title 二つの「時代病」 : 神経衰弱とノイロー …...193 二つの「時代病」...

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Title <論文>二つの「時代病」 : 神経衰弱とノイローゼの流行 にみる人間観の変容 Author(s) 近森, 高明 Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (1999), 7: 193-208 Issue Date 1999-12-25 URL http://hdl.handle.net/2433/192574 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: Title 二つの「時代病」 : 神経衰弱とノイロー …...193 二つの「時代病」 神経衰弱とノイローゼの流行にみる人間観の変容一

Title <論文>二つの「時代病」 : 神経衰弱とノイローゼの流行にみる人間観の変容

Author(s) 近森, 高明

Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (1999), 7:193-208

Issue Date 1999-12-25

URL http://hdl.handle.net/2433/192574

Right

Type Departmental Bulletin Paper

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Kyoto University

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二つの 「時代病」

神経衰弱 とノイローゼの流行にみる人間観の変容一

近 森 高 明

はじめに

アダル ト・チルドレンや共依存、児童虐待、拒食症、青少年期の無気力や引きこもりなど、様々な

かたちで 「心の問題」が近年ますます大きな関心を集めている。こうした社会的広がりをもつ 「心の

問題」の系譜をたどってみると、まず戦後の 「ノイローゼ」の流行、さらにさかのぼれば日露戦後の

「神経衰弱」の流行をそれに先行する社会現象として見いだすことができる。これら二つの 「時代病」

について、その流行を社会 ・文化現象としてとらえ、社会学的に考察した研究はこれまでなかったが、

それらが一般の人びとの間でどのような病気と考えられていたのかを探ることは、時代ごとの人間観

や社会観を探ることにもつながる重要な意義があると考えられる。本稿はこうした問題意識から、二

つの 「時代病」の比較を通じて、現在の 「心の問題」を準備するような人間観の変容について考察す

るものである。

1神 経 衰弱 とノイ ローゼ

1-1二 つの症例

大正4(1915)年 の雑誌 「実業之日本」に、 「最も新 しき神経衰弱の療法」と題する連載記事が6回

にわたって掲載された。著者は眼科医の前田珍男子(う ずひご)と いう人物である。前田はその連載

で、自身の発見した神経衰弱の新しい原因と治療法を解説 している。それによれば、神経衰弱の原因

は眼の 「屈折異常」にあり、適切な眼鏡を装用することにより屈折を矯正すれば神経衰弱も治癒する

という。連載の中でい.くつかの治癒例が紹介されているが、そのひとつnは次のようなものである。

三十四歳の某官吏が事務を執ると直に眼は朦朧 とする、頭痛が起る、虹寛のやうな五色の輪が見

夏)「実 業 之 日本 」 大 正4(1915)年、2号 。

京都社会学年穣 第7号(1999)

