1986年度福山市同和地区 - osaka city...

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1986 年度 福山市同和地区 実態調査の今 日的意義 本文は広島県福山市における1986 年度の同和地区実態調査報告書の一部であ る。総論 と第 7 章の序論部門を調査員の感想文を通 して筆者がまとめたもので ある。報告書は若干の削除等がなされているが、本文が原型である。引用の番 号は感想文集の番号である。 同和問題の現状は混迷の中にあるといえる。戟後1946 2 19・20 日と、京 都において開かれた部落解放人民大会において、部落解放全国委員会が結成さ れた。 それ は京都 にお けるオール ロマ ンス事件 (1951 年)、和歌山における西 川県会議員事件 (1952 年)、そ して広島における吉和中学校事件 (1952 年)に 代表されるように行政闘争を展開 した。行政はこれに対応 して同和行政を展開 した といえ る。 1960 年同和対策審議会設置がなされた。これに関わり全日本同和会が結成さ れ、民間運動団体は二分された。1965 年同和対策審議会答申が出され、同和問 題は 「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関す る問題であ り、 日本国憲 法によって保障された基本的人権にかかわる課題である」とされ、 「これを未 解決に放置することは断 じて許されないことであ り、その早急な解決 こそ国の 責務であり、同時に国民的課題である」とされたのである。さらに答申は 「同 和問題 とは、 日本社会の歴史的発展の過程において形成 された身分階層構造に 基づ く差別により、 日本国民の一部の集団が経済的 ・社会的 ・文化的に低位の 状態におかれ、現代社会において もなお著 しく基本的人権を侵害 され、 とくに 近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障 -27-

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Page 1: 1986年度福山市同和地区 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DB...1986年度福山市同和地区 実態調査の今日的意義 村 越

1986年度 福山市同和地区

実態調査の今 日的意義

村 越 末 男

本文は広島県福山市における1986年度の同和地区実態調査報告書の一部であ

る。総論と第7章の序論部門を調査員の感想文を通 して筆者がまとめたもので

ある。報告書は若干の削除等がなされているが、本文が原型である。引用の番

号は感想文集の番号である。

同和問題の現状は混迷の中にあるといえる。戟後1946年 2月19・20日と、京

都において開かれた部落解放人民大会において、部落解放全国委員会が結成さ

れた。それは京都におけるオールロマンス事件 (1951年)、和歌山における西

川県会議員事件 (1952年)、そして広島における吉和中学校事件 (1952年)に

代表されるように行政闘争を展開した。行政はこれに対応して同和行政を展開

したといえる。

1960年同和対策審議会設置がなされた。これに関わり全日本同和会が結成さ

れ、民間運動団体は二分された。1965年同和対策審議会答申が出され、同和問

題は 「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲

法によって保障された基本的人権にかかわる課題である」とされ、 「これを未

解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の

責務であり、同時に国民的課題である」とされたのである。さらに答申は 「同

和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に

基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的 ・社会的 ・文化的に低位の

状態におかれ、現代社会においてもなお著しく基本的人権を侵害され、とくに

近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障

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されていないという、最も深刻にして重大な社会問題である」とした0

そして1969年 『同和対策事業特別措置法』が制定施行された。10ヶ年の期限

後、同法は3ヶ年延長され、その後1982年 『地域改善対策特別措置法』が制定

施行され、1987年3月31日その効力を失うこととなっている。

ところでこの間、1976年には全国部落解放運動連合会 (全解連)が結成され、

運動は三分された。さらに1982年の商法改正により、企業から締め出された総

会屋の一部が同和の名を冠した、いわゆるエセ同和団体の結成に走り、今日で

はその数300に達するともいわれている。さらに1986年全日本同和会は二分さ

れ 『全国自由同和会』が結成された。こうした民間運動団体の分裂対立による

混迷とともに、答申後21年にわたる同和行政の成果についても、さまざまな評

価が分かれるところである。筆者はかつて地域改善対策研究所の求めに応 じて

次のように述べた。

「この20年間にわたる政府 ・地方公共団体の同対事業は画期的発展を見、日

本の行政史上においても特筆すべき成果をみせたといえる。しかし、根本的に

は同和問題は、いわゆる対策事業のみによって解決しうる性格のものではない。

特に、この間の努力と成果は同和地区の環境改善に集中した感がある。それで

も寝た子を起こすなという意識によって指定対象地区とならず、あるいは非科

学的差別によって無視された地域すらあるが、それは別としても、全体の環境

改善事業が完了したと言える段階ではない。残事業量は莫大な予算措置を将来

必要とする状況の中で現存する。さらに教育の問題にしても、今日、長欠不就

学児の問題は克服できたといえるが、低学力 ・非行の問題はいぜんとして続き、

高校進学率の落差も急激に縮まったとはいえ、なお今日的課題である。とくに

大学進学率は外部に比して半分程度の状態にある。同和問題が次世代に継承さ

れる可能性を示しているのである。とくに地区内の失業問題、労働の不安定性、

賃金の低水準、中小企業の零細 ・不安定性はいぜんとして深刻な状況の中にお

かれている。二重構造における最末端の厳 しい状況は変わっていないのである。

それに伴う生活保護の状況はこの間不変であり、今日差別観念の物的、社会的

基盤となっている。また現実に悪質な差別事件は頻発している。今日、企業や

宗教界において同和問題への積極的取り組みの気運が動いており、正に国民的

課題としての展開がみられることは喜ばしい限りであるが、これらも、部落地

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名総鑑事件、世界宗教者平和会議事件、差別戒名事件等が直接的契機をなして

いるのであり、差別の歴史的、社会的深刻さの一部が顔をみせているとも言え

るのである。さらに日本の地理的、歴史的位置や社会的体質とも相関して、基

本的人権に関する認識は低く、差別感覚は根深い。これに対し、同和教育や国

民啓発は地対協の意見具申 (昭和59年6月19日)にみられるどとく、今後の課

題なのである。答申以後20年の歩みは、同和問題解決への巨大な第一歩であり

前進であった。それは政府や地方公共団体と国民の協力一致と努力があれば、

同和問題は解決可能な社会問題であることを実証した期間であったとも評価で

きるのである。

しかし同和問題の基本的課題ともいえる労働 ・職業 ・産業 ・教育そして人権

意識の発展と啓発の課題はいぜんとして残されたままであり今後の問題である。

さらに政党エゴと大衆団体の分裂対立がある。これらを克服する道は答申を受

け作られた最初の同和対策基本草案が、どうして同和対策事業特別措置法に後

退させられていったかを明らかにし、答申の原点に返り、政府与党全野覚を中

心にした同和問題への国民的結束をつくりあげることであろう。そして同和問

題の解決が全ての国民の無知と差別性からの解放につながり、科学性と人権の

確立のための不可欠の課題であることを認識させることであろう。

国際的には国連を中心として人権の思想は大きく高揚しつつある。世界124

ヶ国が既に批准している人種差別撤廃条約は、日本も遠からず批准せざるを得

ない状況にある。国内的には大阪府の部落差別事象に係る調査等の規制等に関

する条例にみられるどとく、差別は犯罪であるとする観念は全国的に拡大しつ

つある。」

ところで、部落解放同盟は 『部落解放基本法』・制定をめざして、国民運動を

展開中である。そして全日本同和会は、現 『地域改善対策特別措置法』の5ヶ

年問延長を求め、全解連は5ヶ年の時限立法である新法を求めている。ここで

も主張は異なり、激しく対立し混迷は続くのである。

1984年6月19日、地域改善対策協議会は、内閣総理大臣、関係各大臣に対し

『今後における啓発活動のあり方について一地域改善対策協議会意見具申』を

出したbそれは、実態的差別が同和行政の進展により 「同和地区住民の生活実

態、物的環境の改善は相当に進み、一部の地区については問題を残しているも

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のの、いわゆる残事業は地域改善対策特別措置法の有効期間内におおむね達成

