学校選択制について - osaka...- 1 - 学校選択制について 平成24 年9月25日 大森...

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- 1 - 学校選択制について 平成 24 9 25 大森 不二雄 1.学校選択制とは (1)就学校の指定 市町村教育委員会は、市町村内に小学校(中学校)が 2 校以上ある場合、就学予定者が就学す べき小学校(中学校)を指定することとされている(学校教育法施行令第 5 条)。 (2)通学区域 就学校の指定をする際の判断基準として、市町村教育委員会があらかじめ設定した区域をいう。 この「通学区域」については、法令上の定めはなく 、就学校の指定が恣意的に行われたり、保 護者にいたずらに不公平感を与えたりすることのないようにすることなどを目的として、道路や 河川等の地理的状況、地域社会がつくられてきた長い歴史的経緯や住民感情等それぞれの地域の 実態を踏まえ、各市町村教育委員会の判断に基づいて設定 されている。 (3)学校選択制 市町村教育委員会は、就学校を指定する場合に、就学すべき学校について、あらかじめ保護者 の意見を聴取することができる(学校教育法施行規則第 32 条第 1 項)。この保護者の意見を踏ま えて、市町村教育委員会が就学校を指定 する場合を学校選択制という。 ※文部科学省調査Webサイト参照 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-sentaku/index.htm 2.学校選択制の導入経緯 ・昭和 59 9 月、総理大臣の諮問機関である臨時教育審議会が審議を開始し、いわゆる「教育の自 由化」論争が始まる。中曽根首相のブレーンと言われた一部委員が、通学区域制を廃止して自由に 学校を選択できるようにするなど、選択の自由を拡大し、競争メカニズムを導入することによって、 教育を活性化すべきであると主張し、教育の機会均等と全国的教育水準の維持を論拠として反対す 文部省の意向に近い委員との間で論争を展開。日教組も反自由化論で文部省と歩調そろえる。 ・昭和 62 5 月、文部省は、臨時教育審議会「教育改革に関する第三次答申」 (昭和 62 4 月)に ついての教育委員会に対する通知の中で、「通学区域」という項目を立て、「現行の通学区域制度は、 義務教育について、その適正な規模の学校と教育内容を保障し、これによって教育の機会均等とそ の水準の維持向上を図るという趣旨から行われてきた制度であるが、今次答申において、現行の市 町村教育委員会の学校指定の権限は維持しつつ、地域の実情に即し、可能な限り、子供に適した教 育を受けさせたいという保護者の希望を生かすために、当面、具体的には調整区域の設定の拡大、 学校指定の変更・区域外就学の一層の弾力的運用、親の意向の事前聴取・不服申し立ての仕組みの 整備など多様な方法を工夫することが提言されていることにかんがみ(第 2 章第 6 節)、この際、 各市町村教育委員会においては、就学すべき学校の指定に係る市町村教育委員会の権限と責任に基 づき、地域の実情に即してこの制度の運用について検討する必要があること。」と述べる。 ・平成 8 12 月、行政改革委員会「規制緩和の推進に関する意見(第2次)」は、臨教審第三次答申 を踏まえた通知以降の状況について、「どの程度保護者の意向を重視し選択を働かせるかは市町村 教育委員会の意向、試みにかかっており、市町村教育委員会の取組は十分とは言えない」との認識 を示した上で、「市町村教育委員会に対して、学校選択の弾力化の趣旨を徹底し、保護者の意向に 対する十分な配慮、選択機会の拡大の重要性の周知を図ることにより、市町村教育委員会が本来の 機能を発揮し、学校選択の弾力化に向けて多様な工夫を行うよう、指導すべきである」と提言。