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194 近森:二 つの 「時代病」

える、時によると胸がムカムカし嘔吐を始る事がある、遠見は普通であるが横の物より縦の物がよ

く見える。其処で精密に調査すると遠視性乱視があると云ふので凸円柱眼金三十番軸向縦に装用す

ると、遠近共に明瞭どんな細かい仕事でも長時間平気で何の苦 もなくやり遂げる事が出来る様にな

つた。

このような前田の説は大きな反響を呼び、同年に単行本r眼 と神経衰弱」が刊行 される。昭和に入っ

てもその学説 と治療法は支持されつづけ、昭和3(1928)年 に同趣旨の 「神経衰弱と眼」、昭和6

(1931)年 にはその普及版が出ている%

「神経衰弱」という言葉を日常聞きなれない現代の私たちからすれば、神経衰弱が眼の異常からお

こり、眼鏡によって治るという前田の考え方は奇妙に思える。私たちが常識的に知っている 「神経衰

弱」とは、たとえば夏目漱石や芥川龍之介のそれであり、あるいは 、「巌頭の感」を遺して華厳の滝に

身を投 じた一高生、藤村操に代表されるような明治末から大正期にかけての 「煩悶青年」を連想させ

る精神的な病いではないだろうか。そうした私たちの常識にとって、前田の説にはどこか受け入れが

たいところがある。双方の間で、なにか前提されているものが決定的に異なっているように思われる。

先に引用 した前田の 「神経衰弱」の治癒例とくらべて、次にあげる 「ノイローゼ」の症例は私たちに

とって理解 しやすい。 「心の悩み ・心の病気」という特集を組んだ 「婦人公論」昭和29(1954)年5

月号に掲載されている、精神科医加藤正明による記事 「神経症の七つの実例」のうちの一例である。

父は紙問屋で手広 く商売していたが、数年前に死んだ。兄は一度結婚したが、妻と母の折合いが

わるくてわかれた。母は気ままな病身の人で、長女の本人を頼 りにして、一時も側から離さない。

女学校卒業後、父の死亡や兄の離婚、それに戦争がはじまり、三十才になる今日までほとんど家事

に没頭 して過 してきた。母は年をとるにつれ益々本人にのみ頼って、数回もち込まれた縁談も、相

手の経済条件 とか学歴とかに難点をみつけては反対した。兄の再婚もなかなか思うように進まず、

二年程前に本人が望んだ縁談を母が断ったころから、頭痛、不眠、食欲不振、憂うつ状態になって

病院を訪れた。

その後、通院以外に種々の会合にでることを母が承諾するようになり、不眠や頭痛 も快方に向い

てきたが、二年後、母が死亡してから始めて、全くこういう症状がなくなった。

ここでは患者の女性の身体的 ・精神的症状が、母親との人格的な関係に由来する精神的葛藤による

2)当時の他の療法書 にも前田の説 の影響力の大 きさが うかがえる記載があ る。 たとえば林熊男r神 経衰

弱 と蓄膿症」(大12)に は、 「往年前田博士が 「眼と神経衰弱症」 といふ本を書いて、世上の青年子女か ら済世

王の如 くに崇拝 されたことがある」 と記されている(2頁)。 なお 「神 経衰弱 と眼」は戦後の 昭和22(1947)年

に も普及版 が再版 されている。

Kyoto Journal of Sociology VII / December 1999

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近森:二 つの 「時代病」 195

ものとして説明されている。女性の症状が消失したこともまた、母の死亡で精神的葛藤が解消された

ことによるものと考えられている。特集の表題のとおり、この症例にある女性の病気は 「心の悩み ・

心の病気」だったのである。

「頭痛、不眠、食欲不振、憂うつ」という女性の症状は、しかし、前田の著書のなかでは、やはり

眼の屈折異常を原因とする症状に数えられている。つまワ、同じような症状が一方では 「心の悩み ・

心の病気」として、他方では身体構造上の小さな歪みにもとつ くものとして説明されているのである。

そして現代の私たちにとって、昭和29(1954)年 の記事にある説明は自然なものとして理解しやすい

が、大正4(1915)年 の記事にある説明には一種 の違和感を覚える。それでは、この違和感は何に由

来するのだろうか。あるいは逆にいえば、心の問題として解釈する説明が私たちにとって自然に思え

る、そのときの自然さは何に由来するのだろうか。それを問うことは、身体的 ・精神的症状について

の二つの説明の仕方がもとついている前提の違いを問うことにほかならない。

その前提の違いはおそらく、二つの時代の人間観および社会観の差異と結びついている。 しかしそ

のことについて考察を進める前に、 「神経衰弱」が日露戦後から昭和初期にかけて、また 「ノイロー

ゼ」が戦後の昭和30年前後から高度経済成長期にかけて流行する様子を眺めておこう。

1-2二 つの 「時代病」

佐藤春夫のr田 園の憂懲」(大7)に 代表されるように、大正期の文学作品には神経衰弱にかかっ

た人物、あるいは神経衰弱的と形容される人物がしばしば登場する。神経衰弱は大正期の文学におい

て好んで用いられる主要なモチーフのひとつであった。また、大正期を中心に活躍した作家に神経衰

弱にかかった者が多いことは有名である。夏目漱石や芥川龍之介を筆頭に、有島武郎、宇野浩二、谷

崎潤一郎、佐藤春夫といったこの時期の主要な作家たちの多 くが神経衰弱を経験 している。一般的に

は、神経衰弱はこうした一部の知識人たちの病いとして知られている。ところが実際のところ、神経

衰弱はより一般的かつ大衆的な広がりをもつ流行病であった。

試験間際になれば学生は皆 しかめ顔をして殆んど頭痛鉢巻の体である、君どうしたと問へば神経

衰弱と答へる。こめかみに即効紙や梅干を張つて長煙管を額に杖してる婦人も神経衰弱、また近頃

の新聞広告に名前も知れぬ人が大々的際物の広告をして居る、其科目の中には必ず神経衰弱の文字

が見え、脚気、胃腸神経衰弱杯と何等関連せぬ専門科目を連載 して居るが、斯様な広告が出るのは

吃度迷つて来る患者があるのに相違ないと云ふ処で出したので、つまりこれが世間に神経衰弱が多

いのを証拠立てて居るのであつて、今日は神経衰弱の大流行、全盛時代 と云ふべき時代である㍉

3〕伊藤尚賢 「脳力養成と神経衰弱自療法」大正4(1915)年 、30-31頁。

京都社会学年輻 第7号(1999)