できると見込めそうな状況となっている」として、 「人権意識の高揚を基盤と

した心理的差別の解消の実現は今日以後の重要な課題とされている」とし、啓

発活動の充実を訴えたのである。それは、

「阿 国際障害者年、国際婦人年、世界人権宣言35周年等を契機とする昨今

の人権等重思想の国際的普及の中で、我が国においても人権規約の批准をはじ

めとして各種の幅広い取組がなされ、人権の確保、尊重への気運が次第に高ま

りつつあり、同和問題は人権問題の中でも何よりも先に解決すべきとの認識を

深め、その幅広い理解を促進すること。

(イ) 同和問題をまちづくりの中で位置づけ、住民共通の課題とすること。そ

のため特に、あらゆる機会をとらえて同和地区内外の連帯を進め、その交流を

通じて住みよいコミュニティーの実現を図ること。

(ウ) 封建的な身分差別につながる誤った意識の克服を図るとともに、同和地

区住民の自立、自治の精神をはぐくむこと。

(I) 啓発活動に当た?ては、未知の人には正しい知識を提供し、理解のある

人には一層の理解の促進を図ることは当然として、誤った意識を持っている人

に対しては根気強く正しい理解を求めていくことを啓発活動の共通の目標とし

て取り組んでいくこと。」

を啓発の方向とし、小 ・中 ・高の学校教育、大学における同和教育の充実、教

職員の同和問題に関する知識の充実、理解の凍化、研修を求め、家庭の父母 ・・

PTAとの連携による学習活動の推進を要望したのである。さらに、公民館 ・

隣保館 ・集会所等を拠点とする、地域住民参加の地域における啓発、地区住民

の自立意識と社会的自覚を求めたのであTiた.職場における事業主団体や、労

働団体における研修活動、行政機関における啓発を求めたのであった。そしてI

啓発の内容、啓発の実施主体の役割に至る、誠に体系的、壮大な国民総学習、

総教育、総啓発ともいうべき意見を具申したのであった。それは啓発一つをとっ

ても、同和問題に関する基本法的立法を要するといえる程のものであった。

ところが1986年8月5日、同じ地域改善対策協議会は F坤域改善対策協議会

基本問題検討部会報告書』を出した。それは 「同和地区と一般地域との格差は

平均的な水準としては相当程度是正されたといえる」とし、 「また心理的差別

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の領域においてもその解消が進みつつある」とする認識を基礎とし、 「他方、

同和地区の実態や心理的差別の問題について、今日まだ課題が残されているこ

とも事実である。特に差別意識の解消については、実態面の改善に比べ遅れて

おり、差別事象の発生が依然としてみられることは残念なことである。さらに、

生活環境の改善等の事業のうち一部の事業については、地域改善対策特別措置

法の有効期間内に当初予定されたものの実施が困難な状況もみられる0

(新たな課題)

現在の同和問題を巡る状況をみると、同和問題に関する意見の潜在化傾向や

行政としての主体性の欠如に起因する行政運営における不適切な事例の存在、

あるいは同和問題を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為の横行等、

同対審答申では触れられていない問題がみられる。地対協の意見具申においては、′

今後、啓発活動の充実が重要であるとの視点から、啓発活動の条件整備として、

①同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりを行うこと

㊥行政が確固たる主体性を確保して事に当たるべきこと

④いわゆるえせ同和団体の横行を排除すること

を提言 しているが、これらの課題は単に効果的な啓発活動を行うために解決さ

れるべき課題であるばかりでなく、これからの同和問題の・根本的解決を考えて

いく上での基本的な課題でもある。特にこれまでの地域改善行政を顧みると、

行政機関においては国 ・地方を問わず民間運動団体-の対応に腐心している状

況がみられ、また、民間運動団体間の激しい対立が行政の現場に持ち込まれ、

その対応に苦慮するという例がみられる。こうした状況の背景としては、民間

運動団体の行動形態自体にも問題があるが、同和問題に対する行政機関の姿勢

が特に問題である。行政機関においては、ともすれば事なかれ主義に陥り、民

間運動団体との妥協の上に地域改善行政を進めるという傾向がみられる。これ

は国民共通の課題であるべき同和問題を国民から遊離したものとするばかりで

なく、この問題に対する一般国民の拒絶反応を生む一因ともなっている。行政

機関は、改めて自らの立場を十分自覚し、民間運動団体との関係の在り方を見

直すべきである」としたのである。そして次の5点についての意見を述べた。

(1) 同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり

(2) 同和問題に関する広報の在り方

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(3) 行政の主体性の確立と行政運営の適正化

(4) えせ同和行為の排除

(5) 同和関係者自立、向上の精神のかん養とこれまでの行政施策等

それは同和問題がタブー視されている傾向がある限り問題の前進はあり得ず、

それを為さしめているのは、民間運動団体の糾弾確認行為であるから、それを

止めて、刑法、民法、あるいは人権擁護機関等の公的制度や機関の中立公正な

処理にゆだねるべきであるとしたのである。また、行政機関、企業等は、団体

の不当な圧力に対しては毅然とした態度で臨み、時には警察の協力を求めるこ

とも必要であるとしたのである。以下マスコミ、行政、えせ同和行為、同和関

係者自立向上についても同断である。

さらに同報告は、 (法失効の影響)として

「地域改善対策特別措置法失効後の昭和62年度以降において、これまでのよ

うな特別措置を講ずることなく、現在の地域改善対策事業のうち所要の事業を

実施していくことになれば、その実施は次のような方法によることになる。

(1)一般対策を有する事業については、一般対策の事業として実施する。

(2) 地域改善対策固有の事業であって、一般対策がない事業については、予

算措置として実施する。」

現行法の範囲を広げる一ことがあってはならない。一般対策に移行 した方が適

当なものは移し、必要性がなくなったものは廃止し、個人給付的施策について

は見直すべきであり、地区指定も事業の完了した地区については解除も検討せ

よとしている。そして、差別行為に対する新たな法規制の導入には賛成し難い

とした。端的に言えば部落解放基本法には反対であるということであろう。

ところで、この基本問題検討部会報告書は1986年 3月の 『地域改善対策事巣-

その調査と分析』 (地域改善対策研究所 編)及び1986年8月の 『昭和60年度

地域啓発等実態把握の概要 (中間報告)』 (縛務庁長官官房地域改善対策室)

及び、その前に出された 『昭和60年度地域啓発等実態把握結果の概要骨子』を

前提としている。紙数の関係上ここで詳説はできないが、これらの調査実態把

握は真に科学的であり、事実に即したものであろうか。

こうした混迷の中に今回の福山市同和均区実態調査が行われるのである。福

山市における同和行政、同和教育の歩みと現状については別にゆずるが、日本

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の同和問題に対する先進的都市であることは確実である。統計的 ・数的記述は

