる結果』という問題を手掛りにして、管理論

    に目的的結果と随伴的結果の両方に同等の目配りをする複眼的アプロー

    チを導入する必要を提唱するものである(九」

    そこで、われわれは、本稿において、バーナード理論を現代的視点か

    ら検討することによって、現代社会におけるバーナード理論の意義を明

    らかにする O

    (6) 三戸公著「随伴的結果一管理の革命-J文填堂 1994年 まえがき lV。(7) 同書まえがき v。

    (8) 稲村毅稿「バーナード理論と現代」経営学史学会編『経営学の巨人j文箕堂

    1995年 80ページ。

  • -73ー

    I バーナードの基本的立場

    バーナードの基本的立場を知るうえで、次の言葉は重要である O

    「社会的行為からわれわれが f経済的』とよぶ側面をひき出すことは

    有用であるとしても、アダム・スミスやその後継者たちによって有効に

    構成され、かなり発達した諸理論は、特定の社会的過程一ーそのなかで

    経済的要因はたんなる一側面にすぎない一一ーに対する関心を抑圧し、経

    済的関心のみを過度に強調したのである。それとともに、功利主義に根

    ざす唯物論哲学をもっている純粋経済理論のなかで、動機というものに

    適当な考察を加えず、また杜会的行動のうちで、感情的、生理的過程と

    は別個の知的過程の占める地位を一般にはなはだしく誤って考えた。こ

    れはいずれも、今日の多くの人々の思想では、人間は『経済人』であっ

    て、経済的以外の属性はわずかしかもたないものだ、ということを意味

    したし、いまもなお意味している O

    私の考えるところでは、かかる見方こそが、経済的であれ、非経済的

    であれ、ともかく社会での行動の場所である具体的な特定の局所的組織

    とそれに関連する個人とを無視せしめるのである一一おそらく無視させ

    ると思われる。少なくとも以下のことだけは確かである O 私は組織のな

    かでいかに行動すれば有効であるかを前から知っていたけれども、ず、っ

    と後に経済理論と経済的関心一一必要欠くべからざるものではあるが一

    ーを第二義的地位にしりぞけではじめて、組織およびそこにおける人間

    行動というものを理解しはじめたのである。政治的、教育的、宗教的組

    織のごとき非経済的組織も存在し、それらがきわめて重要だというだけ

    ではない。とくに経営組織に関連して、非経済的な動機、関心および過

    (9) 仁 I目 Bamard,The Functions of the Executive, 193且Author'spreface以 X-XXXI.

