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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 成熟企業の経営戦略(Management Innovation in Matured Firms) 著者 Author(s) 加護野, 忠男 掲載誌・巻号・ページ Citation 国民経済雑誌,159(3):85-102 刊行日 Issue date 1989-03 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/00173852 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00173852 PDF issue: 2020-10-15

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le 成熟企業の経営戦略(Management Innovat ion in Matured Firms)

著者Author(s) 加護野, 忠男

掲載誌・巻号・ページCitat ion 国民経済雑誌,159(3):85-102

刊行日Issue date 1989-03

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/00173852

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00173852

PDF issue: 2020-10-15

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成 熟 企 業 の 経 営 戦 略

加 護 野 忠 男

売上高のかなりの比率を占める主力事業の成長が鈍化した企業が,再び自ら

を成長軌道に乗るために,新しい事業-進出をした り,既存事業を新しい戦略1

発想で再活性化することを,脱成熟化と呼ぶ。この論文では,このような脱成

熟化がいかにしておこなわれるのか,を考えることにしよう。

Ⅰ 成長の経済と脱成熟化

企業が,一定の率で成長を続けることによって,長期的な効率がよくなると2

いう現象を 「成長の経済」と呼ぶ。成長の経済をもたらすもっとも重要な源泉

紘,人々の学習能力である。人々は,日常の仕事を通じて,能力や知識を蓄積

して行 く。このような能力や知識の蓄積によって,仕事に投入されるェネルギ

ーや時間を節約することができる。たとえば,製造現場の人々は,より上手に

機械を使いこなすための熟練を獲得するであろう。それによって,作業時間が

短縮された り,これまで1台しか担当することができなかった機械工が,複数

の枚械を同時に使いこなすことができるようになるであろう。営業部門の人々

は,仕事を通じて,顧客との人的な関係をつ くりだす。関係を築 くまでは,い

ちいち訪問しなければ注文が取れなかったが,いったん関係がっくられてしま

うと,電話で注文を取れるようになるかもしれない。関係を築 く努力と比べれ

1 脱成熟化,dematurityとは,もともと既存事業でのイノベーションを通じて,企業を再び成長

軌道に乗せるためのアクションあるいは戦略を意味する言葉であるが,ここでは,その意味を広く

使っている0

2 成長の経済にかんしては,E.Penrose,TheTheoryoftheGrowthoftheFirm,London:

BasilBlackwell,(末松玄六訳『会社成長の理論』ダイヤモンド私 1980年)参照O

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ば,関係を維持する努力は少なくてすむ。また,おなじ集団が仕事を続けてお

れば,お互いの性癖についての知識が獲得され,どうすればうまくやっていけ

るかについて知恵も得られる。いちいち言葉で伝達し合わなくても,以心伝心

で気心が通じるようになる。それによって,伝達に要する時間やェネルギーは

節約できるのである。これらはすべて学習がもたらす効果である。学習によっ

て,時間や努力が倹約できるのである。

仕事の量が増えなければ,このようにして節約された時間やエネルギーは,

未利用のまま放置されるだけである。目に見えないロスである。もちろん,そ

れによってコス トが上昇するわけではない。しかし,この時間やエネルギーを

生産的に利用することができれば,このロスを減らすことができる。未利用の

余剰資源は,機会損失という目に見えないロスをもたらしているのである。

また,ある種の組織では,企業内の余剰資源が,非生産的な仕事の量を増や

すという傾向すら見られる。暇があるために,書類の紳かな ミスの発見に時間

が費やされた り,徴にい り細にわたる点検が加えられた りするという現象であ

る。そのため,完壁な書類を書くために,必要以上の時間とエネルギーを費や

さなければならなくなるという非効率が生じる。未利用の余剰資源が,目に見

えないロスだけでなく,目に見えるロスをも生み出してしまうケースである。

このような非効率は,大規模な官僚的な組織で生じがちである。余剰資源の存

在が官僚制の弊害を助長してしまうのである。このような意味からも,未利用

の余剰資源を有効に利用する方法が考えられなければならない。

このような目に見えないロスを, 「余剰経営資源」と呼ぶことができる。学

習は,継続的に余剰経営資源をつくりだしている。この余剰経営資源を有効に

利用するにはどのようにすればよいのだろうか。

1つは,未利用の経営資源の蓄積に応じて,人を減らすことである。個々の

人の能力や知識の蓄掛 こ応じて,個々の人の仕事の量を増やし,人の数を減少

させることである。しかし,この方法は人々の側に,別の意味で,学習をもた

らすであろう。学習を通じて,能力や知識を蓄積すると,誰かが仕事を失 うこ

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とになるという法則の学習である。この法則が学習されてしまうと,人々は,