各編各章にゆずり、ここにおいては調査員レポー トを通 じ、その全体像を把握

し、以上の混迷に対し回答を見出したいと考える。

〔1〕 実態調査に参加させていただき、差別の現実に学ぶ姿勢を一層深める

ことができました。部落差別をいまなお存在さす事実は、私達の責任であり、

被差別地区の問題ではないと思います.にもかかわらず実態調査を受ける事実

も現実です。 "差別におびえる"ということばがありますが、そうした面を感

じる時、誠に申し訳ない気持ちを感ぜざるを得ません。一日も早 く完全解決す

る責任を強く決意しました。そのために徹底した行政や教育責任を果たす努力

が緊急に総力をあげて行われなくてほならないと思いました。

調査員の姿勢、視点は決定的な問題である。差別の存在をどのように考える

か 『第 1編一生活と就労』 F第2編一教育』の実態把握の基本的姿勢は差別の

現実に学び、その責任において完全解決の実践的態度である。官僚的悪しき客

観主義ではない。差別におびえる人権侵害の状況を如何に根絶するかの情熱と

人権、科学の視点が求められているのである。

〔2〕 各支部内で調査についての学習会がおこなわれており、調査が大変ス

ムーズに進み享した。その中で感じたことを2-3書いてみます。

各地区の世帯を訪問して、住居、仕事などの-- ド面はかなり改善され、仕

事保障もされているようでした。ただ住宅資金等を借りられ、その返済中であ

り、経済的には苦しい状況等が話されました。

被差別体験を聞く中では、日常的な生活の中での体験は昔に比べて無 くなっ

てきているようです。しかし差別発言等があった時、その場でその発言の差別

性を指摘したと話された方が2世帯あり、支部員としての学習が進み、主体的

に取り組まれていることも学習できました。発言の不当性を指摘する時の心の

動き (指摘すると自分が部落とわかる、後から陰で何と言われるか--・)を話

していただく中で、私自身の日常生活の中で差別を是認する発言を見逃したり、

指摘できない状況があることを恥ずかしく思い、差別を憎む、差別をなくすた

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めの主体的力量をさらにつけるための学習や活動の重要性をまた痛感 しました。

子どもの結婚をめぐる差別についても、その現実 (式への参列、実家への出

入り--)が語られ、運動が社会の中に残る結婚だけは--という根強く残る

意識まで改善できていない現状があります。住民学習、企業内研修、学校での

人権参観 ・懇談など、大人対象の学習が、学校内では差別を許さない子ども達

を育てるというソフト面での運動が、今後積極的に充実した中身で展開されな∫

ければと痛感しました。

また、差別に負けない子ども達を育て、運動に参加 し、運動の担い手とする

ための手立て一就学前の教育、解放子ども会、中 ・高サークルなどがますます

活動できる条件づくりも必要であると思います。

調査に入る中で学習したことを、職場の中で仕事を通 して少しでも生かせる

よう今後とりくみたいと思います。

同和対策事業の中で環境は改善され、生活も一定の安定を得た.しかし、借

金の返済苦はあり、差別は残った。人生の幸せな門出である結婚においても、

差別苦は伴うのである。同和教育は差別に負けない、部落解放を担いうる子ど

もの育成である。しかし現実には、日本の教育は受ければ受けるだけ 『丑松』

を育て、部落に生まれたことを恥じ、部落を隠し、逃れる青年を創造している。

この問題に関する政府の方針を聞きたいものである。

〔3〕 今回の調査で感 じたことは、昔のようにまともに差別されることがな

くなったが、差別がなくなったわけではないということだった。ただ、結婚に

ついては根深い差別が残っており、これから婚期をむかえる人にとっては、と

ても不安であると訴えられていた。実態はよくなったが、心理的差別がかなり

あり、まだまだ解決されていない。教育の場において、いかにこの差別をなく

していくかということを痛感 した。

また、地域住民の一人としても、学区同推等で差別 (心理的なもの)につい

て語っていかなければならないと思った。

差別は人権意識の発達あるいは糾弾、教育によって後退していく。しかし陰

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湿な差別、最後の砦において頑強な拒絶となって生きていく。何気ない発言も

被差別者を追い込んでいく。

〔5〕 普段、被差別地区の父母と接する機会が多く、いろいろの願いや思い

を聞かせてもらっていたが、この度 「実態調査」に携わり、老人の方から若者

までの幅広い年齢層の人達と話を持つことが出来、今まで以上に願いや思いを

伺い知る事ができた。

特に、被差別の立場の人が内面に持たれている悩み、不安、怒り等の気持ち

を肌で感じることができた。

また、職場や日々の生活の中で、現実に差別発言がなされていること、社会

意識としての差別観念が根強いこと等々、あってはならないことが平然と口に

されたり、残っていたり、あるいは人から人へ伝承され拡大されている事実を

知らされた。併せて、幼児をかかえておられる親の立場として "我が子が大き

くなった時代には、こんなことが絶対なくなってほしい"という心からの願い

や気持ちが口にされもした。

平素、部落問題についての学習、解放運動、同和教育等々を口にしながら、

さもそれらの本質や被差別の実態を知り、解放のための取り組みをしているも

のと思っていたが、この度の 「実態調査」をする中で、より自分の取り組みや

考え、思いを反省させられ、自分の中にまだまだ差別や部落問題についての認

識の甘さがあることを痛感させられた。また現に、こうしたあってはならない

(あるべきでない)部落問題 (差別)によって、多 くの人達が悩み、苦しめら

れている実態を早期に解決していく取り組みを、より強力にすすめることが必

要であることも痛感 した。

自分自身、現在の仕事はもちろん、日常生活の中で解放運動-の協力、部落

問題解決のための実践力を身につけ、微力ながらでも努力していくべきである

思いを強くした。

こうした事実を知る中で、人権意識は高められるのである。官僚的調査から

は絶対に生まれない人間の発達がある。

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〔6〕 福山市同和地区実態調査に従事して痛切に感じたことは、やがて21世

紀を迎えようとしている近代社会の今も、厳然として部落差別が生きているこ

とを身をもって学んだことである。しかもその差別は、社会の近代化が進むほ

ど陰湿になり、又ゆがめられてきている。

現在も同和地区の人達は依然として厳 しい部落差別によって就労 ・教育 ・結

婚等、憲法に保障された基本的人権が侵害されている。こんな非人間的なこと

が一日も早く解消されることを願って、又今後の同和行政に生かすための実態

調査であるが、自らの、又家族の苦しい体験を話すことは非常につらいことで

あったろうと察します。

実態調査をする中で、このような実態を聞くたびに、身の引き締まる思いを

すると共に、差別をする人間には絶対にならない、人の痛みが少しでも理解で

きる人間になりたい。そのためには、人間一人一人の力は小さいが、差別に対

する怒りの炎を胸の中に絶やすことなく、より大きな炎に育てあげるため、こ

の実態調査を通 じて学んだことを心の糧として、差別をしない、差別を許さな

い明るい人間社会を築くための日々の努力が大切であると思います。

人間の努力はいつかは実を結ぶ。

〔11〕 同和地区実態調査を終えて

実態調査が莫大な項目で、しかもプライバシーにかかわる多くの項目があり、

調査しながら自分でも言いたくないと思う項目もある。しかし、調査員として

は聞かざるを得なく、こちらが心外し気をつかう思いであり、これはとにかく

相手の方に不安や不信を感じさせてはいけないと思い、自分の立場や秘密保持

を確約し、リラックスに心がけ、心と心をうちとけさすよう努め、などやかな

雰囲気にし、気楽に話し合い、調査に入った。

調査項目の中で、被差別体験を聞く項目では、皆様が忘れがたい気持ちでお

られるものを聞き出さなければならず、中には言いたくないのであろう 「もう

忘れたよ」とおっしゃる老人もおられた。そうした中で、自分の結婚に反対さ

れたことを話して下さり、非常に心をうたれ、感動のあまり言葉がつまる思い

であった。その内容は、研修で見るフイルムのストーリーのようであるが、体

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験をされた方の生の話を聞き、よけいに強い感動を受けたものです。それは、

