the jew of malta - ynu.repo.nii.ac.jp

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THE JEW OF MALTA THM JEW OF M:ALTA Kazuo OSATO* ABSTRACT There is a saying that all genius, whether religious or artistic, is a kind of excess, and it is natural that a genius, an excessbimelf・ should be attracted by excessiveness in otbers・ Marlowe was a genius・ Fascinated with the wild craving for absolute power of an ambitious Tartar conqueror, he wrote Tamburlaine, and, enchanted by the ardent thirst for knowledge of a legendary German scholar, he produced Doctor Faustus. Into Barabas in The Jew of Malta did he embody insatiable lust for uinfinite richesn and their potential power. All the protagonists of these plays have excessiveness in common and may safely be called, in a sense, transcendent men・ In the opening scenes Barabas is shown as a merchant prince with dignity and grandness, but when be hasbeen wrongly deprived of his goods by the Christian Governor of Malta he changes into a monstrous incarnation of evil and vengeance, devoid of the slightest shadow of human nature・ The subsequent scenes reveal a series of the crimes he commits by playing Machiavellian tricks of hisown device-all murder, including that of his beloved and loving daugbter・ Marlowe, who isan excessive accuser of orthodox religious creeds, puts into Barabas's mouth cynical abuses especially against Christian hypocrisy・ Consequently this play would betoo repulsive and toollOrrible for an audience of ordinary皿en and women of比e workaday world, if the effect were not mitigated by the comic and farcial touches wbicb characterize some of its scenes. Some critics point out its lack of harmony in tone and regard it as a〃savage farce〃, 〟serious farce〃, 〟tragic comedy" etc., but The Jew of Malta is essentially a tragedy, for what can bemore tragic for human beings than losing bu皿an nature? The subplots of this play are so cleverly interrelated that it makes a且ne structure as a whole, and in this respect it surpasses the other two of the triad・ The Jew of Maliaの創作年代は, Marloweの他の作品の場合と同様に不詳であるo c.ど. Tucker Brookeほその編纂したMarloweの著作集において1',この戯曲の冒頭 に付せられたMacheuilのPrologue中に, Guise即ちHenri ler de Lorraine, duc *英語教室(°ept. of EIlglisb)

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THE JEW OF MALTA

大 郷 雄

THM JEW OF M:ALTA

Kazuo OSATO*

ABSTRACT

There is a saying that all genius, whether religiousor artistic, is a kind

of excess, and it is natural that a genius, an excess bimelf・ should be attracted

by excessiveness in otbers・ Marlowe was a genius・ Fascinated with the wild

craving for absolute power of an ambitious Tartar conqueror, he wrote

Tamburlaine, and, enchanted by the ardent thirst for knowledge of a legendary

German scholar, he produced Doctor Faustus. Into Barabas in The Jew ofMalta did he embody insatiable lust for uinfinite richesn and their potential

power. All the protagonists of these plays have excessivenessin common

and may safely be called, in a sense, transcendent men・ In the openingscenes

Barabas is shown as a merchant prince with dignity and grandness, but when

be has been wrongly deprived of his goods by the Christian Governor of Malta

he changes into a monstrous incarnation of evil and vengeance, devoid of

the slightest shadow of human nature・

The subsequentscenes reveal a series of the crimes

hecommits by playing

Machiavellian tricks ofhis own device-all murder, including that of

his

beloved and loving daugbter・ Marlowe, who is an excessive accuser of

orthodox religious creeds, puts into Barabas's mouth cynical abuses especially

against Christian hypocrisy・ Consequently this play would be too repulsive

and too llOrrible for an audience of ordinary皿en and women of比e workaday

world, if the effect were not mitigated by the comic and farcial touches

wbicb characterize some of its scenes. Some critics point out its lack of

harmony in tone and regard it as a 〃savage farce〃, 〟serious farce〃, 〟tragic

comedy" etc., but The Jew ofMalta is essentially a tragedy, for what can

be more tragic for human beings than losing bu皿an nature? The subplots

of this play are so cleverly interrelated that it makes a且ne structure as a

whole, and in this respect it surpasses the other two of the triad・

The Jew of Maliaの創作年代は, Marloweの他の作品の場合と同様に不詳であるo

c.ど. Tucker Brookeほその編纂したMarloweの著作集において1',この戯曲の冒頭

に付せられたMacheuilのPrologue中に, Guise即ちHenri ler de Lorraine, duc

*英語教室(°ept. of EIlglisb)

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de Guise (1550-1588)の死について(Henri IIIの陥穿におち入りその親衛隊の襲撃を受

けて暗殺されたのは12月23日であった。)触れていることと,またP血ilip Ⅲenslowe・s

Diaryに1951年(新暦1592年) 2月26日付で,この戯曲の上演に関する記事があり,

然も新作として取扱っていないところから, 1590年頃の作と考えても大きな誤ほなかろ

うと述べいる。この見解はMarloweの研究者達によって大体妥当とされ支持を受けてお

り,一般に1589年から1590年の初の問に執筆されたと考えられている。 Brookeは

Prologueが他の部分より後に善かれたかも知れぬという考えの一応成立し得るのを認め

ながらも,劇構成や作詩法を考慮するとこの戯曲体全として1859年以前に作られたこと

ほ先ずあり得ないと論じているのであるが, Prologueは可成り時を経て善かれたもので

あるとする説もないではない。 Shakespeareに閲しMalovian theoryを信ずるものの一

人David Rhys Williams2'ほDeptford StrandにおいてMarloweが不慮の死を遂げた

というのは事実でなく,彼ほ重大犯罪で告訴されてその身辺に危急が迫っていたので,彼

を庇護する有力者が術策を用いてMarloweと見せかけ別人を殺し彼をフランスかイタリ

ーに難を避けさせ,彼ほ数年を経て余底の冷めた頃帰国しWilliam Sbakespeareという

pseudonymを用いて創作活動を続けたが, The Jew of Maliaの真作老に閲しPrologue

を草してその中において,それとなく暗示を与えたものである,と述べている。 Thomas

Corwin Mendenhallというアメリカの優れた科学者が一作家の使用した語をそれを構成

する文字の数によってone-lettered words, two-lettered words, three letteredwords,

-- と分顕し相互の使用比率を曲線で表わすと,他の作家の場合とほ異る特徴を示し,

同一作家については韻文でも散文でも,如何なる題目に関して書かれた場合でも,普

た作者の年齢の如何にかかわらず,一定であることを発見し更に研究を進めてBen

Jonson, Oliver Goldsmith, Francis Beaumont-John Fletcher, Christopber Marlowe,

Lord Lytton, Joseph Addison, William SbakespeareのFirst Folio版また外国の作

家にも及んで,曲線のグラフを作製して比較してみると, MarloweとShakespeareの

場合のみがほとんど全く同一であると認められるという結論に達したのである。この調査

にあたってMendenballほMarloweの作品に用いられている全ての語及びShakespeare

の手になるものとされている劇,散文, sonnetsから延べ総数400,000に達する語を採

り,多数の助力者を得てその過労を避け細心周密に誤なきを期したのであった。 Menden-

hall自身はこの研究より直ちにMarloweとShakespeareほ同一人であると帰結してい

ないが, Williamsはこの興味深い事実を彼の所説の有力なる傍証として引用している。

Sbakespeareを愛するものにとってはその作品が至上であり,それが本名であろうと仮

名であろうと,また実際何びとであったかほ,今日の彼についての伝記研究の段階にあっ

てほ大きな関心を呼ばないが, Marloweの死については変死の現場に居合せた目撃者達

の証言,医学上の所見 検屍に際しMarloweの友人知己でこれに立合って彼であること

を確認したものがいたという記録が存在しないこと,その他疑わしい諸点が数々あるため

に, Marloweの存命説には彼を愛するものは冷淡であり得ない。しかしMarlovian

tbeoryを主唱する人々の懸命なる努力にも拘らず決定的な資料根拠が十分であると言い

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得ない憾みがあるので,今後の研究調査に期待すべき問題として残るであろう。