能力や知識の修得という学習を抑制するであろう。なぜなら,それが誰かの職

を奪ってしまうことになるからである。知識の修得を抑制するという適応が起

これば,新たな非効率が生じてしまう。

未利用の資源を生産的に利用する第 2の方法は,仕事の量を増やすこと,つ

まり,企業の事業活動を増大することである。企業を成長させることである。

つまり,人々の学習の率と事業の拡大の率とを同じにすることによって企業の

内部での資源利用の効率を最も高めることができる。これが,第2の方法であ

る。人の自然な学習の率と等しい成長率を 「消極的な最適成長率」と呼ぶこと

ができる。

しかし,現実の企業は,この消極的な最適成長率よりももう少し高い率で成

長を続けることによって,長期的な効率を最大にすることができる。なぜその

ようなことが起こるのか。仕事の量が,学習の率を決めるという逆の因果関係

があるからである。企業が消極的な最適成長率よりも少しだけ高い成長をして

いるときには,それぞれの人々は,自然な学習の率を超えるような無理な仕事

をしなければならなくなる。それによって,仕事の短期的な効率は低下するか

もしれない。しかし,自分自身の能力を少し超えるような (適度のス トレスが

あるような)仕事をしているときには,学習は促進されるという一般的な法則

がある。適度の無理をつくりだすことによって,学習の効果は高まるのである。

もちろん,無理が大きすぎると,仕事の短期的な効率もいっそう低下するし,

学習の効率も低下する。はっきりとは特定できないが,消極的な最適成長率よ

りも少し高いどこかのレベルに,積極的な意味での最適成長率が存在している

のである。ビジネスの世界で 「少数精鋭」という言葉は, 「少数にすれば精鋭

になる」というふうに解釈されるべきだといわれることがあるが,この主張は,

積極的な最適成長率の存在を示唆している。

成長は,企業内部の人々にもインセンティブとなる。成長によって,雇用は

安定するし,内部からの昇進の機会も増える。それによって,人々の貢献意欲

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や学習意欲を高めることができる。また,長期雇用,年功賃金,内部昇進とい

う原則をもとに経営されている日本企業では,成長は,労働コス トの上昇を押

さえることができるというメリットをもっている。なぜなら,成長によって新

卒の採用が増えれば,平均賃金の上昇を押さえることができる (ときには,辛

均賃金を下げることすら可能になる)。 このように,事業が順調な成長を続け

ているかぎり,企業のなかには良好な循環が生み出される。事業の拡大が,人

々を動機づけ,人々の能力の拡大を促し,それがもたらす効率化が一層の企業

成長を促すという循環である。

しかし,企業の成長を支えてきた主力事業の成長力が失われ,成長が鈍化し

てくると,企業のなかにさまざまな問題が発生しはじめる。成長の経済は実現

されなくなり,効率は低下する。労働コス トは上昇しはじめる。昇進の機会が

かぎられるために,社内のモラールも低下する。能力以下の仕事しかできない

ために,個々人の能力の拡大も抑制される。官僚制の弊害が助長されるかもし

れない。

これらの問題を解消するためには,企業をふたたび成長軌道に乗せなければ

ならない。主力事業の成熟化に対応して,あるいはそれを先取 りして,企業の

成長力を回復する一連のアクションを,脱成熟化という。

脱成熟化には,基本的には二つの方向がある。第 1は,一新事業の開発による

事業構造の転換である。旭化成や帝人,東レ,住友電工は,それによって成長

力を回復した例である。第 2は,新商品あるいは新事業システムによる成熟事

業の再活性化である。宝酒造の 「純」, ミノルタの 「α7000」,アサヒビールの

「スーパー ドライ」がその例である。この二つの道は,一方を選べば他方を選

ぶことはできないという排他性をもつものではない。二つの道を同時に追求す

ることも可能である。

いずれの道を選ぶにせよ,脱成熟化の過程では,主力事業のなかで培われて

きた事業運営についての基本的な考え方 (パラダイム)の転換が必要である。

脱成熟化は企業パラダイムの転換と呼応しているのである。

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小論では,パラダイム転換をともなうような脱成熟化がいかにして行われる