ど主人が地区外の出身で、奥さんが被差別部落出身で、そのお二人の結婚につ

いて奥さんより聞いた話であります。

お二人は愛し合い、強いきずなで結ばれたのでしょう。しか し、二人の結婚

生活は平穏ではありません。二人がど主人の実家に行っても、奥さんは家に入

れてもらえなかったのです。そのような状態が相当期間続き、奥さんはいっも

外で一人寂しくご主人が出て釆られるのを待っておられたそうです。

それから何年か経過し、子供が二人になってもまだ入れてもらえず、その後、

ど主人の父親が亡 くなられたが、葬式にもむろん出してはもらえなかったそう

で、それはそれは毎日がほんとに苦しかったことと思います。

それが最近になって、亡くなられた父親の法事があり、やっと家に入れても

らえることになり、法事にも出してもらえることになりました。その法事の時、

母親と親戚の皆様から 「今迄は大変すまなかった。どうか許して くれ0」とこ

とわられ、気持ちよく受け入れてもらったと嬉しそうに話 してくださり、私も

すかさず 「それはよかったですね-。嬉しかぅたで しょう。」と思わず喜びの

言葉が出て、こちらまでさわやかな気持ちになった。そのように今ではとても

楽しく幸福な生活をしているといわれ、はっとした思いであった。

そして次の質問で、子供さんq)将来の進路の、問で、どこまで進学させるか、

また就職させるかの質問では、子供さんの希望どうりにさせてやりたい。だが

私の一番の希望は 「お父ちゃんのような良い人を見つけて、幸福な結婚をして

くれることが一番の願いです。」とおっしゃり、ど主人のやさしいお人柄と、

幸福な家庭生活が伺え、実態調査初日でこのようなさわやかな気持ちで調査す

ることができ、翌日からの調査の励みとなった。

調査は、このようなさわやかな話ばかりではなかったが、母親や親戚が奥さ

んを家族の一員として受け入れる気持ちになったのは、奥さんの努力やお人柄

もありましょうが、一つには、今各学区で盛んに実施されている同和問題の住

民学習のたかまりと、一般住民の理解の表れであるならば、と住民学習を推進

している者の一人として思うものであり、そうあってくれるなら、学習会を意

欲的に推進していく糧としたいと思っている者です。

この調査で差別の実態を学び、この体験を通じ差別の解消-の努力と職場や

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地域での学習会を積極的に推進していくことを誓う者です。

同和教育、国民啓発はこうした具体的成果を生み発展しつつあると評価でき

る。しかし差別の現実はなお厳しい。

〔12〕 部落差別の実態は、どのように優れた実践家や理論家の取り組まれた

著書を見ても真実を体得することはできません。

私は福山市同対審答申にかかわる福山市内同和地区実態調査にかかわったも

のですが、その時点で深刻な差別の実態を聞き、私自身の部落問題に対する認

識の足りなさに深刻にショックを受け、自らの立たされている教職という立場

での実践を通し応えていかなければと思いました。ささやかな歩みですが、こ

の歩みの中で私自身の変革と多くのものを学び、仕事の上で生かすことができ

ました。

今回の調査で、時間の経過に比して尚多くの厳しい現実が存在することを実

感し、身のひきしまる思いでした。納々と語られた被差別者の苦しみと、それ

故に子ども達のために身を挺して闘っておられる方々の姿を自分の血肉として、

これからの仕事の上に生かしていきたいと思います。

9世帯への取り組みの中で感 じたことは調査票の末尾の 「調査員 レポー ト」

の中で具体的な言葉で記 していますので、2-3概要を書 くことにとどめたい

と思います。

(1)若夫婦との対面の中で

福山市内のかなり大きな企業に勤めている主人が、部落出身であることが

わかったためか、企業主から解雇の呼び出しを受けて悩んでおられた。企業

内同和研修の内容、質、身分保障の不安定な中でおびえながら働いている、

この家族の上に具体的な就労保障が確実にされなければと思った。

(2) 子どもの結婚にかかわる差別で悩んでおられる夫妻

地区外の娘さんとの恋愛関係で (本人同士に何の罪もないすぼらしいカッ

プルだと思っているような)子どもたちの縁談がすすむ中で、親族達に反対

され実を結ばず、そのため息子さんは自殺寸前になるほど苦しんだ。今やっ

と運動の中で立ちなおりかけた。

-38-

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(3) 若い頃の労働がたたり、今身体全体が病気という程苦しむ老夫婦

心臓病、白内障、ありとあらゆる苦しみが一度に集中したように、老いの

前途を暗くしている。差別はこういう形で善良なこの夫婦を苦しめてきたの

かと、怒りが胸をつきあげた。

(4) 地区外の男性と結婚し、ささやかな家庭を営む若夫婦

二人の結婚はまさに二人の愛の強さ、しかし周囲の親との絶縁、結婚を境

に職場の友人関係から疎外の苦しみを味わせられている。これが部落差別で

なくて何だろう。

こうした現実を知る中で調査員に課題が生まれる。

地区の方々の悩みに経済的な悩みも当然ありましたが、それと同じように部

落問題と自分とのかかわり方や、我が子にどう教えていけばよいのか、こうし

た差別をなくしていくための道すじは何なのだろうか・・-・そんなことを自信持っ

て語っていける親や人間になりたい。そうした願いや部落問題の本質にせまる

課題について、もっともっとわかりやす く、本当の意味でやさしく、啓発活動

を地区の人を含め、広 く展開していくことが大切なのではないでしょうか。そ

んなことも感じました。

〔19〕 今までに地域進出 (家庭進出)をし、実態から学ぶということで学習

してきていたが、今回の実態調査により、認識の甘さとか学習不足を痛感しま

した。

部落差別が表面に現れてきているもの (差別落書)よりも、そうでないもの

が非常に多くあり、厳しいものである。例えば 「今までは相手の人 もよく話し

かけてきていたが、自分が部落出身とわかると、会っても知らんふりをされる

し、自分をさけているようだ。」というように、差別意識むき出しの行動をと

る住民のいる話を聞くにつけ、住民学習の大切さを感 じた。

今回の実態調査により、一歩内に入ると、部落差別が厳しく生き続けており、

学校における同和教育の不十分さをも知らされ、学校現場にいる者として自分

自身を見つめ直していかなければならない。

- 39-

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〔20〕 市同和地区実態調査員として、8世帯の方と面談し話し合う中で、昭

和43年の同対審答申以来、環境改善やいろいろな行政施策によって、見た目に

はかなり改善されたかのように理解 していましたが、個々の実態については十

分知る術もありませんでした。

この度の面接調査の機会を与えられたことにより、個々の生活実態において

は、必ずしも十分な施策が行われていない部分があるのではないか。例えば、

健康面。働く意志がありながら働くことの出来ない人 (生活保護で-・-取り組

む方法)。差別経験の項目では、学校内で先生からというようなものもあり、

又差別を受けないように一生懸命努力し、立ち上がろうとしても、同和地区に

生まれたことだけの理由で差別がつきまとっていること (悲しい現実)O私遵

に理解出来ないような事が多くあった。なさけない思いをしました。

お互いが人間らしく生きるとは、これから・の学校教育の課題 (家庭や社会の

協力や理解)や取り組み、特に同和教育への社会意識としての差別観念をどう

したらという思いであり、個々の人間性をどのように高め、社会正義は・・・-0

人間らしく生きる、人の立場や人の愛を受け止めることの出来る人を育てた

いと思っています。

差別の現実は多様な形態をもっている。

〔28〕 健康をそこなっている人が多いのにびっくりした。働・きたくても働け

ないという中で、やむなく生活保護を受けるというケースが多 く、いわゆる

"人々の健康 ・生活 ・教育 ・仕事など暮らしの中味 (ソフト面)にかかわる実

悲 "の厳しさを痛感させられた。

比較的安定した職業に就いている人々のほとんどが福山市職員であったこと

も課題として受けとめた。もっと民間を中心とする幅広い雇用の保障が重要で

ある。

部落解放基本法制定要求運動が同和対策事業のソフト面、とりわけ雇用と教

育の充実も求めていることの必然性を身をもって理解 した。

さらに、様々な被差別体験を聞く中で、心ない差別を受けて、やり場のない

怒りをどうすることも出来なかったという体験談に胸がつまる思いだった。

-40-

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被差別が犯罪になりかねない心情を聞くにつけ、 "差別こそ犯罪 "として法

