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Title 西南ドイツにおける農民解放 - ヴュルテンベルクを中心 に - Author(s) 大月, 誠 Citation 經濟論叢 (1962), 89(1): 61-79 Issue Date 1962-01 URL https://doi.org/10.14989/132861 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: Title 西南ドイツにおける農民解放 - ヴュルテンベルクを中心 …...hhf 同民同」「 目印目。邦訳、マルクス H エンゲルス選集(大月書庖版)、

Title 西南ドイツにおける農民解放 - ヴュルテンベルクを中心に -

Author(s) 大月, 誠

Citation 經濟論叢 (1962), 89(1): 61-79

Issue Date 1962-01

URL https://doi.org/10.14989/132861

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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経務言命主事)~+.1t巷第一読

人事考課の改善のために ・・・・…田 杉 競 1

一九世紀末ロシア資本主義論史の研究序説.....…・・・ ・・・・・・田 中真晴 20

ベノレリ Y機械工業に

おける労働関係(二)・…回目・回目回目 U ………・・大 野 英 二 41

西南ドイツにおける「農民解放J......大 月 誠 61

昭和三十七年一月

京郡大事佐清事曾

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西南ドイツにおける農民解放

|

|

111

カf

者」

われわれが、ドイツ資本主義の再生産構造を特長づける土地

制度のあり方に注目するな

bば、東エルペにおける大土地所有

HH経営(ユンカ経常)の存在と共に、それと慎めて対象的

な酉エルへ特に西南ドイツり零細経営の姿が見られるのである

が、この西南ドイツの広汎に存在する小農民を素材之して、周

知のように、一九世釈末には、ドイツ社会民主党内において修

正主義論争が展開されたのであった。一九世紀末に至ってもな

おエンゲルλ

をして辛問題を解く鍵を提供しているといわしめ

たほど多数の小農民が存在凶、良民層の分解が奇形化し士ので

あるが、このような小農民の存在形態を明かにするためには、

しかし、そり前に、一八四八年の「三月革命」生頂点として一

九世紀初頭から巾業にけかて行われた、いわゆる「農民解放」

西南ドイツにおける「民民解放」

Jj

Eqロσo町内己日問。西南ドイツにおける内容を見てお〈こと

が必諜であろう。封建的土地所有制度の廃棄のあり方は、その

後の良民層分解の万向を大き〈規定しているk考えられるから

である。

とこ汚で、ドイツ「一一一月革命」は土地制度の変草を課題に持

4

っていた。しかし、その挫折は、プロイセンでは

γムタインU

ハルデ

γベルグの改芋を起点とする上からの「農民解放」を完

成きせ、グツへルリ農民関係のユンカ

luインストロイテ関

係への再編成を完了させたのであった。このようなプロイセン

での革命の帰結之共に、そこでと殆んE時を同じくして行われ

た西南ドイツ語邦の「農民解放」の特殊な型もまた、ドイツJ

コニ月革命」の性格を規定するものである。というのは、西南

ドイツは、東ユルベのシF

レ1ジェン州と並んで「三月革命」

期に劃建的土地所有の廃絶を要求する激しい農民運動が展開さ

第八十九巻

〉て

プミ

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西南ドイツにおける「農民解放」

れた地域であって、羊命運動の進展と挫折の過程で生み出され

たりが、特有な高額有償償却方式による領主制の廃止だったの

である。本稿では、そりような西市問トイツ諸邦のうち小農民の

最も典型的なヴユルテンベルク王国の「農民解放」に問題を限

定する。ω

山田盛太郎『は本賢本主義分析』(一九三四年)序言。

古典的規定を想起せよ。

ω何F

同】Er口ミ同署言。言言。5-Sヨ同2ZE若君詰号、v

号、

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E1EFbQhhE弐言明言吾、骨呈句。古事

MQNEREN鼻、ahNF包主印印同日叶!日日目修正主義批判とし

てはさしあたり下記を見主。目出向。回目iKM42百回同盟中

旬。。国《一明匂凶]苫肘同日同伽}UM

向。MH》

-cc珂町悶臼詞崎町

A

一司町田町lMm田

邦訳、全集、第正巻九七

l二二六頁および第二一一巻一六ご

二O八頁。

ω司肘ロmoF]ロ5出EOBP品。

E町E己同2nEロE口。51

加わ

v-Pロ《YH由宇佐弘文句hhwg~ghmaF『-23zswN固いhhf同民同」「

目印目。邦訳、マルクスH

エンゲルス選集(大月書庖版)、

第一七巻四三二頁。

ω松田智雄「一二月前期〔〈日目可N〕における農民解放」

(社会経時史学会編『農民解放白史的考察』一九四九年、

所収〉二

O三

O八頁。同芹邑己目EFNEP5乳

、。~xmg。、fq

町民hm~fhFNG礼宮、町民ueGEaN。adQFh九四崎町向

H也、向日目

旧日出∞吋町田出E当日od司ヨ同EEE叫

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第八十九巻

/、

第一号

/、

Qお同町。若草NhhEロHNUQ2325口言語RNSいで↑』』」hwhhH句、

hhN同hHV司

ω∞四日

制プロイセンの「農民解政」については、すでにいくつか

の研究成果があるu

松田智雄「AT命唱。フロシア到の途」

(潮流、第三巻三号、一九四八年)、同「ユンカ1経営。

成立と『中間周』農民」(際史一評論、第一二号、一九四八

年三林健太郎『況代ドイツO政治正社会||プ円イセン

改革に関する一研究||』(一九五二芝、山

u和男「プロ

シア農業変革についてり一考察」(経済論議、第六九巻三

・四号二九五二年)、北条功弓農民保護』

k

『長民解放』

11プロシア「絶対王制」の対農民政策白歴史的意義||」

〈学習院大学改経学部研究年報、一ニ)、同「いねゆる『プ

ロシア型L

O歴史的構造」(山田盛太郎編『変革期におけ

る地代範時』一九五六年、斯山明〉、同「東ドイツにおける

『農民解放』」(式岡崎

A雄高橋辛入郎・松田智雄編『西洋

経済史講座』第四巻、一九六

O年、所収)、同「プロシア

『農民解肱』期における共同地をめぐる諸問題||特にシ

ュレ

lジェシを中心としてl1i」(『社会経済史大系』唖、