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学校選択制について

平成 24 年 9 月 25 日

大森 不二雄

1.学校選択制とは

(1)就学校の指定

市町村教育委員会は、市町村内に小学校(中学校)が 2 校以上ある場合、就学予定者が就学す

べき小学校(中学校)を指定することとされている(学校教育法施行令第 5 条)。

(2)通学区域

就学校の指定をする際の判断基準として、市町村教育委員会があらかじめ設定した区域をいう。

この「通学区域」については、法令上の定めはなく、就学校の指定が恣意的に行われたり、保

護者にいたずらに不公平感を与えたりすることのないようにすることなどを目的として、道路や

河川等の地理的状況、地域社会がつくられてきた長い歴史的経緯や住民感情等それぞれの地域の

実態を踏まえ、各市町村教育委員会の判断に基づいて設定されている。

(3)学校選択制

市町村教育委員会は、就学校を指定する場合に、就学すべき学校について、あらかじめ保護者

の意見を聴取することができる(学校教育法施行規則第 32 条第 1 項)。この保護者の意見を踏ま

えて、市町村教育委員会が就学校を指定する場合を学校選択制という。

※文部科学省調査Webサイト参照

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-sentaku/index.htm

2.学校選択制の導入経緯

・昭和 59 年 9 月、総理大臣の諮問機関である臨時教育審議会が審議を開始し、いわゆる「教育の自

由化」論争が始まる。中曽根首相のブレーンと言われた一部委員が、通学区域制を廃止して自由に

学校を選択できるようにするなど、選択の自由を拡大し、競争メカニズムを導入することによって、

教育を活性化すべきであると主張し、教育の機会均等と全国的教育水準の維持を論拠として反対す

る文部省の意向に近い委員との間で論争を展開。日教組も反自由化論で文部省と歩調そろえる。

・昭和 62 年 5 月、文部省は、臨時教育審議会「教育改革に関する第三次答申」(昭和 62 年 4 月)に

ついての教育委員会に対する通知の中で、「通学区域」という項目を立て、「現行の通学区域制度は、

義務教育について、その適正な規模の学校と教育内容を保障し、これによって教育の機会均等とそ

の水準の維持向上を図るという趣旨から行われてきた制度であるが、今次答申において、現行の市

町村教育委員会の学校指定の権限は維持しつつ、地域の実情に即し、可能な限り、子供に適した教

育を受けさせたいという保護者の希望を生かすために、当面、具体的には調整区域の設定の拡大、

学校指定の変更・区域外就学の一層の弾力的運用、親の意向の事前聴取・不服申し立ての仕組みの

整備など多様な方法を工夫することが提言されていることにかんがみ(第 2 章第 6 節)、この際、

各市町村教育委員会においては、就学すべき学校の指定に係る市町村教育委員会の権限と責任に基

づき、地域の実情に即してこの制度の運用について検討する必要があること。」と述べる。

・平成 8 年 12 月、行政改革委員会「規制緩和の推進に関する意見(第2次)」は、臨教審第三次答申

を踏まえた通知以降の状況について、「どの程度保護者の意向を重視し選択を働かせるかは市町村

教育委員会の意向、試みにかかっており、市町村教育委員会の取組は十分とは言えない」との認識

を示した上で、「市町村教育委員会に対して、学校選択の弾力化の趣旨を徹底し、保護者の意向に

対する十分な配慮、選択機会の拡大の重要性の周知を図ることにより、市町村教育委員会が本来の

機能を発揮し、学校選択の弾力化に向けて多様な工夫を行うよう、指導すべきである」と提言。

Page 2: 学校選択制について - Osaka...- 1 - 学校選択制について 平成24 年9月25日 大森 不二雄 1.学校選択制とは (1)就学校の指定 市町村教育委員会は、市町村内に小学校(中学校)が2校以上ある場合、就学予定者が就学す

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・平成 9 年 1 月、文部省は、行政改革委員会の意見を踏まえ、初等中等教育局長通知「通学区域制度

の弾力的運用について(通知)」により、都道府県教育委員会を通じて全国の市町村教育委員会に

対し、「教育上の影響等に留意しつつ、通学区域制度の弾力的運用に努めるよう」、「地域の実情に

即し、保護者の意向に十分配慮した多様な工夫を行うこと」等を指導。

・平成 10 年に三重県紀宝町、12 年には東京都品川区等が学校選択制を導入。マスコミが大きく報道。

・総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第 1 次答申」(平成 13 年 12 月)を受けた「規制改

革推進 3 か年計画(改定)」(平成 14 年 3 月閣議決定)において、各市町村の教育委員会の判断に

より学校選択制を導入できること及びその手続等を明確化するよう、関係法令を見直すこととされ

たことを踏まえ、平成 15 年 3 月、学校教育法施行規則が改正され、学校選択制の根拠条文(学校

教育法施行規則第 32 条第 1 項)が新設された。ただし、この改正以前においても、学校選択制は、

市町村の判断で導入可能であったのであり、学校選択制の推進の観点から明文化されたものである。

3.学校選択制の実施状況

※文部科学省調査データ(次の Web サイト)より

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-sentaku/08062504.htm

(1)学校選択制の導入自治体数

小学校 平成 18 年:240 自治体(14.2%) 中学校 平成 18 年:185 自治体(13.9%)

平成 16 年:227 自治体(8.8%) 平成 16 年:161 自治体(11.1%)

(2)学校選択制の形態

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自由選択制 当該市町村内の全ての学校のうち、希望する学校に就学を認めるもの

ブロック選択制 当該市町村内をブロックに分け、そのブロック内の希望する学校に就学を認める

もの

隣接区域選択制 従来の通学区域は残したままで、隣接する区域内の希望する学校に就学を認める

もの

特認校制 従来の通学区域は残したままで、特定の学校について、通学区域に関係なく、当

該市町村内のどこからでも就学を認めるもの

特定地域選択制 従来の通学区域は残したままで、特定の地域に居住する者について、学校選択を

認めるもの

※以上は、あくまで便宜的に分類したタイプにすぎず、法令上の定め等の根拠はない。

文部科学省Webサイト参照 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-sentaku/06041014/002.htm

4.学校選択制の見直し・廃止の動き

(1)見直し・廃止の事例

●杉並区:平成 28 年度(予定)、学校選択制は廃止し、指定校変更制度を弾力化

平成 14 年度の学校選択制(隣接区域選択制)導入以来、10 年経過したことを契機に、教委・

学校関係者とPTA代表から成る学校希望制度検討会を設けて検討。

地域と学校のつながり、学校の適正規模の保持、通学時の安全確保等を見直し理由に挙げる。

通学区域の学校以外の学校選択の希望申請者の割合は、小学校約 20%、中学校約 25%で推移し

ており、保護者の理解は得られているとしつつ、学校関係者アンケート(平成 23 年 7 月実施。

対象:校長、PTA会長、学校支援本部、学校運営協議会)の結果、学校選択制の継続が 27.5%

にとどまる一方、廃止 38.1%と見直し 34.4%を合わせ 73%に上るとして、廃止を正当化。

ところが、保護者アンケートも実施(平成 23 年 1 月)しているにもかかわらず、保護者には

学校選択制の見直しの是非について質問していない! 同アンケート結果に基づき、自宅からの

距離等の個人的事情による理由に比べ、魅力ある教育活動等の希望理由は低いことを指摘すると

ともに、保護者同士や地域での口コミ情報への依存を問題視。

保護者アンケートによると、通学区域の学校以外の学校を希望した者の希望理由の順位は、以

下の通り。

小学校:①子どもの友人関係、②自宅から近い、③兄姉が在籍、④通学上の安全、⑤近隣の評判、

⑥児童数・クラス数が多い、⑦教育活動の内容、⑧学校の雰囲気......

