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縮小社会研究会(清泉女子大) 201877五十嵐 敏郎 マインテーマ:科学技術の進歩で大量生産文明の持続は可能か 科学技術の倫理問題 私たち科学技術者は何を目指して研究開発を行うのか 1.軍学共同の計画的進行 2.日本学術会議の軍学共同路線に対する対応 3.政府及びその他の機関の軍学共同路線に対する対応 4.軍学共同路線に対する科学技術者個人の倫理感 5.軍学共同路線のワナに陥り論理観を失った科学技術者の行く末 6.科学技術者の倫理観を呼び起こして軍学共同路線を防止できるのか -私たち科学技術者は何を目指して研究開発を行うのか-

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縮小社会研究会(清泉女子大) 2018年7月7日五十嵐敏郎

マインテーマ:科学技術の進歩で大量生産文明の持続は可能か

科学技術の倫理問題

私たち科学技術者は何を目指して研究開発を行うのか

1.軍学共同の計画的進行

2.日本学術会議の軍学共同路線に対する対応

3.政府及びその他の機関の軍学共同路線に対する対応

4.軍学共同路線に対する科学技術者個人の倫理感

5.軍学共同路線のワナに陥り論理観を失った科学技術者の行く末

6.科学技術者の倫理観を呼び起こして軍学共同路線を防止できるのか

-私たち科学技術者は何を目指して研究開発を行うのか-

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1.軍学共同の計画的進行 【着々と進む軍学共同】

第1ステップから第4ステップまで,長期にわたり計画的に策定

現在は,第1段階から第2段階に入っている

第1ステップ:装備化を目指した基礎研究の段階

1) 2004年に防衛省技術研究本部と大学・研究機関との技術交流を開始

・ 2017年8月時点で,7大学(九州大学2件,金沢工業大学2件,横浜国立大学,

慶應義塾大学,千葉大学,千葉工業大学,帝京平成大学,各1件),6公的研究機関,

1官公庁の累計23件のテーマが進行中

・ 安倍内閣の軍事戦略のための3つの閣議決定が引き金になり2014年度以降に急増した

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2) 2015年に防衛省競争的資金「安全保障技術推進制度」を創設

表 過去3年間の応募件数と採択件数の比較

2015年度 2016年度 2017年度

総数 A+B S

予算額 3億円 6億円 110億円 10億円 100億円

大学 応募件数

採択件数

58

4

23

5

22 21 1

0 0 0

公的研

究機関

応募件数

採択件数

22

3

11

2

27 22 5

5 3 2

企業等 応募件数

採択件数

29

2

10

3

55 43 12

9 5 4

総計 応募件数

採択件数

109

9

44

10

104 86 18

14 8 6

2015年度は1件当たり最大3000万円/年で最大3年間継続可能2017年度は、Aが1件当たり最大3000万円程度で原則最大3年間継続可能

Bが1件当たり最大1000万円程度で原則最大3年間継続可能、Sは1件当たり最大20億円で原則5か年程度継続

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3) 学生インターンシップの実施

4) 1980年代以降新設された国際関係学部や公共政策大学院では,

安全保障に関するテーマについて防衛省から人を招いて机上演習

や模擬討論を実施

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第2ステップ:基礎的なアイデアを大規模で実証する段階で2017年からスタート

1) 2017年度の「安全保障技術推進制度」で大口の研究予算を設定(S)

第3ステップ:軍産学官連携のための軍民連携・省庁間協力の追求の段階

1) 2016年8月に出された「防衛技術戦略」には,20年先を見通した

技術開発のための基本戦略を提示.第3ステップは

そこに至る迄に進めておかなければならない準備段階と位置付け

目標① : 諸外国に対する軍事的(技術的)優位性の確保

目標② : 優れた防衛装備品の効果的・効率的な創製

2) 防衛省・経産省・文科省との省庁間協力を具体的に推し進めることが大目標

第1ステップで進めている産学官共同と,第2ステップで進めようとしている軍産連携を

結び付け,省庁間連携という連結剤で固めることが目的

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第4ステップ:「中長期技術見積もり」の具体的実現の段階

1) 中長期技術見積もりは,防衛装備庁が中長期(5~20年)の技術開発の

具体的取り組みの方向を明らかにし,「ゲームチェンジャー」と成り得る

先進的な軍事技術の開発計画を構想している

2) 軍事技術開発の重点目標

① スマート化(人工知能等を用いた高度な制御・処理能力の確保)

