作曲家・草川 宏 - geidai...2019/07/27  · scherzo...

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1 作曲家・草川 宏 ~草川 宏作品集Ⅰ~ 主  催 東京藝術大学演奏藝術センター  東京藝術大学音楽学部  https://www.geidai.ac.jp 2019年7 27 日(土) 14:00開演 東京藝術大学音楽学部内第6ホール 戦時音楽学生Webアーカイブズ 「声聴館」 オープン記念 戦没学生のメッセージ 「アーカイブ推進コンサート2」

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    作曲家・草川 宏 の

    ~草川 宏作品集Ⅰ~

    主  催 東京藝術大学演奏藝術センター 

         東京藝術大学音楽学部  https://www.geidai.ac.jp

    2019年7月27日(土)14:00開演東京藝術大学音楽学部内第6ホール

    戦時音楽学生Webアーカイブズ 「 声 聴 館 」 オープン記念戦没学生のメッセージ 「 ア ー カ イ ブ 推 進 コ ン サ ー ト 2 」

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    本年4月、東京藝術大学では、2017年よりスタートした「戦没学生のメッセージ」プロジェクトの成果を、

    より広く社会に還元するため、戦時音楽学生Webアーカイブズ「声聴館(せいちょうかん)」※を本学大学史

    史料室のホームページ上に開設いたしました。これは戦時中、東京音楽学校に在籍した戦没音楽学生の

    譜面、日記などの資料を、ご遺族のご協力のもと蒐集・整理し、公開していくものです。さらに彼らの「生

    きた証」ともいえる遺された譜面を実際に音にして、その音源を誰もが手軽に聴くことができるように

    していきます。

    今回のコンサートは、「声聴館」で公開するそうした音源の制作を第一義的な目的として行う「アーカ

    イブ推進コンサート」の一環として位置づけられるものです。現在、「声聴館」で資料が公開されている戦没

    音楽学生は、葛原守、鬼頭恭一、草川宏、村野弘二の4名ですが、今回そのうち草川作品だけを取り上げる

    のには理由があります。

    上記4名のうち、鬼頭、村野は昭和17年予科入学の同期生で、彼らは本科に進学した翌18年11月に仮卒業と

    なり入隊しています。従って、二人が東京音楽学校で作曲を本格的に学んだ期間は、1年にも満たない

    わけです。それに対して、草川宏は昭和15年予科入学、同19年の応召時には研究科に在籍していました。

    このように在学期間が長い分、そもそも作曲数が他の人に比べて多い上、草川家が幸運にも空襲を免れた

    ため、多くの手稿譜が遺されることになりました。そのうち演奏可能な譜面は25曲ほどで、まだ半分

    以上が音になっていません。そこで今回は「作曲家・草川宏のレゾンデートル」と題して、あえて草川作品

    のみに焦点を当てることにしました。タイトルの “ レゾンデートル ” はフランス語で “ 存在証明 ” という

    意味ですが、我々としてはそこに「生きた証」といった意味合いを込めています。

     「声聴館」では、当座は東京音楽学校出身の戦没学生に関する資料を公開しますが、ゆくゆくは戦没

    学生に限らず、また学校も東京音楽学校以外にも広げ、今まであまり光が当てられてこなかった「戦時下

    の音楽教育」の状況を明らかにしていく所存です。開設間もない現在、公開されている資料は決して十分

    とは言えませんが、これから徐々に充実させてまいりますので、是非「声聴館」を訪れていただきたく、

    よろしくお願い申し上げます。           

    「戦没学生のメッセージ」プロジェクト代表 大石 泰

                   