中学校:①子どもの友人関係、②学校の雰囲気、③やりたい部活動、④自宅から近い、⑤近隣の

評判、⑥教育活動の内容、⑦良い校風・伝統、⑧制服の有無、⑨児童数・クラス数が多

い、⑩兄姉が在籍、⑪通学上の安全、⑫学校の周りの環境、⑬卒業生の進路状況

※杉並区Webサイト参照 http://www2.city.suginami.tokyo.jp/news/news.asp?news=13481

●長崎市:平成 24 年度、学校選択制は廃止し、指定校変更制度を弾力化

平成 17 年度に学校選択制(隣接区域選択制)を導入。

保護者の 8 割が学校選択制を支持し、通学区域審議会が学校選択制を継続するよう答申したに

もかかわらず、「家庭、学校、地域と連携した子育ての環境づくり」が重要との理由で、廃止を決

定。児童・生徒数の変動、学校と地域の連携などを「当初想定していなかった課題」として指摘。

※長崎市 Web サイト参照 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/edu/school/index04.html

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●前橋市:平成 23 年度、学校選択制は廃止し、指定校変更制度を弾力化

平成 17 年度に学校選択制(自宅から学校までの直線距離が小学校 4 km 以内、中学校 6 km 以

内を条件として)を導入。

子どもと地域との関係の希薄化、児童生徒数の偏りによる教科指導や部活動への支障が懸念さ

れることを理由として、学校選択制を廃止。学識経験者、行政自治委員代表、保護者代表から成

る学区選択制検討協議会を設けて協議した結論との由。

Web 検索したところ、保護者アンケートは見当たらなかった。

※前橋市 Web サイト参照

http://www.city.maebashi.gunma.jp/kurashi/230/231/234/238/p003249.html

●江東区:平成 21 年度、小学校について徒歩で通学可能な範囲に限定する等の見直し

平成 14 年度の学校選択制(自由選択制)導入以来、7 年経過し、小学校でも全学年が入れ替わ

ったことを踏まえ、教育長・校長会代表等で構成する学校選択制度検討委員会において見直し。

中学校は、従前どおり区内全域における自由選択を維持。

選択制見直しに関する報道の影響もあり、通学区域の学校以外の希望者は 21 年度に増加。

※文部科学省 Web サイト参照

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2010/02/09/1288665_09.pdf

(2)見直し・廃止事例の分析・考察

① 地域との繋がりを主たる理由として保護者の意向に反する決定

地域との関係の希薄化を学校選択制の見直し・廃止理由に掲げる事例が目立つ。しかし、学校

選択制と地域との繋がりに関する実証的データに基づくというよりも、学校選択制導入以前から

の現実である地域共同体の弱体化を懸念する地元有力者に多い伝統的価値観からの意見に基づく。

上述した学校と地域の関係のほか、その他の見直し理由として挙げられる児童生徒数の変動、

通学時の安全確保など、いずれも我が国で学校選択制の導入が議論され始めた当初から想定され

ていた論点であり、何ら目新しいものではない。

各種調査から保護者の圧倒的多数が学校選択制を支持していることは明らかである。学校選択

制を廃止した自治体は、保護者アンケートを実施しないか、実施しても学校選択制の見直しの是

非について質問しないというやり方で、あるいはアンケート結果により大多数の保護者が選択制

の存続を望んでいる事実が示されたにもかかわらず、これに反する意思決定を行っている。

結局、学校選択制を元々望んでいなかった教委・学校関係者が、地域の有力者等の声を盾にし

て、保護者一般の声に反する意思決定を行った構図が透けて見える。

② 保護者の選択理由が高尚でないことも廃止の論拠に

保護者の挙げる選択理由が、教育の内容や特色でないことが多いことをもって、選択制の意義

が否定されたかのように印象付けようとする議論が行われることが多い。

しかし、友人関係、通学距離、兄姉の在籍、通学上の安全等の個人的事情を選択理由とする場

合も、そうした選択自体の価値・意義を否定することは不当である。

また、特に中学校については、学校の雰囲気、やりたい部活動、近隣の評判、教育活動の内容

など、学校に対する評価を反映していると思われる選択理由も目立つ。

学校選択制を導入した諸外国の事例を見ても、選択理由として個人的事情が目立つことや、学

校や教育に対する評価は曖昧な形でしか表明されないのが通例である。

教育学者が理想論として想定するような高尚な選択理由が多数を占めないことを論拠とする

学校選択制否定論は、為にする議論でしかない。

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5.学校選択制をめぐる主要論点 ―英国・米国の知見を踏まえて―

以下の論点のほとんどは、日本に先んじて大規模に学校選択制が導入された英国・米国等におい

ても、論争の的となってきたものである。ただし、学校と地域の関係及び地域社会の靭帯をめぐる

議論は、こうした国々ではほとんど見られないもので、日本独自の論点といってよいかもしれない。

各論点について、海外及び我が国の知見を紹介しながら、順次論じていく。

【引用・参考文献】

・英国に関する知見は、主として筆者の PhD 学位論文(タイトル等は次の通り)に拠る。

Ohmori, Fujio, 2008, “Visible Strategies in Pedagogy and Management: Schools’ responses

to the quasi-market system”, Thesis submitted to the Institute of Education, University

of London, for the Degree of Doctor of Philosophy (PhD). (頁数:278 頁)

・米国に関する知見は、主として次の3つの文献に拠る。

安田洋祐,2010,『学校選択制のデザイン―ゲーム理論アプローチ』NTT 出版.