かを考えることにしよう。現在,いくつかの産業では,脱成熟化が焦眉の課題

となっている。しかし,脱成熟化はこれら特定産業だけの戦略課題ではない。

産業の成長にライフサイクルがあるとすれば,すべての企業は,いずれは脱成

熟化という課題に直面することになる。違いは,それがやってくる時間が遅い

か,はやいかである。

ⅠⅠ 脱成熟化の遅れ

脱成熟化のためのアクションは,ともすれば遅れがちである。理想論として

は,主力事業の成熟化に先立って,成長鈍化の兆しを察知して,事前にそれに

対応する手だてをうっておくことが望ましい。そのように行動して,脱成熟化

に成功した企業も存在する。しかし,脱成熟化の対応は遅れがちである。とり

わけ,単一事業で均一な企業文化をもっている (単品 ・モノカルチャー型)企

業では,その遅れがかなり長 くなるのが普通である。たとえば,日本の大手鉄

鋼メーカーが脱成熟化のアクションを本格化したのは,粗鋼生産量のピークか

ら10年以上もたってからである。このような対応の遅れは,じつは,組織とい

う集団における思考や感情の力学の自然な結果である。それが脱成熟化の障害

となり,その遅れをもたらすのである。

第 1の障害は,主力事業の成熟化という事実そのものの認識の難しさである。

業界の成熟化は一気に起こるのではなく,波動をもって忍び寄る。市場は 「ま

だ行ける」というシグナルを送 りつづける。多くの企業は何度かの山と谷を経

験してはじめて,成熟という事実に気づくのである。

第 2の障害は,これまでの事業運営のパラダイムでも十分に対応可能だとい

う意識である。成熟期にはいっても,これまでのパラダイムがいっきょに通用

しなくなるわけではない。既存やパラダイムにもとづいたアクションを強化す

れば,市場はそれに応える。そのために問題が先送 りになり,問題がよりいっ

そう深刻化する。

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第三の障害は,規模感覚の麻痔である。大規模な本業の脱成熟化に対応して

成長力を取 り戻すには,ある程度の規模の新事業を追加しなければならない。

しかし,ある程度の事業規模を達成できそうな成長業種は限られている。機会

はきわめて限られているように見える。また,そのそうな業種は,他社も日を

つけるために,進出後の競争も厳しく,成功は難しい。これとよく似ているの

ほ,利益感覚の麻痔である。主力事業が成熟すると,事業は回収期にはい り,

企業の利益率は上昇する。この利益率を基準にすると,他分野は魅力のないも

のに見えてくる。また,増収 ・増益という基調を破 りかねない先行投資に,経

営者が蹟曙することもある。

最後は,本流意識である。単品 ・モノカルチャーの会社では,本流意識が強

く,新事業への人事異動が左遷とみなされ,新事業担当者の意気を消沈させる。

このような状況で,新事業-の探索的な投資が行われたとしても,投資は小出

しになりがちで,成果をあげるまでに至らない。それが 「やは り本業に依存す

るしかない」という意識を強めてしまう。

これ らの障害を克服するには何が必要となるのだろうか。その方法を明らか

にするには,人々の感情やものの見方の変化のダイナ ミズムを理解し,それに

働きかけなければならない。脱成熟化に成功した企業は,一連のアクションを

つうじて,変化の流れをつ くりだしている。

ⅠⅠⅠ 脱成熟化のプロセスと失敗

多 くの企業の脱成熟化の成功例を観察していて気づ くのは,脱成熟化がス ト

レー トなプロセスではなく,回 り道を含むプロセスだということである。脱成

熟化のプロセスで,いくつかの失敗が見られるのである。具体例でみてみよう。3

アメ1)カの電子メーカー,モ トローラは,もともと自動車ラジオのメーカ-

であったが,戦後はテレビなどの通信機器に進出し,成長を遂げてきた。しか

3 モトローラについては,加護野忠男 ・野中郁次郎 ・榊原清則 ・奥村昭博 『日米企業経営比較』日

本経済新聞社,1983年,第3章,参照。

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し,テレビの国際競争力の低下によって,企業成長が鈍化するという成熟化を