② ネットワーク化(ITによる装備システムの有機的結合)

③ 無人化(ロボットの活用,遠隔操作の実現)

④ 高出力エネルギー技術(レーザー兵器・蓄電池・レールガン等の新規開発)

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2.日本学術会議の軍学共同路線に対する対応

【発足時の高邁な理念を取り戻せるか】

1) 1949年日本学術会議が発足

全国の科学者(当時3万2千人)から会員を直接選挙する,世界に前例のない自主的・

民主的な「科学者の国会」ともいえる組織として発足

末川博が起草した素案を基に「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明

(声明)」が示され,その中に「この機会に,われわれは,これまでのわが国の科学者が

とりきたった態度について強く反省し,われわれは,日本国憲法の保障する思想と良心の

自由・学問の自由及び言論の自由を確保するとともに,科学者の総意の下に,人類の

平和のためあまねく世界の学会と提携して学術の進歩に寄与するよう万全の努力を

傾注すべきことを期する」という声明文が記されてた

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2)軍事研究を拒否する総会声明の発表

1950年:日本学術会議第6回総会声明「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意」の表明

1967年:日本学術会議第49回総会声明「軍事目的のための科学研究を行わない」

3)政府による組織切り崩しとそれに対する抵抗

1985年:政府筋の圧力で,会員選出法を一般選挙制から,登録学術研究団体からの会員推薦制に

変更される

2001年:内閣総理大臣の管轄から,政治的影響力を持たない総務大臣管轄の「総務省の特別の

機関」に変更

2005年:日本学術会議と内閣府が設置した総合科学技術会議とが相談し,改革案を決定

① 内閣総理大臣の所轄とし内閣府の特別の機関とする

② 七部会制から三部制にする

③ 会員の任期は二期6年で,70歳定年とする

④ 次期会員と連携会員は原則として原会員と原連携会員の推薦によって候補者を決め,内閣総理大臣が任命する

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4) 日本学術会議の軍学共同路線に対する対抗

2016年: 「安全保障と学術に関する検討委員会」が発足し,防衛装備庁の「安全保障技術

研究推進制度」の意見集約を行う

2017年: 「軍事的安全保障研究に関する声明」を発出し,政府・防衛省が進める軍学共同

路線に対して,基本的に拒否の態度を明らかにする

2016年度の防衛省競争的資金「安全保障技術推進制度」への大学からの応募件数が

前年度の58件から23件に激減

2017年10月に軍学共同路線に理解を示した大西会長から、軍学共同路線に

反対の姿勢を示すと思われる山極会長に(任期3年)代わった

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3.政府及びその他の機関の軍学共同路線に対する対応

【どの組織も共通して発足時の理念から後退】

1)原子力基本法

1955年に成立した原子力基本法では「自主・民主・公開」の原子力三原則を制定

2012年には原子力基本法から原子力三原則を抹消し,「安全保障に資する」の文言

が追加される

2) 物理学会

1966年の半導体国際会議において米軍からの資金提供を受けたことが朝日新聞で報道される

1967年:臨時総会を開き,次の決議を採択

1:半導体国際会議に米軍資金を持ち込まれたことは遺憾とする2:半導体国際会議実行委員会が物理学会に諮ることなく米軍資金の導入を決定したことは重大なあやまりである

3:日本物理学会は今後内外を問わず,一切の軍隊からの援助,その他一切の協力関係を持たない

1995年になって,決議3を緩めて,「学会が拒否するのは明白な軍事研究である」と規定し直す

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3) 宇宙開発1969年:宇宙開発事業団発足.衆参両院に於いて「日本の宇宙開発は平和目的

に限る」との決議を採択

2003年:JAXAが発足し情報収集衛星第1号機を打ち上げ(内閣府が運営、JAXAに委託)