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196 近森 二つの 「時代病」

大正期に出版された神経衰弱の療法書のひとつは、当時の流行の様子 をこのように描いている。神

経衰弱の原因 ・症状 ・治療法などを解説する一般向けの療法書は、後藤省吾 「脳神経衰弱療法」(明

38)を 皮切 りに、日露戦後の明治38(1905)年 前後から大正期、昭和初期にかけて多数出版された。

また当時の新聞や雑誌には、神経衰弱に効果があるとする薬品や治療法の広告が頻繁に掲載されてい

る。たとえば 「健脳丸」という薬品の広告4}をみると、 「主効」として脳充血 ・逆上 ・耳鳴 ・脳膜炎 ・

頭痛 ・便秘 ・健忘 ・眩葦 ・諺憂 ・不眠といった症状をあげており、 「其他中風卒中を未発に防ぎ神経

衰弱を快治 し記憶力を増進す」としている。

このように大正期を中心とする戦前の日本社会において神経衰弱が広い範囲で流行していたのと同

様に、戦後の昭和30(1955)年 前後から高度経済成長期にかけては、ノイローゼが新たな 「時代病」

として流行 していた。,

「ノ イ ローゼ」 とい う言 葉 は一種 の流行 語 とな り、 ち ょっ と気 にか けた り、心 配 した りす る傾 向

が あ らわれ る と、 い さ さか ノイ ロー ゼ気味 だ とい うよ うな言 葉が 使 わ れて い る5㌔

昭和30(1955)年 前 後 か らノ イ ローゼ が ジ ャーナ リズム で喧伝 され る よ うに なる。 新 聞 には 「ノ イ

ロー ゼ で 自殺」 とい った記 事 が増 え、各 種 の雑誌 で は ノ イロー ゼの 特集 が何 度 も組 まれ る。 また神 経

衰 弱 の場 合 と同 じく、一般 向 け の ノイ ロー ゼの解 説書 も この頃 か ら次 々 と出版 され る よ うにな る。

図1は 神 経 衰弱 とノイ ロー ゼ そ れぞ れの 一般 向 け の解 説 書 につ い て、10年 ご との 出版 点 数 の 推移 を

ま とめ た グ ラフで あ る%神 経 衰 弱 から ノイ ローゼ へ 、 とい う 「時代病 」 の変 遷 の様 子が みて とれ る。

また こ の グ ラフで は70年 代 を ピー クに ノイ ロー ゼの 関連書 の数が 減 少 して い るが 、 ここ か ら判 断す る

か ぎ り、一般 の間 で の流行 現 象 と して と らえ るな ら、 ノ イロー ゼの 流行 は80年 代 か ら90年 代 にか けて

す で に収 束 しつ つ あ った もの とみ る こ とがで きる。

戦前の神経衰弱の流行 と、戦後のノイローゼの流行。そのいずれにも共通 している重要な点は、そ

れらが様々な症状をともなう実際の病気として広まるのと同時に、言葉としても広範に流通していた

ことである。むしろ言葉として流行 していたからこそ、それまで病気とはみなされなかった軽微な心

4)r大阪朝 日新聞」大正7(1918)年1月1日。

5)「後記」 「青年心理」昭和31(1956)年、1号 。

6)大正期 をの ぞき、 「国立国会 図書館蔵書 目録」CD・ROM版(」 一BISC)を 用いた。 「神経衰弱」 「ノイ

ローゼ」 をキーワー ドにして書名検索 をおこない、検索結果 から一般 向けの解説書 と思われ るものを選出 した。

大正期 についてはCD-ROM版 が未発行 のため、 「帝国図書館和漢図書書名 目録第四編(明 治45一大正15)」 およ

び国立 国会図書館 内のr帝 国図書館旧蔵和漢書件名目録 明治41一昭和15年 受入」 を併用 したが、網羅的ではない。

なお、グラフでは 「神経衰弱」 「ノイローゼ」の語が表題に含 まれない解説書 を除外 してい る点に注意 したい。

Kyoto Journal of Sociology VII / December 1999

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近森:二 つの 「時代病」 197

身変調が神経衰弱やノイローゼとして訴えられるようになったのだという主張は、当時の言説にしば

しばみられる。 図2は、戦後の朝日新聞の新聞記事の見出しに含まれる 「神経衰弱」と 「ノイローゼ」

の語の登場回数の推移を5年ごとにまとめたグラフである7)。それぞれの語の登場回数は、言葉 として

の 「神経衰弱」 「ノイローゼ」が社会的に流通する度合いをはかる指標とみなすことができる。

図1一 般向け解説書の出版点数の推移

図2朝 日新聞記事見出しに含まれるr神 経衰弱」rノ イローゼ」の語の登場回数の推移

言 葉 と して、流 行 語 と して ジ ャー ナ リズ ム に登 場 す る 「神 経衰 弱 」 と 「ノ イ ローゼ」 は、 一種 の 隠

喩 と して用 い られ た。 大正期 で あ れば 、当 時 の急 激 な変貌 を とげつつ あ った都 市環 境 が 「神 経 衰弱的 」

だ と され 、 昭和 初期 には エ ロ ・グ ロ ・ナ ンセ ンスの 風潮 と と もに名 指 しが た い不 安 をは らん だ世相 が

「神経 衰 弱 時代 」 と呼 ば れ た。 あ るい は、戦 後復 興 期 か ら高度 成長 期 に かけ ての あ ま りに急 速 な発 展

7)r朝 日新聞記事見出 しデータベース」(CD -ASAX)を 用いて検索 をおこなった。

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198 近森:二 つの 「時代病」

にともなって様々なかたちであらわれた社会のひずみ、たとえば手軽な住宅供給手段として広められ

た団地生活や、ベビーブームの結果生じた激しい受験競争、オフィス ・オー トメーションが導入され

て作業が単調化 された職場などが 「ノイローゼ的」と表現された。

したがって一般の間に流通する言葉としての 「神経衰弱」と 「ノイローゼ」とは、それぞれ二つの

対象を指 し示していたといえる。すなわち、神経衰弱あるいはノイローゼになるく人間〉と、そうし

た人間を産みだすく社会〉と。その意味で、神経衰弱とノイローゼとがそれぞれの時代でどのような

病気 と考えられたかを問うことは、二つの時代の人間観と社会観の違いを探ることにつながるのであ

る。本稿の目的は、神経衰弱とノイローゼという二つの病気概念についての一般的理解を比較するこ

とを通して、この人間観 と社会観の変容について考察することにある。

本稿の以下の構成としてはまず、神経衰弱とノイローゼそれぞれについて、背景となる精神医学の

学説の展開をみながら、それらが各々の時代に一般の間ではどのような病気と考えられていたのか、

その多様なあらわれかたを見ていく。そのうえで、二つの病気概念についての考え方がもとついてい

る前提を比較することにより、現在の私たちが自明視 している人間観の特殊性を浮きあがらせること

にしたい。なお本稿では、二つの病気概念を専門的な医学にとどまらない 「流行病」としての社会的

な広が りにおいてとらえるという意図から、一般向けの療法書、雑誌や新聞など、一般の間に流通す

るものを主な資料としている8,。

2神 経衰弱の流行

2-1誕 生と伝播

「神 経 衰弱(neurasthenia)」 とい う病 名 を は じめ て疾 病 単 位 と して提 唱 した の は、1869年 、 ア メ

リ カの 神経 科 医G.M.ベ アー ドで あ った%ベ アー ドの主 著rア メ リカ神 経 病」(1881)で は 、神 経

衰 弱 は 「神経 力(nervefbrce)の 欠如 」 と定義 され 、一種 の経 済 的観 点 か ら次 の よ うに説 明 されて い

る。個 々 の 人間 は いわ ばバ ッテ リーの よう に一定量 の 神経 力 を保 持 して お り、 そ れは様 々な活 動 で消

費 され る。 各 人が 保持 しうる神経 力 の量 には個 人差 が あ り、神 経 力の 「百 万 長者 」 もいれ ば貧 乏 人 も

81本稿 で使用 した資料 は以下の通 り。

・ 「神経学雑誌」1巻1号 ~28巻1号 。

・ 「神経衰弱」の療法書 は大正期の ものを中心に約30冊 を参照 した。なお本文中の引用の表記 は旧漢字 を新漢字

にあ らため ている。

・ 「ノイローゼ」 にかんする新聞記事 はr朝 日新 聞記事見出 しデー タベース」(CD -ASAX)を 用 い た検索を も

とに約50件 収集 した。 また雑誌記事 は 「大宅壮一文庫雑誌記事索引総 目録」お よび 「雑誌記事索 引(人 文 ・社

会編)」 をもとに約50件 収集 した。

Kyoto Journal of Sociology VII / December 1999

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近森:二 つの 「時代病」 199

いる。そこで神経力の支出が収入を上回らないよう各自の神経力の収支を合わせることが肝要なので

あり、あまりに支出が過ぎると 「神経の破産」、すなわち神経衰弱に陥ってしまう(Bea【d,9・13)。

その症状は じつに多様であり、 「アメリカ神経病」では1ページ半にわたって不眠や頭痛、耳鳴り、

食欲不振といった身体症状から、抑うつ感や各種の恐怖症といった精神症状まで数十の症状を列挙し

ている(Beard,7-8)。

ベアー ドは近年の神経衰弱の増加を理由を、近代文明の発達に求めている。 「蒸気機関、定期的な

出版物、電信、科学、女性の精神的活動」という5つの要素で特徴づけられる近代文明によって、個々

人に過度の神経力の需要がかけられるようになったためだという(Beard,96)。 こうしたベアー ドの

い くぶんジャーナリスティックな主張は、医学専門家にとどまらず一般の間でも広 く受け入れられ、

神経衰弱は世紀転換期の欧米社会を席巻する流行病となった。

しかしヨーロッパに移入された当初から、ベアードの比較的素朴な学説は精神医学の領域でさまざ

まな批判を浴びていた。そのなかで遺伝やアルコール中毒、他の身体疾患との関連、心理的要因など

あらゆる要因と結びつけられ、神経衰弱の学説は次第に混乱してゆく。やがてあまりに広範囲で曖昧

だという理由から、神経衰弱は疾患名としての地位を疑われるようになった。欧米の精神医学の文献

に神経衰弱の概念が登場する期間は、おもに1880年から1910年の間である(Chate1&P㏄le,38)。 第

一次大戦後には神経症の心理学的な解釈が優勢になり、1920年 までには神経衰弱という診断名は欧米

の医学文献から完全に姿を消すことになる(Sicherman,36)。

ヨーロッパ精神医学、なかでもドイツ精神医学を規範としていた日本の精神医学は、神経衰弱につ

いてもその混乱した学説状況をそのまま引き受けていた。明治から大正期にかけての 「神経学雑誌」

をみると、ヨーロッパ先進国の文献の抄訳や紹介記事がしばしば掲載 されており、また大正2年 には

学会の宿題題目に 「神経衰弱」が設定されるなど、神経衰弱は比較的大きな関心を集めていたことが

わかる1%し かし結局のところ、日本の精神医学においても決定的な説明は提出されず、昭和初期に

は神経衰弱は独立した診断名としての地位を危うくしていく1%

9}ペアー ドの所説お よび欧米での神経衰弱の流行 については、以下の文献 を参考 にした。

Beard, G. M. American nervousness; its causes and consequences: a supplement to Nervous exhaustion (neurasthenia). Arno

Press, 1972 (1881).