一九六一年、所収)、藤瓶浩司「プロシア『操業改革』の

経済的活礎」ハ歴世学研究、第一一一一号、一九五七年)な

どを参照せよ。

ω末川情「三月革命却における封建的賦課廃棄の運動||

シ一-νlジェシ州安中心主して||」(西洋史学、一二人号、

一ー九五八年)一二頁、司

FE甘E。E品。FbEhh言、

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言圭』T68

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hap-sh匂恥句、」

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ll

「二一月前期」のヴュルテンベルク

にゐける領主

1農民関係

フリードリヒリλ

トをして一八四二年にかの『農地制度、

零細経営および国外移住」を書かしめたヴ品ルテ

yベルク王国

の農業は、一九世紀に入るとその経営における零細性白矛盾を

顕著に露呈するに至る。

きて、一八世紀末から一九世紀初一閣にかけて白ヴュルア

yj

ルクにおける農民層分解の進展状況を全般的に示寸信頼しうる

に足る資料は存在しないけ。それゆえ、ここでは一八五七年に行

われたヴュルテンベ片クにおける最初の農業調査の結果を挙げ

ておこう(第一表参胤)。均分相続制の支配的である酉部の旧グ

品ルテンベルク領とレ

lエン制度

FOFOESFECの存在が農

場の分割を妨げかっ一子相続制の支配的であった新ヴュルテン

ベルク領ーとの差異が存在する品、全体として見ると、農業利用

面積一二

O毛ルゲン以下の小経営が戸数の六一二%、面積の凹九%

を占めているのであって、こケに一九世紀末期における良民層

分解白原型を見ることができる。そして、このような土地の細

分化による零細経営の続出は、ヴュルテンへLP

クの農村に多数

存在する手工業の発生基盤となると共同、ヴュテンベルクをし

西南ドーイツにおける「農民解放」

て一九世紀前半のドイツにおける国外移民の主要な出身地とし

たりである。

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RNNGNgω451Z言、喜民

円同町、与ER一ENK22phhむ(邦訳、小林荊訳、世界古典文

庫〉。リストの「農地制度」論については、小林昇『フリ

ードリヴヒ・リスト研究』(一九五

O年)、同『経許学史研

究序説」〔一九五七年)、住谷彦「フリードリヒ・リスト

の『土地制度」諭」(一)(二)(立教経済学研究、第一一

巻二、一二号)、松田智雄「リスト農業理論白基盤L

円矢内原

忠雄先生還暦記念論文集『古典派経済学研究」一九五八年、

所収)を参照ぜよ。

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『臥刊誌ミ出回申ロ

ω回目印同より作成。なお、

この調査はゲマイソデ別の調査の集計であるため二つ以上

のゲマインデに渡って保有地を持つ経営〉5己zrHを二

重に計算じており小経常が実際より多くなっていること、

および、二

OOモルゲン以上司大経常の中には共有地を含

めているものがあり実数はこれより少い、という不完全さ

を持っている。〈m-口官同匂SNhE忌モ晶玉、若宮、や

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呂町一回印印品目白臼己

川刊東北部の若干由アムトでは、すでに一八世紀初頭におい

第八十九巻

p ワ

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田隆弘‘ャれ出品士時 r(巡回f監督j 拡〈÷く抑 {く目 路j]~. Km

第 l表農民間り階居構成 (1857年) 同保有者別構成| 実数 |

地 区 名 15;2以下;5 -JU:~I的以上|計同司市τ二百百前0; 以上|計1 . Gau i 33;979 1 16,8211 1,389: 52.18釘 65,111寸 2.23: 2.66 1 100 i: Mlttlcr Neckar 44;6561 16;6的i;388: 62;1641 71.91 1 25:86 1 2:ぉ 11OO ][. Unte;cr Neckar 1 72,8571 25,6501 1,978' 100,485; 72.51 1 25.52 i 1.97 1 100 注

lV. Schwarzwalb 1 23,6431 12,3301 1,645! 37.618, 68.85, 1 32.78 1 4.37 1 100 I , V. Oberer Neckar 仇 9431 9,6521 1,14引 31.740i 65.98 1 30,41 1 3.61 1 luO :, VI. VVelzheimer und ]¥"Iurrh町 d怯 c¥Vak 1 9,2661 3,647 1 778 i 13,6911 67.68 1 26.64 1 5.68 1 10uγ I i$ ~ß 1 205,3441 84,而! 8,32T'29~g27 1 68.94 1 28.27 ,-王百寸1而 ル

V1L Stldliches Oberschwaben 7,1321 6,9刀 1 5,022 1 "jg;12n-'37.29 1 36.45 1 26.26 1 1UO テ唖 NordhchesOberschwaben I 18,220 I 11,7ω1 5,246 1 35,1661 51.81 1 33.27 1 14.92 ! 100 ン

JX. Alb 1 18,7051 12,1461 4,115 1 34,9661 53.49 1 34.74 1 11.77 ! 10C ベ

1. Oberes J agst-,I王町her-undRemsgebictl 9,2491 6,749 i 3,7お 119,7311 46.87 1 34.21 1 18.92 1 1ω EHohenlohlsche Ebcne 1 24,4741 12,613 i 5,690 1 42.7771 57.21 1 29.49 1 13.30 1 100 E 東 部 I 77,780 i 50.1811 2日開 1151,767 1 51.25 1 33帥 115.69'1 扇面|

二τ子ヲミ志コエLグ一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一-2凶8出札叫:5,1之~41 B4

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(刷耐保有面積別構成 一一二:土

地 区 名% 1 :"

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lBr11出 JE臨 undRems州怨|鵠 iiii1211;21刊誌;;i1!11