    ごあいさつ-戦時音楽学生 Web アーカイブズ「声せいちょうかん聴館」と今回のコンサートについて

    「戦没学生のメッセージ」プロジェクト、これまでの歩み

     2017 年 7 月 30 日(日) シンポジウム&トークイン・コンサート「戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」 2017 年 11 月 23 日(木・祝) アーカイブ推進コンサート 1 2018 年 7 月 22 日(日) シンポジウム「今「学徒出陣」をどうとらえるか」 2018 年 7 月 29 日(日) トークイン・コンサート「戦時下の音楽~教師と生徒」 2019 年 7 月 27 日(土) アーカイブ推進コンサート 2「作曲家・草川宏のレゾンデートル」

    声聴館 https://archives.geidai.ac.jp/seichokan/      ※「声聴館」の名称は開設にあたり行った一般公募の中から、世田谷区在住の保岡直樹氏の案が選ばれました。

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    Program 全曲草川 宏作曲  (*初演 **1943年東京音楽学校第143回報国団演奏会にて初演)

    進行:大石 泰(東京藝術大学名誉教授)

    Sonatine Nr.1(子供の世界)(1940)*

    Scherzo(スケルツォ)(作曲年不詳)** 

    Rondo(ロンド)(1942)**                                           ピアノ:田中 翔平

    絃楽三重奏のための変奏曲(1942)*                                       ヴァイオリン:堀 真亜菜                                    ヴィオラ:桂田 光理                                        チェロ:安保 有乃

    -休憩-

    晩秋 (三木露風詩)(1942)*                                テノール:大平 倍大

    秋に隠れて(島崎藤村詩)(1943)バリトン:田中 俊太郎

    蟹の歌(島崎藤村詩)(1943)*テノール:大平 倍大

    浦島(島崎藤村詩)(1944)テノール:澤原 行正

    黄昏(島崎藤村詩)(1944)バリトン:田中 俊太郎

    星と花(土井晩翠詩)(作曲年不詳)*バリトン:田中 俊太郎

    以上 ピアノ:松岡 あさひ

    ピアノ曲

    室内楽曲

    歌曲

    Ⅰ Allegro assai con brio Ⅱ Andante cantabile Ⅲ Allegro assai

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    草川宏プロフィール&作品リスト

    草川 宏                  Hiroshi KUSAKAWA大正10(1921)年10月28日東京生まれ。昭和15(1940)年4月東京音楽学校予科入学。翌年4月本科作曲部。信時潔、下總皖一、橋本國彦、H.フェルマーに学び、同18年9月繰上げ卒業後、研究科に進む。卒業作品《奏鳴曲イ長調》は大島正泰により演奏された。同19年6月15日入隊。翌20年6月2日フィリピン・ルソン島バギオにて戦死。演奏可能な20数曲が確認される。曲を書き上げると弟(草川誠氏)にピアノで弾いて聞かせては批評を求めたという。召集される前の半年分の日記が残されており、レッスンで注意されたこと、島崎藤村の歌曲集を出版する夢、食料不足の日常、ラジオで聞いた演奏曲目や大本営発表等が書き留められている。作曲家の父・草川信をはじめ、その長兄・草川宣雄、三兄・草川友忠、そして宏の従兄・草川啓も皆東京音楽学校の卒業生であった。

    草川宏 作品および史料一覧※ 仮No.は作曲年月日不明なものを含め、便宜的に付している  仮番号欄が灰色の作品は、完成に至っていない等、演奏可能か検討を要することを示す※  [ ] は、資料自体に書かれていない情報を補記したことを示す※ ページ数は楽譜等が実際に書かれているページ数とし、白紙ページは含まない※ 今回の演奏曲目を薄緑、これまでに演奏された作品を薄オレンジで示した※ 原資料の整理・詳細リスト作成は、平成29-30年度大学史史料室教育研究助手・吉田学史が行いました 本表はプログラム掲載用の簡易版として再整理したものです                               (2019年7月現在)

    写真提供:草川誠

    Sonatine Nr.1(子供の世界)1940.4.7

    ピアノ曲仮No. タイトル 作曲年 頁数 備考 演奏実績1 湖水乃月 複合三部分形式 1939.6.30 8 橋本國彦から添削・返送された封筒入。「苦心の処がよく見えて

