世界平和と国際協力 ngo - meiji gakuin...

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市民社会の役割、 そして国際協力 NGO とは 地域社会においても、 国単位でも、 国際社会や 世界の単位でも、 管理を旨とする行政セクターと、 利益追求を旨とする企業 (ビジネス) セクターと、 いささか荘漠としているが、 政府・企業から独立 して 「公」 「共」 を考え行動する市民社会セクター、 この三者の鼎立で社会は成り立っている。 市民と は、 ここで 「公」 や 「共」 を考える個人とする。 とすると、 行政セクターで働く公務員も、 企業で 働く会社員も、 その意味で市民であるという側面 をもつ。 労働時間の外で、 一市民として考え行動 することはもちろん、 様々な制約や圧力があるに せよ、 労働時間と仕事の内側でも、 市民としての 考え方を基盤にしていこうとすることはある。 今 日、 行政はもとより企業の社会的責任に関する考 え方・行動とルールは、 企業内・企業セクター内 でも、 ますます重視されてきている。 市民社会セクターの中に、 人権擁護、 環境、 地 域開発、 福祉、 紛争解決や平和の課題などに取り 組む、 様々な個人・団体と活動がある。 便宜的に、 国内型、 国際型に分けることもあるが、 これらの 活動の本質から、 国境を超えての活動になり、 テー マとしては根底では共通している。 戦後日本社会と、 日本の国際協力 NGO 国連憲章同様、 日本国憲法も、 戦争の戦闘員、 非戦闘員を問わず、 第一次世界大戦における被害 のあまりの大きさと酷さに圧倒されながら、 なん とか同じ道を通らないようにしようとする強い思 いから創られ、 多くの人々から圧倒的に支持され た。 戦争の原因は、 単純には規定しがたいが、 国 家間の資源争い、 極端な貧富の差を原因とする紛 争、 民族間や宗教間の不寛容などが原因となるこ とが多い。 「政府の行為によって再び戦争の惨禍 が起ることのないやうにすることを決意」 という 部分は、 言うまでもなく、 憲法が国民の義務を規 定するのではなく、 政府の義務を規定するという こと、 また、 アジア・太平洋戦争が、 当時の日本 政府、 政治体制の誤った選択・決定で行われたこ とを示している。 「われらは、 全世界の国民が、 ひとしく恐怖と 欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有 することを確認する」 の部分は、 日本が 「恐怖と 欠乏から自由であること」 を目指すだけではなく、 これを日本の外にも広げ、 地球大で考えようとし ている。 あらゆる非軍事的方法による国際協力の 理念に通ずる。 敗戦直後の日本には、 自らの復興 自体に注ぐ力以外の余力は小さかったが、 経済的 復興を成し遂げた今日、 400を越える国際協力 NGO が日本においても成長してきている。 第二次世界大戦後、 日本においても様々な海外 援助活動が行われ、 人道支援と国際協力の盛り上 がりがあった。 私が属する日本国際ボランティア センター (JVC) は、 カンボジア (およびインド シナ) 難民救援活動にその端を発して、 1980年に 設立されている。 1970年代のインドシナ難民救援 ― 45 ― 特集:世界の中の憲法9条 世界平和と国際協力 NGO (国際平和研究所研究員)