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て下回農民(円GFロ2-印。Eロ日および国ロ

EZCが本来の

農民(同EdN⑦ロロ巳

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E己図。FENc--2ロ(MZT

えなS札2て2SS旬、品、

h号制丘、。目立忌一凶弘司匂同)を見よ。

同一人一三年には、全グ斗ルテンベルクについて見ると総

一戸数に対する親方冨E再青山割合は三0・四%であって、

都市町みならず農村にも手下業者が多い。例えば、親方の

戸数に対する割合は、〉ヨ仲

CEnF(都市を除く、以下問

機)

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JEu-聞のロU二九七%、〉犀】吋

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学研究、品γ

一一巻二号)六六九氏。

ところで、

一九紀初頭に、

一部には「家族と僕卑、ほぼ一

O

西南ドイツにおける「農民解放」

名でもって六

Oモルゲ

γの耕地を耕作する大農」が存在してい

たとしても、このような農民経営の発良を阻み、続首の雫細化

として現象させたもりは、その

Iに重くのしかかっている貢和

収奪、すなわちりストの言葉を借りるならば「彼ら農民の生産

物の剰余でな〈て自らの需要に食い込むような貢船」を中心と

した領主的諸規制と三圃制経営に基く共同体規制とであ勺士。

西南ドイツは、中世末期には麻織物業の繁栄を誇り、ドイツ農

民戦争の中心舞台となった所であるが、領主制はその封建的危

機克服の過程で再編されて、いわゆる化石型グレンドヘルジャ

フト左して一九世紀に至るまで存続するのである。そのようた

領主制の姿を「農民解放」のあり方を理解するのに必要な限り

で見ておこう。

ヴュルテリJ

ベルクにおける領主制は、法制史的には、裁判傾

土目。口長官官口、体僕領主

rzo司、土地領王。EEF02

および十分の一税領主

NorEV2叫に分れる。旧ヴュルテン

へルク領では、これらの殆んどが領邦君主

FE骨5

2月の手

に集中

L、領邦君主はさらに租税

222を徴収していたが、

これに対して、新ヴュルテンベルク領では、これらが約九

O家

の帝国騎士同2nE=R2を中心とした多数の貴族に分割され

ており、このような領主が徴収する貢租は多種多様であって、

複雑た貢租体系を織りなしていた。それ安整理すると汰町ょう

である。

第八十九巻

六五

六主

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gllter, 1816. Lτst We叫 B,Bd. 1. S. 581

S F. List, a ιO. S. 580

g 程E収 rr"-'" ,司~JtI詳φJ (l割る<:g;j~ S'属 医呈弘、て

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討小説招F 持K同栴11-Il!lli')制$匡ギ吋。Th. Knapp, Der Bauer間 heutig仰 Wurttembergnach

S州 問 Recht.却 erh叫 tms5eη vom16. bis間 s19. jahrhnn

de吋,1902. SS. 19-35. Th, Knapp, Neue Be!rage zur

Rechts=附 ,dWげ ischザtsgeschzchled回 ωuYltembergisc}zcn

Bauernst酎 ldes.1919. Bd. 1. SS. 74-79. BJ. II. S5. 77

82. ~ 1l Oberamt HeIlbronn 11 Ci :;ν!! VgL Th. Kn

app, Gesaun問 elfeBeitrage zur Rechts = und Wけ tschafts

geschichte, 1902. SS. 131-149. ~同え 1, λY え"'"担当

44君至上4FJLν~~ Vgl. F. RllO宜 α 仏 O. 55.206-226. ""

Q綜剖噌闘且ぉ:;い層害以主主4日記嗣 H主;0"(~ 1r-. Beede

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封巴吋れや必時QRauchgefalle,Rauchgeld-, Haber -, Huh-

nerpfund, Herdpfundgeld. Feuersteuerschilling; V仁ト

ghechtsgeld, Vogtpfennig, VogtfeuchthUhneratzung,

VogtweIn, Schutzschirmgeld. Schirmfrucht, Schirm

wem. O. RClTIhard, Die Grundentlast包匁g問 Wurttemberg,

1910. SS. 32-33. .;日持F 恒紅君守恒端",ト ~brl ミト λ て

え、や己'量E耳~,王Q:iiN唱臨Al..J.;日長や 4日。 Th.Knapp, DM

Baμer, S. 31

e Th. Knapp, Der B州 民 SS.88-100. Ders. Neue Bet-

trag" Bd. 1. S5. 128-136. Bd. 11 弓S. 143-153. De"