名作Doctor Faustusは25回上演されたが, The Jew of MaltaほHensloweの

Diaryによると1596年6月21日までに36回上浜されたとあって,当時如何に好評

を博したかは容易に推察出来るが,実際出版されたのほ大分おくれて1633年であったo

ところがこの初版本のtextが原作のままの形であるか否かについて疑念が生C・Mar-

loweの筆になったものが著しく corruptされたものであるとなす説(例えばBrooke

やE.P. Wilson等)と,ほとんど原作のままで大きな変改ほされていないだろうとする

読(F.S. Boas,, ∫.B. Steane4', A・L・ Rowse5'等)に分れたo前者の論拠はAct III

以下にはMarlowe独自のloftyな詩想やdignified styleほ影をひそ軌低俗なfarce

やburlesque夙になっていてminor writers (Thomas Heywoodの如き)の手になる

ものと考えざるを得ない,また創作された時期より40年余も経て出版されたのだからそ

の間原作ほそのままであったとほ信じられない, King Charles I及びQueen Ⅲenrietta

Mariaの台覧に供するために当世風に書き改められたと考えるのほ自然である,この作

に見られるcomicなscenesを創る才をMarloweほ欠いていた,等であるoこれに対

し後者の理由は,劇の中途で調子の変るのはあり得ないことでない,この劇においても

Act I, Act IIに現われたBarabasが次第に低劣になってゆく過程がAct III以下に措

かれているのであるからそれに相応しい調子をとるのほ当然である,指摘されたActsの

中にもMarloweの特徴を現わしている詩句が見られ,またvigourが感ぜられる,創作

されてから多くの年月を経ても劇場に保管されていたならば果実の如く corruptする筈

がないので原形を留めていると考えるのが至当である,等である。近時は後者の説が優勢

となり1933年のtextほ大体において信顕し得ると観る傾向を示している。この作品を

読むとあるいは他人の筆が加えられたかも知れないという感が全然ないとは言えないが,

それがどの部分であるか明確に指示し立証し得ないので,現在与えられている形のままで

一個の文学作品と見倣し鑑賞するのが最善の方法であり,然も作者の真意及び意図から遠ざかることが少ないと信ずる。

Marloweほ古今の典籍を博く渉猟してそれから得た知識を作劇の資料として利用した

が, The Jew ofMaltaのPlot全体に該当する物語は知られていない。併しこの劇の

protagonistであるBarabasを創造するにあたって,そのprototypeになったとして推

定されているのほLeon KellnerがそのEnglische Studien6'で指摘したJuan Miques

である。このポルトガル系ユダヤ人はPhilipLonicerusのChronicorum Turcicerum

の中でもSultan Selim IIの寵を得てDuke of Naxos となり, Sultanに進言して

venice共和国を裏切り Cyprusを奪取せしめたのであった。彼ほまたBelleforestの

cosmographie Universelleにおいても好悪な人間として述べられている。 Brookeは一

っのSOurCeからBarabasが得られたのでほなく,Constantinople の悪名高かった

David Passiからも示唆を受けただろうと言っている。そして以上ほ大方の研究者達によ

って容認されている。なおBarabasという名はMatthew27: 15-26に出ている,祭に

際し唯一名恩赦を受ける罪人として群集によって選ばれ,そのためにJesusが処刊せられ

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ることになったBarabbasから思いついたことも諸家の一致するところである.

The Jew ofMaltaほMarloweの作中最も弁解であるとせられ,その解釈の仕方も

-様でないが,敢えて諸説に囚われず,これに盲従せず卑見のままを述べたいと思う。受

難し,四散漂浪し,隷属し,迫害を受け続けて釆た宿命的なユダヤ民族の長い歴史におい

て,最も恵まれた時代と言えば10世紀であったろう。欧州各地において温く迎えられて

その国民と同様に諸権利を与えられ,土地を所有し商業にたずさわり,平和を楽しんで詩

人や医師や哲学者等になって文化的な貢献するものも出た。 11世紀以降になると封建的

借地制度の確立した土地においては,ユダヤ人が割込んで農耕に従事したり,定着する余

地がなくなり自然商業方面に進出せざるを得なくなった。併しユダヤ人は優秀な民族であ

るので商業貿易において産をなすものが輩出した。一方十字軍がおこると異教徒であるユ

ダヤ人が特にドイツとフランスにおいて迫害を受けるようになり,遂に1348年Rhine.

landでJewish communitiegが壊滅させられた。また14世紀の欧州各地にthe Black

Deathが猫狭を極めると,ユダヤ人ほ井戸に毒物を投入するという流言がひろまり,益

々圧迫が激しくなり遂に市民権や政治的権力を剥奪されるに至った。ユダヤ人に対する宗

教的人種的偏見ほ次第に全欧に拡がり,反ユダヤ人的感情を醸成していった.一方新に商

業階級が勃興するにつれて,ユダヤ人ほ商業貿易からも排除せられ単なる金融業に堕して

行ったo当時教会においてほ信者がusuryに従事するのを禁圧する態度を執っていたの

で,次卸こ専らユダヤ人がこれにたずさわるようになり,漸て他の職業は彼等に閉される

に至ったo彼等が財貨を殖すと君主や為政者ほこれを利用して多額の税を取立てたのであ

る。

さてマルタ島のユダヤ人Barabasは我々の前に富裕な貿易商人として姿を現わす。彼

がagreatusurerでもあることほ後に彼自身によって語られるが(1547),交易の実権を

握り,商船を遠く異国に送ってその財貨ほ全マルタ島の富を凌ぐものがある0 Marlowe

ほこれを

Infinite riches in a little roome (72)

と有名な詞句で表現しているo 5音節ずつ前半と後半に分ち,それぞれinとrの頭韻を

有し, i音を多く用いて音調的技巧を凝らしている。 Barabasにほ宇宙の究極に徹しよう

とするFaustus,世界を制覇せんとするTamburlaineの壮大さはないが,無限に対する

熱望においてほ軌を一にする. Barabasの世界,彼が住み行動する世界ほ,他の二人に

較べると余りにも狭く,この小さい部屋によって象徴されているかのごとくである。彼の

営々孜々たる努力によって"steele-bard co庁ers" (49)ほ貨幣で満たされ,これまでほど

のような小銭"paltry silnerlings"でも集めて獲得して釆たが,今やこれを数えるのにも倦んでいる。

Fye; what a trouble tis to count this trash. (42)

イギリスにおいてほ,ユダヤ人ほ1290年に国外へ追放され,公然とほ居住することほ

出来なかったが, 1656年にオランダのrabbiである Manasseb ben lsraelが01iver

Cromwellに請願したのが容れられてこの禁制は解かれた。従ってMarloweの時代には

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ユダヤ人がいても,ひそやかにmoney-1enderなどになって暮し,Renaissance時代の

イギリス人には自ら海外に雄飛し巨富を積むのが一つの理想であったから,Barabasの

この言葉はElizabeth朝時代の観客にほ驚嘆と羨望を与えであろうo

Barabasがなおも求めているのほ黄金と宝石である。何故ならばこの1カラットが

May serue in perm of calamity

To ransome great Kings from captiuity・(66-7)

のごとき力を有するからである。富は本来善でも悪でもなく,それを蓄積する手段,その

使途の目的によって価値が決定する○しかしBarabrsは富に大きな力が内在するのを認

める。そしてその力ほ権力に通じるものである。ここにIn丘nite richesほ無限なる力の

可能性を暗示し,彼の小さい部屋には限りなく大きな欲望が秘められているのが示される。

一般に"a SCatter'd Nation" (159)であるユダヤ人が頼りにし得るのほ財力のみであるo

これあればこそ他人の敬意も受仇たとえ王冠を購うことが出来なくても種々の欲望を充

し得る。近代において経済界に進出して成功を収めたユダヤヤ人が少くないのほ蓋し当然

と言うべきであろう。 Barabasも富を貯えるのは人間最高の仕事と考えて,自分の富に

誇を感じている。 Alexandriaから彼の船数讐が香料,絹,黄金,真珠等東洋の高価な物

資を積載して帰ると,

wbat more may Eeauen doe for earthly man

Tben thus to powre out plenty in their laps,

Ripplng the bowels of the earth for them,

Making the Sea their seruant, and the winds

T. driue their substance with successfull blasts? (145-9)

a merchant princeに適わしい豪快な言葉を発する。しかし富に対する人々の敬意はし

ばしば羨望となり,憎悪に変ってゆく。異教徒である富裕な多くのユダヤ人の場合と等し

くBarabasもそれを免れ得ない。彼は自分の力を信じているのでキリスト教徒の悪罵を

Wbo hateth me but for my happlneSSe?

or who is bonour'd now but for his wealth?