成松美枝,2010,『米国都市学区における学校選択制の発展と限界』溪水社.

内閣府,2009,『「学習者本位の教育の実現に向けた調査」米国調査結果報告』.

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/

・日本に関する知見も、上記の安田(2010)の著書から適宜引用する。

(1)格差を拡大するか?

① 英国からの知見

英国では、1988 年教育改革法により、全国的に学校選択が制度化された。ここで注意しなけれ

ばならないのは、英国における「学校選択制」(open enrolment)は、同法に基づく改革パッケ

ージを構成する一要素に過ぎないことである。同国の教育改革は、中央政府主導で、自治体の権

限を学校に委譲させた点に一つの特徴がある。なお、英国では、大都市圏の区やそれ以外の県に

相当する自治体(地方当局)において、議会と執行機関を兼ねた機関である「カウンシル」が教

育行政を含む地方行政全般を担ってきた(近年、議院内閣制のようにカウンシルの投票によって

指名されるリーダーとその内閣が機能的な行政執行を担うようにする等の改革が行われている。)。

改革の全体像を概説すると、次の通りである。全国学力テスト・試験の結果を政府自らが学校

間の比較表の形で公表し、学校選択のための情報として活用するよう保護者に呼びかけた。通学

区域の規制が撤廃され、保護者の学校選択の自由が拡大された結果、定員の2倍以上の応募の集

まる学校がある一方で、定員の半分にも満たない学校も出た。各校の予算は、教職員の人件費も

含め、生徒数に応じた予算額が配分され、使途は学校の裁量に委ねられた。また、教員等の人事

権も学校に委譲された。学校現場は、どのような教育が有効か知恵を絞る必要に迫られるととも

に、創意工夫する自由が与えられたのである。教員人事について説明すると、日本では都道府県・

政令市教育委員会が人事異動させる公立学校の校長・教員も、英国では全国公募によって転職す

るのであり、選考は転職先の学校が行う。自校で昇進したい場合も特別扱いされず、各地から応

募する他校の教員との競争となる。たとえば、ある中等学校の英語(国語)の主任が空席となり、

タイムズ紙別冊教育版に全国公募したところ、100 人以上の応募があり、校長は自らの教育理念

に近い応募者を選んだ。

こうした改革に対しては、公共サービスたる教育に市場を持ち込む新自由主義であるとして、

教員組合・教育学者等から強い批判があった。その一つが不平等を拡大するとの批判である。英

国では、社会経済的地位あるいは階層・階級、人種等による教育の機会と達成に関する不平等が

常に問題にされてきた。階級についていえば、教育熱心で文化資本に勝る中産階級が持ち前の選

択の意志と能力を生かすことにより、その子女が学力水準の高い人気校に集中し、選択の意志と

能力において务る労働者階級の子女の集まる学校との格差が拡大、ひいては生徒間の不平等が拡

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大するとの批判が、当初からあった。

しかし、その後の実証研究では、各学校の生徒の出身階級の構成及び出身階級の異なる生徒の

教育機会という二つの相互に連関する観点から見て、階級間格差の拡大の証拠は見出されていな

い。貧富の差によって居住区が分かれており、通学区域がそれを反映している以上、元々、学校

ごとに生徒の出身階級の構成に差があったのであり、問題はその格差が選択制によって拡大する

のか縮小するのかであったが、いずれかの方向への単純な変化の趨勢は見られない。また、労働

者階級の保護者も学校選択を積極的に行っていることを示す研究結果もある。試験成績の高低や

問題行動の多寡等を反映した学校間の序列も、同様に元々存在したものであり、そうした序列を

意識しながら学校を選択できる可能性が拡大しただけであり、選択可能性が広がったことが労働

者階級あるいは社会経済的地位の高くない階層にとってプラスになったか、マイナスになったか

は明らかになっていない。

保護者の選択理由についても、通学距離、兄姉の在籍、友人関係等の個人的事情を重視するこ

とは、日本と同様であり、教育面についても、学校の面倒見の良さや雰囲気といった事由に比べ、

学力テスト・試験の成績が際立って重視されているわけではないという研究結果もあれば、実際

には重視されているという結果もあり、曖昧である。また、応募倍率でみる各校の人気を見た場

合、人気校は試験成績が良いが、応募がまずまずで人気が普通の学校と応募が尐なく存続が危ぶ

まれる学校との間では試験成績に有意差はない(試験成績以外の要因が決定的である可能性が示

唆される)、という研究結果もある。

総じて、改革批判者が声高に指摘してきた生徒間の不平等や学校間の序列・格差が拡大すると

の見解は、実証されていない。

ただし、学校選択のある意味で当然の帰結として、学校の生徒数の変動は見られた。なお、日

本では、人気校の生徒数が増え、不人気な学校の生徒数が減ること自体を格差拡大として論じる

向きもあるが、それを問題視するのであれば、そもそも学校選択制の導入はナンセンスである。

また、定員を設けることにより、生徒数の変動をある程度コントロールできる。英国では、むし

ろ、学校施設の収容力を反映する定員によって、人気校に入学許可される生徒の居住エリアが狭

く(通学区域の概念はなくなったが、通学距離は兄姉の在籍等と共に重要な入学許可基準の一つ

であるため。)、選択の恩恵があまり広がらないことが問題視される。

② 米国からの知見

米国における公立学校の広義の選択制は、英国と同様に一般校を対象とする狭義の「学校選択

制」(open enrollment)のほか、通学区域の規制のない特別な学校として、1970 年代の人種統