    居ます」「宿題/行進曲を作ってごらんなさい」2 行進曲 ー 3 同上封筒入3 “岩もる水„ の主題に依る変奏曲 ー 8 同上封筒入。テーマから「Var.X」までとコーダがある4 夜半の濱辺 ー 7 同 上 封 筒 入。「複 合 三 部 分 形 式」。「こ の 曲 と 類 似 の 名 曲 は

    Chopin „Fantasie Impromptu” あり。その作法を学ぶこと!」5 [Tempo di marcia] ー 3 同上封筒入。ペンによる修正あり6 [moderato] [豫科] 6 同上封筒入。無題。表紙に「豫科第七十八番」7 Sonatine Nr.1(子供の世界) 1940.4-7 9 「2600.4ー7」および「op.2」の記載あり 2019.7.278 ピアノの為の小変奏曲 [本科1年] 11 「本一學業試験提出曲」。草稿2点9 Sonate [1941] 29 作品の最後に「本一の作」。全4楽章。F-dur。草稿3点 2017.7.3010 Rondo 1942.12.24 11 「2602.12.24」。昭和18年2月6日東京音楽学校第143回報国団

    演奏会にて大島正泰により初演。草稿あり(1943.2.6) 2019.7.27

    11 Scherzo [1943. 2.6以前]

    9 昭和18年2月6日東京音楽学校第143回報国団演奏会にて大島正泰により初演。草稿あり

    (1943.2.6) 2019.7.27

    12 [Sonate Nr. 2] [1943. 9.24以前] 

    20 「HIROSI. Kskw / Piano / No. 2 / SONATA」3楽章。A-dur。作曲科卒業制作。大島正泰により初演。草稿あり。2003年4月6日信州音楽村にて演奏された(注2)

    (1943.2.24卒業演奏)

    (2003.4.6)13 曉(行進曲を中心として) ー 5 「複合三部分形式」。修正有14 ミヌエット ー 6 楽譜1ページ目に 「Minuetto」。修正、和声課題の書き込み15 Fuge ー 4 後半部分は2通り書かれている16 [Die Doppel Fuge] ー 7 清書にはタイトルなし。三声。草稿に「Die Doppel Fuge」17 X. Variation ー 12 テーマから第6変奏、第8〜第10変奏。第6変奏のあとに書きか

    けの変奏。第11変奏に「推敲」とあり。作曲途上か

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    写譜、和声・対位法学習等仮No. タイトル(仮) 時期 頁数 備考

    1 Christ ist erstanden ー 4 BachのコラールBWV276のソプラノ声部への和声付か。原曲写譜有

    2 [Adagio] ー 3 ピアノ・リダクション。タイトルは楽譜冒頭より。ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》第一楽章の冒頭から第一主題の途中まで

    3 [スケッチ] ー 1 無題。11小節分。内容未判明4 [和声] ー 2 無題。和声課題の実施か。四声体の楽譜5 [和声ノート] [予科] 8 表紙に「予科 草川宏」。和声課題の実施など。添削と「橋本」の印6 E. F. Richter: Lehrbuch des

    Kontrapunktsー 26 同書77-90頁を書き写し、訳語等を書き込み(東京藝術大学附

    属図書館に所蔵あり)

    日記、写真アルバム仮No. 資料名 数量 内容 備考

    1 自由日記 1 日記 昭和19年1月1日から同6月7日まで(市販の日記帳)2 写真アルバム 1 写真 アルバム

    (注1)「第1回戦没音楽学生慰霊のコンサート」。主催は戦没音楽学生慰霊記念音楽館設立準備委員会と財団法人信州音楽村。戦没画学生慰霊美術館「無言館」のような音楽学生の記念館設立を目標に掲げ、小山章三、磯山雅、大中恩、池辺晋一郎、今村昌平、小室等らが発起人となり、草川宏と葛原守の作品が「ホールこだま」にて演奏された。2005年に第2回が開催された