Ges山川町lteBeur1ige, SS. 346-370

三 Th.Knapp, Der B制 8r,SS. 56-88, Ders, Neue Bei

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マ応!?ロ弘同叩叩呂田

HN斗町民

HH

印印巴由EH品目なお、

グュルテンベルクの農民白土地保有権は、東エルへと比べ

れば-般に良好であり、特に式公館でけ氷川昨有HW叶

σF巴が

支配的であって領主にラウデミウムを支払えば売買も可能

であった。吋日戸同国戸}U

日ybG輔、切SH柏町民、一印ω∞Ni。日同ロ。同』お

お。問的出品問。

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印日

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一八三六年に領邦政舟が農業の警伊状態

r闘して全オ

lz

アムトから集めた報告書は、ヴュルテ

γベルクの「三月前期」

における農業問題の本質を示している白その一報告書によると、

企オベルアムトから良村での困錦町訴えが行われているが、

その原肉となっているものは、モlゼル同

Z22に従って

分類すると、け現行の諸頁租法、

K〆σmpげSD20汁N

伺商業に

閲する制限、同土地に対する拘束、同共同放牧権、同家畜の合

飼実施日困難、約賦枚、仲野獣白川音、判農道の欠除、制度民の

無如、および、倒土地に対する貢租とそれに結びついているレ

ーェン制度の存在であっ担。すなわち、領邦政府の徴収する租

税、領主的諸規制、と共同体諸規制なのである。まず、租税の高

すぎることで、国および地方官庁の徴収する直接税D高額なる

ことと共に、塩の専売制、泊費税、および刊業取引叫に穀物輸

四南ドイツにおけゐ「農民解放」

出の制限となっている関税に対する訴えが随所に児だされる。

第二の共同諸規制として同組とされてレるのは、領主権と結

びついたレ!エン制度の存在が農場の自由な分割を阻止し、土

地の有効な利用を妨げているこ主である。この問題に対する訴

えは東部地方に多い

(C〉わ

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4

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〉。次に、共同放牧権の存在と混在地制。。EEmo

官官による農道の欠除が、家南の合飼による南産の発展およ

が肥料生席を妨げ、また、商品作物の導入の障害となってレる

ことである。この問題は、殆んど全ヴュルテシベルグのオペ

5

ルアムトから訴えられている。

最後に、「農民解芭の中心対象kなる領主的諸規制につい

ては、賊役、領主の狩猟特権と獣害、および、土地に対する貢

和とくに十分の一税と分益貢租に対する訴えが見られる。まず、

賦役に対する背情は、旧グュルアンベルク領では見られず、新

ヴュルアンヘルグ領に集印しており、そこでは貨幣貢租への変

更が希望されている。また、野獣の害も、貴族が狩猟特権を持

っている新ヴュルテンベルク傾において見たされるものであっ

て、狩猟権O農民への解政が要求されている。

これに反して、土地に対する貢砲についての不満は、ヴ斗ル

テンベルク人斗般にわたって見られるものである。特に、十分の

第八十九巻

一ハ七

前古

/、七

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四市ドイツにお吋る「農民解放」

一一杭と分科川貢刊の叡が非常に高いこと、および、それらが耕作

強制を作なっていることである。例えば、総収段物の十分の一

を現物で徴収する十分の一税に対しては、。hr出BOWSUC岡田

からは「十分の一税は非常にしばしばモの額が農民D純収益

日目。開1片山田を越えており、また有益な耕作変更を妨げてい

る。しかも、そのような十分の一税の現物支払による麦蕊の相

失は農業者にとって非常に堪えがたいものであって必要とする

肥料の増大合損なわしめている」と訴えられている。

cp出口

Eロ明

3からは「十分の一税は総収穫物から取上げられるので

あって、十分の一では江〈て、納収益の一二分のつ四分の一乃

至は十分の九である。しかもそれによって」地保有者は三間制

のもとに留ることを強制されるのみならず旧套のままに小麦、

ライ麦、大中正および燕麦を作らねばならない」主訴えている。

同様の訴えが名数のオlベルアムーからなされているのであっ

(刊)

て、領主制が共同体的規定とからまりあって存在する乙とが農

民によって確認されているのである。

十分の一税と呼んで、ヴヲ一ルテンベルクにおける貢租のうち

で中心的位置を占めるのが、現物分持(貝租叶VO】

moEV同日で

あった。その貢租の収陛量に対する割合は、地域により差地が

あるが、十分の一税を徴収した残りの収穫物のほぼ三分の一に

(は)