    山本安次郎・回杉競・飯野春樹訳「新訳 経営者の役割jダイヤモンド社

    1968年序 40-41ページ。

  • -74-

    程が、経済的なそれらとならんで取締役会から末端の一人にいたるまで、

    その行動において基本的であるという意味である同。」

    このように、バーナードは経済人仮説を批判し、これから離脱しては

    じめて組織の本質的理解が可能になるという。組織における人間の行動

    を問題にする場合、その前提として「人間とは何か」を規定する必要が

    あるが、これまでの伝統的な理論、例えば、テイラー (W.F. Taylor)の

    科学的管理法などは経済人仮説の上に展開されている O しかし、杜会的

    行為が具体的に展開される場としての組織において、人間の行為を経済

    的側面からのみ把握するのは適切な把握とはいえない。

    したがって、組織および組織における人間の行動を適確に把握し、理

    解するためには、従来の経済人仮説に代る新しい人間観を提示する必要

    がある O バーナードは、このような認識に立って組織理論の基礎として

    の独自の人間観を提示するのである。

    E 人間観

    バーナードの理論は、人間論をその出発点としている。すなわち、主

    著の第 1章緒論につづく第 2章において、 「人間とは何か」を明確に規

    定した上で彼の理論を構築している。まず、バーナードは次のように述

    べている。すなわち、 「人間の行動について何かを語る場合には、暗黙

    のうちにその問題に答えていることとなるし、さらに重要なことは、あ

    らゆる種類の人々、とくに指導者や管理者の行動は、たとえ無意識的に

    せよ、その問題に関する基本的な前提や態度にもとづいているからであ

    る。たとえば、われわれにとって望ましい行動をしてもらうように他人

    を説得する場合には、当然彼らがその行動をする意思があるかないかを

    決定しうるものと予想している。また教育や訓練をしようとする場合に

    は、教育や訓練なくしては人々は一定のことをなしえない、すなわち、

    人々の選択力がかなり限られたものであることを予想している O さらに、

    われわれが規則、規定、法律を作る場合には一一それらを慎重に考えて

  • -75-

    数多く作っているのだが一一一これらの適用を受ける人々が、それぞれの

    主題に関するかぎり、外力に左右されることを一般に予想している同。」

    このバーナードの指摘は、組織および組織における人間の行動の分析を

    行う場合に、人間に対する一定の見方、考え方をまず明らかにする必要

    性を示している。

    そこで、バーナードは、個人の地位、すなわち個人がいかなる存在で

    あるかを次のように明らかにする叫。

    (a) 個々の人間は、それぞれ別個の物体であり、個別的な物的存在で

    ある O 人聞を物的なものとみなす場合には、個別的な物体として扱

    うか、あるいは一般的な物的要素のたんなる一局面か関数的な表現

    として取扱うかの、いずれかである O

    (b) 人間はたんなる物的存在ではなく、生物的存在である O 生きもの

    としての人体は、その内外のたえざる変化や広範な変異にもかかわ

    らず、適応力、内的均衡を維持する能力、したがって継続性をもっ

    ている。そのうえ、経験の能力、すなわち過去の経験を生かして適

    応の性格を変える能力をもっている。このことは、人体そのものが

    物的なもの、ならびに生物的なものという 2つのものから成り立つ

    Iつの有機体であることを意味する O

    (c) 人間有機体は、他の人間有機体との関連なしには機能しえないも

    のである O すなわち、人間は、相互関係的、相互作用的な存在であ

    る。人間有機体聞の相互作用は、単なる物体の相互作用、または物

    体と有機体との間の相互作用とは、経験や適応性を相互にもち合わ

    せている点で異なるものである。 2つの人間有機体聞の相互反応は、

    適応的行動の意図と意味に対する一連の応答である O この相互作用

    (10) 仁よ Bamard,ibid., P.8.

    同訳書 8~9 ページ。

    。J) Ibid., PP.JO-Il

    同訳書 1O ~12ページ。

  • -76ー

    に特有な要因を杜会的要因と名づけ、その関係を社会的関係と呼ぶ。

    このように、人聞は、まず物的存在であり、生物的存在としての人体

    であり、そして他の人間との関連において、すなわち社会的関係を保持

    することによって機能しうる社会的存在である O そして、バーナードは、

    個人を、 「過去および現在の物的、生物的、社会的要因である無数の力

    や物を具体化する、単一の、独特な、独立の、孤立した全体帥」と規定す

    る。

    さらに、個人の種々の側面、種々の形象、種々の機能を問題にする場

    合には、従業員、構成員、貢献者、管理者という言葉を用いるのである回。

    このように、バーナードは、人間を物的、生物的、社会的要因の統合物

    として把握する。

    ここで注目しなければならないのは、バーナードが人聞をシステム的

    に理解しているということである。すなわち、それは、個人が多くの部

    分ないし側面から構成された全体であり、これら部分や側面は、相互に

    関連しながら全体としての活動をしていること、そして同時に、人間よ

    りも大きなシステム(組織あるいはより大きな社会)の変化に対して適

    応しながら存続するものとみるのであるへいずれにしても、「バーナー

    ドは、物理学・生物学・医学等の自然諸科学および社会学・政治学・経

    済学等の社会諸科学の成果を統合的に取りこんで人間を把握し、そのよ

    うに人間、個人を取り扱う体系を提示したのである師。J

    次にバーナードは、人格的存在としての人間の特性をとりあげる。す

    但~) lbid., P.12

    同訳書 13ページ。

    (13) lbid., P.12.