    (注2)《蟹の歌》(昭和18年12月10日)の草稿の余白ページに「山口縣香川高等女学校校歌」のタイトルと作曲のスケッチがある。同校は現在の学校法人香川学園宇部フロンティア大学付属香川高等学校である。同校HPの年譜に「昭和9年11月創立三十周年記念式、校歌制定

    (作詞 白石亀仙 作曲 草川宏)」とあり、百周年記念誌『香川学園の百年』(平成15年11月発行)にスケッチと同じ曲と見られる楽譜が掲載されている。作曲年代については調査中である。昭和43年、新造節三作詞、森脇憲三作曲による現行の学園歌が制定された

    カンタータ・室内楽・その他18 絃樂三重奏の為の變奏曲 1942.2.23 15 2602[昭和17]年2月23日。スコア、ViolinとViolaのパート譜、

    草稿3種2019.7.27

    19 昭南島入城祝歌(詩:佐藤惣之助) ー 61 独唱4、混声chor、楽器パートに管弦楽器の指定。タイトルは草稿のみに記載

    2018.7.29

    20 [Violin Sonate] ー 9 展開部途中まで。別に「Violin Sonate」と記された11小節のスケッチと同一楽想であり、[Violin Sonate]とした

    21 [ピアノ三重奏曲?] ー 各10 ヴァイオリンとチェロのパート譜。冒頭8小節が全休止のため、他のパート譜(ピアノなど)が想定されるが未確認

    22 軍隊生活(11の小曲) 1944.9.15〜 [1944.10.26以前]

    6 1944.6.15の世田谷東部第十二部隊入隊から1944.10.26の広島駐屯の間に書かれた6枚の小型五線紙。父から渡された五線紙を、宏は広島を離れるとき先輩・森田親之に譜面を託し、父がこれに昭和19年11月14日付はしがきを付し製本したもの。タイトルは作曲者自身による。「夏の朝 日の出前后」「点呼ラッパ」「Presto点呼(朝の)」「射撃演習」「川風景ー〈魚釣(廣島藤田旅館前の川にて 19.10.25)〉〈立橋〉〈蒸気船川面を征く〉〈ボート遊び〉〈山を望む〉」等11のスケッチ

    2017.11.23「夏の朝 日の出前后」「点呼ラッパ」

    歌曲、団体歌23 晩秋(三木露風 詩) [1941.12] 4 清書はG-dur。ピアノに指使い。草稿3点あり、そのうち2点は

    A-durで「2601年12月作」とある。他1点はG-dur2019.7.27

    24 秋に隠れて(島崎藤村 詩) 1943.10.30 4 2603.10.30(昭和18年)。草稿2点 2017.11.232019.7.27

    25 蟹の歌(島崎藤村 詩) 1943.12.10 7 2603.12.10(昭和18年)。草稿2点。そのうち1点の最終頁に「山口縣香川高等女学校校歌」のスケッチ(注2)

    2019.7.27

    26 浦島(島崎藤村 詩) 1944.3.9 8 「2604.3.9作」(昭和19年)。草稿あり 2017.7.302019.7.27

    27 黄昏(島崎藤村 詩) 1944.5.4 3 「2604.5.4作」(昭和19年)。草稿あり。2003年4月6日信州音楽村にて演奏(注2)

    (2003.4.6)2017.7.302019.7.27

    28 星と花(土井晩翠 詩) ー 4 修正は多いが最後まで書かれている 2019.7.2729 級歌(一色範義 詩) ー 2 ガリ版刷り。混声四部。作詞・作曲の監修は風巻景次郎と信時潔 2017.7.3030 山口縣香川高等女学校校歌 調査中 1 仮No.25《蟹の歌》の注参照。白石龜仙作詞 旧校歌

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    曲目紹介 〜5年間の作曲に照らして〜 橋本久美子(本学音楽学部大学史史料室非常勤講師)