Ratber had I a lew be壬1ated thus,

Then pittied in a Christian pouerty: (150-3)

と言って弱者の妄言として意に介しない。富ほ往々にして身を破滅させる陥穿になり得る

のを悟らず,彼がひたすらに熱望している富とその力はこの劇のmotifの一つになって

いる。

Motifの他の一つは復讐である。 Barabasの富は増大の一途を辿るかのごとく見える

が-官吏の政治的権力のために忽ち粉砕される。即ち艦隊を率いて釆たトルコ帝の息

calymatbに過去十年問滞納していた献納金を促されたマルタ島の総督Fernezeほ,ユ

ダヤ人達を集めて

For throughour sufferance of your hatefull liues,

Who stand accursed in the sight of beauen,

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These taxesand amictions are befal'ne, (295-8)

と言ってトルコに納むべき金全部をユダヤ人からのみ取立てるゆえ,各自ほ財産の一半を

支払うこと,若し支払いを拒む場合改宗してキリスト教徒になるべきこと,これを拒むも

のほ全財産を没収さるべきこと,と申渡す。 Barabasを除く三人のユダヤ人ほ財産の半

を失うのを承知するが,彼ほ理不尽な命令に不服を唱える。ユダヤ人が自由に交易商業を

営み巨利を博するのを黙認していた国々においても,その代りに一定期間をおいて利益の

一部を国庫に徴収する慣習があった。祖国なきユダヤ人は身分の保証もなくservi came_

rae regis (slavesof theking's chamber)として抵当にされ,譲渡されあるいほ放逐さ

れることもあったので,たとえ巨額の金を支払っても居住を許され,業務を営み得るなら

ば幸と言うべきであった。しかしこれほ明らかに宗教的人種的偏見から生じたものである。

元来ユダヤ教もキリスト教も同じmonotbeismから生じたので,キリスト教徒ほ自らを

予言者の正統を継く小ものとしてユダヤ人をinfidelsと蔑称したが,ユダヤ人ほ自らを

God'selectと信じ父祖の信仰を決して棄てずイスラエルの復帰とその再建を理想とし

て釆た民族であるo Barabasほ琢て口に信仰を唱えながら心邪まなキリスト教徒を蔑視

しているので,

For l can see no fruits in all their faith,

But malice, falsbood, and excessiue pride,

Which me tbinkes丘ts not their profession. (154-6)

Fernezeの侮辱に堪えられず,民族的な怒に燃え立つのも蓋し当然である。この引用文

は勿論Marlowe自身のChristian hypocrisyに対する痛罵であって,彼は常に既成宗

教の教義を疑い,宗教家の偏見と信者の独善を攻撃し,真の宗教に無知なることを指摘し

たのは,この作品以外の諸作の中にもしばしば見られるところである。 Barabasは総督

に向って,

Will you then steale my goods?

Is theft the ground of your Religion? (327-9)

と詰め寄る。 「汝盗む忽れ。」ほthe Decalogueの戒律の一つで破ってはならぬ筈のもの

である。また一人の武士が,

If your first curse fall heauy on thy head,

And make thee poore and scorned of all the world,

"Tis not our fault, but the inherent sinne". (340-2)

と自分達の公正を欠く苛酷な行の責をユダヤ人が父祖より受け継いでいる罪業に転嫁しよ

うとするのに答えて,

Wbat ∫ bring you Scripture to con丘rm your wrongs?

Preach me not out of my possessions.

叉聖典の悪用を谷めて言う,

Some lewes are wicked, as all Christians are:

But say the Tribe that l descended of

(343-4)

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THE JEW OF MALTA 35

were all in generall cast away for sinne,

sball l be tryed by their transgression?

Tbe man that dealeth rigllteOuSly shall line:

And which of you can charge me otherwise? (345-50)

ユダヤ人を罪人扱いにするキリスト教徒に対するMarloweの反駁である。たとえ罪を犯

した人間があったとしても,当人がそれを購えば足りるのであって,その子孫がその責を

負うて非難さるべき理由はない。個人には独立した人格があって,各自がその行の正邪曲

直によって判断され評価されるべきものであるという近代的な倫理観である。俗世間的な

感情と,生物学的遺伝においてほ,父祖の行が子掛こ影響を残すことほあり得るが,現代

の道徳及び法律ほ全く個人は独立した人格であるという思想を基盤にしているoBarabas

ほ不義の富を積んだのではないと主張しているが,更に財産の半を納めるのに早速同意し

た他のユダヤ人達を叱陀し,自らの信念に忠実に堂々と所懐を按摩し,その述べる所は概

ね正論であるので我々の共感を呼び,不屈剛毅な精神に好意を懐かせ,キリスト教徒を攻

撃するShylockの場合と同様な痛快さを覚えさせる。然るにBarabasの抗弁にもかか

わらず全財産を没収せられ,その邸宅ほ修道院として使用されることになるo

Marl。weはTamburlaineにおいて強烈にして超人間的な人間像を我々に示したが,

この劇においても才知と寄暗に富み,警固な意志と実行力を有する極めて特異な人間を創

り出している。 Barabasほ自己の非凡と優越性を意識し,苦境の中に果てることほない

と信じている。

No, Barabas, is borne to better chance一

And fram'd offiner mold then common men, (452-3)

このような人間が強い屈辱に遇って技手嘆息して終る筈はないo他のユダヤ人の前で痛烈

な呪阻の言葉を吐き(393ff.),一旦ほ強い絶望の叫びをあげる(403ff・, 424ff・)-これ

はMarlowe風の格調の高い詩句で表現されている-この絶望ほ単に人前での見せかけ

のみではなく,彼の本心の一部でもある。しかし彼は報復を考えている。既にFerneze

に, 「過ぎたる富は意欲のもと,食欲ほ大罪だ。」と言われたのに対して,

I, but theft is worse: tush, take not from me then・

For that is theft; and if you rob me thus,

I must be forc'd to steal and compasse more. (358-60)

と応酬しているが,今やそれを如何に実行するかという問題が残されている丈となる。か

くてこの劇は復讐劇の様相を帯をびてゆく。

次にこのBarabasの復讐を黒く彩っているのはMachiavellian policyであり,当時

Machiavellismと考えられていた思想がこの劇の基調になっている。Act Iが始まる前

にprologueとしてMacbeuil (Macbiavel, Machiavelli)の慧が登場し,思想を等しく

する人々と歓を供にするためにイギリス-釆たが,これから-ユダヤ人の悲劇を供覧した

いと述べる。その中で.

Admir'd i am of those that bate me most. (9)

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と辛萩な皮肉を放ち,また

I count Religion but a cbildisb Toy, (14)

と宗教を抑輸しているが,これは勿論Macbiavelliの思想ではなくMarlowe自身の伝

統的既成宗教に対する所感を表わしたものであるo Machiavelliの著書ほ当時フランス語及びラテン語訳はあったが, The Princeの英訳ほ1640年まで発行されていなかった。Innocent GentilletのDiscours sur les moyens de bien gouverner et maintenir