合政策に歴史的起源を有する「マグネット・スクール」(特色あるカリキュラムの魅力によって磁

石が惹き付けるように様々な人種の生徒を引き寄せようとする学校)及び 1992 年に出現し以降

急増した「チャーター・スクール」(charter schools)(許可を得れば誰でも設立できて、カリキ

ュラム等について教育委員会の監督を受けずに運営される。)、並びに、ブッシュ前政権下の 2002

年に制定された「子どもを一人たりとも置き去りにしない法律」(NCLB: No Child Left Behind

Act)(日本ではしばしば「落ちこぼれ防止法」といった訳語が充てられるが、原語は、「落ちこ

ぼれ」といったネガティブな語彙を含んでおらず、貧富・人種等の如何を問わず全ての子どもに

基礎学力を保障する趣旨の表現である。)に基づく転校制度(2 年連続して州統一テストで学力目

標を達成できなかった学校の生徒は他校に転校する権利を付与される)がある。

ここで注意しなければならないのは、日本や英国とは異なり、米国では、合衆国憲法により教

育行政は連邦ではなく州の権限とされ、全米的な教育制度は法制上存在しないことである。換言

すれば、教育については、連邦ではなく州が国家なのである。

また、州内の各地方の教育行政を担う「教育委員会」(Board of Education)は、日本の教育委

員会制度のモデルだが、実は似て非なるものである。米国の教育委員会の多くは、「スクール・デ

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ィストリクト」(学校区)と呼ばれる初等中等教育段階の学校の設置・運営のみを目的とした地方

公共団体の意思決定機関である。スクール・ディストリクトのほとんどは、一般行政を担う自治

体とは別途に設定され、それ自体が課税権(学校予算に充当するため不動産税を課税)を持った

完全な自治体である。したがって、守備範囲が教育行政に限られているとはいえ、米国の教育委

員は地方議員、教育長は首長に相当するような存在なのである。これは、開拓国家としての米国

の歴史的文脈の中で自生的に発達した制度であり、植民者たちが子女の教育のために、自分たち

住民の代表を教育委員として選挙で選び、その意思決定の下に、教育長に実務の責任を負わせる

ようになった歴史の産物である。

以上のことから、米国の学校選択制は、複雑な様相を呈する。一般校を対象とする狭義の「学

校選択制」について見ても、ほとんどの州がこの制度を採用しているが、各州の制度は、スクー

ル・ディストリクト内の学校選択制を義務付けるもの、スクール・ディストリクトを越えた学校

選択制を義務付けるもの、あるいはこれらをスクール・ディストリクトの判断で導入可能とする

ものなど、多様である。そして、学校選択制の具体的な方式や運営方法は、基本的に各スクール・

ディストリクトに委ねられているので、そこで更に多様化する。

さて、前置き(前提となる制度の説明)が長くなったが、狭義の学校選択制については、その

効果に関する研究がほとんどない。広義の選択制のうち、マグネット・スクールは、人種統合を

目指した学校であり、格差を拡大するものとはみなされていない。また、チャーター・スクール

については、後述する学力向上如何に関する研究はあるが、格差すなわち生徒間の不平等や学校

間の序列という観点からの研究は見当たらない。そもそもチャーター・スクールは、その実態は

学校ごとに極めて多様であり、学力面においても玉石混交であることが知られており、格差が論

点にならないことは理解できる。さらに、NCLB 法に基づく転校制度は、そもそも所得・人種等

による学力格差の解消を目標とする同法の施策の一環である。

ウィスコンシン州ミルウォーキー市の例では、バウチャー、チャータースクール、狭義の学校

選択制のいずれも、利用者が急増しており、これらの広義の学校選択は、それまでの公立学校教

育に満足していなかった低所得層に新たな教育機会を保障するものとして市民の支持を集める

とともに、教員たちは親・市民のニーズへの対応を強く意識するようになり、学校現場で教育改

善のための変革も多く取り組まれるようになったという。

③ 日本の知見

我が国では、学校選択制のもたらす影響や評価について、アンケート以外の客観的データに基

づく実証研究は、ほとんど存在しない。

足立区の区立中学校の学校選択制が生徒の学力(テスト結果)に与えた影響に関する研究によ

れば、学校間のテスト・スコアのばらつきに統計的に有意な変化は見られなかったという。すな

わち、学力による学校間の序列化を引き起こしてはいないことが示唆された。

また、同じく足立区に関するデータを取扱った研究であるが、公立小学校の質及び学校選択制

と地価の関係を分析したところ、選択制導入前は小学校の質が地価に大きな影響を与えていたが、

選択制導入後はその効果が減尐したという。これは、学校選択制の導入が質の高い学校の通学区

域に住む経済的な価値を減尐させたことを意味し、経済格差が教育格差に反映される度合いを引

き下げたことを示唆するものである。

学校選択制が最も普及している東京都区部においても、選択制によって学力競争に基づく学校

の序列化が進むという現象は起こっていないし、そうした認識は各区教育委員会にも見られない。

学校の選択理由は、友人関係、通学距離、兄姉の在籍、通学上の安全等の個人的事情が目立ち、

学校や教育に対する評価は曖昧な形でしか表明されないことが多いことからも、そうした格差拡

大が顕著になるとは思えない。

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(2)受験競争の激化か学校の特色化か?