2008年:宇宙基本法の成立,「安全保障に資する」条項が入る

2012年:JAXA法の改定,「平和条項」を抹消し「安全保障に資する」ことが明記される

2013年:防衛省・JAXA・米国防総省・NASAが参加し,第1回「宇宙に関する包括的日米対話」を実施

2014年:防衛省を通じてJAXAのスペースデブリ監視情報を米軍に提供開始

2015年:新宇宙基本計画決定,準天頂衛星7機体制,情報収集衛星充実,Cバンド衛星の強化

などを盛り込む

2016年:宇宙基本計画工程表改定,「情報収集衛星10機体制」を明記

(注)JAXA:国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

2003年10月に日本の航空宇宙3機関、文部科学省宇宙科学研究所 (ISAS)・独立行政法人航空宇宙技術研究所

(NAL)・特殊法人宇宙開発事業団 (NASDA) が統合されて発足

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4)政府

1976年:三木首相のもと「武器輸出三原則」が確立

1983年:中曽根首相のもと「武器輸出三原則でアメリカを例外とする」措置を実施

2013年:安倍内閣「2014年度以降の防衛大綱」「国家安全保障戦略」「中期防衛力整備計画」

を閣議決定

2014年:安倍首相のもと,「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」に変更

2014年:総合科学技術イノベーション会議がImPACT(革新的研究開発推進プログラム)創設

2014年:安倍内閣「集団的自衛権の行使容認」閣議決定

2015年:「平和安全法制(戦争法)」を強行採決

2015年:防衛装備品の研究・開発・取得・運用・整備などのため防衛整備庁を設置

2016年:第5期科学・技術基本計画に「国家安全保障上の諸課題への対応」を明記

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4.軍学共同路線に対する科学技術者個人の倫理感

【若手ほど軍学共同に賛成する傾向が心配される】2015年3月に国家公務員労働組合連合会が国立試験研究機関に勤める研究員を対象に「第五期

科学技術基本計画に向けて」の個人アンケートを実施し,そのなかに下記の質問事項を含めた

(質問) 産学官の共同での研究が強まるなか,防衛省や米国国防総省が予算を提供する「軍事

研究・開発」に参画する大学や国立研究開発法人が増えています.こうした「軍事研究・

開発」を進めるべきだと思いますか?

(回答とその理由)

進めるべきである 78件(うち,消極的・条件付きが26件で,52件は積極的な回答)

理由 ・政府の担うべき機能は研究機関も支援すべき 29件

・民間への転用可能 11件

・科学・技術の発展 10件

・研究資金の調達 6件

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進めるべきではない 137件

理由 ・平和利用目的を原則とすべき 39件

・憲法順守・戦争反対 31件

・秘匿性が強化される 8件

・いったん手を出すと軍事予算の深みにはまる 7件

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アンケート調査結果と回答の自由記述欄から読み解く,軍事研究に対する科学者の態度

(1)防衛省との共同研究は軍事研究だから,一切かかわらない

(2)防衛省との共同研究は軍事研究だから関与したくないが、研究費が不足しているため

参加はやむを得ない

(3)防衛省との共同研究が防衛目的であるか,あるいは将来的に民生目的に転用する約束が

あれば,それは軍事研究とはいえない.したがって共同研究に参加することに問題はない

(4)科学・技術の発展につながるのだから,積極的に防衛省との共同研究を行う.軍事技術は

民生技術の底上げにつながるし,軍事技術もいずれ民生利用が可能になるのだから,

わざわざ軍事と民生に区別するのは意味がない

(5)国家のために尽くすこと,あるいは研究費を出している国立の研究機関に属してくれている

のだから,国の要請(命令)に従うのは当然である

(1)が64%、(2)~(5)が36%

(2)~(5)が36%

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2016年5月に波研究学園都市研究機関労働組合協議会が,独立行政法人の研究機関に所属する研究者

を対象に実施した「軍事研究を進めるべきだと思いかすか?」という問いに対するアンケート調査結果

「軍事研究を進めるべき」と回答した割合は,全体で26%であったが,20歳代の回答だけ抽出

すると47%と,無回答を除く半数に達しており,30歳代の回答では40%近くに達していた

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大学の若手研究者の倫理感を毀損する要因として研究費,特に経常研究費の不足,任期制問題や