Chatel, J., and R. Peele. "The concept of neurasthenia". International Journal of Psychiatry 9, 1971.

Sicherman, B. '"The uses of diagnosis: Doctors, patients and neurasthenics". Journal of the History of Medicine and Allied

Sciences 32(l),1977.

勘 「神 経学雑誌 」は現在 の日本 精神 神経学会 の前 身 にあたる日本 神経 学会 の学 会誌 であ り、明 治35

(1902)年 に創刊 された。

1Dた とえば当時の代表的な精神科医の一人であ った三宅鉱一は、昭和2(1927)年 の臨床 講義 「神 経衰

弱 と神経質の 型」(神 経学雑誌、28巻1号)で 、 「神経衰弱 なる病名 は現今非常に広 く用 ひ られて居 り、 むしろ

濫用せ られて居る気味がある」 と述べ、診断名 としての神経衰弱に対するい くつかの疑義 を整理 している。

京都社会学年毅 第7号(1999)

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200 近森:二 つの 「時代病」

2-2神 経衰弱流行の諸相

専門医学での学説の混乱を背景としながら、神経衰弱は日露戦後の日本社会に広 く流行 した。ここ

では、神経衰弱が当時の一般の人びとの間でどのような病気と考えられていたのか、数多く出版され

た療法書の記述を手がかりに見ていきたい。

神経衰弱についての基本的な認職はまず、それが 「文明病」だとする考えであった。どの療法書で

も冒頭の序文では、文明の発展 とともに蔓延してきた病気だとして、 「梅毒」 「結核」 といった他の

「文明病」 と類比しながらその脅威を訴えている。 「神経衰弱者は俗に文明病と称せらるる程あつて

文明諸国には頗る多 く、殊に我国に於ては其数甚だ多きを感ずるものである」12)。「殊に一名文明病

とも唱へらるる、神経衰弱と云ふ病気は世の文明と共に人事繁雑となり、物質の進歩が生存競争を激

甚ならしむるに従ひ、常に之と正比例 して、其の増加を示して居るα……此の厭ふ可き文明の副産物

は、泰西文化の輸入と共に、我が国にも東漸 し来たり」13㌔

つぎに神経衰弱の原因として広く知られていたのは、それが精神の過労によって起こるというもの

であった。 「……精神を過労したる後には神経衰弱を起すものであるから、常に精神的労働者即ち政

治家、発明家、医師、弁護士、学生、俳優等には本病で苦しむ者が多い」1先 したがって、精神作業

を専門とする知識人階級にとくに多い病気だとされた。 「神経衰弱患者は所謂知識階級中に多い、而

て患者本人の苦痛は勿論、是が為に被る国家の損失も、莫大なものと信ずる」且5)。「神経衰弱は現代

に非常に多き病気であつて、荷くも学問ある階級に、殆んどこれにか ・らざるものなしと云ふ程で、

所謂神経衰弱全盛である」1%

大正期から受験難が問題となっていたが、受験生もまた神経衰弱の格好の標的だとされていた。 「…

…中学卒業前後にも矢張 り高等の諸学校への入学試験に過激な競争受験をするためにひどく脳を疲ら

し神経衰弱を起すことがある」17)。受験生向けに書かれた岡田道一 「受験生の健脳法」(昭4)に は、

「神経衰弱と云ふ病気程諸君に有名なものはなからう」(112頁)と ある。

注意が必要なのは、精神的過労が原因であるとはいえ、それは心配事や葛藤といった心理的な過程

ではなく、まった く物質的あるいは生理学的な脳神経の疲労 として考えられている点である。 「脳の

亘2伊藤 、前 掲 書 、序 言1頁 。

B済 藤 紀一 「神 経 衰弱 の治療 及 健脳 法 」 大 正5(1916)年 、8頁 。

且4何村 仁太 郎 編 「脳 神 経 衰 弱療 法 」大 正2(1913)年 、2頁 。

15》菅沼 定男 「神 経 衰弱 ト眼 」大 正9(1920)年 、序 言1頁 。

16】伊藤 尚賢 「神 経 衰 弱病 者 飲 食物 の研 究」 大 正9(1920)年 、 凡例1頁 。

且7佐多 芳 久r神 経 病 時代 」 昭 和7(1932)年、113頁 。

Kyoto Journal of Sociology VII / December 1999

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近森:二 つの 「時代病」 201

使用如何は、神経衰弱を生 さしむる、一原因とはなるのである」18㌔ 「現代は全く脳力労働の生活が

主で、身体的労働は漸次機械によつて行はれる時代 となつたから、いかなる階級、いかなる職業を問

はず、殆んど精神作業を要せずにすむ人はない位である。従つて脳力の経済、能率増進といふことは

現代生活に最も研究すべき事柄で、脳を疲労させる事なく、巧みに使つて、しかも能率を挙げ得る人

は、社会的成功者となり得ること確である」1%

脳の経済的な使用と脳疾患の予防という主題は、神経衰弱への関心と連動したかたちで、日露戦争

前後から注目されるようになっていた。明治37(1904)年 の坂田実 「健脳法」以来、佐野彪太 「頭脳

衛生」(大2)、 金杉英五郎 「元気強勢健脳術」(大5)な ど、 「健脳法物」と呼ばれる一連の通俗書

がいくつか出版されている。

興味深いのは、このように脳神経の過労によるとされた神経衰弱がまた、セクシュアリティの問題

とも深く結びつけられていたことである。 「性的神経衰弱」という言葉は、当時の新聞 ・雑誌の広告

にしばしば見ることができる。また、r神 経衰弱及性的障害救治法」(大8)、r生 殖器障碍神経衰

弱病理及根治法」(大14)と いった療法書もい くつか出版されている。ただしセクシュアリティとは

いってもそれはフロイト的な 「性欲の抑圧」という心理学的図式ではなく、生理学的身体 と関係づけ

られた問題であった。

最後に、神経衰弱は明確にジェンダー ・バイアスのかかった病いであった。神経衰弱はとくに男性

が罹 りやすい病気だとされ、それに対応する女性特有の病いがヒステリーであった。 「比斯的里と云

ふ病は殆んど婦人に限つた病であつて男子の神経衰弱に於けるが如く尤も多い病である」20)。

文明による脳神経への過重な負担の結果としての神経衰弱一 専門的な精神医学において学説は一

定 しなかったが、一般の間では神経衰弱はこのようにシンプルな過程として理解されていた。神経衰

弱 という病名が広 く一般に浸透 して流行語にまでなりえたのには、それが 「神経が衰弱する」 という

直感的な概念であったことが大きいと思われる。同じことは、 「神経力の欠如」というベアー ドのオ

リジナルな説明についてもいえる。文明によって神経に過大な負荷がかけられるようになったという

直感的な説明は、世紀転換期の欧米社会および大正期前後の日本社会の人びとにとって親 しみやす く、

受け入れやすいものだったのである。

その背景には、当時のいずれの社会でも生活様式の急激な近代化 ・都市化を迎えつつあった状況が

あげられるだろう。とくに日本では文明開化以来、明治期を通 じてあらゆる面での制度的 ・物質的な

近代化が推 し進められてきた。大正期にいたると、都市の相貌は近代都市のそれへと近づいてくる。

且円ヒ渓散士 「現代家庭医学脳と神経衰弱之巻」大正2(1913)年、8頁。

且9牲多、前掲書、60頁。

20河村編、前掲書、4頁。

京都社会学年報 第7号(1999)

