河辺の夜の夢 - cosaic

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女王エリザベス(1世、在位1558-1603)の治世の末 期、百年紀が16から17へ切り替わらんとする頃、イ ングランド中部の河沿いにひとつの商都があった。 町は主に西側に広がり、河を渡った東岸には深い森が 迫っている。 人口2500人ほど、教会と礼拝堂と中等学校(グラマー スクール)を持ち、大通りに店々が商品を並べる。中心 街にはガラス窓をはめた煉瓦造りの三階建てが並ぶ⼀方 で、外縁では、快適で衛生的とは言いがたい、古びた住 居を兼ねた作業場で職人たちが品々を並べる。町の住人 たちだけでなく、市をあてに周囲の農民たちも集まり、 土埃の舞う舗装のされていない通りがごった返す――そ の町は、当時のイングランドにおける中規模な街並みの、 典型的なものであると言っていいだろう。 皮向こうの森に妖精の国への入り口があり、しばしば 妖精がこの世界と行き来しているという伝説があるが、 それもまた、どの町にもありそうな話だ。 首都ロンドンに出て大いに成功した劇作家が、ふらり と故郷に戻ってきたのは夏至も近い六月だった。終の棲 家を求めてと言いつつ、どうやら新作のためのネタ探し も兼ねているとの噂が立ち、それなら自分の話を聞いて くれと、我も我もで集まった。かくて劇作家が投宿した <獅子と子羊亭>(ライオン・アンド・ラム亭)で、 『カンタベリー物語』よろしく、即席の口演会が行われ 始めた。 おおよそ、1日の3分の2は太陽が空に残り、ようやく 沈んで後も明るさの残る夏の夜、劇作家の関心を買おう と各々の逸話が――事実も、誇張も、創作もまぜこぜに ――語られ続けた。教会の鐘が8時9時を知らせても、河 辺に建つ宿の喧騒は収まっていなかった。だが、それは 思わぬ形で終わりを迎える。 旅籠の裏に流れる河、その岸辺に⼀人の男が、顔を水 に突っ込んで倒れているのが発見された。すでに息はな く、調べてみれば、それが⼀昨日から<獅子と子羊亭> (ライオン・アンド・ラム亭)に投宿していた書籍商ベ ンソンと判明した。商売柄、いくつもの話を知っている と豪語していた彼だが、何故か今日の口演会には姿を見 せていなかった。その理由が、思わぬ形で明らかになっ たわけだ。顔だけ水に突っ込んで倒れたその様子は、何 らかの事件性を感じさせるに十分だった。 ベンソンが発見されたのは、旅籠の裏口からまっすぐ 河に向かった岸辺で、直線距離は10ヤード(1ヤード は約90cm)にも満たなかった。これでは外部の者の犯行 とするのははばかられた。急遽、聞き込みが行われ、ベ ンソンの姿が最後に確認されたのは夕方6時と判明する。 それから、死体となって発見された9時までの間、彼を 見た者はいなかった。 それがわかり、その3時間の所在調査が始まった。旅籠 の従業員、口演会に集まった客たち⼀人⼀人が調べられ た。そのほとんどは、常に誰かの目の内にあったが、数 人、所在の不明な時間があった。彼らは旅籠に留め置か れることとなった。もし殺人ならば――その可能性は十 分疑われる――犯人はおそらくその中にいる。 本来なら、この先は治安官の仕事だ。だが留め置かれ た者たちの中から「この中に犯人がいるなら、我々自身 で見つけ出せばいい」という声が出た。最初に誰が発し たかは分からない、だが、否定する声はなかった。理由 は治安官への不安だった。 ⼀つは、治安官が無能で、真実を見つけ出せないので はという不安。 そしてもう⼀つは、治安官が有能すぎて、要らぬ真実 まで見つけ出し、暴いてしまうのではないかという不安 だ。 ここに集まった者たちの中には、人に知られたくない、 脛に傷を持つものが含まれていた。――それも⼀人では なく。 それぞれが調べられることを⼀切忌避しないと誓約を 交わし、治安官の仕事を「軽減」してやるために、彼ら は動き始めた……。 <物語の背景> 河辺の夜の夢 <登場人物> ・劇作家ウィリアム(男性) ・医師サイモン(40代男性) ・白魔女アリゾン(30代?女性) ・大学生チャールズ(20代男性) ・行商人メアリ(30歳前後女性) ・馬ていジャック(初老男性) ・小間使いジェニー(20代後半?女性)