    同訳書 13ページ。

    (14) 山本安次郎・回杉 競編「バーナードの経営理論-r経営者の役割jの研究-Jダイヤモンド社 1972年 41ページ。

    同 三戸公著「現代の学としての経営学j講談社学術文庫 1985年 102ページ。

  • -77-

    なわち、バーナードのいう人聞の特性とは、 r(a)活動ないし行動、その

    背後にある、 (b)心理的要因、加うるに、 (c)一定の選択力、その結果とし

    ての、 (d)目的である冊。」

    バーナードは、これらの特性について、さらに具体的に次のように説

    明する刷。

    (a) 個人の重要な特徴は活動である O その大まかな、容易に観察され

    る側面が行動と呼ばれる。行動なくして個々の人間はありえない。

    (b) 個人の行動は、心理的要因の結果である。ここでいう心理的要因

    は、個人の経歴を決定し、さらに現在の環境との関連から個人の現

    状を決定している物的、生物的、社会的要因の結合物、合成物、残

    基を意味する。

    (c) 人間には、選択力、決定能力、ならびに自由意思があるものと認

    められる。ほとんどの人が、選択力を正常かつ健全な行動に不可欠

    なものと信じていることは、われわれの通常の行動からして明らか

    である。したがって自由意思の観念は、個人的責任、道徳的責任、

    法的責任の学説のなかでも説かれている。これは、自律的人格とい

    う感覚を保持するためにも必要である。その感覚がないということ

    は、とくに杜会生活に対する適応力がないことを意味する。

    しかし、この選択力には限界がある O 個人が、物的、生物的、社

    会的要因の結合した 1つの活動領域であるかぎり、これは当然のこ

    とである。選択には可能性の限定が必要である。してはいけない理

    由を見出すことが、なすべきことを決定する Iつの共通な方法であ

    る。意思決定の過程は、主として選択をせばめる技術である O

    (d) 意思力を行使しうるように選択条件を限定しようとすることを、

    (16) c. 1. Bamard. ib札 P.I3.山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳前掲書 13ページ0

    (17う Ibid..PP.13 -14.

    同訳書 13-15ページ。

  • 一78-

    目的の設定または、目的への到達という。それは、通常、「努める」、

    「試みるjという言葉の中に意味されている。ここでは、主として

    組織化された活動に関連ある目的を問題とする。

    このように、バーナードは、人間ないし個人を物的、生物的、社会的

    存在として把握したうえで、人間の特性を明らかにする O これらの特性

    の中で最も重要であると思われるのは、選択力、決定能力、自由意思で

    ある O すなわち、それは、人間独自の要因であり、人間の特性の決定的

    要因をなすものである。特に、この特性を重要視するところにバーナー

    ド理論の特徴がある。したがって、 「人間にはつねに選択力があり、同

    時に、人間は主として現在および過去の物的、生物的、社会的諸力の合

    成物である町、あるいは、 「人聞は、物的、生物的、社会的要因の独特

    に個人化したものであり、限られた程度の選択力をもつものとみなされ

    る陣。Jそれと同時に、 「選択は、あるときには非常に狭い範囲に限られ

    ることもあるが、一定の方向にひきつづいて選択をしつづけると、究極

    的には人間生活の物的、生物的、社会的要因を大いに変えるであろう町

    という指摘も重要である。いずれにしても、バーナードが、 「人間の特

    性こそ、この書物の基本的な公準なのである酎」と述べているように、こ

    の人間の特性は、バーナード理論の基礎をなすものである。バーナード

    理論は、このような人間観、すなわち全人仮説の上に構築されているの

    である。そして、 「経営学に関するかぎり、明示的にその基本的前提た

    る人聞を論じたのは彼が最初である陣。」

    (18) lbid., P.15

    同訳書 16ページ。

    (19) lbid., P.16.

    同訳書 17ページ。

    同 lbid., P.15.

    同訳書 16ページ。

    制 Ibid.,P.14.