達している。

このように、

コニ月山期」のヴユルテンベルグにおいては

第八ナ九巻

ノ、ノ、

第一号

ノ、八

封建的土地所有は共同体的諸規制と結びついて、その地位を厳

然と保っていたのである。しかも、その復雑な法的支配関係の

中にあって.基柱となっていたのは高額の現物責租徴収体系で

あった。ω

松田智雄前掲論文にその一怖が紹介されている。

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HUZE王子hpshまZS吾、司三塁、三宮占有一

三与20誌へ肉、

ZEGEX速な4trョ巴

l由

川W

SFSROω凶寸向。

川何回辺自己

QRO凹印

862

川W

居G明日一白色。∞

ω82リストも「零細経営は混

在地制度と部落制度目生んだ以」とし、混在地制度を農地

制Eの一世大の欠陥と考えていた。問

EFbNmhhbG22

EES昌一一山由前掲邦出、四一瓦

μ

ω同

居20FSSG回目白

18なお、。〉呂田等で

は共同体賦仕

1村仕事に対する非難が見られる。

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VE22一泊及。

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刷阿見目。宮アヘwa

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川判河]戸HomoHSaO印∞

M2NEその額を困街地につい

て見ると、一八四八/四九年度には、一、六

O六、ニ二-一

廿国家歳入。約七分の一を占めている。。同2己目旦一

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khhωHHCH内沼C印。♂

QnNOωω

日臼白!日除。

このような領主U

農民関係に対して、農民側の勤きはどう

であったか。「三月前期」のヴユルテ

γベルクにおいては、倒

主制を内部から危機に落し入れるような統一的な農民運動は見

られない。しかし、前提一八二六年の報告書で、上からの高

額有償却方弐による飼主制廃止の方向に対する良民の反対意見

が、多数のオ1ベルアムトから述べられていることは注目すべ

きである。例えば、。〉

dfd25『oaD農民は貰租D一五倍

の額は償却金として高すぎると考えているのであっ色、そこに

は無償雌止の按求は見出されないけれども、低額の有償償却の

方向が要求されているのである。ルドルフ・モ

lゼルがその著

書コソコルテンベルク人の農民的諸負担」(一八三二年)にお

いて土地に対する貢租マ中心にして一目した改革案は、われわれ

に一つの基準乞与えて〈れる。河ゼルは邦議会における進歩

4

派の立場を表わしたものであるが、無償廃止は実現不可能であ

る主考えて、償却事業を即時実施させるために次むような一一一

項目からなる改革案を示している。その内容は、け償却に際し

ては、国家が貢和徴収権者と支払説務者との間に直接介入して

償却事業官進めること、同償却の基準ーとなる貢和額の算定の場

作には、京租から徴収裂を除いた純収入目半分を民民が、日分

の一は国家が負担して、傾一七側ではその四分の一を切拾てるこ

と(それゆえ同有地では投民の負担が半分になるよう引き下げ

丙南ドイツにお付る「農民解放」

るこ邑)、同一切り賦課租を将来新しく設けることを禁止、仲

収穫一一両おJびそれの貨幣評価の決定は過去二

O主間の平均によ

ること、伺土地切取り正よる補償は望ましくなく、貨幣ま

tは

国債で以って補償を行うこと。肘開墾地十分の一税を永久に

禁止し、今まで支払われて来た貫租にのみ補償を行うこと、川開

家帝十分の一一杭はヴユルテンベルグでは多くなく、ゲマインデ

金陣から一般償却基準に従って補償をわい廃止すること、けレ

lエン制度『

Z52FPEそのものは無償廃止するこ

t、助

成比か回庫hk償却金を支払う期間は法律で乙れを山止め、また、

償却事業は償却委員会を作って簡単に一打払える

kうにすること、

例償却は負担者個人別かまたはゲマインデ全体で国家に純梢償

額り半分を支払うという形にすること(国家負担世額三由償

却によって全ての土地があらゆる貰租とレ!エシ緊縛から永久

に解放されるべきこと、国償却によって貢租から解放された土

地に対して租税を今まで」り一同くすることを禁ずる(国家が償

却資金の一部を負担した場合はその負担した範囲では増額が認

められる)ーというものである。

ω同日rHEopsaom凶凶

DUω

ω河

22}QQ

。mω

Iゼルの改革案とリストの改ホ要求との比較について

は、住谷一彦前掲論文伺および松田智院前掲論文宰照。リ

ストは、その「農地制度」論において、十分の一税と分政

第八半九巻

ノ、ブし

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回自ドイツにおける「農民解散」

責租の似却を要求し、十介の一説につい亡は改革案を示し

ている。その内容は、有償償却であるが、十分の一税支払

藷務者に好都合でありかっ望ましい弁済方法がつねに選ば

れるべきであって、貨幣弁辞翻は異常

ι低い水準で計算さ

れて、国家が場合によっては十分の一税徴収椛者に迫加嗣

を支払うというものであった。司

HLFaaq目

l寸

ロ包司ミF凶凡で

ω印印臼印寸前掲邦訳二

00二頁。

ω

C

列。H

コvmwENUドRC23札EREN塁手

ωN口ヴュルテン

ベルク邦議会の構造は、特艇身分(新旧内教会代表九、貴

族代表二二、大学総長ニ二三名および退牟された代表七

O名(特権郡山七、オ

iベルアム

l代表六一一乙であって、

その選挙は間持制限選牟であった。同君。

=2}司む王

室前町内

4FZZCE与EpzbFhuhHω山寸印

HN冨sopaacmωuhωω日

lゼルの挙げている

例によると、年五グルデン心貫租を支払っていた住民の支

払う償却金額は次のようになる。二心情心的却卒の場合は、

総償却金額一

00印、その中から管理在その他を控除する

と純償却金制は六三白ニロ防、農民O負担はその半分。三

一白四

OL、ぞれゆえ今までの貢担。六倍強を支払えばよ

い。しかも、年賦支払の場合は年支払金額は白一一五

Eで

ある。

Q

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3

K

L主

主ノ

112J

七。第

一じハ¥ノ

「=一月前期」のヴー一片テ

γベルク

における「農民解放」

ゲュソンテベルクにおける「農民解放」は、プロイセンおよ

び西南ドイツのその他の諸邦と同じく、但邦絶刻主設国家と等

族粗主との同の国家↓日H権

rm

進められるu

ヴユルテンベルク大公同は、ナポレオン戦争の渦

中に多数の等族制主領を自己の悩士に加えてい〈が、一八

O六

年には制土をほぼ街化して王国に外格L、領邦純対主義同家と

しての性格を整えた。このようにして新しく加わった等族館王

簡の農民を直接に自己の支配下に置こうとして行われたのが

「一二月前期」のグユルテンベルク王国の「畏民解放」であった。

次に、その内容をみよう。

付土地保有権の改普について。旧グユルテベンルク領対よ

びウルム地方では永保有何号Z72が支配的であったが、等

族領主領では一代仕有忠臣岳自が支配的であって保有者の変

更の際に新保有者白人選も貢利の鋭も領主の恋意に委ねられる

ことが多かっ

b。このような一代保有権を永保有権に改苦しよ

うとして、一八

O七年一

O月一日の一般勅令、同年一二月一六

日白大蔵省訓令、一八

O八年三月一六日の法令、一八一

O牛七

月一六日の訓令、一八一一一昨七月六日の訓んけが附されるが、両

当事者の合意による変更を基本としていたため、等族領主の反

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対にあい改革事業は進展せず、わずかに王領地で保有権の改善