ポストの不足問題など様々指摘されているが,ここでは軍学共同路線に一番引き込まれやすい要因

と考えられる研究費不足問題に限定して取り上げる

国立大学法人化以降の運営交付金及び科研費の推移

(注:2017年度は外数として機能強化促進費45億円を新設)

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・ 運営交付金の減額は教育研究に直結する教育基盤経費の縮減を招き,学生一人当たりの

教育経費が年々減少し,卒論指導や大学院生の教育研究指導に携わる教員の研究費も

同様に削減され,教育の質的な低下をもたらすと危惧される

・ 安定した長期の研究環境を担保した運営交付が減額され,期限付きの競争的資金である

科研費などが増額されると,競争的資金が得やすい陽の当たる,「選択と集中」政策で国から

重点分野として選ばれた分野(IT,バイオ,ナノテク,ロボット,医療器具,薬品,エネルギー等)

への研究シフトが行われ,陽の当たらない分野(理学系:数学,物理,科学,生物,地学,環境,

農学系:林学,畜産,園芸,水産,昆虫,農業経済,獣医)では,競争的資金を獲得する率が

低下し,多くの研究者が研究費不足に喘ぐ状態になっている

・ 運営交付金を減らして研究予算の飢餓状態に追い込んで行った段階で,防衛省競争的資金

「安全保障技術推進制度」という一見すると美味しそうに見える研究資金を目の前にぶら下げ

られると研究者の倫理観もマヒしかねない

・ 政府は長期にわたり一貫して軍学共同路線へシフトさせようとしている

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5.軍学共同路線のワナに陥り論理観を失った科学技術者の行く末

【日本もドイツも物理学者が戦争に巻き込まれた】

1)日本の科学者の戦争協力

1938年:国家総動員法の施行

1940年:科学動員実施計画綱領を閣議決定

若手・中堅研究員からも積極的な戦争協力の声が上がる.仁科芳雄は「今科学は技術と

一体となって大進軍をおこねばならない」と,科学動員を後押しする積極的発言を行った

1943年:学術研究会議(日本学術会議の前身)のもとに科学研究動員委員会が置かれ,科学の

総動員体制が構築された

1944年:科学研究費が大幅増額された.1940年に比べ科学研究費交付金が300万円から1900万円

に,日本学術振興会研究費が120万円から300万円へと増額された

1945年:陸海軍の臨時軍事費中の研究費が1942年の1億円から3億円へと急上昇

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・ この間,ほとんどの科学者は戦時研究に携わざるを得なかった.原爆開発研究では,

仁科芳雄・荒勝文策・玉木英彦・嵯峨根遼吉・菊池正士・伏見康治・湯川秀樹・坂田昌一

らが参加し,強力な電波を発するマグネトロンの開発実験では,朝永振一郎・宮島竜興・

小谷正雄ら若手研究員が参加していた

・ これは物理学者の戦時研究であるが,生命倫理面でも戦時中に大学・医学部を

取り込んだ軍事研究が行われ,「医学者の組織犯罪」と評せられた

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2) ドイツのナチス政権への忠誠とユダヤ人物理学者の追放

5人の著名なノーベ賞受賞者とナチス政権への関わり方を通して研究者倫理について考察する

マックス・プランク

1930年以降,名実ともにドイツ科学界の最高指導者の地位にあった.1935年の悪名高い

ニュールンベルグ法(ユダヤ人の公民権剥奪と,大学や研究所からの追放)成立でも,

「悪法も法である」として許容する立場を取った.功利主義的発想に基づき,倫理的に問題

を捉えようとする立場は取らなかった.後年,ナチスとの関係が冷え始め,大戦中の人生は

不遇であった

ウェルナー・ハイゼンベルグ

ナチスが「科学を戦争に利用」しようと考えたのに対し,「戦争を科学に利用」しようとして

ナチスと手を組むことをいとわなかった.1939年9月以降,原爆開発に携わった.

ドイツ占領地を訪れ,ドイツ科学を称揚してドイツに従うよう,占領地の科学者を説得する

など,科学至上主義の立場を取った

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ピーター・デバイ

1937年にドイツ物理学会会長に就任し,ナチス・ドイツ時代の物理学を指導した.