    同訳書 15ページ。

  • -79-

    E 有効性と能率

    人間の行為は、動機としての欲求・欲望を充足するために目的を設定

    し、目的達成のための意思力を働かせ、目的達成のための手段としてな

    され、目的が達成されたかどうかの目的的結果が生ずる闘。人間は、本来、

    目的の達成に関しては、最少の犠牲で最大の効果を上げようとするから、

    人間の行為は目的合理性を追求し、手段を重視し、技術のかぎりなき発

    展を指向することになる倒。しかし、「人間の行為の結果は、設定し追求

    した目的が達成せられたかどうかの結果だけにとどまらない。そこには、

    必ず目的的結果以外の随伴的結果が発生し、生起する同jのである O この

    点に関して、バーナードは次のように述べている O

    「欲求、衝動、欲望ーーすなわち動機一ーによって惹起された活動が

    求める目的を達成し、緊張をとく場合もあり、しからざる場合もある O

    しかし、活動はつねに求めない他の結果を伴う。通常これらの求めない

    結果は、偶然的なもの、とるに足らないもの、些細なものとみなされる。

    たとえば、食料にしようとして動物を追いかけている人は、大気に熱を

    発散し、少量の砂をくだき、少しばかり皮膚を傷つけ、そのうえに動物

    をとらえようとしている間に食物の必要性を多少とも増している。また、

    ときには、求めない結果が些細とはみなされない場合もある。たとえば、

    追いかけている人は石をころがして、自分の家族、住居、貯蔵食料を破

    壊するような、なだれをひきおこすかもしれないのである同。J

    同飯野春樹著「バーナード研究 その組織と管理の理論 j文民堂 1978年 83

    ページ。

    同三戸公著「随伴的結果管理の革命 9ページ。

    凶同署 9ページ。

    同同書 9ページ。

    凶C.1. Barnard, ibid., P.J9

    山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳前掲書 19-20ページ。

  • -80ー

    バーナードは、ここでは、 「求めた結果J(the sought result)と「求め

    なかった結果J(the unsought consequences)を問題にしている。そして、

    さらにバーナードは次のように述べている。

    「前のパラグラフで述べたことは、あまりに明白なために無視されが

    ちな事実の 1つであるが、この研究では第一義的に重要なことである。

    このために個人的行為および組織的行為のいずれにも関連して『有効的』

    と『能率的』という 2つの言葉の意味を区別しなければならないことに

    なる刷。」

    そこで、バーナードは、有効性 (effectiveness) と能率 (efficiency) と

    を次のように定義する。「ある特定の望ましい目的が達成された場合に、

    その行為は『有効的』であるという。行為の求めない結果が望んでいる

    目的の達成よりもいっそう重要であり、しかも不満足なときには有効な

    行為でも f非能率的』という。求めない結果が重要でなく些細なもので

    あるときには、その行為は『能率的Jである。さらに求める目的が達成

    されないで、求めもしない結果が行為の『原因』ならざる欲求や動機を

    満たす場合の生ずることがよくある O その場合には、このような行為を、

    能率的ではあるが有効的ではないと考える回。」すなわち、 「行為が特定

    の客観的目的をなしとげる場合には、その行為を有効的という。また、

    たとえ有効的であろうとなかろうと、行為がその目的の動機を満足し、

    その過程がこれを打ち消すような不満足を作り出さない場合には能率的

    であるという O ある行為が動機を満たさないか、または不満足を生ずる

    場合には、その行為はたとえ有効的であっても、非能率的であるという冊。」

    申司 Ibid., P.19.

    同訳書 20ページ。

    同 Ibid.,P.19.

    同訳書 20ページ。

    凶 Ibid.リ P.20.

    同訳書 20~21ペ)ジ。

    1. :;-"

  • -81-

    このように、人間の行為は、有効性と能率の 2つの側面から把握され

    るが、特に注意しなければならないのは、バーナードがここでとりあげ

    た有効性と能率の概念は、あくまで個人的行為における有効性と能率の

    ことであって、組織的行為における有効性と能率のことではないという

    ことである。したがって、 「個人レベルでとらえられた有効性と能率の

    概念、すなわち求めた結果の達成度と求めざる結果の大小という概念内

    容は、組織レベルでとらえられたときには、若干のずれ、ないし飛躍が

    ある同」と思われる。有効性の概念は、組織レベルで把握されたものと個

    人レベルで把握されたものとの聞にずれはなく、何の問題もない。しか

    し、能率の概念の場合には、組織レベルで把握されたものと個人レベル

    で把握されたものとの聞に若干のずれ、ないし飛躍がある O 組織レベル

    での能率については、バーナードが、 「組織に適用される場合の f能率』

    という意味は、組織活動をヲ|き出すに十分なほど個人の動機を満足させ

    て、組織活動の均衡を維持することである倒」と述べているように、組織

    の構成員の動機の満足を意味する O 能率は主として求めなかった結果に

    かかわるものであり、それは、行為者個人にとって求めた結果と求めな

    かった結果の全体が満足か不満足かをあらわす概念である倒。

    さらに、バーナードが、 「組織の能率とは、その体系の均衡を維持す

    るに足るだけの有効な誘因を提供する能力である町と述べているように、

    能率は、 「組織が諸個人にどのような誘因を提供し、それに対し諸個人

    がどれだけ貢献するか、組織体に継続的に参加するかそれとも離脱する

    か、の問題として展開されることになる倒。」したがって、組織の能率は、

    同三戸公著「現代の学としての経営学 116ページ0

    (31) c. 1. Ban凶 rd,ibid., P.240. 山本安次郎・回杉競・飯野春樹訳前掲書 250ページ。

    岡 三戸公著「随伴的結果一管理の革命 11ページ。

    加)仁 1.Bamard, ibid., P.93.