8

がむわれたのみであった。

悼ライプアイゲンシ中フーの廃止について。その呼名ゆえ

に農民から特に鰍われていたライフアイゲイシャフ

lに対して

は、領邦政府は一八一六年の不作に刺戟されて、一八一七年一

一月一八日の勅令および一八一八年九月一三日の法令でも勺て

改革に着手した。それは、王領地では無償廃止を、そり他の貴

族領では貢租額の一一

O倍による有償償却を内容とするものであ

った。ところで、このような政府の処置に、自己の物権に対す

る震憾を見てとった等族領主は即座に強力な反対運動を展開し

始める。すでにナポレオン町一敗北し乙共に一八一五年に同盟な結

戒していた彼ら等族領主は、出口耳叶

EHロロロ色叶}MmwMM

切に指

導されてメヅ一アル一一ァヒを支柱とするドイツ連邦会議に訴える。

そして、等族領主の領邦同家刊での特権を保護したドイツ連邦

約款第一四条を盾とした等族領主とヴュルテンベルグ政府との

争いが永く続くのである。メツテルニ

y

ヒ反動体制が強固であ

る限り、領邦政府の側から一方的に芋阜を強行することはでき

なくなった。しかし、一八一一一

O年のフフシマハ七月革命の影響、

および、邦議会での改革運動が活発になるにつわて、若干の等

族領主は有償償却に同志するようになり、八三三一年一

O月二

5

九同の法律を見るに至った一一第二去参照)、償却基準は貢租額の

二O倍であった。残りのライブアイゲンシャフトに基く貢租に

函南ドイツにおける「農民解放」

1833午10月四日の法律r基〈ライプアイゲンシャフト的責和

についての等族領主に対ずる補償綱

|補償額

i a b 8,233.50

2,336,20

第 2喪

第八十九巻

6,750

13,594,-

48,999,52

35,290.46

26,577,59

第一号

1,545.20

2,620,28

45,948,35

5まヱ雨漏二五五Ilen=-IZelbhenn印, M叩 UffilSS叫

計合

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西陣ドイツにおける「農民解放」

ついては、一八三六年一

O月二九日の法律でもって償却が開始

される(二一第表参服)。こうして、ライフアイゲンシャフトは

固有地では一八一七年に無償で廃止され、それに基〈貢租二入、

五一一二姐が歳入から除かれると共に、等族領主領では一ニ

0年代

に有償で廃止されることになる。

伺賦役および賦役代納金の廃止について。領主の直営地の

少いヴュルテンベルクでは、賦役は改革の行われる前にすでに

相当部分が貨幣化されて、残っているのは主として運航賦役で

あった。一八二

O年初白政府の算定によれば、償却きれるばき

固有地の賦役白量は貨幣換算すると五一=、七001、そのうち

=一六、六

OCauは賦役代納金であった。また、私領地り賦役の

額は一一二五、

0001、そのうち一

O六、

oooaが賦役代納

金であった。このような賦役および賦役代納金に対し亡、領邦

政府は一八三一二年の邦議会に償却法案を提出する。その内容は

賦役の賦役代納金への変更および賦役代納金の償却を定めたも

のであった。償却基準は、人格的賦役は貢租額の一五倍、対物

的賦役は一六倍であった。この法案は、邦議会の解散によって、

一八三三年には審議されなかったが、モの後、償却金の引下げ

を要求する邦議会内の動きと噌額を要求する等族議会および政

府で問で激しい論争が行われる。その際の等族議会の要求は、

賦役の徴収費をその額の一割、純収入を九割と考え、それを当

時の利子率四%で換算して償却金主賦役員同一二二回五倍とする

第人十九巻

第一号

ものであった。結局、一八三六年一

O月二八日の法律では、償

却金額は人格的賦役については賦役量の二

O倍(農民負担一

O

倍、国庫負担一

O倍)、対物的賦役は二

O倍(農民負担一六倍、

困庫負担四倍)、賦役代納金は二三・五倍(農民負担二

C倍、

閏庫負担二・五倍)であっわ。(第三表参照〉。

lデ町廃止について。等族組主の免税特権の廃止とか

らんで、領邦政府によって早くから改革のための試みが行われ

るが、等族領主の反対にあって進展しないν

そして一八三六年

一O月三七日の法体でもってようやく償却が閣始きれる。償却

基準は、五

a以下の貢租については二

O倍、五nu以上のものは

二二・五倍であった(第三表参照〉。

同十分の一税および分益貢租の改革。政府は十分の一税お

上び分益貢租の徴収費用が高くっき国家収入が増大しないこと

から、国有地のそれらを貨幣化してゲマインデの責任において

徴収しようとする試みを一八一八年主一入一九年に行うが、不

作の際白負担憎明大を恐れて農民の支持は得られなかった。そし

て、この問題は「一二月前期」には見るべき成果もなく幕を閉じ

ることになる。

以上のような「三月訪期」の諸改革を見て気付くことは、第

一に、制干の存立の経済的基盤を形作っている上地

r対する貢

和とくにハ刀益貢租および十分の一税については触れることなく、

打しろ領主の政治的特特権を掘りくずすために、等族領主と領

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第3表 183E年10月27/29日の法律に基く全梢償額 フロ リγ

AiJ Nec!(ar

恒石E弘、亡永 tl4士坤「豊富宜主主話j 掠〈十何蜘 ムJ111 揖|恥 中川

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阻1匪"-"永 li兵士時「出町鞍将」

聴者定AJQ~ム Q- -fト p組干青骨材Z岳製骨ム'0~ トl ム時 }J .-\.I'P~~。

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).J .-¥J ~日v古当時営端宏 ,D~\..!:;' や .t2 Q 'P崎両。

:3 E. Holglc, D町 ulteRecht u叫ん R問。lut川, ω附

Poli!ische Geschichte Wurt,embeγ'gs ~n der RevοJ叫ionszeit

1789-1805, 19'31. ss. 301-340. H. Muller, Der letzte

Kampf dcr Rechsritterschaft um ihre Selbstandigkelt

(l79Cー 1815), Historische Siudien Helt 77, 1910, SS

188-201,

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vom freien Verkehr mit Grund und B吋 en,(Zeitsch

f. d. ges. St削 t針。 Jg,18<15. Bd. II) SS, 324-6, Th

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持〈ァ干~i\RiI 4-J [ 紙 1or -¥l回

in WUrttemberg. W]SL. jg. 1卯 7H,ザt2. S. 251. Ders.

