の から を し を とdmatの とは - jbpo.or.jp ·...

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ホスピタル ビュー 2015.8 Vol. 24 2011年に起きた未曽有の大災害、東日本大震災。その教訓を もとに、日本の新たな災害医療体制の構築が進められています。 今回は、厚生労働省DMAT事務局長を務める災害医療 センター(東京都立川市)臨床研究部長・救命救急センター 長の小井土雄一先生に、厚生労働省の「災害時における 医療体制の充実強化について」(医政発0321第2号 平成24年3月21 日)も踏まえ、DMATを中心とした災害医療体制の課題とその対策に ついてお伺いしました。 T h e f i r s t s t e p t o t h e f u t u r e 日本の災害医療体制は、1995年に起きた阪神・淡路 大震災の教訓を基に構築されました。この震災で亡く なられた6,433人のうち、約500人の方は“防ぎ得た災害 死”だった可能性が示唆されたことから、その原因を分 析し、打ち出した施策が、今日の災害医療体制の基盤と なっています(図1)。 私たちDMAT(災害派遣医療チーム)も防ぎ得た災害 死をゼロにすることをコンセプトに、災害急性期の重症 外傷に対応する医療チームとして、各災害拠点病院管轄 の下にその前身(自己完結型医療救護チーム)が誕生し ました。しかし、その後発生した新潟県中越地震では機 動力のある活動ができなかったことから、現在のような 全国組織のDMATとしてスタートした経緯があります。 このように日本の災害医療体制は、さまざまな災害に 直面するたびに、課題の検証、対策、改善を積み重ねて 形作られてきました。しかし災害の顔はそれぞれ違い、 医療ニーズも課題もまったく異なります。十分な準備の 下に再構築された災害医療体制でしたが、東日本大震 災でも多くの新たな課題が突き付けられました。 東日本大震災教訓から 課題抽出 対応策検討 災害医療体制 DMAT今後 とは 独立行政法人国立病院機構 災害医療センター 所在地/東京都立川市緑町3256 病床数/455床 図1 阪神・淡路大震災の教訓と対応策 阪神・淡路大震災以前は、日本には災害医療体制はほとんど存在しなかったといっ ても過言ではない(小井土先生)。災害の医療ニーズはそれぞれ異なり、死因に関 して遡れば、関東大震災では8割が熱傷で、阪神・淡路大震災では8割が外傷で亡 くなり、東日本大震災では9割が津波による溺死だった。 独立行政法人国立病院機構 災害医療センター 臨床研究部長・救命救急センター長 厚生労働省DMAT 事務局長 小井土 雄一 先生 災害医療を担う病院がなかった。 災害拠点病院 急性期の現場における医療が欠落していた。 DMAT 医療情報が全く伝達されなかった。 広域災害・救急医療情報システム(EMIS重症患者の広域搬送が行われなかった。広域医療搬送計画 (小井土先生ご提供資料より)

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Page 1: の から を し を とDMATの とは - jbpo.or.jp · 点病院数と、必要となるdmat数、2次隊、3次隊の派遣数 等を検証すると、明らかにdmatは不足するのです。