    山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳前掲書 97ページ。

  • -82-

    「組織維持能力ということになり、それは、個人から貢献をうるための

    誘因を提供する能力ということになる闘。」

    以上述べてきたところを整理してみると次のようになる伺。

    (1) 個人の行為において、目的の達成は個人の動機を満足させるが、

    他方において予期しない求めない結果が必然的に生じ、それは、個

    人に満足ないし不満足の心理的な問題をよび起こす。前者を有効性

    といい、後者を能率という O

    (2) 組織レベルでは、組織目的と個人目的ないし個人動機とは、本来

    分離している。したがって、組織目的の達成は、個人動機の満足と

    はならない。組織行動の目的達成は組織の有効性であるが、組織の

    目的行為が必然的に随伴する求めざる結果は、諸個人の満足ないし

    不満足を起こすことになり、これが組織の能率である。

    (3) 満足は個人を組織に引きつけ、不満足は個人を組織から離脱させ

    るO 個人が組織から離脱すれば、組織を維持することが困難になる。

    したがって、組織の能率とは組織の維持能力のことである。

    (4) 組織維持の能力は、個人の動機満足、すなわち個人が組織から物

    質的ないし非物質的な誘因を分配せられるか否かにかかる。すなわ

    ち、組織が個人に対して、どれほど誘因の提供力をもつかというこ

    とである。したがって、組織の能率とは、組織のもつ誘因提供の能

    力を意味する。

    以上のように、問題は一応整理されたが、次のような問題が残る O 例

    えば、ある企業の経営活動において、経営計画に基づいて一定の効用を

    もっ商品を生産し、一定の利益を追求することを目的とする場合を考え

    よう。そして、その目的が達成され、企業は成長し、従業員の賃金も上

    同 三戸公著 f随伴的結果一管理の革命-J 11ページ。師三戸公著「現代の学としての経営学J 118ページ。倒同書 119-120ページ。

  • -83-

    昇し、従業員の諸動機を満足させたとする。ところが、予期しない結果、

    求めない結果として、その商品が目的とした効果以外の影響が生じ、そ

    の商品を購入した消費者が病気になったり、あるいは環境汚染ないし環

    境破壊を引き起こしたとする O この予期しない結果である能率、すなわ

    ち個人レベルで把握された能率の概念を組織レベルに直接適用した能率

    は、組織レベルで把握された構成員の満足という能率とは違いがあるの

    ではないか、という問題である開。

    この問題について、三戸公氏は次のように説明している。

    「たしかに、 2つの能率概念は矛盾するように思われる。だが、何ら

    の矛盾もないのである O バーナードにあっては、従業員も顧客も企業と

    いう組織にとって同じ構成員なのである。従業員も顧客もいずれも企業

    という組織から何らかの価値を誘因として提供せられ、逆に異なった価

    値を企業にたいして貢献しているのであって、組織の観点に立っかぎり

    何の相違もない。だから、企業の製品が毒物であれば、顧客の動機は満

    足せられず、彼は企業という組織から離脱する。顧客なくしては企業と

    いう組織が維持できないことは、従業員が離れてゆく場合とまったく同

    じである岡。」

    さらに、三戸氏の次の指摘に注目すべきである。すなわち、 「物的結

    果は必ず心理的・社会的変化を伴い、それは必ず組織に個人を引きつけ、

    あるいは離れさせる O 組織行動の結果は、所詮、組織がどのような誘因

    と貢献のインター・アクションによって結びつけられておろうと、それ

    はすべての組織に関係するあらゆるメンバーの心理的変化、動機の満足

    あるいは不満足を惹起し、誘因の強弱となって、企業維持にかかわって

    くるのである陣。」

    伺問書 120ページ。

    倒同書 120~121ページ。

    倒問書 121ページ。

  • -84-

    以上のように、バーナードにおける有効性と能率の概念について検討

    してきたが、特に個人レベルで把握された能率の概念と組織レベルで把

    握された能率の概念とは、一見すると矛盾するように思われるので、こ

    の事は特に注意を要する点である O

    U 目的的結果と随伴的結果

    以上のバーナードの有効性と能率の概念についての検討から、 「客観

    的な目的達成と主観的な動機満足を有効性と能率でもってあらわし、随

    伴的結果は動機満足に関するー要因にすぎないものと把握されているこ

    とが分かつた。能率は動機の満足・不満足をあらわす言葉であって、非

    目的的結果=随伴的結果をあらわす言葉ではない。目的的結果と随伴的