Neue Beitrage, Bグ 1.s. 157. O. Reinhard. Die Gntηd

削 tl町 tuηg,S5, 4-5

:3 Th. Knapp, Neue Beit叫 Re,Bd, J, SS. 157--9. O. RCl

nhardα a, 0, S5. 9-10 記EH~岩 1~ ",\" 0 思著者謀者倒

神医守『、会お"ト』呂刊習討性以¥':;"~ J (叶認出産主卦崖

忠'掠 i111靖国酔)111く〈図。 'jQ悩ttl-11ム, 0νF阻再認

Q 1'" O-r:;平-<01と阜揮器棋会必 1< 1心叶制や】占JみJ

1W 000占石阻丑叫や〈与~-P ~.;r Th. Knapp, N問 eBi

tγage, Bd. II. S. 165

::? G. Dehlinger, Ueberblick uber die Enwicklung der

Landwirtschaft in、V臼rttembergsert der Mitte des

18. ]ah:-lmndert丸 W]LS,]g. 1898. Heft 1, SS. 59-50

e O. Reinhard, a. Q. O. 55. 18-23. Th. Knapp, a. a. 0

Bd. 1. SS. 160-171. Reinhard ..-'J Knapp f.1世帯H一日報

{ヰ白剤ム:R4G時2ミリ )J¥J t! Reinhard 足止~, ν~vO VgI

Th. Kn乱pp.a. a. O. Bd. II. S5. 170-1

:e: O. Reinhard, a. a. O. S. 112. Th. Kna:?p. a. a. 0. Bd

1. 5, 171

S O. "Relllharc¥, a. a. O. S. 24

~ O. Rcinharc¥, a αO. 5S. 24-31. Vgl. Th. Knapp, a

a. O. Bd. I. S. 172. Bd: 11. SS. 171-2

:e O. Rcinharc¥, a. Q. O. 5S. 32-7. Vgl. Th. Knapp. a

。oBd. 1. S. 1i1車田位置樟聴程状111-C:11 何阿嚇E至。

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ωC同日ロVPE

ロENσV丘mw-一出口ロ倒的回忌HMヴュルテ

ンベルク政府主等族領主との弔いは、一八四六年九

H一七

日の連邦抗議が等族領主の将棋を刊確認することvhよって、

領邦政府O敗北に終る@。同25zpU右前言邑室、Ei

西南ドイツにおけるコ二月革ム叩」と

その成果

一八四八年二月バリーでの革命の勃発に引き続いて、ドイツ

各排で「ニ月平命」が始るが、西南ドイツでは、三月六日、パ

ーデン北部口白052E地方のの門戸同国己目ωZ骨領に領主的

権利の放莱を要求する農民蜂持か見られる。それをきっかけと

して北バ

lプンの貴族領は農民運動の嵐の中に巻込ま相、さら

にヴュル一アンベルグ北部に波及し、バイエルンむフランケン地

方およびアルゴイ地方にも農民蜂起が始って、数日にして西南

ドイツ一帯は等族領主主中心として、封建的貢領の廃止を要求

する農民運動の渦中に置かれることになおeLかも、農民の動

きも個別的な領主に対する斗いから全ゲマインデの統一行動へ

し乙発展しはじめる。口一仏052Eでは、すでに三月一

O日には、

かつてのドイツ農民戦争の「一二ケ条」の要求にならって一一一

ケ条の要求が作られてい弘。

トーの封建的危機、これは軍隊による農民運動む鎮圧によって

西南ドイツにおける「農民解放」

は解決できないほどの大きなものであって、西南ドイジ諸問邦は

農民の要求を上から汲み取って相次いで償却法主公布する(パ

5

1デンHH四月一四目、ヴュルテンベルク

1凹月一回目、バイエ

ルン

1六月四日、ヘツセンH

八月七酌)。そうした償却法の公布

を予告することによって、四月には農村を再び平静にするこーと

に成功したのであるe

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結合しで発展する。HiEZE。E昌司ヨおQOm山

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および貢租に関する文書が焼き捨てられ、dFぐEEd日閣で