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Page 1: 河辺の夜の夢 - cosaic

女王エリザベス(1世、在位1558-1603)の治世の末期、百年紀が16から17へ切り替わらんとする頃、イングランド中部の河沿いにひとつの商都があった。町は主に西側に広がり、河を渡った東岸には深い森が迫っている。人口2500人ほど、教会と礼拝堂と中等学校(グラマー

スクール)を持ち、大通りに店々が商品を並べる。中心街にはガラス窓をはめた煉瓦造りの三階建てが並ぶ⼀方で、外縁では、快適で衛生的とは言いがたい、古びた住居を兼ねた作業場で職人たちが品々を並べる。町の住人たちだけでなく、市をあてに周囲の農民たちも集まり、土埃の舞う舗装のされていない通りがごった返す――その町は、当時のイングランドにおける中規模な街並みの、典型的なものであると言っていいだろう。皮向こうの森に妖精の国への入り口があり、しばしば

妖精がこの世界と行き来しているという伝説があるが、それもまた、どの町にもありそうな話だ。

首都ロンドンに出て大いに成功した劇作家が、ふらりと故郷に戻ってきたのは夏至も近い六月だった。終の棲家を求めてと言いつつ、どうやら新作のためのネタ探しも兼ねているとの噂が立ち、それなら自分の話を聞いてくれと、我も我もで集まった。かくて劇作家が投宿した<獅子と子羊亭>(ライオン・アンド・ラム亭)で、『カンタベリー物語』よろしく、即席の口演会が行われ始めた。おおよそ、1日の3分の2は太陽が空に残り、ようやく

沈んで後も明るさの残る夏の夜、劇作家の関心を買おうと各々の逸話が――事実も、誇張も、創作もまぜこぜに――語られ続けた。教会の鐘が8時9時を知らせても、河辺に建つ宿の喧騒は収まっていなかった。だが、それは思わぬ形で終わりを迎える。旅籠の裏に流れる河、その岸辺に⼀人の男が、顔を水

に突っ込んで倒れているのが発見された。すでに息はなく、調べてみれば、それが⼀昨日から<獅子と子羊亭>(ライオン・アンド・ラム亭)に投宿していた書籍商ベンソンと判明した。商売柄、いくつもの話を知っている

と豪語していた彼だが、何故か今日の口演会には姿を見せていなかった。その理由が、思わぬ形で明らかになったわけだ。顔だけ水に突っ込んで倒れたその様子は、何らかの事件性を感じさせるに十分だった。

ベンソンが発見されたのは、旅籠の裏口からまっすぐ河に向かった岸辺で、直線距離は10ヤード(1ヤードは約90cm)にも満たなかった。これでは外部の者の犯行とするのははばかられた。急遽、聞き込みが行われ、ベンソンの姿が最後に確認されたのは夕方6時と判明する。それから、死体となって発見された9時までの間、彼を見た者はいなかった。それがわかり、その3時間の所在調査が始まった。旅籠

の従業員、口演会に集まった客たち⼀人⼀人が調べられた。そのほとんどは、常に誰かの目の内にあったが、数人、所在の不明な時間があった。彼らは旅籠に留め置かれることとなった。もし殺人ならば――その可能性は十分疑われる――犯人はおそらくその中にいる。本来なら、この先は治安官の仕事だ。だが留め置かれ

た者たちの中から「この中に犯人がいるなら、我々自身で見つけ出せばいい」という声が出た。最初に誰が発したかは分からない、だが、否定する声はなかった。理由は治安官への不安だった。

⼀つは、治安官が無能で、真実を見つけ出せないのではという不安。

そしてもう⼀つは、治安官が有能すぎて、要らぬ真実まで見つけ出し、暴いてしまうのではないかという不安だ。

ここに集まった者たちの中には、人に知られたくない、脛に傷を持つものが含まれていた。――それも⼀人ではなく。それぞれが調べられることを⼀切忌避しないと誓約を

交わし、治安官の仕事を「軽減」してやるために、彼らは動き始めた……。

<物語の背景>

河辺の夜の夢

<登場人物>

・劇作家ウィリアム(男性)・医師サイモン(40代男性)・白魔女アリゾン(30代?女性)

・大学生チャールズ(20代男性)・行商人メアリ(30歳前後女性)・馬ていジャック(初老男性)・小間使いジェニー(20代後半?女性)