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202 近森 二つの 「時代病」

電車が増え、自動車が走 りはじめるなど、街頭が騒音と刺激と危険に満ちたものになる一方で、電気

やガス、電話といった新しいテクノロジーが日常生活に浸透 してくる。神経衰弱という病気概念は、

そうした生活様式の急激な変容を経験 していた当時の人びとの感覚をうまく言い当てる概念だったの

である。

3ノ イローゼの流行

3-1精 神分析の移入と流行の発端

先にも述べたように、欧米の精神医学の文献に 「神経衰弱」の語がみられるのは1880年から1910年

の間である。神経症のメカニズムについては体因説と心因説との間で長 く論争があったが、外傷性神

経症をめぐる第一次大戦の経験から心因説が優勢となり、論争はひとまず決着を迎える。それ以降は

神経症の心因説が定着 し、体因説の退潮とともに神経衰弱の概念も捨て去られることになる。

戦後の日本社会に流行 した 「ノイローゼ」は神経症の ドイツ語を片仮名読みした言葉であるが、そ

れが一般化した背景には、第二次大戦後の日本の精神医学に及ぼしたアメリカ力動精神医学の大きな

影響力があった。フロイトの創始した精神分析は当初ヨーロッパよりもアメリカで熱心に受け入れら

れ、戦後にいたるまでアメリカにおいて大きく発展する。ところがアメリカに移入されて間もなく、

精神分析学の内部からフロイトの学説を改変しようとする動きがあらわれてきた。K.ホ ーナイ、E

フロム、H.S.サ リバンらがその中心的人物であり、彼らは新フロイト派と呼ばれるようになる。彼

らは社会的な人間関係のなかで形成される欲求のあり方に注目することでフロイ トの汎性欲主義を克

服 しようとしたのだが、別の言い方をすれば、それはフロイト理論の人間主義的な改変であったとい

えるだろう。戦後の日本の精神医学に導入されたのは、このように人間主義的に再編された精神分析

理論であった。

流 行 の発 端 は昭 和30(1955)年 であ った21㌔ それ は戦 後復 興 期 の奇 跡 的 ともい われ る経 済発 展 が 一

定 の段 階 に到 達 し、一応 の 生活 の 安定 が え られ る よう にな った時期 であ り、 当年 は 「神 武 景気 」 と よ

ば れ るほ ど好 況 の年 で あ った 。そ の前 後か ら急 に ノイ ローゼ は ジ ャー ナ リズ ム に と りあ げ られ る よ う

に な る。 さ ま ざま な雑 誌 で特 集 が組 まれ、新 聞 には 「ノ イ ローゼ で 自殺 」 とい っ た記 事 が 目立 つ よう

に な り、 また 一般 向 けの ノイ ロー ゼの解 説書 が次 々 と出版 され る ように な る。

21)こうした昭和30(1955)年 前後の流行について、小此木啓吾は昭和55(1980)年 に次 のように回顧 し

ている。 「……戦後、 とくに昭和 三十年を ピー クとす るノイローゼ ・ブームを契機に、 「ノイローゼ」が 「神経

衰弱」 にとって代 わるこ とになった。 しか も 「ノイローゼ」は、その語源である神経症 をあ らわすだけでな く一

時的 な悩みやスランプ(ノ イローゼ気味)か ら、癌 ノイローゼ、育児 ノイローゼ、登校拒否、心 身症、 うつ病、

自殺 に至る精神衛生上のあ らゆる問題を言いあ らわすマスコミ、日常語 になった」(小 此木啓吾 「ノイ ローゼ ・

ブームで脚光 古沢平作 の研究」r文 芸春秋」昭和55(1980)年9月 号)。

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近森 二つの 「時代病」 203

ノ イロ ー ゼが ジ ャーナ リズム で 大 き く扱 われ たの は 、 「週 刊朝 日」昭 和30(1955)年7月24日 号 の

巻 頭特 集 「あ なた は大 丈夫 です か?ノ イ ローゼ と現 代 人」 が最 初 であ っ た。特 集 で は 「あ なた にこ ん

な徴候 は… …」 「現代 人 の ア クセサ リー?」 とい う文句 で 注意 を喚 起 しなが ら、い くつ か の実 例 や簡

単 な医学 的 説明 、 そ れ に作 家 の 高見順 に よる体験 記 を掲 載 してい る。 こ の 「週 刊朝 日」 の巻 頭 特集 に

は大 きな反 響が あ り、そ れ を きっか け に した よ うに各種 の 一般 雑誌 お よび学術 雑 誌 で ノ イロ ーゼ に関

す る特 集 が頻 繁 に組 まれ る よ うに な った。 昭和31(1956)年 の 「婦 人公論 」 の記 事 に は次 の よ うに書

か れ て い る。 「 「ノ イ ロー ゼ時代 は来 るか」 と ジャー ナ リズ ムで騒 が れ たの は昨 年 の こ とだ。 そ れか

ら一 年 た って、"ノ イ ロー ゼ"と い う言 葉 は、 今 で は私 た ちの 日常 語 に さえ もな って しまっ た」鋤。

3-2ノ イローゼ流行の諸相

この よ うに、 戦後 の ノイ ロー ゼの流 行 には ジ ャーナ リズ ムの 果 た した役 割が 大 きか った。 そ こで 当

時 の新聞 ・雑 誌記事 を もとに ノ イローゼ が一般 の間 で どの よ うな病気 と考 え られて い たの か、 その様 々

なあ らわれ かた を探 ってみ たい。

最 もオー ソ ドック ス な見 解 は 、 ノイ ロー ゼ は 「人 間 関係 の病 い」 だ とす る もの で ある 。 「… … ノ イ

ロー ゼ は、現 代社 会 の矛 盾 した 人間 関係 が 、主 に原 因 とな って い るの だか ら、 これ を改善 す る ことが

根 本 的 に必 要 なわ け だ」。 「家庭 、職 場 、学 校 な どで 、 ノイ ローゼ の もと にな った、 ゆ が んだ対 人 関

係 を直 し、環 境 を整 理 す る こ とが 、 ノ イロ ーゼ に 勝つ 第 一の 方法 だ とい え よ う」 醜 「〔ノ イ ローゼ

は〕 人間 と人 間の触 合 い か ら起 こるもの なの だ。 そ れゆえ気 にい らな い人物 と席 を離 して や るだけで 、

軽症 の ノイ ロー ゼ患 者 な ら気分 転換 に な り、彼 に とっ て職場 環境 は 好転 す る」 駕

「人間 関係 」 とい うの は、 この よ うに現 在結 ばれ て いる それ だ けに 限 らない 。 む しろ 、人格 形 成 に

関 わ る当 人 の幼児 期 か らの生活 史 にお ける 「人 間関係 」 の 方が よ り基底 的 であ り、重 要 だ とみ な され

る。 「お お ざつ ば な言 いか た であ るが 、神 経症 は人 間 と人 間 との関係 の 仕 方の病 気 で あ る。神 経 症 に

なや む人 は 、円滑 な人 間関係 を むすぶ こ とが で きないで苦 しむ不 運 な 「人 が ら」 を もつ てい る と、 そ

の 「人 が ら」 も、家族 、遊 び仲 間 、学 友 な どの、 幼時 か らの歪 んだ 人間 関係 の影 響 の もとにつ くられ

て きた もの で あ る。彼 らの現 実 にそ ぐわぬ 生活 態 度 も、 そ こに起 源 があ る」へ

精神 科 医 の加 藤 正 明 は、 自動 車事 故 の後 で神 経症 と思 われ る症状 に悩 み は じめた 出版 社 に勤 め る女