en bonne paix Lm rOyaume Ou autre Principaute'....contre Nicolas Machiavel

Florentin・というイタリ-の生んだ大思想家の説を偏見&J軌、て反論した書ほ1576年に

出版されていたoこの書の英訳ほ直ちになされたが,出版されたのは1602年と1608年

であったoしかし翻訳も創作も出版される以前に稿本の形で一部の間に読まれるのほよく

行われていたので, MarloweがCambridgeに在学中既に学生間に広く読まれていたの

は,他の資料からも明かである.このようにしてMachiavelliの思想ほ歪曲されてEliza_

beth朝時代の知識人に紹介されたのであった。 Marlowe自身ほMachiavelliの思想に

近いものを有していたということほ,研究者達がTamburlaine等より例示して指摘する

ところであるが,彼が果して如何なる程度までこの思想家の真精神を理解していたかほ未

だ明確にされていない。少くともThe Jew ofMaltaのAct IIの半以下を作劇するに

際してはその一面のみを強調して謀略的にして利己的,裏切りを梼樗せず,神を畏れず,

人を愛しない,目的のためには手段を選ばないBarabasを措いている。 Machiavellism

ほ当時の人々によってそのように理解せられていたのである。

Macbiavelliの思想の頁髄ほ専門の学者が精微周到なる研究をしなければ,十分に理解

し把捉するのほ不可能であると考えられるので,ここでほ単にその「君主論」7,を通して

その一班を覗いて見るに留めたい。彼は君主国を征服するた捌こほその被征服国の王統を

根絶しなければならない,と言って旧王統者の報復の機会をなくし,また人民が旧君主の

恩愛に対する敬慕から新君主に対して反感を懐くのを防ぐ手段として酷薄なる行為を辞す

べきでないことを示している。新領土を保持するた捌こ移民兵を送るのは良い方法である

が,その際土地や家定を奪われるものが生ずる。しかしこれほ比較的少数で漸て貧困に陥

り分散して了うので新君主に危害を加えることほ出来ない。また他の住民達ほ同じ災厄に

遭うのを恐れるので反抗しない。民衆ほ頭を撫でるか,消さなければならない,と言って

多数者を帰順せしむるた捌こ少数者の犠牲も必要ありとしている.また君主ほ悪徳の汚名

は避けるべきであるが,悪徳を行わなければ自己の存亡に関わる場合は,汚名を受けるの

を避くべきでない教えている。君主ほ貴欲であってほならないが,客密であるのを勧軌

臣民に忠誠を守らせるた捌こは,残酷であるという悪評を気にかけてほならない,何故な

らば・憐み深いた捌こ混乱状態を招き,やがて殺教や略奪を横行させる君主に比べると稀

に温情ある行をした方がほるかに隣み深く思われると述べ,君主ほ人民から恨みを買って

ほならないが愛されるより恐れられる方がよい,と言っている。また信義等を意に介せず

貯策を用いて人々の頭脳を混乱させた君主が却て大事業をなし遂げていると説き,有名な

変猶な狐と狩猛な獅子の比倫を挙げて君主ほこの両者の性質を兼備すべきであるとし,君

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THE JEW OF MALTA 37

主の行動について喚問出来る裁判所がない故に唯結果によってのみ評価される等と述べて

いる。

以上よりMachiavelliが権謀術数を誼歌し,目的のた糾こは手段を選ばないという思想

を有していたと推測されるに至ったのは無理からぬことと言わざるを得ないが,同時に他

の一面に限を蔽うてほならない。即ちシチ1)ア(Sicily)のAgathocles (36ト289B.C.)

の非道にほ反対して, 「同郷の市民達を虐殺したり,味方を裏切ったり,信義も慈詠じも

宗教心もないことを力量(virth)と呼ぶことほ出来ない。こういう手段で支配権を手に入

れることがで出来ても,栄光を手に入れることほ出来ない。」と批判し, 「Agatbolesが危

地にとびこみ,危地を脱するときに見せた気慨(virta)辛,逆境を耐え克服するときの偉

大な心についてほ,他の武将と比較して遜色があろうとは考えられない。だがそれにもか

かわらず,彼の枚挙にいとまのない非道な行為や,あの残虐と非人道性は,そうしたすく小

れた名士の列にほいることを許すものでない。」と言って貯策を用いて元老院議員や市の

富豪達を殺害したのを非難している。以上のことよりMacbiavel王iは如何なる目的のた

めに如何なる手段を用いてもよいと主張しているのでほなく,立派な国を建設するため,

優れた君主になるためには,後にそれを補って余あるようになし得るならば,その途次に

おいて常人の斥けるごとき行があってもこれほ容認さるべきである,と考えていたのでほ

なかろうか。客意ほ讃えらるべきではなく,悪評ほ望ましいものでないが,この目的のた

めには己むを得ざることとして認め,恩寵と表裏をなしている残酷は,彼の排する残忍非

道とは性質が等しくないであろう。宗教心を伴わない支配権ほ栄光に輝かない,という言

葉ほ,彼が敬度であって神のJLを知り,神を弁えていたことを示し, The Jew ofMalta

で"宗教はくだらぬものと思う。"と言う Macbiavelliとは全く別人であるのがわかる。

さて復讐を決意したBarabasほ奇計策謀を尽してその実行に着手する。彼ほこれを

policyと呼び,この劇中頻繁に口にするが,これはMacbiavellian policyでMacbiavel-

1ismの真髄となすものと考えられていたのである。 Barabas は邸宅な修道院にせられる

のほ既に知っていたが(361-4),娘のAbigail-この名はSamue1 25: 24にあるKing

Davidの妻の一人に因んでいる-から今ほ男子禁制になっていて,そこに隠匿してお

いた財宝を取りに行くことは出来ないことが告げられると,

Mygold, my gold, and all my wealth

is gone.

You partiall heauens, baue l deseru'd this plague?

Wbat will you thus oppose me, 1ucklesse Starres,

To make me desperate in my pouerty?

And knowing me impatient in distresse

Thinke me so mad as l willbang my selfe.

Tbat l may vanishore the earth in ayre,

And leaue no memory that e're l was.

No, I will ljue; nor loath l this life:

And since you leaue me in the Ocean thus

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38 大 郷 一

To sinke or swim, and put meもo my shifts,

Ⅰ'1rouse my senses, and awake my selfe. (493-504)

全財産を失い絶望のどん底に陥入り狂い死せんばかりであるが,大海原に漂う捨小舟のご

とき境涯においた苛酷な運命に抗して力強く生きていこうと決意する不屈な魂と強靭な意

志を表現している。この不幸の困となったキリスト教徒の暴圧に一矢報いるためAbigail

の協力を求めその同意を得ると,彼女に信仰を伴って修道院に修道女として入らせ,隠し

ていた財産を持ち出す計画を話す。危供する彼女に

Religion

Hides many mischief es from suspition. (519-20)

A counterfet profession is better

Then vnseene hypocrisie. (531-2)

と言う言葉の裏には法衣の下に隠れ,心の腐敗した宗教人の偽善に対するMarloweの痛

列な皮肉がひそんでいて,且つ後に出て来る修道士の episodeの伏線にもなっている。

Barabasの計画ほ成功するが,

I haue no charge, nor many cbidren,

But one sole Daughter, whom I hold as deare

As Agamemnon did his Jphigen:

And all l bane is hers. (174-7)

かくも愛する娘の純真無垢な魂に背信の罪を犯させたのである。 Barabasの愛情の言葉

に不安と不吉な予感を覚えるが,果してAgamemnonが女神Artemisの怒を鎮めるた

め我が娘Iphigeniaを生賛として捧げようとしたように, Barabasは復讐のために

Abigailの清浄な魂を犠牲にするのである。

Barabasほ奴隷市場で買ったIthamore と互いにこれ迄行った悪事について語り合い,

同質の悪を彼の中に認めて共感し腹心の手先とする。 Barabasの悪事は現実のものでな

く,単に悪を街うための虚構に過ぎないと思われるが,少くとも彼の求めているものを

Itbamoreに見出す。この場面即ちAct IIの半頃からMarloweはこれ迄と違ったBara-

basを描き出してゆく。最初登場する場合の小利に離艦せぬ,悠々として迫らない大富豪

らしい態度,圧迫されているユダヤ人の正当な民族的憤満,正義感に燃える高揚した精神

が消えてゆき,あらゆる貯計謀略を用い,如何なる犠牲も顧みず,人間の最も尊いものを

失っても怨恨をはらし,我が身の保全を求める自己中心的な復讐の鬼として姿を現わす。

劇の調子も厳粛荘重な趣が乏しくなり,更にAct II, ⅠⅠⅠと進むにつれて,喜劇的な響が

高まってゆくのである。

Barabasの復讐の対象ほ彼の全財産を没収した提督Fernegeである。しかし彼を直接

殺害せずにその息Lodowickを亡き者にして,彼の父性愛に終生癒えることのない傷を

与え,彼を苦悩に苛ませようとする。 Barabasほ命を取るより惨めな状態に陥入れる方

が遥かに大きな苦痛を与えるものだ,と信じているからである(379-81)。 Lodowickほ

親友のMatbiasからAbigailについて.