企画・発行

BA-XKS-375A-2015年7月作成

ホスピタル ビュー 2015.8 Vol.24

 2011年に起きた未曽有の大災害、東日本大震災。その教訓を

もとに、日本の新たな災害医療体制の構築が進められています。

 今回は、厚生労働省DMAT事務局長を務める災害医療

センター(東京都立川市)臨床研究部長・救命救急センター

長の小井土雄一先生に、厚生労働省の「災害時における

医療体制の充実強化について」(医政発0321第2号 平成24年3月21

日)も踏まえ、DMATを中心とした災害医療体制の課題とその対策に

ついてお伺いしました。

The first st

ep to

the fu

ture

 日本の災害医療体制は、1995年に起きた阪神・淡路

大震災の教訓を基に構築されました。この震災で亡く

なられた6,433人のうち、約500人の方は“防ぎ得た災害

死”だった可能性が示唆されたことから、その原因を分

析し、打ち出した施策が、今日の災害医療体制の基盤と

なっています(図1)。

 私たちDMAT(災害派遣医療チーム)も防ぎ得た災害

死をゼロにすることをコンセプトに、災害急性期の重症

外傷に対応する医療チームとして、各災害拠点病院管轄

の下にその前身(自己完結型医療救護チーム)が誕生し

ました。しかし、その後発生した新潟県中越地震では機

動力のある活動ができなかったことから、現在のような

全国組織のDMATとしてスタートした経緯があります。

 このように日本の災害医療体制は、さまざまな災害に

直面するたびに、課題の検証、対策、改善を積み重ねて

形作られてきました。しかし災害の顔はそれぞれ違い、

医療ニーズも課題もまったく異なります。十分な準備の

下に再構築された災害医療体制でしたが、東日本大震

災でも多くの新たな課題が突き付けられました。

東日本大震災の教訓から課題を抽出し対応策を検討災害医療体制とDMATの今後とは

独立行政法人国立病院機構 災害医療センター所在地/東京都立川市緑町3256病床数/455床

136人が搬送されました。SCUでトリアージを行い、広域

医療搬送の適応となった重症例16人は千歳、秋田、羽田

へ自衛隊機で搬送され、残りの120名は黄色のタグ、つま

り準緊急の該当者だったので、広域搬送はせず、被災県

で機能していた内陸部の災害拠点病院に分散搬送しま

した。

 これは、当初の広域医療搬送計画とは異なった運用で

す。計画では、SCUには重症者のみが運ばれている前提

で、SCUヘ運ばれた患者さんはすべて自衛隊機で全国へ

分散搬送されるというものでした。

 しかし今回の経験から、災害時にはさまざまな患者さ

んがSCUに運ばれ、改めてトリアージを行って搬送先を

決定する“花巻型”が現実的ではないかと考えられていま

す。そこで今後は、すべての都道府県でSCUの指定と航

空搬送計画の策定が促されただけではなく、広域医療

搬送適応外の患者さんをSCUから受け入れる協力医療

機関を近隣に定めることとし、より多様な対応が可能な

体制を実現しようとしています。

───────── ◆ ◆ ◆ ─────────

 DMATは、2011年、当初の目標数の1,000隊に到達し、

さらに震災後には災害拠点病院すべてでの配置を義務

付け、現在1,426隊まで増加しています(図5)。

 しかし、異動や高齢、出産等により毎年隊員の1割が

自然減少しています。さらに、たとえば南海トラフ地震で

は、被災のためにDMAT派遣が不可能となり得る災害拠

点病院数と、必要となるDMAT数、2次隊、3次隊の派遣数

等を検証すると、明らかにDMATは不足するのです。

 このような状況から、災害拠点病院や救命救急セン

ターではチーム数を増やすなど、今後の対策も検討され

ています。また、増員には隊員養成研修も増やす必要が

ありますが、委託先である当センターと兵庫県災害医療

センターはすでにフル稼働の状態であることから、これ

も今後の課題のひとつとなっています。

 このように、災害医療に携わる私たちにはまだまだ解

決すべき問題が残されています。しかし、これまでの経験

と教訓を肝に銘じ、より一層体制の充実に尽力し、常に

その時のベストを築き上げていくために新たな改善を

続けていきます。

図1 ■ 阪神・淡路大震災の教訓と対応策

阪神・淡路大震災以前は、日本には災害医療体制はほとんど存在しなかったといっても過言ではない(小井土先生)。災害の医療ニーズはそれぞれ異なり、死因に関して遡れば、関東大震災では8割が熱傷で、阪神・淡路大震災では8割が外傷で亡くなり、東日本大震災では9割が津波による溺死だった。

独立行政法人国立病院機構 災害医療センター臨床研究部長・救命救急センター長

 厚生労働省DMAT 事務局長

小井土 雄一 先生

● 災害医療を担う病院がなかった。 → 災害拠点病院

● 急性期の現場における医療が欠落していた。 → DMAT

● 医療情報が全く伝達されなかった。         → 広域災害・救急医療情報システム(EMIS)

● 重症患者の広域搬送が行われなかった。 → 広域医療搬送計画

図5 ■ DMAT研修の実施、修了者の状況   (2005/4/1~2015/3/31)

(小井土先生ご提供資料より)