科学至上主義者であるが,政治的には日和見主義で,ユダヤ人のリーゼ・マイトナーに

危険が迫ると,スウェーデンに脱出させた.自身も1940年にアメリカに亡命

フィリップ・レーナント

人種的嫌悪感に囚われ,ヒトラーとナチ党を早くから支持した.自身のナルシシズム,

アインシュタインの名声に対する妬み,ユダヤ人に対する嫌悪の虜になっていき,

自らの科学を傷つけ,個人的偏見のために科学者仲間の評価も悪化

アルベルト・アインシュタイン

愛国的な国家主義者とは正反対の国際主義者で,とくに生粋のドイツ人にありがちな傲慢な

国家主義は歯止めの利かない軍国主義につながると考えた.ただ,1939年8月に

ルーズベルト大統領に送った原爆開発を勧める手紙は,彼の倫理性の汚点となっている

人間としての倫理観を失ったレーナントは別として,プランク,ハイゼンベルグ,デバイは科学と政治に対する態度は異なるが,共通して「ナチス時代の戦争犯罪は自分たちには責任がない.なぜなら,自分たちは科学が進歩することのみを追求しており,非政治的にふるまったから」という意識であった.現代の軍学共同路線を是とする科学者たちにも共通する心情であろう.

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6.科学技術者の倫理観を呼び起こして軍学共同路線を防止できるのか

【私たち科学技術者は何を目指して研究開発を行うのか】

技術科学者の倫理観を呼び起こして軍学共同路線を防止できるのかについて,私が考えている

ことをいくつか示す.専門性の乏しい私の手におえる問題ではなく,皆さんと議論する中から

多くの有益なヒントを得て私の考えを補強していきたい

1) トランス・サイエンスを議論する場を広めていく

「トランス・サイエンス」とは,アルヴィン・ワインバーグが1972年に提唱した概念で,「科学に

問いかけることはできるものの、科学には答えることが出来ない問題」と定義される

科学は価値中立的で,そこで発見された真理は新たな知の創造である.従って,科学それ自体は,

経済的・社会的な価値をもたらさない.しかし今,科学と政治(社会の意思決定)との両者にまた

がっている領域が存在し始め,その領域がトランス・サイエンスである

これからの科学は社会のために存在すべきであり,科学技術者と市民とがトコトン議論し合う場が

必要であり,市民と議論することで科学技術者の倫理観が醸成される

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2)専門家のための後期教養教育を行う

日本の科学技術者は,技術と技術のインターフェースや技術と人とのインターフェースで

は優れた産物を生み出してきたが,コミュニティとコミュニティのインターフェースの交流では

目立った成果を生み出していない.

これからは,自らの専門分野を超えて異なるコミュニティ間を往復し,多様な知を結集する

能力を身に付ける必要がある.