① 英国からの知見

中等学校(11 歳から 16 歳までの 5 年間)を対象とした事例調査を行い、保護者の選択や試験

成績の順位をめぐって展開された学校間競争が、学校運営にどのような戦略的変化を促したかを

検証した結果、校長等がとる「戦略」において、日本のゆとり教育に近い進歩主義的教育観(子

どもに対する指導よりも支援、知識・理解よりも関心・意欲・態度を重視)から、保守主義的教

育観(体系的知識の伝達とペーパーテストで測定できる学力を重視し、社会的規律の習得に価値

を置く)への変化の趨勢が確認されるとともに、生徒の学業成績とリンクした教員の業績評価な

どルールを明確化する経営主義的なマネジメントへの転換の傾向も見出された(大森 2008)。

すなわち、改革反対論が懸念したように、市場メカニズムによってテスト・試験重視の教育及

びそれに基づく業績主義的な学校経営が促進されたと言える。それは、改革推進派の目指した方

向に沿った学校教育の変化でもある。

しかし、同時に、政府は、テクノロジーや外国語その他の特色を持つ学校づくりの施策(財政

支援等)も講じてきたので、学校の特色化もある程度進展した。そうした特色化した学校の一部

が保護者の選択の面で有利になったことは確かであるが、そもそも特色化自体は、市場よりも政

府のイニシアチブによるものであることは明らかである。

あえて結論すれば、英国の教育に導入された市場メカニズムが学校の教育戦略・経営戦略に与

えた影響は、多様性よりも(良し悪しは別として)画一性を促進するものであったと言えよう。

② 米国からの知見

米国では、州政府やスクール・ディストリクト(教育委員会)の政策によって、マグネット・

スクールやチャーター・スクールという形態で、特色ある学校の設置が推進されてきている。マ

グネット・スクールは、一般の公立学校と同様、教育委員会の管理下にあるが、チャーター・ス

クールの場合は、州統一試験の成績等の教育成果に対する責任(アカウンタビリティ)はあるも

のの、教育委員会の統制を受けずに自由に運営されている。マグネット・スクールの中には、学

力試験を行う学校もある。

いずれにせよ、広義の選択制は、市場メカニズムというよりも、政策主導で、学校の特色化を

推進するものを含むが、受験競争を激化させるといった論点にはなっていない。

③ 日本の知見

残念ながら、この論点に関する実証研究は見当たらない。しかし、上記(1)で述べた通り、

東京都区部などで選択制によって学力競争が激化しているといった現象は起こっていない。逆に、

学校の特色化については、学校選択制を実施した教育委員会が成果として挙げることはあるが、

それがどの程度実態を反映したものかは、実証研究を俟たねばならない。

(3)学力は向上するか?

① 英国からの知見

義務教育修了時(16歳)に受験する試験(GCSE)及び大学入学前(18歳)に受験する試験(A

レベル)の成績は、上昇を続けたのみならず、(平均的には好成績の)私立学校と公立学校の成

績格差も縮小を続けた。

しかし、それが学力水準の向上を意味するのかどうか(試験問題が易しくなったとの批判もあ

る)、また、仮に水準向上を意味するとしても、それが学校選択を含む改革のおかげなのかどう

か(他にもっと重要な要因があるのではないか)、容易には決着の付かない難問である。英国に

限らず、どの国でも、学力水準の変化の実証は、同様の困難に直面する。

しかし、尐なくとも学力水準が低下したというデータにはなっていない。

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② 米国からの知見

チャーター・スクールの生徒の学力が近隣公立学校のそれを上回るか、また、チャーター・ス

クールの存在が競争圧力によって近隣公立学校の学力を向上させているかをめぐっては、いくつ

かの調査研究があるが、肯定的な結果もあれば、そうとは言い切れないという結果もある。

なお、主に貧困家庭の子どもを対象としてバウチャーと呼ばれる教育用クーポン券を配布し、

公費支援によって私立学校への就学を選択できるようにする「バウチャー制度」が、いくつかの

州で導入されているが、チャーター・スクールの場合と同様、学力向上への肯定的な影響が認め

られたとする研究結果もあれば、明確な影響は認められないとする研究結果もある。

広義の学校選択制が学力にもたらす影響については、総じて、データとして得られた結果は曖

昧と言えるが、尐なくとも学力向上にマイナスの影響を与えているということは示唆されていな

い。

なお、日本では、マスメディアや教育学者等を通じて、NCLB 法に基づく州統一テストによる

アカウンタビリティを軸とした教育改革は、失敗だったと伝えられることが多いが、米国におけ

る現実は違う。実証的な学力調査の研究結果は、公平に見て、部分的に改善したというものと、

顕著な変化は見られなかったというものの二つに大別されるが、悪くなったという結果はほとん

どない。また、格差が拡大したという批判も、実証的な根拠はない。むしろ部分的に改善したと

いう調査結果があるくらいである。そもそも NCLB 法は、全体的な学力向上だけでなく、格差

縮小を目指したものであるから、当然と言えば当然ではある。

同法は、ブッシュ大統領(当時)の主導によるものであったとはいえ、共和党・民主党の超党

派による合意で制定された法律であり、民主党のオバマ大統領率いる現政権も、同法による改革

の趣旨・目的には賛同しつつ、制度設計の細部の問題を是正する姿勢を取ってきている。米英両

国とも、政権交代しても、改革路線の基本が引き継がれているのは、理由があってのことである。

③ 日本の知見

上記(1)で言及した足立区の区立中学校の学校選択制が生徒の学力(テスト結果)に与えた

影響に関する研究によれば、東京都全体と比べた足立区の平均スコアは学校選択制導入によって

改善されたという。すなわち、学校選択制の導入が平均的な学力の向上に貢献したことが示唆さ

れる。

(4)保護者は適切な選択ができるか?