     草川宏の作品コンサートが実現するのは、草川家が空襲を免れ、弟の誠氏が楽譜などを守ってこられたおかげである。楽譜には、ピアノ曲、室内楽、カンタータ、歌曲、団体歌があった。作曲年の不明な作品もあるが、彼の作曲はピアノ曲から始まったようである。一覧表の仮番号1から5までは音楽学校入学前の作品で、橋本國彦から郵送された封筒に添削された楽譜が折り畳んで入っていた。楽譜には助言や次の課題も書かれている。 《Sonatine Nr.1(子供の世界)》は入学した頃の作品で、3楽章からなる。第1楽章 Allegro assai con brio、ハ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。展開部はト短調。第2楽章 Andante cantabile、ハ長調、8分の6拍子、へ長調のTrio を持つ複合三部形式。第3楽章 Allegro assai、ハ長調、4分の2拍子、中間部がト長調の三部形式。その丁寧な譜面から、草川が音符を丹念に書きつける様子が浮かんでくる。《Rondo》は変ホ長調、4分の2拍子、速度標語Allegretto は草稿のみに書かれている。《Scherzo》も同じ頃の作品と見られ、ト長調、4分の3拍子、Allegro。

    《Sonatine Nr.1》から約3年、斬新な響きも書き込まれる。2曲を昭和18年2月の第143回報国団演奏会で初演したのは4年先輩の大島正泰(1919-2012)である。伴奏ピアニストとして活躍し、G. ムーア著『伴奏者の発言』『歌手と伴奏者』を訳出する。桐朋学園大学名誉教授となった。 《絃楽三重奏のための変奏曲》は本科1年の終わり頃の作品である。へ長調、4分の3拍子のテーマ(Moderato)と九つの変奏からなる。第二変奏では弦を指ではじくpizzicatoと弓で弾くarcoで変化をつけ、緩徐な第五変奏には弱音器を用い、第九変奏を Finale Rondino で締めくくる。草川は他にも室内楽を手がけたが、全パート揃うのはこの1曲である。これとは別にヴァイオリンとチェロのパート譜のみが残っている曲がある。どちらのパートも冒頭の数小節が全休止であり、冒頭から始まる別のパートが存在するはずだが、未確認である。他にヴァイオリンソナタが展開部半ばまで作曲され残されている。 歌曲は、本科1年で三木露風詩《晩秋》を書き、研究科に進んで島崎藤村詩の4曲を残した。他に作曲時期不明の土井晩翠詩《星と花》がある。藤村の詩をことのほか気に入っていたようで、「楽譜が出版される時が来たなら藤村のリードを一括した曲集を出したい」と日記*に記した。特に秋に感ずるところがあったのか、6曲のうち3曲が秋の詩である。(* 昭和19年1月1日から6月7日までの日記が残されている) 《晩秋》は、三木露風(1889-1964)の『象徴詩集』(1925)所収「幻の田園」の一篇。詩では冒頭の「秋の入江の日は寂し」が、最後の行で反復されるが、歌曲ではさらにもう一度反復し、余韻を残す。《秋に隠れて》は島崎藤村