迎えた。成熟化の初期の段階では,同社は,めったやたらな多角化を行った。

その多くは,買収という手段によるものであったが,一時は,戦略なき会社と

抑旅されることさえあった。しかし,その後は,戦略を確立し,通信機,半導

体,コンピュータを3本の柱とする事業構造を確立した。4

アメ1)カのタバコ会社も同様であるD健康-の悪影響の認識の広まり,嫌煙

権運動の盛 り上が りによって,アメリカのタバコ産業は,急速に成熟期を迎え

ることになった。各企業は,60年代の後半から積極的な多角化を開始 した。

RJRは,包装用晶,食品,飲料,コンテナー輸送,石油などの進出し,フィ

リップ ・モリスも,食品,飲料,シェ-ビング用品,工業製品,病院サービス,

チューイソグ ・ガム,ど-ル,地域開発,紙製品など-進出をしたoLかし,

そのなかでうまく行かなかったものも多い。フィリップ ・モリスは,その後,

病院サービスや飲料事業から撤退している。5

日本の企業も同様である。終戦直後の帝人は,人絹の成熟化に直面し,合成

線維 (ポリエステル)-の多角化に取 り組んだ。この合成繊維も,成熟化を迎

えると,帝人は,多様な方向-の多角化に取 り組むことになった。1968年には,

未来事業部が設置され,食料,石油,自動車販売,化粧品,医薬などの事業-

の多角化が開始された。そのおおくほ成功しなかったが,現在では,医薬事業

が会社の売上高の10%を占めるまでになっている。6

住友電工も,同様である。住友電工は,かつては電線を主力とする企業であ

ったが,現在は,光ファイバー,半導体,病院システムなど,多様な事業をよ

うする企業に変身している。しかし,これら多くの事業の種蒔は,1960年代に

行われたもので, 「何にでも食いつくダボ-ゼ」とさえ言われた時代でもある。

期待通 りの成果をあげなかった事業もある。現在は主力事業の1つとなってい

4 アメリカのタバコ産業の多角化については,R.H.Miles,CojfinNailsandCorbOraieStra-

tegy,EnglrwoodCliffs,N.J.,Prentice-Hall,1982,参照。

5 帝人については,加護野忠男 ・山路直人 「帝人」神戸大学経営学部ケース.参照。

6 住友電工については,広田俊郎 「住友電工」関西生産性本部ケース,参照。

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るガリウムひ素の導体も,一時は失敗ということでプロジェク トが解散させら

れたこともある。

カメラ ・メーカーからの脱成熟化に成功したキャノンも同様である。初期の

多角化のプロジェク トであったシンクロリーダーは,失敗に終わったし,電卓

もカシオとの戦いに敗北してしまった。焼酎の成熟化に直面した宝酒造は,ど

ールに進出し,手痛い打撃を被った。新しいタイプの焼酎, 「純」の成功は,

その失敗の後に起 こっている。

このほかにも,脱成熟化の成功例の多 くで,個々のプロジェクトでの失敗が

見られる。なぜ,このような失敗が起こるのか。それは避けることのできない

ものなのか。あるいは,失敗は,脱成熟化のプロセスで,何か重要な役割を果

たしているのだろうか。この疑問に答えるためには,脱成熟化のプロセスを ト

ータルに眺めてみる必要がある。

ⅠⅤ 脱成熟化のプロセス

脱成熟化には, トップ経営者がきわめて重要な役割を演じるといわれている。

たしかに,経営者の勇気ある決断が脱成熟化の重要なテコになっていると考え

られるケースは多い。しかし,その決定が行われた前後の状況を詳しく眺めて

みると,そこに重要なプロセスが隠されていることがわかる。

脱成熟化は,一回かぎりの重要な意思決定によって実現されるのではなく,

多くの人々の長い期間にわたる数多くの意思決定とアクションの流れの結果で

あ り,その産物である。経営者の重大な決断は,それがきわめて重要な位置を

占めるとはいえ,このプロセスの-コマにすぎない。むしろ,脱成熟化は,時

間的なプロセスと見なされなければならない。

脱成熟化のプロセスは,企業によってまちまちである。このプロセスを,本

業がまだ成長しているうちに始める企業もあれば,本業の成熟化が誰の日にも

明らかになってからようや く始める企業もある。すでにのべたように,後者の

方が圧倒的に多い。また,脱成熟化に長い時間をようした企業もあるし,短期

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の間に成し遂げた企業もある。このような違いがあるものの,多くの企業に共