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TEE JEW OF MALTA 39

A faire young maid scarce 14 yeares of age,

The sweetest flower in Citherea'sfield, 621-2)

と聞かされて一目見たく思いBarabasを訪ねる。 MatbiasとAbigailが愛し合っている

のを知りながら,一計を案じてLodowickの恋情を煽り, Abigailには心にもない愛情

こめた仕草を装って彼の心をとらえて将来を約束するように言い付ける。一方Mathias

にAbigailが真実に愛しているのほ君であるが, Lodowickに悩まされて君に彼を遠ざ

けて貰いたがっている,と話す。 Lodowickが婚約についてBarabasの許可を求めると

快くこれを与え, Mathiasが殺意を懐いていると告Vji', MathiasにはAbigailを妻とし

て与えると約し, Lodowickが彼の命を狙っている,と語り二人の間に激しい敵意と強い

恋の遺恨を燃しつける。 Barabasほ時宜しと見て,決闘状を偽作し,進んで一役を買っ

たIthamoreに持たせてLodovickとMatbiasに届ける。その結果二人共傷ついて落命

する。

このようにしてBarabasは所期の目的を達するが,同時に自己の罪を一層深いものに

する。修道院から財産を運び出そうとする際ほAbigailに信仰を伴って修道女を欺かせた

が,今度は虚偽の愛を語り結婿の偽書を強要して恋人Mat血iasを裏切らせる。愛する娘

の意志と感情を顧みず,その人格を無視し,純真な恋を経み踊って,復讐の僻偏にして了

うのである。 Mathiasもキリスト教徒であることを除いては, Barabasの怨恨を買う理

由は何もない。 Barabasほこの計画を練る際, Mathiasが決闘に勝ってLodowickが死

に,あるいはその道の場合を計算に入れたであろうか。 Barabasは二人共死ぬのを最初

から予定しているのである。

As sure as heauen rain'd Mama for the (ewes,

So sure shall he and Don Mathias dye:

Mathiasの許-麿の決闘状を持って行かせる場面でItbamoreが,

Faith Master, I tbinke by this

You purchase both their liues, is it not?

と言うと, Barabasは答えるo

(1013-4)

′1130-1)

True; and it shall be cunningly perform'd. (1132)

Mathiasもまた彼のいわれなき犠牲者である。その母である未亡人のKatherineはBara-

basを快く思っていないが(922),その生甲斐である我が子を殺されて悲嘆と絶望の淵に

咽び泣かなければならぬ苛酷な運命にほ値しない。 Barabasはここにも一人の不幸な人

間を作るのである。 LodowickほFernezeの息ではあるが,彼自身ほBarabasの怨恨

を買うべき何物もしていない。唯Abigailを熱愛し幸福な結婚を夢見たた捌こ,乗じら

れてFernezeに苦悶を与えようとするBarabasの術策に来れる。怨恨ほ人間の感情の

中で崇高なるものと称することはできない。それを晴らすために,他の一切を考慮せず残

忍非道な手段を選ばないBarabasほ我々の心から遠く離れて行く。

ここでAbigailの態度について考えて見よう。一家が不当にも全財産を剥奪され怒り

悲しむ父の哀れな姿を目のあたりに見て,

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40 大 郷一

tbou perceiu'st the plight

Wherein these Christians haue oppressed me:

Be rul'd by me, for in extre皿itie

We ought to make barre of no policie. (505-8)

と言われると,

Father, what e're it be to iniure them

That baue so manifestly wrong'd vs,

What will not Abigail attempt? (50911)

と思わず答えるのは当然であって,何等非難すべきものがない.しかしこの言葉が如何に

恐ろしい意味を持つようになるかということは,彼女も知らないし,何人にも予想できな

い。後で父にLodowickを欺隔し, Matbiasに背信行為をするように言付けられる時,

即ちLodowickに接吻し,優しい言葉をかけ,約束をするのだと言われると, Matbias

を愛しているのです,と抗弁するが, Barabasほどうしても必要なことなのだ,と答え

て胸中の目論見を洩さない。 Abigailの愛を得たと思って, LodowickがBarabasに婚

約の許可を求める場面においても, Matbiasを思って不安になる Abigailが婚約するの

ですか,と尋ねると,偏すのだ,心ほMathiasのためやらないでおくのだ,と宥めて,

It's no sinne to deceiue a Christian;

For they themseues hold it a prlnCiple,

Faith is not to be held with Herretickes; (1074-6)

と言う。ここにもMarloweのキリスト教徒に対する痛撃が表現されているが, Abigail

ほ父の言葉を悉く信じて疑わず彼に従う。 14才のか弱い少女Abigailに剛毅にして不屈

な魂,人心を読み取ってその真意を察知する力を期待するのは無理であろうが,自分の行

わんとするところが,神の心に添い,人の道に叶っているか否かの判断が出来る筈であるo

魂の声に耳を傾けこれに忠実たらんとする意志を欠いている。また同年のJulietが一切

を捨てて, Romeoに対する恋に殉じたのと比較すると,恋一筋に生きようとするひた向

きな燃えさかる熱情がない。若し彼女がそれを持っているならば,これとほ可成り違った

悲劇が出来たであろう。 Marloweの措く beroineは往々にして,ある弱さを伴っている

が,この劇におけるAbigailの役割とMarloweの作意を考えて見るならば,このまま

であってもよいと思われる。さてMathiasとLodowickの死が父によって計画されたも

のであることを悟ったAbigailは悲哀と絶望と悔恨に働果して父を恨む。

Hard-hearted Father, unkind Barabas,

Was this the pursuit of thy policie?

To make me s血ew them seuerally,

That by皿y fauour they should both be slaine?

Yet Don Mathias ne're offended thee: (1259-64)

彼女は父に裏切られて,恋人Matbiasを殺害するための手先にされたことを知り,この

世にほ愛が認められなくなり,一切の希望を失って今度ほ本心から修道院に入る。

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THE JEW OF MALTA 41

ここで想起されるのはIagoである。彼もまた貯智と巧妙な弁舌によってOtbelloを疑

惑と嫉妬の苛真に陥し,遂にその最愛の妻で貞淑無比なDesdemonaを殺害させるのであ

るが, Barabasと比較するならば後者の使族は直哉で露骨であるのに反して,前者の示

唆は極めて椀曲に表現される。 Barabasほ明確な目的意識を有しているが, Iagoのそれ

はColeridgeが"motiveless malignity"と呼んだ程捕捉し難い。そこにMarloweと

sbakespeareの差違が感じられるが,同時にIagoを創造するにあたってSbakespeare

の念頭にBarabasが掠め過ぎはしなかったであろうか。

Barabasが言葉巧みにMathiasとLodowickを導いて行った決闘は,偶然によって

その結果が支配される可能性がある。 Marloweが次の"Machiavellian policy"におい

てBarabasに執らせた方法は,確実性の更に強い毒殺である。BarabasほAbigailを

愛しているが,彼女から修道院に入ったことを知らせ,彼に悔い改めるようにと認めた手

紙を受取った時,彼女の愛が既に彼から去り,自分の行った企みを知られていると考えるo

実際ほ,彼女ほそうするだけのことはあると思いながらも決して父の生命に関わるような

罪を洩らすまいと心に決めているのだが(1299-1300), Barabasは露見を恐れて彼女を亡

きものにしようとして, Ithambreにほ財産を与えると甘言で釣って策謀に加担させるo

即ち毒を投入した粥を祭の日に修道院- Itbamoreに献じさせて修道女達を殺すo Abi-

gailは死の直前に修道士Barnadinoに告解して,一部始終を語り,Barabasの罪深い行

を認めた紙を渡して息絶える。

罪を隠蔽するために,次々と罪を重ねてゆくのほ犯罪者の常道であるが,たとえ身の保

全のためであろうと,無関係な聖職者達や,ましてや血肉を分けた従順にして純真な娘を

殺害するのほ天人共に赦さない所業である。 Barabasほ尊い人間性を完全に喪失してこ

の劇の終まで遂にそれを取戻さない。 Tamburlaineも人間性を欠いている面があるが,

妻Zenocrateと子供達に対する深い愛ほ死の床に就くまで漁らない。彼もまた長子

calyphasを殺すが,それぼ法憶にして遊楽を好み,父の名を汚す不肖の子であったから

で, Abigailと同日に語ることほ出来ない。 Barabasほ修道女達の死を悼む弔鐘を聞くと,

There is no musicke to a Christians knell:

Ⅲow sweet the Bels ring now the Nuns are dead

That sound at other times like Tinkers pans?