的規制を加えることの正当性も・また理解できた。

改めて 「部落差別の実態から学ぶ」ごとの重要性、原点性をかみしめること

となった実態調査であった。

日常の同和行政にかかわる業務の中で、その煩雑さに追われて、つい忘れが

ちになっていた同和行政の原点を学び直した思いである。ありがとうございま

した。

従来の社会啓発、同和教育の認識を根本的に反省しなければならない現実が

ある。

〔33〕 「つぎに、差別行為や差別発言を直接体験されたことについてですが」

という言葉の終わらないうちから、 「それや一昔はきびしかった。手で差別的

な動作、陰口、人の集まっているところへ自分が行 くと、なんとなく話が途切

れたり、人が散っていったり、仲間にいれてもらえなかったり、日常生活の中

で多く体験したり、発言も聞いた.しかし今は忘れてしもうた.具体的には。」

と母親がセキを切ったように一気に話し終わり、一瞬の静寂があり、その間、

昔で今は忘れてしもうた--ということばに安堵する間もなく、若い夫婦の二

人が顔を見合わせ、実は--と切り出された。

私が結婚 して、再就職するときの出来事ですから、2年前のことです。面接

のとき 「住所は ? 結婚前の住所及び名字は ? その名字は○○さんのところ

と一緒ですか」と聞かれ、今私が就職するのに結婚前の名字、どこに住んでい

ようと必要はないと思い、こうした企業にはと思いました通り、またもTEL

で、あの件はなかったことにして下さい。との連絡を受けた等々の話を聞き、

社会啓発、学区同推協活動の6ヶ年の活動が一瞬にして吹き飛んだ思いであり

ます。

学習会等でいっも厳しい差別が現存しておりますということは良 く聞いてお

りましたが、直接体験を聞かされ、差別に対する憤りで身が熱くなりました。

改めて、差別の現実に学ぶことが解放への一歩であることを、体を通して認識

を新たにしたものです。

-41-

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〔34〕 今回の調査では、実に多くの年齢層の方々と面談 し、初対面ぶしつけ

の失礼を受け入れていただき、生々しい差別の実態を話 していただきました。

普段は教職員として、地区児童を通 じてその家庭の方々、それも保護者の方

々との話 し合いが中心となるため、その範囲での実態 しか目が向いていなかっ

たと思います。

☆ 差別と闘い、生活と闘い、行商で働きぬき、体に無理がかかり寝たきり

になられ、 しかも一人暮らしのおばあちゃん、息っ くひまな く喜びのひとと

きもなかったと話される声は重い。

☆ 自らの結婚にも、親戚の中にも多 くの結婚差別を体験され、そして今は

ひとり息子がその渦中にあり、相手の親からひどい仕打ちを受けている、と

涙ながらに話されるお母さん。

☆ 集中治療を必要とする重病人でありなが ら、同室の人か ら身元調査を受

け、差別語をあびせられたと、くやしい思いを話 して下さったおばあさん。

この方は、息子や嫁と解放運動の姿勢のちがいに悩み、孫にどのように話す

かを思案中との新 しい課題をいただいた。

☆ 散在地区では、子ども会に参加 していない子ども達に、どのように部落

差別を話 してい くか、親も手さぐりで方策を探しておられる悩みが伝わって

くる。

☆ 病気の実態は、私たちの調査範囲だけでも、呼吸器系 ・内分泌系 ・神経

系 (リウマチ)が多いと感 じた。生活環境 ・就労 ・食事などの面からの分析

が待たれる。

☆ 外から見ると、鉄筋で立派と見えた解放住宅の不十分さには驚いて しまっ

た 。

私自身の子育てと重ね合わせて思うに、今回出会 ったどの方々も親として、

子どもに懸ける思いの熱さを感じ、差別の重みにどのように対峠させるかを、

常に念頭におかれて子育てにあたっておられることを、どの世代の矧 こも感 じ

た。中でも、60代の親御さんの子育てには感動 した。それは、赤ちゃんの時か

ら 「この子には、いっ差別を話そうか、どのように話そうか」を常に考え、そ

の年齢に達するまで親子関係を望ましいものにしておくよう、心をいっも開 く

子に、対話 ・スキンシップを欠かさぬようにした。そ して、その年齢になると、

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毎日、変わった事はないか見守り、話すチャンスを伺い、子どもから 「今日、

学校で差別について・・・-」と切り出した時は、三日も四日も毎晩 トコトン話し

合い、親の被差別の体験を全て話してやり、 「こんなに差別されて生き抜いて

きた父ちゃんじゃけぇ、○○ちゃんにどんな差別を受けても、びくともしてく

れるな、守ってやるし、自分で抵抗できる子になって くれ」と話してきた、と

言われた。非常に真撃な生き方に、私自身の生き方の甘さが恥ずか しくなって

しまいました。

もう一人、子ども会の リーダーとして活躍しておられたお嫁さんを育てられ

た、ど両親の屈託のない明るさ。 「差別を受けた分、よけいに他人に温かくで

きるはず」と言われ、花嫁道具に囲まれた中で 「これからが、あの子の正念場」

と言われる言葉に、親御さんの願いがこもっていて、 「どうぞお幸せに」と祈

らずにはいられませんで した。

解放運動が高まる以前の苦しい時代を生き抜いて来られた方々には、重い被

差別の体験をバネにした熱い思いがありました。

運動が高まり、被差別の状況は減少したかのようで、実は巧みにカムフラー

ジュされて、ひたひたと寄せている。見すごしてほならないと思う。又、貴い

解放-の一人一人の小さな努力と熱い思いを、もっと知らねばと痛感 した。

60代、70代の方々の運動のあり様 (生きざま)をもっと私たちは知り、この情

熱を受けついでいくべきだと思いました。

差別はInvisibleな形で続 く。それに抵抗 し、これを打破するためには、差

別の現実をVisibleなものとしなければならないのである。

〔59〕

(1) 部落差別の厳しさと解放運動

9世帯のうち、年齢によって異なるが、50代の人の80%は被差別体験を語っ

てもらうことができた。内容的にも購称語がまるで完全に蔑視されていた状態。

また被差別者も厳しい差別を受けながらも、これに闘っていく姿勢が希薄であっ

たようだ。

しかし今では、毅然として自らの被差別体験を語ることができると共に、子

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供達のためにも差別をなくして行かなければならないという意欲が十分伝わっ

てきた。まさに解放運動の成果であると思った。

(2) 現存する差別実態

高齢者になるほど転職歴が多く、 しかも今日なお不安定な就労実態である

(社会保険、厚生年金、福利施設のない職場)。このことは同時に健康面に及

び神経痛、内臓疾病の患者が多く、高い有病率を占めている。

(3) 住環境への不満が多い

環境改善の「つとして同和向け公営住宅を建設し、一定の成果を上げたかの

如く行政サイドでの評価をしておるが、事実入居者の声は不満の声が高かった。

☆ 特殊化された住宅 (差別住宅だ) ☆ 室が狭い

☆ 改修ができない ☆ 子供が来ても寝泊が出来ない

☆ 通風が悪い

(4) 家庭教育の不十分さ

☆ 夕食が家族全員一致 しないケースが多い

☆ 親子のふれ合い、話 し合いの機会が少ない

☆ 高学年になるほど、子供が親から離れ、親の思いが通 じきれない

(心配している)