    結果の両者が、全体として満足か不満足かをあらわす言葉として、能率

    概念はある刷。」

    人間の行為は、様々な社会的欲求を生み、物質的な富を求め、社会的

    な地位・権力を求めて、その欲望は無限に拡大していくが、人間の行為

    にとって重要なことは、目的の達成であり、そのために道具・機械・装

    置の手段がっくり出され、目的達成のために、様々な知識が動員され、

    科学が生み出され、驚異的な発展をとげ、科学・技術の発展とともに、

    行為の可能性は拡がり、目的はあらゆる分野において巨大化していくこ

    とになる刷。

    人間の行為は合目的的であり、限定された条件のもとでなされるもの

    ではないから、目的的結果とともに求めていなかった随伴的結果が必ず

    生じ、それがプラスと受けとめられ、あるいはマイナスと受けとめられ

    る場合があり、また、それは取るにたらない些細な場合もあるし、看過

    出来ない場合もある幽。「この求めていたわけではない随伴的結果は、日

    同三戸公著「随伴的結果管理の革命 J 98ページ。制同書 92ページ。

  • 的的行為とその結果が科学・技術の発展とともに巨大化するとともに、

    巨大なものとなってきた。随伴的結果の巨大化は、少なくとも目的的結

    果の巨大化に比例するものであり、おそらくはそれより大きいであろうへ」

    随伴的結果のマイナス的側面は、水俣病を契機として社会的問題とな

    り公害という言葉が生まれるころは、一般的なものとなり、現在では地

    球環境破壊として人類を含めて全ての生物の健全な生存が危慎されてい

    る刷。この随伴的結果の問題を経営学の分野で最初に指摘したのは、バー

    ナードであった師。

    組織的行為においては、組織参加者は様々な動機をいだいて組織に参

    加し、専門分化した部分的行為をなし、全体として組織目的が達成され、

    必ずしも目的達成と個人の動機満足は一致しなくなり、諸個人は組織の

    一員として、すなわち組織人格と個人人格の 2つの側面を同時にもつ存

    在として行為する師。さらに、組織的行為においては、個人的行為には存

    在しなかった組織を維持するための機能である管理が成立することにな

    り、その具体的な内容は、組織目的を設定し、諸個人の貢献を引き出し、

    伝達体系を維持することである刷。

    次に、組織的行為における随伴的結果の問題を考察する場合に、その

    随伴的結果の基準が必要となり、次の点を指摘することができるへ

    (1) 第 1の基準は、些細であるか、重大であるかである O 組織的行為

    は巨大化し、その目的的結果も巨大化すると同時に随伴的結果もま

    た巨大化する。その大きさもはかり知れないほど大きくなる O 例え

    同書 92~93ページ。

    同書 93ページ。

    同書 93ページ。

    同書 93ページ。

    同書 106ページ。

    同書 106ページ。

    同書 106~108ページ。

    同開同川間同同師同開

  • -86ー

    ば、チェルノブイリ原子力発電所の目的的結果である発電量と随伴

    的結果であるあの事故は、言うまでもなく随伴的結果の方が比較に

    ならぬほど大である O

    (2) 第2の基準は、満足出来るものか・不満足なものか、喜ばしきも

    のか・欲せざるものか、利得的なものか・損害的なものかである。

    この基準からみたとき、個人的行為の結果に比べて、組織的行為に

    おいては満足のゆくもの・利得的なものに対して、不満なもの・損

    害的なものの方が明確になる。

    (3) 第3の基準は、予期出来るものと予期せざるものとの分類からみ

    た組織的行為の随伴的結果である。組織的行為においては、個人的

    行為に比して、予期出来る結果は非常に大きくなる O それは、個人

    的行為の場合は動機が目的と直結しているから、随伴的結果を十分

    に考慮し、予測することが十分でない。予測しようにも、個人の蒐

    集する情報はかぎられており、予測の精度は低くなる。これに対し

    て、組織的行為における意思決定においては、随伴的結果を予測し

    ようと思えば、かなりの程度まで予測可能で、ある。もともと、組織

    的行為においては目的的結果の達成のために諸情報を蒐集し、いく

    つかの代替案をたて、それぞれの長短を予測して行為に入る O 随伴

    的結果もまた、目的的結果の分析・予測と同じだけの時間とエネル

    ギーと費用をかければ、相当のところまで予測・予期は可能である。

    組織的行為においては、随伴的結果の予測・予期出来る領域と精

    度が個人の場合より大きいが、その程度はあくまで組織主体の意思

    が随伴的結果の予測に向けられ、そのために情報が集められ分析せ