I was afraid the poyson had not wrought,

or though itwrought, it wonld haue done no good,

For euery yeare they swell, and yet they liue;

Now all are dead, not one remaines aliue. (1509-15)

危供していた毒が効を奏したのを喜びながら侮言を発する。またIthamoreにAbigail

が死んで悲しくないか,と問われると,

No, I grieue because she liu'd so long・

An Hebrew borne, and would become a Christian. (1526J7)

と冷然としている。 Tamburlaineほ死ぬ迄美を熱愛し,世界制覇の鵬志と夢を懐いて人

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42 大 郷 一

問的魅力を失わないが, Barabasほ復讐の執念に取悪かれた残忍な悪魔になり,人間的

魅力は完全に消えて了う。この劇ほ創作された当初上浜回数が多かったにもかかわらず今

日でほほとんど舞台の脚光を浴びることのない主なる理由はこの点に存するのであろう。

Barabasに較べると今なお人気の衰えないThe Merchant of VeniceのShylockは一

般の人々にほ違に魅力的である。人間性を豊かに保有しているからである。

修道女を殺したのは明らかに法律的犯罪で極刑を免れないので,その発覚を怖れる

Barabasほ次の罪を犯すことになるo修道士BarnadineほAbigailの遺体を見て,

Ⅰ,and a Virgin too, that grieues me most: (1497)

と言う程の俗僧であるが,告解を洩らすという大罪を犯し,修道士Jacomoと共に,

Barabasにその秘密を知っていることを広めかして恐喝するので, Barabasほこの危険

な二人を除去しようとする。先ずキリスト教に帰依して献金したいと灰かすと,彼等は偽

善と物欲を暴露して,それを独占しようと醜悪な争をする。 BarabasはBarnadineを呼

び出しIthamoreと協力して痕跡を遺さぬように絞殺し,その死体をItbamoreの悪知

恵で杖に借りかからせ生きているように見せかけておく。 JacomoがBarabasを改宗さ

せ献金を一人占めにしようとして来て,これを見ると先廻りされたと感違いして彼を打ち

倒す。 BarabasとItbamoreが現われて,彼に殺人の罪を被せ司直の手に渡し, Jacomo

ほ絞首刑に処せられる。 Marloweほこの挿話においてもキリスト教の宗教人を痛烈な皮

肉をもって攻撃している。併しこのような偽善的物欲主義者ほ宗教界のみでなく如何なる

社会にも存在するものである。

犯罪は共犯者の口から発覚する場合が多い。 Barabasの身辺を危くする老にIthamore

が残っているが, Abigailを殺そうと毒入りの粥を修道院に屈けさせた時, Barabasの心

中でほ秘密を知る者としてIthamoreを殺害せんとする決意ほ既についていた(1419)0

今やIthamoreほ心を奪われた娼婦Bellamiraとその情夫Pilla Borzaに唆かされて,

Barabasに金を請求し応じなければ「言って了う。」 (旧邸宅から持出した隠匿金を保有し

ていることを,という積りで)と嚇かす。 PillaBorzaも同じく金を強請るので, Barabas

は三人を殺そうと決心して,楽師に変装し緩漫に作用する毒をしみ込まれた香りの高い花

を与えて喚がせる。これに前後して金目的のBellamiraに篭絡されたItbamoreはこれ

迄にBarabasの行った悪事を喋って了うので, Pilla Borzaほ提督Fernezeに訴え出る.

併し毒が利いて三人共死に,訴により逮描し投獄されたBarabas麻酔剤を喚んで死を装

い城壁の外に捨てられ,やがて蘇生する。この挿話では無頼の徒PillaBorzaが正義感か

らBarabasを訴える箇所が注目を惹く。 Marloweほこの劇で二回毒殺の手段を利用し,

BarabasとItbamoreが最初遇って互いに悪事を語り合う場面で, Barabasは井戸に毒

物を投入したことがある,と語っている.毒と言えばBorgia家の毒殺を直ちに思い出す

が, Marloweの時代でほAlexander大王も毒殺された,と言う説が一般に信じられて

いたので,修道院-粥を持ってゆく場面でBarabasは言う,

As fatall be it to her as the draught

Of which great Alexander drunke, and dyed:

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THE JEW OF MALTA 43

And with her let it worke like Borgias wine,

where of his sire, the Pope, was poyson'd. (1399-402)

また麻酔剤を用いて一時仮死状態になるのほ,Romeo and Julietにおいても用いられて

いる方法である。

Barabasのpolicyほなお続く。彼の本来の目的ほ,全財産を没収せんとしたFerneze

に復讐することであり, Lodow・ickを死に至らしたのもそのためであるが, Pilla Borza

の訴により彼を描えて拷問に付し,極刑に処そうとしたFernezeにほ,新たに烈しい憎

悪に燃えて報復しようと策謀する。即ちMaltaをCalymatbに占領させ,Fernezeを

奴隷にしてgalley船の漕ぎ手として一生を終えさせようと企み, Calymathが城壁を攻

略しようとしている間に,水路を通じるため岩を開整して作った扶道を通り, Calymatb

の手兵500名を率えて聞入して奇襲し陥落せしめる。 Fernezeは獄に下り,彼に代り

Barabasは功によってMaltaの総督に任用され護衛兵をつけられるo今や彼ほFerneze

に対し生殺与奪の権を握ることになる。

併しMaltaを裏切った彼ほマルタ人の憤りと恨を買い,生命が絶えず危険に曝される

のを憂いて, FernezeにMaltaをトルコ人の隷属より救い,彼を再び総督にするからと

言って多額の金を贈与することを約束させる。 Barabasの最後のpOlicyほCalymath

とその幕僚達を総督の居城で開催する饗宴に招き,桟敷の床に仕掛をしておき,その下に

大釜を隠しておき合図と共に落し,且つ火を放って皆殺しにし,一方修道院に兵士達を招

待して,これも火薬を用いて一挙に爆死させよう,というのであるoところが,計画通り

進行するかのごく見えたが,今度ほFernezeが裏切り, Barabasが仕掛床の上にいる時

綱を切ったので,彼ほ自ら企んだ術中に陥入って死ぬo修道院の方ほ予定通に爆破されるo

彼はこの計画を思い付いた時,

why, is not this

A kingly kinde of trade to purchase Townes

By treachery, and sell'em by deceit?

Now tell me, worldlings, vnderneath the sunne,

If greater falsbood euer has bin done・ (2330-3)

と言うが,これは我ながらその"Machiavellian policy"の妙に満悦して得々となってい

るのを現わすものであって,この吉葉とこの奇計の対象がFernezeでないことから

Barabasほ策謀そのものの歓びのために復讐の大願を棄てた,と考える人々もいるが8),

実はBarabasは前述のように身の保全のため生命の危険から逃れようとしたに過ぎないo

またFernezeと妥協に達したかのごとく見えるけれども,これも一時の便法であって,

報復を他日に期さないとも限らず,唯この劇においてはそこ迄及んでいないのであるoま

た彼は多大の財産を失い,これを旧に復したいと願っていたとしても,隠匿していた財宝

を秘そかに運び出し,今猶巨富を有しているので,金銭の獲得を第一の目的とほしていな

い。

以上この劇に現われる"policies"を簡略に述べたが,これら全てをMarloweが自ら

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44大 郷

inventしたのでなく,読書の間に得た知識を利用し,巧みに配列したものである。それ

にもかかわらず,この劇は極めて独自なそして独創的なものになっている。ここで注意す

べきことは,これらの奇計策謀は劇に変化を与え, actionを豊かにし, suspenseとex-

pectationを喚び起し,興味を深めてほいるが, Marloweがこれに共感し,これを肯定

し,詣歌しているのでなく,この劇の創作目的ほ他に存するということである。芸術的で

あれ宗教的であれ天才ほ一種の過度(excess)である,という言葉があるが, Marl。weは

正に天才でありそして一種の過度であった。彼が常人の規矩をもってしてほ測り得ない過

度な,法外な人間に心を惹かれるのほ当然と言うべきであろう。彼ほ宗教に対してほ過度

に厳格であったが,芸術においてほこのような超人問的な存在を措こうとしたのである。

TamburlaineもFaustusも人間を超絶した人間であり, Barabasもその様な人間とし

てMarloweによって創造されたoそしてMarloweは彼らに,彼らが過度であるが故に,

限りない魅力と愛着を覚えていたに違いない。

貯智に長けた,巧妙な奇計策謀ほ第三幕から次々と事件となって発展し,観客の興味を

吸引するが,これと同時に短いmatter-of-factな会話の応酬が多くなりまたacti。nに

満ちたものとなり・第一幕に見られる詩想豊かなrbetoricalな詞句を連ねて,静かに感懐

を叙する落着いた雰囲気が稀薄となり,現実的な世俗的な調子(tone)が強まってゆき散

文もしばしば挿入される。殺人ほ一つでも陰惨で残酷なものであるから,この劇のごとく

それが相次いで起る場合終始漁らぬ厳粛にして緊迫した筆致をもって叙するならば,観客

ほその重圧に堪え得ないであろう。それを避けるためにMarloweは喜劇的要素を加えて

いるo例えば最初に登場するBarabasは赤毛で匝偉な鼻を有しているのは,ユダヤ人を

類型的に誇張したものであろうが,この誇張はCbarles Dickensの小説に出て来る登場

人物達のごとく滑梧感を与えるものである。この鼻は台詞の中にほ, Ithamoreの言とし

て"Ob, braue, master, i worship your nose for tbis・〃 (938), "I baue the brauest,

grauest, secret, subtil, bottle-nose'd knaue to my Master," (1228-30), "God-a.