ホスピタル ビュー 2015. 8 Vol.24

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ホスピタル ビュー 2015.8 Vol.24

   シームレスな医療提供の実現   後方連携に向けたDMATの   活動内容の見直し 東日本大震災では多くの方が津波で亡くなられた一

方で、津波被害を免れた方には重症外傷はほとんどあり

ませんでした。そのため今回の疾病構造の特徴は、超急

性期の医療ニーズは低く、災害発生の数日後から内科的

なニーズが高まるというものでした。

 一方、医療チームの活動をみると、DMATは計画通り

迅速に被災地に入ることができたものの、外傷医療ニー

ズは低く、慢性疾患の増悪、避難所での感染症等、医療

ニーズが高まった時期に必要となった救護班は、災害が

広域に及んだことや、情報不足、困難なアクセス等から

現地に行き渡るまでに時間を要し、DMATからの円滑な

引き継ぎが困難な状況でした。このために生じた時間

的・空間的な医療の空白期間に、津波被害を免れた方に

新たな防ぎ得た災害死が発生した可能性があります。

 このことから、災害急性期の重症外傷に対応するとし

てきたDMATの治療対象を、シームレスな後方連携を目

的に、“医療救護班に引き継ぐまでの間に生じるすべて

の医療ニーズ”と修正しました。具体的には、“救護班に

充分引き継げる期間”を活動期間とし、一隊の活動時間

は72時間と変更せず、状況に応じた2次隊、3次隊の追加

派遣によって活動を維持することとしました。

 またDMATの研修内容に、外傷だけではなく内科的な

疾患へも臨機応変に対応することが新たに盛り込まれま

した。病院支援に医療ニーズがなければ、避難所、救護

所等のニーズを積極的に探り、救護班までの引き継ぎ期

間に充分に対応することとしています。

   コーディネート機能の新設 救護班が行き渡るまでに時間を要したことや市役所

が流されて機能しなかったこと等から、パブリックヘルス

と公衆衛生の支援に立ち後れが生じたことも、今回の災

害の特徴のひとつです。このことから、健康危機管理・公

衆衛生的支援を行う、“DHEAT(災害時健康危機管理支

援チーム)”が震災後に立ち上がっています。

 しかし、新たな活動チームが増えるほど、それぞれが

最適の医療提供を行えるように調整する部門、専門の職

種が必要となります。また今回、活動開始時期にかかわ

らず、すべての医療チームが“発生直後から”立ち上がり、

互いに連携しながら準備を進めなければ十分な活動が

できないことも教訓となりました。

 そこで今後は、医療資源の効率的な分配と活動の調整

を担う部門として、都道府県の災害対策本部の下に“派

遣調整本部”を、二次医療圏レベルでは“地域災害医療

対策会議”を設置し、市町村を含めた3つのレベルで連

携して進めることとしました(図3)。また、それぞれのレ

ベルで中心的役割を担う職種として、“災害医療コーディ

ネーター”とそのチームを創設しました。

 コーディネーターはどのレベルに所属するかによって

職務にも違いがあり、たとえば都道府県レベルでは全域

の医療ニーズを把握した物資の投入や、自衛隊や消防、

警察等との他機関連携が、市町村レベルでは衛生関係等

も含めた現地のニーズに即した細かな調整が主な職務

となります。また、二次医療圏の地域災害医療対策会議

においては、災害医療コーディネーターが中心となり、平

時から災害拠点病院、保健所、消防、警察、医師会等によ

る会議を行い、それぞれのキーパーソンと顔の見える関

係を築くことが必要です。これにより、災害時には医療機

関、避難所、救護所の状況や医療ニーズの集約を円滑に

進め、派遣調整本部から送られてくる救護班を適所に分

配します。すでにそれぞれのレベルで災害医療コーディ

ネーター育成研修が進められており、当センターでも厚

生労働省から都道府県レベルの育成の委託を受け、研修

を実施しているところです。

 これらの細かな役割、権限等についてはまだ試行錯誤

中で、実効性のあるものに育つには時間が必要です。し

かし、特に国からの援助が現場に届きにくい広域災害時

には、“地域は地域で守る”必要があると考えると、このよ