通した脱成熟化のプロセスがある。ここでは,それを,仮説的に,四つの段階

にまとめてみよう。この段階は,明確に区切ることのできるものというよりは,

むしろ,ー相互に浸透しあったプロセスである。

第 1は,主力事業部門が成熟した,あるいは成熟が間近に迫っているという

ことを認識するプロセスである。これまでの事業運営の発想 (パラダイム)で

は,企業としての健全な発展は望めないということを,組織として認識する段

階である。この段階を 「成熟の認識」のプロセスとよぶことにしよう0

第 2は,成熟の認識を背景に,これまでの発想とは異なったアクション,あ

るいは新事業-の進出が開始され,続けられる段階である。一見すると,場当

り的で,後から振 り返ってみると,無駄な回 り道と思われるアクションが数多

く取られる時期である。この段階をわれわれは,「戦略的学習」の段階と呼べ

るのではないかと考えている。

第 3は,戦略的な学習を通じて,徐々に明確な戦略が浮び上がってくる段階

である。企業の進むべき方向,企業の再成長の 「ドライビング・フォース」と

なる資源や能力が明らかになる段階である。この段階では,経営資源の傾斜的

再配分が行われはじめる。経営者の重大な決断が見られる時期でもある。この

段階を 「戦略の再構築」の段階と呼ぶことができる。

最後は,企業が新たな成長軌道のなかで,自信にあふれた戦略を展開する時

期である。新しいパラダイムが定着する時期でもある。この段階を 「変化の拡

大再生産」の段階と呼ぶことができる。

これらの四つのプロセスはお互いに重なりあっている (図1)。 それぞれの

プロセスがいつ開始され,どの程度の期間続 くかほ,企業によって異なる。し

かし,期間の違いはあれ,この4つのプロセスは多くの企業に共通して見られ

る。もちろん,例外はある。

これら4つの段階のそれぞれは,企業の脱成熟化にとって,重要な役割を演

じている。それぞれの段階で,企業のなかで何が起こっているのか。

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図1 脱成熟化の4段階のプロセス

成 熟 の 認 識

戦 略 的 学 習

戦 略 の 再 構 築

変化の拡大再生産

≡≡≡≡誉コ

時間

Ⅴ 成 熟 の 認 識

脱成熟化の第一段階は,成熟の認識である。主力事業が成熟化したあるいは,

成熟化しそうだという認識が,組織のなかに浸透していく時期である。外部の

観察者からみるとしごく当然のこの事実の認識が,組織のなかに浸透するには

時間がかかるし,大変な努力が必要である。市場からの矛盾したシグナル,倭

然として威力を発揮し続ける既存の発想の枠組 (パラダイム), 事業に対する

心理的な愛着,組織部門間の利害対立などが,認識を遅らせる原因である。

この認識はまずごく一部の人々から始まり,かれらの説得によって,徐々に

広がっていく。それがクリティカル ・マスに達した後は,急速に広まっていく。

しかし,その段階でも,成熟を認めようとしない 「頑迷な保守派」が存在して

いる。これらの人々は,この段階では障害物であるが,後の段階できわめて重

要な積極的役割を演じることもある。このプロセスでは成熟の認識の強さも変

化する。最初の漠然とした危機意識が,強い危機感-と変わっていく。

成熟の認識がどの程度のはやさで浸透するかは,企業によってことなるであ

ろう。その浸透が遅いのほ, 「単品 ・モノカルチャー」の企業である。「単品

・モノカルチャー」企業とは,単一の事業が企業の売上高のほとんどを占め,

その事業に適合した発想の枠組みが強固にかつ広範に共有されているような企

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業である。このような企業では,成熟や認識の浸透は遅くなりがちで,ピーク