自らの専門分野を超えて往復する能力は専門家のための教養教育(後期教養教育)に

よって磨くことができる

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3)オープンサイエンス

科学の専門化,ビックサイエンス化,ブラックボックス化に伴い,人々が科学についていけ

ない,科学が縁遠くなっていると言われている.その結果,極端な科学信仰に走ったり,

逆に科学不信になったり,疑似科学が流行したりしている

インターネットの発達で世界中多くの人々がつながるようになり,これからもその流れが

加速するだろう.インターネットを介した人々のインターフェースの交流を利用して,科学技術

者と専門家委でない普通の人々の集合体である社会を結び付ける試みが行われ,オープン

サイエンスとして成果を上げ始めている

著しい成果を生み出した例として「ギャラクシー・ズ-」というウェブサイトがある.このサイト

には20万人以上のオンラインボランティアが参加し,遠隔操作望遠鏡によって自動撮影され

て送られてくる銀河の画像をもとに「この銀河は渦巻状ですか,それとも楕円状ですか?」,

「渦巻状なら,腕の部分は時計回りに回転していますか、それとも反時計回りですか?」との

問いに答えていく.彼らの活動で,「グリンピース銀河」と呼ばれる全く新しいタイプの銀河を

発見したり,クウェーサー・ミラーの最初の実例の発見に貢献した

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4)質的イノベーション

これまで,生活者は「利便性の向上」を求め,作る側(生産者)は「生産性の向上」を

追求してきた.20世紀までは「利便性の向上」と「生産性の向上」を指向する

イノベーション(量的イノベーション)が主流であった

科学技術が急速に発展し,モノが溢れている21世紀の日本では,新たな生活スタイル

を生みだし新たな文化を創成するというような社会の質的変化に資するイノベーション

(質的イノベーション)が求められる

最新の科学技術の発展は,人間の有する感性や自然観の幅を広げる方向が指向

されるべきであり,結果として質的イノベーションが主流になっていくであろう.

そのためにも,科学技術者は社会とのつながりを重視する必要がある

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5) PDCAからCAPDへポリオレフィン業界の再生を目論んで打ち出した概念であるが,広く科学技術者の倫理観の

醸成にも役立つのではないかと考える

私たちは新しい製品を開発する際に,調査や顧客のニーズをもとに開発目標を立て(Plan),

研究・開発や試製造を経て製品化し(Do),上市製品の市場評価を行い(Check),結果を次

の製品開発に生かすこと(Action,Assessment)を行ってきた.PDCAを回すと称して.

石油文明が安泰である限り,このような開発方針も受け入れられてきた.しかし,繁栄を

支えてきた石油文明も,間もなく終焉期が始まるともささやかれはじめた.その時にはポリ

オレフィン業界もかなり影響を受けると予想され,過去の事例からは予測できない問題に

対処するためにはパラダイム破壊型のイノベーションが求められる

私たちは解の一つとして,まず最初にCheckを行い,Assessmentの結果でOKになって

初めてPlanを行いDoにつなげて製品を開発することの必要性を提唱している

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PDCAサイクル CAPDサイクル

CAPDサイクルを無視した結果,多くの分野で「本当に技術開発が必要だったのか」と問われ,

それに対する解が得られずに倫理観をもった科学技術者が自責の念で苦しんでいるし

これからも苦しむことが予想される

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①原子力の平和利用

CAPDを無視した最も分かり易い例である.

原発施設は未来永劫維持することが出来ない.高濃度の放射線を浴び続ける原発本体,

周辺機器類,配管類は通常よりも早く劣化する.施設の更新作業に於いて安全が担保

されるのかという問い(CheckとAssessment)に対して何も回答を持たずに設置計画を

決め(Plan),建設し運転を開始した(Do).

原発は運転し続ける限り,使用済み核燃料棒を生み出し続ける.この処理法も未解決の

ままであり,「未来世代の科学技術の発展に期待する」という極めて無責任な発想が

まかり通っている.開発に携わった科学技術者は倫理観を持っていなかった

そもそも,人類は(脊椎動物も)人工放射線種の出すβ線に対する防御機能は持ち合わ

せていない.天然放射線種のだすα線やγ線に対しては,太い背骨で守られた脊髄の

中で免疫細胞を生みだし造血を行うことで防御してきた.原子力という魔力に

手を下してはいけなかった

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②遺伝子組み換え技術,種子法廃止

一旦遺伝子にメスを入れると,未来世代にどのような影響を及ぼすか(CheckとAssessment)

を十分に考慮せずに,我先にと開発競争を始めている

悪影響が明らかになった時点でThe end.である

昨年突然にほとんど議論されることなく,主要作物を守ってきた種子法が廃止され,

今年4月から実施されている

コメも稲作が日本に伝わって以来,その土地の風土や食生活にあった多様な固定種を

開発し,種を自家採取して未来世代に引き継いできた.その伝統が,F1種子に置き換え

られようとしている

F1種子は雄しべがないか,雄しべがあっても受粉させる能力のない雄性不稔の種子を用い

て作られる.大企業による種子ビジネスの独占を目的として作られた種子であり,

開発に携わった研究開発者の倫理観が疑われる

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③ナノファイバーを利用した製品開発

現在の技術開発の主流は,様々なナノファイバーを含有する熱可塑性樹脂の開発であり,

ナノでなければ研究ではないという風潮が研究界を席巻している.