うな新たな組織・役割の連携が被災時の対応を大きく変

えるに違いないと確信しています。

   EMISの入力状況の改善   通信機能の確保と入力の促進 出動要請や参集拠点の連絡、現地での383隊すべて

の活動状況の把握まで、東日本大震災ではEMIS(広域災

害・救急医療情報システム)におけるDMATの情報共有機

能の有効性が証明されたと言えます。しかし、第一の役割

である病院被災状況の収集については多くの課題を残し

ました。EMISへの加入が徹底されていなかったことや、被

害が大きかった沿岸部では通信インフラの破壊や衛星

電話等の不備により入力ができず、二次医療圏まで含め

た被災状況を把握して“適才適所”に医療資源を分配する

というDMATの戦略に、大きく支障をきたしました。

 そこで今後は、まずEMISの加入とすべての病院のID、パ

スワードの保持を促し、インターネットに接続可能な衛星

電話の設置とともに、防災無線等を確保することとしま

した。さらに、EMISを確実にマスターするように、各都道

府県で年に数回の入力訓練を実施しています。

 また、避難所、救護所等の情報入力も可能にしました。

救護班や医療チーム、災害コーディネーター等が、幅広

い情報から正確な医療ニーズを把握することにより機能

的な活動が行われることが期待されています。

 “情報が災害を制する”という言葉があります。また、

被災情報を発信して初めて支援の手も届きます。最低限

の状況の入力の徹底をお願いするとともに、スピーディ

な入力が可能なユーザーフレンドリーなシステムを開発

することも今後の課題としています。

   後方支援部門の充実   ロジスティック専門チームの創設と   ロジステーション拠点構想

 東日本大震災では空路、陸路の両方から支援に入り

ましたが、空路で向かったDMATは現地での足が、陸路

の場合でもガソリンが確保できず、活動が制約される事

態となりました。また、食糧や医療資機材も充分ではな

かったなど、医療活動の後方支援を行う専門部門が存在

していない点が課題として挙げられました。

 そこで新たに、中央管轄のロジスティックチームと備

蓄拠点となるロジステーションの導入が検討され、昨年

度から隊員養成研修が開始されています。チーム構成員

の対象はインストラクター研修を受けたDMAT隊員で、

すでに150人が受講しました。

 ロジステーション拠点構想の実現に向けては、ロジス

テーションを被災地内のSCU(広域搬送拠点臨時医療施

設)、または被災地直前のサービスエリアに設置する方

向です(図4)。医薬品、酸素等の物資の運搬や移動手段

の確保等では、トラック協会、タクシー会社、バス会社等

の民間企業と協定を結び、さらに通信機能の充実に

向け、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の協力の下にパラ

ボラアンテナを当センターで管理し、被災地に持ち込む

訓練等も進めています。

   広域医療搬送の見直し   “花巻型”をモデルに広域医療搬送   システムを再構築

 東日本大震災では初めて広域医療搬送が行われまし

たが、事前に策定されていたいくつかの広域医療搬送計

画の中に、宮城県沖での地震は含まれてはいませんでし

た。そのような状況にも関わらず、自衛隊の協力を得て

SCUを花巻空港に設置することができたのは、今回の

ひとつの成果だと考えています。

 SCUには、ドクターヘリや防災ヘリ等によって4日間で

図2 ■ 東日本大震災の教訓から明らかになったDMATの課題と対応策 図4 ■ DMATロジスティックチーム隊員等の活動時の配置   【 指揮下のDMATのロジスティクス(DMATの活動に関わる通信、    移動手段、医薬品、生活手段等の確保)】

図3 ■ 東日本大震災を踏まえた急性期における医療提供体制の考え方   【 超急性期(~48時間)~移行期(~約5日間)】

対策②

対策①

課題 1

対策

課題 2

対策

課題 3

対策

課題 4

Page 3: の から を し を とDMATの とは - jbpo.or.jp · 点病院数と、必要となるdmat数、2次隊、3次隊の派遣数 等を検証すると、明らかにdmatは不足するのです。