① 英国からの知見

学校選択制を含む教育改革によって異なる階級・階層の生徒間の不平等が拡大し、学校間序列

もそうした階級間不平等を一層反映したものとなるという改革批判論は、学校を選ぶ意志と能力

は階級間で異なる、という前提の上に立っている。分かりやすく言い換えれば、労働者階級等の

保護者は、自分の子どもにとって良い学校を選ぶ意志や能力が不足している、というパターナリ

ズム(政府・専門家等が上から目線で国民・クライエント等を自己決定能力・判断能力の不足す

る保護対象とみなして干渉する考え方)がある。教育など公共サービスに「選択と競争」モデル

を導入することに反対する専門職集団とそれを理論的に支える学者には、こうしたパターナリズ

ム的傾向が広く見られる。

問題は、そうしたパターナリズムが必要な状況が本当に存在するのか、である。上述したよう

に、英国における実証研究は、試験成績の高低や問題行動の多寡等を反映した学校間の序列を意

識した学校選択が一部の階級に限定されていることを示していない。

また、学校選択制の歴史・規模ともに日本のはるか先を行く英国においても、日本と同様、選

択理由を保護者に尋ねると、通学距離、兄姉の在籍、友人関係等の個人的事情が目立ち、教育面

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に着目した学校の評価は曖昧にしか表明されないことが多い。

我が国の教育関係者・学者等にみられる保護者の選択理由が理想的(高尚)なものでないこと

を論拠とする学校選択制否定論は、英国の知見を踏まえても、やはり為にする議論でしかないと

言わざるを得ない。

② 米国からの知見

米国においては、そもそも低所得者やマイノリティの選択機会を拡大することを主要な政策目

的としていることから、英国のようには保護者の選択能力等が論点になっていないと言えよう。

また、バウチャー制度を利用した保護者の学校に対する満足度は、公立学校の保護者の満足度を

上回っている、という調査結果もある。

③ 日本の知見

現に選択制が実施されている市区町村での保護者を対象とするアンケート結果からは、学校選

択制を肯定的に評価し、選択制の存続を望む者の割合が圧倒的に高く、実際に選択制を利用して

通学区域以外の学校を選択する者の比率も低くないことが分かる。したがって、日本の小中学校

の保護者に学校選択の意志があることには疑問の余地がない。以下に、データの例を示す。

東京都の各区が実施した生徒・保護者アンケートによると、生徒・保護者の 6~8 程度が学校

選択制を肯定的に評価している。例えば、新宿区が平成 20 年 7 月に実施したアンケートでは、「学

校選択制をどう思いますか?」という問いに対し、「あったほうがよい」との答えが小学校 63.5%、

中学校 67.9%、「どちらともいえない」が小学校 26.7%、中学校 25.1%、「なくてよい」が小学校

9.8%、中学校 7.1%であった。通学区域以外の学校を選択する児童生徒の割合(利用率)は、15%

前後から 30%強の範囲に散らばっており、中学校の方が小学校よりも高い傾向にある。利用率の

推移は、区によって、増加傾向、減尐傾向、横ばいに分かれており、際立った傾向は見られない

という。

品川区が平成 23 年 3 月に実施したアンケートの結果によると、小学校 6 年生の中学校入学先

は、「従来の指定校(注:通学区域の学校)に入学する」47.9%、「国立・都立・私立中学校に入

学する」26.4%、従来の指定校以外の品川区立中学校に入学する」22.7%、「品川区立以外の公立

中学校に入学する」1.6%などとなっている。

※品川区 Web サイト参照

http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000000900/hpg000000882.htm

また、千葉県松戸市の場合、「学校選択制により自分の意志で選べるようになりましたが、こ

の制度についてどう思いますか?」との問いに対する答えを見ると、平成 16 年度のアンケート

では、「よい制度」との答えが小学校 87.3%、中学校 83.2%であったが、23 年度には、「よい制度」

との答えが小学校91.2%、中学校90.8%にまで増加している。「どちらの学校に入学しましたか?」

との問いに対しては、平成 23 年度アンケートで、「従来の学区の学校」との答えが小学校 86.4%、

中学校 86.3%、「選択制を利用した学校」が小学校 11.4%、中学校 12.0%、「申立制を利用した学

校」が小学校 2.2%、中学校 1.7%であった。なお、松戸市では、学校選択制のうち、理由を問わ

ないものを「選択制」と呼び、転居・就労・事業所・病気等・兄姉との通学という特定の理由に

よるものを「申立性」と呼んで、分けて運用している。

※松戸市 Web サイト参照

http://www.city.matsudo.chiba.jp/index/kurashi/kyouiku_sports/tetsuduki/gakkousentakusei.html

東京 23 区の転居者行動(1999~2003 年)に関する分析によると、小学校選択制の実施が持家

転居者の流入を有意に増加させるという。どこに家を買うかという居住地選択において、小学校

選択制が居住地としての魅力を高めているのである。これも学校選択の意志の表れと言えよう。

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(5)地域の靭帯を壊してしまうのか?