しかし,NFRP(Nano-Fiber Reinforced Plasticsの頭文字を連ねた筆者の造語)のCheckと

Assessmentは十分に行われているのだろうか.

NFRPは通常の熱可塑性プラスチックとは異なる劣化挙動を示すと言われる.塩化ビニル

は,時間の経過によってほぼ直線的に劣化が進行する.このため,寿命予測がしやすく,

自動車メーカーの材料技術者には好まれる.

一方,PEやPPなどのポリオレフィンは,初期には塩ビより劣化の進行が遅いが,

ある時間が経つと急に劣化の進行が早まり,材料破壊に至る.寿命予測が不正確になる

「ガックリ現象」として嫌われている.

NFRPはこれらとは異なる特殊な劣化挙動を示す.初期には劣化がほとんど進行しないが,

ある時間が経つと一気に劣化し材料破壊に至る

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NFRPでは,機械物性を担保しているのが配向したNano-Fiberであるが,様々な環境条件で

Nano-Fiberが徐々に劣化して繊維長が短くなる.

繊維長が限界値以下に短くなると,すでに劣化しているマトリックスポリマーの機械物性を

担保できなくなり,一気に劣化が進行するという特徴を持っている.

問題は,何がNano-Fiberの劣化による短繊維長化を促進しているのか,ほとんど分かっていない

ことである.製造時に生じる微細な傷や気泡,様々な段階で受ける衝撃,紫外線や熱による劣化

などが通常考えられるが,Nano-Fiberとマトリックスポリマーとの界面積が大きいことと両者の

体積膨張率が異なることから,一種の疲労劣化を起こしていることも考えられる.

ボーイング787の胴体や翼に採用されたことで,材料としての可能性が膨らんでいるが,航空機

用のCFRPの製造現場では,全数検査して微細な傷や気泡があると排除し,衝撃を与えないように

細心の取り扱いで,できるだけ劣化しないような工夫を行っており,直行率が50%以下と

言われている

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しかし,大量生産によるコストダウンが要求される民生用の自動車ボディでは,初期欠陥を抱え

たまま走行し,予告なしに突然ボディが破壊する事故が予想される

NFRP製のボディを持つ自動車の場合,物理的あるいは心理的な耐用年数が過ぎると廃車され

る.この場合にもCheckとAssessmentが不十分なことが問題になる.NFRPのリサイクル技術に

ついて様々な研究開発が行われているが,いまだに決定打が見いだせず未完成な状態である

リサイクル技術が未完成な状態で,NFRPの研究開発を行うべきか,開発に携わる研究開発者

の倫理観が問われている.GFRP製のボートで懲りたことを忘れている.

開発当初は夢の材料ともてはやされたアスベストによる健康被害が大きな社会問題になって

いるが,Carbon-Fiberはアスベストに比べて活性が高く,肺の奥まではいれば大きな健康被害を

引き起こす.アスベストに比べて繊維長が長く,肺の奥まで入らないとされているが,劣化により

Carbon-Fiberの繊維長が短くなったり,廃車時に加わる衝撃力により繊維長が短くなった場合の

問題が先送りされている.

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④食品長期保存用の多層フィルムの開発

最近の米国で行われた調査では,食品の長期保存を可能にしたハイバリアーフィルムが

食品の流通時間の長期化や流通経路の複雑化を可能にし,結果として農場や流通段階での

食品ロスを増やしている

農場から消費者まで10日かかる場合には食品ロス率が40%にあるのに対し,農場から消費

者まで2日の場合には食品ロス率が5%に低下する

これは米国の調査結果であるが,食糧の自給率が著しく低い日本でこそこのような調査を

行い,食品流通のあるべき姿を模索することが喫緊の課題である

食品ロス問題のだけではない.流通時間の長期化や流通経路の複雑化により,食品流通

の大企業化と支配力の強化を引き起こし,農業の価格支配力が弱まることで小農業を立いか

なくさせ,農業従事者の高齢化と相まって日本の農業を支えてきた小農業を消滅させようとし

ている.食品長期保存用の多層フィルムを開発する研究開発者は,そのことも考慮して開発

に着手するべきであり,研究開発者の倫理観が問われている

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食品の流通期間と食品ロスの関係