ホスピタル ビュー 2015.8 Vol.24

   シームレスな医療提供の実現   後方連携に向けたDMATの   活動内容の見直し 東日本大震災では多くの方が津波で亡くなられた一

方で、津波被害を免れた方には重症外傷はほとんどあり

ませんでした。そのため今回の疾病構造の特徴は、超急

性期の医療ニーズは低く、災害発生の数日後から内科的

なニーズが高まるというものでした。

 一方、医療チームの活動をみると、DMATは計画通り

迅速に被災地に入ることができたものの、外傷医療ニー

ズは低く、慢性疾患の増悪、避難所での感染症等、医療

ニーズが高まった時期に必要となった救護班は、災害が

広域に及んだことや、情報不足、困難なアクセス等から

現地に行き渡るまでに時間を要し、DMATからの円滑な

引き継ぎが困難な状況でした。このために生じた時間

的・空間的な医療の空白期間に、津波被害を免れた方に

新たな防ぎ得た災害死が発生した可能性があります。

 このことから、災害急性期の重症外傷に対応するとし

てきたDMATの治療対象を、シームレスな後方連携を目

的に、“医療救護班に引き継ぐまでの間に生じるすべて

の医療ニーズ”と修正しました。具体的には、“救護班に

充分引き継げる期間”を活動期間とし、一隊の活動時間

は72時間と変更せず、状況に応じた2次隊、3次隊の追加

派遣によって活動を維持することとしました。

 またDMATの研修内容に、外傷だけではなく内科的な

疾患へも臨機応変に対応することが新たに盛り込まれま

した。病院支援に医療ニーズがなければ、避難所、救護

所等のニーズを積極的に探り、救護班までの引き継ぎ期

間に充分に対応することとしています。

   コーディネート機能の新設 救護班が行き渡るまでに時間を要したことや市役所

が流されて機能しなかったこと等から、パブリックヘルス

と公衆衛生の支援に立ち後れが生じたことも、今回の災

害の特徴のひとつです。このことから、健康危機管理・公

衆衛生的支援を行う、“DHEAT(災害時健康危機管理支

援チーム)”が震災後に立ち上がっています。

 しかし、新たな活動チームが増えるほど、それぞれが

最適の医療提供を行えるように調整する部門、専門の職

種が必要となります。また今回、活動開始時期にかかわ

らず、すべての医療チームが“発生直後から”立ち上がり、

互いに連携しながら準備を進めなければ十分な活動が

できないことも教訓となりました。

 そこで今後は、医療資源の効率的な分配と活動の調整

を担う部門として、都道府県の災害対策本部の下に“派

遣調整本部”を、二次医療圏レベルでは“地域災害医療

対策会議”を設置し、市町村を含めた3つのレベルで連

携して進めることとしました(図3)。また、それぞれのレ

ベルで中心的役割を担う職種として、“災害医療コーディ

ネーター”とそのチームを創設しました。

 コーディネーターはどのレベルに所属するかによって

職務にも違いがあり、たとえば都道府県レベルでは全域

の医療ニーズを把握した物資の投入や、自衛隊や消防、

警察等との他機関連携が、市町村レベルでは衛生関係等

も含めた現地のニーズに即した細かな調整が主な職務

となります。また、二次医療圏の地域災害医療対策会議

においては、災害医療コーディネーターが中心となり、平

時から災害拠点病院、保健所、消防、警察、医師会等によ

る会議を行い、それぞれのキーパーソンと顔の見える関

係を築くことが必要です。これにより、災害時には医療機

関、避難所、救護所の状況や医療ニーズの集約を円滑に

進め、派遣調整本部から送られてくる救護班を適所に分

配します。すでにそれぞれのレベルで災害医療コーディ

ネーター育成研修が進められており、当センターでも厚

生労働省から都道府県レベルの育成の委託を受け、研修

を実施しているところです。

 これらの細かな役割、権限等についてはまだ試行錯誤

中で、実効性のあるものに育つには時間が必要です。し

かし、特に国からの援助が現場に届きにくい広域災害時

には、“地域は地域で守る”必要があると考えると、このよ

うな新たな組織・役割の連携が被災時の対応を大きく変

えるに違いないと確信しています。