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Post on 27-Mar-2020

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市民社会の役割、 そして国際協力NGOとは

地域社会においても、 国単位でも、 国際社会や

世界の単位でも、 管理を旨とする行政セクターと、

利益追求を旨とする企業 (ビジネス) セクターと、

いささか荘漠としているが、 政府・企業から独立

して 「公」 「共」 を考え行動する市民社会セクター、

この三者の鼎立で社会は成り立っている。 市民と

は、 ここで 「公」 や 「共」 を考える個人とする。

とすると、 行政セクターで働く公務員も、 企業で

働く会社員も、 その意味で市民であるという側面

をもつ。 労働時間の外で、 一市民として考え行動

することはもちろん、 様々な制約や圧力があるに

せよ、 労働時間と仕事の内側でも、 市民としての

考え方を基盤にしていこうとすることはある。 今

日、 行政はもとより企業の社会的責任に関する考

え方・行動とルールは、 企業内・企業セクター内

でも、 ますます重視されてきている。

市民社会セクターの中に、 人権擁護、 環境、 地

域開発、 福祉、 紛争解決や平和の課題などに取り

組む、 様々な個人・団体と活動がある。 便宜的に、

国内型、 国際型に分けることもあるが、 これらの

活動の本質から、 国境を超えての活動になり、 テー

マとしては根底では共通している。

戦後日本社会と、 日本の国際協力NGO

国連憲章同様、 日本国憲法も、 戦争の戦闘員、

非戦闘員を問わず、 第一次世界大戦における被害

のあまりの大きさと酷さに圧倒されながら、 なん

とか同じ道を通らないようにしようとする強い思

いから創られ、 多くの人々から圧倒的に支持され

た。 戦争の原因は、 単純には規定しがたいが、 国

家間の資源争い、 極端な貧富の差を原因とする紛

争、 民族間や宗教間の不寛容などが原因となるこ

とが多い。 「政府の行為によって再び戦争の惨禍

が起ることのないやうにすることを決意」 という

部分は、 言うまでもなく、 憲法が国民の義務を規

定するのではなく、 政府の義務を規定するという

こと、 また、 アジア・太平洋戦争が、 当時の日本

政府、 政治体制の誤った選択・決定で行われたこ

とを示している。

「われらは、 全世界の国民が、 ひとしく恐怖と

欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有

することを確認する」 の部分は、 日本が 「恐怖と

欠乏から自由であること」 を目指すだけではなく、

これを日本の外にも広げ、 地球大で考えようとし

ている。 あらゆる非軍事的方法による国際協力の

理念に通ずる。 敗戦直後の日本には、 自らの復興

自体に注ぐ力以外の余力は小さかったが、 経済的

復興を成し遂げた今日、 400を越える国際協力

NGO が日本においても成長してきている。

第二次世界大戦後、 日本においても様々な海外

援助活動が行われ、 人道支援と国際協力の盛り上

がりがあった。 私が属する日本国際ボランティア

センター (JVC) は、 カンボジア (およびインド

シナ) 難民救援活動にその端を発して、 1980年に

設立されている。 1970年代のインドシナ難民救援

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特集:世界の中の憲法9条

世界平和と国際協力 NGO

熊 岡 路 矢(国際平和研究所研究員)

活動、 1980年代半ばのエチオピアなどのアフリカ

の飢餓飢饉救援運動に連なり、 1990年代以降もイ

ラクやパレスチナ、 アフガニスタンなどにおける

人道支援が行われている。

憲法九条は、 日本の平和主義の象徴である (ある

いは日本に架せられた孫悟空の 「緊箍 (きんこ)」

である)

戦後日本の 「平和主義」 は、 米国との同盟、 そ

の核の傘の下でのものということで不完全なもの

であったかもしれないが、 国際主義、 平和外交、

専守防衛、 人道主義などとも連携し、 日本社会に

定着することによって、 アジア諸国・世界からも

評価されるものになりつつあった。 なかでも市民

による国際協力は、 一人と一人が直接出会い、 力

を合わせていくもので、 積極的・具体的な平和主

義の発露として大きな価値をもつものである (し

たがって、 わたしたち日本の市民も、 憲法に寄り

掛かり 「憲法を守れ」 と言うだけでは決定的に弱

い。 地域での助け合いに参加し、 国境を超えての

助け合いを具体的に支援していく気概と実践をも

たねば、 憲法や平和主義を空洞化させるだけであ

る)。

憲法の平和の理念は、 直接あるいは間接的に、

これまで日本の外交官、 企業人、 旅行者を守って

きた。 わたしたち NGOの活動者にも、 世界各地

で安心して働く基盤と環境を提供してくれた。

しかし、 2001年 「9・11事件」 およびその後の

米国による対アフガニスタン (2001年10月~)、

対イラク (2003年3月~) 戦争政策と、 日本政府

による追随、 特に自衛隊派遣で、 この安心構造は

壊れつつあると実感する。 原爆被害を越えての戦

争復興、 経済や文化を通しての協力活動において、

場合によっては過剰なまでの好意をもってくれて

いたイラクはじめとする西アジア諸国の人々の対

日感情は、 大きく悪化してきている。 日本政府が

「人道・復興支援」 であると主張しても、 武器を

携行し軍服・戦闘服での活動は、 過去2年のイラ

ク情勢の文脈でいえば、 米国米軍への支援と受け

止められてしまう。

自衛隊派遣は、 西アジアは言うまでもなく、 世

界的な不公正感の源となっているパレスチナ・イ

スラエル問題やイラク問題自体でも、 調停者とし

て動ける可能性を狭めてしまったと思う。 米国に

よるイラクへの軍事攻撃は誤りであり、 イラクを

壊し、 米国自身を含む世界をより危険な状態にし

ている。 そのなかで、 小泉首相によるイラク戦争

支持や自衛隊派遣は、 真にイラクに向いて行われ

たのではなく、 米国現政権向けの行動であること

が露わになっている。

いま必要なのは、 憲法の修正・改悪を通して日

本を 「戦争のできる国」 に変えていくことではな

く、 むしろいままで不十分であった、 平和外交、

国際協力、 人道主義をより明確にする方向で政策

を見直してアジア・世界に示すことである。 経済・

文化活動、 NGOや民間による国際協力・交流活

動は日本の強みである。 世界の流れは、 軍事によ

る強面のアピールではなく、 国際協調や人道主義

など 「ソフトパワー」 の再評価に向かっている。

海外に 「軍隊」 を送り 「米軍と肩を並べて戦う」

ことで、 日本の安全も決定的に失われる。

理論的な選択肢としては、 自衛隊を軍として認

知し、 「明確な文民統制」 を行うということはあ

るのかもしれない。 しかし、 ここ数年、 特に小泉

政権下での日米同盟強化に向けての独断専行と、

国会、 与党、 閣議などでの議論の乏しさ、 独走へ

の有効な 「歯止め」 のなさ、 民主主義の未成熟や

情緒的反応が世論を支配しやすいことなどを考え

ると、 憲法上の一つの変更・修正が一気に 「戦争

できる日本」 まで突進させてしまう危うさを感ず

る。 かつて軍事大国であり、 アジア諸国と自らに

災禍をもたらしたわが国は、 自覚は薄いが、 現在

でも軍事大国であり、 核兵器開発能力をもってい

る強い国恐い国であるだろう。 その意味では憲法

世界平和と国際協力 NGO

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は、 特に九条は、 当面孫悟空の 「緊箍 (きんこ)」

であり続けなければならないのだろう。 十分な議

論・討論ができ、 情緒的でなく冷静に進路が決定

できる日本になるときに初めて、 この 「緊箍」 を

外す議論ができる日が来ると思う。

出典:『日本国憲法の多角的検証 憲法 「改正」

の動向をふまえて』 法学館憲法研究所編、

日本評論社、 2006年

世界平和と国際協力 NGO

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