① 英国からの知見

そもそも、学校の主要な機能として地域社会の靭帯となることを求める議論は、英国ではほと

んど見られない。あえて関連する知見を探せば、選択した学校に入学できた場合、その家族の学

校に対するコミットメントは高くなる、という研究結果はある。しかし、我が国で学校や子ども

と地域の繋がりを通学区域に求める人々が期待するのは、そうした効果とは異質なものであろう。

② 米国からの知見

英国の場合と同様、学校選択を通じて、保護者は、学校や教育に対する関与・責任を強めてい

るという。

③ 日本の知見

学校選択制によって地域の一体感が薄れるといった意見は根強いが、概して、実証的な裏付け

を欠く印象論的な意見にとどまっている。

6.学校選択制の制度設計に関する提案(私見)

(1)基本的な考え方

① 保護者・児童生徒の選択の自由の拡大を主目的とする

国内外の知見から、保護者は、学校選択の機会を得れば、選択する意志を持っているし、選択

した学校に入学できれば、満足度は概して高く、学校に対するコミットメントも高まる傾向にあ

る。学校選択を教育改善の手段とみなすのみならず、選択の自由の拡大をそれ自体価値ある政策

目的としても位置付けるべきである。

② 学力向上等のためには他の諸施策と組み合わせた改革パッケージが必要

学校選択制だけで学力が向上するといった過大な期待を持つべきではない。英国・米国等の事

例から明らかな通り、選択のための情報(学力テストの結果を含む学校の業績指標など)、校長

による学校経営(含:人事・予算)の裁量、(児童生徒数に応じた各校への予算配分など)学校

が児童生徒数の確保に努力するよう仕向けるインセンティブなど、一連の諸施策と組み合わせる

ことによって、学校が児童生徒・保護者のニーズに感応し、創意工夫を生かして活性化する、改

革パッケージとして機能させなければならない。海外の経験によれば、そうした包括的な教育改

革を実施してもなお、データで証拠付けられるような学力向上の成果を上げることは容易でない

が、尐なくとも、学校現場が教育の改善に向けて変革に取り組む効果は見られ、個々の成功事例

は尐なくない。

③ 小中学校は児童生徒のためにある

義務教育機関である小中学校は、一義的に子どもたちの教育のためにあるのであって、地域の

一体感を維持するためにあるのではない。だが、そもそも、学校選択によって薄れる一体感とは

何なのか。市民の生活様式や生活圏が多様化する中で、「地域=通学区域」という観点が本当に妥

当なのか、見直す必要があるし、学校も地域もメンバーやステークホルダーの多様性を許容すべ

き時代でもある。学校に様々な地域の子どもたちがいたり、地域の中に様々な学校に通う子ども

たちがいたりして、いけないはずはない。画一・同質を前提とする絆は、今の時代にそぐわない。

(2)制度設計の一モデル(骨子案)

上記(1)の基本的な考え方を踏まえ、学校選択制の制度設計の具体案を検討する際の参考に

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なるようなモデルを一つだけ提示する。なお、選択制の制度設計と並行して、保護者の求める学

校情報の内容及び提供方法についても、検討する必要がある。

① 可能な限り、保護者・児童生徒の選択の自由を拡大するため、保護者全員に入学希望校調査を

配布し、最初から複数校の希望を希望順に書けるようにする。

② 複数校の希望順の最後には、従来の通学区域の学校、最も通学距離の近い学校、(小学校の場

合)兄姉の在籍校、(中学校の場合)在籍した小学校の卒業生が最も多く進学する中学校、のい

ずれか1校を記入してもらう。この学校よりも希望順位の高い学校の抽選に全て落ちた場合、こ

の学校への入学が保障される。この学校しか希望しない場合は、入学希望校調査でこの学校1校

を書くことになる。

③ 各学校は、上記②の学校として入学してくる児童生徒(以下、「通学区域等の児童生徒」とい

う)の数を予測し、それ以外の児童生徒(以下、「通学区域等以外の児童生徒」という)の受入

可能数(以下、「外部定員」という)を設定する。

④ 各学校は、希望順位1位として自校を希望した者のうち、「通学区域等の児童生徒」について

は、そのまま入学を認め、「通学区域等以外の児童生徒」については、「外部定員」の範囲内であ

ればそのまま入学を認め、「外部定員」を超える場合は抽選を行う。

⑤ 「外部定員」に未だ残余がある学校は、希望順位1位の学校の抽選で漏れた者のうち、希望順

位2位として自校を希望したものについて、上記④と同様の取扱いを行う。

⑥ 以下、同様の手順の繰り返しで、入学希望校調査で希望を書くことのできる複数校の希望順の

最後まで進めば、各校の入学者が確定する。

以上のモデルの長所は、一つには、通学区域の学校よりも望まない学校に入学させられる恐れ

を無くすとともに、学校選択の理由として目立つ通学距離の近い学校(通学区域の学校よりも近

い)や兄姉の在籍校を通学区域の学校と同等に扱うことで、児童生徒・保護者のニーズに一層柔

軟に対応できる点にある。また、小中学校の接続を考慮することで、小学校段階で通学区域外の

学校を選択した場合であっても、友人関係の継続を図ることが可能である。

二つ目の長所は、上記の通学区域内等の学校をいわば滑り止めとして安心を確保した上で、通

学区域外の学校を選択する場合、複数校を希望順位を示して選べるので、1校だけしか選択でき

ない東京都各区の方式に比べ、児童生徒・保護者の満足度を高めることができる点である。この

二つ目の長所こそ、学校選択本来の狙いとするところである。

なお、分かりやすい解説のために滑り止めなどという言葉を使ったので、気分を害される向き

もあるかもしれないが、通学区域の学校は滑り止めだと決めつけているわけでは決してない。通

学区域の学校、最も通学距離の近い学校、(小学校の場合)兄姉の在籍校、(中学校の場合)在籍

した小学校の卒業生が最も多く進学する中学校、のいずれか1校だけを希望順位のトップに記入

し、希望順位2位以降を空欄にしても一向に構わないのである。