性 の手記 に対 して、次 の よ うに コメ ン トして い る。 「…… お そ ら く自動車 事故 以 前 に 、か な りの期 間

22伽藤子明 「主婦 を襲 うノイローゼの実態」 「婦人公論」昭和31(1956)年9月 号。

8,「あなたは大丈夫ですか?ノ イローゼ と現代人」r週 刊朝 日」昭和30(1955)年7月24日 号。

24)「ビジネス社会 をむしばむ精神公害」r週 刊 ダイヤモ ン ド」昭和46(1971)年 藍0月30日号。

"1井村恒郎 「神経症 と社会不安 ノイローゼ」r改 造」昭和28(1953)年6月 号。

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204 近森:二 つの 「時代病」

にわ た って あ る種 の慢性 の不安 状 態が 先行 して いた ので は ない か と思 われ ます 。過 去 十年 の ジ ャーナ

リス トと しての生 活 の な かで 、あ な たが た えず心 の なか で闘 って こ られ た問 題 は なん だ った の で しょ

うか 。 また 、家庭 内で の あ なたの 生活 史 もわ か りませ んが、 あ な たの持 ってお られた不 安 感 、孤 独感

は 、 は るか幼 少 時 に深 くね ざ してい た もの なのか も知 れ ませ ん」 醜

「主 婦 ノイ ロー ゼ」 につ い て は、専 業 主婦 の家事 労働 の単調 さや社 会 と切 り離 され た孤独 感が 問題

と された。 「ご婦 人 の場 合だ と、子供 の世 話が一段 落 して、 電気 せん た く機 や電気 掃 除機 な どが そ ろ っ

た ころ ノ イロ ーゼ が頭 を もた げ る こ とが 多い 。 ご主人 や子 供 を会 社 や学校 に送 り出 して、 ひ と りぼ っ

ちで留 守番 をす る ように な る と、 とる にた らぬつ ま らぬ こ とを、何度 も何度 も、 く りか え し考 え こん

で 、 っい に心 にこ び りつ かせ て しまう」2%

主 婦 の ノ イ ロー ゼ に関連 して、 団地住 まい とい う戦 後 の新 しい 生活 様 式 も問題 とな っ た。 「団 地 ノ

イロ ーゼ 」 とい う言 葉 が 、 自殺 や 心 中 を報 じる記 事 に も しば しば使 わ れて い る。 「夫 …… さん の話 で

は 、 …… さん は 日 ごろ か ら壁 に囲 まれ た団 地 の生 活 に ノイ ローゼ気 味 だ っ た とい う」28〕。 「同署 で は

"団地 ノイ ロー ゼ"も 加 って発作 的 に母子 心 中 した もの とみ てい る」29も あ る新 聞 コラ ム で は、 「白

壁 ノ イ ロー ゼ」 とい う言葉 を紹 介 してい る。 それ は一 種 の都 市流 言 の よ うな もの であ り、 「一 日中、

狭 い室内 に閉 じこめ られ 、無 味 乾燥 な白壁 とにらめ っ こを してい たため に 、と う とうノイ ロー ゼに な っ

た とい うた ぐい で あ る。 そ う して 、 この種 の 団地特 有 な神 経症 状 が あ る と、広 く信 じ られ て もい る よ

うで あ る」30㌔

こ う した核 家 族 や団 地住 まいで の主 婦 の ノ イロー ゼ を解 消 す る には 、社会 的 な つ なが りを もつ こ と

が 必 要 だ と指 摘 され てい る。 「育 児 ノ イロ ーゼ」 につ い ての 新 聞の読 者 投稿 を二つ み てみ よ う。 「ノ

イ ロー ゼ にな る と、 テ レ ビや新 聞 も見 な くな る し、 旧友 と連 絡 を とる こ と も忘 れ て しまい ます 。 いつ

の 日 も、周 囲 の人 び とと心 を通 わせ て、 自分 の カラに閉 じこ も らな い こ とが 大切 なの です ね」3%「 昔

の母 親 は子供 の数 が多 く、 ノ イロ ーゼ にかか る暇 もなか っ たの に 、今 は逆 に母 親 の神 経が 子 供 に集中

しす ぎる よ うです 。 その た め理想 と少 しで も くい ちが うと、 ひ ど く絶望 す るので す。 こ うい った視 野

の狭 さを打 開す る には、 家庭 にばか り とじこ も らない で社会 へ の アブ ロ ーチ が必 要 だ と思 い ます」 。

「… … お母 さん 自身が 生 きが い を見 つ けて 、 は りのあ る毎 日を送 りたい もの です 」32㌔

261加藤正明 「ノイローゼ という流行語 について」r婦 人公論」昭和31(1956)年11月 号。

27)「文化 ジャーナル ・保健 ノイローゼ とヒマ」 「朝 日ジャーナル」昭和34(1959)年12月6日 号。

28)「主婦 ガス自殺 団地生活にノイローゼ?」r朝 日新聞」昭和35(1960)年9月7日。

29)「団地ノイローゼ?母 子ガス心中」 「朝 日新聞」昭和38(1963)年3月13日。

30)「団地カルテ 白壁 ノイローゼ」 「朝 日新聞」昭和42(1967)年6月1日。

3且)「ひととき私 も育児 ノイローゼ だった」 「朝 日新聞」昭和52(1977)年6月21日。

32)「ひととき育児 ノイローゼ、身に覚 え」 「朝 日新聞」昭和54(1979)年9月24日 。

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近森:二 つの 「時代病」 205

二 つめ の投 稿 にあ る よ うに、本 人 が意志 的 に創 造 的 な活動 に と り くむ こ と も必 要 とされ た。 「主 婦

ノ イロ ーゼ」 につ い ての座 談 会 で、 あ る家裁 の調 停 委員 は次 の よう にコ メ ン トして い る。 「も っ と自

主性 を もって、 ノイ ロー ゼ な ど吹 き とば して強 く生 きる方 に 目 を向 け たい です ね」3%

意志 の問題 は極端 なか た ち にな る と、 ノイ ローゼ は結 局本 人 の意 志 の問 題 だ とす る見解 と して あ ら

われ る窺 ノ イロ ーゼ患 者 は 人格が 未 熟 なの であ り、 そ れ は 自覚 的意 志的 に修 養 す る こ とで 克 服 しな

けれ ば な らな い、 とい うの であ る。 「精 神 的原 因で お こ る もの な んで すか ら、や は り精神 的 になお さ

な くち ゃ な らない 。 な ん とか して治 ろ うとお もうよ うに しな けれ ば な らない し、 人格 の 未熟 さ を自分

でわ か って 、 もっ と成 長 しよ う とい う、 精神 修養 を しなけ れ ばな りませ ん」35も 「治療 と して は むず

か しい が 、結 局 は 、 自分 が何 であ るか とい う主 体 の確 立が で きれ ば、 こん な もの 、 もちろ ん 治 りま

す 」飛

過去から現在にいたる人間関係、幼児期からの生活史、核家族や団地という新 しい生活様式、本人

の意志と人格の確立一 昭和30年以来の新聞 ・雑誌記事に見られるノイローゼは、こうした問題群 と

結びつけて考えられている。それらは大正期を中心に流行 した神経衰弱が関連づけられていた問題群