☆ 家庭内での進路指導が十分でない.本人まかせ、学校への依存が強い

※ ここら辺りも考えてみると、親の教育が十分出来ていないことや、働か

ねば生活できないという差別が、子供の家庭教育-延長しているのではないか

と考えられた。

一口に完全解放という言葉を私達は口にするが、その広さ、深さ等の重みを

痛感した次第である。

以上紙数の関係で、実態調査員のレポー ト・感想文の一部を引用 した。

確かに同和地区の環境改善 ・生活水準の一定の向上はあった.しかし差別の

現実は、仕事 ・賃金 ・教育 ・健康とくに差別の生々しい言動や観念、隠された

事実の中に厳 しい。何よりも調査員の如 く、長く同和教育や同和行政に参画 し

てきた人々でさえも、差別に関する従来の認識を甘いものとして、変革しなけ

ればならないと述べる程に厳しいのである。同和問題の科学的認識を確立する

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上で、本調査は画期的な問題を提起しているのである。

それは差別というものに対する従来の教育、行政等の根本的な見直しを迫り、

いわゆる同和対策事業では克服しきれない問題の状況を明らかにしたことであ

る。人権侵害のこの現実は、差別する人が多数同意しないとか、知らないとか

という論理で放置できる状況の問題ではない。少数者の人権が確立することは、

多数者を無知と差別性から解放し、市民、国民の人権を保障する道でもあるの

である。

第 7章 生活と就労部門 問題点と課題

同和地区の環境改善は、答申以後の同和行政の推進により急速になされた。

福山市におけるそれも、昔日の面影を残さないまでに一変したといえよう。道

路の整備、家屋の新築 ・改築により、生活様式もまた変化する。自動車、バイ

クの購入もまた生活を一変させた。青年層の教育水準の向上、常雇の増加も生

活の安定と向上をもたらしている。しかしそれは一定のという限度付きである。

日本国民の全体的生活の発展 ・向上、福山市民全体のそれと比較した場合、同

和地区め昔の状況との比較程の変化 ・発展感はないといわなければならない.

感じではなく、それは具体的数字に現れているのである。詳細は別記に譲るが、

調査員は次の如 く述べている。

〔58〕 今回、同和地区実態調査の大役を担い、担当世帯は8世帯と少ないも

のであったが、直接肌で感じた事柄を記し、今後の取り組みの糧としたい。

(1) 実態的差別については、一般的には解消されたと言われているが、その

背景には、生活への圧迫という形で残っており、表面的なものと、その中味

との違いの大きさを痛感した。

(2) 被差別体験の項にあっては、言われたことを十分文章化出来なかった事

の未熟さ、また 「今更そんなことを言ってみてもどうにもならない」と言わ

れ、文章にしなかったことなどを含め、差別の痛みは言葉では言い表せず、

まして文章には決して表すことの出来ない深み、重みがあることを痛感した。

(3) ある家庭では 「我々が一番期待をし、一番力になって欲しいのは、あな

た連行疎職員である。日常生活を含め、住民学習への参加はもとより、発言

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においてももっと積極さを持って欲しい」と言われ、行政職員の役割の重大

さを改めて痛感した。

主には以上であるが、正直なところ、調査に入る前は一抹の不安と緊張を余

儀なくされたが、全ての家庭から温かく迎えられ、などやかな雰囲気の中で目

的を達成できたことは、運動の成果はもとより、皆さん方一人一人の解放-の

意欲の表れであると感銘を受けた。

反面、種々厳しい指摘も受け、行政職員として学習は積み重ねているものの、

実態の中味に対しての認識がまだまだ不十分であったことの反省をする中で、

課題は多く、真の解放はこれから始まるのだ、又その担い手となるのが我々行

政職員なのだと、改めて痛感した次第である。

環境改善の裏に残された差別の重圧は、簡単に消え去るものではない。調査

員でさえ持っ不安と緊張は、一般民衆には一種の恐怖や拒絶となって現れる差

別の観念なのである。これを克服する道は遠いといわざるをえない。

〔62〕 過日、実態調査に伴う調査員として、数週間にわたり協力した所感を

申し述べます。

第-に、いまなお部落差別が残酷 ・陰湿に存在している実態に驚き、憤りを

感じた。特に古老の人から、若い頃より部落差別の数々を聞き、中でも日常生

活、仕事での人には言えない差別の実態を涙ながらに話された事には、今もっ

て差別の根の深さに驚きましたので、今回の科学的調査で一日も早く同和問題

の完全解決を切望します。また、実態調査で学んだ事を糧として同和問題解決

のために尽力をつくしたい。

調査の方法について、一組二名で調査を行ったが、都合が悪く調査が出来な

い場合は、他の人とペアを組んで調査したのがいくつかあったが、最初から最

後まで同一の人と調査した方がスムーズに進んだのではないか ? また調査に

あたり、調査員を多く確保した方が調査の能率向上につながるのではないか ?

差別の持っ残酷さと根深さは、日常普段には隠されている。利害や感情が対

立したとき、それは顔を顕す。 しかし差別をした側はあまり気が付かない場合

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が多い。だが差別をされた側は、その身体の奥底にまで傷を残す。この構造的

実態を明らかにすることが問題解決の前提なのである。今回の実態調査もその

一環であるだけに、調査の結果の具体化、そして守秘と希望は強い。

☆ 調査だけに終わらず、その成果を大いに活用して欲 しい。

☆ 集計 ・分析段階でも秘密厳守を ! また、調査票集約によって表れる私達

の思いというものを、必ず行政に反映してもらわないといけない。

(答えたくないことも答えているわけだから)

☆ 実態調査について、 (秘)で対処 し、早く解決を図って欲しい。

☆ 子どものためにも、調査の必要のない時代に早くして欲しい。

この調査票を集計するのは市の職員だろうが、理解ある人に見てもらうのな

らよいが、そうでない人ならこの調査に疑問をもつ。

調査のための調査、差別の再生産につらなる調査、そうした苦い経験が調査

を受ける側にはある。

地区の生活の貧しさは、老齢、病気、障害によって続く。

☆ 一人暮らしで寝たきりのため、本人もつらく 「生きたくない」と言われる。

もっと明るさが持てるように、まわりの支えが必要だと感じる。

☆ 世帯主の方は文字通りの独居老人で、それも80才過ぎの高齢のため、健康

がすぐれず、医者通いも数軒に及んでいる。月々の生活保護費4万円足らず

も、近所や親類との付き合いに追われ、不足勝ちである。

将来、養女が家屋敷を継いでくれるのが唯一の望みだと言われていた。■■☆ 現在の収入は障害年金だけ。頚椎損傷による右上肢機能障害 (3級)のた

め通院しているが、往復のタクシー料金が月に5-6万円必要。預貯金もほ

とんどなく、月々の生活費の不足分は兄弟に頼っているのが現状である。将

来の生活に大きな不安をもっている。

☆ 一人暮らしで、現在の仕事もあと2-3年しかできず、収入面や健康等に

不安をもっている。

☆ 会館などで十分な手立てがなされているので、ありがたいと思っているが、

-47-

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現在、年金だけの生活をしており、生活が安定していない。例えば、胡戚付