    (1872-1943)の詩集『若菜集』(1897)の一篇。草川は声楽同期の新井潔に批評を求め、その言葉を1月10日付の日記に書きとめた。「相当に感覚は鋭い。其の鋭さが滑稽度を超してゐる故自然さを失つてゐるきらひがある。転調にしても其れ故わざとらしさがある程だ。だが以前の作品から比べると兎も角可成りの進歩を見せてゐる」 新井は朝鮮半島出身の朴殷用(1919-1985)で戦後はソウル大学音楽学部教授となり、1948年に越北し、声楽家、作曲家、評論家として活躍し、国家勲章2級を授与されたという。 《蟹の歌》《浦島》《黄昏》はともに島崎藤村の『落梅集』(1901)による。《蟹の歌》は、打ち寄せる波を模したアルペジオに始まり、砂浜に暮らす二匹の蟹がやがて大雨で砂もろとも流されていく。《浦島》は、一般的な浦島伝説とは異なり、人間界に憧れた乙姫が浮かび出て、もう海へは戻らないと言う。浦島と乙姫と語り手が織りなす海辺のドラマ。《黄昏》は、黄昏時に思う人の家の前まで来るが、訪ねも立ち去りもせず、焦燥にかられつつ日暮れてなお蛍とそぞろ歩く。《星と花》は土井晩翠(1871-1952)の初の詩集『天地有情』(1899)の一篇。詩情豊かな作品だが、他者による修正があり、草川が日記で挙げた歌曲5曲には含まれない。 草川宏は父・草川信の童謡《夕焼小焼》《どこかで春が》に育まれながら、父とは違う音楽の創出を志し、学年でただ一人の作曲専攻生として充実した学生生活を送っていた。やがて「学徒出陣」が始まるが、徴兵検査で丙種合格となった草川は、友人のほとんどが入隊しても銃後に残され、指揮法、作曲、ピアノのレッスンを受け、作曲した。研究科時代の歌曲では、予科入学頃ののびやかさは影をひそめ、詩に人生を重ね、存在の確かさを探る葛藤も垣間見えよう。 日記によれば、4月24日、カンタータ《昭南島入城祝歌》の「神も哭け」の部分のオーケストレーションを午前3時まで行う(楽譜の該当部分に楽器名が細かく記入されている)。5月29日、日響(現在の N 響)を指揮していた3年先輩の作曲家・高田信一から定期演奏会の作品を頼まれ、構想中のオペラ「かぐや姫」も視野に翌30日フェルマーに相談。このレッスンでヴァイオリンソナタは展開部途中まで進む(作曲はそこで止まっている)。翌31日、日響定期には現在進行中の《昭南島入城祝歌》による序曲と決め、中間部に1楽章を用いる等の構成を具体化し、1ヶ月で仕上げる覚悟を記す。そして翌6月1日、草川に召集令状が届く。

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    出演者プロフィール

    田中 翔平(ピアノ)                       Shohei TANAKA(Piano)東京藝術大学附属音楽高等学校、同大学ピアノ科を経て同大学大学院修士課程ピアノ専攻修了。修了時に大学院アカンサス音楽賞、及び藝大クラヴィーア賞を受賞。これまでにピアノを筒井憲子、播本枝未子、倉沢仁子、E.ポヴウォツカ、M.シェーファー、東誠三の各氏に、室内楽を青柳晋、玉井菜採、松原勝也、松本和将、山崎貴子、山崎伸子の各氏に師事。在学中より室内楽に強い関心を示し東誠三(Pf)、前橋汀子(Vn)、徳江尚子(Vn)の各氏らと共演している。東京藝術大学非常勤講師。

    堀 真亜菜(ヴァイオリン)                       Maana HORI(Violin)神奈川県出身。横浜国際音楽コンクール大学の部第2位。第32回かながわ音楽コンクール一般の部最高位。第31回市川市文化振興財団新人演奏家コンクール優秀賞。第43、44回藝大定期室内楽に出演。東京藝術大学内にて同声会賞を受賞。これまでに、三浦道子、大谷康子の各氏に、現在、漆原朝子、玉井菜採両氏に師事。室内楽を、松原勝也、中木健二、菊地知也の各氏に師事。東京藝術大学附属音楽高等学校を経て、現在東京藝術大学修士課程1年。

    桂田 光理(ヴィオラ)                    Hikari KATSURADA(Viola)兵庫県出身。ヴィオラを、ザザ・ゴグア、山本由美子、市坪俊彦、百武由紀の各氏に師事。第16回日本演奏家コンクール弦楽器部門第1位。第24回日本クラシック音楽コンクールヴィオラ部門第3位(最高位)。2017年小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト参加。2018年ウィーン国立音楽大学サマーセミナー受講、演奏会出演。2019年ミュージック・マスターズ・コース・ジャパン参加、演奏会出演。現在、東京藝術大学音楽学部4年に在学中。