    られる努力にかかっているのである O その努力に応じて予測の領域

    と精度は大となったり小となったりする。そして、これまでのとこ

    ろ、随伴的結果の予測の努力は、目的的結果に向けられる努力に比

    して極めて少ない。人間の行為にとって、個人であれ組織であれ、

    偶然から免れることは出来ない。したがって、予測不可能な予期せ

  • -87-

    ざる結果は必然的に発生するのである O

    (4) 第4の基準として、髄伴的結果が組織にとってのみのものか、組

    織にとって直接的には関係ない人々に及ぶものかの問題である O 個

    人の行為の場合は、多くの人々に深刻にして広範囲の随伴的結果を

    生むことは少ない。しかし、組織的行為の場合は、多数の人々に広

    範囲に深刻な随伴的結果を発生させる可能性が極めて大きい。その

    とき巨大な新技術を採用すればするほど、その可能性もまた大きく

    なる。

    以上 4つの随伴的結果の基準を組織的行為に適用した場合に特に問題

    となるのは、 「些細なものではなく重要なもの、満足出来るものではな

    く不満足であり損害的なものであり、予期出来るものであり、他人に損

    害を与えるものである。すなわち、他人に重大な被害を与える予測可能

    な随伴的結果の問題である同。Jこのような随伴的結果に対して組織がど

    のように対応するかという問題について、三戸氏の次のような見解は注

    目すべきものである同。

    個人の場合は、目的的結果の予測と随伴的結果の予測をたて、随伴

    的結果のマイナス的結果のいかんによっては、始めからその行為を断

    念する O また、どうしてもやりたい行為である場合は、始めからマイ

    ナス的結果の予防措置を講じるであろう O すなわち、それは、個人の

    動機と行為とその目的的・随伴的結果が一体的であり、個人の動機を

    形づくる欲求体系・価値体系・行動規範にかかっているのである O

    ところが、組織的行為の場合は違う O 組織体を構成する諸個人はそ

    れぞれの欲求体系・価値体系・行動規範をもち、それぞれの動機によ

    って組織に参加し、組織に貢献する。だが、組織目的は諸個人の動機

    と直接結合してはいない。組織は満足・不満足の動機で動く存在では

    同同書 109ページ。

    同同書 109-112ページ。

  • なく、組織そのものは非情的存在である O この非情性の組織、非人間

    的存在である組織は、組織そのものの内在的動機、自己目的をもっ。

    それは、組織維持である O 組織体は行動規範をもち、その行動規範は、

    個人におけるそれと異なって組織そのものに内在するものではなく、

    組織維持のために人間によって付与せられたものである。

    組織維持の機能が管理機能である。管理者は組織目的をたて、組織

    成員の貢献を確保し、伝達体系を維持し、もって組織を維持するとい

    う管理機能を果たす。随伴的現象のマイナス的結果を事前に予測する

    ことは、不可欠の作業である O マイナス的結果が予測されたとき、予

    防的措置をとることになる O この予防的措置のために費やされる諸価

    値(時間・エネルギー・貨幣等)は、目的的結果を得るために支出さ

    れる諸価値に加算せられ、かくして得られる目的的結果の価値と支出

    合計価値との対比の結果、行為はあるいは断念せられ、あるいは遂行

    せられる O 個人の場合は、心理的満足・不満足の問題であるが、組織

    の場合は多くは貨幣価値によって把握されることになる O したがって、

    組織的行為の場合は原則として、支出価値が大となる場合は行為を断

    念せざるをえない。そうしなければ、組織維持が出来ないからである O

    マイナス的結果が極めて大きく、組織維持が困難になる場合が少な

    くない。それは、管理者の管理能力の低さ・弱さ・不十分によるもの

    である。優れた管理者は、目的的結果と同時に随伴的結果を複眼的に

    把握し、目的的結果を達成するための費用とともに、マイナス的随伴

    的結果の予測と予防の費用を支出するであろう。予測の結果、予防手

    段が発見出来ない場合、またその費用が大きくなり、目的的結果から

    生ずる剰余的価値がゼロにあるいはマイナスになれば、行為の計画は

    本見本的に変更されることになる。

    管理能力不足の管理者は、随伴的結果の予測が不十分であり、予測

    可能のマイナス的結果を予測しなくて、予防策をとらず、不十分にし

    か措置しない。マイナス的結果を予測しでも、それを過小評価し、十

  • -89-

    分な予防策をとらない。組織的行為は持続的反覆的行為であるから、

    予測しなかった場合や予測出来なかった場合も、いかなる随伴的結果