き合いで費用が要れば、食費等を始末しなければならない状況もあり、年も

いっているが清掃等のパー トで2-3時間でも働いて収入を得たい。年金に

税金がかかっているが、免除になれば生活費の足しになる。

義理の息子の仕事が安定 していないので、時々酒を飲んで来ては、家を処

分するとか言うが、孫の守をしたりして、辛抱してがんばっている0

☆ 家の借金返済に苦しんでいる。

環境改善に比べ、その生活は貧しい。常雇の数は増えても低賃金で、家族労

賃の総計によって生きる姿は、本質的には昔と異なっていない。社会の底辺層

をなしているのであるO

☆ 現在、家計収入は主にはE:主人の給与所得にかかっているが、住宅のロー

ン返済や将来のことを考えると夫婦共働きしたいが、奥さんが病弱なため、

健康のことを考えると外に働きに出ることができず、住宅併設の小規模の飲

食店を経営しているが、これとても状況によっては辞めさせなければならな

いと思っている。

☆ 現在、喫茶店で調理をしているが、調理師の資格を持っており、将来自分

で経営できるような施策が欲しい。今は自分の資格を生かして、好きだから

勤務しているが、収入等不安定であり、午後4時から12時までの勤務を考え

ると将来が不安である。

子どもの分家も考えなければならないし、田が 1反半 しかなく、土地の一

部を家を建てるのに使うと農業収入が少なくなり、生活が不安である。

また、自分の家を増改築したいが、子どもの将来のことで頭が一杯で、貯

金もなく余裕がない。

☆ ど夫婦とも健康には不安を持たれている。特にど主人の心臓病には専門的

対応が必要。

☆ 職業病ともいうべき塗装関係からくる呼吸器疾患があり、営業継続かどう

かの課題が読み取れる。

☆ 10年前に肝硬変になり、入退院を繰り返す。だんだん悪くなり、歩行も不

一48-

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自由となり、奥さんがそばに付いていないといけない。

差別に腹を立て、ヤケ酒を飲んだためと言われる。

☆ 二女が高校 1年の時、ノイローゼで入院し11年になる。経過は良好だが退

院できない。なぜなら、退院しても近所の人から母親が差別を受けて苦 しむ

のではないかと気を使っているようだ。母親は娘のことが気になり、時々見

舞いに行 くが、自分も手術をし、身体が弱っているので苦 しい。娘と共に暮

らしたいという母親の思いを聞 くと胸が痛む。

☆ 同和地区に共通する、親子代々の職場及び家庭環境が非常に良 くない状態

で現在まで続いてきた。親自身が十分な教育を受けていないので、子どもに

対 しても十分な教育をしてやれない。

教育に対する要求は強い。たしかに部落問題の最終的解決は教育以外にはな

い。地区の教育水準も急速に改善されつつある。 しか し教育の現状は ?

☆ 学校での子どもの実態を知りたい。ま.ず、担任 と話が したい。

pTA研修、特に同和教育研修に参加が少ない。手立てを考えて欲しい0

形式的に終わっているのではないか。本質に迫った研修にして欲 しい。

解放会館での取 り組み (学力保障の問題)--学力の向上を願 ってやって

きているが、伸び悩んでいる現状がある。その現状を分析 し、どの段階でつ

まづいているのかを知り、適切に指導をして欲 しい。子どもの持っている能

力を十分引き出 して欲 しい。

☆ 小学校で差別が続出しているが、小学校の人権学習を充実 して もらいたい。

もっと地域進出を して欲 しい。

☆ 私立学校での同和教育の取り組みを強化 して欲 しい。全職員のものになっ

ていないのでは ?

☆ 将来における子ども達の進路保障を確立 して欲 しい。

親と教師の連絡 ・研修 ・学力保障 ・差別 ・進路いずれも不満足のようである。

この溝を埋める実践が期待される。

-49-

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≪住民学習≫についても次の声がある。

☆ 町内会長が町同椎の主体となって地域懇談会をしているが、もっと枠を拡

げて、一人一人が責任ある立場で同推協を盛り上げていって欲しい.

☆ 住民学習の中で、もっと地区外の人達の考え方を聞きたい。

☆ 参加者がもっと発言できる内容 (雰囲気)にして欲しい。

☆ 学区同推協の推進委員をしていて思うことだが、会長の役割の重大さを日

頃痛感している。もっと自らの課題として同和問題をとらえる学習をして欲

しい。

助言者としても、住民に説得力のある説明ができるよう勉強して欲しい。

≪親の願い≫

☆ 地区の中から教師が出て、真に実のある同和教育をやってもらいたい。

☆ 親子の会話が少ない。どう会話を増やしていくか-・-

子どもの思いがつかみきれない。

☆ 被差別体験の厳しさがあるので、せめて子には学力を ! と切望して頑張っ

た。

同和問題に対する関心はある。しかし自らの課題とはなり難い。地区民のあ

せりや不満、そして気負いが逆に会話を閉ざし、溝を深めることもある。長期

の継続と努力、熟練を期待する以外に道はない。

☆ 地区外に生まれ、現在の奥さんの立場に立ち、一緒に悩みながら子どもさ

んの幸せを念 じて、幸福な家庭を築いておられる。

ど主人の意見として、自分が体験してこられた学校での同和教育、部落問

題の不徹底さを教育の不信として受けとめられている。

「教師も、もっと形式ではなく、部落の人の立場や気持ちになり、自分の

問題として真剣に取り組んで欲しい。」

また、奥さんの辛い体験や級友間で感 じとった差別問題でも、親の差別意

識が背景になって生徒の発言につながると話された。

子どもの時代にまで差別を残さないようにしたいと強 く訴えておられた。

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☆ 解放子ども会に参加することはいいことだが、まず自分の近所の子どもと

交流を深めさせたい。

☆ 地域の子どもが学習できる環境づ くりを今後も取り組んで欲しい0

目に見える部分は大分よくなってきたが、心の面で教育が果たす役割は今

後大きな問題となると思う。

☆ 中学校の時の被差別体験が一番印象に残りました。

今の子は同和教育のおかげで、みんなで団結し、先生らにも相談できてい

いと思う。運動の成果だと思う。早 く差別がなくなるため、子らに頑張って

もらいたい。私達も頑張れるだけ頑張るという気持ちが伝わってきました。

☆ 40数年生きてきた中で、初めて被差別体験をした。差別発言した者は35才

という年で、学校で何らかの人権学習を積んできているはずであり、子ども

が小学校-行っており、人権参観 ・懇談にも参加しているはずであるにもか

かわらず、間違った形で受け取っており、知識だけのもので自分とのかかわ

りにおいて同和問題を全く理解 していない。また、糾弾という言葉のみに恐

れをなし、平謝りに謝るだけである。今後学校での人権懇談を充実していっ

て欲しい。

それにしても差別は厳しい。結婚が問題を根本的に解決するのではない。結

婚後も差別は続 く。住居を移転しても差別は続く。

☆ 地区外出身の夫は深いところでの理解がされておらず 「おまえはわしと結

婚できたのだから、もうおまえは結婚差別から解放されたはずだ」と言う。

しかし、わが子には自分の子であることを誇りに思わせて育てていきたい。

☆ 嫁は家族の中で 「私は、あんた達とは遵うんじゃけぇね」と直接言ったこ

とがある。離婚するためにヤクザがするような手口を使った。

☆ 長男、二男とも地区外の嫁さんを貰われている。二男の嫁さんのお母さん

は同じ町に住み、近 くで働いておられるが、何のこだわりもなく職場や地元

で結婚式の写真等見せているが、そのお母さんの周囲には厳しい状況がある

のではないかと心配である。

できたお母さんで、結婚差別もなく結婚させられた嬉 しさと同時に、その

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お母さんの周囲が心配です。

☆ 被差別地区でない所に引っ越ししていくには勇気がいった。周りの人に理

解して欲しい。

☆ 選挙で頼みに行 くと断られるので、やはり差別は根強いと痛感する。

☆ 町内会-の加入を申し込むと、地区の町内会へ入ればよいと言われたりす

るので、町内会には入っていない。 トラブルを起こしたくないので・・・-0

生活面で不合理や矛盾を感じる。

☆ 実態的差別はなくなってきているが、心理的差別は陰湿化している。相手

がこちらの立場を知らない時は平気で差別意識があらわになる。ところが、

こちらのことを知るとHをつぐんでしまう。

こうした中で、行政や教育に対する地区民の要求は厳しい。

☆ 住民学習など、地域活動に行政職員の参加が非常に少ない。行政職員が地

域で果たす役割は何であるか、真剣に考え行動に移して欲しい。

☆ 住民学習への行政職員の参加が少ない。行政職員が意識変革すべきだ。

住民との接点について、もっと考える必要があるのではないか。

≪職場研修≫

☆ 行政職員は、同和問題の研修等に参加したら、まじめに研修を受けて欲し

い。職場で研修に参加せず、遊んでいたという発言を聞いたこともある。職

場で同和問題を全 く理解 していないような発言、会話等を聞くことがあり、

今のままではよくないと思う。

☆ 同和問題研修の回数、曜日の設定について配慮して欲しい。また、内容に

ついても充実したものにして欲しい。

≪行政全般≫

☆ 差別の実態がまだまだあるので、行政責任としてきちんと手立てをして欲

しい。当面 『基本法』の制定に向けて、行政として責任ある手立てを講じて

欲しい。

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行政職員が "行政の責任 "と言っておられるが、よくわかっていないので