をかなり過ぎて,業績が低迷しだしてから認識が広まることが多い。これらの

企業では,脱成熟化の遅れの原因として,既に指摘した現象が起こりやすいか

らである。

この段階は,いわば,脱成熟化-の助走期である。この助走期には,企業の

なかで二つの重要な,目に見えない変化が進行している。1つは,パワーの集

中である。本業が成熟化したということを,論理やデータで人々に説得するこ

とは難しい。脱成熟化へのアクションを始動するには,論理の超越が必要であ

る。論理の超越のためには, トップ経営者-のパワーの集中が必要である。

「変化は善である。なぜなら,変化はその性質からして善であるから」という

論理を超越した説得と,それをもとにしたアクションを取るには,経営者-の

パワーの集中が必要である。経営者-のパワーの集中を認めようという目に見

えないコンセンサスは,組織という人の集団が成熟化とそれがもたらす危機の

認識を表現する組織的な意思である。

第 2は,変化へのエネルギーのタメをつくりだすプロセスである。エネルギ

ーのタメをつくるには,不要なェネルギーのディスチャージを避けることが必

要である。危機の解消には直接っながらないような機構改革,全社運動は不要

なディスチャージをもたらしかねない。しかし,成熟の認識が遅れ,企業内に

自信喪失と相互不信が広まっているときには,小さな成功を通じて自信を回復

させるようなアクションが必要となることもある。エネルギーは,自信喪失,

諦めというかたちでもディスチャージされていくからである。

ⅤⅠ 戦 略 的 学 習

第 2段階は,さまざまなアクション (事業開発 ・製品開発)が,試行錯誤的

に取られる段階である。事後的に見ると,無駄な回 り道に見えるアクションが

数多く出てくる時期であり,後で失敗と判るようなアクションが取られる時期

である。企業内部の人々があまり語 りたがらない時期である。長い歴史のなか

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で忘れ去られていく時期でもある。すでに述べたように,脱成熟化に成功した

企業のほとんどが,このような時期を経験している。

このような回 り道,失敗は無いにこしたことはない。しかし,このような失

敗を避けることは可能だろうか。味の素のようにほとんど失敗を経験せずに,

単品事業からの脱成熟化に成功した企業もある。しかし,それは例外である。

むしろ,初期の段階での失敗は,脱成熟化にともなう必然的なコス トであるよ

うに思える。

なぜこのような失敗が起こるのか。

その理由の第 1は,事業を創造することに必然的にともなうリスクである。

事業創造がいかにリスクをともなうかは,新しく設立された企業の多くが,敬

年のうちに崩壊していくというよく知られた事実を見ても明らかである。大企

業の豊富な経営資源を利用したとしても,失敗のリスクをゼロにすることはで

きない。

第2は,新しい事業あるいは戦略に,既存の発想の枠組みを持ち込むことか

らくる失敗である。それぞれの業界で成功を収めるには,その事業と適合した

発想の枠組みが必要である。しかし,発想の枠組みは簡単には変わらない。企

業のなかで,それが充分に認識されていても,意識されないまま,既存の発想

の枠組みが持ち込まれてしまう。とくに,既存事業とのシナジーが強いと考え

られている分野ほど,これにともなう失敗が多いようである。

企業の長い歴史を見てみると,この段階での回 り道あるいは失敗は,企業に

とって重要な機能を果たしている場合がある。失敗の効用ともいうべきものが

存在しているのである。

第 1は,既存の経営資源 (とりわけ情報的経営資源とよばれる技術やノウ-

ウ,ヒトの技能,企業イメージやブランド)のポテンシャルの発見と,その限

界の見きわめの棟会を与えることである。経営者は,経営資源のポテソシャル

のすべてを知 りつくしているわけではない。経営資源のポテンシャルは,むし

ろ実際のアクションをつうじて偶然の機会に発見されることが多いのである。

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第 2は,新たな中核技術が蓄積されるという効果である。キャノソのシンク