    が生じたか、また今後生ずるかが判明する。その場合に、管理者は、

    他人に与えた損害に対する補償・賠償を可能なかぎり少なくしようと

    する。

    責任能力不足の管理者もまた組織維持原則に立つ。マイナス的随伴

    的結果に対する支出を可能なかぎり少なくしようとして、種々の策を

    講ずる。まず、他人に与えた損害は、自分の組織が惹き起こしたもの

    ではないことを主張して、補償・賠償の責任から免れようとするであ

    ろう。また、その組織の責任範囲を可能なかぎり狭める努力をし、責

    任転嫁をはかるであろう。あるいは、与えた被害・損害を、あるいは

    無視し、あるいはその範囲を狭め、過小評価しようとする。

    管理者は、組織人格の所有者であると同時に個人人格の所有者でも

    ある。彼は、個人人格の所有者として個人的諸欲求・価値体系・行動

    規範をもち、情の厚い薄いの差はあろうとも、情をもち、彼なりの倫

    理・道徳をもっ。被害者が声をあげないかぎり、組織は被害を無視す

    るO 被害者が声をあげても、組織人格は被害者に会うまいとし、聞く

    まいとする。個人人格としては、それぞれ、被害者に良心的に対応し

    たい行動規範を強くあるいは弱くもっているであろう。

    優れた組織は、諸個人の人間的良心を満足せしめながら、しかもな

    お諸個人の組織維持を可能にするであろう。だが、それはなかなかに

    難しい。個人人格者として、彼の行動規範を貫き満足せしめながら組

    織維持を可能にするのが、優れた管理者である O

    要するに、管理者が組織人格と個人人格の対立をいかに克服するかと

    いうことが重要であり、それは、個人と組織との聞の対立をいかに克服

    し、両者の同時的発展を可能とするような組織のあり方を考えることを

    意味する。

  • -90ー

    結び

    バーナードは、組織および組織における人間の行動を適確に把握し、

    理解するためには、従来の経済人仮説に代る新しい人間観を提示する必

    要があるとして、組織理論の基礎としての独自の人間観を提示する O バ

    ーナードは、人間ないし個人を物的、生物的、社会的存在として把握し

    たうえで、人間の特性を明らかにし、選択力、決定能力、自由意思を最

    も重要なものとした。それは、人間独自の要因であり、人間の特性の決

    定的要因をなすものである O

    人間の行為は、有効性と能率の 2つの側面から把握されるが、特に問

    題になるのは、組織レベルでの能率についてであるO それは、組織の構

    成員の動機の満足を意味し、行為者個人にとって求めた結果と求めなか

    った結果の全体が満足か不満足かをあらわす概念である。組織行動の目

    的達成は組織の有効性であるが、組織の目的行為が必然的に随伴する求

    めざる結果は、諸個人の満足ないし不満足を起こすことになり、これが

    組織の能率である。そして、バーナードが、 「組織の能率とは、その体

    系の均衡を維持するに足るだけの有効な誘因を提供する能力である刷」と

    述べているように、組織の能率とは組織の維持能力のことであることが

    明らかになった。

    人間の行為は合目的的であり、目的的結果とともに求めていなかった

    随伴的結果が必ず生ずる。 rこの求めていたわけではない随伴的結果は目的的行為とその結果が科学・技術の発展とともに巨大化するとともに、

    巨大なものとなってきた伺。」この随伴的結果の問題を経営学の分野で最

    初に指摘したのは、バーナードであった倒。

    (5~ C. I.Bamard. ibid.. P.93.

    山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳前掲書 97ページ。

    岡 三戸公著「随伴的結果一管理の革命 -J93ページ。

    同同書 93ページ。

  • -91-

    現代社会における企業活動にはイノベーションが不可欠なものとなり、

    目的的結果が巨大化するとともに随伴的結果も巨大化し、地域社会だけ

    でなく全体社会にも深刻な影響を及ぼす事態も発生している。このよう

    な状況の中で「環境問題などに代表される現代の重要な随伴的結果倒」の

    問題を解決していくためには、 「目的的結果と随伴的結果の両方に同等

    の目配りをする複眼的アプローチを導入する伺」ことが必要となる O そこ

    に、われわれは、 「バーナード理論の現代的な役割と意味町があると考

    える。

    同稲村毅稿[バーナード理論と現代」経営学史学会編『経営学の巨人J80ページ。

    伺同書 80ページ。

    同問書 80ページ。

    ,..:示,"‘時

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