   EMISの入力状況の改善   通信機能の確保と入力の促進 出動要請や参集拠点の連絡、現地での383隊すべて

の活動状況の把握まで、東日本大震災ではEMIS(広域災

害・救急医療情報システム)におけるDMATの情報共有機

能の有効性が証明されたと言えます。しかし、第一の役割

である病院被災状況の収集については多くの課題を残し

ました。EMISへの加入が徹底されていなかったことや、被

害が大きかった沿岸部では通信インフラの破壊や衛星

電話等の不備により入力ができず、二次医療圏まで含め

た被災状況を把握して“適才適所”に医療資源を分配する

というDMATの戦略に、大きく支障をきたしました。

 そこで今後は、まずEMISの加入とすべての病院のID、パ

スワードの保持を促し、インターネットに接続可能な衛星

電話の設置とともに、防災無線等を確保することとしま

した。さらに、EMISを確実にマスターするように、各都道

府県で年に数回の入力訓練を実施しています。

 また、避難所、救護所等の情報入力も可能にしました。

救護班や医療チーム、災害コーディネーター等が、幅広

い情報から正確な医療ニーズを把握することにより機能

的な活動が行われることが期待されています。

 “情報が災害を制する”という言葉があります。また、

被災情報を発信して初めて支援の手も届きます。最低限

の状況の入力の徹底をお願いするとともに、スピーディ

な入力が可能なユーザーフレンドリーなシステムを開発

することも今後の課題としています。

   後方支援部門の充実   ロジスティック専門チームの創設と   ロジステーション拠点構想

 東日本大震災では空路、陸路の両方から支援に入り

ましたが、空路で向かったDMATは現地での足が、陸路

の場合でもガソリンが確保できず、活動が制約される事

態となりました。また、食糧や医療資機材も充分ではな

かったなど、医療活動の後方支援を行う専門部門が存在

していない点が課題として挙げられました。

 そこで新たに、中央管轄のロジスティックチームと備

蓄拠点となるロジステーションの導入が検討され、昨年

度から隊員養成研修が開始されています。チーム構成員

の対象はインストラクター研修を受けたDMAT隊員で、

すでに150人が受講しました。

 ロジステーション拠点構想の実現に向けては、ロジス

テーションを被災地内のSCU(広域搬送拠点臨時医療施

設)、または被災地直前のサービスエリアに設置する方

向です(図4)。医薬品、酸素等の物資の運搬や移動手段

の確保等では、トラック協会、タクシー会社、バス会社等

の民間企業と協定を結び、さらに通信機能の充実に

向け、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の協力の下にパラ

ボラアンテナを当センターで管理し、被災地に持ち込む

訓練等も進めています。

   広域医療搬送の見直し   “花巻型”をモデルに広域医療搬送   システムを再構築

 東日本大震災では初めて広域医療搬送が行われまし

たが、事前に策定されていたいくつかの広域医療搬送計

画の中に、宮城県沖での地震は含まれてはいませんでし

た。そのような状況にも関わらず、自衛隊の協力を得て

SCUを花巻空港に設置することができたのは、今回の

ひとつの成果だと考えています。

 SCUには、ドクターヘリや防災ヘリ等によって4日間で

図2 ■ 東日本大震災の教訓から明らかになったDMATの課題と対応策 図4 ■ DMATロジスティックチーム隊員等の活動時の配置   【 指揮下のDMATのロジスティクス(DMATの活動に関わる通信、    移動手段、医薬品、生活手段等の確保)】

図3 ■ 東日本大震災を踏まえた急性期における医療提供体制の考え方   【 超急性期(~48時間)~移行期(~約5日間)】

対策②

対策①

課題 1

対策

課題 2

対策

課題 3

対策

課題 4

Page 4: の から を し を とDMATの とは - jbpo.or.jp · 点病院数と、必要となるdmat数、2次隊、3次隊の派遣数 等を検証すると、明らかにdmatは不足するのです。