mercy nose, come let's begone・" (1531)等となって出て来る。 Barabasのこの風羊はMorality playsの伝統に慣れている老にほ, devilを連想せしめ,その運命についてある

安心感を懐いて観ることが出来るのである。またItbamoreの無知無学ぶりを暴露して,

Wby the deuil inuented a challenge, my Mr. writ it,and l carried

it,first to Lodowicke, and imprimis to Mathias. (1239-41)

とimprimisを誤用せしめたり(なおこの言葉の中でBarabasをdevilと呼んでいる),

また

Thou in those Groues, by Dis aboue,

Shalt liue with meand be my loue. (1815-6)

でほthe lowerworldの神にaboveを添えたり(この二行の前にIthamoreに似合し

からぬ流麗な詩句を言わしめた後であるから滑梧味が強められている), Pardonez m。i

と言うべきところをPardona moyとさせたり(1992), punとしてほ,

Now am l cleane, or rather fouly out of the way. (1766)

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THE JEW OF MALTA 45

のcleanとfoullyを対比している。原文のfoulyの次に,を入れcleaneほcompletely

の意に解す。またItbamoreの

But ten? Ⅰ'1e not leaue bin worth a gray groat・ Giue me a

Reame of paper, we'll haue a kingdome of gold for't・ (1833-4)

ではrea皿とrealmは当時発音が等しいところから, kingdomと対象せしめて用いて

ある。なおreamほ16世紀でほrealmeという形があり,またrealmの方はream

と綴、つていた。

単に言葉のみでなく動作の滑梧味を伴う場面もある。 JacomoとBarnardineは修道士

に適わしからぬ言葉を吐くだけでなく, Barabasが寄進しようと申出た金に関して醜い

争をして殴り合いを始めたり,また杖に立てかけたBarnardineをJacomoが自分に打

ってかかろうとしているのと感違いして,これを打ち倒して殺人の漂れ衣を着せられる場面ほ不自然でむしろburlesqueに近く戯画化され,観客ほMarloweの辛棟な皮肉に気

付く前に娯笑したであろう。情夫がありながら,金のキ捌こ裾態と手管の限りを尽して

Itbamoreを誘惑しようとするBellamira及び彼女の色香に迷って寵絡されたIthamore

が秘密を洩す場面も同様であって滑捨味に満ちたものであるo しかし第三・四幕が悉く

farcial eleme.ntsのみから成っているのではない。息子の死を嘆き,必ず真の下手人を探

し出そうものと怒るFernezeとKatberine,恋人の死が我が父によって企らまれたもの

と知ったAbigailの悲しみ(1259-72)は側々として胸を打つものがあるo特にFerneze

ほ格調の高い詩句によって表現している(121ト9)これとほ趣を異にしItbamoreがBeト

1amiraに結婚しましょうと言われて述べる次の吉葉は豊かな詩情と美しい幻想に満ち思

わず息を止めさせられる。

content, but we willleaue this paltry land,

And sail from hence to Gγββcβ,to lonely Gγββcβ,

I'le be thy Jason, thou my golden Fleece;

where painted Carpets o'er the meads are llurl'd,

And Bacchus vineyards ore-spread the world:

wbere Woods and Forrests goe in goodly greene,

I'1e be Adonis, thou shalt be Loues Queene.

The meads, the Orchards, and the Primrose lanes,

Instead of Sedge and Reed, beare Sugar Canes: (1806-14)

これはMarloweの拝情詞The ♪assionaie SheePheard io his loueのparodyである

ことがわかってもその実しさほ否定出来ない。

第五幕になると軽やかな供笑もfarcial moodも消えてゆく。 The Jew ofMaltaが

悲劇であるか,喜劇であるかという問題については,初版本にはa tragedyと銘打って

いるが, a savage farce, a serious farce, a tragic comedy等いろいろ言われているo

この劇のgenreをいずれかに決定しなければならないか,どうかほ別問題として,これ

をtragedyと見るかあるいほQOmedy, farceと考えるかは,その鑑賞や評価の差異を

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46大 郷 一

示すものであるo一般的に言うと,喜劇ほ平凡な市井人を扱いその性格や言動を笑を誘発

するように描出し,社会風習,因習的な考えjf,世間から神聖視されているもの等を軽く

批判的に詞刺し,時には卑俗な会話を挿入することがあっても全体として文学的品位を失

わず暴力や惨虐ほ避仇種々の葛藤や災厄不幸等を経ても結末ほ幸福に終る劇で人間の過

誤や欠点や失敗を温く眺軌人間性として自然なものとしてある程度肯定しながらも,こ

れをimproveしようという精神を有している。笑劇ほ低俗な不自然な誇張した言動によ

って笑を誘い,人間の愚かさ,失策,誤解等を非同情的に暴露して抑倹しあるいほ噺笑し,

全体として気品を欠き,卑俗に流れるのを厭わず笑に始まって笑に終り,後に何物も残ら

ない。悲劇は強烈な感情,弱い性格,激しい欲望,過大な野心等内的な因子,あるいは運

命,超自然的な九大自然の暴威政治的圧力,経済的な苦免不幸な環境等外的力によ

って虐げられながら,これと闘って行く人間の悲壮な姿を措く。観客ほ共感や憐潤を懐き恐怖や壮厳の念に打たれるoその芸術的な表現と展開のうちに,静かな院想と思索に誘わ

れ,人間と人生についての異見神の摂理,大自然の法則等について開眼せられたような

感を与えられる。人間ほ万物の中で最も崇高な精神を懐き得るが,また最も脆弱で過誤に

陥入り易いので,悲劇しばしば不幸と悲惨に終るoまた魂が浄められて静かな救いに到逮

することもあるoイギリスでほキリスト教の浸透と共に人間がその弱さや罪のた捌こ種々

の運命に弄ばれるのは神の意志によるものと考え, miracle playやmorality playを

経てElizabetb朝劇と発展して行っても観客ほ悲劇に対してほこのような見方をしまた期

待するのは変らなかった。

さてBarabasほ虐げられた民族ユダヤ人として生れたのほその宿命である。祖国も政

治的権利も有せず,ユダヤ教を信仰する彼ほ異教徒として白眼視される。多くのユダヤ人

のごとく,悼むところは財産以外なしと考えて富を蓄積し,税関にもその名が通る位で,

富の力を意識しているo彼にとっては富ほ人生に等しいが,その没収を免れることほ出来

ないoこの不可抗力な運命に対して反抗し得るのは,改宗を拒否して救えたかも知れぬ財

産の半分を敢えて自ら捨てることである。そしてこれほ運命-の挑戦である。これほ強烈

な性格を持つ人間でなければ不可能なことである○そして彼はその異常に強烈な性格を有

している。提督Fernezeほ彼にとってほ政治的権九ユダヤ人から見ると不可抗力の象

徴であり,権化であるoこれ対する反抗ほ,彼の場合復讐という名で呼ばれる形を執る。

彼がその目的を貫徹するために選んだ手段が何であるかほ,第二幕において奴隷市場で

Ithamoreに避追する際彼に言った次の言葉に現わされている。

tben listen to皿y words,

And I will teach that shall sticke by thee:

First be thou voyd of these a庁ections,

Compassion, loue, vaine hope, and bartlesse feare,

Be mon'd at nothing, see thou pitty none,

But to thy self smile when Christians moane. (932-8)

これは人間性の放棄を意味する。人間にとって最も哀れな不幸は人間であることを止める

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ことであり,またこれに優る大きな悲劇ほないo Barabasほ人間性を失ったた捌こ,敬