とあきらかに異なっている。神経衰弱は文明による脳神経の疲労を原因とし、精神労働者や知識人に

多 く、性的放逸とも関連 し、男性が多くかかる病気であった。神経衰弱とノイローゼ、この二つの 「時

代病」が結びついていた二つの系列の問題群の差異は、二つの時代における人間観と社会観の変容を

指示 している。その変容とは、戦後社会における人間主義的=心 理学的パースペクティヴの社会的浸

透と呼ぶことのできる事態にほかならない。

4心 理学的人間観の浸透とその帰結

4-1心 理学的人間観の浸透

冒頭で紹介したr眼 と神経衰弱」という療法書にみられる考え方を、もう一度思い起 こしたい。そ

こでは、様々な心身の症状をともなう神経衰弱が眼の異常からおこり、眼鏡によって治療できると考

えられていた。このように神経衰弱を身体のある特定の部位の疾患や変調と結びつけて、その疾患を

33座談会 「主婦 ノイローゼの処方箋」 「婦 人公論」昭和31(1956)年9月 号。

鱒職 前の神経衰弱 についても、本人の意志次第で治るとい う精神主義的 な見解 はあった。だがそれらは

同じ 「精神」 とい う言葉 を用いていて も、基本的に個人の生活史や人間関係 に着 目する心理学主義的見方 とは異

なる見方である。

35〕笠松章 「精神分裂病 とノイローゼの読本」 「暮 しの手帖」昭和39(1964)年7月 号。

%)「ち ょっと相談」 「朝 日新聞」昭和55(1980)年8月3日。

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206 近森 二つの 「時代病」

治癒すれば神経衰弱 も解消するという考え方は、ほかにも当時の療法書にいくつか見ることができる。

たとえば林熊男という耳鼻科医は療法書r神 経衰弱と蓄膿症」(大12)で 、蓄膿症を治療すれば神経

衰弱は治ると論 じている。また井上正賀という人物は療法書r神 経衰弱営養療法」(大4)の なかで、

「余は人体に対 しては何れの場合でも営養万能主義を有 してをる」として、胃腸の健康を保ち栄養を

完全にすることで神経衰弱は治癒できると主張する。こうした主張が成り立つのは、神経衰弱が身体

の一部としての脳神経の疾患だという前提が共有されていたからである。

問題の系列はこのように転換 した。一 「文明病」から人間関係の病いへ。脳神経の 「過労」から

精神的 「葛藤」へ。機械論的 ・生理学的な身体をもつ人間から、悩める心を内面に抱える人間へ。遺

伝に決定 される身体から、生活史に規定される人格へ。この転換は、冒頭にあげた二つの症例によく

例示されている。神経衰弱の 「某官吏」については生活史が記述されず、彼 自身の現時点での眼の変

調だけが問題であったのに対 し、ノイローゼの女性については両親および兄との過去からの人格的な

関係、生活史上のさまざまな出来事が記述され、そのなかで女性の内面に次第に症状の原因となる葛

藤が増大してゆく過程が描かれる。

人間主義的=心 理学的パースペクティヴの社会的浸透によって、私たちはいわば心理学的な人間と

なった。心理学的な人間とは、彼(女)の 内面にある心理に、彼(女)の 人格に、また人格を規定す

る彼(女)の 人間関係や生活史に、真理の根拠を求められる人間である。現在の私たちはみずから心

理学的人間として存在し、また自分以外の他者をも心理学的人間としてその振る舞いを心理学的に解

釈し、理解 している。誰かが頭痛や不眠、食欲不振といった心身不調を訴えるとき、私たちはそれを

彼(女)の 心の問題とみなすことを自然だと感じる。 しか しそうした感性は歴史的な感性なのである。

ノイローゼの流行をひとつの契機 として、この人間主義的=心 理学的パースペクティヴという新しい

人間観が戦後の日本社会に一般化した。 「心の問題」への社会的関心は現在もなお増大しつづけてい

るが、そこで前提 とされている心身不調の原因を 「心」に求める思考様式はこの時期に成立 したので

ある。

こうした人間観が普及する背景として、実存主義とマルクス主義に代表される人間主義的な思潮が

戦後社会に広まっていた状況をあげることができる。当時の言説にも、そうした人間主義的な思想潮

流がノイローゼ流行の背景にあるという指摘をしているものがある。

なぜ世界中でノイローゼ論が流行しているのか。これは見方の変化による。昔の哲学的神学的人

間観にとって代わって十九世紀から自然科学的実験的人間観がはやって来た。ノイローゼはその頃

は神経衰弱、神経質といわれて、働いて脳が疲れたから、神経質になるような体の素質、体質があ

るからとされた。しかし人間はなかなかこう簡単にわりきれないものである。人間は自然的な産物

とは限らず、社会からも制約されるという見方が強くなってきた。……また人間は何でも素質素質

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近森:二 つの 「時代病」 207

とい っ てい れば 、 人間 は もう生 まれ た時 か ら規定 され てい て、 自由な展 開 とい う もの は な くなって

しまわ ない か。 … …神経 衰 弱 や神経 質 もノ イ ローゼ と して 、環 境 に よる産物 と しな けれ ば な らない

の で あ る3η。

これによれば、神経衰弱は自然科学的人間観にもとつ く病気であり、ノイローゼは人間主義的な人

間観にもとつく病気である。そして前者の見方は人間の自由や主体性を制限するものとして、人間主

義的な人間観が支配的になるにともなって棄却されるようになったという。しか し、自然科学的な見

方を棄てて人間主義的な理解をとることは、はたしてここで言われているように解放的な帰結をもた

らすだろうか。人間主義的=心 理学的パースペクティヴをとることによって、心身失調は心理や人格、

生活史や人間関係の問題と結びつけられるようになった。それは一面で、たんなる生物というわけで

はない人間の人間性を問題の中心に据えることで、人間の主体性や自由の可能性を自然法則の決定か

ら救出しているようにみえる。ところがこれを逆に見れば、人間を主体性や自由の可能性へと疎外 し

ているとみることもできる。というのも、たとえばノイローゼを克服するかどうかは結局本人の意志

の問題だといった、けっして解放的でない見解も、同 じ論理の延長上に含まれているからである。

とはいえ、二つの人間観のどちらが解放的かという議論はそれ自体として困難であり、またあまり

意味があるとは思われない。一方で、心理学的人間観の浸透が及ぼした社会的諸帰結をひとつずつあ

とづけてい く作業は重要だと思われるが、それは本稿の及ばないところである。本稿ではその準備作

業として、私たちが自明視している人間主義的=心 理学的パースペクティヴをひとまず歴史化 し、相

対化することにつとめてきた。

4-2ノ イローゼの消失と 「心の病 い」の現在

以 上 にお い て本稿 で は、戦 前 の神 経衰 弱 と戦 後 の ノ イロー ゼの 流行 につい て 、そ れ らの 一般 的 理解

を比 較す る こ とを通 して 、現 在 の私 た ちが 自明視 してい る人 間主 義的=心 理 学 的パ ー スペ クテ ィ ヴの

歴 史 的特 異性 を明 らか に しよ う と して きた。 しか し最後 に重要 な疑問 が ひ とつ残 ってい る。 それ は、