企画・発行

BA-XKS-375A-2015年7月作成

ホスピタル ビュー 2015.8 Vol.24

 2011年に起きた未曽有の大災害、東日本大震災。その教訓を

もとに、日本の新たな災害医療体制の構築が進められています。

 今回は、厚生労働省DMAT事務局長を務める災害医療

センター(東京都立川市)臨床研究部長・救命救急センター

長の小井土雄一先生に、厚生労働省の「災害時における

医療体制の充実強化について」(医政発0321第2号 平成24年3月21

日)も踏まえ、DMATを中心とした災害医療体制の課題とその対策に

ついてお伺いしました。

The first st

ep to

the fu

ture

 日本の災害医療体制は、1995年に起きた阪神・淡路

大震災の教訓を基に構築されました。この震災で亡く

なられた6,433人のうち、約500人の方は“防ぎ得た災害

死”だった可能性が示唆されたことから、その原因を分

析し、打ち出した施策が、今日の災害医療体制の基盤と

なっています(図1)。

 私たちDMAT(災害派遣医療チーム)も防ぎ得た災害

死をゼロにすることをコンセプトに、災害急性期の重症

外傷に対応する医療チームとして、各災害拠点病院管轄

の下にその前身(自己完結型医療救護チーム)が誕生し

ました。しかし、その後発生した新潟県中越地震では機

動力のある活動ができなかったことから、現在のような

全国組織のDMATとしてスタートした経緯があります。

 このように日本の災害医療体制は、さまざまな災害に

直面するたびに、課題の検証、対策、改善を積み重ねて

形作られてきました。しかし災害の顔はそれぞれ違い、

医療ニーズも課題もまったく異なります。十分な準備の

下に再構築された災害医療体制でしたが、東日本大震

災でも多くの新たな課題が突き付けられました。

東日本大震災の教訓から課題を抽出し対応策を検討災害医療体制とDMATの今後とは

独立行政法人国立病院機構 災害医療センター所在地/東京都立川市緑町3256病床数/455床

136人が搬送されました。SCUでトリアージを行い、広域

医療搬送の適応となった重症例16人は千歳、秋田、羽田

へ自衛隊機で搬送され、残りの120名は黄色のタグ、つま

り準緊急の該当者だったので、広域搬送はせず、被災県

で機能していた内陸部の災害拠点病院に分散搬送しま

した。

 これは、当初の広域医療搬送計画とは異なった運用で

す。計画では、SCUには重症者のみが運ばれている前提

で、SCUヘ運ばれた患者さんはすべて自衛隊機で全国へ

分散搬送されるというものでした。

 しかし今回の経験から、災害時にはさまざまな患者さ

んがSCUに運ばれ、改めてトリアージを行って搬送先を

決定する“花巻型”が現実的ではないかと考えられていま

す。そこで今後は、すべての都道府県でSCUの指定と航

空搬送計画の策定が促されただけではなく、広域医療

搬送適応外の患者さんをSCUから受け入れる協力医療

機関を近隣に定めることとし、より多様な対応が可能な

体制を実現しようとしています。

───────── ◆ ◆ ◆ ─────────

 DMATは、2011年、当初の目標数の1,000隊に到達し、

さらに震災後には災害拠点病院すべてでの配置を義務

付け、現在1,426隊まで増加しています(図5)。

 しかし、異動や高齢、出産等により毎年隊員の1割が

自然減少しています。さらに、たとえば南海トラフ地震で

は、被災のためにDMAT派遣が不可能となり得る災害拠

点病院数と、必要となるDMAT数、2次隊、3次隊の派遣数

等を検証すると、明らかにDMATは不足するのです。

 このような状況から、災害拠点病院や救命救急セン

ターではチーム数を増やすなど、今後の対策も検討され

ています。また、増員には隊員養成研修も増やす必要が

ありますが、委託先である当センターと兵庫県災害医療

センターはすでにフル稼働の状態であることから、これ

も今後の課題のひとつとなっています。

 このように、災害医療に携わる私たちにはまだまだ解

決すべき問題が残されています。しかし、これまでの経験

と教訓を肝に銘じ、より一層体制の充実に尽力し、常に

その時のベストを築き上げていくために新たな改善を

続けていきます。

図1 ■ 阪神・淡路大震災の教訓と対応策

阪神・淡路大震災以前は、日本には災害医療体制はほとんど存在しなかったといっても過言ではない(小井土先生)。災害の医療ニーズはそれぞれ異なり、死因に関して遡れば、関東大震災では8割が熱傷で、阪神・淡路大震災では8割が外傷で亡くなり、東日本大震災では9割が津波による溺死だった。

独立行政法人国立病院機構 災害医療センター臨床研究部長・救命救急センター長

 厚生労働省DMAT 事務局長

小井土 雄一 先生

● 災害医療を担う病院がなかった。 → 災害拠点病院

● 急性期の現場における医療が欠落していた。 → DMAT

● 医療情報が全く伝達されなかった。         → 広域災害・救急医療情報システム(EMIS)

● 重症患者の広域搬送が行われなかった。 → 広域医療搬送計画

図5 ■ DMAT研修の実施、修了者の状況   (2005/4/1~2015/3/31)

(小井土先生ご提供資料より)

ホスピタル ビュー 2015. 8 Vol.24