    安保 有乃(チェロ)                        Yuno AMBO(Cello)4歳より才能教育研究会でチェロを始める。東京藝術大学附属音楽高等学校、東京藝術大学を経て、現在同大学院修士課程1年に在籍。大学内において同声会賞、アカンサス音楽賞を受賞。第13回ビバホールチェロコンクール第3位、第70回全日本学生音楽コンクール全国大会第2位、第10回横浜国際音楽コンクール弦楽器部門第2位など受賞多数。ソロ、室内楽奏者として東京藝大とベトナム国立音楽院の共同コンサート、南カリフォルニア大学とのコンサート、同声会新人演奏会、ラフォルジュルネなど様々な演奏会に出演。

    大平 倍大(テノール) Masuhiro OHIRA(Tenor)鹿児島市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科首席卒業。同大学院音楽研究科修士課程声楽専攻首席修了。現在、同博士後期課程に在籍。学部卒業時に大賀典雄賞、松田トシ賞、アカンサス賞、同声会賞受賞。大学院修了時に大学院アカンサス賞受賞。ドニゼッティ《愛の妙薬》ネモリーノ、グラナドス《ゴイェスカス》フェルナンド(日本初演)等を演じる。第42回鹿児島市春の新人賞受賞。声楽を大友幸世、Charles Spencer、Franz Lukasovsky、吉田浩之の各氏に師事。

    澤原 行正(テノール)                 Takamasa SAWAHARA(Tenor)愛媛大学及び東京藝術大学声楽科卒業。同大学院修士課程修了。現在、桐朋学園大学大学院博士後期課程に在籍。浜田フミエ、木村勢津、関定子、市原多朗、大島幾雄、宮本益光の各氏に師事。《カルメン》のドン・ホセ役にてオペラ・デビュー。その他《ラ・ボエーム》、《魔笛》、《セヴィリアの理髪師》など様々なオペラに出演。また、モーツァルト《レクイエム》、ヘンデル《メサイア》、ベートーヴェン《第九》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》などのソリストを務める。 二期会会員。本年11月に日生劇場《トスカ》に出演予定。

    田中 俊太郎(バリトン)                       Shuntaro TANAKA(Baritone)島根県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程独唱専攻を経て、博士後期課程修了。英国オールドバラにおけるBritten-Pears Young Artist Programmeにおいてイギリス歌曲のマスタークラスを受講。藝大合唱定期ドヴォルジャーク《スターバト・マーテル》バス・ソロを担当。奏楽堂モーニング・コンサートにおいて江文也《生蕃四歌曲集》(戦後初演)、橋本國彦《三つの和讃》を藝大フィルと共演。声楽を森山秀俊、福島明也、ジャンニコラ・ピリウッチ、林康子の各氏に師事。麻布学園非常勤講師。

    松岡 あさひ(ピアノ)                         Asahi MATSUOKA(Piano)幼少より音楽家の両親からピアノ・作曲を学ぶ。東京藝術大学音楽学部作曲科首席卒業。アカンサス音楽賞、同声会賞受賞。 同大学院音楽研究科修士課程作曲専攻修了。2011年奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門第1位。2012年より文化庁新進芸術家海外研修員として、ドイツ・シュトゥットガルト音楽演劇大学に2年間留学し、作曲とオルガン演奏法を学ぶ。現在、東京藝術大学演奏藝術センター教育研究助手。

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    発行:2019年7月27日(土)東京藝術大学編集:東京藝術大学演奏藝術センター 〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8 TEL050-5525-2300デザイン:上野綾夏(演奏藝術センター教育研究助手)

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    黄昏(島崎藤村 詩) 1944.5.4