はないか。

自分とのかかわり一一- 家族を含めて他への働きかけがない

自分の課題となっていない-- してやっているという感覚

☆ 本当に困っている人のための行政をして欲しい。

☆ 事業について、同和対策事業としてするのか一般対策としてするのか聞い

ても、行政の立場があやふやである。もう、同和対策事業でするのだという

積極的立場をとってもよいのではないか。

教師に対する要求も厳しい。

☆ 勉強を言う前に、人間としての生き方を教えてやって欲しい。

生徒を甘やかしているのでは ? もっと厳しく!

シンナーを吸っているので連絡したら、学校の外のことは学校とは関係が

ない、警察に言ってくれと言われた。どうなっているのか。教育委員会はど

んな指導をしているのか。

☆ 高校の教師の熱心さが足りない。親も子も教師不信になっている0

教師間で足並が乱れ、熱心な教師が孤立している。

☆ 学校の先生に、やろうという意欲のある人があまりに少なすぎる0

教師が-労働者という側面があることはよく分かっているが、現在の部落

の人の社会的立場を考えた場合、-労働者の発想では同和教育の前進はみら

れない。

☆ 口先だけできれいに対応されている。親の願いが分かっていない。分かる

授業を徹底して欲しい。家庭進出で話 し合いの中味が生かされていない。

PTAに対する啓発活動がされていない。

☆ 子どもが小学校でいじめられて (カバンや筆箱を踏む、 `̀バカ "と言われ

る)、何度か連絡帳に書いて担任に伝えたが、最初のうちは 「様子を見させ

てもらう」と言うだけ。今はいじめた子は手助けなどするが、本当にいじめ

がなくなったのかどうか心配。担任があまり家に来ることがない。

☆ 地域進出等の中で じっくり取り組んでいく、壁にぶつかってもあせらない

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で、子と親と教師の中での問題を教師集団にもちこんで議論しながら職場全

体の力量を高めて欲しい。

☆ 学校で実践されている同和教育で、一人一人を大切にする気持ち、その中

で中学校での非行問題を考える時、先生連の姿勢が甘いのではないだろうか。

一人の子どもが道をそれようとする時、先生がどこまで手を差し延べるこ

とができたのだろうか。学習面の充実も必要だが、生活面での指導もしっか

りして欲しい.例をあげるなら、クラブ活動などの充実があればよいa)では

ないだろうか。そのクラブを続けていく努力を買う、そのことをはめる必要

があるのではないだろうか。そして、生徒の指導にあたって、先生はこと細

かに指導すべきではないだろうか。子どもが伸びる可能性をつぶすようなこ

とをしてきたのではないだろうか。

☆ 本音が出し合える懇談にして欲しい。教師自身がかまえてしまい、ついつ

い固い雰囲気になってしまっている。

6年間参加された親の感想の中に、全く分からんかったという発言を聞い

た。結局自分の課題になるような話し合いになっていなかったのではないだ

ろうか。人権懇談はしつけの問題だけに終わらず、なぜそのようになったの

か、背景をさぐっていくような話し合いであって欲しい。その時だけの話し

合いになり、次の懇談につながっていないのではないか。また、話し合いだ

けに終わらず、親自身の行動化につながっていくような取り組みをして欲し

い。

先生はもっと地区の子どもを厳しく鍛えて欲しい。地区外の親達は 「あの

子達はええことばかりしている」という目で見ている。だから、もっと子ど

もに力をつけて欲しい。

この他、就労問題、企業の問題、生活保護や福祉問題、保険問題や地形 ・地

区改善事業や教育 ・啓発 ・生活全域に差別にまつわる問題は根深 く今日も生き

続けている。その問題を解決すべく、部落解放基本法制定要求国民運動が展開

されている。地区住民はこれに対し、

☆ 今、基本法制定に向けて取り組んでいくことは、とっても大切に思う。や

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や遅いという感じもする。

☆ ぜひとも基本法を制定させたい。

☆ 法的措置 (同和対策事業)がなくなった時、差別が拡大するのが怖い。そ

の時行政施策がなくなるので、生活面 (生きていく上でも)が苦 しくなって

くると思う。部落解放基本法の制定をぜひ実現させて欲しい。 (行政として

の熱意と、人としての誠意を要求する)

基本法の制定がなければ、逆戻りすると考えられる。それが心配である。

何百年も続いた差別が措置法だけでなくなるとは考えられない。従って、恒

久的な基本法の実現が大切。

と述べている。誠に同感である。こうした部落解放運動において人々は成長

している。

☆ 学習指導員の長女さんについて、その生育歴を聞く中で、指導員としての

活躍ぶりの源が解放学習の積み上げによることが大きかったことを認識した。

*部落差別については、小さい頃から語って聞かせ、子ども会活動の中で、

体で活動の大切さを知ったのではないか。

* 父親、母親の運動 (活動)体験を話す中で、どのように実践 (行動)す

るか、理論も大切だが実践も大切だと繰り返し話してきた。

*すすんでサークル、部落研の活動を行い、仲間を増やしてきた。今では

父親が負けるほどの実践家である。

* 姉から妹への話の中で、妹が影響を受けている面もある。

〔母の話〕

差別を受けるのは本人であるから、本人がしっかりしなくてはならない。

「差別語が多くても"この人にもいっか分かってもらいたい''と思っ.て、少

しずつ話していくようにしている」という話を伺い、もっともっと学習の場

を充実 していかなければならないと痛感した。今までの支部の学習の積み上

げがあったからこそだと思う。

☆ 集会所で子どものサークル活動がない。大人のサークル活動はやっている

のに、どうして子どもの活動がないのだろうか。大人が子どもを集会所に出

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そうとしないのではないか。もっと活発な活動をして欲しい。もっと子ども

を前面に出した活動があってもよいと思う。解放の後継者づくりをもっと積

極的に望む。

☆ 〔本人の手記を調査員に託したもの〕

* 「いじめ」や非行など、子どもの問題行動が増えているのは、家庭や地

域での人権軽視の状況の広がりに関係があるように思います。

* 他市において 「人権を侵す言動はやめましょう」のステッカーを各家庭

に貼り付けているのを見かけたことがあります。福山市行政も一度考えてみ

て下さい。

* 住民学習は、すべての人々が他人の心を傷つけたり、傷っけられたりす

ることのない生き方を学ぶ場であると思います。住民学習で学んだことを地

域や家庭生活の中で生かしていきたいと思っております。

*部落問題を住民のみなさんにど理解いただけるよう、私達地域の仲間も、

もっともっと日常の生活のけじめのある生活習慣を身に付け、言動に気を付

け、信頼関係を密にしていけるよう努力したいです。

こうした人間の成長発展こそが部落解放を実現する根本的な力であり、課題ヽ

である。この輪の広がりの中でこそ、日本人の人権意識が高められ、部落問題

に関する無知と差別性からの解放が実現されるのである。この人権感覚の発展

と、社会問題に関する科学的知識の成長を恐れ、これを阻止し妨害する者は差

別者であり、国権主義者である。

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