も領主文書が焼かれる。〈〈10見Hロ、RNRO∞回目H

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第八十九巻

七五

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第一号

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百南ドイツにお付る「農民解放」

にも所傾を持ち西f

同ドイツの等放領主中で指導的地位を占

める司口SEc-rロ旬。HH君巳ZHE2ロの居城の所在地

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ュルテンベルクとの同境に近いバイエル

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建前諾権利D廃止を領主に約束させた。出問。ωω目。円叩

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都市市民白土地改本の要求については、一月一七日の正平

耳mpユ選挙集会における「綱領」を見よ。

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ところで、ヴみルテンベルグの場合、等族議会は一八四八年

三月一四日に召集されて直ちに償却法についての審議を始めた。

そして、もはや全貢租の償却が避けられないこ主を認めたが、

そり要求する償却基準は、毎年徴収する貢租は一人倍で、保有

変更税は一四倍の績で償却するというものであって、無償廃止

を要求する一般与論とは程遠いものであっ

bo他方、目。VEOH

第λ十九巻

七プミ

七プミ

第一号

を主班とする「三月内閣」は独自の償却法案を=月一一一円に両

院に提出する。その内容は、保有変更税、分益民租および家畜

十分の一税は一二倍で、その他空一旦租は一六倍で償却すること、

償却金の支払には四怖の利千付で二五年分割払いーを認めるとい

うものであった。な担、ニハ倍という額は当時的国債からの収

入を基準にしたものであり、償却金は全額農民負担であり国庫

負担は存在しなかった

D

この法案を、等族議会は三月二三日に

全会一致で意認する。一方、邦議会の方は、議会解散要求の行

われている中百、翌一一一月二四日には、一二票の反対のみでこの償

却法案を可決し、三月二七日に解散した。邦議会での次のよう

な発言は、当時の支配者層の置かれた立場をよく表わしている

ω

「もう一突きされれば全ての権利は補償なしに廃止される危険

がある。それゆえ、この法律は他人の権利の横領でも恋意的な

侵害でもない。償却が領主にとって非常に不利な時点で行われ、

しかも償却される貢和に対しては、不安定になった所有権の価

値に応じた補償額が支払われるすぎないとしても、この法律は、

むしろ高度に必要なものである」。

こうして、ヴュルテンベルクの貢租償却法は、四月一四日に

公布される。そして、一八四八年九月一日までに八、

O三四件

が償却過程に入り、一八五一年末には三二、一ーハ涯什が償却さ

れるこ主になり、償却業務はここに大部分を終えた。

総梢悦額は、二

O、六八六、

coofであり、そのうち七、

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五一六、

0001が貴族に支払われたa

その主要なものは、

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五二四、

0005であった(第四表参照〉。

次に、十分の一税は、一八四九年七月一己日の法律で償却さ

れゐことになる。償却基準は一般貢租と阿じく一六倍、二五年

年賦払であった。総補償額は四八、一凶四、

0001であり、

固有地および教会領がその半数以上を占めていた(第四表参照)。

そして、固有地の場合、一八五二/五二年度には末償却十分の

一税は一一一、一ニ四六β

で、十分の一税の九三一%が償却に入っ

たことを示してい刷。なお、その他の領主的特権については、

一八四九年八月二四日の法律が償却を規定した。

-八四八/四九年目ドイツ「一一一月草命」の過程の中で、こう

してヴュルテンベルクの貢租償却に関する法律は出そろうn

して、三五年後の一八七三年には償却金支払いがほぼ完了する

ことになるのである。

さて、ドイツにおける革命運動の退潮に共ない反動の支柱で

あるドイツ連邦会議が再び頭をもたげてくる主、領主屑の特権

擁護の運動も活発となる。

EHECZt品。ロ毛色02EDに

指摘されたヴュルテγベルグの隼族領主は、国家に対し追加補

償を要求する運動を強々に展開したりである。というのは、

ゴニ月前期」の状態に復帰することは不可能であう、また、償

西南ドイツにおける「農民解放」

1848年 4月14日と 1849年 6月17日司

法樟に基く補償額 〔フローりン〕

!一般瓦租|卜分の一説|合 百|

L 国 庫 6,750,000 21,160,000 27,91O,OOC

E 私的権利者

1,王領地 800,0日日 2,400,000 3,2日コ,OOC

2 貴 技

(a) 等族領土 4,340,000 4,740,OOC 9,080,OOC

(b) 騎士身分 1,740,000 1,370,OC日 3,110,000

(c) T ,;'l.nris紅白sigfm Ari叶 uO,OOO 270,000 7日1,000

3 教会関係

刷新教教会 120,0口口

(叫新教学校 40,000 120,口JO 16口,000

(0) 旧教教会 670,000 4,910,000 5,580,000

(咽旧数学会 100,000 40,000 140,0以)

4, ~i 団

5 その他 1,呂26,000I 6,784,000 I 8,610,000

総 ]2仰 ι州48凶∞01問。∞o

第 4去却が寸でに始ってしまった現在、農民から追加袖償を取るこ

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も出来なかったからである。一八五七年に、ドイツ連邦会議の

決議に基いて等族領主が要求した追加補償額は一八、。九七、

ooodnであった。

Lかし、この要求案は、一八六一年一二月

第八十九巻

七一じ

第一号

七一じ

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西市ドイツにおける「農民解放」

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一一一日に邦議会で六一対一一四でもって否決されて、一八六五斗四

月一九日の同。目司E巴EZE山

20Zによって、四、一一一ニ

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OOEが追加補償されたのみであったυ

ここに、ヴュルテンベ

ルクの領主権は最終的じ廃止されたのである。

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貢租は紬収入の一心情で償却、聞こん地ア分の一税、未償

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第八十九巻

第一号

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以上によって、グールテンベルクを中心にして西商}イツに

おける「農民解政」の過程を見た。ず品ルテ

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ラシス革命の側圧と、一九世紀初頭におけるわちつづく不作と

を契機L

として、領邦政府によって「農民解放」が始められるが、

市民階級および農民D力の弱さから、それは、もっぱら偵邦絶

対主義と等族領主の争いの中で行われる。「三月前期」に償却

廃止されたのは、若干の附随的な貢租にとどまった。そして、

モ!ゼルU

リス?の改革案(有償方式)きえ受け入れられると

となく、領主制は基本的には維持されたのである。

一八四八年のコ二月革命」の勃発は、初めて〈甘い貢租廃4の可

能性を与えたロしかし、いわゆる「=一月内閑」によって」から

与えられた償却訟には、高額有償償却方式が貫徹しているので

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あって、一八四八年の三月に集中的に示された長民の要求は入

れられずに終る。その後の反動化の過程でもこの償却法は廃止

されなかっ?とはいえ、AソL

ルテンベルクにおけるコニ月所得」

は貧弱であった。このような全額農民負担による領土ナ制の廃止

(この点わが国の領主制廃止の方式と異る)に土ってもたらさ

れた良民の負担は、その後の長民負債増大の一因となったので

ある。償却基準の低かったパ

1デンにおいてさえも、償却金の

支払は農民層の上向を阻んで米たのであって、ヴュルテンベル

2

クも例外ではなかった。

こうして、切取地による剖償の行われた京エルベ、事実上白

農民的土地所有がフランス革命前に成立していたライン州およ

びノランス革命によってもたらされた無償廃止方式がその後も

維持されたライン・ヘフセ山?とは異って、国南ドイツは、特有

の高額有償方式による領土{制の解体がじぐざぐの過程を経て行

われたのであったω

ともあれ領主制は廃止されたとはいえ、西

南ドイツにはライン地方と同じような意味での「分割地農民」

の慨念を適用することはできないであるう。そして、このよう

な四南ドイツがもたら

F農民問題は、統一されたドイツ帝国に

おいて、一九世紀末には、東エルベの農業労働者問題と並んで、

農業間庖のて大局面を形成ナるこ、とになるのである。

なお、ヴュルテYベルクにおいては、一八四八年の口αHHN白

調査によるト三幽制が憤然として維持されてい

h。西南ドイツ

西南ドイツにおける「農民解放」

に担ける共同体諸規制の解体過程については、稿をあらためて

論じたしいと考えるが、さしあたり指摘するならば、共同放牧権

の解体は一八七三年、耕地整理は一八八六年を起点とす討。

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号、HgssygFHU~ロωω

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資本の形成と保護主義経箭程論」(上)(潮流詩座・経済学

全集、一九凹九年)九頁

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川本和良ご八世紀におけるラ

イン繊維工業の展開と「営業の白由」の前提条件」付(立

命館経憤学、第九巻五号)一一五|一二七頁。

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ω同日yF目、むE同長引時おアLEHNH山田恒平岡市明「分

割地所有正地代箱醇」(前掲「変革期における地代範醇』

所収)を参照せよ。

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