々の残忍にして非道な殺人を犯してゆく。然も冷燃として反省も良心の苛責も悔悟もないo

彼に残されたものほ復讐の執念と生-の執着であり,決意を必ず実行しようという強烈な

意志と,それに必要な策謀を生み出す貯智であるo彼自身ユダヤ教から離れないいと思っ

ているが,既に神意に反きthe Decalogueを破ったのだから,神から離れ信仰を失ったと

言わなければならない。この劇ほ喜劇あるいほ笑劇的部分が多いところから,多数の人間

が死ぬという点を除いては悲劇でほない,と述べている人もある9)。人間の死ほ悲哀感を与

えるものであるが, The JewofMaltaの悲劇的要素ほこれ以外にないとするのはどうで

あろうか。卑見によるとprotagonist Barabasの人間性放棄及び喪失がむしろ最大の悲

劇的要素であって,悲劇構成の中核になり得るものである。これが存在する故に復讐も富

や力に対する渇望もMachiavellian policyも暗く彩られて悲劇的事件を生んでゆくので

ある。若し静かに人間を思い人生を考えてこの劇を見直すならば,喜劇的なあるいは笑劇

的登場人物も空しい欲望に操らられて褒めく哀れな姿となり,その滑梧な所作の影は不吉

に濃くなり,その洪笑には悲しい余韻が長く尾を引き,自らの欲望のために果敢なくも消

えてゆく悲劇役者に過ぎなくなるであろう。尤もこのような見方をすると人生ほ全て悲劇

になって了うであろうが,しかしこの劇は本質的に悲劇性を有しているのは否定出来ず,

いずれかの範時に入れなければならないとするならば,敢えてこれを悲劇と呼びたいo

演劇界に大きな野心を懐いていたMarlow・eがこの劇を創作するにあたって,当然観客

の心理を考憲したに違いない。残忍な殺害が幾回も続いて行われ,またたとえ登場人物が

当時のイギリス人のあまり好意を寄せなかったカトリック教徒であるにせよ,宗教の神聖

を漬すごとき批判が度々口にせられるこの劇を終始gravelyにseriouslyに扱ってゆく

ならば,その刺激は余りにも強烈である観客達にはrepulsiveでdisgustingでbor-

ribleな効果を与えるであろう。これを緩和するためにcomicなridiculousな場面を作

ったと考えるのも可能である。この観客との妥協ともいうべき配慮ほ劇の結末にも見られる。若しBarabasがFernezeを死刑に処し,自らが提督の職にあって全財産を挽回し

て,その念頗を果すことになるならば,観客達は彼の犠牲となって舞れた人々を思い釈然

としないであろう.たとえ邪悪が一時栄えても,遂にほ正義の刃の前に伏して罪を償わな

ければならない。それが神の道であり,そのような神意の行われる世界に住んでいると感

ずることによって,満足と安堵感を懐いて劇場を去って行くものである。キリスト教の精

神に培われMorality playの伝統に慣れて釆たこの心理を無視したならば,その劇はpo-

pularityを博することが不可能であるo Marloweほ既にTamburlaineにおいて観客の

心を捉える術を知り,名声高い劇作家になっていた。そしてこの劇においても同様の配慮

をしている。例えば我が子の死を知ったFernezeに,

Tben take them vp, and let them be interr'd

Witbin one sacred monument of stone;

Vpon which Altar l will offer vp

My daily sacri負ce of sighes and teares,

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48 大 郷 一 雄

And with my prayers plerCe impartiall beauens,

Till they reveal the causers of our smarts,

Wbicb forc'd their bands diuide vnited hearts:

と祈らせて,神が彼に味方するのを暗示し,また

Wonder not at it, Sir, the beauens are just:

Ob villaine, Heauen will be reueng'd on thee.

(1211-7)

(2057)

(2126)

1et due praise be giuen

Neitber to Fate nor Fortune, but to Heauen. (2409-10)

等Fernezeの言葉で,神ほ一切の上に立って,これを照覧し,正義の裁きをもって邪悪

に報復するものだ,ということを観客の心に刻み付けて劇の進行と結末に彼等の秘かに希

望するようなexpectationを懐かせている。併しMarlowe自身の懐いている神の概念

ほ人格的神でない。このことに関してほ本紀要の第十四酔)において述べたからここでは

省略するが,偶々Barabasの呪阻の言葉にあるPrimusMotor (397)ほ比較的近くそれ

表現しているものとし挙げておく。神ほ如何なる哲学や科学を以ってしても,それを究明

し,定義づけるのほ不可能である,ということを悟るのが神を最もよく知ることになるで

あろう。 Marloweもこれをよく弁えていたらしく,彼の神の概念については何等説明を

していない○ましてやそれを二三の語をもって表現出来るとほ考えていなかったであろう。

従ってPrimus Motorもそれを考慮して,受取らなければならない。併しその名称は何

であろうと,彼はある行にほ必然的にある結果が伴うと実際に考えていたらしいふしほあ

る。

The Jew of Maltaにおける作劇上の技法で特徴的なのは,soliloquyの外にasides

を瀕繁に使用していることである。 soliloquyほ17回用いられ,第一幕にほ6回で131

行,以下各幕2乃至3回見られ,その行数はいずれも45行以下である。大部分はBara_

basによって述べられ, Marlovianstyleの朗々と葡すべき詞句を連ねたものの多くはこ

の中に見出されるo asidesは二種に分けられ, soliloq叩に準ずるものと,登場人物の特定のものと観客にのみ聞えるものとで後者ほ"aside to-"をもって示きれるべきもので

ある。前者は58回,後者は31回利用され,いずれも話すものの本心や真意を伝えてい

るo登場物の心理や真意を観客に知らしめる方法ほ,必ずしもasidesによらずに台詞の

中に織込んで,観客をして考えさせ,自ら想像し推理させることも可能である。知的な観

客にとってほこの方法が一層興味深い場合もあるが,同時に作者の意図を十分に知悉し把

捉し得ないとう欠点がある。 Marloweの方法によると,述べられた台詞が本心と全く相

違したものであったり,またその裏にほ如何なる意味が隠されているか,作者の意図が何

であるか,を全ての観客が容易に理解し得て,鑑賞の楽しさを増大する。このことがこの

劇の上演回数を多くさせた一つの原因となったと考えてよいだろう。またTamburlaine

にほ多くのepisodesがあり,それぞれが興趣を増しているが,比較的独立性を有してい

るo The Jew ofMaltaも数個のsubplotsを含み豊かな変化を与えているが,これらほ

いずれも互に交錯して緊密な連関性を持ち,一つの流のごとく円滑に進展してゆき,揮然

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としてmain plotと融合し,然もその各々が起伏と共に鳳烏を有し,その興味は等価で

ある。観客は渋滞も倦怠も知らずにこの流のままに運ばれて行くoこの劇ほ中途で雰囲気

が変るために,極めて調和を欠いた作品とされ,その価値が失われていると思われている

ようであるが,この作を他の二名作に比べるとその構成ほ遥かに巧妙であり,作劇技術の

優れているのが十分に認められる. TamburlaineやFausiusに求めるものをこの作品に

見出し得ないからといって,不当にこれを貯しめるのぼ浜まなければならないo

NOTES

1)下記書目中1・のp・230以下

2)以下の説ほ書目10.のp・43以下及びp・27以下・

3)書目6.のp.131・

4)書目4..のp.195・

5)書目3.のp.101・

6)同著. x80ff・

7)書目13.訳語及び訳文もそのまま同書に従った所が多い・

8)書目9.のp.230・9)書目2.のⅩⅩiii・

10)横浜国立大学人文紀要第二輯語学文学第十四輯"Tamburlainethe Great" p・ 24ff・

文 献

1) The Works of Cbristopber Marlowe, ed・ by C・ F・ Tucker Brooke (0Ⅹford)・

2) The Jew of Malta, ed・ by Richard W・ Van Fossen (Univ・ of Nebraska press)・

3) Christopher Marlowe: His Life and Work・ by A・L・ Rowse (Harperd & Row)・

4) Marlowe: A Critical Study, by J・B・ Steane (Cambridge)I

5) Cbristopber Marlowe‥ Tbe Overreacher, by Harry Levin (Faber & 甲aber)I

6) Cbristopber Marlowe: A Biographical and Critical Study, by Frederick S・ Boas (oxford)・

7) Suffering and Evil in the Plays of Christopher Marlowe, by Dauglas Cole (Princeton

ロniv.).

8) Marlowe: A Collection of Critical Essays・ ed・ by Clifford Leech (Prentice-Hall, Inc・)・

9) From Mankind to Marlowe, by David M・ Bevington (Havard口niv・ Press)・

10) Shakespeare Thy Name ls Marlowe: David Rbys Willia皿S (Vision)・

ll) Elizabethan Drama, ed・ by Ralph J・ Kaufmann (N・Y・ Oxford Univ・ Press)I

12) Elizabethan Playwrights, by Felix E・ Schelling (Benjamin Blom, N・ Y・)・

13)マキアヴュリ:君主論(池田 廉訳)政略論(永井三明訳) (「世界の名著」中央公論社)I