ロリーダーは,事業としては失敗に終わったが,電子技術という技術蓄積をも

たらした。試行錯誤の過程で,予想もしなかった新たな技術やノウ/、クが蓄積

されるのである。

第 3は,人材の育成という効果である。試行錯誤のプロセスで,事業開発の

経験をもつ人材の発掘と育成が行われる。これらは,本格的な脱成熟化にとっ

て必須の人材である。事業家の育成のためのもっとも効果的な方法は,オン・

ザ ・ジョブでの体験的学習である。

以上のような効果を考えると,この時期は学習の時期, 「戦略的な学習」の

時期であるといえるであろう。もちろん,失敗から多くのことを学ぶ企業 とそ

うでない企業 とが存在する。その違いほ,どこからくるのであろうか。それに

ついての明確な識別基準はないが,仮説としてほ,次のものが重要であると考

えられる。

第 1は,失敗の仕方,させ方である。シャープの会長の佐伯旭氏は次のよう

に語っている。

「思いどお りに行かないところがビジネスであ り, またその面白さだ。

スポーツでも同じですが,思いどお りにいくことはまずない。思いどお りに

いったとすればそれは債侍だ。私は常々,壁にぶちあたったときには正攻法

でいけと言っている。「誠意」と 「創意」をもってと。自分たちの能力で,

、血のにじむような努力をしながら,その壁を正攻法で攻めるのがよい。要領

よく回避しようとするのはよくない。たとえ成功しなくても,いろいろやっ

てみることによって,体験が残る」。

第 2は,失敗のノウ-ウの伝承,共有の手段である。失敗への対処の仕方,

失敗したひとびとの処遇のしかたである。失敗した人々の処遇を誤れば,失敗

の学習は個人あるいは集団レベルにとどまり,組織レベルにまで至 らないであ

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ろ う。

失敗が避けられないといっても,失敗にはコス トがかかる。ときには,それ

が,企業の存続を危 うくすることさえある。したがって,無用な失敗は避けた

方がよいのは判 りきっている。しかし,目に見える失敗ばか りに目を奪われて

いると,目立たない失敗をしてしまうこともある。戦略的学習の段階の意味を

理解するためには,この段階で生じるさまざまな失敗の意味を明らかにする必

要がある。

ⅤⅠⅠ 主観的シナジーと客観的シナジー

この段階での失敗の意味を理解するためには,2種類のシナジーを区別する

必要がある。1つは,客観的シナジーであ り,もう1つは,主観的シナジーで

ある。客観的シナジーとは,現実の事業活動の結果として,既存事業で培われ

た経営資源が,新しい事業分野での競争上の優位性をもたらすように利用でき

るケースである。後になって,あるいは現実的な事例が存在するときに,それ

があるかどうかがわかるシナジーである.もう1つは,企業の側が,既存事業

で培われた経営資源が他の事業分野でも利用可能だと判断した,事前の判断の

段階でのシナジーである。前者は事後シナジー,後者は事前シナジーと呼べる

かもしれない。

事前シナジーと事後シナジ-は,一致するとはかざらない。この不一致に注

目すると,この段階での失敗の原因がよりよく理解できる。ここでは,議静の

単純化のために,2つのシナジーの有無を基準に4つのケースに分け,考えて

図2 主観的シナジ-と客観的シナジ-の組合せ

客観的シナジー

あり なし

主観的シナジー

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成 熟 企 業 の 経 常 戦 略 99

みよう (図2参照)0

ケース1は,主観的にも客観的にもシナジーが存在するケースである。ケー

ス2ほ,主観的にはシナジーが存在するが,客観的にはシナジーが存在しない

というケースである。ケース3は,主観的にはシナジーが存在しないと考えら

れていたが,事後的にはシナジーが発見されたというケースである。最後のケ

ース4は,客観的にも主観的にも,シナジーが存在しないケースである。

これまでの研究は,新規事業の成功のためにはシナジーの存在が不可欠であ

る,ということを明らかにしてきた。そこで議論の対象となっているのは,明

らかに客観的シナジーである.成功率の高いのは,ケース1とケース3である。

しかし,企業が事前に知ることができるのは,主観的なシナジーつまり,ケー

ス1とケース2である。この不一致が,この戦略的学習の必要性をもたらすの

である。両者が常に一致しているのであれば,試行錯誤的な戦略的学習は不要

であるし,失敗の確率も低いであろう。

また,それぞれのケース毎に,戦略的学習の段階での失敗の原因は異なって

いる。ケース1は,大きな失敗が少ないケースである。しかし,それがすべて

成功しているわけではない。典型的な失敗は,同業他社の動きを忘れてしまう

ことからもたらされてしまう。主観的だけでなく,客観的にもシナジーが存在

するというケースでは,同業他社も,その存在に気づくことが多い。その結果,

多くの企業が横並びで参入し,新市場での競争が厳しくなり,成功が難しくな

るというケースである。しかも,このような失敗を起こした場合に,その担当

者の責任が厳しく追求されるということはすくない。なぜなら,同業他社も失

敗していることが多いからである。

ケース2の典型的な失敗は,主観的にはシナジーが存在すると考えてしまう

ことからくる失敗である。そのために,既存の事業のや り方がそのまま持ち込

まれてしまった り,新規事業での学習が阻害されてしまった りすることから来

る失敗である。

ケ-ス3の典型的な失敗は,目に見えない失敗であるOそれは,シナジーを

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発見するチャンスを失ったという意味での,機会損失である。シナジーがない