ノ イ ローゼ は なぜ 消 えた のか とい う問題 で あ る。流 行現 象 と して の ノ イロ ーゼ は、先 に見 た よ うに、

80年 代 か ら90年 代 にか けてす で に収 束 して しま ってい る。 この ノ イロー ゼ流行 の 終焉 は何 に よ るの だ

ろ うか。

そ の背 景 の ひ とつ と して、 現在 の 精神 医学 で は神 経症 の概 念 を解 体 しよ う とす る動 きが あ る こ とを

指摘 で きるだ ろ う。1980年 に発表 され たDSM一 皿(精 神 障害 の診 断 ・統 計 マ ニ ュア ル)以 来 、 国際 的

な診 断 基準 で は神 経 症 とい う診 断 名が使 われ な く なって い る38)。しか し一 般 の 間 で ノ イ ローゼ とい う

37》西丸四方 「農村生活 とノイローゼ」 「青年心理」昭和31(1956)年、1号 。

京都社会学年報 第7号(1999)

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208 近森:二 つの 「時代病」

言葉や病気について最近聞かれなくなったのは、たんにこうした精神医学での動向が一般の間に伝わっ

てきたから、というだけではないように思われる。

最後にこのことについて、ひとつの推測を提示しておきたい。それは現在の社会において、 「神経

衰弱の時代」や 「ノイローゼの時代」といったかたちで、ひとつの病名によって時代をくくることそ

れ自体がもはや不可能になっているのではないか、という推測である。ノイローゼは消えたが、アダ

ル ト・チルドレンや共依存、児童虐待、拒食症、青少年期の無気力や引きこもりなどといった様々な

かたちで、心の問題は現在もなお深刻な社会問題として語られている。そうした問題はそれぞれ一時

的にジャーナリズムにとりあげられ、話題とはなるが、それらはけっしてかつての神経衰弱やノイロー

ゼに比類する社会的広が りをもつことはない。各々の問題は時代を象徴する面をもっているが、神経

衰弱やノイローゼのように、ひとつの病名が社会全体の病理性を包括的に象徴する言葉として広 く流

行することはない。

おそらく、あらゆる問題が多様化し複雑化 している現代社会では、困難のありようやその要因をひ

とつの大きな言葉や病名で言い当てることが難しくなっているのであろう。〈人間〉に対しても、ま

たく社会〉に対しても。心の問題が多様なかたちで現出している現在の状況は、その意味で、ノイロー

ゼの 「細分化」 した状況と呼ぶこともできるだろう。ノイローゼの語が消失したのは、けっして私た

ちが人間主義的=心 理学的パースペクティヴから抜け出しつつあるからではない。それはますます広

く深 く浸透 しつつある。ただ現在では、それ力澗 題としてあらわれる仕方がひとつではなく多様になっ

ているのである。

(ちかもり たかあき・博士後期課程)

38精神 医学 におけるこうした動向は、脳生理学の発達や新たな向精神薬の開発 を背景 としている。本稿

では心理学的見方 を強調 しているが、一方で このような自然科学的あるいは操作 主義的 な見方が近年一般 の間に

広まってきていることもノイローゼ消失の大 きな要因となっている と考え られる。

Kyoto Joumal of Sociology VII / December 1999

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277

The Two Maladies of the Era: "Shinkeisuijaku(neurasthenia)" and "Noiroze(neuroses)"

Takaaki CHIKAMORI

This article deals with two epidemics, "shinkeisuijaku(neurasthenia)" and "noiroze(neuroses)"

, the former spread over Japan from early years of this century(c. 1905-1930s), and the latter after World War II (c. 1955-1980s). By focusing on the difference

between two views of the apparently same disease, I attempt to demonstrate how the

humanistic=psychological perspective, which prepared for "mental problems" of today, has

prevailed among lay figures after World War II . Citing a lot of discourses concerning "shinkeisuijaku" and "noiroze", I try to show

how the two diseases were understood by lay figures. "Shinkeisuijaku" was thought to result from the strain of nerves, caused by the high pressure of civilization. It attacked especially on "brain workers", and on men more than women. It was considered not as a mental process but a physiological process that caused such symptoms as headache, insomnia and depressing mental state. In contrast, "noiroze" was understood as a mental or psychological process, so that symptoms similar to "shinkeisuijaku" are considered to result from some kind of mental conflict. The cases of "noiroze" were described with such humanistic terms as "personality", "human relationships", "life history", etc.

What distinguishes the view on "noiroze" can be called humanistic=psychological

perspective, which prevailed with the epidemic of the disease. From this perspective, our sufferings are always interpreted as mental one. Today we notice people suffering from "mental problem" more than ever, which shows us how wide and deep the perspective has prevailed over us.

京都社会学年綴 第7号 (1999)