と思って,新しい事業に進出しなかったことからくる機会損失である。この失

敗によって誰も傷つ く人はでない。なぜなら, 目に見える失敗は起 こっていな

いからである.もし,戦略的学習の段階でのさまざまな失敗に積極的な意味が

あるとしたら,それは,このような機会損失を避けるためのコス トとしての意

味である。

ケース4は,事業の失敗をもたらすことが多い。 しかし,主観的にも,失敗

する確率が高いということがわかっているがゆえに,かえって,失敗をもたら

しかねない事態についての事前準備がゆきとどいているかもしれない。

このように見ると,戦略的な学習の段階では,多様な失敗が生じる。この段

階で,慎重に行動しようとすると,ケース3の失敗が生 じてしまう。それは,

実際の損失を生むような失敗ではないが,経営的にみると,失敗である。おそ

らく,この段階では,よほどの幸運がないかぎり,失敗は避けられない。問題

は,失敗をいかにしてなくすかではなく,起こりうる失敗にいかに対処するか

である。

ⅤⅠⅠⅠ 戦時の再構築と変化の拡大再生産

脱成熟化の第 3段階は,戦略構想が徐々に確立される段階である。第 2段階

か ら第 3段階-の移行のきっかけとなるのは,つぎの二つである。第-は,節

しい発想 (パラダイム)を体現する成功例の出現である。試行錯誤的なアクシ

ョンのなかから生み出された成功例を見ることによって人々は,新しいパラダ

イムの輪郭とその有効性を知ることができる。第 2は, トップの大きな決断で

ある。

この段階では,企業の将来の成長の方向がはっきりとしはじめ,それが新た

な ドメインとして言葉によって表現されはじめる。企業の成長の 「ドライビン

グ ・フォース」となる経営資源が何かが識別され,意識されるようになってく

る。

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成 熟 企 業 の 経 営 戦 略 101

具体的なモデルを通じて新たな事業発想 (パラダイム)がはっきりしはじめ,

それがより多くの人びとに共有されるようになる。試行錯誤のなかで,何に価

値があったか,どれが回り道であったかが,理解されはじめる。過去の成功や

失敗に対してはっきりとした意味と理論的な説明が与えられるようになる。通

常の経営戦略論の教科書にあるような戦略策定の方法論が役にたちはじめるの

はこの段階である。

最後は,変化の拡大再生産であるo新しい/くラダイムが浸透し,企業のあち

こちで変化が起こりはじめる時期である。人々は,試行錯誤のプロセスでの失

敗を徐々に忘れていく。成功の体験だけが記憶され,経営者の先見力に対する

信頼が回復される。人々の間に自信も芽生えてくる。新しいパラダイムにたい

する信頼が生み出され,日常の行動を通じてその妥当性が確認されていく。

新しい事業の成功に触発されて,成熟事業部門のなかでも新たな戦略展開が

ほかられることもある。その主役になるのは,成熟を認識しようとしない頑迷

な保守派である。これらの人々は,新規部門-のライバル意識から,成熟事業

の新たな戦略展開の方法を確立する。保守派と革新派の奇妙な協力関係が生み

出され,企業全体が共振しはじめる。や りようによっては,成熟部門も活性化

できるという自信がたかまり,成熟部門という名称に変わって,既存部門とい

う言葉が使われるようになる。

ⅠⅩ む す び

以上が企業の脱成熟化のプロセスについての仮説である.かぎられたケース

から導かれたモデルなので,一般性は主張できない。しかし,脱成熟化を一連

のアクションの流れ,プロセスとして眺めるといくつかの重要な特徴と実践的

な示唆がえられるoそのなかでもっとも大切なのは,脱成熟化を,一直線のプ

ロセスとしてではなく,肝余曲折のあるプロセスとして認識することである。

われわれは,ともすれば,無駄な回 り道を避け,ス トレ- トに最終目標に到達

するほうが望ましいと考え,そのための方法を探ろうとしがちである。この考

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え方は,個人の場合には正しいかもしれない。しかし,組織という人の集団に

おいてほ,このような回 り道は積極的な意味をもつ。回 り道は,むしろ脱成熟

化の必須のプロセスであるというべきなのかもしれない。脱成熟化の鍵は,こ

の曲が りくねったプロセスを直線化することではなく,それをうまく舵取 りし

て,変化-の流れを創 り出すことである。

脱成熟化のプロセスで注目しなければならないのは, 「戦略的学習」の段階

で生じる失敗である。よほどの幸運がないかぎり,この段階での失敗をさける

ことはむずかしい。この段階では,いかにして失敗を起こさないようにするか

ではなく,失敗にいかに対応するかが,重要である。あるプロジェクトを存続

させるか,それとも,失敗と見なして中止するか,失敗した人々をいかに処遇

するかが,この段階でのマネジメン トの鍵になるのである。